オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

鶏唐など・・・

2011-08-05 | Weblog

8/5(金) 深夜暑さで目覚める、汗まみれになっていたが・・・。5時半頃に起床し、弁当の準備に入った。

昨夜、今日は唐揚にしようと冷凍庫から取り出して解凍した。その鶏肉のラベルを見ると、何と!「鶏笹身」であった。こりゃいかん、と別の鶏肉を取り出しておおわらわ・・・。電子レンジで解凍、酒・醤油・塩胡椒に刻み生姜・ニンニクの下味に漬け込む・・・。

その間、マカロニ・卵・人参・ジャガイモ・アスパラを茹でる。アスパラを除いた食材で「マカロニサラダ」を作る。アスパラは、豚小間肉で巻いた「アスパラ巻き」を用意するつもりでいた。処が、豚小間が不在。代用に生ハムを使うこととなった。

                   

この夏場に生ハムでは具合が悪い。それに何時も同じような調理でも詰らん。アスパラに紫蘇葉を巻き、その上に生ハムを巻いた。それを、ニンニクとオリーブオイルで軽るめに炒めた。味見なし・・・どんな具合やら?

                        

オクラの素揚げ、鶏の唐揚を始めながら、刻みワケギ入りの卵焼きを並行作業で作る。

                        

今日は、長女が仕事休みとのことで、弁当を取りにこないとのこと。何だ!今日も二人分か?それじゃ面白くないと、久々の「曲げワッパ弁当」の登場となった。これで、連日の弁当持参となった。

                    

 

 「渋谷にて」

昨晩は渋谷、何時もの宇田川町の銘店「奈加野」にて、宏さんとH女史との懇談。宏さんには、是非とも書いて貰いたいテーマがある。そんなことを話、女史とで責める。
今は、別のテーマ「ばっけ」の映像記録に着手しているので無理だろうが・・・。

それは「物語」、様々な場・時を経てきた人、生きてきた時代の証言、インタビューで人々の物語を紡いで欲しい・・・掲載は、会社のwebサイトマガジンを想定しているが・・・。

そんな話をしている内に店主が現れた。女史に「草刈民代さんみたいだね、彼女より若いけど・・・」等と嬉しがらせる。そんなことから「老いと肉体の変化」要は、如何に皺を隠すか、に話題が転じた。

其処でまた、店主が何処かで聞いた話をする・・・。
 知り合いの芸能プロモータが、南の島の慰安会に”こまどり姉妹”を呼ぶ依頼を受けた時のことだけど。「鹿児島空港で待っていると、向うからヨタヨタしたお年よりが歩いてくる。これや失敗したと思った。ところが会場に入り、楽屋でヅラを被って、着物を着て三味線を弾き出すと、ガラリ変わって若くなった」そうだ。

それから、あれやこれやと芸能人の名が出(商売柄、有名・著名な方が見える)、芸人が如何に変身するかに及んだ。が、顔は騙せても首から下の皺は如何ともならんねぇ・・・。我が身を返り、皆同意であった。

そうこうするうちに、以前に在籍したスタッフの名前が出た。Y女史のことだが、彼女はどうしているだ・・・直ぐに、携帯に連絡をした。元気な声で「久し振りです・・・、今・仕事が終わった処です」と返ってきた。

 元気なのか!「ええ、元気です。報告したいことがありました」
 何だよ?「丁度、五年経ちました」「検査の結果、問題はないそうです・・・」

そうか・・、Y女史は五年前に辛い手術をしていたのだ。五年前、術後に現れた女史は、毛糸の帽子を目深に被っていた。それでも「ビールぐらいは飲めます」と、食事したことを思い出していた。会社も辞めていたし、経済的にも苦しかったろうが、金を貸して欲しいとか、辛いとは言わなかった。偉いやつだ。

『それぐらいで、安心するなよ。お祝いに今度、飯ご馳走するよ』と切った。Yとは、宏さんの方が付き合いは長い。心配そうに、電話のやり取りを聞いていた。

昨夜は、そんな夜であった。そうそう、今度『鮎すし』を作る約束をしたのだ。(褒められると、直ぐ木に登る私であった)

 

コメント
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