永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(99)

2008年07月07日 | Weblog
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【明石】の巻  その(11)

「その年、おほやけに、物のさとししきりて、もの騒がしきこと多かり。……」
――その年、朝廷に、たびたび天のお告げがありまして、気がかりなことが多うございました。(三月十三日に、雷が轟き、風雨が激しい夜、朱雀院の御夢に、故桐壺院が、お前の御階の下にお立ちになって)――

「御気色いとあしうて睨み聞えさせ給ふを、かしこまりておはします。……源氏の御事なりけむかし。いと恐ろしう、いとほしと思して后に聞えさせ給へば」
――御気色は、もってのほかというお怒りに睨み据えたもうたので、朱雀院は恐縮しておいでです。そして仰ることが多いのでした。それは源氏のことかと恐ろしく、また、ご自身もかねがねお気の毒とも思っておりましたことなので、弘徴殿大后(御母)に申しますと、

 天候の荒れた夜などは、日頃気に掛けていることが夢に現れることがあるものです。と仰る。

 院は「睨み給ひしに見合わせ給ふと見しけにや、御目わづらひ給ひて、堪え難うなやみ給ふ」
――それからの朱雀院は、故院がお睨みになった時に、目をお合わせになったとご覧になったからでしょうか、目を患われて、それはそれはお苦しみになります――

 内裏でも、大后の宮でも大がかりに物忌みをなさって、謹慎なさいましたが、太政大臣
(前の右大臣で弘徴殿大后の御父、朱雀院の御祖父)が亡くなられ、大后もとりとめもなく病まれて、内裏は嘆くことしきりです。

 院は再度、源氏に咎なくて身を沈めているなら、きっと応報があるのでしょう。源氏に元の位を賜わらせたいと大后に申しますが、

 大后は、自分の罪に怖じて都を去った人を、三年にもならない内に許すとは、世間から軽率だと言われましょう。と、又も固く諫めます。

 月日を経るうちにお二人ともそろぞれに病が重くなられました。

さて、
 明石では、秋の風はひとしお身に染みますのに、源氏はいよいよ実際独り寝がもの寂しく、入道に言います。
「とかく紛らはして、こち参らせよ」
――なんとか目立たぬようにして、明石の上をこちらへお連れするように――

源氏ご自身では岡辺にはお尋ねになるつもりはないようでございます。

◆写真:トリカブト くすりの博物館より

用途:世界一、有名な毒草です。花が舞楽伶人の兜に似ることから、この名前がついたようです。根をウズ「烏頭」・ブシ「附子」といい、鎮痛・鎮痙などに用います。

ではまた。


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