今日は、「振袖火事の日」。
明暦3年(1657年)1月18日に本郷丸山本妙寺から出火した火事は、焼失町数500余、死者10万人を超えるという説もある江戸史上最大の大火です、
幕府は、粥の施行、焼米放出、材木の供給、資金の下付などの救済活動を行い、これを機に都市改造のために江戸図の作成が行われました。
そして、江戸城・武家屋敷の再建、寺社・町方の移動、道路の拡張、火除土手・広小路・火除地などの整備が行われました。
また、町方の防火体制も強化されましたが、いろは四八組の町火消の制度は、享保3年(1718年)に八代将軍吉宗が南町奉行大岡越前守忠相と協議し編成したものです。
町火消は、機敏な活動と家屋の構造を熟知した鳶職が担いましたが、経費は町人の負担で組員は無報酬であり、命を張った究極のボランティア活動でした。
江戸のボランタリーな活動と環境循環型の暮らしぶりについては、1月24日(金)に日本NPOセンターの第10回市民社会創造ラボでお話しますので、ご興味のある方はお越しください。