一般病院を強制退院させられた私には、精神科・アルコール専門クリニックしか救われる道はありませんでした。
「あなたには底着き体験がない」 断酒期間が8年ほどと長いにもかかわらず、医者にこう言われたことに今でも悩んでいるアルコール依存症者がいます。(患者にそんなことを言う医者は臨床医としてどうかと思いますが・・・)。
「アルコール依存症の回復には底着き体験」、よく言われるこの言葉に呪縛されているのでしょうか? “底着き” ですから本人しか納得できないはずで、他人に分かるはずもありませんが・・・。
45歳頃から手が震えて字が上手く書けなかったことが時々あって(振戦)、その頃からすでにアルコール依存症になっていたのでしょう。振戦に怯えるようになってからも、なおも定年退職まで飲酒を続けて16年以上が経っていました。
定年が近づいて来るにつれ、退職後の日々の送り方を否応なしに考えていました。なかなか妙案が浮かばず、退職時にやったことといえばシルバー人材センターへの登録と市のボランティアへの登録というものだけでした。脳が相当侵されていたのだと思います。
辛うじて定年退職を迎えることができた頃には高血圧、糖尿病、脂質代謝異常症、狭心症(ステント留置済)などの合併症もかかえて、生きる意欲も大分弱まっていました。シルバー人材センターから清掃業務の募集はよくありましたが、一番不得手な職種で、定期的な通院もあることから応募しませんでした。
さて、毎日が日曜日という日々が始まると、お茶代わりとウソブいて朝起きると発泡酒(アルコール濃度3.5%)にすぐ手を出していました。初めの頃こそ1日で500ml缶8本程度でしたが、18本ほどまで増えるのにさほど時間がかかりませんでした。
昼食を摂りがてら2時間ほどの散歩をしていましたが、次第に発泡酒を買いに近くに行くぐらいしか動かなくなり、引き籠りがちになりました。身体を使い行動することがなくなっていきました。
“底着き” の頃には、行動ばかりでなく指先までが不器用になり、シャツの着替えで喉元のボタンを嵌めることさえも出来なくなりました(アルコール性小脳失調)。
日課として新聞を読むことは続けていましたが、読書は定年退職の6年前からできなくなっていました。集中力が乏しくなったためか読書を拷問と思うようになっていたのです。テレビを付けていても、ただ音が聞こえ眺めているだけです。頭を使うことは全くなくなっていました。
退職後のこの時期に、数ある体験の中で私が心底恐怖を感じたのは次の4つのエピソードです。何の前触れもない突然の失神・顔面転倒、アッという間もない失禁、大切な約束を忘れるなど一定期間の記憶が飛ぶ記憶喪失(ブラックアウト)、幻視・幻聴の4つです。
* * * * *
突然の失神・顔面転倒
退職して半年が過ぎたある日、いつものように近くのスーパーに発泡酒を求めて買い物に行きました。帰り際、店頭に置いてあったベンチで買ったばかりの発泡酒を飲んでいると突然視野が真っ暗になりました。気が付くと多くの顔が覗き込んでおり、私はタイル舗装した地べたに仰向けに横たわっていました。起き上がろうとすると血がポタポタ滴ってシャツが赤く染まりました。額から派手に出血していたのです。
救急車に乗せられ、行きつけの県立病院に搬送されました。救命救急センターで嘔吐し、胃内に食べたものが何もないことを指摘されました。頭部CT撮影、出血部位の縫合など処置をしてもらいました。
検査の結果、電解質のNaが116mEq/Lと異常に低いことが分かり、Naを補充するため急遽入院し点滴を受けることになりました。低Na血症でした。発泡酒を大量に飲んだら、Naを含んだ尿を当然大量に排泄します。Naの出納としては大幅のマイナスということです。失神・顔面転倒したのは電解質異常からということでしょうか。
夜間拘束するかもしれないと妻が言われたようで、主治医はアルコール依存症と診立てていたようです。2泊3日で退院できました。眼の周りの内出血でパンダ顔が2~3週間続きました。
その後も塩分をできるだけ摂るように努めはしましたが飲酒は止めず、ほぼ2ヵ月に1回の頻度で何の前触れもない失神・顔面転倒を繰り返しました。手で防ぐこともなく、いつも顔から直に倒れました。その都度、パンダ顔になりました。場所はスーパーや酒屋の店頭、浴室の洗い場など、いずれも一人で飲酒中かその直後のことでした。
幸い歩行中に襲われることはなかったのですが、いつ歩行中に失神・顔面転倒するのか不安でたまりませんでした。車道を横断中の時ならば最悪の事態も考えられます。一人で外出するのが怖くなりました。それでも飲酒を止めることができなかったのです。
最後の失神・顔面転倒は歩行中でした。アルコール依存症専門クリニックを受診する直前のことです。妻は私の失神・顔面転倒を間近で初めて目撃しました。妻が仕事から帰宅して失禁状態(?)の私を見つけ、県立病院に連れていった時のことだと思います。記憶がないためよく覚えていないのです。病院からの帰り道、病院玄関すぐの所で、駐車場の植え込みの芝生の上を歩いていた時でした。倒れてすぐ意識は戻りましたが、起き上がれません。妻は通りすがりの人の手を借りて、私を車椅子に乗せてくれました。車椅子に乗せられたことまでしか記憶がありません。
その後のことで覚えていることは、入院中隠れて病院の外で喫煙したことと、それがバレてしまい外来診察室で強制退院を通告され、うろたえたことだけです。退院した時のことも覚えていません。最初の失神・顔面転倒からほぼ1年が過ぎていました。
失禁
元々幼い頃から尻の締まりが緩い方だったようです。柿の実を食べ過ぎ、小学校からの帰り道に便意をもよおし、便所まで我慢できなくなって歩きながら全部を漏らしたことがありました。
夏の高校野球をスタンドで観戦したときのことです。ビールをしこたま飲み、甲子園球場から暗い中を歩いて帰る途中の道で、不意に便意に襲われアッケナク下半身汚物まみれになったこともあります。アルコール依存症になっていたとしても、まださほど進行していない時期だったと思います。便所を探しあぐねての結果ですが、もよおしてイキナリではありませんでした。いったん漏れ出すとあとは一直線です。暗がりで応急の始末をし、あとはひたすら暗がりを選んで開き直って歩くしかありませんでした。
これもアルコール依存症専門クリニックを受診する直前のことだと思います。リビングで椅子に腰かけ、発泡酒の缶を片手にテレビを眺めていました。不意に便意が襲ってきました。これはイカンとトイレに向かったのですが、大分アルコールが回っていたので、わずかな距離ももたずに水様便を漏らしてしまいました。
多分これも同じ日だと思います。トイレで下着を下している間に間に合わなくなったこともありました。大腸内視鏡検査を受けた経験がある方はお分かりと思いますが、事前の腸内洗浄液を飲んだ時と同じで、排泄のスピードと汚物の飛散の勢いが尋常ではないのです。汚物の飛沫は側壁のかなりの部分まで及びました。
いずれも大量のトイレットペーパーで汚れを拭き取りましたが、素面の状態ならば正気の沙汰でないことは明らかです。仕事から帰って来た妻にすぐトイレの汚れがバレ、こっ酷く咎められました。その後のことは覚えていません。ずっと夢かと疑っていましたが、現実にあった話です。便意が何時襲ってくるか分かりませんから、これではオチオチ外出もできません。
ブラックアウト
若い頃、気が付いたら居酒屋のトイレで大便器にシャガンデいたことや、出張時に気が付いたらホテルの廊下でスッポンポンの裸のまま寝ていたことなどが極たまにありました。これらは、いずれも酩酊した挙句のことで何時の間にか寝入ってしまったからだろうと思います。
外で飲んだまでは覚えていますが、気が付いたら家の布団の中だったことも数多くあります。どうにかして家まで辿りついたのでしょうが、その間の記憶がありません。
深夜まで残業が続いていた頃の事例が典型的でした。仕事の後に寄った居酒屋からタクシーで帰宅した際、意識がなくなり、着いた家の中で初めてサイフがないのに気づき、癇癪を起したことがありました。タクシーで料金を支払ったはずですが、その間の記憶が全くないのです。ブラックアウトです。
アルコール依存症専門クリニック初診前の2ヵ月間の記憶が特に悲惨です。ジグソーパズルの絵から部分的にパーツが欠けているように断片的で、覚えてないことが多々あります。昼間、寝たり起きたりの生活をしていたわけではないのですが、頻繁にブラックアウト状態になっていたらしいのです。
下剤を使っても、浣腸をしても便秘が1ヵ月以上もよくならないことから、県立病院で大腸内視鏡検査を受けることになったのですが、検査予約前日と検査当日にどう行動したのか全く覚えていません。検査前日に摂らなければならない検査食は無くなっていましたが、食べた記憶がありません。検査当日に県立病院とどのように連絡を取ったのか全く分かりません。検査は受けなかったようです。
外で会う約束も複数回スッポカシしていたようです。約束を破られ、待ちぼうけを食わされた二男から、素面に戻った時にこっ酷く怒られました。
アルコール依存症専門クリニック初診直前に県立病院に連れて行かれた経緯も思い出せません。外来受診の帰路、病院玄関を出た所で失神・顔面転倒したことは覚えています。その後、入院したものの強制退院させられたことはすでに述べたとおりです。入院中についても、喫煙したことと、次に述べる幻視以外何も覚えていません。
このように、とても日常生活が普通にできる状態ではありませんでした。痴呆になってしまうとはこういうことなのかと恐ろしくなりました。欠けた記憶は永久に戻ることがないのです。
幻視・幻聴
まず幻視についてです。アルコール依存症専門クリニック初診直前の県立病院に入院中のことです。夜眠られず深夜に何度もトイレに行きました。その度にナースステーションの反対側病棟の薄暗い廊下の奥で、4~5人の人影が集まって賑やかに話しているのが見えました。輪郭が分かる程度に仄明るく、談笑しているのに声は聞こえません。通りかかった看護師に聞いても、車椅子が2脚ぐらい置いてあるだけだからと言うだけです。それでも人影の群がりに見えたのです。確かめには行きませんでした。怖かったのです。
断酒して満1年後に、同じ県立病院で大腸内視鏡ポリープ切除術を受け、1泊入院してトイレに行った際に思い出しました。
次に幻聴です。やはり喫煙がバレて県立病院を強制退院させられ、帰宅したその日のことだと思います。
深夜にインターフォンの呼び出し音がありました。インターフォンに出ると、「オレだけど・・・」と自信なさそうなか細い男の声が聞こえたのです。最初、長男の声かと思いましたが、ちょっと違うことに気付きました。「あんた、誰なんだ?」何回かインターフォンに向かって不審人物に怒鳴っていました。再びインターフォンの呼び出し音が鳴ったので、思い切って玄関のドアを開けてみましたが誰もいません。ドアを閉めると、それでも外から不審人物の声が再び聞こえてきました。閉めたドアに向かって「誰なんだ?お前は!」と大声で怒鳴っていました。
寝ていた妻に騒がしいと咎められ、部屋に戻って眠ることにしました。興奮していましたが、「なんだ悪い夢か?妻の声も夢の中だったのだろう」と見做し、すぐに寝付けたと思います。後にも先にもこの時だけの体験です。
このことをふと思い出した時、最初は夢だったとばかり思っていました。妻に夜中に大声を出していたことがあったのか聞いてみて、現実にあったことだと思い知らされました。
私の精神が壊れかけていたのか、それとも壊れてしまっていたのか。一回だけの経験でしたが、後から思い出してみて、今でも背筋が凍るほどの恐怖にかられます。幻視・幻聴は離脱症状としてありうることだと今は理解できています。
* * * * *
歩行中にも起きた失神・顔面転倒、直近の記憶がパーツの欠けたジグソーパズルの絵のようになってしまったブラックアウト、外出がママならない失禁、どれも普通の日常生活を送るには脅威です。幻視・幻聴も二度と経験したくありません。以上の4つの怖い体験を振り返ってみて、まさに廃人状態、心もカラダも死の淵にいたのだと思っています。これらは私にとって、間違いなく「底着き体験」でした。
強制退院から自宅に戻って、妻に次のように告げられました。
○仕事があるので妻は私の介護ができないこと
○入院が必要だけれど一般病院では受け入れてもらえない。受け入れて
もらえるのは精神科病院だけであること
○精神科を受診するに当たり本人の同意が必須で、同意なしで無理やり
連れて行っても成果が期待できないと県立病院の医師に言われている
こと
頭がボンヤリしていましたが、降伏の白旗を揚げる覚悟は出来ていました。精神科を受診すると同意しました。医師から紹介された病院では予約待ちが1~2ヵ月というので、外来診療のアルコール依存症専門クリニックを改めて紹介してもらい、その精神科クリニックの門を叩くことになりました。それからは毎日通院を続けています。
「底着き体験」をしたと言っていた人でも再飲酒してしまい苦しんでいる例もあります。自分には「底着き体験」があるのだと確信してはいても、断酒を続けられるという保証にはなりません。「底着き体験」は無いよりは有って良かったと思っています。二度と経験したくないという体験があるのならば、それを「底着き体験」とすれば良いと思うのです。
「底着き体験」は、あとは回復だけという希望への出発点のようなもの、断酒を続ける決意を後押ししてくれる怖い顔をした応援団長なのだと思っています。
飲酒欲求は慢心や油断の陰に隠れ、優しそうな姿に変装して思わぬ時に現われてくるそうです。いつ何時現れてくるのか分かりません。あれは凄まじいヒドイ体験だった、と自分が経験した酒害「底着き体験」をいつでも、いつまでも“決して忘れない”。この決意を自らの心の戒めとして今日一日を過ごしています。「底着き体験」は私の断酒の原点です。
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この記事を投稿した時期は、私が “精神的底着き” と呼んでいる出来事を経験した直後のことです。
飲酒時代から得体の知れないモヤモヤを薄々感じていたのですが、断酒を始めて3ヵ月が過ぎた頃から、性的妄想に形を変えて纏わりつくようになりました。具体的にはAV動画を見ずにはおれなくなり、完全に嵌ってしまったのです。もう自分ではどうにもならない状態でした。ヤケクソから動画内容を叙述(言語化)し続けたところ、断酒10ヵ月後にまるで “憑きモノが落ちた” かのように性的妄想ばかりかアルコールの残渣も消えてなくなりました。何とも摩訶不思議で神秘的とも言える体験でした。
ちょうどドライドランクを初めとした急性離脱後症候群(PAWS)の諸症状が波状的に現れていた時期と被っていましたので、当初この出来事の意義が分かりませんでした。ただ、その後は断酒への強迫感(囚われ)に悩まされることが全くなくなり、飲まないでいる方が自然と思えるようになりました。心の落ち着きも体感できるようになったので、件の出来事が “底着き” と同類のものと気付きました。そこで件の体験を “精神的底着き” と呼ぶことにし、この記事で述べた身体的 “底着き” と区別することにしたのです。
間もなく丸3年を迎える私の断酒生活において、憑きモノが落ちた “精神的底着き” 体験は、文字通り画期的な転機となりました。振り返ってみても「これで酒と縁が切れる」と自然体で思えるようになったのは、間違いなくこの “精神的底着き” 体験を経てからのことです。
今回も読んでくださった読者の皆さん、是非「“身体的底着き” の後から “精神的底着き” も・・・(上、下)」もご参照ください。(2016.9.9)
「底着き体験」の解説はこちら
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n7870
以下の記事もご参照ください。
「あなたは“脳組”? それとも“肝組”?(中)」
http://blog.goo.ne.jp/19510204/e/027e2d809cacabb292a17fb2a552dba7
「“身体的底着き” の後から “精神的底着き” も・・・(下)」
http://blog.goo.ne.jp/19510204/e/a8f796964387d1c9685f1cf90a7e071d
「“身体的底着き” の後から “精神的底着き” も・・・(上)」
http://blog.goo.ne.jp/19510204/e/586d94972a51a1daf773cdf535fd2e86
「アルコール依存症の進行プロセス」
http://blog.goo.ne.jp/19510204/e/2659ffe9ae9633b44a287e9248701154
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