ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

モヤモヤした気分のときは言語化

2019-06-11 06:23:40 | 言語化
 先週は、週の入りからおかしな気分に襲われていました。なぜかソワソワ・ワサワサして気持ちが落ち着かないのです。タバコの本数が増えるばかりで一日軽く20本は吸っていました。

 心当たりを探ってみると、どうやら血痰が出て以来のことらしいと気づきました。あれは確か日曜だったか、寝起きに痰が絡んでいたので咳をして吐き出したのですが、その痰に赤黒い血の塊が混じっていたのです。

 鮮血ではなかったので、鼻血が固まって喉につかえていたのだろうと勝手に決めつけ、以来平常心を装っていました。やはり本音では肺がんを気にしていたのだと思います。

 長引いていたカゼも痰が絡む咳だけになっています。わざとタバコを吸って気道に負荷をかけ、それでも血痰が出ないことを確かめたい、そんな幼稚な発想もあってのタバコの本数増加なのだと結論づけました。今は咳をしても血痰は出ません。

 とは言っても、事実はたった4、5本のタバコが増えただけです。こんなことでオタオタするなんて、所詮、私の平常心なんてこんなもの。つくづく修練不足を思い知らされました。

 ところでそんな先週末、滅多に見ない夢を久々に見ました。朝の4時前に目が醒めたので二度寝したときに見た夢です。モヤモヤした気分は夢にも反映されて悪夢になるようです。
         *   *   *   *   *
どういうわけか、自助会AAの仲間二人と一緒に三人で
居酒屋に入って座卓を囲んでいた。
どうやらビールを飲んでいるらしい。
ふと、隣に座っていた仲間を見ると、何と彼はお茶を飲んでいるではないか。
あわてて厨房に行きお茶を頼んだ。
が、待たされた挙げ句に出てきたのは “おじや” だった。
「グデングデンに酔っ払った身体にはこれがいい」と言われた。
席に戻ったら、周りは野原で既に仲間二人はいなかった。
一人ぽっちでいるところにいつの間にか別の仲間が現われた。
「酒を飲んでしまった人はAAのミーティングに出てはいけない!!!」
その仲間にこう言われてたじろいだ。ここで夢から覚めた。
         *   *   *   *   *
 8月には胸部X線検査を予約しています。そのときにはきっと血痰事件にも決着が付くでしょう。心が落ち着かないとき、モヤモヤした気分の整理には言語化が有効です。その実践事例としてこんな記事を投稿してみました。



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“こんまり流片づけ術” と “言語化” は通底?

2019-05-17 06:01:15 | 言語化
 もう1ヵ月も経つのに、いまだに心に引っかかっているTV番組があります。NHKスペシャル『密着ドキュメント 片付け~人生をやり直す人々~』(2019年4月14日放送)がそれです。

 「これは人生哲学よ!」 番組の冒頭、米国人女性がインタビューにこう答えていた意味深な言葉に、つい惹かれて見ることになりました。なかなか中身の濃い番組で、“こんまり流片づけ術” を提唱している近藤麻理恵氏の片づけ実践方法を指南している現場を紹介したもの、といったところでしょうか。

 取材に応じていたのは3人の主婦でした。いずれの家庭も、家中の部屋という部屋が物で溢れかえり、どこにも足の踏み場がないぐらい散らかっていました。寝るにしてもそのスペースが見当たらないぐらいなのです。

 番組は、コンサルタントが各家庭を訪問し、現場で対面指導することで進行しました。物を処分する際、守るべき大原則は次の2つだけだったようです。

 まず、処分すべき物の順番は、衣類→本→書類→小物類→思い出品の順。次いで物を残す基準は、実際に手に取ったときに心が “ときめく” かだけで、保留はナシ。この順番と基準ですべての物を部屋中一杯に(広げて)並べ、それぞれを一つひとつ実際に手に取って処分を決めるという極めて単純な方法でした。

 持ち物それぞれには思い出が詰まっているもの、実際に手に取ってみれば、そのときの記憶すべてが鮮やかに蘇って来るのは当然です。そのとき心が “ときめく” か? 単に懐かしいだけか? それとも心がふさぎこんでしまうのか? ここが鍵だと言います。

 こんな微妙な感覚を判断基準とするところが女性らしいと思いました。心が “ときめく” など女性にしか経験したことのない私ですら、何となくわかるような気がします。

 ところで、「すべての物を部屋中一杯に(広げて)並べ、それぞれを一つひとつ実際に手に取って」というやり方が、私にはおもしろい方法論だと思われました。手持ちの物すべてを一望の下に “見える化” して吟味するやり方は、まさしく “言語化” に通じるところがあるからです。

 心の奥底にしまい込んでいて、蟠(わだかま)りとなっているものを解き放す方法の一つが “言語化” です。悩み事を言葉に託して文字に起こすだけの話なのですが、これらを文章化することによって因果関係やその時々の考え方などの諸々が客観的に “見える化” できるようになります。

 一旦 “見える化” できたら最早、蟠(わだかま)りではなくなります。後はきれいに畳んでしかるべき記憶の貯蔵庫にきちんと片づけ直せばいいのです。こんなところも “こんまり流片づけ術” と共通しているのでは、と思いました。

 アル症から回復するには “古い考えを捨てる / 手放す” ことが必要と言われています。物であれば “捨てる / 手放す” ことも可能ですが、思い出や考え方はそうもいきません。この言葉の真意は、次の言葉が示唆するところと同じではないでしょうか。

 “片づけとは、自分の過去に方を付けること”
 これは番組の最後に流れていた言葉です。悪いクセが出そうになったら、自分は悪いクセの持ち主だからと思い起こして自制すればいい。それが “自分の過去に方を付けること”、決して葬り去ってはいけないのです。私はそう考えています。



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ヒゲジイ流 “言語化” の流儀

2017-06-16 06:46:00 | 言語化
 アルコール依存症からの回復には “認知のゆがみ” の矯正が課題と言われています。その矯正に推奨されているのが認知行動療法の一つ “言語化” です。

 私がアルコール依存症と診断され、酒と縁を切ってからほぼ3年8ヵ月、本格的に “言語化” に取り組んでからも2年10ヵ月が経ちました。断酒を始めるまで “言語化” という言葉さえ全く知らなかったのですが、今では生活リズムの一つとしてほぼ毎日これに励むようになりました。そのお陰で順調に回復しつつあると自負しています。

 私の考えている “言語化” とは、移ろいやすい思いを言葉で掬い取り、文字に固定し、見える化することです。こうすることで、過去の自分の姿が客観的に見える化されます。この作業を続けることが記憶のネットワークを活性化し、アルコールでイカレた脳の回復をも促進してくれると考えています。

 忘れない内に酒害体験を記録しておこうという単純な動機から始めた “言語化” ですが、そのうち自分の過去との対話という位置付けに変わってきました。いい機会と思い、我流で取り組んできた私流の流儀(?)を整理してみました。当初から常に心懸けていたのは以下の5つです。

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事実を正確に把握しておくこと
 出鱈目を重ねてきた飲酒時代が相手ですから、触れたくない過去はあります。書き始めてみて改めてそれが自覚できました。

 後ろめたさに苛まれ、つい感情に流されて自己否定に陥ったことがありました。罪悪感と反省の記述に始終したことや、上辺だけの悪行を書いていたこともあります。

 そんな苦い経験に懲り、対象とした時代の正確な個人史年表を作りました。個人的な出来事に限らず、その時々の客観的な社会情況の記述をも含めた年表です。この年表のお陰で自分の過去を相対化することができ、厳しい時代背景を背に精一杯頑張って来た自分の姿も見えて来ました。

5W1H、特にWhy(なぜ?)を意識して叙述すること
 “言語化” の真髄は客観的事実関係を明らかにすることだと考えています。その意味からも5W1Hを意識して書くことは極めて重要です。特にWhy(なぜ?)による因果関係の解明が鍵で、事実から決して目を背けまいと努めてきました。

 このことを忠実に実践しようとすれば、必然的に場面描写も含む物語風の叙述にならざるを得ません。大変な労力を要しましたが、それだけに記憶機能の活性化が進んだと考えています。

言葉と表現に徹底してこだわること
 書いた文章に違和感を覚えたら、自分の思いとはズレがあるというサインです。思いが適切な言葉となっていない証です。文法的な誤りの場合もありますが、違和感なくスッキリするまで徹底的に言葉や表現にこだわってきました。違和感は “自分に正直に!” という警告です。このことは次の項にも当てはまります。

誤魔化し、取り繕い、装うことでウソを書かない
 事実から目を逸らそうとしていたのでしょうか。無意識によくやっていたのが誤魔化し、取り繕い、装うことへの逃げでした。アリキタリの言葉でアリキタリに表現し、知らず知らずにアリフレた話にしてしまうことです。言い換えれば、自分の言葉ではなく、つい他人の尻馬に乗ってしまうということでしょうか。

 違和感に気づいて読み返してみると、自分の思いとはかけ離れた薄っぺらな印象の文章になっていました。ここでも重要なことはやはり違和感です。違和感は “正直に” 書き手の自分に警告を発してくれました。

文章は一定以上の長さにすること
 ブログ投稿用の記事は、当初A4サイズ(40字35行)2ページ半を目標としました。実際に書き始めると記憶が活性化され、次から次へと思い出が湧き出してくるものです。できるだけそれらを全部書き留めることにしました。問題を多角的に捉え、深く掘り下げて考えるためです。

 その結果、目標としたページ数を超え、続き物にすることがよくありました。今になって読み返してみると、編集の余地が十分過ぎるほどありますが、記憶機能の活性化にはよかったと考えています。断酒歴3年を機に、5番目のルールは止めにし、短くまとめるよう努めています。
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 現在試みていることは、次の二つです。何か引っかかりの残った身近な出来事について “言語化” すること。言葉をよく練って簡潔な文章を書くこと。この二番目は難題ですが、これらを課題として試行錯誤中です。

 文章の簡潔化と共に私の究極の目標は、如何にして自分自身をも常に客体化して眺められかです。道半ばではありますが、“言語化” の継続でそれが出来そうな気がしています。
 “ありのままの自分を ありのままに・・・”


ヒゲジイ流 “言語化” の実際については、こちらをご参照ください。
“心の落ち着き(serenity)”が分かる?(言語化入門)」(2015.3.06投稿)
回復へ ― アル中の前頭葉を醒まさせる」(2015.6.05投稿)
自分に正直になるには “言語化”」(2017.2.24投稿)


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自分に正直になるには “言語化”

2017-02-24 07:05:17 | 言語化
 今回は、“言語化” を “自分に正直になる” という切り口から考え
てみようと思います。

 自助会AAの著作物『アルコホーリック・アノニマス』には次のように述べた部分があります。


「・・・ 自分に正直になることがどうしても不可能な人はまれにいる。・・・
 きびしい正直さが必要な生き方をとらえ、その生き方を伸ばし育てていく
 ことができない、回復する率が平均までいかない人たちである。・・・」

                               (下線部、筆者)

“自分に正直になる” この言葉にずーっとモヤモヤしていました。上の文章を素直に読めば、自分に正直になれなければ回復できないことになるからです。

 これまでは “自分に正直” という言葉に、「(分相応)身の丈に合った」とか「等身大の」といった、変に虚勢を張ったり、背伸びしたりしない高潔な生き方を思い浮かべていました。上で引用した章を改めて読み返してみると、真意は自分の過ちを素直に認め、性格上の欠点をはっきり自覚することにあって、必ずしも小難しい倫理的・哲学的な生き方を意味しているのではないとわかりました。

 自分の過ちや性格上の欠点を継続的かつ確実に自覚する目的での正直なら、書くことで内省を深める “言語化” こそがふさわしいと益々思うようになりました。(もちろん、アルコール依存症の回復目標に倫理的・哲学的に正直な生き方を設定するのは正しいことと思います。)

 何か(新しく)ものを書くとき、自分に正直になって書くのは容易いことと思うかもしれません。ところが実際にやってみると、自分の思うところを正直に書こうとしても、なかなか思い通りに書けないのが普通だと思います。まして私は想起障害を抱えているので、書いていてピッタリな言葉が思い出せず、言葉の選択や表現に迷ったり、違和感を覚えたりすることがしょっちゅうです。実に可笑しなことですが、実際に書き始めてみてやっと、自分が本当は何を考えようとしているのかが初めてハッキリする場合も時としてあります。

 その場合のキッカケは違和感です。違和感は、言葉を選び間違えたか、文法を誤ったかの場合に多いのですが、無意識の内に何かが抵抗して思い出せなくしている場合も希にあります。(違和感が湧くのは何か本能的な反応のような気がしています。)違和感を催す原因が何なのか、その正体を突き止めない限りしこりは心につかえたまま残るものです。

 この違和感を払拭するために行うのが推敲です。自分に正直であったからこそ書いたものに違和感をもったはずですし、それを推敲して手直ししようとするのも自分の正直な思いを伝えたいからだと私は考えています。ものを書くときは、知らず知らず自分に正直になっているようなのです。

 推敲は、ものを書くときに誰でもすることで、特別なことではありません。が、推敲するときには自分でも無意識でやっているあることに気づきました。書いたものに違和感があったら、書き手の目から一旦離れて読み手の目で読み返し、さらに別の読み手を意識しながら書き直していることです。つまり、推敲するには第三者が校正するような目になり切ること、言い換えれば客観的に見ること・書くことが欠かせないのです。

 さらに重要なことは、第三者の立場で客観的に見ようとすると、“自分に正直に” ならざるを得ないことです。客観的観点だからこそ違和感を催した原因が何かを冷静に突き止められ、その結果、心のしこりの氷解とカタルシスとが一挙両得の大団円となれるのだと思います。

 つまり、第三者の立場で客観的に推敲するからこそ内省が深まり、一層 “自分に正直になれる” のです。“自分に正直になる” は生き方の目標であるばかりでなく、自分を離れた第三者の立場で客観的にもの事を見るためにも不可欠なもの、と思い知らされました。

 言うまでもなく、ものを書くときは記憶機能をフル回転させ、記憶のネットワークを最大限刺激しなければできるものではありません。話すこともこの点では同じですが、書くことと決定的に異なるのは推敲ができないことです。何度も読み返し・書き直しができるのは書くこと以外にありません。

 今さらながら、ものを書く行為がつくづく客観的なものの見方・考え方の鍛錬の場と思えてきます。“言語化” がものを書くことに特化され、認知行動療法の一つとされる所以が納得できました。

 アルコールで障害された記憶機能の回復にこれ以上のリハビリ療法があるでしょうか。私はこれらのことが “言語化” の効用の神髄だと考えています。
 「回復には書くのが一番!」専門クリニックの院長が語ったこの言葉がすべてを言い尽くしています。


 余計なことながら、最後に一言。文章を推敲するには何が書いてあるのか認知する能力と最低限の国語力が必要となります。とすれば痴呆状態のアルコール性認知症まで進行した人にはできない相談です。それが「・・・どうしても不可能な人はまれにいる」という意味かもしれません。ブラックアウトを経験している人は、手遅れにならないうちに是非とも酒とは縁を切りましょう。


“言語化” については次の記事もご参照ください。
自助会AA - 認知行動療法“言語化”の実践道場(下)
回復へ - アル中の前頭葉を醒まさせる


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自助会AA ― 認知行動療法 “言語化” の実践道場(下)

2016-08-26 08:18:42 | 言語化
 “言語化” とは、書くことを通じて自分の本質を見通すこと、すなわち自己洞察に導いてくれる有力な手段の一つと考えられています。記憶を総動員して的確な言葉を探し出し、自分の性格や思考様式、感情傾向、物事の認知の特質などを凝縮した言葉で自己表現する理性的作業のことです。今回は、自助会Alcoholics Anonymous(AA )のミーティングもこの “言語化” を鍛錬する場ではないかと考える所以を述べてみます。着目すべきは、記憶の総動員と論理立てが不可欠だということです。

 AAのミーティングの始まりは、試験の開始に似たところがあって緊張感が伴います。テーマが告げられるとすぐに、思い当たる節がないかあれやこれやと記憶を辿ることになります。今でこそ、司会者の体験談がテーマのヒントとして筋が良いとか、今一つかなどと批評するゆとりも出て来ましたが、参加したての頃は半分上の空でした。

ミーティングでは記憶の総動員が必要です

 ご想像通り、指名に備えて自分の記憶探しに没頭していました。テーマによっては、すぐに目星が付く場合もありますが、大抵は想像以上に時間がかかるものです。普通5分程で司会者の体験談が終わります。その間にテーマに相応しい思い出の掘り起しと、話の切り出しがどうにか準備できる、これが当初の定番でした。他のメンバーに確かめてはいませんが、初心者なら誰でも似たようなものではないかと思っています。

 このように、ミーティングでは自分の記憶探しに相当の集中力を要します。また、この集中した余韻は、メンバーの体験談を黙想したまま聴く段になっても続きます。目星がついた自分自身の思い出と、メンバーの体験をついあれやこれやと照らし合わせてしまうのです。テーマが決められていることといい、静かに黙想したままといい、AAのミーティングは思索環境として申し分ありません。体験に裏打ちされた生々しい言葉は埋もれた記憶をチクチク刺激し続けます。

 喉元まで出掛っても的確な言葉とならないもどかしさは誰でも経験アリと思います。アルコール急性離脱後症候群(post acute withdrawal syndrome:PAWS)で度々触れたのですが、意図した言葉がなかなか思い浮かばない異常(な状態)を想起障害といいます。断酒後のアルコール依存症者は相当長い期間これに悩まされ続けます。アルコールが遺した厄介な置き土産です。

 もどかしさで悶々としている最中、思いあぐねていた言葉が耳に飛び込んできたらどうでしょう。その途端、「あっ、これだ!」光がピカッと閃き、モヤモヤしていた蟠(わだかま)りが一気に晴れてしまいます。ミーティングでよく経験することです。モヤモヤしたもどかしさがスッキリ解消し、何とも言えない充足感と爽快感で満たされます。そして、件の言葉はしっかり記憶に残るものです。

 その逆もしかりです。知っているつもりの言葉でも、今一つ意味がはっきりしない場合があります。“生きづらさ” などがその好例ですが、メンバーの話で言葉に具体的な肉付けがなされ、腑に落ちてくることもあります。このような場合も上と同様に充足感に満たされるものです。

話すことは聴くこと以上に記憶を総動員しなければできません

 複数の言葉を論理立てて話(文)に仕立て上げるなどは、脳をフル回転し記憶を総動員しなければできないことです。それが体験談なら尚更です。そんな状態だからこそ、思わず口走った言葉が胸の奥に隠していた本音だったとしても不思議ではありません。「私は上昇志向が強く・・・」と思わず口を滑らせたことがありました。自分の言葉にビックリし、同時に肩の荷が下りたと感じられました。上昇志向が強いなどと人前では決して口にすまいと決めていたのに、勢いで出てしまったのです。この経験以降、隠し立てしても無駄で、正直に話すしかないと思えるようになれました。これなどは隠れて(隠して?)いた記憶が明るみに出た好例と考えています。

 発言する際、聞き手の批判や批評を気にしなくてもよい “言いっぱなし 聞きっぱなし” はミーティングの大きな長所です。一見、独り言を声に出すだけともみえますが、頭の中で堂々巡りばかりの独り言とはまったく違います。聞き手を意識して話した言葉は耳で確認できます。書いた言葉を目で確認できることと同様、外向けの論理立てを理性的に確認できるのです。話しの筋が逸れたり、話が飛んだりしても気にする必要はありません。実質的に論理立てした内省の時間ということに違いはありません。自分自身との誠実な対話に集中すべく心掛けることだけが大切です。モヤモヤした気持ちの整理がつき、肩の荷が下りること請け合いです。

ミーティングで経験するこのような一連の感覚は、ブログの原稿作成中に度々経験する感覚と共通します

 ブログの原稿作成中には、嫌というほど想起障害に度々襲われます。そのもどかしさといったら比類ありません。類似の言葉は次々飛び交うのですが、肝腎の言葉が出て来ないのです。その目当ての言葉が不意にパッと閃いたときなど、自己表現が実現できたというか、大仰ながら承認欲求が満たされた心境になれます。承認欲求は自己表現したいという欲求と表裏一体の関係にあるので、当然といえば当然です。カタルシスという言葉が、このときの感覚を表現するのにピッタリでしょうか。

 書きことばは話しことば以上に頭を使います。書きことばには書きことば特有の文法があり、それに厳格に従わなければ意図を正確に伝えることができません。話しことばの特徴は、最も伝えたい言葉が先に出てしまうことですが、このやり方を書きことばでそのまましてしまうと必ずと言っていいほど意味が通じません。書きことばには、読点の打ち方や、修飾語同士の順番に厳格なルールがあり、その上で明解な論理立てが要求されるからです。

 記憶の総動員にしろ、文法を厳守した論理立てにしろ、書くことの方が圧倒的に脳(前頭葉)をフル回転させることが必要で、それがなければ書けません。“言語化” で自己洞察に至るのは、何度も何度も自身に問いかけ吟味に吟味を重ねる思考プロセスの成果だと思います。それだけに “言語化” は書く作業そのものだと考えられてきたのでしょう。

ミーティングの場もカタルシスをもたらしてくれます“言語化” が授けてくれる即席の御利益です

 ところで、ミーティングで耳に入ってくる言葉は、機会の多さといい、ヴァリエーションの豊富さといい、その力強さは圧倒的です。自力で記憶を呼び戻そうと四苦八苦しているところに、外から生々しい言葉が次々援軍として送られてくるのですから質量ともに申し分ありません。たとえ半分意識が抜けてボーッとしていても、印象に残る言葉はしっかり頭に入ってくるのも道理です。

 埋もれた記憶を探して集中することといい、言葉に反応して喜びを感じることといい、ミーティングの場は、書くことに劣らず脳に適度な刺激と快感 ― カタルシスを頻繁にもたらしてくれます。カタルシス、これこそまさしく “言語化” が即席で授けてくれる御利益ではないかと私は考えています。ミーティングに出席し続けている内は酒が止まると聞きます。これもカタルシスという即席の御利益のお蔭なのかもしれません。

私はこれらを踏まえ次のような仮説を立ててみました

 前頭葉は長期記憶の保管庫の一つです。カタルシスという即席の御利益を最も多く受けるのは前頭葉だろうと仮定すると、繰り返されるカタルシスの刺激が前頭葉の機能を活性化し、その結果、記憶のネットワークが徐々に回復へ向かうものと考えられます。その過程で繰り返されるのが様々な自己洞察であり、いわゆる回復という心境はその積み重ねが自然に導いてくれるものではないか? これが私の仮説です。繰り返し繰り返しの実践が稽古と同じと考え、私はミーティングの場を “言語化” の実践道場と呼ぶことにしました。

 自己洞察は医療関係者が口にする言葉で、アルコール依存症者が口にすることは滅多にありません。ミーティングで聞く体験談では、代わりに “気づき” という言葉が頻繁に出て来ます。自己洞察できたということが、“気づいた” という言葉で表現されているのです。

 上述したように、“気づき” を積み重ねた先にあるのがいわゆる回復という心境だろうと考えています。AAの『回復のプログラム』では、12のステップを順に踏んでいると途中でも「・・・心の落ち着きという言葉がわかるようになり、やがて平和を知る。・・・かつては私たちを困らせた状況にも、直感的にどう対応したらいいのかが分かるようになる」としています。これらは究極の達成目標、すなわち回復を意味しています。自分がどういう状況に置かれているかが瞬時に察せられることでもあり、AAでは “ハイヤーパワー(自分を越えた大きな力 / 神)” が導いてくれるものとしています。

 私が通う専門クリニックでは、回復のイメージをリラクセーション(relaxation:復元力の高まった柔軟な状態)としています。些細なストレスでも凹まず、先の見えない不安にも怯えない、復元力に富んだしなやかな心という意味と解し、私は “平常心” こそが最も相応しい言葉と考えています。“平常心” は精神的に鍛錬しさえすれば誰でも到達できる心境で、元々人に備わっているものという考えからです。(意図して遮二無二身に着けようと頑張っても、出来ない相談のような気がします。)ちなみに私は、AAの言う “ハイヤーパワー” とはヒトが生まれながらに持っている自然治癒力のことだろうと考えています。

 最後にAAの長所を改めて列挙しておきます。
  ● 氏素性を明かさなくてよい匿名性
  ● 献金だけで自主独立した運営 
  ● テーマが設定されていて集中しやすい
  ● “言いっぱなし 聞きっぱなし” で批評・批判を気にしなく
    てよい
  ● 聴き手が経験者同士で理解してもらいやすい


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リハビリのつもりが何時の間にか趣味に・・・

2016-01-08 08:34:51 | 言語化
 このブログへの投稿は週1回の頻度で行っています。毎日投稿できているブロガーをみていると羨ましくて仕方ありません。記憶障害と想起障害に苦しむ私としては、どうしたらこんな風にいともたやすく出来るのだろうと悩ましい限りです。

 私の場合、一昨年の9月(断酒11ヵ月目)からブログを始めていますから、今回で73回目の投稿ということになります。毎回の投稿作業はテーマかモチーフが閃いたときがスタートです。テーマやモチーフが閃いたとしても、浮かん来るのはおおよその趣旨だけで、論旨展開は思いつきそのままの乱雑そのものです。ですから、最初の2~3日は論旨展開の組み立てと、主だった言葉の肉付けに費やします。残る3~4日かけて論旨展開の再考と言葉の吟味ということになります。それでも初稿はかなり粗雑なものでしかありません。適切な言葉や表現が浮かんで来ないために、もどかしい思いのまま何日間か待つだけのことも少なくありません。

 そもそものブログに手を染めることになった切っ掛けは、アルコール依存症専門クリニックの教育プログラムでした。断酒を決意し、回復に向け飲まない生き方を続けようとするなら、酒害体験を忘れないことが絶対に必要だというのです。さらに、アルコール依存症者は、他人に認められたいという “承認欲求” が殊の外強く、その欲求不満が難題ともいわれました。

 それらの課題解決にヒントを与えてくれたのが患者仲間の体験談でした。専門クリニックでは週一回、患者仲間の体験談を聴く定例会があります。その定例会で、自分史を書いてみようと語った患者仲間がいたのです。自分史(?)、その話を聴いてこれだと思いました。自分史を綴ることは、酒害体験すべてを記録として残すことになり、それを人に読んでもらえるようブロブに投稿すればよいのではないか。回復へのリハビリとしてピッタリで、まさに “一石二鳥” だと考えたのです。私の職歴からいっても、文章を書くことに何ら抵抗はありませんでした。

 実はかつて、私自身も定年退職後には自分史でも書いてみようかと思ったことがありました。ただ、自分史などという厖大なものを書き続けるには、芯となるモチーフが欠かせません。何をモチーフとすべきか分からないまま、定年退職を迎えてしまいました。

 繰り上げ返済を続けたお蔭で、58歳で住宅ローンを前倒しで完済できていました。息子二人もそれぞれ独立できていました。墓地も住いの近くに購入済みでした。年金と預金の蓄えで、無理して働かなくても老後の生活はどうにか暮らせそうでした。二度目の狭心症も経験しました。これといって定年退職を機にやりたいことはありませんでした。・・・ 最早やるべきことがなくなっていたのです。こんな状況ですから、勢い無聊を酒で紛らわすだけ、そんなサンデー毎日に一直線となりました。自分史を書くなど、どこかに吹き飛んでしまっていました。

 こうしたわけで、専門クリニックの定例会で語られた患者仲間のアイデアは渡りに船でした。サラリーマン現役時代のいやな思い出はいつでもアルコール絡みでした。アルコール絡みの、マイナス感情に囚われた生き様をモチーフにするのなら、自分の半生を綴るのにピッタリだと思ったのです。

 それと同時にか、暫くしてからかは忘れましたが、私と同様にアルコール問題に悩んでいる多くの現役世代のことについても考えました。恐らく本人自身は気づかずに、またたとえ薄々気づいていても、誰にも悩みを打ち明けられずに独り悶々と苦しんでいるに違いありません。

 “一人で抱え込むよりも(周りを)抱き込む” 仕事の効率を上げるためにも、精神衛生の上でも、仕事の流儀として最善の策と考えています。この仕事の流儀をアルコールの悩みにも応用して貰えたら、少しでも人の手助けとなれるかもしれないと考えたのです。アルコール問題は、一人で悩んでいても、独力では決して脱することが出来ない問題です。私の体験が、一人でも多くの人を救えるきっかけにでもなってくれれば、・・・そう考えました。

 ブログへの投稿を決行したのは、憑きモノが落ちたと実感してからのことです。体験談を聴いて自分史を思い付いてからというもの、酒害体験を書き溜めてはいたのですが、アルコールの軛が投稿の決行を邪魔していたようにも思えます。謂わば正気に戻ってみて初めて、アルコールの軛の諸々に気づかされたと言った方がピッタリかもしれません。書き始めて間もなく、次のような原則を守るように心掛けました。


 ○ 事実関係の客観的な記録を残すことを優先し、単に感情を吐露
   する場にはしない
 ○ 常に “なぜ?” 、“本当?” と自分自身に問いかけながら書く
 ○ 書いた言葉がそのときの気持ちや考えに合致するまでとことん
   表現にこだわる


 自分に正直に向き合い、自分が思っていることを出来るだけ掘り下げてみようと考えました。そのために書く分量の目安は、毎回A4サイズでおよそ2ページ半(約3600字)を原則にしています。原則とは8割方守られることを意味します。もちろん例外もアリ・・・です。

 「話すことや、書くことこそが、考えることそのものだ」と言った人がいました。声にして出すか、文字に書いて目に見えるようにするか、とにかく一度自分の外に考えを出してみることが大事だと言っているのだと思います。

 私は、このことが “言語化” だと理解しています。考えが、自分の頭の中だけで堂々巡りをする ―― このような循環思考のままでは、たとえ考えているつもりでも何も生み出しません。一旦言葉にして外に向かって発し、自分から離してみなければ、悶々としたまま澱のように溜まっていくだけです。書くということは自分自身との対話です。決して循環思考ではありません。

 アルコール依存症者は二者択一的な白黒思考に支配され、認知の歪みが指摘されています。“言語化” は認知の歪みに焦点を当てて、認知を修正しようとする認知行動療法の一つです。“言語化” には、前頭葉を活性化して海馬との連携を深め、アルコール依存症からの回復を促す効用があるとも考えられています。

 アルコール依存症から回復に導くもう一つの鍵は、生活の “秩序とリズム” の維持にあると考えています。ブログへ投稿を始めるようになって、投稿することが一週間の生活サイクルの構成要素となり、さらに一日の一定時間をブログの原稿作りに費やす毎日となりました。ブログ作成が生活リズムの一端を担うまでになったのです。

 アルコール問題からのリハビリを目的の一つとして始めたブログのはずですが、いつの間にか趣味としても無くてはならないものに変わっています。アルコール依存症になっていなかったなら、ブログへの連載など想像すらできないことです。アルコールに溺れたせいで死の縁まで経験しながら、その置き土産を糧に実りある第二の人生を歩む ―― こんな皮肉なことってあるのでしょうか?

 記憶障害や想起障害については、ブログに投稿するようになって、その深刻さを実感させられました。

 公表し始めて改めてその酷さに気づかされました。原稿作成は毎回が難義の連続です。が・・・、書いている分には読み直し、書き直しが何度でも可能ですから、まだ対処の仕様があります。読み直しを繰り返して書き直してみても、まだ言葉に違和感が残ったままのこともあります。そんなときにはどうしたものか途方に暮れるのですが、・・・。

 “熟成には時間をかけて寝かすもの、想い続ければ言葉もそのうち浮かぶもの” ・・・と自分に言い聞かせています。これが、私が言うところの “言語化” 作業です。



“言語化” については以下の二つの記事もご参照ください。
“心の落ち着き(serenity)が分かる”
 http://blog.goo.ne.jp/19510204/e/4b907543497d4fdd39a81ff727208335

“回復へ―アル中の前頭葉を醒まさせる”
 http://blog.goo.ne.jp/19510204/e/ddae0e4381793bed7cd7607a548fe937

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“心の落ち着き(serenity)”が分かる? (言語化入門)

2015-03-06 22:01:45 | 言語化
 己を知るとは自分の過去と対話することです。断酒の誓いを破って再飲酒などしないよう、今の自分に出来ることは自分の酒害体験と向き合うことしかありません。自分の過去と対話することでのみ、移ろいやすい心の反応パターンを知ることができると思うのです。

 手がかりはマイナス感情にあります。怒り、羨(うらや)む、悔しい、(自分が劣っていて)口惜(くちお)しい、蔑(さげす)む、憎む(い)、呪う、恨む、嫉妬(妬み、嫉み)などがマイナス感情と言われるものです。マイナス感情の標的が誰で、その原因やキッカケ(契機)が何だったのかを知ることが鍵になります。

 マイナス感情の原因は大抵記憶の中に埋もれたままなので、なかなか思い出せないものです。どうも無意識に隠しているようなのです。それを掘り当てると不思議に心の落ち着きを取り戻すことができます。

 備忘録としての酒害体験や、それを発展させた自分史を叙述するようになって、私は取り憑かれていた妄想から解放されました。私が実践した方法をご紹介します。

 以下が私の採った方法です。書き初めには、酒にまつわる出来事のうち、比較的強く印象(記憶)に残っている思い出から始めるのがよいと思います。

 先ず、思い出した出来事そのものを書いてみてください。5W1H、特にWhy(なぜ?)を意識して、場面を描写し物語風に叙述してください。物語風の叙述の方が心の動きを的確に表現するのに好都合だからです。

 ひとつの出来事について書き出すと、あんな事もあった、こんな事もあったと、それにまつわる事柄が次から次へと溢れるように思い出されてきます。消えて居なくなればいいのにとか、ぶっ殺してやりたかったとか、酒にまつわる思い出には物騒な話題が多いと思います。恐らく、何処かにこの思いをぶつけたいという、遣り場のない気分が絡んでいたことでしょう。それも書き綴ってください。

 満足いく言葉や表現が直ぐに浮かび出て来ることはむしろ稀です。どこかが違う、何かがシックリしない、その違和感を大切にしてください。記述したものがその当時に抱いた(と思う)気分と合致しない場合は、意図とは違った言葉や表現を用いた可能性が高いと思います。違和感がなくなるまで言葉と表現に拘ってみてください。

 私の場合、ひとつの言葉を絞り出すのに2時間以上かかったり、1週間ぐらい経ってから歩いている時などにポッと浮かんで来たりしたことが何回もありました。私たちの脳は、歩くなど動いている時の方が活発に働くようなのです。修飾語の言葉が不適切だったり、修飾語の順番が逆だったりしたことが違和感の原因のこともありました。

 言葉と表現が当時の気分とシックリ合致すると、「うんコレだ、アタッタ」と分かるものです。突然謎が解けたときに経験する、頭の中がピカッと光る感覚と、何とも言われぬ至福感とが味わえます。

 この時、心の奥底にあったモヤモヤ(ザワザワ)した重いものが少し消えてスッキリしたことに気付くはずです。そのモヤモヤ(ザワザワ)した重いものこそが、あなたが無意識のうちに悩んできたものかもしれません。言葉となって眼に見えた瞬間がアタッタ感覚なのです。

 このアタッタ感覚はとても大切です。この辺でいいやと中途半端に妥協したり、そこそこに繕ったり、外聞良く装ったり、触れたくないから書かなかったり、果ては全く触れないでいたりすると、このアタッタ感覚は得られません

 中途半端に妥協せずに、満足いくまで徹底的に吟味し、目指す言葉を的確に捕まえることです。自分の本心を誤魔化し、正直になれないままでは、心の奥底にあるモヤモヤ(ザワザワ)の正体を暴くことはできません。自分の思いを形にできるのが言葉です。自分の悩みや妄想の正体を暴けるのも言葉です。

 言葉と表現に満足できたら、当時の表現にモヤモヤ(ザワザワ)していたものがマイナス感情に因るものだったと気付くはずです。特に、感情のベクトルが他人だけに向かう嫉妬(妬み、嫉み)には注意してください。人間は皆平等という偽善の裏表の感情で、“おもしろくない” ときの典型的なマイナス感情です。心の奥底に隠したままでいたい澱のように重い感情です。

 酒にまつわる出来事を正直に叙述することは自分の体験を客観化する作業です。当時の心の動きも客観的に把握することになります。数多くの酒害体験を叙述すればするほど、それだけ自分の心の反応パターンが明らかになります。

 心の反応パターンがわかって来ると感情のコントロールも可能となってきます。現在の心の動きを知る道標は、過去に体験した心の動き方を知るしかありません。どのような状況で、苛立ちや不安、遣り場のなさ、気持ちの空回りなどに襲われたのかがわかれば、それに備えることも出来るのです。

 これらの感情に襲われたときに、つい酒に手が伸びたことは経験済でしょう。飲酒へと誘うのは “おもしろくない” 心です。そこから湧き出すのがマイナス感情で、性格の現れでもあります。

 その正体が目に見えたとき、心が晴れ晴れし、 “心の落ち着き”  がわかります。これが体験を叙述するという客観化の効用です。この時の心境は、断酒3ヵ月以降の一時期に経験する見せかけの回復期と似てはいますが、その頃の明鏡止水のような心境とはちょっと違います。大概のストレスや変化に対応できるしなやかで平穏な心、即ち平常心(serenity)のようなのです。

 酒にまつわる思い出一つひとつの客観化を進めると、相互の出来事の間に関連性が見え始めてきます。そうしているうちに、アルコール依存症に陥ったことをモチーフに自分史を書いてみようと思い立ちました。後になってわかったことは、これこそが “言語化” で、認知行動療法の一つだということです。自分史を書くということは “言語化” の実践そのものです。
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 頭の中でぐるぐる考えるだけでは片っ端から忘れてしまい、むしろ心に重い澱が溜まっていくだけです。酒を飲んで一人で不平・不満をグダグダ愚痴っても、その不平・不満が解消できた思い出が一つとしてありません。

 患者自助会で体験談を語ることも、まさに客観化の効用が期待できることだと考えています。仲間に体験談を語ることも、逆に仲間の体験談を黙って聞くことも、共に自分の奥に埋もれた過去を探っていることになるのです。

 話しっ放し、聞きっ放し、その場限りの他言無用のルールのお陰で、正直に話しているうちに予期しない事柄(意識に上っていなかったそもそもの起因など?)までも思わず口をついて出ることがあります。

 仲間の体験談に反感や妙な引っ掛かりを覚えることもあります。体験談が眠っていた記憶をチクチク刺激して来るのです。まさにアタッタ感覚と同じで、自身の奥に隠された悩みや妄想の尻尾(しっぽ)を捕まえるチャンスとなります。

 話し手と聞き手が共に同じ依存症者であることも長所だと思います。同じ病の患者同士ですから、それぞれの体験が肝腎のところで共通する部分が多いのです。“仲間は生きている鏡” と表現した人がいました。言い得て妙と思います。

 繰り返しになりますが、声に出して聞き手に話をすることや、文字を書いて叙述するには筋道を立てる論理的思考力を要します。言葉によって、悩みや妄想を論理の世界に引っ張り出して客観化することで、心に “落ち着き=秩序” を取り戻すことが出来ます。秩序ある心は安定します。私はそのお蔭で、今では他人と話すときに冗談や軽口をたたけるようになり、笑いを誘って会話が弾むようになりました。

 食欲、睡眠欲、性欲と並ぶ人間の根源的欲求に承認欲求があります。承認欲求は自分のことを理解されたい、周囲に受け入れてもらいたいという欲求のことです。アルコール依存症者は承認欲求がとても強いと言われています。誰も相手にしてくれないので自分は疎外されていると、いつも孤独感に苛まれています。

 承認欲求の解消には自分に相応しい自己表現の手段を持つことが鍵だと言います。絵を描くことや、作詞や作曲をすることもいいでしょう。回復期にあるアルコール依存症者として、私は自分史を叙述することを選びました。体験記をブログに投稿することで自己表現の場が得られ、私のブログを読んでくださる方もぼつぼつ現れるようになりました。ありがたいことです。


“空白の時間(とき)”と折り合う』、『回復へ―アル中の前頭葉を醒まさせる』も併せてご参照ください。

「アルコール依存症へ辿った道筋」シリーズは私の体験を綴った自分史です。こちらも引き続きご贔屓に!


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