ブログ仙岩

各紙のコラムや報道番組、読書の感想、カメラ自然探索など。

ITベンチャー企業からNPO福祉ベンチャーへ

2013-10-24 13:46:02 | 日記
1979年東京生まれで慶應義塾大学在学中にITベンチャーを経営、日本初非施設型「病児保育」サービスを展開した駒崎弘樹NPO法人フローレンス代表のことである。

田原総一郎著「40歳以上はもういらない」で対談の中にある。
駒崎氏は「ニューロン」という企業でITベンチャーの社長であり、ウェブサイトのシステム開発など行っていた。何千億円を稼ぐ田中良和さんのIT企業のグリーの立ち上げメンバーにニューロンメンバーが多数かかわっていたという。
しかし、駒沢氏は本当にしたいことは何かと素朴に悩んだ結果、社会の問題を解決して人の役に立てれば幸せになれるのではないか。しかし、火炎瓶で政治に反抗する相手がおっさん政治家でいない。いい大学いい会社に入ったから、いい人生を送れることはないことに早くから気づいていた。
パートタイム官僚として、寄付税金改革の提案にたいして、鳩山総理はやろうしても財務省課長が「整合性が取れないので無理」と突き返してきたという。

国を批判しているだけではダメで、働いている双子のお母さんが一人の発熱で一週間休むと会社を首になってしまった。以前はこのお母さんの子供を隣近所のおばさんが預かってくれたが、今はその営みが失われてる。女性が子育てしながら働くことをないがしろされているから、病児保育をするフローレンスを立ち上げたという。鎌田實医師も訪問介護が介護サービスの原点という。

患者や宮古一中の太郎君に教えられた

2013-10-23 09:45:54 | 日記
長野長寿秘訣は地理的に坂が多く自分の足で上り下りして、大農法でなく小さい農業での農業従事者が多く身体を動かして働き、生きがいを持って生活していることと鎌田實はいう。また、長野県は娯楽施設は少なく、図書館、美術館など多く公民館数は日本一で、ガイドと呼ばれる教科書虎の巻に頼らない好奇心が旺盛な県民でもある。

また、脳卒中患者を寝ずに治療して回復足を引きづりながら歩けるようになり退院、生き返らせて有難うの言葉が訪問介護に行くと「なぜ助けた」と怒られたという。退院して家に入らず、畑の除草をしようとしてもしゃがめず草一本抜けづに怒っていた。生きがいも聞かず退院させ救命で終わって、退院後の生活のケアまで目が届かなかったことを大いに反省したとう。

宮古一中の太郎君から手紙を頂いた。骨の腫瘍で3回手術車いす生活になり、人に迷惑ばかりかけてと思い悩み、いろいろお話したいから僕の学校に来てくださいという内容である。鎌田の「教科書にない一回だけの命の授業」を聞いてから、野球大好き車いすの太郎君は野球部のバッテングピッチャーしているという。頑張らなくてもいい諦めないことが分かったという。太郎君が生きる望みを失いかけても別の道があることに目覚めた姿から、多くを教えられたという。

命の繋がりは結果ではないそのプロセスなのだと。数学は答えが一つだからという人がいるが、問題を読み、答えに行き着くまでの試行錯誤の途中の考え方が大切なのであり、いろいろな解決方法で思考することにある。答えが出なくもいい、その答えまでたどり着く姿が太郎君を「雪とパイナップル」で鎌田医師と結び付け、生きる望みを得たと思う。

長寿日本一長野と最低青森の食生活の違い

2013-10-22 13:46:21 | 日記
1974年長野県諏訪中央病院んへ赴任する前は、大変脳卒中で亡くなる人が多かったという鎌田實医師は累積赤字4億円、食生活を悪化させ入院患者を多くすれば病院は立ち直れるが、鎌田医師はその反対に脳卒中をなくす現場の家庭人に講演を始めたという。しかし、いくら説得しても、お茶の時間になると、しょっぱい野沢菜でお茶のみ話になり、講演の中身が浸透し無かったという。1年過ぎて、健康作りのお話の後のお茶受けは野沢菜からリンゴになり、3年後には寒天になって、野菜摂取量日本一位になったという。

一方青森は八重の桜でも極寒の地で行き倒れが多く出た。千昌夫の津軽平野の歌詞にもある・・・雪降る頃はヨー親父ひとりで出稼ぎ支度・・・と病気になっても医者にかかりにくい環境にもある。画像は2013.10.14撮影、十和田湖展望台から望む岩木山。
寒いから、運動不足になり、こたつに丸まって、味噌大根で一杯のごはんが食べる食塩の量、そして、喫煙、飲酒で娯楽の代りをする。極端に少ない野菜食から若かいのに成人病にかかり、40,50代で亡くなる人が多くいる。

長野は食塩摂取が男子6位でも喫煙44位、飲酒19位、肥満40位そして野菜摂取が全国一位、しかし、鎌田医師も言うように貧乏県で医療設備が悪いせいか、75歳以上の医療費は全国最低という。
青森のように病気でも医者に行かないのと、同じ雪深い長野は野菜摂取、運動量一位の健康で医療利用が少ないという差にあるようだ。

ロッテ奇跡起こらず楽天初の日本シリーズへ

2013-10-22 12:53:13 | 日記
フィギュアスケートGPアメリカ最終日の20日SP首位の浅田が3回転ジャンプで転倒してもフリー1位で初優勝した。200点超えソチ五輪に弾みを持つ努力の賜物、また、前日は男子シングルで町田が優勝、米ゴルフでは松山に越されてふがいない試合を続けた石川が20日最終日5位から2位につける自己最高位をマークした。

そんな中で、20日雨で中止、第4戦が昨日21日Kスタ宮城で夕方6時から開始した。2回で3-0とリード、今日で決まると思いしや、4回ロッテのG・G佐藤に3ランHRで3-4と逆転されたが、強力な助っ人のホームラン攻勢で8-5に、9回は無敗の田中が二人のランナーをだしたが、井口をサードゴロに打ち取りゲームを締めくくった。4勝1敗で日本シリーズへ球団創設9年目の快挙という。

元監督の野村氏は田中を獲得、MVPのマー君愛称の田中投手を野村節でよくご披露していたことを思い出す。

26日(土)から、Kスタで楽天対巨人戦が開幕、2戦と続いて、3,4,5戦は東京ドーム、6,7戦はまた戻ってKスタで計7ゲーム、先に4勝した時点で優勝日本一が決まる。

著者鎌田實と石井光太氏との対談

2013-10-21 09:17:21 | 日記
ポプラ新書創刊号鎌田實著「Oに近いΔを生きる」を読んで、石井光太氏との対談で興味を持った。また、石井氏については殆んど知らない。が、鎌田氏が最初に挙げた人で、「地を這う祈り」「ルポ餓死現場で生きる」などノンフィクション作家に私は魅かれた。
「遺体~震災、津波の果てに」はベストセラーになり映画にもなったもので、家族の遺体を見つけ泣き叫ぶ姿の中で聞こえてくるラジオは何処の企業がいくら募金したとか、タレント誰々さんが呼びかけたとかで、被災地とかけ離れた報道であったと。1977年東京高級住宅地に生まれ日大芸術学部卒36才の青年作家である。

鎌田氏はNHKラジオ、村上信夫アナ司会「命の対話」でよーく知っているつもり、ネット画像から大分年を召されておる方と思っていたら、なんと1948年生まれの65才と知り驚いた。また、本の中でも自分で生い立ちを明らかにしているように、青森から養子に出されて・・・東京医科歯科大進学では
 
「大学に行かせてほしい」の願いに父は「貧乏人は勉強なんかするな、働け」と言われて18歳の夏に父の首を絞めたという。

石井氏は勝ち組負け組のOX正論でなくΔの別解に共鳴したという。鎌田氏は原発賛成反対でなく、別解が必ずあるという。一番大切なことは現場に立つことであるという両者の共通の態度である。高度医療の正解に振り回されるのでなく、一人の患者の中にある別解を探すこと。

現場のスラム街を見てきた石井氏は自分の両親を銃殺する誘拐された女兵士の現実や、ウガンダで売春している女の子に「エイズ怖くない」と質問すると「スラム街ではレイプされ、HIV患者でコンドームもつけてもらえないから、エイズにならないために売春やっている」という。