NPOな人

NPOの現状や日々の雑感などを徒然なるままにお伝えします。

もしドラと江戸の商人(その5)

2011年01月02日 | 江戸
ノーバント・ノーボール作戦という新しい戦術を採用するのと時を同じくして、もしドラの主人公・みなみはもう一つの取り組みに着手しました。

それは「社会の問題についての貢献」でした。

ドラッカーのマネジメントには、
自らの組織をして社会に貢献させるうえで3つの役割がある。
①自らの組織に特有の使命を果たす。
②仕事を通じて働く人を生かす。
③自らの組織が社会に与える影響を処理するとともに、社会の問題の解決に貢献する。

と書かれていました。

①については、甲子園に行くことで顧客に感動を与えることを使命を果たそうとしていますし、②については、夕紀のマーケティングを受けて各部員に責任を分け与えた結果、練習への出席率を上げることができましたが、③については、まだ手付かずでした。

みなみは社会とは何かを考え、野球部にとって学校が一番身近な社会だと結論づけました。そして、野球部の強みを生かしながら学校に貢献しようとしました。

やがて、陸上部、柔道部、家庭科部、吹奏楽部などに対してマネジメントのコンサルタントを行いながら、自分たちの成功体験を伝えることにより各部に良い影響をもたらしていったのです。

企業の社会的責任(CSR)という概念が日本に入ってきたときに、日本ではさほど違和感なく受け止められましたが、それは、江戸時代から商いは自分たちのためだけではなく、お客様のため、世の中のためといった考え方が根付いていたからにほかなりません。

その典型的な例が、近江商人の三方よしです。
近江商人とは、琵琶湖周辺地域の商人たちのことをいいます。

彼等は、特定の藩をバックにしない中で年月をかけながら自力でもって人々の信頼を築き全国に商売を拡大していきましたが、その過程で自分本位の商売は成り立たないことを身をもって体験し、利他の精神を身につけていきました。

三方よしとは、売り手よし、買い手よし、世間よしといわれますが、商売の相互を尊重するだけでなく、その地域の社会までも尊重の視野に入れているところが最大の特徴です。

三方よしとは後世の研究者の造語ですが、その原典となるのは江戸中期の近江商人だった中村治兵衛が孫に遺した書置です。

たとえ他国へ商内に参り候へても、この商内物、この国の人一切の人々、こころよく着申され候ようにと、自分の事に思わず、皆人よき様にと思い、高利望み申さずとかく天道のめぐみ次第と、ただその行く先の人を大切におもうべき候、それにては心安堵にて、身も息災、仏神の事、常々信心に致され候て、その国々へ入る時に、右の通りに心ざしをおこあし申さるべく候事、第一に候(宗次郎幼主書置)

このことを知ると、企業の社会的貢献(CSR)が決して外国からの受け売りでないことに気が付きますね。

(明日に続く。)
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