蜻蛉日記 下巻 (157) 2016.12.17
「五月になりぬ。『菖蒲の根長き』など、ここなる若き人さわげば、つれづれなるに取りよせて、つらぬきなどす。『これ、かしこに同じほどなる人にたてまつれ』など言ひて、
<隠れ沼に生ひそめにけりあやめ草しる人なしに深き下根を>
と書きて、中にむすびつけて、大夫のまゐるにつけてものす。
かへり事、
<あやめぐさねにあらはるる今日こそはいつかと待ちしかひもありけれ>
◆◆五月になりました。「菖蒲の根の長いのを」などと、当家の娘が騒ぐので、私もつれづれに過ごしていた折から、取り寄せて糸を通して薬玉を作ったりする。「これを、あちら(本宅・時姫腹の詮子)の同じ年ごろの方に、差し上げなさい」などと言って、
(道綱母の歌)「私の養女は隠れ沼に生えていたこの菖蒲の根同様、世間に知られずに育った者です。ご披露申し上げます」
と書いて、薬玉の中に結びつけて、大夫(道綱)が参上するに事つけて贈りました。
その返事に、
(時姫方の歌)「菖蒲が根から姿を現す五月五日、姫君をご披露いただき、いつかしらとお待ちしていた甲斐がありました」◆◆
「大夫、いま一つとかくして、かのところに、
<わが袖は引くと濡らしつあやめ草人の袂にかけてかわかせ>
御かへりごと、
<引きつらん袂はしらずあやめ草あやなき袖にかけずもあらなん>
と言ひたなり。
◆◆道綱は、もう一つの薬玉を用意して、あちらのところに、
(道綱の歌)「菖蒲を引いて袖を濡らしてしまいました。あなたの袂に重ねて乾かしてください」
その返歌には、
(大和の歌)「菖蒲を引いたというあなたの袂がどうであろうとも私には何の関係もありません。私に思いを寄せるなどと、とんでもないことをおっしゃらないでくださいませ」
と言ってきたようでした。◆◆
■薬玉(くすだま)=五月五日にいろいろな香料を袋に入れ、あやめ、よもぎなどの葉を五色の絹糸で貫いて薬玉を作る。
「五月になりぬ。『菖蒲の根長き』など、ここなる若き人さわげば、つれづれなるに取りよせて、つらぬきなどす。『これ、かしこに同じほどなる人にたてまつれ』など言ひて、
<隠れ沼に生ひそめにけりあやめ草しる人なしに深き下根を>
と書きて、中にむすびつけて、大夫のまゐるにつけてものす。
かへり事、
<あやめぐさねにあらはるる今日こそはいつかと待ちしかひもありけれ>
◆◆五月になりました。「菖蒲の根の長いのを」などと、当家の娘が騒ぐので、私もつれづれに過ごしていた折から、取り寄せて糸を通して薬玉を作ったりする。「これを、あちら(本宅・時姫腹の詮子)の同じ年ごろの方に、差し上げなさい」などと言って、
(道綱母の歌)「私の養女は隠れ沼に生えていたこの菖蒲の根同様、世間に知られずに育った者です。ご披露申し上げます」
と書いて、薬玉の中に結びつけて、大夫(道綱)が参上するに事つけて贈りました。
その返事に、
(時姫方の歌)「菖蒲が根から姿を現す五月五日、姫君をご披露いただき、いつかしらとお待ちしていた甲斐がありました」◆◆
「大夫、いま一つとかくして、かのところに、
<わが袖は引くと濡らしつあやめ草人の袂にかけてかわかせ>
御かへりごと、
<引きつらん袂はしらずあやめ草あやなき袖にかけずもあらなん>
と言ひたなり。
◆◆道綱は、もう一つの薬玉を用意して、あちらのところに、
(道綱の歌)「菖蒲を引いて袖を濡らしてしまいました。あなたの袂に重ねて乾かしてください」
その返歌には、
(大和の歌)「菖蒲を引いたというあなたの袂がどうであろうとも私には何の関係もありません。私に思いを寄せるなどと、とんでもないことをおっしゃらないでくださいませ」
と言ってきたようでした。◆◆
■薬玉(くすだま)=五月五日にいろいろな香料を袋に入れ、あやめ、よもぎなどの葉を五色の絹糸で貫いて薬玉を作る。