永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1067)

2012年02月09日 | Weblog
2012. 2/9     1067

五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(38)


「出で給はむことのいとわりなくくちをしきに、人目も思されぬに、右近立ち出でて、この御使を西面にて問へば、申し次ぎつる人も寄り来て」
――(宮は)ここを出ておいでになることが、なんとしても心残りで、今は人目もはばからぬご様子なので、仕方なく右近が立って行って、その御使いを西面に呼び寄せて尋ねますと、お取り次ぎを申した人も側にきて――

「『中務の宮参らせ給ひぬ。大夫は唯今なむ、参りつる道に、御車引き出づる、見侍りつ』と申せば、げににはかに時々なやみ給ふ折り折もあるを、とおぼすに、人のおぼすらむこともはしたなくなりて、いみじううらみ契り起きて出で給ひぬ」
――(その侍が)「中務の宮(匂宮の弟宮)が御所へ明石中宮様のお見舞いに参内されました。中宮の大夫(中宮職の長官)も唯今こちらへ参ります道で、御車を引き出されるのを、お見受けいたしました」と申し上げますと、匂宮は、なるほど中宮は急に時々御病みなさるのを、自分だけ遅参しては、人はどう思うであろうかと恥かしくなられて、くどくどと浮舟に後の逢瀬を約束なさって、ようやくお出かけになりました――

「恐ろしき夢の覚めたる心地して、汗におし浸して臥し給へり。乳母うちあふぎなどして」
――(浮舟は)恐ろしい夢から覚めたような心地がして、汗をびっしょりかいて、うつ臥していらっしゃいます。乳母は扇で煽いで差し上げたりしながら――

「かかる御住ひは、よろづにつけて、つつましうびんなかりけり。かくおはしましそめて、さらによきこと侍らじ。あな恐ろしや。限りなき人ときこゆとも、安からぬ御ありさまは、いとあぢきなかるべし。よそのさし離れたらむ人にこそ、よしともあしとも覚えられ給はめ。人聞きもかたはらいたき事、と思ひ給へて、蝦蟇の相を出だして、つと見奉りつれば、いとむくつけく、下衆々々しき女とおぼして、手をいといたくつませ給ひつるこそ、直人の懸想だちて、いとをかしくも覚え侍りつれ
――こういう御住居は何かにつけて気づまりで、具合悪うございます。このように一度立ち寄られましては、今後も決してよい事はございますまい。ああ恐ろしい。この上ない尊い御方といいましても、こうしたはしたないお振舞いはまことに怪しからぬことになりましょう。よその、縁もゆかりもない人から何とでも思って頂かれる方が余程よろしい。何にしましても、御姉君の背の君ではとんでもなく外聞の悪いことですので、私は蝦蟇(がま)の不動尊のような面相で、じっと睨みつけておりました。匂宮は私をたいそう気味の悪い下衆っぽい女だとお思いになって、私の手をたいそうきつく抓られたのは、なんとまあ、下人の者の色恋めいて、まことに可笑しく思いましたよ――

 ところで…、と続けて、

「かの殿には、今日もいみじくいさかひ給ひけり。『ただ一所の御上を見あつかひ給ふとて、わが子どもをばおぼし棄てたり。客人のおはする程の御旅居見ぐるし』と、荒々しきまでぞきこえ給ひける。下人さへ聞きいとほしがりけり。すべてこの少将の君ぞ、いと愛敬なく覚え給ふ。このみこと侍らざらましかば、内々安からずむつかしき事は折り折り侍りとも、なだらかに、年ごろのままにておはしますべきものを」
――常陸の介の邸では、今日もひどく夫婦喧嘩をしておられました。殿が北の方に、「あなたは、ただ浮舟一人のことに心をくだいて、私の娘たちを放っりぱなしにしている。婿殿の御滞在中の外泊は体裁が悪いではないか」と、荒々しくお叱りになるのです。下人までもが、それを聞いて同情しておりました。これもみな、あの新婿君の少将殿のせいで、憎らしい方ですよ。こんなことさえなければ、内輪の気まずいことは時々ございましても、無事に今までのようにお過ごしになれましたものを――

 と、溜息をつきながら言います。

◆蝦蟇(がま)の相=不動尊が悪魔を降伏する際に現す忿怒(ふんぬ)の相。

では2/11に。

源氏物語を読んできて(1066)

2012年02月07日 | Weblog
2012. 2/7     1066

五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(37)

 右近が、

「上達部あまた参り給へる日にて、遊び戯れては、例もかかる時は遅くも渡り給へば、皆うちとけて休み給ふぞかし。さてもいかにすべきことぞ。かの乳母こそおぞましかりつれ。つと添ひ居てまもりたてまつり、引きもかなぐりたてまつりつべくこそ思ひたりつれ」
――今日はこちら(二条院)に公卿たちが大勢参上なさいました日で、遊び興じられまして、いつものようにこちらへお渡りになられるのが遅うございましたので、一同が、ついくつろいで休息していらっしゃったようでございます。それにしましても、どうしたらよいのでしょう。あちらの乳母は気の強いことこの上なく、ぴたっと浮舟のお側に付き添ってお守りし、引き離しもし、宮をお投げつけも申しかねない様子でございましたよ――

と、

「少将と二人していとほしがる程に、内裏より人参りて、大宮この夕暮れより御胸なやませ給ふを、ただ今いみじく重くなやませ給ふ由申さす」
――少将(中の君の侍女)と二人で、気の毒がっているところに、御所からのお使いが参って、大宮(明石中宮)が、この夕方から御胸をお病みになっておいでになりますが、ただ今、たいそうご容態がお悪くていらっしゃると、御注進してきました――

 右近が、

「心なき折りの御なやみかな。きこえさせむ」
――あいにくな時の御病いですこと。では宮に申し上げましょう――

 と言って立ちあがりますと、少将が、

「いでや、今はかひなくもあべいことを、をかがましく、あまりなおびやかしきこえ給ひそ」
――でもまあ、今はもう何とも致しようがございますまいに。さしでがましくお驚かせなさいますな――

 と、言いますと、右近が、

「いな、まだしかるべし」
――いえいえ、まだそこまでは進んでいないでしょう――

 と、この二人が囁き合って言っていますのを、中の君は、

「いと聞きにくき人の御本性にこそあめれ、すこし心あらむ人は、わがあたりをさへうとみぬべかめり、とおぼす」
――まことに外聞の悪い匂宮のお心癖ですこと。これでは少し思慮深い人なら、宮ばかりか、私のことまでも軽蔑するにちがいないであろう、とお思いになるのでした――

「参りて、御使いの申すよりも、今少しあわただしげに申しなせば、動き給ふべきさまにもあらぬ御けしきに、『誰か参りたる。例の、おどろおどろしくおびやかす』とのたまはせれば、『宮の侍に平の重経となむ名乗り侍りつる』ときこゆ」
――右近が匂宮の前に参上して、御使いの口上よりも、もう少し大袈裟に申し上げてみますが、宮は動く気配もお見せにならず、「誰が参ったのか。例によって大袈裟な事を言って脅すのだろう」とおっしゃるので、右近が「中宮職の侍で、平の重経(たいらのしげつね)とか名乗りました」と申し上げます――

では2/9に。

源氏物語を読んできて(1065)

2012年02月05日 | Weblog
2012. 2/5     1065

五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(36)

「女の心合はせ給ふまじきこと、とおしはからるれば、『げにいと見苦しきことにも侍るかな。右近はいかにかきこえさせむ。今参りて、御前にこそは忍びてきこえさせめ』とて立つを、あさましくかたはに誰も誰も思へど、宮はおぢ給はず」
――浮舟が御承知なさるわけはないと、推し量られますので、右近は「本当に見苦しいことでございますね。私は申し上げる言葉もございません。早速参って、上(中の君)に申し上げましょう」と言って立ちあがりますのを、そんなことは困ったことだと、誰も誰も思うのですが、匂宮は動じる様子もない――


「あさましきまで、あてにをかしき人かな、なほ何人ならむ、右近がいひつるけしきも、いとおしなべての今参りにはあらざめり、と心得がたくおぼされて、と言ひかく言ひうらみ給ふ。心づきなげにけしきばみてももてなさねど、ただいみじう死ぬばかり思へるが、いとほしければ、なさけありてこしらへ給ふ」
――(匂宮はお心の中で)呆れるほど上品で、美しい人だ。いったいどういう人なのか。右近が大騒ぎしている様子からも、普通の新参の女房ではないらしい、と怪訝に思われて、手を変え品を変えて、口説いていらっしゃる。あらわに厭わしげな素振りはお見せになりませんが、ただもう死にそうに辛がっているこの人の様子が可愛そうですので、やさしく慰めていらっしゃる――

 右近が、中の君に「宮が、こうこうしていらっしゃいます。お気の毒に浮舟はどうしていらっしゃいますことか」と申し上げますと、中の君は、

「『例の、心憂き御さまかな。かの母も、いかにあはあはしく、怪しからぬさまに思ひ給はむとすらむ。後やすく、と、かへすがへす言ひ置きつるものを』と、いとほしく思せど、いかがきこえむ」
――「例のよくないお癖が出て…。浮舟の母親も、宮の御態度を、どんなにか軽率で、怪しからぬようにお思いになることでしょう。安心してお任せしますと、くれぐれも言い置いて行ったものを」と、気の毒に思いますものの、どう宮に申し上げたものか――

 さらに、お心の内で、
「さぶらふ人々もすこし若やかによろしきは、見棄て給ふなく、あやしき人の御癖なれば、いかがは思ひ寄り給ひけむ、と、あさましきに、物も言はれ給はず」
――お側の女房たちのなかで、すこし若やいで見目のよい者がいますと、お見逃しにならない、忌まわしいお心癖ではあるものの、でも一体どうして浮舟にお近づきになったのかしら、と、余りの事に呆れて、ものもおっしゃれないのでした――

◆おぢ給はず=怖じていらっしゃらない

◆女郎花色(おみなえしいろ)

では2/7に。



源氏物語を読んできて(1064)

2012年02月03日 | Weblog
2012. 2/3     1064

五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(35)

「乳母、人げの例ならぬを、あやし、と思ひて、あなたなる屏風をおしあけて来たり。『これはいかなることにか侍らむ。あやしきわざにも侍るかな』ときこゆれど、はばかり給ふことにもあらず。かくうちつけなる御しわざなれど、言の葉多かる御本性なれば、何やかやとのたまふに、暮れ果てぬれど、『誰とか聞かざらむほどはゆるさじ』とてならなれしく臥し給ふに、宮なりけり、と思ひはつるに、乳母、いはむかたなくあきれて居たり」
――その時、常陸の守からきた乳母は、なにやらただならぬ人の気配がするのを不審に思って、あちらの方の屏風を開けて入って来ました。「これは何ということでございましょう。怪しからぬことではございませんか」と申し上げますが、匂宮としては、これしきのこと、遠慮することでもない。こうした軽々しいお振舞いではありますが、お口上手なご性分なので、あれこれおっしゃるうちに日も暮れてしまいましたが、「誰であるか名を言わない内は放さない」と、馴ら馴れしくも添い臥しておしまいになります。浮舟はようやく、匂宮であったかと気づき、乳母も、もう言葉もなく、ただただ呆れ果てています――

その時、大殿油を灯籠に灯して、侍女が「上は(中の君)、お髪も洗い終えられて、今お戻りになります」という声がします。

「御前ならぬ方の御格子どもぞおろすなる。こなたは離れたる方にしなして、高き棚厨子一具立て、屏風の袋に入れこめたる、所々に寄せかけ、何かのあららかなるさまにし放ちたり」
――中の君のお部屋でない所の御格子を次々と降ろして来るようです。こちらの浮舟の所は母屋からかけ離れていて、背の高い棚厨子が一そろいと、その他に袋に納めた屏風など、あちこちに寄せかけてあり、何やら乱雑に取り散らかしてあります――

「かく人のものし給へばとて、通う道の障子一間ばかりぞあけたるを、右近とて、大輔のむすめのさぶらふ来て、格子おろしてここに寄り来なり。『あな暗や、まだ大殿油も参らざりけり。御格子を、苦しきに、いそぎまゐりて、闇に惑ふよ』とて引き上ぐるに、宮も、なま苦しと聞き給ふ」
――このように客人(浮舟)が泊っていられるので、母屋との行き来に、障子を一間ほど開けています。右近といって大輔の娘で、こちらにお仕えしている者が、格子を降ろしながらこちらに寄ってきて、「まあ、暗いこと。まだ大殿油も灯して差し上げなかったのですね。骨がおれますのに急いで降ろして暗闇にまごつくことよ」と言って、御格子をまた引き上げますので、匂宮は困った事だとお聞きになります――

「乳母はた、いと苦し、と思ひて、ものづつみせずはやりかにおぞき人にて、『物きこえ侍らむ。ここに、いとあやしきことのはべるに、見給へ困じてなむ、動き侍らでなむ』『何ごとぞ』とて探り寄るに、袿姿なる男の、いとかうばしくて添ひ臥し給へるを、例のけしからぬ御様と思ひ寄りにけり」
――乳母もまた、困った事だと思いますが、この右近は無遠慮で、気の早い勝気な娘ですので、乳母が「いえね、ここに怪しからぬことがございまして、見守り疲れて、そのため身動きができないのです」と言います。右近が「どうなさったのですか」といって手探りで近寄りますと、くつろいだ袿姿の男が、たいそうよい匂いを漂わせて、姫君に添い臥していますので、また例の、匂宮の怪しからぬ御振る舞いと、気が付いたのでした――

では2/5に。


源氏物語を読んできて(1063)

2012年02月01日 | Weblog
2012. 2/1     1063

五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(34)

 匂宮が、

「中の程なる障子の、細めにあきたるより見給へば、障子のあなたに、一尺ばかり引き離けて、屏風立てたり。そのつまに、几帳簾に添へて立てたり。帷子一重をうちかけて、紫苑色のはなやかなるに、女郎花の織物と見ゆるかさなりて、袖口さし出でたり」
――中ほどにある障子の細めに開いている透き間から御覧になりますと、障子のむこうに、一尺ばかり離して屏風が立ててあります。その端には几帳が御簾に添えてあり、帷子が一枚だけ掛けてあって、その陰に紫苑色(しおんいろ)のはなやかな袿に、女郎花(おみなえし)の織物らしい上着を重ねた袖口が流れ出ています――

「屏風の一枚畳まれたるより、心にもあらで見ゆるなめり。今参りのくちをしからぬなめり、とおぼして、この廂に通ふ障子を、いとみそかにおしあけ給ひて、やをら歩み給ふも、人知らず」
――屏風の一枚が畳まれていますので、(あちらはそれと気づかないようでも)こちらからは、はっきりと見えるのでした。匂宮が、新参の女房の相当の身分の者であろうとお思いになって、この廂の間へ通う障子をそっと開けて、静かに足音を忍ばせてお近づきになるのを、誰一人気づく者がおりません――

「こなたの廊の中の壺前栽の、いとをかしう色々に咲きみだれたるに、遣水のわたり石高き程、いとをかしければ、端近く添ひ臥してながむるなりけり。あきたる障子を、今すこしおしあけて、屏風のつまよりのぞき給ふに、宮とは思ひもかけず、例こなたに来馴れ足る人にやあらむ、と思ひて、起き上がりたる様体、いとをかしう見ゆるに、例の御心はすぐし給はで、衣の裾をとらへ給ひて、こなたの障子は引きたて給ひて、屏風の間に居給ひぬ」
――こちらの廊の壺前栽(つぼせんざい)がまことに趣き深く、折からさまざまの花々が咲きみだれて、遣水のあたりに高く積んだ石などもたいそう風情がありますので、その人は縁先近くに出て物に寄り添って眺めているところでした。匂宮が開いている障子を少し押し開けて、屏風の端から覗かれますと、相手は匂宮とは思いもよらず、いつもこちらに出入りしている人であろうと思って起き上がった姿かたちが、まことに美しく見えます。匂宮は例のように、好色心が動いて、そのままお見過ごしにはなれず、着物の裾を捉えて、開けて入られた襖はお閉めになって、屏風との間にお座りになります――


「あやし、と思ひて、扇をさし隠して、見かへりたる様いとをかし。扇を持たせながら、とらへ給ひて、『誰ぞ、名のりこそゆかしけれ』とのたまふに、むくつけくなりぬ」
――おや、おかしいこと、と思って、顔を扇でさし隠しながら振り返った女の様子は、まことに艶めかしい。匂宮が扇をかざしているその手を捉えて、「誰だ、名前が知りたいですね」とおっしゃるので、浮舟は思いがけないできごとに、気味悪くなるのでした――

「さるもののつらに、顔を外ざまにもてかくして、いといたう忍び給へれば、このただならずほのめかし給ふらむ大将にや、かうばしきけはひなども、思ひわたさるるに、いとはづかしくせむかたなし」
――(匂宮は)そのような屏風の端で、見られないように顔を背けて隠れ忍んでおいでになります。(浮舟は)あの並々ならず想いを仄めかされていらっしゃるとかいう薫大将かしら、と、良い匂いがするのも、それらしく思われますが、どうしてよいものか分からず、恥かしさは言いようもないのでした――

◆紫苑色(しおんいろ)=紫苑の花のようなやや青みの薄紫。平安貴族に最も好まれた色。
     日本の伝統色

◆女郎花(おみなえし)色=女郎花の黄色い粉をまき散らしたような、明るい緑みの黄色。日本の伝統色

◆みそかに=密かに=ひそか、と同じ。こっそりと。

では2/3に。