蜻蛉日記 上巻 (66)
「明くれば、御禊のいそぎ近くなりぬ。『ここにし給ふべきこと、それそれ』とあれば、『いかがは』とて、しさわぐ。儀式の車にて引きつづけり。下仕、手振りなどが具し行けば、いろふしに出でたらん心地していまめかし。
月立ちては大嘗会の小忌よとしさわぎ、われも物見のいそぎなどしつるほどに、つごもりにまたいそぎなどすめり。」
◆◆一夜明けると、大嘗会の御禊の準備が迫ってきました。あの人から「こちら(作者方)でしていただくことは、あれやそれ」と言ってきたので、「いいですとも」といって、大わらわになってしています。御禊の当日は、威儀を正した特別仕立ての車で、続いていきます。下仕えや手振りなどが付き添っていくので、見ている私はまるで晴れの儀式に自分も参加しているような気持ちがして、華やかな気分でした。
月が変わっていよいよ大嘗会の下検分だと騒ぎ立て、私も見物の用意などして暮しているうちに、年末には新年の準備もしているようです(侍女たちが)。◆◆
■下仕え=院御所・宮家・摂関家などで、雑用をする女房
■手振り=男の従者、下男
■大嘗会の小忌(だいじょうえのをみ)=小忌は大嘗会や新嘗会の際の斎戒、またはその役を務める「小忌人」、その際に着用する青摺の衣をもさす。
蜻蛉日記 上巻 (67)
「かく年月はつもれど思ふやうにもあらぬ身をし嘆けば、声あらたまるもよろこぼしからず、なほものはかなきを思へば、あるかなきかの心地するかげろふの日記といふべし。」
◆◆こうして十五年という月日は経ったけれども、思うようにならぬわが身の上を嘆いているので、新しい年を迎えても一行にうれしい気持ちにもならず、相も変らぬものはかなさを思うと、あたかもあるかないのか分らない「かげろう」のようなはかない身の上の日記ということができるであろう◆◆
■かげろふ=「あはれとも憂しともいはじかげらふのあるかなきかに消ぬる世なれば」(後撰集)などによる。「かげろふ」は陽炎で、はかなさを象徴する歌語。
蜻蛉日記 上巻 終わり。
「明くれば、御禊のいそぎ近くなりぬ。『ここにし給ふべきこと、それそれ』とあれば、『いかがは』とて、しさわぐ。儀式の車にて引きつづけり。下仕、手振りなどが具し行けば、いろふしに出でたらん心地していまめかし。
月立ちては大嘗会の小忌よとしさわぎ、われも物見のいそぎなどしつるほどに、つごもりにまたいそぎなどすめり。」
◆◆一夜明けると、大嘗会の御禊の準備が迫ってきました。あの人から「こちら(作者方)でしていただくことは、あれやそれ」と言ってきたので、「いいですとも」といって、大わらわになってしています。御禊の当日は、威儀を正した特別仕立ての車で、続いていきます。下仕えや手振りなどが付き添っていくので、見ている私はまるで晴れの儀式に自分も参加しているような気持ちがして、華やかな気分でした。
月が変わっていよいよ大嘗会の下検分だと騒ぎ立て、私も見物の用意などして暮しているうちに、年末には新年の準備もしているようです(侍女たちが)。◆◆
■下仕え=院御所・宮家・摂関家などで、雑用をする女房
■手振り=男の従者、下男
■大嘗会の小忌(だいじょうえのをみ)=小忌は大嘗会や新嘗会の際の斎戒、またはその役を務める「小忌人」、その際に着用する青摺の衣をもさす。
蜻蛉日記 上巻 (67)
「かく年月はつもれど思ふやうにもあらぬ身をし嘆けば、声あらたまるもよろこぼしからず、なほものはかなきを思へば、あるかなきかの心地するかげろふの日記といふべし。」
◆◆こうして十五年という月日は経ったけれども、思うようにならぬわが身の上を嘆いているので、新しい年を迎えても一行にうれしい気持ちにもならず、相も変らぬものはかなさを思うと、あたかもあるかないのか分らない「かげろう」のようなはかない身の上の日記ということができるであろう◆◆
■かげろふ=「あはれとも憂しともいはじかげらふのあるかなきかに消ぬる世なれば」(後撰集)などによる。「かげろふ」は陽炎で、はかなさを象徴する歌語。
蜻蛉日記 上巻 終わり。