永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(五十日の祝い)

2009年10月26日 | Weblog
五十日(いか)の祝い

●祝いの餅
 儀式の中心は赤ん坊の口に餅を含ませることで、その餅は市(いち)で調達するのが通例だったようです。月の前半は東の市で、後半は西の市で整えたとされます。五十日に合わせて50個の餅を用意しました。

 生後50日の赤ん坊が実際に食べる訳ではありませんが、祝の食膳も用意しました。儀式の参列者やお祝いを寄せてくれた人々へのご祝儀として、籠物や折櫃・檜破子なども用意されました。これらも50個に数を揃えたようです。

 古来、日本人には「稲霊(いなだま)信仰」と呼ばれる米に対する信仰がありました。1粒の種籾から多くの実を結ぶ生命力から、米粒には神の力が宿ると考えたもので、特に餅は稲霊の形を象ったものとされています。稲霊を食すことで、その生命力を体内に取り入れ、自らの生命力を強めようとした訳です。

 柳は、春真っ先に芽吹くため、生命力復活のシンボルとされました。古代中国では魔除けに用いられたことが知られています。

●現代との接点
 餅を口に含ませて成長を祝い祈願する儀式は、平安時代中期には五十日と百日の2度行われましたが、末期になると五十日が百日に吸収され、100日目に2つを合わせる形で祝うこともあったようです。
後にはこれが「箸立(はしだて)」と称されるようになり、いわゆる「お食い初め」の原型となりました。

◆写真:祝いの品々 風俗博物館


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