永子の窓

趣味の世界

蜻蛉日記を読んできて(68)

2015年09月24日 | Weblog
蜻蛉日記  中卷  (68)2015.9.24
 
安和二年(969年)
作者(道綱母)   三十三歳くらい
藤原兼家      四十一歳くらい。蔵人頭 左中将
道綱        十五歳くらい


「かくてはかなながら、年たちかへる朝にはなりにけり。年ごろ、あやしく、世の人のする言忌などもせぬところなればや、かうはあらんと、疾く起きてゐざり出づるままに、『いづら、ここに人々今年だにいかで言忌みなどして世の中こころみん』といふをききて、はらからとおぼしき人、まだ臥しながら『物きこゆ。あめつちを袋に縫ひて』と誦するに、」
◆◆このような頼りない身の上のままで、年が明け元旦となりました。ここ何年も新年に世間の人がするという言忌みなどもしなかったせいで、このような幸うすい身の上になったのかしらと思い、急いで起きていざり出ながら、「さあ、さあ、みなさん、今年だけでも是非言忌みをして、ひとつ運だめしをしてみましょう」と言うと、それを聞いて私の妹が、まだ横になったまま、「申し上げます。『天地を袋に縫ひて…』と寿ぎ歌を唱えるので、◆◆



「いとをかしくなりて、『さらに身には、三十日三十夜は我がもとに、と言はむ』と言へば、前なる人々笑ひて、『いと思ふやうなることにも侍るかな。おなじくはこれを書かせたまひて、殿にやはたてまつらせ給はぬ』と言ふに、臥したりつる人も起きて、『いとよきことなり。天下の吉方にもまさらん』など笑ふ笑ふ言へば、さながら書きて、ちひさき人してたてまつれたれば、このごろ時の世の中人にて、人はいみじくおほくまゐりこみたり。」
◆◆とても面白くなって、「それに加えて、私には『三十日三十夜は我がもとに…』と言いたいわ」と言うと、前に居る侍女たちが笑って、「そのようになりましたら、願いどおりのお身の上でございますね。いっそのこと、それをお書きなさいまして、殿にお差し上げなさってはいかがでしょう」と言うと、横になっていた妹も起きてきて、「それはとても良い思いつきですこと。どんな素晴らしい恵方まいりよりも勝っていましょうよ」と笑いながら言うので、その言葉通りに書いて、息子道綱より差し上げさせますと、あの人はこの頃、まことに時を得て栄えている権勢家で、沢山の人々が参賀に詰め掛けていて、ごった返しているところでありました。◆◆



「内裏へも疾くとて、いとさわがしけれど、かくぞある。今年は五月二つあればなるべし。
<年ごとに余れば恋ふる君がためうるふ月をば置くにやはあるらん>
とあれば、祝ひそしつと思ふ。」
◆◆しかも、宮中へも急いで参内せねばという、大変多忙な折であったようですが、このように返事がありました。今年は閏年で、五月が二度あるからでしょう。
(兼家歌)「(毎月三十日来て)では、年々数日ずつ日が余るので、私を恋しがるあなたのためにも、閏月があるのだろうね」
と、ありましたので、大層な言祝ぎを交わしたと思ったことでした。◆◆


■言忌(こといみ)=不吉な言葉をつつしむこと。

■ゐざり出づる=深窓の貴婦人達は膝行で移動する。

■今年は五月二つ=閏五月のある年。