オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

さて、何ができるやら・・・

2011-08-17 | Weblog

8/17(水) 目覚めて、今日のお弁当はオムスビのつもりでいた。具は、鮭とタラコである。

先ずは、米三合を電機釜へと、続いて鮭&腹スとタラコを焼く。

台所に立ち、あれこれ食材のチェックをすると、冷凍庫の中で空豆と剥き海老が一握り程残っている。食べてほしそうな気配が伝わる・・・。

そんな気配に引かれて「空豆&小エビの掻揚」が登場することとなった。これだけでは淋しいので仲間を増やす。掻揚に「牛蒡・人参・タマネギ」が加わった。連日の揚物登場となるが・・・。

ジヤガイモとピーマン・人参、ベーコンを千切りにした炒め物を作る。牛蒡とジャガイモは暫く水に晒してあく抜きをする。

                          

                                                   右端は調理前の掻揚用具

最後に卵を焼くが、厚焼きではなく今日はオムレツ風の仕上げにしてみた。技は変化が必要とばかりの遊び心であった。

                          

                             卵は焼く前

お菜も仕上がり、後は纏めの段階にきた。さて、どんな風にしたものか・・・。オムスビを主体に考えていたが、違うな!

長女はオムスビ(鮭・タラコ)二つと、お弁当箱にお菜だけを詰める。私とK、家人は普通の弁当に。だが、Kと自分用は掻揚丼風となった。この方が、お菜が入るのだ・・・。

                      

残っていた自家製チャーシューも入れよう。オムスビ用に焼いた鮭・タラコも弁当の賑やかしにと詰め込んだのであった。こんなグチャグチャ弁当って、嫌だよな~。自分で作ってなきゃ食べないね、あたしや!と、思いながらも、四人前の弁当が完成となった。

 

昨日は急遽三島詣でとなり、弁当は東海道線の車中でビールの友となり立派に役割を果たした。その忠義に応えるため、私は車中の洗面所で線路の軋み揺れに耐えながら、お役ご免の弁当箱洗ったのである。(しかし、鰻が入って帰ることはなかった)

今夜、昔スタッフだったY女史が人形町まで来るとのこと。術後五年経過の報告と、栄養不足を補おうということであろうが、人形町へ来てボケオヤジの面を見ながら飯を喰っても不味かろうが・・・と、心配する。

いや、心配は「何か喰いたいものがあったらいいな」と云うとする。『そうですね、久し振りに鰻かなんか、いいですね』なんて言われると、どうするんだ・・・。鰻は手術後の体には、よくないようだよ・・・十年は鰻は駄目らしいよ、なんて言えないしナ。

今年の夏、鰻が不漁といわれながらも、私は都合九回は食したか。昨夜の、桜屋での二重丼で鰻納めにしたい処であるが・・・。

明日は、吉祥寺のスペイン料理店ドスガスにて、フラメンコの「斎藤克己」さんがステージにあがる。真夏のフラメンコは如何様か・・・。

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三嶋大社の夏祭り

2011-08-17 | Weblog

8/17(水) 昨日の朝、会社に向かメトロの中で思い出したのが終戦記念日と、三嶋大社の夏祭り(8月15日~17日)であった。三嶋の夏祭りは、一昨年に初めて観た。

三島は青春のひと時、十九歳の一年間を過した街である。が、夏休みの最中が例祭となる大社のお祭を見ることはなかった。その後、三島は何度と無く訪れていたが、お祭とは縁がなかった。

一昨年、三島出身の年若い知り合いから祭りの事を聞き、初めて観ることとなった。そのことをメトロの中で思い出していた。もう一つ、ここの処、鰻付いている。三島は鰻屋が多く、一昨年、その若い知り合いと鰻を食した。鰻からの連想かな・・・。

世を挙げての夏休みの最中、会社には出ているだけのことで仕事などしやしない(無いが正しいか)。どう仕様か、行くか行くまいか迷っていた。

丁度そこに、夏休み中のU老から電話が入った「森伊蔵を持って、夕方に会社へ行こうと思ってるけど、今日は暇?時間があるのならチョッと一杯やりませんか?」ときた。

これを解説すると、以下のとおり。
『幻の焼酎「森伊蔵」は、秋のベッタラ市で出す屋台の目玉商品。それを入手したので休みの今日持参したい。ついては、あんたはどうせ暇だろうから、暇なあたしと一杯やろうよ!』と云う次第である。

これで、道中暇をしなくていいと「夕方なんて言ってないで、直ぐに家を出て13時までに出社のこと!三嶋へ行って、祭り観て、鰻を喰おう」と指令を出した。老分は乗りがいいので了解了解と、暑い最中に会社へと出てきた。

かくして、16時前には三島の祭りで賑わう雑踏の中に立っていた。(車中で呑んだ缶ビールや弁当のこと、暑かった車内のことなどは省略しよう)

                   

小さな地方都市、これほど人が居るのかと思うほどの人出。我が四国の田舎とは違い、この辺りは工場も増える一方であろう、住宅街が広がり、商店も増える、元気になる。さすれば、祭りも賑わうと「風が吹けば桶屋が儲かる」式のことかな~と。

                        

                      シャリキ:山車どうしのお囃子の掛け合い

当然、鰻屋も混む。と、シャープな切れのよいお頭の小生は、考えが至った。”凄い人でだね”感心仕切りの老人の手を引いて、人ごみを掻き分け掻き分けし街道筋一番の鰻屋「桜屋」の前へ。と、開店は五時からと表示され、予約受付用紙が置かれてガードマンのオジサンがいた。既に何組か当日予約の名が記されていた、其処に続けて私の名が・・・。

こうして、用意万端整えて「三嶋大社」へと参拝に向かった。此処は源頼朝が出陣の折に祈願をした神社としも名高い。そんなことを老にレクチャーしながら、伊豆箱根鉄道で「三島広小路~三島田町」駅へと一駅だけ乗車。そこから大社へと向かった。(田舎電車の気分を味わせてやりたいという親心・・・)

                        

流石にお祭の日、大社の門前、内と人の波であった。そう云えば、この日は「頼朝出陣行列」があり、頼朝役に扮した風間トオルさんの姿を遠望した・・・。

そして、漸く「桜屋」にご入店となった。

                  

メニューを手に「何にする?先ずはビール。ヤッパこの二段に鰻が入った柵丼を食わんと・・・。値上がりしたな、4830円だぜ!」とか何とか云いながら、二人とも鰻二段入りの丼を注文した。

待つこと30分弱か。来ましたきました、丼の蓋は一応してあるが鰻ではみ出している。

                  

蒲焼三枚のご飯の下に、もう一枚蒲焼が待っているのだ・・・。

四の五の言いながら、食べました。食べましたよ、完食しました。私は!老は、三口ほどご飯を残しましたね。若さの違いかな・・・。

                                             

満腹、満腹で、さて講評のお時間となった。
量、これは申し分なし。蒲焼は関東風の蒸し・焼で舌触り良し、老人にも食べ易い。タレ、これは、前夜に食した「菊川」の味と似た、飽きのこない味(甘いようで甘くない、濃いようで、濃くない、敢えて云うなら中道派?)。

残念なのは『ご飯』だった。感じたままに言えば、冷や飯を蒸し器で温めたような感じだった。ご飯粒、一粒・一粒が自立しているような飯だったら・・・と残念。とは云いながらも、東京から遥々行って食べてみたい、お店ではあります。

もう暫く鰻はいいや、といいながら、水の街を散策。宵の山車の巡行準備を見ながら、我が青春の三島を後にした。

              

コメント (2)
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