永子の窓

趣味の世界

枕草子を読んできて(115)

2019年03月21日 | 枕草子を読んできて
一〇二  あさましきもの(115) 2019.3.21

 あさましきもの さし櫛みがくほどに、物にさへて折りたる。車のうち返されたる。さるおほのかなる物は、所せう久しくなどやあらむとこそ思ひしか、ただ夢の心地してあさましう、あやなし。
◆◆あまりの意外さにあきれてしまうもの 挿し櫛を磨くうちに、物に突き当たって折ったの。牛車のひっくり返されたの。そんなに物凄く大きな物は、そのままそこにあるだろうと思っていたのが、ただ夢のような気がして、意外で、何がなんだがわからない。◆◆

■さし櫛みがく=飾りとして髪に挿す櫛。つげや象牙で作り木賊(とくさ)で磨く。
■あやなし=「あや」は物事の筋目。筋が通らない。物の道理がわからない。


 人のためにはづかしき事、つつみもなく、ちごも大人も言ひたる。かならず来なむと思ふ人の、待ち明かして、暁がたに、ただいささか忘られて、寝入りたるに、烏のいと近く、かかと鳴くに、うち見開けたれば、昼になりたる、いとあさまし。調半にどう取られたる。むげに知らず見ず聞かぬ事を、人のさし向かひて、あらがはすべくもなく言ひたる。物うちこぼしたるもあさまし。賭弓に、わななくわななく久しうありてはづしたる矢の、もてはなれて、こと方へ行きたる。
◆◆その人の恥ずかしいことを、無遠慮に、子供も大人も言ってるの。必ず来るだろうと思う人が、一晩中待ち明かして、暁の頃にただちょっと忘れて寝てしまって、烏が近くでかあかあと鳴くので、戸を開けて見ると昼になっている、何だかあきれる。双六で調半に相手に筒を取られるの。全く知らず見もせず聞いてもいないことを、人がこちらに向かって、反論の余地もなく言ってるの。物をひっくりかえし、こぼしているのもあきれえる。
賭弓に震え震えて長くかかって射た矢が、的から離れて、別のところに行ってしまってるの。◆◆

■調半(てふばみ)にどう取られたる=双六で二つの賽を振って同じ目のそろって出るのを争う遊び。賽を入れるものを筒(どう)といい、同じ目の時は続いて筒を振る事ができるので、ここでは相手に筒をとられた、の意。
■賭弓(のりゆみ)=射礼(じゃらい)の翌日(正月十八日)弓場殿に天皇が臨幸して左右の近衛府・兵衛府の舎人たちが射を競うのをご覧になる行事。


■平安時代の「双六」 
平安時代を代表する室内遊戯といえば、まず碁でしょう。そしてより庶民的で流行したものに「双六」があります。
囲碁に関しては用具もルールも現代に伝わっていますので、あえて紹介するまでもありませんが、双六は子供のお正月遊び「紙双六」に変化してしまって、平安の遊びとは違うものになってしまい、本当の双六「盤双六」はすたれてしまっています。
 ここでは双六のルールをご紹介して、賭事に使われて何度も禁令が出されたほど平安人が熱中した楽しみを感じていただきたいと思います。
 ただし本当の平安時代のルールというのは実は判っていません。「ぞろ目」である「重五」「朱四」などのさまざまな専門用語が古い記録に残っていますが、それがどういうもので、どういった働きをゲーム中でするのか今では正確なことは不明です。たぶん「ぞろ目が出ればもう一度賽を振れる」ルールであったでしょうが・・・。
ここでは文献に見られるルールの断片と、同じインド発祥のゲームが変化したと言われる西欧の「バックギャモン」から推測したルールをご紹介します。

双六の道具
双六盤、白コマ・黒コマ15ずつ、振り筒、サイコロ2個を用います。
振り筒にサイコロを入れて盤にはっしと打ち付ける姿が絵巻物「長谷雄草紙」に描かれています。双六盤は上下それぞれを12区画に仕切り、中央に分離帯を設けた形で線が引かれています。

ゲームの種類
双六盤をつかったゲームには、「本双六」「柳(つみかえ)」「追い回し」「折り葉」などがあります。どれも基本的なルールは同じ様なもので、自分の色(白か黒)のコマをすべて自分の陣地に入れたら勝ちです。その中でも最も単純なのが「柳(つみかえ)」でしょう。なお先手後手は、それぞれが1個ずつ同時にサイコロを投げて数の多かった者が先手になります。

柳(つみかえ)
 白黒ともに、端の区画に15コマ積み上げ、これをサイコロの数で前進させて、反対側の端の区画にすべて入れれば勝ちです。あまりテクニック性のない単純なゲームで、入門には良いでしょう。

*写真は双六あそび。

枕草子を読んできて(114)

2019年03月19日 | 枕草子を読んできて
一〇一  かたはらいたきもの  (114) 2019.3.19

 かたはらいたきもの まらうどなどに会ひて物言ふに、奥の方にうちとけと人の言ふを、制せで聞く心地。思ふ人のいたく酔ひさかしがりて、同じ事したる。聞きゐたるをも知らで、人の上言ひたる。それは何ばかりならぬ使人なれど、かたはらいたし。旅立ち所近き所などにて、下衆どものざれかはしたる。
◆◆いたたまれない感じのもの 来客などに会って話をしている時に、奥の方でくつろいだ内輪話を人がするのを、止めないで聞く気持ち。自分の思っている人ひどく酔って偉そうにして、同じことを繰り返しているの。側にゐて聞いているのも知らないで、人のうわさをしているの。それはたいした身分の人でもない使用人であるけれども、いたたまれない感じがする。外泊してしる家の近い所で、下男たちがふざけあっているの。◆◆

■かたはらいたきもの=脇から見て苦々しい、いらいらして我慢しかねる感じだ、の意。
■旅立ち所=自宅以外に泊まるのが旅である。



にくげなるちごを、おのれが心地にかなしと思ふままに、うつくしみ遊ばし、これが声のまねにて、言ひける事など語りたる。才ある人の前にて、才なき人の、物おぼえ顔に、人の名など言ひたる。ことによしともおぼえぬを、わが歌を人に語り聞かせて、人のほめし事など言ふも、かたはらいたし。人の起きて物語などするかたはらに、あさましううちとけて寝たる人。まだ音も弾きととのへぬ琴を、心一つやりて、さやうの方知りたる人の前にて弾く。いとどしう住まぬ婿の、さるべき所にて舅に会ひたる。
◆◆可愛げのない乳飲み子を、自分の気持ちでは実に可愛いと思うままにまかせて、かわいがって遊ばせて、その子の声色をまねて、言ったことなどを話してるの。才学の優れている人の前で、才学のない人が、物知り顔に、史伝などに見える古人の名など言ってるの。取り立てて良いとは思われないのに、自分の歌を人に話して聞かせて、その人が褒めたことなどを言うのも、いまいましい感じだ。人が起きていて話などをしている側で、あきれるほどくつろいで寝ている人。まだ音も弾いて整えていない琴を、自分の心だけで満足させて、そちらの方面に通暁している人の前で弾くのも。さっぱり通ってくることのない婿が、しかるべき表舞台で、舅に出会ったの。◆◆

■琴(こと)=「琴」は弦楽器の総称。

*写真は「琴」

枕草子を読んできて(113)その2

2019年03月13日 | 枕草子を読んできて
一〇〇  ねたきもの  (113) その2  2019.3.13

 見すまじき人に、ほかへやりたる文取りたがへて持て行きたる、いとねたし。「げにあやまちてけり」とは言はで、口かたうあらがひたる。人目をだに思はずは、走りも打ちつべし。おもしろき萩、薄などを植ゑて見るほどに、長櫃持たる者、鋤など引きさげて、ただ掘りに堀りていぬるこそ、わりなうねたかりけれ。よろしき人などのあるをりは、さもせぬものを、いみじう制すれど、「ただすこし」など言ひていぬる、言ふかひなくねたし。受領などの家に、しもめなどの来て、ながめに物言ひ、さりとてわれをばいかが思ひたるけはひに言ひ出でたる、いとねたげなり。
◆◆見せてはならない人の所へ、余所へ送った手紙を取り違えて持って行っているのは、ひどくいまいましい。使いの者が、「なるほど間違えてしまいました」とは言わないで、頑固に抗っているの。人目をさえ気にしないなら、走って行って打ってしまうだろう。風情のある萩、薄などを植えて眺めてみている間に、長櫃を持った者が、鋤などを引き下げて来て、ひたすら掘るに掘って立ち去って行くのこそはどうしようもなく忌々しかった。相当な地位、身分の人のいる時には、そんなことはしないものを、ひどく止めるけれど、「ほんの少しだけ」などと言って行ってします。言う甲斐もなくいまいましい。受領などの家に、下僕などが来て、無礼な風に口を利き、そうしたところで自分をいったいどう思っているのかという口つきで言葉に出しているのは、たいそう忌々しい感じだ。◆◆

■長櫃(ながびつ)=長方形の、足のついた長持ち。二人でかつぐ。

■受領(ずりょう)=国司交代の際、新任国司が前任国司から事務を引き継ぎ、官物を受領うることからの名。その折の新任の国司の長官をいう。受領は都の権力ある貴族からはばかにされていた。

■しもめ=「しもべ」と同じか。



 見すまじき人の、文を引き取りて、庭におりて見立てる、いとわびしうねたく、追ひて行けど、簾のもとにとまりて見るこそ、飛びも出でぬべき心地すれ。
◆◆見せてはならない筈の人が、手紙を引っ張り取って、庭に下りて立って見ているのは、とてもやりきれなく、忌々しくて追いかけて行きたいけれど、女性は簾(すだれ)より外に出るわけにはいかないので、簾のもとに立ち止まって見ているのこそ、今にも飛び出して行ってしまいたい気持ちがするものだ。◆◆



 すずろなる事腹立ちて、同じ所にも寝ず、身じくり出づるを、しのびて引き寄すれど、わりなく心こはければ、あまりになりて、人も「さはよかンなり」と怨じて、かいくくみて臥しぬる後、いと寒きをりなどに、ただ単衣ばかりにて、あやにくがりて、おほかた皆人も寝たるに、さすが起きゐらむ、あやしくて、夜のふくるままに、ねたく、起きてぞいぬべかりけるなど思ひ臥したるに、奥にも外にも、物うち鳴りなどしておそろしければ、やをらまろび寄りて、きぬ引きあぐるに、空寝したるこそ、いとねたけれ。「なほこそこはがりたまはめ」などうち言ひたるよ。
◆◆つまらないことに女が腹をたてて、男と一つ所に寝ないで、蒲団から身じろぎをして抜け出るのを、男がこっそり引き寄せるけれど、むやみに強情なので、あまりのことにと思って、男も「それならそのままで良さそうなんだね」と恨んで、夜具を引きかぶって寝てしまった後で、ひどく寒い折などに、ただ単衣(ひとえ)だけで、ちぐはぐな気持ちで不愉快で、もうほとんどの人が寝ているときに、そうはいっても起きているのは変なので、夜が更けるにつれて、忌々しくて、さっき起きて出て行けばよかったなどと思って寝ていると、奥の方でも、外の方でも何か音が鳴って恐ろしいので、そっと男の方へ転がって寄っていって、夜具を引き上げると、たぬき寝入りしているのこそ、ひどく忌々しい。なんとまあ、「そのままやはり強情を張っていらっしゃるのが良い」などと言っていることよ。◆◆


■身じくり=不審、仮に「身じろき」の説にしたがう。




枕草子を読んできて(113)その1

2019年03月09日 | 枕草子を読んできて
一〇〇  ねたきもの  (113) その1  2019.3.9

 ねたきもの これよりやるも、人の言ひたる返事も、書きてやりつる後に、文字一つ二つなどは思ひなほしたる。とみの物縫ふに、縫ひ果てつと思ひて、針を引き抜きたれば、はやう結ばざりけり。また、かへさまに縫ひたるも、いとねたし。
◆◆いまいましいもの こちらから送る手紙でも、人が言ってきてる手紙の返事でも、書いてしまった後で、文字の一つや二つなどは考えなおしているの。急ぎの物を縫うときに、縫い終わってしまったと思って、針を引き抜いたところ、もともと糸の尻を結んでおかなかったのだった。また、裏表を反対に縫っているのも、ひどくいまいましい。◆◆

■ねたきもの=してやられたとか、しくじったとか、他に対して引け目を覚えて、忌々しい、癪だと感じる気持ち。

■はやう結ばざりけり=「はやう……けり」で「もともと……だったのだ」の意。



 南の院におはします頃、西の対に殿のおはします方に、宮もおはしませば、神殿にあつまりゐて、さうざうしければ、たはぶれ遊びをし、渡殿にあつまりてゐなどしてあるに、「これただいま、とみの物なり。たれもたれもあつまりて、時かはさず縫ひてまゐらせよ」とて、平絹の御衣を給はせたる。
◆◆三条南の院に中宮様がおいであそばしたころ、西の対屋に御父君(藤原道隆)がおいであそばすそちらの方に、中宮様もおいであそばすので、女房たちは神殿に集まって座って、取り残された感じで物さびしいので、遊びふざけたり、渡殿に出て集まって座ったりなどしているところに、「これは、たった今、大急ぎの物だ。みな集まって、時を移さず縫ってさしあげよ」ということで、平絹のお召し物をお下げ渡しあそばしている。◆◆

■南の院=東三条南院。道隆邸。正暦四年(993)三月焼失、後再建、同五年十一月道隆はここに還り、長徳元年(995)四月六日出家、中宮は同日行啓、十日道隆は薨じた。この折の事の回想記といわれるが、女房の言動などのんびりしすぎているようでもある。一説、焼失以前に行啓のあった折のこととする。

■平絹(ひらぎぬ)=綾目のない平織にした絹。



 南面にあつまりゐて、御衣片身づつ、たれかとく縫ひ出づるといどみつつ、近くも向はず縫ふさまもいと物ぐるほし。命婦の乳母、いと縫ひ果ててうち置き、つづきにゆだけのかたの御身を縫ひつるがそむきざまなるを見つけず、とじ目もしあへず、まどひ置きて立ちぬるに、御背合はせむとすれば、はやうたがひにけり。笑ひののしりて、「これ縫ひなほせ」と言ふを、「たれかあしう縫ひたりと知りてかなほさむ、綾などならばこそ、縫ひたがへの人のげになほさめ、無紋の御衣なり。何をしるしにてか。なほす人たれかあらむ。ただまだ縫ひたまはざらむ人になほさせよ」とて、聞きも入れねば、「さ言ひてあらむや」とて、源少納言、新中納言などいふ、なほしたまひし顔見やちてゐたりしこそをかしかりしか。これは、よさりののぼらせたまはむとて、「とく縫ひたらむ人を、思ふと知らむ」と仰せられしか。
◆◆みなは、南面(みなみおもて)に集まって座って、お召し物を片身ずつ、誰が早く縫い上げるかと競争して、近くに向かい合いもせず縫う様子はひどく気違いじみている。命婦の乳母が、糸で身頃を縫い終えて、下に置き、続いて裄丈の御片身を縫った、それが裏表取り違えているのに気が付かず、糸の結び止めもし終えずに、大慌てにあわてて置いて立ってしまったのに、御背を合わせようとすると、はじめから違ってしまっていたのだった。大騒ぎして笑って、「これを縫い直しなさい」と言うのを、「だれが間違って縫ったのかと知って直すものですか。綾だったら縫い間違えた人が直すはずでしょうが、これは無紋のお召し物です。何を目印にしてと言うのですか。だから縫い直す人がいるはずがありません。ただ、まだお縫いにならない方に直させてください」と言って、聞き入れないので、「そんなことを言ってこのままにしておけようか」というわけで、源少納言、新中納言などという中宮付きの女房がお縫い直しになった顔を遠くから見て座っていたのこそおもしろかった。これは、夜分中宮様が参内あそばされようということで、「早く縫いあげよう人を、私を思ってくれると知ろう」と仰せられたのだ。◆◆

■命婦の乳母(みょうぶのめのと)=中宮の乳母。

■つづきにゆだけのかたの……=続いて裄丈の片身を縫ったのが裏表取り違えているのを。

■仰せられしか=…「しか」で結ぶのは不審。

*写真は女房達の仕事・縫い物。


枕草子を読んできて(112)

2019年03月03日 | 枕草子を読んできて
九九  御乳母の大輔の、今日の   (112) 2019.3.3

 御乳母の大輔の、今日の、日向かへくだるに、給はする扇どもの中に、片つ方には、日いとはなやかにさし出でて、旅人のある所、ゐ中将のたちなどいふさま、いとをかしうかきて、いま片つ方には、京の方、雨いみじう降りたるに、ながめたる人などかきたるに、
 あかねさす日に向かひて思ひ出でよ都ははれぬながめすらむと
ことばに御手づから書かせたまひし、あはれなりき。さる君を置きたてまつりて、遠くこそえ行くまじけれ。
◆◆御乳母の大輔が、今日の、日向(ひゅうが)に下るというときに、中宮様がお与えになるたくさんの扇の中に、片方には、日がぱっと差し出て、旅人が居る所、井中将の館などというありさまを、とてもおもしろく描いて、もう片一方には、京の方面のありさまで、雨がひどく降っているのに、物思いをして見つめている人などを描いてあるのに
(歌)映える日に向かっても思い出しなさい、都では晴れることのない長雨にじっと物思いにふけって見つめているであろうと
 (中宮様が)言葉として御自らお書きあそばしたのは、しみじみと身に染みておぼえたことだった。このようなご主君をそのままお置き申し上げて、遠くへ行くことは、とてもできそうにないことだ。◆◆

■御乳母の大輔=中宮の乳母であろうか。伝不詳。

■扇=扇は再び「あ(逢)う」に因んで、餞別に送ったのであろう。

■ゐ中将=不審。

枕草子を読んできて(111)

2019年02月27日 | 枕草子を読んできて
九八  うへの御局の御簾の前にて (111) 2019.2.27

 うへの御局の御簾の前にて、殿上人日一日、琴、笛吹き遊びくらして、まかで別るるほど、まだ格子をまゐらぬに、御となぶらをさし出でたれば、取り入れたるがあらはなれば、琵琶の御琴を、たたざまに持たせたまへり。紅の御衣の、言ふも世の常なる、打ちも張りたるも、あまた奉りて、いと黒くつややかなる御琵琶に、御衣の袖をうちかけて、とらへさせたまへる、みでたきに、そぼより御額のほど白くけざやかにて、はつかに見えさせたまへるは、たとふべき方なく、近くゐたまへる人にさし寄りて、「なかば隠したりけむも、えかうはあらざりけむかし。それはただ人にこそありけめ」と言ふを聞きて、道もなきを、わりなく分け入りて啓するば、笑はせたまひて、「われは知りたりや」となむ仰せらるる、と伝ふるもをかし。
◆◆弘徽殿の上の御局の前で、殿上人が一日中、琴を弾き笛を吹いて合奏しくらして、退出して散って行く頃、まだ格子をお降ろし申し上げないのに、中宮様の御方に御灯台に火を灯して差し出しているために、火を中に取り入れているのが外からはっきり見えるので、中宮様は琵琶の御琴を、立ててお持ちあそばしていらっしゃる。紅のお召し物の、とても言葉では言い表せない見事なのを、打ったのも張ったのも、たくさんお召しになって、たいそう黒くてつやつやとした御琵琶に、そのお召し物の袖を打ち掛けて、抱えておいでになるご様子が、素晴らしいうえに、そのわきから御額のあたりが白くくっきりとしていて、ちらっとお見えあそばしていらっしゃるのは、たとえようもなく素晴らしくて、(私が)「半ば顔を隠していたという女も、きっとこんなには素晴らしくはなかったでしょうよ。それは普通の身分の人だったのでしょう」というのを聞いて、その女房は、人でいっぱいで通り道もない所を、無理に分け入って中宮様に申し上げると、お笑いあそばして、「そなた自身は(この故事)知っているのか」と仰せになった、とその女房が私に伝えるのもおもしろい。◆◆

■うへの御局=弘徽殿(こきでん)の上の御局。

■たたざまに=顔を隠すために縦様に。

■打ちも張りたるも=砧(きぬた)で打ったのも、板引きにして光沢を出してあるのも、の意。

■「われは知りたりや」=「われ」は取り次ぎの女房。

■『なかば隠したりけむも、えかうはあらざりけむかし。それはただ人にこそありけめ」=白楽天の「琵琶行」の一節による。「………なほ、琵琶を抱いて半ば顔をかくす」「琵琶行」の半ば顔をかくした女は、もと長安の歌姫で今は商家の妻。

*写真は格子


枕草子を読んできて(110)

2019年02月22日 | 枕草子を読んできて
九七  無名といふ琵琶 (110) 2019.2.22

「無名といふ琵琶の御琴を、うへの持てわたらせたまへるを、見などして、かき鳴らしなどす」と言へば、弾くにはあらず、緒を手まさぐりにして、「これが名な。いかにとかや」など聞こえさするに、「ただいとはかなく、名もなし」とのたまはせたるは、なほいとめでたくこそおぼえしか。淑景舎などわたりたまひて、御物語のついでに、「まろがもとにいとをかしげなる笙の笛こそあれ。故殿の得させたまへりし」とのたまふを、僧都の君の「それは隆円に給うべ。おのれがもとにめでたき琴侍り。それにかへさせたまへ」と申したまふを聞きも入れたまはで、なほことごとをのたまふに、いらへさせたてまつらむとあまたたび聞こえたまふに、なほ物ものたまはねば、宮の御前の「いなかへじとおぼいたるものを」とのたまはせけるが、いみじうをかしきことぞ限りなき。
この御笛の名を、僧都の君もえ知りたまはざりければ、ただうらめしとぞおぼしたンめる。これは職の御曹司におはしましし時の事なり。うへの御前にいなかへじといふ御笛の候ふなり。
◆◆ある人が「無名という琵琶の御琴を、主上がお持ちになってこちらにおいであそばしているのを、女房が見るなどして、掻き鳴らしなどする」と言うので、私は弾くのではなくて、緒を手でまさぐって、「これの名前ですよ。何と言いましたかしら」など
申し上げると、中宮様が、「ただもう取るに足りなくて、名もない」と仰せあそばしているのは、たいへんすばらしく感じられた。御妹様の淑景舎がこちらにお出でになって、中宮様とお話をなさるついでに、淑景舎が、「私の手許に、とても風情のある笙の笛があります。亡くなった父殿がくださったものです」とおっしゃると、僧都の君が「それは隆円にくれてやってくださいまし。私の手許にすばらしい琴がございます。それとお取替えください」と申し上げなさるのを、お耳におとめにならず、なおも他のことをおっしゃるので、お返事をおさせあそぼそうと何度も申し上げなさるのに、何もおっしゃらないので、中宮様が「『いなかへじ―いいえ、取り換えません―』と思っておいでなのに」と仰せあそばしたのだったが、非常に面白いことはこの上もないことだった。この「いなかへじ(否替えじ)」という御笛の名前を、僧都の君も知り得ないでいらっしゃたのだから、ひたすらうらめしいと思っておいでのようだ。これは職の御曹司に中宮様がおいであそばした時のことである。主上の御前に「いなかへじ」という御笛があるのである。


■無名といふ琵琶の御琴=この琵琶のことは上東門院の所有になってのち焼失したと伝える。

■淑景舎(しげいしゃ)=中宮定子の妹原子。東宮妃として淑景舎の女御と称した。

■故殿=中宮・淑景舎・隆円の父である道隆。長徳元年(995)4月10日没。

■僧都の君=道隆の四男隆円。中宮と同腹。正暦5年(994)十五歳で権少僧都。



 御前に候ふ物どもは、みな、琴、笛も、めづらしき名つきてこそあれ。琵琶は玄上、牧馬、出手、渭橋、無名など、また、和琴なども、朽目、塩竈、具などぞ聞こゆる。水籠、小水籠、宇多の法師、釘打、葉二つ、何くれと、おほく聞こえしかど、忘れにけり。「宜陽殿一の棚に」といふ言ぐさは、頭中将こそしたまひしか。
◆◆御前に在る物は、みな、琴、笛も、珍しい名がついているのだ。琵琶は玄上(げんじょう)、牧馬(ぼくば)、出手(ゐで)、渭橋(ゐきょう)、無名(むみょう)など、また、和琴(わごん=日本の古来ある琴で6弦)なども、朽目(くちめ)、塩竈(しほがま)、具(?)などともうしあげる。水籠(すいろう)、小水籠(こすいろう)は両方とも横笛の名器、宇多の法師(=和琴)、釘打(くぎうち)、葉二つ(はふたつ)の二つは笛の名器、そのほか何やかやと、たくさん耳にしたけれど、忘れてしまった。「宜陽殿一の棚に」という口ぐせは頭中将がなさったことだった。◆◆

■「宜陽殿(ぎようでん)一の棚に」=紫宸殿の東、その母屋に楽器、書籍など累代の御物を納めた。

*写真は和琴


枕草子を読んできて(109)その2

2019年02月19日 | 枕草子を読んできて
 九六 内裏は、五節のほどこそ (109) その2  2019.2.19

 ことの蔵人の掻練襲、物よりことに清らに見ゆ。褥など敷きたれど、なかなかえものぼりゐず、女房の出でゐたるさま、ほめそしり、このころはこと事はなかンめり。
◆◆ことにあたる蔵人の掻練襲は、何よりもましてきれいに見える。褥などがしいてあるけれど、かえってその上に座っていることもできず、女房が出て座っている有様は、ほめたりけなしたりして、このころは念頭にないようだ。◆◆

■掻練襲(かいねりがさね)=紅の練絹の下襲をさすという。



 帳台の夜、行事の蔵人、いときびしうもてなして、「かいつくろひ二人、童よりほかは入るまじ」とておさへて、面にくきまで言へば、殿上人など、「なほこれ一人ばかりは」などのたまふ。「うらやみあり。いかでか」などかたく言ふに、宮の御方の女房二十人ばかりおしこりて、ことごとしう言ひたる蔵人何ともせず、戸を押しあけてささめき入れば、あきれて、「いとこはずちなき世かな」とて、立てるも、をかし。それにつきてぞ、かしづきどももみな入る。けしきいとねたげなり。うへもおはしまして、いとをかしと御覧じおはしますらむかし。
◆◆帳台の試みの夜、上官の命をうけて行事一切を取り仕切る上級の蔵人がとてもきびしい態度をとって、「理髪の役の女房二人、童女よりほかは入ってはいけない」と言って押さえて、小憎らしいほどにまで言うので、殿上人などが、「この女房くらいは、(一説、これは自称で、私一人くらいは)」などとおっしゃる。「他からうらやましがられます、どうしてはいられましょう」などと、頑なに言っていると、中宮様の御方の女房が二十人くらい一団となって、物々しく言っている蔵人を無視して、戸を押し開けて小声でひそひそ言いながら入るので、蔵人はあっけにとられて、「まったくこれはどうしようもない世の中だ」と言って、立っているのもおもしろい。その後について、介添えの女房たちもみな入る。それを見る蔵人の様子はひどく忌々しそうだ。主上のおいであそばして、たいへんおもしろいと御覧あそばしていらっしゃることだろう。

■帳台の夜=丑の日の「帳台の試み」。常寧殿で行われる。天皇が帳台にあって(あるいは帳台には舞姫の座を作り天皇は北廂を御座所とするという)五節の舞の試楽を見る。



 童舞の夜はいとをかし。灯台に向かひたる顔ども、いとらうたげにをかしかりき。
◆◆童舞の夜は、たいへんおもしろい。灯台にむかっているいくつもの顔も、たいへん可愛らしげでおもしろかった。◆◆

■童舞の夜=卯の日清涼殿での童御覧をさすとすると、日中の行事で不審。

■灯台に向かひたる顔=上文からは童舞の童となろうが、丑の日の帳台の試み、寅の日の御前の試みには舞姫の座前に灯台を立てるのが決まっているので、舞姫の顔か。

*写真は働く女房たち



枕草子を読んできて(109)その1

2019年02月15日 | 枕草子を読んできて
九六 内裏は、五節のほどこそ (109) その1  2019.2.15

 内裏は、五節のほどこそすずろにただならで、見る人もをかしうおぼゆれ。主殿司などの、いろいろのさいでを物忌みのやうにて、さいしきつけたるなども、めづらしく見ゆ。
清涼殿のそり橋に、元結のむら濃、いとけざやかにて出でゐたるも、さまざまにつけてをかしうのみ。上雑仕、童べども、いみじき色ふしと思ひたる、いとこたわりなり。山藍、日陰など、柳筥に入れて、かうぶりしたるをのこの持てありく、いとをかしう見ゆ。殿上人の直衣ぬぎたれて、扇やなにやと拍子にして、「つかさまされとしこきなみぞたつ」といふ歌うたひて、局どもの前わたるほどはいみじく、添ひたちたらむ人の心さわぎぬべしかし。ましてさと一度に笑ひなどしたる、いとおそろし。
◆◆内裏は、五節のころこそ何やら無性にいつもと違った感じで、出会う人もおもしろく感じられる。主殿司の女官などが、様々な色の小切れを、物忌みの札のようにして、髪にかんざしを着付けているのなども、めずらしく見える。清涼殿の仮の反り橋の上に、結い上げた髪の元結のむら染が、とてもくっきりした様子で、この人たちが出て座っているのも、なにかにつけてただもうおもしろく見える。上雑仕や童たちが、たいした晴れがましさと思っているのももっともである。小忌衣の山藍や、冠に付ける日陰のかずらなどを、柳箱に入れて、五位に叙せられた男が持ってまわるのも、たいへんおもしろく見える。殿上人が直衣を脱いで垂れて、扇や何やとを拍子に使って、「つかさまされとしこきなみぞたつ」という歌をうたって、五節の局々の前を通るころはすばらしく、舞姫に立ち添っていよう人の心がきっと騒ぐにちがいないことだ。まして殿上人が、どっと一度に笑などしているのは、ひどく恐ろしい。(集団の声の圧迫感)◆◆

■さいで=布切れ。「割出(さきいで)」の音便。

■さいし=釵子(さいし)=正装の時に髪を結いあげて挿すかんざし。釵=(かんざし)

■清涼殿のそり橋=五節のために臨時に清涼殿の北の階から承香殿へと作り渡した橋をさすか。

■上雑仕(うへざうし)=舞姫の世話をするため臨時に出仕した下仕えの女か。

■色ふし=色節。晴れがましく名誉なこと。

■柳筥(やないばこ)=柳の木を細かく削って編んだ箱。

■かうぶりしたるをのこ=無役になった五位蔵人が臨時に召しだされたとする説を採る。

■拍子(ひょうし)=打楽器のひとつ。扇で代用した。

■「つかさまされとしきなみぞたつ」=『梁塵秘抄』に似たような歌がある。「官位昇進せよと頻りに波が立つ」の意か。

*写真は女房の最高の装束



枕草子を読んできて(108) 

2019年02月12日 | 枕草子を読んできて
九五  細太刀の平緒つけて、清げなるをのこ (108) 2019.2.12

 細太刀の平緒つけて、清げなるをのこのこの持てわたるも、いとなまめかし。紫の紙を包みて封じて、房長き藤につけたるも、いとをかし。
◆◆細太刀の平緒をつけて、きれいな感じの召使の男が持って通るのも、たいそう優雅だ。紫の紙を包んで封じて、房の長い藤につけてあるのも、たいへんおもしろい。◆◆

■細太刀の平緒(ほそだちのひらを)=束帯の時につける儀礼用太刀で、その太刀につける平組の緒。緒の結び余りを前に垂らす。

*写真は細太刀  長さ85 江戸時代
三条家伝来の細太刀。鞘は唐木の素木とし青貝の孔雀で装剣される。 細太刀は、華麗な飾りで知られる唐剣系の飾剣の飾りを簡略にしたもので、 束帯着用のとき平緒で佩用することから平緒の太刀とも呼ばれる。刀身は水牛角。