ブログ仙岩

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永遠のゼロで言う特攻の背景

2014-03-02 09:29:21 | 日記
百田さんは特攻美化の批判に対して、断固反対といっているが、ゼロを美化し、日本のため家族のための特攻を表現したが故に戦争肯定と捉えられた。だからその美化で涙を流す読者が多く出た。

しかし、海軍一部単独の五・一五事件に感化された二・二六事件から、満州建国、中華民国との対立で際立つ陸軍と政治への干渉、中華から撤兵要求をのもうとする政府、三国同盟も独ソ対戦で弱くなり、石油輸入を米国からストップ内閣総辞職で陸軍指導で大東亜戦争に突入した。

海軍を辞める決意何度もした山本五十六は戦争やっても一年しか持たないと言うように、海外見聞の海軍には1921年(大正10)の斉藤伴六司令官率いる八雲出雲練習艦米国欧州視察で、回転式舞台を持つアメリカと戦っても勝てないと思う将校候補生が多数いた。東南アジアで仕入れたバナナに1本の腐れが見つかり、すべてバナナを海に投棄したと父から聞いた。また、父の写真帳にはグリニッチ天文台の大時計文字盤はⅠ~ⅡⅣと記憶してる。

軍縮に応じない日本は軍備力で優っても1年しか持たないという山本の戦争が4年目には物が底をつき、松根油で燃料をつなぐ最後の手段に特攻が選ばれた。捨て身戦法や一億玉砕の洗脳国民の背景が東条内閣を後押ししたのか定かでないが、包含視的思考で特攻はテロでないと言える。