永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(663)

2010年03月02日 | Weblog
2010.3/2   663回

四十帖 【御法(みのり)の巻】 その(6)

 明石の中宮が内裏からお里に赴かれますときの儀式も形通りで、いつもと変わりがありませんが、紫の上は、

「この世の有様を見はてずなりぬるなどのみ思せば、よろづにつけてものあはれなり」
――若宮たちのご成長になって栄えていかれるご様子を見る事もなく、この世を去ることになるのかと思いますと、何もかもが物悲しくあわれ深いのでした――

 紫の上は、しばらく明石の中宮と御対面になっておりませんでしたので、なつかしく、明石の御方もお出でになって、しっとりと落ち着いた御物語をなさるのでした。

「上は御心の中に、思しめぐらすことも多かれど、さかしげに、亡からむ後など宣ひ出づる事もなし。ただなべての世の常なき有様を、おほどかに言少ななるものから、浅はかにはあらず宣ひなしたるけはひなどぞ、言に出でたらむよりもあはれに、もの心細き御気色はしるう見えける」
――紫の上は、お心の内では何かとお考えになっておられますが、いかにも賢そうに死後のことなど言いだされることもありません。ただ一般にこの世の定めなき無情の有様を、決して浅はかにはとれぬ口調で、大様に言葉すくなくおっしゃるのが、言葉に出しておっしゃるのよりもあわれ深く、何となく心細げなご様子がはっきりと読み取れるのでした――

「宮達を見奉り給うても、『おのおのの御行く末をゆかしく思ひ聞こえけるこそ、かくはかなかりける身を惜しむ心の交じりけるにや』とて、涙ぐみ給へる御顔のにほひ、いみじうをかしげなり」
――(紫の上は)明石の中宮腹の皇子たちをご覧になるにつけても「みなさまの御将来を拝見したいと思いましたのは、こうも儚かった命を惜しむ気持ちがあったからでしょうか」と、涙ぐんでおいでになるお顔の匂わしさは、なんとも言えずお美しい――

 明石の中宮は、紫の上様がどうしてこのようにおなりになったのかと、お思いになりながら、涙が止まらず、お泣きになります。

◆しるう見えける=著く見える=はっきりと読み取れる

ではまた。

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