ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

AAの言う “神” とは?

2017-09-29 07:20:05 | 自助会
 同病のブロガーがこんなことを書いていました。
「(AAの)“神”という言葉、概念に拒絶反応を起こす人は多い」。
私もこれには同感で、AAに参加したての頃は強い違和感がありました。

 AAは米国で生まれたアルコール依存症(アル症)者の自助グループです。国民の大多数がキリスト教という一神教を奉じる精神風土ですから、神という言葉・概念にはあまり抵抗がないと思われます。その一方で、一神教に息苦しさを感じる人もいて、AAの創始者のビルもそんな一人だったようです。

 アル症者は、大なり小なり何か事あるごとに自分にはできるはずという強い思い込みの持ち主で、自分の思い通りにならないことに我慢ならず、気を紛らわすためお酒に走った人々です。そのお酒についても、自分でコントロールできるハズと思いつつ、飲み続けた結果がどうにもならないアル症だったという体たらくなのです。

 かくも傲慢を絵に描いたようなアル症者ですから、唯一、神だけが全知全能であるとする一神教の精神世界に息苦しさを感じても不思議ではありません。神の教えに背いて罪を犯したら罰が当って地獄に落ちるのです。アル症者は飲酒に罪悪感を持ち、罪を犯している後ろめたさをいつも引き摺っています。そんな後ろめたさを引き摺っている息苦しさは推して知るべしなのです。

 こんなアル症の人々に、回復のためとは言え神の概念を持ち込むのは両刃の剣になりかねません。それでも神を持ち出さざるを得ない奇蹟か何かあるのでしょうか? 確かに飲まない生き方を送っているAAのメンバーからは、本人が奇蹟と思わずにいられなかった体験談がよく聞かれます。

 何をやってもどうにもならなかった酒がAAに繋がったことで止まった。あるいは、AAに繋がったお陰でアルコールが完全に脳から抜け、長年煩わされてきた脳のシビレ感が消え失せた、等々。私などは、これらとは別に “憑きものが落ちた” とも言うべき、物の怪のような性的妄想が綺麗さっぱり消え失せたという体験もしています。

 これらの体験の後、“楽になった” これが皆異口同音に語った言葉です。このような体験は、今まであったものが突然消えたということなので、異次元の現象即ち奇蹟と言ってもいいものでしょう。いかにも神の存在を思わずにはいられない摩訶不思議で神秘的な体験なのです。

 これら奇蹟と思われる出来事の頻発が “神” を想定した理由だったのでしょうか? 恐らく、これもその一つだったのでしょう。ここでもう一つ考えておかなければならないことがあります。ミーティングの場で得られるなんとも言えない清浄な心地よさです。

 アル症者にはアル症者でなければわからないことがあります。言いっ放し・聞きっ放しがルールのミーティングで体験談を聞いていると、時に様々な “気づき” が得られ、それがカタルシスとも呼ばれる清浄な気分にさせてくれるのです。

 “気づき” とは過去の出来事(思い出)の意味合いを悟ることですが、こんなとき神が身近にいると感じても不思議ではありません。飲酒が続いていたときでも、ミーティングに出た日だけは酒が止まったという話はこの文脈ならよく理解できます。

 私がAAに繋がって正味丸3年半が過ぎました。その間、神を彷彿させられたエピソードは上に挙げた2つしか思いつきません。

 正直に言えば、奇蹟と思われた出来事は神の奇蹟という宗教的なものではなく、実は自然治癒力の賜ではないかと私は考えています。清浄な気分になれるのも、目的意識が一致している集団ならではの、アル症者同士の共同体に特異なことかもしれません。どちらも神ナシでもあり得る話と考えています。

 私はAAの『回復のプログラム』12のステップを実行するのに神が不可欠とは考えていません。敢えて非難囂々を覚悟で言えば、窮余の策としての方便が “神” だったのではと不埒なことさえ考えています。

 AAの基本的な教えは次のような生き方の勧めと私なりに解釈しています。

― 自分でなんとかしようとする古くからの思い込み(固定観念)を
  捨て、先行きについては自然の成り行き(神)に “お任せ” し
  て生きていくこと

命運を “お任せ” する相手が大自然というのでは拍子抜けして潰しが効かないので、多くの人々に違和感のない “神” とした、私にはこう思えて仕方ありません。

 “自分なりに理解した神” という概念も、誰にでも受け容れやすいものとして担ぎ出されたものと考えています。“神” が大自然の摂理や八百万の神々であってもいいのです。(どちらも包容力ある自然崇拝という点では同じと思え、私たち日本人にはピッタリです。)

 大自然には摂理があるを信奉する私としては “ハイヤー・パワー” という言葉の方がむしろシックリするぐらいです。 いずれにしても 
“信じる者は救われる”。 誰にでも当てはまる言葉です。



いつもお読みいただき、ありがとうございます。
ランキングに参加中です。是非、下をクリックして順位アップに応援お願いします!
クリックしますと、その日の順位が表示されます。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ
    ↓      ↓
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

これぞ敬老の日

2017-09-26 07:46:36 | 雑感
 敬老の日、ゴミ拾いの途中で一人の老人から声を掛けられました。
 
「いいことやってるねぇ、お陰で歩いていて気持ちがいい! 旦那さん、ご自身もやっていて気が晴れるんでしょうね?」
「ええ、目障りなゴミがあってはどうにも落ち着かなくてねぇ。・・・実はゴミ拾い、糖尿病にもいいんですよ。」
「そうそう、精神衛生上いいんだよねぇ。溝(どぶ)さらいをやっている人が同じことを言ってましたよ。精神衛生上とてもいい、とネ。終えた後の一杯が堪らなく美味いって・・・。」

 糖尿病を飛ばされたのにはガッカリでしたが、“精神衛生上” はドンピシャリで嬉しくなりました。
「まったく同感です。・・・お元気そうですが、お幾つなんですか?」
「85歳。これでも中国からの引き揚げ者なんです。」肌につやがあり、とても85歳には見えませんでした。
「ほぉ、お若く見えますね。満州ですか?」
「そう、満州・・・」と言ってこんなことを話してくれました。

 よく聞く引き揚げ者の悲惨さは、敗戦となって引き揚げが決まった後ことで、周りの人々の態度がガラッと変わり、老人も言葉にできないぐらい過酷な目に遭ったそうです。老人の父親はそれまで警官をしていて結構よい暮らしぶりだったと言い、当時の内地よりも遙かに快適な生活だったようなのです。

「そうらしいですね、新聞の特集記事で知りました! 満州の都市部で生活していた人は内地よりも暮らしぶりが良かった、と。その一方、奥地に入植した開拓団の人々は全く逆の暮らしぶりだったのでは・・・?」
「開拓団・・・か!? そう言えば妹を埋葬したとき、墓地の仕切りの片隅で若い母親が赤ん坊を抱いたまま亡くなっていたんです。外は -30℃ですよ! 遺体はカチンカチンに凍っていました。・・・」老人の目は遠くを見つめているようでした。

「今日は旦那さんに会えて良かった。開拓団を思い出させてくれてありがとう!」老人は今に至るまで心の奥に蟠りを抱えていたようでした。
私の言葉が心の整理を付ける手がかりとなったなら望外の喜びなのですが・・・。
「ところで、旦那さんはお幾つ? そう、66歳・・・健康そのものに見えますよ!」

 私をもっと年寄りと思っていたようです。ゴミ拾いが糖尿病に良いと言っても受けなかったことと言い、見た目より若いと言ってもらえなかったことと言い、期待していただけに私としては肩すかしを食らった気分でした。
“一日一善” ができたと見なし、まぁ善しとしましょう。



いつもお読みいただき、ありがとうございます。
ランキングに参加中です。是非、下をクリックして順位アップに応援お願いします!
クリックしますと、その日の順位が表示されます。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ
    ↓      ↓
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヒゲジイのブログが開設して丸3年経ちました(下)

2017-09-22 06:30:54 | 病状
 この3年をざっと振り返ってみると、何のことはないその時々の “気づき” を肉付けして記事にしてきただけの話です。

 最近はハッとするような “気づき” の機会が少なくなりました。
「(これは以前も記事にしたことがあるのでは?)」という事例が多くなっています。ピリッとした頭の冴えも少なくなって、どうやら老人ボケで感性が鈍くなったようなのです。

 加えてこんな悩みもあります。現役時代は簡単にできたことなのに、今では記事原稿を一気に書き上げることなどできなくなりました。いざ書こうとした瞬間、さまざまな文案が飛び交って収拾がつかなくなるのです。

 これは思考プロセス障害のせいと思い、先日専門クリニックの S 先生に尋ねてみました。
「それは老化のせい」と S 先生はニベもありません。続けて
「思いついたら箇条書きにして行けばいいんです」とアドバイスをくれました。
「(やはり S 先生も同じなんだ!)」私は二重の意味で納得してしまいました。

 長い文章を要約する際、段落ごとの要旨を箇条書きにしますが、書くときはこの方法の真逆をやればよい、というのが S 先生のアドバイスです。思いついたキー・ワードを箇条書きにして行き、それらを元に論旨展開を考えて肉付けして行く方法です。実は私もこの方法でやっているので同年代の S 先生の意図がよくわかりました。

「一文を書いてみなければ何も始まらない」これがすべてです。
後は一旦考えを寝かせ、具体的文章イメージがふつふつと湧き上がって来るのを待つだけです。何事もやってみなければ何も始まりません。

 ご覧のように私のブログには写真も動画もなく、文章だけの地味な記事です。それにもかかわらず多くの方々に読んでいただいています。こんな有り難く幸せなことはありません。

 言葉は使わなければ忘れるだけです。これからもボケの進行抑止のため日々原稿執筆に励んでいきたいと思っています。
(この項おしまい)



いつもお読みいただき、ありがとうございます。
ランキングに参加中です。是非、下をクリックして順位アップに応援お願いします!
クリックしますと、その日の順位が表示されます。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ
    ↓      ↓
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

酔っ払いの酒臭さ

2017-09-19 06:45:17 | 病状
 先日のAAのミーティングでのことです。テーマとされた “今日一日” について話していたとき、成りゆき上、日課にしている道のゴミ拾いについても触れることになりました。

「最近こそ少なくなったんですが、初めの頃はよく酒の飲み残しに出くわしたものです。ビンや缶がベンチや塀の上などにちょこんと置かれ、中身はほとんど飲まれてないままでした。もったいない(!)と一瞬思ったものの、心を鬼にして中身を道にぶち撒けました。
 酒ってクサイんですヨ! ドボドボッと一気に道に撒くと、辺りに何とも嫌な臭いが・・・クサイっていったらありゃしません。よくもこんなクサイのを有り難がって飲んでいたものだ(!)と思ったものです。
 迂闊な話ですが、そのとき初めて気づいたんです。これって酔っ払いの酒臭さと同じだ(!)・・・とね。」
こんな話に会場は大爆笑。素面(しらふ)でいる今、皆さんにも心当たりがあるようでした。

 道に撒いたばかりのアルコールの臭さは文字通り目から鱗でした。純度の高いアルコールにはツンとした刺激臭があり、私は今でも嫌いではありません。普通のアルコール飲料も、容器の狭い注ぎ口やグラスなどから漂う匂いは馨しいものです。酒好きな私ですから、アルコールはそんな馨しいものだとずっと思い込んでいたのです。

 ヒトは元々身近な臭いに気付かないよう出来ているそうです。アルコールは嗅覚も麻痺させるそうですから、酔っ払うと一層自分の酒臭さに気付けなくなるのです。思い込みのせいとは言え、酒を道に捨てたお陰で酒臭さに気づけたとは我ながら迂闊でした。

 ミーティングで聞く体験談では、朝寝起きに酒を飲んでから出勤したなどという信じられない武勇伝が出て来ます。酒臭さは飲んでいない周りの人には誤魔化しようのないものですが、酒を飲んだ張本人には自分の臭さがわからないのです。

 酔っ払い同士なら、お互い酒臭さが気にならないのも同じ理由からです。ヒドイ二日酔いも同じこと、知らぬは自分ばかりなりで「ワッ、クサー」と言われるのがオチです。まさしく “臭いもの身知らず” なのです。
         *    *   *   *   *
 ところで、大便臭やオナラの原因物質とされるインドールやスカトールも、微量(低濃度)では花のような馨しさだそうです。香水に使われる天然ジャスミン油の一成分もインドールと聞いています。そんな知識があっても、さすがに現物を前にしたらそんな想像力は湧いてきません。最近、赤の他人にやられっぱなしの究極の嫌がらせに対抗した真実の奉仕のことです。当然ですよネ!?



いつもお読みいただき、ありがとうございます。
ランキングに参加中です。是非、下をクリックして順位アップに応援お願いします!
クリックしますと、その日の順位が表示されます。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ
    ↓      ↓
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヒゲジイのブログが開設して丸3年経ちました(中)

2017-09-15 06:06:24 | 自分史
 自分史『アルコール依存症へ辿った道筋』シリーズを始めて半年ぐらい経った頃、シリーズの締めは実質的にサラリーマン人生が終わった時期にしようと決めました。閑職に異動させられた時期に当たります。

 この時期を境に仕事上のストレスが軽くなり、深酒の挙げ句の連続飲酒に陥ることがなくなりました。アルコール依存症(アル症)を悪化させずに生活できていた時期で、その分書くべき事件(?)があまりなかった時期でもあります。漫然とシリーズを続けても退屈されるのがオチという思いがありました。

 シリーズを通じ様々な “気づき” がありました。その時々の “気づき” が溜まりに溜まって、自分史以外のことも書きたいという欲求が募ってきていたのです。

 特に断酒して以降、情動不安定な状態や記憶(想起)障害には散々苦しめられて来たという思いがあり、思考プロセス障害についても薄々気づかされていました。これらの障碍が遅発性離脱症候群とも言うべき急性離脱後症候群(PAWS≒ドライドランク)と知ったのも大きかったと思います。

 そこでブログ開設10ヵ月後(断酒1年8ヵ月)からは、アル症に特有の病状を自分の体験に当てはめて記事に取り上げることにし、特に渦中にあったPAWSは再々題材にしました。

 理屈好きな私は、回復途上の脳では領域間に回復速度のアンバランスがあり、情動不安定などの障害はそのアンバランスによるものなどと屁理屈を捏ねてもみました。素人考えの自己満足でしかないのですが、そうすることで不安な心を紛らわせていたのだと思います。

 PAWSの中でも記憶(想起)障害や思考プロセス障害は老人ボケと何ら変わりありません。両親ともに認知症で亡くしていますから、私にとって老人ボケほどの脅威は他にありません。深刻な老人ボケに備える意味で、記憶力活性化を目的にこれらの障害をよく題材にしたのです。

 これらに加え “認知のゆがみ” が回復を邪魔する最大の障碍であり、アル症となった要因であることも知りました。ブログ開設8ヵ月(断酒1年半)が過ぎた頃から、変な思い込みがものごとをややこしくしている要因とハッキリ気づき始めました。この変な思い込みに囚われていることが “認知のゆがみ” と知ったのは断酒3年過ぎのことです。こうして “認知のゆがみ” の事例が新たな題材となりました。

 こうして現在に至ります。断酒期間も丸3年(ブログ開設2年2ヵ月)を過ぎたら精神的に少しゆとりが生まれてきたようです。これを機にその時々の関心事を題材とし、自分なりの “気づき” を週2回の頻度で投稿することに変えました。

 現在、私の一番の関心事は “認知のゆがみ” の矯正と記憶(想起)障害・思考プロセス障害の進行抑止です。簡単に言えば、どうしたら老害をまき散らす老人ボケを遅らせられるかです。これが目的の投稿となりつつあります。

 “認知のゆがみ” の矯正と言ったら性格の改造と同じこと、無理に変えようとしてもうまく行くものではありません。当たり前ですが、自分で出来ることなど限られています。手始めに、“認知のゆがみ” と思しき事例を拾い集め、それらを自戒の糧とするつもりでいます。これらを記録していけば、記憶(想起)障害・思考プロセス障害の進行抑止にもなると考えました。目出度く一石二鳥となれるかは請うご期待です。
(この項まだつづく)



いつもお読みいただき、ありがとうございます。
ランキングに参加中です。是非、下をクリックして順位アップに応援お願いします!
クリックしますと、その日の順位が表示されます。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ
    ↓      ↓
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

究極の嫌がらせには真実の奉仕で!

2017-09-12 06:46:36 | 世相
 毎度お馴染み、ゴミ拾いでの話です。今回のテーマは、曾野綾子氏にあやかって真実の奉仕としました。

 自律した精神を持ちブレない生き方は、昔から日本人が大切にしてきた心根です。そんな心根を持つ作家 曾野綾子氏が好きです。彼女にこんな言葉があります。

「真実の奉仕というのは、すべて汚物を通して行われるべきなのであり、極言すれば他者の “うんことおしっこ” の世話をすることだ。」(曽野綾子)

 私も奉仕とは詰まる所 他者の汚物を始末することだろうと理解していたのですが、このところ私は彼女の言う真実の奉仕を連続してやるハメになっています。

 こともあろうに人の行き交う歩道に汚物を残す輩がいるのです。形状の崩れと言い、強烈な臭いと言い、使用済みのテッシュと言い、明らかにヒトの汚物で、イヌのものとは全く違います。しかもいつも決まった場所に・・・なのです。究極の嫌がらせと言うほかありません。

 場所は国道43号線沿いの歩道です。片側が県立高校の高いコンクリート塀になっており、車道側も防音壁と環境緑地帯で隔てられています。東西の2カ所に歩道橋が車道に架かっていますが、2つの歩道橋の間120mほどは歩行者も少なく、意外に人々の死角になっている場所です。置き土産があるのは緑地帯を区切っている低い煉瓦塀間近の隅っこです。

 半年ぐらい前までも、3ヵ月に1回ぐらいの頻度で時々ありました。切羽詰まってのことだろうと、大目に見て始末していました。それが先月の旧盆明けから再開したのです。今回は月・金の週2回、場所も決まって同じ所です。明らかに変質者の意図的な嫌がらせと思い、堪らず警察に相談しました。

 警察は記録を残し、パトロールを強化するとは言ってくれましたが、警告板を立てるとか防犯カメラを設置するとかは国交省の管轄で難しいと言うばかり。先週からは、ついに嫌がらせがほぼ連日になりました。その都度警察に連絡したのですが、パトロールの強化で・・・と繰り返すばかりです。やれやれ当分の間、この状態が続くと半ば諦め気分でいます。

 本来ならウンがつき、何か良いことがあるはずなのですが何もありません。真実の奉仕もやはり無償なのでしょう。近い将来あるやもしれぬ介護、その介護の実地訓練と割り切ってやるしかないのでしょうか。犯人が誰か何時かはバレるもの、“天網恢々疎にして漏らさず” ですよ・・・ネ?



いつもお読みいただき、ありがとうございます。
ランキングに参加中です。是非、下をクリックして順位アップに応援お願いします!
クリックしますと、その日の順位が表示されます。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ
    ↓      ↓
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヒゲジイのブログが開設して丸3年経ちました(上)

2017-09-08 05:27:39 | 自分史
 私がgooブログに個人用サイトを開設して丸3年経ちました。今回が203回目の投稿になります。振り返ってみると、私が心懸けていたのは次の3点です。

 ● アルコール依存症回復への闘病記録
 ● 認知行動療法・“言語化” の実践記録
 ● 自分の “認知のゆがみ” を知ること

 断酒3ヵ月頃から記憶力が全く当てにならないという自覚が強くありました。専門クリニックでは「酒害体験を決して忘れずに!」という指導を受けていましたが、酒で危うく死にかけた体験もこんな状態では忘れるのも時間の問題だろうと危機感を持つようになりました。

 断酒6ヵ月から参加し始めた自助会AAですが、その回復プログラムではアルコールに纏わる過去の過ちを洗いざらい棚卸しし、その結果を第三者に開示することを勧めていました。

 これら専門クリニックやAAの回復プログラムの教えを実行するには、酒害体験を文章化してブログに投稿することが最も理に適っていると考えたのです。このように最初は結構切羽詰まった思いが動機でした。

 断酒3ヵ月頃からAV動画に嵌まってしまいました。どうにもならない窮地に立たされると決まって性的妄想に囚われてしまうのが私の習性でした(です?)。形を変えた飲酒欲求だったのか、あるいはよく知られるクロス・アディクションの現われだったのかはわかりません。どうにもならない性的妄想にやけくそになった挙げ句、動画の内容を丹念に(?)文章化したのです。その数20本以上に上りました。

 このお陰で断酒10ヵ月に “憑きもの” が落ちたように性的妄想から解放され、同時にアルコールに囚われていた考えも綺麗さっぱり消えてしまいました。動画を文章化したことが “言語化” に当たり、それが効いたのだと医師から教わりました。 “言語化” という認知行動療法を知ったのはこのときが初めてでした。

 断酒開始直前の時期に底着きを体験していましたが、この断酒10ヵ月の時期も私にとっては第二の底着き、いわば精神的底着きだったと考えています。これ以降、酒害体験を本格的に文章化することで “言語化” を実践してみようと決めました。動機がさらに強固になったのです。もちろん、うまくいけば承認欲求が満たされるかも(?)というチャッカリした胸算用もありました。

 酒害体験とは言うまでもなくアルコール問題のことです。手始めに記事にしたのは典型的な酒害体験、即ち、ドライドランク、底着き体験、ブラックアウト、急性離脱症候群 でした。これらがキッカケとなって過去の様々な出来事が思い出され、アルコール問題を縦糸に、それぞれの時期に起こった出来事を横糸に自分史を書くことになりました。より深く酒害問題を掘り下げようと思ったのです。これが35回に亘って連載した『アルコール依存症へ辿った道筋』シリーズです。

 「外聞の悪さを気にして変に取り繕ってないか? 誤魔化してないか? 本当か?」これがシリーズを書いていたとき、いつも自分に問い続けていた言葉です。聞こえはいいものの、今読み返してみると、くどくどしく冗長で単に読みづらいだけなのですが・・・。愚直なまでにバカ正直に書いていたと思います。

 もう一つ強調しておきたいことがあります。客観的で正確な個人史年表を作り、出来るだけ正確な記述を心懸けていたことです。

 このお陰で少し視野が広がり、その当時の自分を客観的に見渡せた結果、記憶が随分偏っていたことに気づかされました。しんどい状況だったにもかかわらずよく頑張って来たものだと、自己肯定感を持てたのもこの年表のお陰でした。自責の念ばかりに陥りがちだった私には、これは思いがけない贈り物でした。
(この項つづく)



いつもお読みいただき、ありがとうございます。
ランキングに参加中です。是非、下をクリックして順位アップに応援お願いします!
クリックしますと、その日の順位が表示されます。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ
    ↓      ↓
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

これって嫌がらせでは?

2017-09-05 06:15:47 | 世相
 こんな一連の出来事を経験したら皆さんはどう判断されますか? 以下は、そのとき私の目に映った事実を箇条書きにしたものです。一連の出来事はこの順に起きました。

 ● 市役所の食堂に入ると顔見知りの人物がいて目が合った。
 ● その人物は食事を済ますと先に食堂を後にした。
 ● 食後、新聞を読もうとロビーに行ったらお目当ての新聞が誰かに
   読まれていた。
(市役所ロビーには新聞掛けとテレビがあり、テレビの前に6人掛けのソファー席、その後ろに4人掛けの丸テーブル席が2つ設けられています。新聞掛けには閲覧用として6紙置いてあります。)
 ● 新聞を手にしている面々の中には例の人物がいて、後ろの丸テー
   ブル席に着いていた。読んでいる新聞名はわからなかった。
 ● 新聞閲覧は通常15~20分間隔で回転するのでソファー席に腰掛け
   順番を待つことにした。
 ● 他の新聞は次々新聞掛けに戻り閲覧者が代わった。お目当ての
   新聞はなかなか戻って来なかった。
 ● 1時間ほど待ってそろそろ見切りを付けようと席を立った。その
   とき例の人物が読み終えた新聞を丸テーブルに置いたままじっ
   と私を見ていた。
 ● 庁舎を出て直ぐの庁舎前広場の喫煙所で一服していたら、広場を
   歩いて横切る例の人物が見えた。
 ● 試しにロビーに戻って新聞掛けを見たら4紙が戻っていた。
   1紙だけ新聞名が見えないよう第一面を新聞挟みの棒に巻くよう
   にしていた。それがお目当ての新聞だった。


 新聞名が見えないよう第一面を新聞挟みの棒に巻く人はたまにいます。故意なのか単なるクセなのかはわかりません。しかし、今回は明らかに私に対する嫌がらせと考えてしまいました。

 ここに登場した例の人物とは、唾付けのページ捲りを初対面でいきなり詰って来たジイさんのことです。以前、このブログで2回ほど取り上げています。キツネのような細い目で人のアラ粗探しばかりしているよう見え、グチグチとしつこいので以来警戒していました。

 私以外にも唾付けのページ捲りをいきなり詰られた人がいて、そこに居合わせた私もついその方に助太刀したことがあります。恐らくそのことを根に持っていたのだと思います。自分が正義と疑うところがないので、人への嫌がらせも正義の鉄槌ぐらいにしか考えていないのでしょう。かくも正義は絶対で、正義は万能なのです。

 人それぞれ傍からしかわからない変なクセを持っています。よっぽどでない限り見て見ぬ振りをするのが普通ですが、正義はそれを許しません。正義とは何とも困ったクセを生み出す傲慢なものです。



いつもお読みいただき、ありがとうございます。
ランキングに参加中です。是非、下をクリックして順位アップに応援お願いします!
クリックしますと、その日の順位が表示されます。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ
    ↓      ↓
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

これぞうまく噛み合った会話(社会参加について)

2017-09-01 06:02:47 | 病状
 先週は循環器内科を受診したときの T 先生との会話を記事にしました。同じ日にアルコール専門クリニックも受診したのですが、今回はその専門クリニックで交した S 先生との会話です。一日を有効活用しようと循環器内科の予約診療の日にはアルコール専門クリニックもハシゴすることにしています。こちらも2ヵ月ぶりの受診でした。

 医療・介護に依存せずに自立して日常生活を送れるのが健康寿命であって、医療や介護にお金を掛けずに済む生活のはずと私は思っていました。健康寿命が延びればそれだけ医療・介護費用の伸びが抑えられるはずなのです。そんな私に健康寿命の延びが健康保険制度の破綻を来たすと問題提起した T 先生です。その話にどうにも納得いきませんでした。それで経過報告を兼ねて S 先生にそのことを話してみました。
 
「循環器といえば花形ですからねぇ、競争の激しい専門領域では変わった発想の医者もいるんですよ」とうまく煙に巻かれ、
「それより道のゴミ拾いはまだ続いていますか?」と逆に S 先生は話題を変えて来ました。
「もちろん続けています。毎日2時間以上・・・やり始めてかれこれ2年半ぐらいになります。もうクセですね。その意味では酒を飲んでいた頃とちっとも変わっていないんですが・・・。」
「そうねぇ、そう考えますか。で、糖尿病の方はどうですか?」
「ヘモグロビンA1cが6.2%前後で安定しています。」
「それは結構! 規則正しい生活リズムを守り、家に籠もらず毎日外出して動くのが一番なんですよ。」そこで私の方もこんなふうに話を振ってみました。

「外出して行動と言えば、ブロガーの中には同じアル症で釣り三昧の人がいます。この間読んだ記事では、釣りばっかりやっていてこのままでいいのだろうか(?)と心の迷いが書かれていました。」
「それは遊んでばかりいる後ろめたさ・・・つまり、社会参加したい気持ちが満たされていないということでしょうね。あなたの場合は、ゴミ拾いで社会奉仕ができているという気持ちがあるでしょう? それが社会参加です。釣り三昧の人にはそれがなくて、心に満たされないものを感じているのだと思いますよ。」
「社会参加? 別の見方をすれば承認欲求が満たされていない、そんな感じなんですか?」

「そうそう、そんなところです。断酒後しばらくは仕事再開に焦りがちですが、急いてもうまくいきません。情動が不安定のままなんです。
 そんなときに一人で出来る趣味に夢中になるのもいいですが、一つのことに没頭するばかりでなく複数のものとうまくバランスを取ること、特に社会参加という点も加味しておかないといけません。
 そういう意味からすれば、自助会のミーティングに出向くのも社会参加になります。自助会が社会参加の最初のステップという見方にも納得いくでしょう?
 自助会で発言すれば承認欲求も満たされます。社会復帰のリハビリとしても最高なんです。徐々に社会参加を進めていくのがうまく回復が進む鍵なんですよ。」

 社会参加という言葉に目を見開かされた思いでした。自助会が社会参加の場などとは考えてもいなかったのです。

 自助会が自分の居場所と考えているアル症の人は多くいます。私は常日頃、居場所とは気兼ねせず寛げる隠れ家のような場ぐらいにしか考えていませんでした。自助会のミーティングではそれなりの緊張感が要りますから、居場所と言うにはチョット違うのでは(?)と違和感を持っていました。

 またAAには、開催されているミーティング会場を探して連日ミーティング参加を続けている人がいます。なかには一日に何カ所もハシゴする人も・・・。“空白の時間” を埋めるためとは言え何もそこまでしなくてもと、私は少々冷ややかな目で見ていました。

 そこに今回の話です。自助会を自分自身が一員として一体化できる社会参加の場とみれば、なるほど社会参加による満足感というのも理解できます。もちろんその前に、社会参加に向けたリハビリの場という見方にも納得がいきました。社会復帰のリハビリと見れば、連日のミーティング通いもアリなのかもしれません。

 言うまでもなく、ある共通の目的を持った人々の集まりがコミュニティー(共同体)です。自助会は飲まない生き方を共通の目的にしています。なかでもAAは束縛の少ない緩いルールで運営されている共同体で、“言語化” の実践道場、聞き上手になるための訓練の場、さらに社会復帰のリハビリの場と良いことずくめです。我を通して自分の思い通りにしようとしない限り、AAは居心地の良い理想的な居場所ともなり得る、私はこう考えるに至りました。



いつもお読みいただき、ありがとうございます。
ランキングに参加中です。是非、下をクリックして順位アップに応援お願いします!
クリックしますと、その日の順位が表示されます。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ
    ↓      ↓
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする