永子の窓

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蜻蛉日記を読んできて(147)その1

2016年10月08日 | Weblog
蜻蛉日記  下巻 (147)その1 2016.10.8

「かくはあれど、ただ今のことくにては行末さへ心ぼそきに、ただ一人男にてあれば、年ごろもここかしこに詣でなどする所には、このこと申し尽くしつれば、今はまして難かるべき年齢になりゆくを、いかでいやしからざらん人の女子一人とりて、後見もせん、一人あるひとをもうちかたらひて、わが命の果てにもあらせんと、この月ごろおもひたちて、これかれにも言ひあはすれば、『殿のかよはせたまひし源宰相兼忠とかきこえし人の御むすめの腹にこそ、女君いとうつくしげにてものしたまふなれ。同じうはそれをやはさやうにもここえさせ給はぬ。いまは滋賀の麓になん、かのせうとの禅師の君といふにつきてものし給うなる』など言ふ人あるときに、」

◆◆こんなこともあったけれど、現在のような状態では将来も心細いうえに、子どもはただ一人きりで、年来あちこちの寺に参詣した時には必ず、子宝に恵まれますようにとお願いしつくしましたが、もう今では子どもを授かる歳ではなくなってしまったので、どうにかして身分的にそれなりの女の子をどこからか迎えて、世話もしたい、一人息子とも仲むつまじくさせ、私の死に水もとってもらいたいと、この月ごろ思い立って、何人かに相談すると、「殿(兼家)がお通いになっていらした源宰相兼忠という人の御息女に、とても美しい姫君がおいでになるとのことでございます。同じことなら、その姫君をそのようにお願い申しましたらいかがでしょうか。今は滋賀山のふもとに、その方の兄上の禅師の君という人に従って暮しておいでになるそうでございますよ」などと言う人がいた時に。◆◆


「『そよや、さる事ありかかし。故陽成院の御後ぞかし。宰相なくなりてまだ服のうちに、例のさやうのこと聞きすぐされぬ心にて、なにくれとありしほどに、さありしことぞ。人はまづこの心ばへにて、ことにいまめかしうもあらぬうちに齢などもあうよりにたべければ、女はさらんとも思はずやありけん。されど返りごとなどすめりしほどに、みづからふたたびばかりなどものして、いかでしかあらん、単衣のかぎりなん取りてものしたりしことどもなどもありしかど、忘れにけり。』

◆◆私も、「そう、そう、そんなことがありましたっけ。故陽成院さまの後裔ですね。宰相が亡くなられてまだ喪のうちに、あの人(兼家)は例のそのほうのことは聞き流せぬ性分で、何かと好意をみせている間に、深い仲になったとのこと。あの人ははじめから言い寄るつもりでいて、女の方は特に今風なところもなく魅力のないうえに、歳もかなり老けていたはずで、女は深い仲になろうとは思っていなかったのでしょう。けれども返事など寄こしたらしくて、あの人は二度三度訪れたりして、どうした訳があったのかしら、単衣だけを持って帰ってきたことがありましたっけ。(ほかにもいろいろありましたが、)忘れてしまったわ。◆◆

■滋賀=滋賀県大津市見世町滋賀。比叡山の南にある山。北白川から山中町を越えてゆくので山中越えとよばれる。

■いかがありけん=結婚成立を暗示。