NPOな人

NPOの現状や日々の雑感などを徒然なるままにお伝えします。

もしドラと江戸の商人(その4)

2011年01月01日 | 江戸
もしドラの主人公・みなみは「野球部を甲子園に連れていく」と決めましたが、この野球部は東京都大会1回戦敗退という弱小チームで、当たり前のことをやっていたのでは不可能です。みなみは、その答えをマネジメントに求めました。

マネジメントには、
イノベーションとは、科学や技術そのものではなく価値である。組織のなかではなく、組織の外にもたらす変化である。イノベーションの尺度は、外の世界への影響である。

イノベーションの戦略の一歩は、古いもの、死につつあるもの、陳腐化したものを計画的かつ体系的に捨てることである。
と述べられていました。

そこで、野球部の加地監督に相談したところ、加地は以前から「高校野球の常識を打ち破りたい、新しい野球を創造することによって、高校野球界の常識を変えていきたい」と考えていることを知りました。

加地の考えていた常識破りは、「ノーバント作戦」と「ノーボール作戦」です。

送りバントは、みすみすアウトを一つとられる割には効果が薄い、杓子定規に送りバントすることで創造性が失われのはいやだ。

また、ボールを打たせるという考え方は、球のキレや勢いがおそろかになるので投手の伸び悩みを招いている。

この二つの常識的な作戦は、いたずらにゲームを長引かせ、選手の考え方をせせこましくさせるし、野球をつまらなくさせる弊害もあると考えていたのです。

以来、加地はバントとボール球を投げることを禁止してしまいました。
ドラッカーのいう「昨日を捨てて、貴重な資源を新しいもののために解放する」ことを実践したのです。

では、江戸商人のイノベーションについて、三井家商売記を見てみたいと思います。

商いの道 何にても 新法工夫可致候(しんぽうくふうういたすべくそうろう)

商売をするなら、何にでも創意工夫しなさいとは、三井越後屋の初代三井八郎兵衛高利の言葉です。

高利は、江戸本町1丁目に呉服店を開店してから数年にして、越後屋を江戸屈指の大店に成長させましたが、その商法は「現銀掛け値なし」「店前(たなさき)現銀売り」という全く新しいやり方でした。

それまで呉服屋は、見世物商い(得意先に注文を取りにいく)か、屋敷売り(得意先に反物をかついでいって売る)というやり方でした。

こうした商法は、お武家さんや大商人を対象としたもので、庶民には縁遠いものでした。
また、掛け売りで代金回収は盆暮れの年2回のために、半年分の金利を上乗せした高い値付けになっていました。

今では当たり前に行われている「店頭正札販売」は、江戸時代においては革新的な商法であり、正にイノベーションそのものであったのです。

(明日に続く。)
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