もともと屏風絵の大画面として見られるのは鎌倉時代からで、平安前期には見られない。また、そこに描かれる水墨画は中国の宋船から入ったもの和漢混合の絵として雪舟雪村に見られるものである。
源氏物語を分かり易くまき絵にした画面もあるが、それ以前は、建物や仏像の絵が主であった。
平安の後期に見られる山水画は四季折々の景色や人々の営みを描く大和絵が好まれた。この大画面は障屏画を用いることで建築の内部空間が演出されたものである。
水墨画は13世紀の半ばにようやく鎌倉の地に宋船がもたらした禅宗の宗元文化の一つある。しかし、掛け軸の縦長の構図が殆んどで自然の大画面でも、山や建物でも唐風の縦長の画面が多い。金閣銀閣寺でも、一階は住宅風の寝殿作りでも上の階は禅宗風の仏殿作りである。
室町時代の山水画は風景画ではなく、特定の地点に立った時に見える景観を切り取ったもので、中国絵画に影響された現実と虚構の交錯したものである。それが障屏画であり、現代の家庭から殆んど姿を消した屏風は結婚式ひな壇のバックに見える金屏風程度であり、実際に使用していた屏風画は折り曲げ立てて利用するもの。その中の絵は展示会のように開いたもので眺めるものでない。
雪舟は大内氏の保護のもと渡明して中国画を会得した和漢混合の絵が多い。また、雪村の四季山水画は鎌倉、大和絵の影響を受けながら独特の筆力で描くもので狩野派に受け継がれている。
源氏物語を分かり易くまき絵にした画面もあるが、それ以前は、建物や仏像の絵が主であった。
平安の後期に見られる山水画は四季折々の景色や人々の営みを描く大和絵が好まれた。この大画面は障屏画を用いることで建築の内部空間が演出されたものである。
水墨画は13世紀の半ばにようやく鎌倉の地に宋船がもたらした禅宗の宗元文化の一つある。しかし、掛け軸の縦長の構図が殆んどで自然の大画面でも、山や建物でも唐風の縦長の画面が多い。金閣銀閣寺でも、一階は住宅風の寝殿作りでも上の階は禅宗風の仏殿作りである。
室町時代の山水画は風景画ではなく、特定の地点に立った時に見える景観を切り取ったもので、中国絵画に影響された現実と虚構の交錯したものである。それが障屏画であり、現代の家庭から殆んど姿を消した屏風は結婚式ひな壇のバックに見える金屏風程度であり、実際に使用していた屏風画は折り曲げ立てて利用するもの。その中の絵は展示会のように開いたもので眺めるものでない。
雪舟は大内氏の保護のもと渡明して中国画を会得した和漢混合の絵が多い。また、雪村の四季山水画は鎌倉、大和絵の影響を受けながら独特の筆力で描くもので狩野派に受け継がれている。