永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(999)

2011年09月15日 | Weblog
2011. 9/15      999

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(60)

「似たりとのたまふゆかりに耳とまりて、『かばかりにては。同じくは言ひ果てさせ給うてよ』といぶかしがり給へど、さすがにかたはらいたくて、え細かにもきこえ給はず」
――(薫は)その妹が大君に似ているとおっしゃる一言を耳になさったので、「そこまでのお話ではちょっと。同じ事なら終わりまでお話し下さい」ともどかしげではありますが、中の君としては、亡き父君の秘密のことでもあり、細かくはおっしゃいません――

 中の君が、

「尋ねむとおぼす心あらば、そのわたりとは聞こえつべけれど、くはしくはしもえ知らずや。またあまり言はば、心おとりもしぬべき事になむ」
――あなたがその人を探し当てようとのお積りならば、おおよその場所は申し上げますけれど、細かい事は分かりかねます。それに、あまり何もかも申し上げては、きっとがっかりなさるに違いないことですし――

 と、おっしゃいますと、薫が、

「世を海中にも、魂のありか尋ねには、心のかぎり進みぬべきを、いとさまで思ふべきにはあらざなれど、いとかくなぐさめむ方なきよりは、と思ひ侍る、人形の願ひばかりには、などかは山里の本尊にも思ひ侍らざらむ。なほたしかにのたまはせよ」
――私は世の中を憂きものと思い諦めておりますから、亡き御方のお行方とならば、海の中でも、魂の在処を尋ねにと、ひたすら思いあくがれておりますが…。そのお話の女人はそれほど深く思うべきではないでしょうが、これほどひどく慰めようのない気持ちでいるよりは、いっそお目にかかってみたいものです。大君の人形(ひとがた)でもと思っておりましたが、人形の代わりに、どうしてその人を宇治の寺の本尊とも考えていけないことがありましょうか。ぜひはっきりとおっしゃってください――

 と、気ぜわしく、はっきりと責めてこられます。

「いさや、いにしへの御ゆるしもなかりしことを、かくまで漏らしきこゆるも、かつはいと口軽けれど、変化のたくみもとめ給ふいとほしさにこそ、かくも」
――いえね、亡き父上が、お子とも認められなかった人のことを、これほど口外もうしますのも、まことに口が軽いようでございますが、あなたが姉上の像を得るため奇跡を現す工匠をお求めになる、そのお気の毒さに――

 とおっしゃって、つづけて、

「いと遠き所に年頃経にけるを、母なる人の憂はしき事に思ひて、あながちに尋ねよりしを、はしたなくも、えいらへで侍りしに、ものしたりしなり」
――その人(浮舟)は大そう遠方(常陸)に、長い間暮らしていましたのを、母なる人が片田舎の暮らしを悲しく思ってか、無理やりに私の所を尋ねて便りをよこしたのですが、私はすげなく断ることもできずにおりましたところ、尋ねて参ったのです――

では9/17に。