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【賢木】の巻 (3)
御息所も斎宮もゆかしく風雅な方との評判に、この日の参内には、ご見物の車が多うございます。
御息所の感慨
「父大臣のかぎりなき筋に思し志して、いつき奉り給ひし有様かはりて……十六にて故宮に参り給ひて、二十にて後れ奉り給ふ。三十にてぞ、今日また九重を見給ひける」
――父大臣が、将来はわたしを皇后へものぼらせたいとのご希望で、大切に育ててくださったことに引き替え、晩年のこの有様は……、十六歳で故宮に嫁ぎまして、二十歳で未亡人になりました。今三十歳でこの内裏に伺うのは、何と申し上げてよいか――
斎宮は十四歳でございます。大層可愛らしくいらっしゃるのを、御息所がきちんと装い立てて上げられましたご様子は並大抵のご立派さではございません。
発遣の儀式
「帝、御こころ動きて、別れの櫛奉り給ふ程、いとあはれにて、しほたれさせ給ひぬ」
――帝の朱雀院は、(大極殿の東の御座=儀式をするところ)で、別れの櫛を斎宮の額にお挿しになって、京へお帰りにならぬようにとおっしゃいます(お役目が長くあることは、在位が長いこと)――
いよいよ、斎宮が内裏より退出されますのを、八省院に立て続けてお待ちになっていましたお供の出車(いだしぐるま)が、袖口の色合いも上品に並んでいます。殿上人たちは
だれかれと言わず、別れを惜しまれたのでした。
二条通りを折れて、源氏の二条院前を過ぎますとき、源氏は榊の枝に添えて、うた一首を差し出されます。
うた「私を振り捨てて行かれますが、後悔の涙をながされませんか」夜なので、翌朝の御息所の返しのうたは
「鈴鹿川八十瀬の浪にぬれぬれず伊勢まで誰か思ひおこせむ」
――鈴鹿川の八十瀬の浪に私の袖がぬれてもぬれなくても、はるばる伊勢まで誰が私をおもいやってくださるでしょう――
ご筆跡も大層趣があって優美であるものの、もう少し情緒があってもよさそうなものだ、と、源氏は、霧の深く立ちこめている、明け切らぬ空を眺めて独りつぶやいておられます。
十月に入って、桐壺院のご病気は一層重くなられました。
ではまた。
【賢木】の巻 (3)
御息所も斎宮もゆかしく風雅な方との評判に、この日の参内には、ご見物の車が多うございます。
御息所の感慨
「父大臣のかぎりなき筋に思し志して、いつき奉り給ひし有様かはりて……十六にて故宮に参り給ひて、二十にて後れ奉り給ふ。三十にてぞ、今日また九重を見給ひける」
――父大臣が、将来はわたしを皇后へものぼらせたいとのご希望で、大切に育ててくださったことに引き替え、晩年のこの有様は……、十六歳で故宮に嫁ぎまして、二十歳で未亡人になりました。今三十歳でこの内裏に伺うのは、何と申し上げてよいか――
斎宮は十四歳でございます。大層可愛らしくいらっしゃるのを、御息所がきちんと装い立てて上げられましたご様子は並大抵のご立派さではございません。
発遣の儀式
「帝、御こころ動きて、別れの櫛奉り給ふ程、いとあはれにて、しほたれさせ給ひぬ」
――帝の朱雀院は、(大極殿の東の御座=儀式をするところ)で、別れの櫛を斎宮の額にお挿しになって、京へお帰りにならぬようにとおっしゃいます(お役目が長くあることは、在位が長いこと)――
いよいよ、斎宮が内裏より退出されますのを、八省院に立て続けてお待ちになっていましたお供の出車(いだしぐるま)が、袖口の色合いも上品に並んでいます。殿上人たちは
だれかれと言わず、別れを惜しまれたのでした。
二条通りを折れて、源氏の二条院前を過ぎますとき、源氏は榊の枝に添えて、うた一首を差し出されます。
うた「私を振り捨てて行かれますが、後悔の涙をながされませんか」夜なので、翌朝の御息所の返しのうたは
「鈴鹿川八十瀬の浪にぬれぬれず伊勢まで誰か思ひおこせむ」
――鈴鹿川の八十瀬の浪に私の袖がぬれてもぬれなくても、はるばる伊勢まで誰が私をおもいやってくださるでしょう――
ご筆跡も大層趣があって優美であるものの、もう少し情緒があってもよさそうなものだ、と、源氏は、霧の深く立ちこめている、明け切らぬ空を眺めて独りつぶやいておられます。
十月に入って、桐壺院のご病気は一層重くなられました。
ではまた。