ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

断酒しぃ~てよかったぁ~♪(その3)

2014-09-24 05:39:13 | 病状
 次に断酒4~6ヵ月後までの変化について述べます。驚いたことに、好ましい変化のみが次々に現れてきました。本当に良いこと尽くめで、もうビックリです。

意欲回復
 習慣的飲酒が定着していた頃は、飲酒以外の何をやるにしても面倒くさいという消極的気持ちが先立っていました。断酒約3ヵ月後以降には消極的な気持ちがなくなり、決めたことはキッチリやるというようになりました。まともに生きているんだと実感できるようにもなりました。

時間感覚の変化
 断酒約3ヵ月後以降になると、一日が長く感じられるようになりました。まるで幼少期の頃の「もういくつ寝ると~♪」に似た感覚でした。待ち遠しいということは一日が長いということですよね。断酒10ヵ月後になって、時間の流れが緩やかという感覚は薄れてしまいました。普通の時間感覚に戻ったようです。

読書能力回復
 習慣的飲酒が定着していた7~8年前頃から読書することが拷問のように感じ、日課としている新聞と仕事上の書類以外の一切の書物が読めなくなりました。断酒約3.5ヵ月後に図書館に行った際、たまたま渡辺淳一のエッセイ集を手に取り、そのまま1冊を一気に読み終えてしまいました。読み易さもありましたが、集中力が回復していたのです。それからはジャンルにかかわらず苦も無く何でも読めるようになっています。読書の楽しさが蘇ったのです。

静謐・平穏な心
 断酒3ヵ月後以降から、気持ちが波立ってザワザワすることが全くない、まるで鏡のようで凪いだ海のような心理状態になりました。まさに明鏡止水の心境でした。この時期特有の“見せかけの回復”だったのだろうと思います。このような心理状態は断酒5ヵ月後まで続きました。

血圧の正常化
 断酒3ヵ月後くらいまでは、降圧薬としてCa拮抗薬、ACE阻害薬の2剤を服用し、かろうじて血圧のコントロールができていた状態でした。
 断酒4ヵ月後くらいからでしょうか。最大(収縮期)血圧が120mmHg前後程度を維持し、日によっては100mmHgを下回ることもありました。医師と会話している時など精神的に緊張した時には160 mmHgぐらいまで上昇することもあるのですが、どうみても正常化したとしか思えません。自宅で測った血圧も同様で安定した値を示していました。
 服用していた降圧薬2剤のうち、医師の指示で念のため常用量の半量のCa拮抗薬アムロジピンだけを継続しましたが、試しに休薬を行ってみたところ血圧が正常範囲内で安定し続けました。そこで、医師の許可を得て断酒6ヵ月目から降圧薬をすべて中止することにしました。血圧は今でも正常範囲内の値が続いています。20年以上続いた高血圧から解放されました。

糖尿病の改善
 病状については病的な甘味欲求のところで既に述べました。食事療法に追加して5年程度継続している薬物療法の下で、初めてHbA1cが6.0%前後と安定した状態になりました。ちなみに、脂質異常症の方は10年来常用量の半量の薬物療法により正常範囲内の値を保っています。

 これらが断酒後に経験した変化のほぼすべてです。幸いなことに飲酒欲求は一度も起きていません。お分かりのように、不都合で困った変化はほとんどが一時的で、反対に快く好ましい変化が劇的にどんどん現れてきたのです。死の四重奏のうち、高血圧、糖尿病、脂質異常症はすべて習慣的飲酒が加速化し常態化した30歳代末から順に発症したものです。いずれも断酒後にはほぼ正常範囲内にコントロールでき落ち着いています。習慣的飲酒中、背中にいつもあった皮膚のブツブツも断酒後キレイに消えてしまいました。これらは何を意味するのでしょう。

 製薬企業に勤めていた経験に照らし合わせてみれば、結論はアルコールが間違いなく毒であるということです。使い方によっては薬にもなるという意味を込めた毒です。毒性を持っていなければ薬にはなりません。私は40年余りアルコールの慢性毒性試験の被験者だったことになります。もう一度言います。死の四重奏のうちの3つ、高血圧、糖尿病、脂質異常症はアルコールの毒性によるものだったと思っています。運が悪かったのはアルコールを毒と気付くのが遅過ぎてしまったことです。断酒して初めて悟ることができました。製薬企業OBとして恥ずかしい限りです。


 断酒しぃ~てよかったぁ~♪ (この項おしまい)
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 投稿当時(2014.9.24)から1年半経って、改めて断酒開始後6ヵ月までの記述内容を確認してみました。記述漏れの事象がありましたので追記します。

<不都合で困った変化>
記憶障害の持続
 直近のことがらを直ぐ忘れることに加え、意図した言葉をなかなか思い出せない想起障害も自覚し始めました。

情動不安定(浮かれ気分)
 会話中に妙に浮かれ、はしゃいだ気分になりました。1対1の会話時に顕著で、口の達者さは頭が冴えていると勘違いするぐらいでした。会話で波長の合った医療スタッフに恋愛感情も芽生えましたが、この情動不安定から派生したものと考えています。

 断酒開始後3~6ヵ月までのこの時期は身体的回復が目覚ましく、体調のよさから気分も昂揚していました。今回追記した事象は、体調の回復の陰であまり気にならない程度の変化でしたので、投稿当時は記述していませんでした。継続断酒6ヵ月以降、ドライドランク(状態)も伴うPAWS(急性離脱後症候群)として次第に自覚させられた諸症状のハシリだったと思います。
(2016.3.9)



断酒6ヵ月以降に経験する症状についてはこちらをご参照ください。
再びPAWS(急性離脱後症候群)について(上)
断酒中のドライドランクを自己診断できますか?
ハイテンションになると危ない!(ドライドランク)
 

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断酒しぃ~てよかったぁ~♪(その2)

2014-09-23 06:32:30 | 病状
 断酒開始後、私にどのような変化が現れたのでしょう。断酒後3ヵ月までと4~6ヵ月までに分けて経験した変化をみてみました。

 クリニックを初めて受信する直前に別の県立病院に入院していましたので、断酒はクリニック初診より6日前から始まっています。記憶がボンヤリしていますが、幻視・幻聴はクリニック初診直前のこの期間の終わりに経験したようです。

 まず、断酒後3ヵ月まで。先ずは好ましい変化について、次いで不都合で困った変化についての順に述べます。

<好ましい変化>
肝機能正常化
 肝機能検査値の推移です。クリニック初診時AST(GOT) 57 U/L↑、ALT(GPT) 60 U/L↑、γ-GTP 310 U/L↑、総ビリルビン1.3 mg/dL↑。1.5ヵ月後 AST(GOT) 28 U/L、ALT(GPT) 40 U/L、γ-GTP 111 U/L↑、総ビリルビン0.8 mg/dL。2.5ヵ月後 AST(GOT) 21 U/L、ALT(GPT) 21 U/L、γ-GTP 55 U/L、総ビリルビン0.6 mg/dL。2ヵ月半で正常化しました。

食欲回復
 断酒直後からです。ただし、満腹感が感じられなくなっていました。

大便(水様便・軟便)失禁の悩みからの解放
 断酒直後から水様便・軟便が止まりました。しょっちゅうだった“放屁のつもりで実が出てしまった”ことから解放されました。そのお蔭で汚れたパンツを洗濯機に放り込む前にやらざるを得なかった手で洗う余計な仕事からも解放されました。

視力改善
 メガネの具合が悪かったので眼科で検眼したところ、断酒前の裸眼左右0.03が断酒2.5ヵ月後には右0.1左0.09と改善していました。メガネの度が強過ぎて二重に見えたりしていました。次いでながら、正常範囲の上限を超えていた眼圧も完全に正常化しました。

歩行障害消失
 断酒3~4年前から歩く速度が落ちたと感じていました。クリニック初診前にはまともに歩けない状態でした。手摺なしでは階段の昇降が出来ませんでした。断酒約2~3ヵ月後に歩行能力の回復が実感でき、短い距離なら走ることも可能となりました。階段の昇降も普通にできるようになりました。ビタミンB群の点滴補給が効を奏したのだと思います。

手足の痺れ消失
 習慣的飲酒が定着していた頃は、モノに触ったとき、手の指先や足の指先・足裏の感覚は目に見えない薄物越しに触っているような少し痺れた感覚でした。断酒後にはこれら抹消神経障害が全くなくなりました。ビタミンB群の点滴補給が効を奏したのだと思います。

アルコール性小脳失調から回復
 シャツの着替えで喉元のボタンを嵌めることが難なく出来るようになりました。“底着き”の少し前から、起床時に布団から立ち上がろうとするとき、踏ん張りが効かず前方にツンのめりそうになって難義していましたが、断酒後にはすっかりなくなり普通に立ち上がれるようになりました。ビタミンB群の点滴補給が効を奏したのだと思います。

・ 背中の発疹消失
 習慣的飲酒が定着していた時は背中に小さなブツブツが常にありましたが、断酒ですべてキレイに消えてしまいました。

<不都合で困った変化>
病的な甘味欲求
 断酒直後から甘いモノが強烈に欲しくなって、初めドラ焼き、バームクーヘン、ジンジャエールに嵌りました。糖尿病の病状を示すHbA1cは断酒1.5ヵ月後7.5%、2.5ヵ月後8.5%と上昇しました。ビックリしました。糖尿病の悪化が気になったので血糖降下剤SU剤(グリミクロン)の常用量の半量を処方に追加してもらいました。甘味もノンカロリーコーラ、キシリトールのど飴だけに変えました。やがてキシリトールのど飴で下痢となったのでノンカロリーのど飴に切り替えました。断酒5ヵ月後にHbA1cが6.8%と落ち着いてきましたので、小分けのアソートケーキか小型のチーズケーキを1日最高500Calまでと決め、早朝と夕方2回に分けて摂るようになりました。空腹状態は避けるべきと言われていたのです。断酒10ヵ月後のHbA1cは6.0%です。ノンカロリーコーラは長い間手放せませんでした。(断酒から1年経ってノンカロリーコーラを卒業し、コーヒーに代わりました)

頻回の中途覚醒(不眠)
 毎夜9時に就寝してしまいます。クリニック受診直後から眠剤(ロヒプノール、ニトラゼパム)を毎日服用したのですが、ほぼ2時間毎に目が覚めました。夕方4~7時に飲むノンカロリーコーラ(1.5L)のせいとも思いましたが、飲むのを止められませんでした。眠剤は断酒後2ヵ月間続けましたが、効果についてはよく分かりません。毎朝4時には起床してしまいます。中途覚醒は断酒10ヵ月後に1回だけに軽減しました。

悪夢
 断酒直後から悪夢がよく現れました。見慣れた帰り道を進むうちに見知らぬ場所に入りこんでしまい、道に迷ったことに気付いて、どうしたものか途方に暮れているなどが典型的でした。断酒2.5ヵ月後に医師に相談したら夢を見なくなりました。医師は断酒後の今後への不安な心理が反映されたものだろうと解釈してくれました。

湿疹
 断酒1.5ヵ月後から髪の生えた頭皮全体と髭の部分にのみ強烈な痒みとともに発現しました。クレマスチンフマル酸塩を処方され、1.5ヵ月間服用して軽快しました。断酒に伴う脂質代謝の変調が原因といわれました。断酒9.5ヵ月後に抗酒剤(シアナマイド)はもう必要なかろうと医師が判断し中止したところ、わずかに残っていた湿疹は2週間程度で消失しました。

直近の記憶力劣化(記憶障害)
 断酒開始後、他人の名前を聞いた側から忘れてしまい、覚えられなくなっていることに気が付きました。やるべきことを直近までは覚えていたにもかかわらず、場面・視野が変わるとコロット忘れることがしょっちゅうです。直ちにメモすることが必要となりました。医師によると、飲酒中にもあったことだろうが気にもせず済ましていただけで、断酒することによってそれを自覚するようになったのだそうです。

・ 好物の変化
 無類のラーメン党だったのに食べたいという欲求が薄れてしまいました。少し残念です。ただし、ラーメンを無性に食べたくなるときは危険な兆候だろうと思っています。

・ 満腹感薄れる
 食欲回復のところでも述べましたが、かなり多く食べたと思っても満腹かどうかが分らなくなりました。食べ過ぎると後から胃がモタレルので、食べ終わったら残りモノの量を目で確認するようにしました。



断酒後4~6ヵ月までの変化については・・・
断酒しぃ~てよかったぁ~♪(その3)につづく


ハイテンションになると危ない!(ドライドランク)』も併せてお読みください。


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断酒しぃ~てよかったぁ~♪(その1)

2014-09-22 08:51:04 | 病状
 高血圧、糖尿病、脂質異常症(高脂血症)、喫煙。この4つを死の四重奏といいます。私はこれらすべてを備えています。狭心症にもなりました。私は運が悪いのでしょうか?

 アルコール依存症専門クリニックを初めて受診したとき、院長から断酒するよう通告されました。事務的な口調でした。朦朧としてドンヨリした頭でも断酒という言葉は衝撃的でした。とっさに頭に浮かんできたのは、節酒ではダメなのか(節酒が可能か)を訊ねてみることでした。でも、質問をこらえました。妻も同席しており、質問できるような雰囲気ではなかったのです。

 このクリニックではアルコール依存症患者を外来診療だけで治療することを一大看板として揚げています。それで当然のように毎日通院するように言われました。何よりも患者に正常な生活リズムを取り戻させることを治療の主眼に置いているのです。院長からはこうも言われました。

 「アルコール依存症にはビタミンB群欠乏症が必ず伴います。お酒で消化管がダメになっているのでビタミンB群の補給は点滴でするしかありません。経口のサプリメントなどでは全く効きません。生きる意欲がなくなっているようですが、ビタミンB群の点滴補給で必ず意欲を取り戻せます。毎日通院はあなたの努力次第ですが、この病気から必ず回復できますよ。」

 頭はボンヤリしたままでしたが、院長の言葉は経験に裏付けられ自信に満ちたものでした。正直、これでやっと救われるかもしれないと思いました。ずっと後になって、ビデオで院長のアルコール依存症についてのまとまった話を聞く機会がありました。初診の日に説明されたのはこのことだったんだと記憶のない部分が補われ、やっと合点がいきました。

 クリニックでは通常の診療よりもアルコール依存症の教育プログラムに重点を置いています。アルコール依存症患者のリハビリテーション施設の色合いが強いのです。相談員と呼ばれるソーシャルワーカーが教育プログラムを担当しています。教育プログラムではアルコール依存症に伴う様々な障害が講義されます。対人関係(社会的)障害、精神心理的(心の)障害、断酒後の回復期に見舞われる実生活上の障害など、身体的障害ばかりでないアルコール依存症の手に負えない側面が詳しく解説されます。

 教育プログラムを受講していくにつれ、アルコール依存症からの回復には断酒しかないことがしっかりと頭に叩きこまれ、完全に納得できるようになりました。納得できたのは1ヵ月ぐらい経ってからだったと思います。アルコール依存症には回復はあるものの、一生涯治癒がないことも認めざるを得ませんでした。再飲酒すれば元の木阿弥なのです。

 さて、日曜・祝日を除き毎日通院が始まりました。朝8時15分には家を出ることにしました。定年退職前の通勤が戻ってきたようで、すぐに快い生活リズムが蘇ってきました。診察を受けること、点滴を受けること、教育プログラムを受講すること、これらが一日の時間の過ごし方に一定の秩序とリズムをもたらしてくれました。決まった時間に起床・就寝し、決まった時間に3度の食事を摂り、決まった時間に入浴し、決まった時間にクリニックへ出かけるようになりました。部屋の中も布団を上げ、レジ袋を片付けゴミ屋敷状態にしないよう気を付けました。

 断酒11ヵ月後の今から振り返ってみると、これらの生活の秩序と規則正しいリズムが身体的にも精神的にも何よりも好ましい効果を発揮してくれたようです。このクリニックが毎日の外来通院と教育プログラムに重点をおいているのは、患者に生活の秩序と規則正しいリズムを植え付けるのが目的と後になって悟りました。


断酒後3ヵ月までの変化については・・・
断酒しぃ~てよかったぁ~♪(その2)につづく

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酔って記憶が飛んだ!(ブラックアウト)

2014-09-16 05:53:35 | 病状
 酒好きな人ならば、酔って記憶が飛んでしまい、その間に何があったのか全く覚えていない経験をしたことがあると思います。

 居酒屋でしこたま飲んで家に帰ろうとしたまでは覚えているが、気が付いたら自宅の玄関の床で寝ていたなどよくある話です。酔っていても意外とシッカリしているんだなぁと妙な自信を持ったりしてしまいます。

 それからしばらくは反省して気を付けるようにしますが、そのうち危なかったことをケロッと忘れてしまい、ご愛嬌だったなぁと再犯してしまうものです。肝心の記憶がなく結果的に無事だったことで、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」を地で行ってしまうのが常ではありませんか?
 
 それが不審な行動をするらしいという疑いを周りの人に湧かせてしまうと大変です。

 仕事のチーム全員で東京へ出張した40歳代初め頃のことです。担当する化合物の臨床開発業務で最終段階に入る大きな臨床試験(治験)のキックオフミーティングを夕方から開催し、無事終わって気持ちが昂揚していました。宿舎のホテルの部屋に戻ってから、ひとりで多目にアルコールを飲み直してしまいました。何時寝たのか分かりません。

 翌朝は普通に目覚めました。ほぼ全員がそろっていた朝食の席で開口一番、上司が「昨夜、N子さんの部屋に男の声で不審な電話があったそうだ。心当たりの有るものは注意するように」と発言したのです。私はドキッとし、一瞬で顔が変わって表情に出たように感じました。記憶はないのですが、“心当たり” はありました。

 N子嬢は中途入社の新人で、私のチームに属していました。スラリとしたお尻のキレイな体型で、愛嬌のある丸顔でした。今思い返してみるとオカメ顔なのですが、私の好みのタイプでした。

 その頃の私は大規模な治験をいくつも抱え、自分の手に余る状態でした。仕事のストレスが極限にまで溜まっていたのでしょう。精神的に大分マイッテいました。それに加えてチーム内の女子社員に心を奪われるとなっては大問題になりかねません。気を紛らわすため、出張の時にホテルに風俗嬢を金で呼ぶようになっていました。自慰をするよりはマシですが、その程度のことです。満たされることはありません。明らかにSex依存にまで精神に異常を来していたと思います。これが “心当たり” の伏線です。

 以上は振戦がまだなく、アルコール依存症までは進行していなかった頃の話です。後日談ですが、N子嬢はチーム内の社員と社内結婚しました。影の仲人は私とみられていました。

 バツが悪くて居たたまれない程度であれば、まだご愛嬌でしょう。恐ろしいことに、記憶が飛んでいるうちに人を殺していたというブラックアウトの事例も実際にあったそうです。

 ごくたまに酒で記憶が飛ぶ程度ならその酒を控えればよいのですが、“朝から酒” のような連続飲酒状態となると、ジグソーパズルの絵から所々パーツが欠けたように記憶が断片的になってしまいます。酒で覚えてないことが多く、頻繁に記憶が飛ぶようならアルコール性認知症の危険性が高いそうです。とどのつまり、痴呆になってしまうのです。ご愛嬌などと暢気に言っていられません。心に重いものを抱えていると危険です。

 ブラックアウトはアルコール依存症になっていなくとも大量に飲酒した時に起こる急性アルコール障害のひとつだといいます。俗にいう “目が据わった” 状態のことです。

 社団法人アルコール健康医学協会・常務理事の古屋賢隆氏によると「吸収されたアルコールは血液に流れ、脳へと到達して神経細胞を麻痺させます。深酒をして記憶の保管庫である海馬が麻痺すると、短期的な記憶ができない “ブラックアウト” の状態になるのです。また、飲酒は理性を司る大脳皮質の活動も低下させます。酔うと気が大きくなるのは、抑えられていた本来の感情が出るからでしょう」とのことです。

 記憶にないときの自分の行動・言動を第三者だけが知っている。記憶が飛んでしまった時の自分の行動・言動を実際に友人に聞いてみた人もいます。共感できますが、とても勇気が要りますよね。

 どうですか、とても不気味で不安になりませんか?


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私の底着き体験・断酒の原点

2014-09-08 20:31:22 | 病状
一般病院を強制退院させられた私には、精神科・アルコール専門クリニックしか救われる道はありませんでした。

「あなたには底着き体験がない」 断酒期間が8年ほどと長いにもかかわらず、医者にこう言われたことに今でも悩んでいるアルコール依存症者がいます。(患者にそんなことを言う医者は臨床医としてどうかと思いますが・・・)。
「アルコール依存症の回復には底着き体験」、よく言われるこの言葉に呪縛されているのでしょうか? “底着き” ですから本人しか納得できないはずで、他人に分かるはずもありませんが・・・。

  45歳頃から手が震えて字が上手く書けなかったことが時々あって(振戦)、その頃からすでにアルコール依存症になっていたのでしょう。振戦に怯えるようになってからも、なおも定年退職まで飲酒を続けて16年以上が経っていました。

 定年が近づいて来るにつれ、退職後の日々の送り方を否応なしに考えていました。なかなか妙案が浮かばず、退職時にやったことといえばシルバー人材センターへの登録と市のボランティアへの登録というものだけでした。脳が相当侵されていたのだと思います。

 辛うじて定年退職を迎えることができた頃には高血圧、糖尿病、脂質代謝異常症、狭心症(ステント留置済)などの合併症もかかえて、生きる意欲も大分弱まっていました。シルバー人材センターから清掃業務の募集はよくありましたが、一番不得手な職種で、定期的な通院もあることから応募しませんでした。

 さて、毎日が日曜日という日々が始まると、お茶代わりとウソブいて朝起きると発泡酒(アルコール濃度3.5%)にすぐ手を出していました。初めの頃こそ1日で500ml缶8本程度でしたが、18本ほどまで増えるのにさほど時間がかかりませんでした。

 昼食を摂りがてら2時間ほどの散歩をしていましたが、次第に発泡酒を買いに近くに行くぐらいしか動かなくなり、引き籠りがちになりました。身体を使い行動することがなくなっていきました。

 “底着き” の頃には、行動ばかりでなく指先までが不器用になり、シャツの着替えで喉元のボタンを嵌めることさえも出来なくなりました(アルコール性小脳失調)。

 日課として新聞を読むことは続けていましたが、読書は定年退職の6年前からできなくなっていました。集中力が乏しくなったためか読書を拷問と思うようになっていたのです。テレビを付けていても、ただ音が聞こえ眺めているだけです。頭を使うことは全くなくなっていました。

 退職後のこの時期に、数ある体験の中で私が心底恐怖を感じたのは次の4つのエピソードです。何の前触れもない突然の失神・顔面転倒、アッという間もない失禁、大切な約束を忘れるなど一定期間の記憶が飛ぶ記憶喪失(ブラックアウト)、幻視・幻聴の4つです。
         *   *   *   *   *
突然の失神・顔面転倒
 退職して半年が過ぎたある日、いつものように近くのスーパーに発泡酒を求めて買い物に行きました。帰り際、店頭に置いてあったベンチで買ったばかりの発泡酒を飲んでいると突然視野が真っ暗になりました。気が付くと多くの顔が覗き込んでおり、私はタイル舗装した地べたに仰向けに横たわっていました。起き上がろうとすると血がポタポタ滴ってシャツが赤く染まりました。額から派手に出血していたのです。
 救急車に乗せられ、行きつけの県立病院に搬送されました。救命救急センターで嘔吐し、胃内に食べたものが何もないことを指摘されました。頭部CT撮影、出血部位の縫合など処置をしてもらいました。
 検査の結果、電解質のNaが116mEq/Lと異常に低いことが分かり、Naを補充するため急遽入院し点滴を受けることになりました。低Na血症でした。発泡酒を大量に飲んだら、Naを含んだ尿を当然大量に排泄します。Naの出納としては大幅のマイナスということです。失神・顔面転倒したのは電解質異常からということでしょうか。
 夜間拘束するかもしれないと妻が言われたようで、主治医はアルコール依存症と診立てていたようです。2泊3日で退院できました。眼の周りの内出血でパンダ顔が2~3週間続きました。
 その後も塩分をできるだけ摂るように努めはしましたが飲酒は止めず、ほぼ2ヵ月に1回の頻度で何の前触れもない失神・顔面転倒を繰り返しました。手で防ぐこともなく、いつも顔から直に倒れました。その都度、パンダ顔になりました。場所はスーパーや酒屋の店頭、浴室の洗い場など、いずれも一人で飲酒中かその直後のことでした。
 幸い歩行中に襲われることはなかったのですが、いつ歩行中に失神・顔面転倒するのか不安でたまりませんでした。車道を横断中の時ならば最悪の事態も考えられます。一人で外出するのが怖くなりました。それでも飲酒を止めることができなかったのです。
 最後の失神・顔面転倒は歩行中でした。アルコール依存症専門クリニックを受診する直前のことです。妻は私の失神・顔面転倒を間近で初めて目撃しました。妻が仕事から帰宅して失禁状態(?)の私を見つけ、県立病院に連れていった時のことだと思います。記憶がないためよく覚えていないのです。病院からの帰り道、病院玄関すぐの所で、駐車場の植え込みの芝生の上を歩いていた時でした。倒れてすぐ意識は戻りましたが、起き上がれません。妻は通りすがりの人の手を借りて、私を車椅子に乗せてくれました。車椅子に乗せられたことまでしか記憶がありません。
 その後のことで覚えていることは、入院中隠れて病院の外で喫煙したことと、それがバレてしまい外来診察室で強制退院を通告され、うろたえたことだけです。退院した時のことも覚えていません。最初の失神・顔面転倒からほぼ1年が過ぎていました。

失禁
 元々幼い頃から尻の締まりが緩い方だったようです。柿の実を食べ過ぎ、小学校からの帰り道に便意をもよおし、便所まで我慢できなくなって歩きながら全部を漏らしたことがありました。
 夏の高校野球をスタンドで観戦したときのことです。ビールをしこたま飲み、甲子園球場から暗い中を歩いて帰る途中の道で、不意に便意に襲われアッケナク下半身汚物まみれになったこともあります。アルコール依存症になっていたとしても、まださほど進行していない時期だったと思います。便所を探しあぐねての結果ですが、もよおしてイキナリではありませんでした。いったん漏れ出すとあとは一直線です。暗がりで応急の始末をし、あとはひたすら暗がりを選んで開き直って歩くしかありませんでした。
 これもアルコール依存症専門クリニックを受診する直前のことだと思います。リビングで椅子に腰かけ、発泡酒の缶を片手にテレビを眺めていました。不意に便意が襲ってきました。これはイカンとトイレに向かったのですが、大分アルコールが回っていたので、わずかな距離ももたずに水様便を漏らしてしまいました。
 多分これも同じ日だと思います。トイレで下着を下している間に間に合わなくなったこともありました。大腸内視鏡検査を受けた経験がある方はお分かりと思いますが、事前の腸内洗浄液を飲んだ時と同じで、排泄のスピードと汚物の飛散の勢いが尋常ではないのです。汚物の飛沫は側壁のかなりの部分まで及びました。
 いずれも大量のトイレットペーパーで汚れを拭き取りましたが、素面の状態ならば正気の沙汰でないことは明らかです。仕事から帰って来た妻にすぐトイレの汚れがバレ、こっ酷く咎められました。その後のことは覚えていません。ずっと夢かと疑っていましたが、現実にあった話です。便意が何時襲ってくるか分かりませんから、これではオチオチ外出もできません。

ブラックアウト
 若い頃、気が付いたら居酒屋のトイレで大便器にシャガンデいたことや、出張時に気が付いたらホテルの廊下でスッポンポンの裸のまま寝ていたことなどが極たまにありました。これらは、いずれも酩酊した挙句のことで何時の間にか寝入ってしまったからだろうと思います。
 外で飲んだまでは覚えていますが、気が付いたら家の布団の中だったことも数多くあります。どうにかして家まで辿りついたのでしょうが、その間の記憶がありません。
 深夜まで残業が続いていた頃の事例が典型的でした。仕事の後に寄った居酒屋からタクシーで帰宅した際、意識がなくなり、着いた家の中で初めてサイフがないのに気づき、癇癪を起したことがありました。タクシーで料金を支払ったはずですが、その間の記憶が全くないのです。ブラックアウトです。
 アルコール依存症専門クリニック初診前の2ヵ月間の記憶が特に悲惨です。ジグソーパズルの絵から部分的にパーツが欠けているように断片的で、覚えてないことが多々あります。昼間、寝たり起きたりの生活をしていたわけではないのですが、頻繁にブラックアウト状態になっていたらしいのです。
 下剤を使っても、浣腸をしても便秘が1ヵ月以上もよくならないことから、県立病院で大腸内視鏡検査を受けることになったのですが、検査予約前日と検査当日にどう行動したのか全く覚えていません。検査前日に摂らなければならない検査食は無くなっていましたが、食べた記憶がありません。検査当日に県立病院とどのように連絡を取ったのか全く分かりません。検査は受けなかったようです。
 外で会う約束も複数回スッポカシしていたようです。約束を破られ、待ちぼうけを食わされた二男から、素面に戻った時にこっ酷く怒られました。
 アルコール依存症専門クリニック初診直前に県立病院に連れて行かれた経緯も思い出せません。外来受診の帰路、病院玄関を出た所で失神・顔面転倒したことは覚えています。その後、入院したものの強制退院させられたことはすでに述べたとおりです。入院中についても、喫煙したことと、次に述べる幻視以外何も覚えていません。
 このように、とても日常生活が普通にできる状態ではありませんでした。痴呆になってしまうとはこういうことなのかと恐ろしくなりました。欠けた記憶は永久に戻ることがないのです。

幻視・幻聴
 まず幻視についてです。アルコール依存症専門クリニック初診直前の県立病院に入院中のことです。夜眠られず深夜に何度もトイレに行きました。その度にナースステーションの反対側病棟の薄暗い廊下の奥で、4~5人の人影が集まって賑やかに話しているのが見えました。輪郭が分かる程度に仄明るく、談笑しているのに声は聞こえません。通りかかった看護師に聞いても、車椅子が2脚ぐらい置いてあるだけだからと言うだけです。それでも人影の群がりに見えたのです。確かめには行きませんでした。怖かったのです。
 断酒して満1年後に、同じ県立病院で大腸内視鏡ポリープ切除術を受け、1泊入院してトイレに行った際に思い出しました。 
 次に幻聴です。やはり喫煙がバレて県立病院を強制退院させられ、帰宅したその日のことだと思います。
 深夜にインターフォンの呼び出し音がありました。インターフォンに出ると、「オレだけど・・・」と自信なさそうなか細い男の声が聞こえたのです。最初、長男の声かと思いましたが、ちょっと違うことに気付きました。「あんた、誰なんだ?」何回かインターフォンに向かって不審人物に怒鳴っていました。再びインターフォンの呼び出し音が鳴ったので、思い切って玄関のドアを開けてみましたが誰もいません。ドアを閉めると、それでも外から不審人物の声が再び聞こえてきました。閉めたドアに向かって「誰なんだ?お前は!」と大声で怒鳴っていました。
 寝ていた妻に騒がしいと咎められ、部屋に戻って眠ることにしました。興奮していましたが、「なんだ悪い夢か?妻の声も夢の中だったのだろう」と見做し、すぐに寝付けたと思います。後にも先にもこの時だけの体験です。
 このことをふと思い出した時、最初は夢だったとばかり思っていました。妻に夜中に大声を出していたことがあったのか聞いてみて、現実にあったことだと思い知らされました。
 私の精神が壊れかけていたのか、それとも壊れてしまっていたのか。一回だけの経験でしたが、後から思い出してみて、今でも背筋が凍るほどの恐怖にかられます。幻視・幻聴は離脱症状としてありうることだと今は理解できています。
         *   *   *   *   *
 歩行中にも起きた失神・顔面転倒、直近の記憶がパーツの欠けたジグソーパズルの絵のようになってしまったブラックアウト、外出がママならない失禁、どれも普通の日常生活を送るには脅威です。幻視・幻聴も二度と経験したくありません。以上の4つの怖い体験を振り返ってみて、まさに廃人状態、心もカラダも死の淵にいたのだと思っています。これらは私にとって、間違いなく「底着き体験」でした。

 強制退院から自宅に戻って、妻に次のように告げられました。


 ○仕事があるので妻は私の介護ができないこと
 ○入院が必要だけれど一般病院では受け入れてもらえない。受け入れて
  もらえるのは精神科病院だけであること
 ○精神科を受診するに当たり本人の同意が必須で、同意なしで無理やり
  連れて行っても成果が期待できないと県立病院の医師に言われている
  こと


 頭がボンヤリしていましたが、降伏の白旗を揚げる覚悟は出来ていました。精神科を受診すると同意しました。医師から紹介された病院では予約待ちが1~2ヵ月というので、外来診療のアルコール依存症専門クリニックを改めて紹介してもらい、その精神科クリニックの門を叩くことになりました。それからは毎日通院を続けています。

 「底着き体験」をしたと言っていた人でも再飲酒してしまい苦しんでいる例もあります。自分には「底着き体験」があるのだと確信してはいても、断酒を続けられるという保証にはなりません。「底着き体験」は無いよりは有って良かったと思っています。二度と経験したくないという体験があるのならば、それを「底着き体験」とすれば良いと思うのです。
 「底着き体験」は、あとは回復だけという希望への出発点のようなもの、断酒を続ける決意を後押ししてくれる怖い顔をした応援団長なのだと思っています。
 飲酒欲求は慢心や油断の陰に隠れ、優しそうな姿に変装して思わぬ時に現われてくるそうです。いつ何時現れてくるのか分かりません。あれは凄まじいヒドイ体験だった、と自分が経験した酒害「底着き体験」をいつでも、いつまでも“決して忘れない”。この決意を自らの心の戒めとして今日一日を過ごしています。「底着き体験」は私の断酒の原点です。

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 この記事を投稿した時期は、私が “精神的底着き” と呼んでいる出来事を経験した直後のことです。
 
 飲酒時代から得体の知れないモヤモヤを薄々感じていたのですが、断酒を始めて3ヵ月が過ぎた頃から、性的妄想に形を変えて纏わりつくようになりました。具体的にはAV動画を見ずにはおれなくなり、完全に嵌ってしまったのです。もう自分ではどうにもならない状態でした。ヤケクソから動画内容を叙述(言語化)し続けたところ、断酒10ヵ月後にまるで “憑きモノが落ちた” かのように性的妄想ばかりかアルコールの残渣も消えてなくなりました。何とも摩訶不思議で神秘的とも言える体験でした。

 ちょうどドライドランクを初めとした急性離脱後症候群(PAWS)の諸症状が波状的に現れていた時期と被っていましたので、当初この出来事の意義が分かりませんでした。ただ、その後は断酒への強迫感(囚われ)に悩まされることが全くなくなり、飲まないでいる方が自然と思えるようになりました。心の落ち着きも体感できるようになったので、件の出来事が “底着き” と同類のものと気付きました。そこで件の体験を “精神的底着き” と呼ぶことにし、この記事で述べた身体的 “底着き” と区別することにしたのです。

 間もなく丸3年を迎える私の断酒生活において、憑きモノが落ちた “精神的底着き” 体験は、文字通り画期的な転機となりました。振り返ってみても「これで酒と縁が切れる」と自然体で思えるようになったのは、間違いなくこの “精神的底着き” 体験を経てからのことです。

 今回も読んでくださった読者の皆さん、是非「“身体的底着き” の後から “精神的底着き” も・・・(上、下)」もご参照ください。
(2016.9.9)




「底着き体験」の解説はこちらhttp://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n7870

以下の記事もご参照ください。
「あなたは“脳組”? それとも“肝組”?(中)」
 http://blog.goo.ne.jp/19510204/e/027e2d809cacabb292a17fb2a552dba7

「“身体的底着き” の後から “精神的底着き” も・・・(下)」
 http://blog.goo.ne.jp/19510204/e/a8f796964387d1c9685f1cf90a7e071d

「“身体的底着き” の後から “精神的底着き” も・・・(上)」
 http://blog.goo.ne.jp/19510204/e/586d94972a51a1daf773cdf535fd2e86
「アルコール依存症の進行プロセス」
 http://blog.goo.ne.jp/19510204/e/2659ffe9ae9633b44a287e9248701154


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断酒中のハイテンションは危ない!(ドライドランク)

2014-09-06 07:10:58 | 病状

 昨日、大腸内視鏡検査を受けました。胃の内視鏡は何回か受けたことがありますが、大腸は初めてです。検査前日から1日量750Calの食事制限を受け、当日は腸内洗浄液を2L飲んだだけの絶食状態で臨みました。

 さあ、検査が始まりました。まず先端から空気を注入するらしく異物が腹の中を動き回る感覚です。「もう、虫垂付近の上行結腸まで行っているんですか?」と訊くと、まだカメラを入れたばかりという答え。そのうち腹の中でエイリアンが暴れる感じで、手で押さえるように言われました。期待通りの抑え方ではなかったようで、看護士が見かねて手を添えてくれました。

 見たいとは思わなかったのに腸内の映像を見せられました。ポリープが2つ、それとアザのような周りの粘膜とは色の異なる部分もあると告げられました。しかも医者がそのアザのようなものは「初めて見た」というのです。これは患者にいらぬ不安を与えかねないので、臨床医としては失格だと思ってしまいました。ポリープの切除は入院が必要なので改めて行うということになり、検査だけで終了しました。

 検査が済んだ後、アルコール依存症患者の集まる自助グループAAの例会に電車で向かいました。自助グループでは、出席した患者一人ひとりが自らの体験談を語り、周りにいるその他の人は黙ってそれを聞くだけというものです。まさに話しっぱなし・聞きっぱなしです。AAでは毎回テーマが出され、座長から指名された発表者がそのテーマについて思いつくまま酒にまつわる体験を語ります。

 今回のテーマは「どうやれば、(断酒が)うまくいくのか?」でした。発表者の多くは皆、再飲酒に繋がりかねない “空白の時間” を作らないように例会に出続けるという類のものでした。誰もが時間をうまくコントロールすることに苦労しているのです。「そんなことは当たり前で、より新しい、何か画期的なことはないのか?」と私には白々しく聞こえてきました。「こんな程度なら、ひょっとして独力でも断酒が続けられるかもしれない・・・」と高慢ちきで不遜な考え(自信過剰)がよぎりました。気持ちが何故かハイテンションになっていたのです。

 AAからの帰り道、一時的に胸がひどくザワザワした不吉で不穏な感覚に襲われました。断酒後に度々襲って来る、酒を飲まずにはいられないような一過性の情緒不安定な心理状態です。

 帰宅してからネットでアルコール依存症に関するサイトを検索しているうちに、「ドライドランク」というのを見つけました。ドライドランクというのは、酒を飲んではいないが、まるで酒を飲んだ時のような状態にあることを言います。再飲酒の危険性が非常に高い状態です。サイトでは以下のように説明していました。


・酒に対する無力という基礎が薄れている。断酒に関する自信が増大する
自信過剰
・自助グループの仲間の体験談が、白々しく感じられて来る
・自我が肥大(何かとお節介をしたがること)
万能感
・コントロール欲求の強まり
・他罰的な心のあり方
・自己憐憫と恐れ
・飲んでいた時の郷愁が蘇ったり高まったりする
(ノンアルコールのビールなどを飲み始める など)
・無意識の「飲酒欲求」をマスキングしている抑うつ状態など


 まさしく自分の置かれている状態です。ドライドランク状態に陥りかけていたのか、完全に陥っていたのかはわかりません。その最中には全く自覚ナシなので始末が悪いのです。肝を冷やしました。

 前日から大腸内視鏡検査に気持ちが囚われ、強いストレスを受け続けてきていたのだと思いました。検査が終わり、ひとまず酷いストレスから解放されたのが原因だと思います。ハシャギ過ぎ、ハイテンションになった時は危ない。実感しました。

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 ここにご紹介したのは断酒11ヵ月目に入った頃のことです。ドライドランクは断酒を始めた後に大分遅れて現れる最も特徴的な遅発性の離脱症状(急性離脱後症候群:PAWS)です。この時には飲酒欲求に似た、不穏でどこにも遣り場のない感覚:一過性の情緒不安定にも襲われました。

 振り返ってみると、断酒5~6ヵ月後ぐらいから妙に気分が高揚し、会話の際に無意識に駄洒落を飛ばしてみたり、ちょっとしたことにでも滑稽味を感じて笑い転げていたことがありました。実感としてあったのは、頭の回転が別人と思うほど速く、口が驚くほど達者になっていたことが特徴的でした。

 もちろん気分の高揚には波の強弱があり、上に述べたエピソードは強い方のケースだったと思います。強いエピソードの多くは自信過剰と万能感だったでしょうか、自己憐憫などは一度もありませんでした。

 このブログを始めて間もなく、長く苦しめられてきた性的妄想や、脳に薄物のヴェールを被っていたような感覚から解放されました。さらに上のエピソードが転機となって、ドライドランクというものが十分理解できるようになり、再び見舞われても即座に落ち着いて対処できるようになりました。回復期の遅発性の離脱症状は、それから脱した後になって初めて自覚できるもののようです。

 
次の記事も併せてご参照ください。
断酒中のドライドランクを自己診断できますか?
再びアルコール急性離脱後症候群(PAWS)について(上)


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