永子の窓

趣味の世界

枕草子を読んできて(120)

2019年05月07日 | 枕草子を読んできて
一〇七 雨のうちはへ降るころ (120) 2019.5.7
 
 雨のうちはへ降るころ、今日も降るに、御使ひにて、式部丞のりつねまゐりたり。例の御褥さし出だしたるを、常よりも遠く押しやりてゐたれば、「あれはたれが料ぞ」と言へば、笑ひて、「かかる雨にのぼりはべらば、足がたつきて、いとふびんにきたなげになりはべりなむ」と言へば、「など。けんそく料にこそはならめ」と言ふを、「これは御前に、かしこう仰せらるるにはあらず。のぶつねが足がたのことを申さざらしかば、えのたまはざらまし」とて、かへすがへす言ひしこそをかしかりしか。
◆◆雨が引き続いて降るころ、今日も降るのに、帝の御使いとして、式部丞のりつねが中宮様の御方に参上している。いつものように御敷物を差し出してあるのを、普段よりも遠くに押しやって座っているので、「あれは誰が使う物ですか」と言うと、笑って「こんな雨の時に参上しますなら、足の跡がついて、たいへん不都合で汚らしくなってしまいましょう」と言うので、「どうしてでしょうか。ケンソク(不審)料にこそはなりましょうのに」と言うのを、「これはあなたさまが、上手く仰せになるのではない。(気が利いた言い方?)のぶつねの足の跡のことを申しませんでしたら、おっしゃれなかったでしょう」と言って、繰り返し繰り返し言うのこそはおもしろかった。◆◆

■うちはへ=長引いて。引き続いて。
■のりつね=後の文では、「のぶつね」とあり、不審。「のぶつね」は藤原信経で、長徳3年(997)正月式部丞(式部省の三等官)になっている。


 「あまりなる御身ぼめかな」とかたはらいたく、「はやう、大后の宮に、ゑぬたきといひて名高き下仕へなむありける。美濃の守にて失せにける藤原の時柄、蔵人なりける時、下仕へどもある所に立ち寄りて、『これやこの高名のゑぬたき。などさも見えぬ』と言ひける返事に、『それときはに見ゆる名なり』と言ひたりけるなむ、『かたきに選りても、いかでかさる事はあらむ』と、殿上人、上達部までも、興ある事にのたまひける。またさりかるなンめりと、今までかく言ひ伝ふるは」と聞こえたり。「それまた時柄と言はせたるなり。すべて題出だしからなむ、文も歌もかしこき」と言へば、「げにさる事あることなり。さらば、題出ださむ。歌よみたまへ」と言ふに、「いとよき事。一つは何せむに、同じうはあまたをつかまつらむ」など言ふほどに、御題は出でぬれば、「あなおそろし。まかり出でぬ」とて立ちぬ。「手も、いみじう真名も仮名もあしう書く、人も笑ひなどすれば、かくしてなむある」と言ふもをかし。
◆◆「あまりなご自慢ぶりよ」と聞き苦しく、「ずっと以前の事、大后の宮に、えぬたきといって名高い下仕えの者がありました。美濃の守在任中に亡くなってしまった藤原の時柄(ときから)が、蔵人であった時、この下仕えたちがいる所に立ち寄って、『これがこの名高いえぬたきか。どうしてそんなふうにも見えないが』と言ったのに対してえぬたきの返事に、『それは時柄―時次第―ではなく、常盤に―いつも―見える名前です』と言ったのだったのこそ、『わざわざ競争相手に選んでも、どうして、こんなうまい出会いがあるだろうか』と殿上人や上達部までも、興あることとしておっしゃったのでした。実際、またそうだったことでしょう。今にいたるまでこう言い伝えるのは」とのぶつねに申し上げた。するとのぶつねは「それはまた時柄―その時次第―で、そうした人に言わせているのです。すべて題のだしよう次第で、詩文も歌もうまくできるのです」というので、「なるほどそういうことはあることです。それならば、題を出しましょう。歌をお詠みください」と言うと、「それは大変なことだ。一つではどうしようもないから、同じ事ならばたくさんお詠みもうしあげましょう」などといううちに、中宮様から御題が出てきてしまったので、「ああ恐ろしいこと。退出いたしてしまいます」と言って、立って行ってしまった。「筆跡も、漢字も仮名もひどく下手に書くのを、人も笑などするので、筆跡を隠しているのよ」と女房たちが言うのもおもしろい。◆◆

■ゑぬたき=下仕えの名。「ゑぬ=恵奴、又犬と同じ」とあるのから、「犬抱き」「犬たぐり」を当てて命名が考えられる。


作物所の別当するころ、たれがもとにやりけるにかあらむ、物の絵様やるとて、「これがやうにつかまるべし」と書きたる真名のやう、文字の、世に知らずあやしきを見つけて、それがかたはらに、「これがままにつかうまつらば、ことやうにこそあるべけれ」とて、殿上にやりたれば、人々取りて見て、いみじう笑ひけるに、大腹立ちてこそうらみしか。
◆◆のぶつねが作物所の別当をしていたころ、だれのところに届けたのか、工作する物の絵図面を送るということで、「これのとおりに調達申し上げよ」と書いてある漢字の書風や字体が、世にもおかしく変なのを見つけて、そのそばに、「これのとおりに調達もうしあげるなら、さぞかし異様な物が出来上がるに違いない」と書き添えて、殿上の間に届けたところ、人々がそれを手に取って見て、ひどく笑ったので、のぶつねは大層立腹して恨んだことだった。◆◆

■作物所(つくもどころ)=宮中の調度類を調達したり細工をしたりする役所。別当はその長官。




枕草子を読んできて(119)

2019年04月30日 | 枕草子を読んできて
一〇六 中納言殿まゐらせたまひて (119) 2019.4.30
 
 中納言殿まゐらせたまひて、御扇奉らせたまふに、「隆家こそいみじき骨を得てはべれ。それを、張らせてまゐらせむとするを、おぼろげの紙は張るまじければ、もとめはべるなり」と申したまふ。「いかやうなるにかある」と問ひきこえさせたまへば、「すべていみじく侍る。『さらにまだ見ぬ骨のさまなり』となむ人々申す。まことにかばかりのは見ざりつ」と、こと高く申したまへば、「さては扇のにはあらで、くらげのなり」と聞こゆれば、「これは隆家がことにしてむ」とて、笑ひたまふ。
◆◆(藤原隆家)中納言殿が参上あそばして、御扇を中宮様にお差し上げあそばすのに、「この隆家こそ、すばらしい骨を手に入れましてございます。それを、紙に張らして差し上げようと思うのですが、いい加減な紙を張るわけにはまいりませんので、探しているのでございます。」と申し上げになる。「いったいどんなふうなものなのか」とお尋ね申しあそばされると、「全部素晴らしいのでございます。『全く今まで見たこともない骨のようすだ』と人々が申します。ほんとうにこれほどの物は見たことがなかった」と声高に申し上げなさるので、(作者が)「それでは扇の骨ではなくて、くらげのですね(見たことがないのなら、骨のないくらげの骨だ。という洒落)。」と申しあげると、「これは隆家の言ったことにしてしまおう。(素晴らしい洒落だから隆家が功を横取りしよう、という冗談)」といってお笑いになる。◆◆

■中納言殿=藤原隆家。伊周(これちか)・定子の弟。

■こと高く=「言高く」であろう。自慢げに声高に。


 かやうの事こそ、かたはらいたきもののうちに入れつべけれど、「ひとことなおとしそ」と侍れば、いかがはせむ。
◆◆このようなことこそは、聞き苦しくて仕方がない感じのするものの中に入れてしまうべきものだけれど、「一言も書き落とさないでくれ」と言うことでございますので、どうしようもなく、書きつけておきます。◆◆



枕草子を読んできて(118)

2019年04月24日 | 枕草子を読んできて
一〇五 御方々、君達、上人など、御前に(118) 2019.4.24

 御方々、君達、上人など、御前に人おほく候へば、廂の柱に寄りかかりて、女房と物語してゐたるに、物を投げ給はせたる、あけて見れば、「思ふべしやいなや。第一ならずはいかが」と問はせたまへり。
◆◆中宮様の御身内の方々、若君たち、殿上人たちと大勢が伺候しているので、わたしは廂の間の柱に寄りかかって、女房と話をして座っていると、中宮様が物を投げてお与えくださっているので、開けて見ると、「そなたを可愛がるのがよいか、それともいやか。第一番でなければどうか」とお尋ねになっていらっしゃる。◆◆

■御方々=中宮の身内の方々。兄弟姉妹であろう。



 御前に物語などするついでにも、「すべて人には一に思はれずは、さらに何にかせむ。ただいみじうにくまれ、あしうせられてあらむ。二三にては死ぬともあらじ。一にてをあらむ」など言へば、「一乗の法なり」と人々笑ふ事の筋なンめり。筆、紙給はりたれば、「九品蓮台の中には、下品といふとも」と書きてまゐらせたれば、「むげに思ひくんじにけり。いとわろし。言ひそめつる事は、さてこそあらめ」とのたまはすれば、「人にしたがひてこそ」と申す。「それがわろきぞかし。第一の人に、また一に思はれむとこそ思はめ」と仰せらるるもいとをかし。
◆◆御前で話をするとき、話のついでにも、「万事、人には第一にかわいがられるのでなくては、いっこうどうしようもない。ただひどく憎まれ、悪く扱われているほうがいい。二番三番では、死んでもかわいがられないでいるつもりだ。第一番でどうしてもいよう」などと言うので、「それは一乗の法だ」と女房たちが笑う、あの話の筋であるようだ。筆と紙をいただいたので、「九品蓮台の中では、たとい下品といっても」と書いて差し上げたところが、中宮様が「ひどく意気地がなくなってしまったのだね。たいへん劣った考えだ。一旦言い始めてしまったこことは、そのままでこそ押し通すのがよい」と仰せあそばすので、「相手によりましてこそ」と申し上げる。「それがよくないのだよ。第一番の人に、まだ第一番に思われようとこそ思うのがよい」と仰せになるのも、たいへんおもしろい。◆◆

■をあらむ=文中で使われる「を」は連用の文節に添って強意を表す。結びは願望・命令・決意などの表現となるのが普通である。

■九品蓮台(くほんれんだい)=『観無量寿経』によると極楽往生には九階級があり、上品、中品、下品(げぼん)の三段階がそれぞれ上生・中生・下生に分かれる。ここでは九品往生できるなら下品でも満足だ、すなわち中宮に思われるなら第二、第三でも結構だ、の意を含む。


枕草子を読んできて(117)その6

2019年04月19日 | 枕草子を読んできて
一〇四  五月の御精進のほど、職に (117) その6  2019.4.19

 夜うちふくるほどに、題出だして、女房に歌よませたまへば、みなけしきだちゆるがし出だすに、宮の御前に近く候ひて、物啓しなど、事をのみ言ふも、おとど御覧じて、「などか歌はよまで離れゐたる。題取れ」とのたまふを、「さるまじくうけたまはりて、歌よむまじくはりてはべれば、思ひかけはべらず」。「ことやうなる事。まことにさる事やは侍る。などかはゆるさせたまふ。いとあるまじき事なり。よし、こと時は知らず、今宵はよめ」と責めさせたまへど、清う聞きも入れで候ふに、こと人どもよみ出だして、よしあしなど定めらるるほどに、いささかなる御文を書きて給はせたり。あけてみれば、
 元輔がのちといはるる君しもや今宵の歌にはづれてはをる
とあるを見るに、をかしき事ぞたぐひなきや。いみじく笑へば、「何事ぞ何事ぞ」と、おとどものたまふ。
 「その人ののちといはれぬ身なりせば今宵の歌はまづぞよままし
つつむ事候はずは、千歌なりとも、これよりぞ出でまうで来まし」と啓しつ。
◆◆夜が更けるころに、題を出して、女房に歌をお詠ませになるので、みな色めきたって苦心して歌をひねり出すのに、私は中宮様の御前近くに侍して、物を申し上げるなど、ただ話をだけしているのを、内大臣が御覧になって、「どうして歌を詠まないで、離れて座っているのか。題を取れ」おっしゃるのを、「そのような必要はなかろうというふうのお言葉を承りまして、歌は詠まないはずのことになっておりますの、歌の事は心にかけておりません」「変なことだな。本当にそんなことがございましたか。どうしてお許しあそばされたのですか。あるまじきことですね。まあよい。他の事は知らないが、今宵は詠め」とお責めになるけれど、きっぱりと聞き入れもしないで侍していると、他の人たちは歌を作って出して、良し悪しなどをお決めになるころに、中宮様がちょっとしたお手紙を書いてわたしにお下げ渡しになった。開けてみると、
(中宮様の歌)「そなたの父元輔の子といわれるそなたが今宵の歌に加わらないで控えているのか」
とあるのを見るのに、おもしろいことはくらべるものもないほどだ。「何だ何だ」と内大臣さまもおっしゃる。
(作者の歌)「もしも私が、だれそれの子と言われない身だったら、今宵の歌はまっさきに詠むことでございましょうのに  遠慮することがございませんなら、千首の歌でも、こちらから口をついて出てまいることでございましょうのに」と申し上げた。◆◆


■さるまじく=「さ・あるまじく」歌は詠まなくてよかろうと

■まうで来まし=「まうで来」は改まった気持ちの会話に用い、自己側の事物の動作を謙譲して言う語。出てまいりますことでございましょうのに。


枕草子を読んできて(117)その5

2019年04月16日 | 枕草子を読んできて
一〇四  五月の御精進のほど、職に (117) その5  2019.4.16

 二日ばかりありて、その日の事など言ひ出づるに、宰相の君、「いかにぞ、手づから折りたると言ひし下蕨は」とのたまふを聞かせたまひて、「思ひ出づる事のさまよ」と笑はせたまひて、紙の散りたるに、
 下蕨こそ恋しかりけれ
と書かせたまひて、「本言へ」と仰せらるるもをかし。
 郭公たづねて聞きし声よりも
と書きて、まゐらせたれば、「いみじううけばりたりや。かうまでにだに、いかで郭公の事をかけつらむ」と笑はせたまふ。
◆◆二日ほどしてのち、あの郭公を聞きに行った日のことを口に出して話していると、宰相の君が「どうでしたか、自分で折ったといった下蕨の味は」とおっしゃるのを、中宮様がお聞きあそばされて、「思い出すことといったら、(郭公の声でなく)まったく」とお笑いあそばして、お手元に紙が散ってあるのに、
(中宮様の下句)「食べた下蕨(したわらび)をこそ恋いしかったことだ」
とお書かせになって、「上句をつけよ」と仰せあそばされるのもおもしろい。
(作者の上句)「郭公の声をたずねて聞いたその声よりも」
と書いて、差し上げたところ、「たいそう、はっきりと言い切ったものだね。こんなふうに食い気一方の状態であってさえも、ちゃんと郭公のことを心に掛けて引き合いに出しているのだろう」とお笑いあそばされる。◆◆

■下蕨こそ恋しかりけれ=「こそ」と下蕨(わらび)を強め、食い気だけあるのをからかった言い方。下の句を書いて上の句をつけさせつ短連歌。
■郭公たづねて聞きし声よりも=ためらわずに、中宮のからかいを肯定して興をそえる呼吸はさすがである。
■うけばり=「うけばる」は、人に気兼ねしないで存分にふるまうこと。食物の恋しさをはっきり言い切ったことをさす。


 「この歌、すべてよみはべらじとなむ思ひはべるものを。物のをりなど人のよみはべるにも、『よめ』など仰せられば、え候ふまじき心地なむしはべる。いかでかは、文字の数知らず、春は冬の歌をよみ、秋は春のをよみ、梅のをりは菊などよむ事侍らむ。されど、歌よむと言はれはべりし末々は、すこし人にまさりて、『そのをりの歌は、これこそありけれ。さは言へど、それが子なれば』など言はれたらむこそ、かひある心地してはべらめ。つゆとりわきたる方もなくて、さすがに歌がましく、われはと思へるさまに、さいそによみ出ではべらむなむ、
亡き人のためにいとほしく侍る」などまめやかに啓すれば、笑はせたまひて、「さらば、ただ心にまかす。われはよめとも言はじ」とのたまはあすれば、「いと心やすくなりはべりぬ。今は歌のこと思ひかけはべらじ」など言ひてあるころ、庚申せさせたまひて、内大臣殿、いみじう心まうけせさせたまへり。
◆◆「この歌というものを、一切詠みますまいと思っておりますものを。何かの折などに人が詠みますにつけても、『詠め』などと仰せになりますならば、おそばに伺候することができそうもない気がいたします。と言って、歌の字数を知らず、春は冬の歌を詠み、秋は春の歌を詠み、梅の季節に菊の花などを詠むことがございましょうか。けれど、歌が上手だと言われた者の子孫は、少しは人に勝って、『これこれの歌は、この歌こそすばらしかった。何と言っても、だれそれの子なのだから』などと言われているのこそ、詠みがいのある気持ちがしていることでございましょうに。少しも特別にこれといった点もなくて、それでもいかにも歌らしく、自分こそはと思っているふうに、得意然として最初に詠みだしましょうのは、亡き人のために気の毒でございます」などと、真面目に申し上げると、中宮様はお笑いあそばされて、「それならば、そなたの心にまかせる。わたしは詠めとも言うまい」と仰せあそばすので、「とても気持ちが楽になりました。もう今は歌の事を気に掛けないようにいたしましょう」などと言っているころ、中宮様が庚申をあそばされて、内大臣様は、たいへん気を入れてご用意あそばしていらっしゃる。◆◆


■さいそ=最初
■亡き人=作者の父元輔や曾祖父を指す。
■庚申(こうしん)せさせ=庚申待ち。人の腹中に三尺(さんし)という悪虫があり、干支が庚申(かのえさる)に当たる日の夜、天に昇って天帝に罪過を告げ命を縮めるが、この夜眠らなければ虫も昇天できないというので、この夜は眠らずに飲食を設け、碁・双六・歌会などの遊びをして夜を明かす。もと中国道家の説。
■内大臣殿=藤原伊周(これちか)。長徳二年(996)四月内大臣から太宰権帥に左遷。翌年四月召喚の官符を賜い十二月帰京。この年(長徳四年)二十五歳。正確には当時内大臣ではない。


枕草子を読んできて(117)その4

2019年04月09日 | 枕草子を読んできて
一〇四  五月の御精進のほど、職に (117) その4  2019.4.9

 さてまゐりたれば、ありさまなど問はせたまふ。うらみつる人々、怨じ心憂がりながら、籐侍従、一条の大路走りつるほどに語るにぞ、みな笑ひぬる。「さていづら歌は」と問はせたまふ。かうかうと啓すれば、「くちをしの事や。上人などの聞かむに、いかでかをかしき事なくてあらむ。その聞きつらむ所にて、ふとこそよまましか。あまりぎしきことさめつらむぞ。あやしきや。ここにてもよめ。言ふかひなし」などのたまはすれば、げにと思ふに、いとわびしきを、言ひ合はせなどするほどに、籐侍従の、ありつる卯の花つけて、卯の花の薄様に、
 郭公の鳴く音たづねにきみ行くと聞かば心を添へもしてまし
◆◆そうして中宮様に参上しますと、今日の様子などをお聞き遊ばされます。一緒に行けなった人々が、嫌味を情けながったりしながら、籐侍従が一条大路を走ったところに話がくると、みな笑ってしまった。「さて、ほととぎすの歌はどこに」と中宮様がお尋ねあそばされる。こうこうでございましたと、申し上げると、「残念なことよ。殿上人たちが聞こうとするだろうに、どうしてそなたたちに良い歌が詠めていないなどということがあろうか。そのほととぎすの声を聞いたところで、手軽に詠めばよかったのに。あまり儀式ばっては興ざめになってしまっているのは、変なことだ。ここででも詠め。仕方がないこと」などと仰せあそばされますのも、もっともだとは思うと、確かにがっかりするので、それではと歌を作ろうと思っているところに、籐侍従が、先ほど持ち帰った卯の花につけて、卯の花色の薄様の紙に、
(籐侍従のうた)「郭公が鳴く音を探し求めにあなたが行くのだとあらかじめ聞いていたら、わたしの心をも一緒に添えもしたでしょうに、残念でした。」◆◆



 返事待つらむなど、局へ硯取りにやれば、「ただこれしてとく言へ」とて、御硯の蓋に紙など入れて給はせたまへば、「宰相の君、書きたまへ」と言ふを、「なほそこに」など言ふほどに、かきくらし雨降りて、神もおどろおどろしう鳴りたれば、物もおぼえず、ただおろしにおろす。職の御曹司は、蔀をぞ御格子にまゐりわたしまどひしほどに、歌の返事も忘れぬ。
◆◆使いの者が返歌を待っているだろうからと、局に硯を取りにやると、中宮様が「ただこれに早く書け」といって、御硯の蓋に紙などを入れてお下しになられたので、「宰相の君、お書きください」というと、「やはり、あなたが」などと言っているうちに、すっかり空が暗くなって雨が降りだし、雷も恐ろしげに鳴るので、気も転倒してただただ、御格子を下ろしに下ろす。職の御曹司では蔀を御格子に重ねて大慌てにお下ろし申しあげ回ったりしているうちに、歌の返歌も忘れてしまった。◆◆


 いと久しくなりて、すこしやむほどは暗くなりぬ。ただいま、なほその御返事奉らむとて、取りかかるほどに、人々、上達部など、神のこと申しにまゐりたまへば、西面に出でて、物など聞ゆるほどにまぎれぬ。人はた「さして得たらむ人こそしらめ」とてやみぬ。おほかたこの事に宿世なき日なりとうじて、「今はいかでさなむ行きたりしとだに人に聞かせじ」などぞ笑ふを、「今も、などその行きたりし人どもの言はざらむ。されども、させじと思ふにこそあらめ」と、物しげにおぼしめしたるも、いとをかし。「されど、今すさまじくなりにてはべるなり」と申す。「すさまじかるべき事かは」などのたまはせしど、やみにき。
◆◆大分たって、少し止んで来るころには暗くなってきた。とにかく、やはり籐侍従からの歌の返歌を差し上げようということで、取りかかっているうちに、色々な人や、上達部などが、雷のことでお見舞い申し上げに参上なさるので、職の西向きの部屋に出て、お相手としてお話など申し上げているうちに、歌の事は取り紛れてしまった。他の人は、とはいえ、「名指しして歌を貰っていよう人こそが、始末するがよい」ということで、終わりになってしまった。だいたい歌の事に縁のない日だと気が滅入って、「もう今は、ほととぎすの声を聞こうと行ったことさえ、人には言うまい」などと言って笑うのを、中宮様は「今でも、どうしてその行った人たちが、歌を詠めないことがあろうか。けれども、歌は詠むまいと思っているのであろう」と、不興げにお思いあそばしてしるのも、とてもおもしろい。「けれど、今は、時期をはずして、興ざめな気分になっているのでございます」と申し上げる。「興ざめであるはずのことなものか」と仰せあそばしたけれど、それなりで終ってしまった。◆◆


■うじて=「倦みす」の音便「倦んず」の「ん」無表記。

*写真は硯(すずり)。墨を水で磨り卸すために使う、石・瓦等で作った文房具である。中国では紙・筆・墨と共に文房四宝のひとつとされる。



枕草子を読んできて(117)その3

2019年04月03日 | 枕草子を読んできて
一〇四  五月の御精進のほど、職に (117) その3  2019.4.3

 近う来ぬ。「さりとも、いとかうてやまむやは。この車のさまをだに、人に語らせてこそやまめ」とて、一条殿のもとにとどめて、「侍従殿やおはします。郭公の声聞きて、今なむ帰りはべる」と言はせたる使、「『ただいままゐる。あが君あが君』となむたまへる。さぶらひにまひろげて。指貫奉りつ」と言ふに、「待つべきにもあらず」とて、走らせて、土御門ざまへやらするに、いつの間にか装束しつらむ。帯は道のままに結ひて、「しば、しば」と追ひ来る。
◆◆御所近くに来てしまった。「そうとしても、全く人にも知らせないままで終わってしまってよいものか。せめてこの車の様子だけでも、人に語り草にさせてこそ『けり』をつけよう」ということで、一条大宮にある故太政大臣藤原為光の邸のあたりに車を止めて、「侍従(為光の六男公信)殿はおいでになりますか。郭公(ほととぎす)の声を聞いて、今帰るところでございます」と言わせておいた使いが帰ってきて、「『今すぐ伺います。君よ、君よ』といっしゃっておいでです。侍ところにくつろいでいらっしゃいました。今、指貫をお召しでした」と言うので、「待っているbきことでもない」とて車を走らせて、土御門の方に行かせるときに、いつの間にか装束をつけたのであろうか。帯は道の途中で結んで、「しばらく、しばらく」と追い掛けてくる。◆◆



 供に、侍、雑色物はかで走るめる。「とくやれ」と、いとどいそがして、土御門に行き着きぬるにぞ、あつちまどひておはして、まづこの車のさまをいみじく笑ひたまふ。「うつつの人の乗りたるとなむ、さらに見えぬ。なほおりて見よ」など笑ひたまへば、供なりつる人どもも興じ笑ふ。「歌はいかにか。それ聞かむ」とのたまへば、「今御前に御覧ぜさせてこそは」など言ふほどに、雨まことに降りぬ。
◆◆供として、侍や雑色が履物も履かないで走って来るようだ。「早く車をはしらせよ」と一層急がせて、土御門に行き着いてしまった時に、飛ぶように大騒ぎをしておいでになって、なにはさておいてこの車の様子を面白がって笑う。「現実の人が乗っているとは、まったく見えない。さあ降りてこれをご覧」などといってお笑いになると、供だつ人どもも面白がって笑う。「歌(ほととぎすの)はどうですか。それを聞こう」とおっしゃるので、「これから中宮さまに御覧あそばすようにおさせして、その後で」などと言ううちに、雨が本当に降り出してしまった。◆◆



 「などかこと御門のやうにあらで、この土御門しも、上もなく作りそめけむと、今日こそいとにくけれ」など言ひて、「いかで帰らむずらむ。こなたざまは、ただおくれじと思ひつるに、人目も知らず走られつるを。あう行かむ事こそいとすさまじけれ」とのたまへば、「いざ給へかし。内へ」など言ふ。「それも烏帽子にてはいかでか」。「取りにやりたまへ」など言ふに、雨まめやかに降れば、笠なきをのこどもも、ただ引き入れつ。一条よりかさを持て来たるをささせて、うち見返りうち見返り、このたびはゆるゆると物憂げにて、卯の花ばかりを取りておはするもをかし。
◆◆(侍従殿が)「どうして他の御門のようにではなく、特にこの土御門に、屋根もなく初めから作ったのだろう、今日は特に憎らしい」などと言って、「どうして帰ってそれなのにもっと遠くに行くのこそは、興ざめなことだ」とおっしゃるので、「さあ、いらっしてください。宮中へ」などと言う。「それも、烏帽子ではどうしてできましょうか」。「お装束を取りに人をおやりなさいませ」などと言うときに、雨が本式に降るので、笠の無い男どもも、車を門内に引き入れてしまう。一条の邸から笠を持って来ているのをささせて、振り返り振り返り見て、今度はゆっくりと億劫そうに、卯の花だけを手に持って帰っておいでになるのもをかしい。◆◆

■あう行かむ=「奥行く」でさらに遠くへ行く

*写真は卯の花

枕草子を読んできて(117)その2

2019年03月30日 | 枕草子を読んできて
一〇四  五月の御精進のほど、職に (117) その2 2019.3.30

 かういふ所には、明順の朝臣家あり。「そこもやがて見む」と言ひて、車寄せておりぬ。田舎だち、事そぎて、馬の形かきたる障子、網代屏風、三稜草の簾など、ことさらに昔の事をうつしたる。屋のさまは、はかなだちて、端近き、あさはかなれどをかしきに、げにぞかしがましと思ふばかり鳴き合ひたる郭公の声を、御前に聞こしめさず、さはしたひつる人々にもなど思ふ。
◆◆このようにいう所には、明順朝臣の家がある。「そこも早速見物しよう」と言って、車を寄せて降りてしまった。田舎風で、簡素な造りで、馬の絵を描いてある衝立障子、網代屏風、三稜草(みくり)の簾など、わざわざ昔の事の様子を写している。建物のありさまは、かりそめの様で、端近なのは、奥深さはないがおもしろく、全く人が言っていたように、やかましいほどに鳴き合っている郭公(ほととぎす)の声を、中宮様におかれましてもお聞きあさばされず、あんなに後を追っていた人々にも聞かせないで…などと思う◆◆

■明順(あきのぶ)の朝臣家=中宮のおじ。高階成忠(中宮の母貴子の父)の三男。左中弁。
■障子=部屋を仕切る建具。ここでは襖(ふすま)、衝立のようなもの。
■網代屏風(あじろびょうぶ)=檜皮を網代に編んだ屏風
■三稜草(みくり)の簾=三稜草の茎で編んだすだれ。



 「所につけては、かかる事をなむ見るべき」とて、稲といふものおほく取り出でて、若き下衆女どもの、きた
なげならぬ、そのわたりの家のむすめ、女などひきゐて来て、五六人してこかせ、見も知らぬくるべき物ふし、二人して引かせて、歌うたはせなどするを、めづらしくて「笑ふに、郭公の歌よまむなどしたる、忘れぬべし。よこゑにあるやうなる懸盤などして、物食はせたるを、見入るる人なければ、家あるじ「いとわろくひなびたり。
かかる所に来ぬる人は、ようせずは『あるも』など責め出だしてこそまゐるべけれ。むげにかくては、その人ならず」など言ひてとりはやし、「この下蕨は、手づから摘みつる」など言へば、「いかでか、女官などのやうに、つきなみてはあらむ」など言へば、「取りおろして。例のはひぶしにならはせたる御前たちなれば」とて、取りおろしまかなひさわぐほどに、「雨降りぬべし」と言へば、いそぎて車に乗るに、
◆◆
◆◆明順は「ここ田舎なりに、こうしたものを見るのがいいでしょう」といって、稲というものをたくさん取り出して、若い下層の女たちや、きたならしくはないその近所の家の娘や、女どもを連れてきて、五、六人して稲こきをさせ、見たこともないくるくる回る機械フシを、二人で引かせて、歌を歌わせるなどするのを、めずらしくて笑っているうちに、郭公の歌を詠むことも忘れてしまったのだった。ヨコエにあるような懸盤などを使って、食物を出しているのを、だれも見向きもしないので、家の主人の明順が「とても粗末な田舎風の料理です。けれど、このようなところに来る人は、悪くすると、「もっと他には」などと責め立てて召しあがるものです。それなのにいっこうに召しあがらないので、そうした人らしくない」などと言って調子よく座を取り持ち、「この下蕨は、私が自分で摘んだ物です」と言うので、わたしが、「どうしてまあ、女官なんかのように、懸盤の前に並んで座に着いてはいられましょう」などと言うと、「懸盤から下ろして召し上がれ、いつも腹這いに馴れていらっしゃるあなな方なのだから」といって、懸盤から取り下ろして食事の世話をして騒ぐうちに、供の男が、「雨が降ってくるにちがいありません」というので、いそいで車に乗る時に、◆◆


■くるべき物ふし=不審。
■『あるも』=不審
■まゐる=召しあがる。
■御前(おまえ)=「おほまへ」の約という。



 「さてこの歌は、ここにてこそよまめ」と言へば、「さはれ、道にて」など言ひて、卯の花いみじく咲きたるを折りつつ、車の簾、そばなどに、長き枝を葺きささせたれば、ただ卯の花垣根を牛にかけたるやうにぞ見えける。供なるをのこどもも、いみじうわづらひつつ、網代をさへ突きうがちつつ、「ここまだし、ここまだし」と、あしあつむなり。人も会はなむと思ふに、さらにあやしき法師、あやしの言ふかひなき者のみ、たまさかに見ゆるに、いとくちをし。
◆◆(女房の一人が)「ところでこの郭公の歌は、ここでこそ詠むのがいいでしょう」というので、わたしは「それはそうだけど、道中でもと」などと言って、卯の花がよく咲いているのを手折り手折りしながら、車の簾や脇などに長い枝を葺いて挿させたところ、まるで卯の花垣根を牛に掛けてあるように見えるのだった。供をしている男たちも、ひどく挿しにくそうにしながらも、網代をまで突いて穴を開けあけして、「ここがまだ、ここもまだだ」と、どうやらびっしり集めるようだ。だれか人でもわれわれに行き会ってほしいものだと思うのに、いっこうにいやしい法師や、身分の低くてつまらない者だけが、たまに見えるくらいのもので、とても残念だ。◆◆

■卯の花=うつぎの白い花。
■網代=この牛車は、網代車で、屋形・天井を網代で作ってある。

*写真は網代車=牛車(ぎっしゃ)の一つ。車の屋形に竹または檜(ひのき)の網代を張ったもの。四位・五位・少将・侍従は常用とし、大臣・納言・大将は略儀や遠出用とする。

枕草子を読んできて(117)その1

2019年03月27日 | 枕草子を読んできて
一〇四  五月の御精進のほど、職に (117) その1 2019.3.27

 五月の御精進のほど、職におはしますに、塗籠の前、二間なる所を、ことに御しつらひしたれば、例様ならぬもをかし。ついたちより雨がちにて、曇り曇らずつれづれなるを、「郭公の声たづねありかばや」と言ふを聞きて、われもわれもと出で立つ。賀茂の奥に、なにがしとかや、七夕のわたる橋にはあらで、にくき名ぞ聞こえし。
「そのわたりになむ、日ごとに鳴く」と人の言へば、「それは日ぐらしなンなり」といらふる人もあり。「そこへ」とて、五日のあした、宮司、車の事言ひて、北の陣より、五月雨はとがめなきものぞ、とて、入れさせおきたり。四人ばかりぞ、乗りてゆく。
◆◆五月の御精進のころ、中宮様が職の御曹司にお出であそばすので、塗籠の前の二間である所を、特別に御設備を整えてあるので、いつもと違っているのもおもしろい。月始めから雨がちで、曇ったり曇らなかったりして所在なないので、「郭公(ほととぎす)の声を探し求めてまわりたいものだ」と私が言うのを聞いて、われもわれもということで出発する。賀茂の奥に、なになにとか、織女星の渡るかささぎの橋ではなく、変な名前がついていた。「そのあたりに、毎日鳴く」と人が言うと、「それは、蜩のようだ」と応じる人もいる。「そこへ」ということで、五日の朝、職の役人が、車の事を指図して、北の陣を通って、「五月雨の頃はかまわないのだ」ということで、車を職の御曹司の端際まで入れさせておいてある。四人くらいがその車に乗って行く◆◆

■五月の御精進のほど=正月、五月、九月を斎月と称し、戒を保って精進する。これは長徳四年(998)のことと推定される。

■塗籠(ぬりごめ)=周囲を壁で塗り籠めた部屋。調度などを納める。

■二間なる所=柱のあいだを二間とった部屋。

■郭公=ほととぎす。

■七夕のわたる橋=かささぎの橋。七夕の夜、織女星を渡すという。

■日ぐらし=蜩。それは日を暮れさせる「日暮らし(蜩)」であるようだ、の意。



 うらやましがりて、「いま一つして同じくは」など言へど、「いな」と仰せらるれば、聞きも入れず、情けなきさまにて行くに、馬場といふ所にて、人おほくさわぐ、「何事するぞ」と問へば、「手つがひにてま弓射るなり。しばし御覧じておはしませ」とて、車とどめたり。「右近中将みな着きたまへる」と言へど、さる人も見えず。六位などの立ちさまよへば、「ゆかしからぬ事ぞ。はやかけよ」とて、行きもて行けば、道も祭のころ思ひいでられてをかし。
◆◆残された女房たちがうらやましがって、「もう一台の車で、同じ事なら」と言うけれど、中宮様から「いけない」と仰せられているので、自分たちも耳にも留めず、薄情な風を見せて出かけていくと、馬場(うまば)という所で、人が大勢騒いでいる。「何をするのか」と訊ねると、「競射の演習があって、弓を射るのです。しばらく御覧になっていらっしゃいませ」といって車を止めてある。「右近の中将やみなさまご着座していらっしゃる」というけれど、そういう人も見えない。六位の役人などが、あちこちうろうろしているので、「見たくもないことだ、早く走りなさい」と言って、どんどん進んで行くと、この道も賀茂の祭の頃がおもいだされておもしろい。◆◆


■平安時代にはホトトギスと郭公(カッコウ)が混同されていたようですが、なぜそのようなことになったのか疑問なのです。
両者は似ていますが、体長、鳴き声で明確に区別できます。
全長は28cmほどで、ヒヨドリよりわずかに大きく、ハトより小さい。頭部と背中は灰色で、翼と尾羽は黒褐色をしている。胸と腹は白色で、黒い横しまが入るが、この横しまはカッコウやツツドリよりも細くて薄い。目のまわりには黄色のアイリングがある。
ホトトギスは古来から多くの和歌に歌われていて、ポピュラーな鳥です。ホトトギスよりも鳴き声が優れていると書かれたものもあります。(忌み鳥としての伝承も多いようですが)
見るのが困難な稀少種ではありません、どうして混同されたのでしょうか?
また、コオロギとキリギリスもおなじように混同されていたようなのですが、ひよっとして当時の「風雅」の風潮として意識的に用いられたのでしょうか。
ホトトギスの実際の鳴き声を聞いたことはありませんが、CD-ROM盤の辞典で聞くと、テッペンカケタカには聞こえません、むしろホトトキと聞こえます。

*写真はほととぎす


枕草子を読んできて(116)

2019年03月24日 | 枕草子を読んできて
一〇三 くちをしきもの(116) 2019.3.24

 くちをしきもの 節会、仏名に雪の降らで、雨のかきくらし降りたる。節会、さるべきをりの、御物忌にあたりたる。いどみ、いつしか思ひたる事の、さはる事出で来て、にはかにとまりたる。いみじうほしうする人の、子生まで年ごろ具したる。遊びをもし、見すべき事もあるに、かならず来なむと思ひて呼びにやりつる人の、「さはる事ありて」など言ひて来ぬ、くちをし。
◆◆残念なもの 節会、仏名に雪が降らないで、雨が空を暗くして降っているの。節会やしかるべき行事の折が宮中の物忌みに当たっているの。競争して、早くその日が来てほしいと思っているのに、用事ができて、急に中止になってしまうの。ひどく子を欲しがっている人が子を産まないで何年の連れ添っているの。音楽の遊びもし、見せようと思っている時に、必ず来るだろうと思って、使いを出して呼んだ人が、「さしつかえがあって」などと言って来ないのは、残念だ。◆◆

■節会(せちえ)=節日・大礼・公事のある日に天皇が群臣に酒餞を賜う儀。

■仏名(ぶつみょう)=仏名会は「毎年12月19日から3夜の間、清涼殿で、過去・現在・未来の三千の仏名を唱えて、その年の罪業を懺悔し消滅させる法会



 男も女も、宮仕へ所などに、同じやうなる人もろともに、寺に詣で物へも行くに、このもしうこぼれ出でて、用意はけしからず、あまり見苦しとも見つべくぞあるに、さるべき人の馬にても車にても、行きあひ見ずなりぬる、いとくちをし。わびては、好き好きしからむ下衆などにても、人に語りつべからむにてもがなと思ふも、けしからになンめりかし。
◆◆男でも女でも、仕えている所などで、身分・気質など同じような人が、寺に詣でたりどこかへの出かけて行くときに、牛車から衣装が風流にこぼれ出ていて、その趣向はひどく風変わりで、あまりにも見苦しいと人が見るであろうが、しかるべき人が馬に乗ってでも、牛車にでも、行きあって見てくれるということがなくて終わってしまうのは、本当に残念だ。がっかりして情けなく思っては、せめて、風流心のありそうな下層の者などであっても、ちゃんと人に話して聞かせるに違いなさそうな者が欲しいな、と思うのも、はなはだ奇妙なことであるようだ。◆◆

■宮仕へ所=出仕している所。必ずしも宮中とはかぎらない。

■こぼれ出でて=出衣(いだしぎぬ)をいう。

■かしからず=「怪しくあらず」であるが、怪しくあるどころではなく、はなはだ怪しくある、の意を表すという。ひどく異様だ。

■さるべき人=さあるべき人=身分教養高く見せがいのある。

*写真は仏名会