ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

断酒中のドライドランクを自己診断できますか?

2015-10-30 18:26:48 | PAWS
 飲酒中にみられるアルコール依存症者の特徴は自己中心的、否認、他罰的、自己憐憫などとされています。

 今回、再び取り上げるドライドランクとは、酒を飲んでもいないのにあたかも酔っ払っているような、断酒中に経験する病的心理状態のことを言います。

 この言葉の起源は自助会AAだと聞きました。日本語訳では「空酔い」とか、「飲んでいない酔っ払い」とか呼ばれています。

 私が通院中の専門クリニックでは、ドライドランクを病気の再発と位置付けています。再飲酒した患者に確かめてみると、例外なく直前にドライドランクになっていて、再飲酒の「スウィッチが入った」状態であったと話す患者もいるそうです。

 以下の項目を読んで、ご自身の心境に当てはまるかお試しください。

 *************************************************************************
 【ドライドランク自己診断チェックリスト】当てはまるものにチェック
    1 ( ) 周囲の人のやることなすことに腹が立つ
    2 ( ) 自分のつらさを分ってくれる人なんて誰もいないと思う
    3 ( ) もう一生酒を飲めない自分はとても不幸だと思う
    4 ( ) うれしいことがあると浮かれやすくなった
    5 ( ) 思いのほか口が達者になって人と話し始めたら止まらない
    6 ( ) 断酒が続いているのを家族が褒めてくれないので面白くない
    7 ( ) 家族の中で自分の立場がなく、情けない
    8 ( ) 気分がよくなったので仕事に復帰しても大丈夫と自信がある
    9 ( ) 仕事上のブランクを早く取り戻したいと焦りがある
   10 ( ) 酒のせいで出世コースから外れた悔しさでいっぱい
   11 ( ) 仕事上の悩みが一日中頭から離れない
   12 ( ) 身近にいる好みのタイプの異性にむしょうに惹かれている
   13 ( ) 時間を持て余していてギャンブルがむやみにしたくなっている
   14 ( ) 自分は他の人よりひどくないと思う
   15 ( ) 飲みたい気持ちが早くも薄れたので、もう回復できたと思う
   16 ( ) 一日が長く感じ、そわそわザワザワして落ち着かないときが
        ある
   17 ( ) 半ば意識が飛んで、自分が今何をやっているのか分かって
        いないことがある
   18 ( ) 酒ぐらい一人で簡単にやめられると思う
   19 ( ) 抗酒剤を飲まなくても酒はやめられると思う
   20 ( ) ノンアルコールのビールなら飲んでみたいと思う
   21 ( ) これだけ断酒を続けたから、一杯ぐらい大丈夫と思う
   22 ( ) 自分はたとえ酒席に出ても絶対に飲まない自信があると思う
   23 ( ) 体験談を語るときは、通り一遍の話を繰り返している
   24 ( ) 自助会のミーティングからしばらく足が遠のいている
   25 ( ) 他の人の体験談はどの人の話も同じに聞こえ飽き飽きする

                      (通院中の専門クリニックの教育資料から)
**************************************************************************

 いかがでしたか? お察しの通り、上にあげた事例はすべてドライドランクのときになりがちな具体例です。多くが日常でもよく経験する僅かな気分の変化としか思えないため、気に留めないでいることが多いと思います。

 もしも、あなたが今ドライドランクの最中なら、意に反して「自分は違う」と密かに否認した項目が多かったかもしれません。すでにドライドランクを脱した後なら、素直に「こんなこともあったなぁー」と認めたことでしょう。

 17番目の項目は、私が “自動行動” と名付けているもので、無意識の内にやってしまう行動のことです。再飲酒に直接繋がる可能性が最も高いものではないかと考えています。

 ドライドランクのときによく見舞われる心理的変化の要約を下に列挙してみます。上表のリストと比べてみてどうでしょうか?


 ○あまりにも良い事があり、回復の目安とされる時期よりも早く訪れたと思う
 ○飲酒をコントロールできるだろうと感じ始めた
 ○断酒を続ける自信が強くなった
 ○自分の力で、道を開いていく自信が強くなった
 ○万能感で自信満々となった
 ○患者仲間や酒好きな人にやたらお節介したくなっている(自我の肥大)
 ○なぜ自分だけがこんな目に遭うのかと可哀そうに思う(自己憐憫)
 ○他人の悪いところが、やたら目についてきた
 ○仲間の体験談が白々しく感じられてきた


 これらは自己中心的、自信過剰、万能感、自我の肥大、自己憐憫などの言葉で説明される心理状態を示していて、上表のリストと合わせると、おおよそどんな気分なのか分ってもらえると思います。自己憐憫の状態になると、容易に他罰的になりやすいとも言われています。
         *   *   *   *   *
 断酒を始めて2ヵ月目ぐらいの頃、専門クリニックの初心者教育プログラムでドライドランクというものがあると教わりました。飲んでもいないのに酔っ払った状態になりがちと聞いたのですが、そう言われても断酒を始めて間もない当時はピンと来ませんでした。

 私の場合は、断酒を始めて4ヵ月目ごろからドライドランクらしい状態が始まったようです。その頃の二つのエピソードをご紹介します。

 人と話しているときに妙にハシャイだ気分となって、些細なことにも笑い転げていました。あくまでも人と話しているときに限り、思いのほか口達者となり完璧に浮ついた気分になったものです。身体的な回復を実感し、それで心にゆとりが出て来たとばかり思っていました。まさかドライドランクなどとは、夢にも思いませんでした。その一方で、一人でいるときには理由もなく(?)気持ちが空回りしているのをよく感じていました。

 次に、第一回目の本ブログでご紹介したエピソードですが、大腸内視鏡検査を受けた日の検査直後、AAで聞いた仲間の体験談に白々しさを覚え、断酒など独力でもできると自信過剰になったことがありました。典型的なドライドランクの症状です。その日の帰り道、今度は一転して不吉で不穏な胸のザワザワ感に襲われました。自信過剰となったことの反動だったのかもしれません。

 上記の二番目の出来事は継続断酒11ヵ月目に経験したものです。その直後にネットで詳しい特徴を知り、初めてドライドランクと納得できました。詳しい知識が得られた以降は、ストレスが懸念される度にドライドランクを警戒し、「あっ、今はアレかも!?」と再飲酒しないよう用心して来ました。このようにできるだけ意識することで、無難にやり過ごすことができたのだと思います。

 回復過程にある脳内環境のバランスは、情動に係る亢進系と抑制系それぞれの回復速度の違いによって、とかく揺らぎやすい状態にあると仮定してみました。そう仮定すると、典型的なドライドランクの症状は、微妙な揺らぎが外からのストレスで一時的に増幅した結果、バランスの不均衡が顕在化し、一過性の情動不安定として現れたものと説明できるようなのです。

 上で述べたエピソードを例に取ると、普通にする内輪の会話などでは軽いストレスが、大腸内視鏡検査などでは強いストレスが、それぞれかかった状態とみることができます。これら外からのストレスに、ドライドランク状態にある脳が敏感に反応した結果が自信過剰や、気持ちの空回り感、胸のザワザワ感として現われたと説明可能なのです。

 身近な患者仲間やAAでの体験談を聞いていると、程度に差はあるものの、誰でも断酒中に気分の昂揚感や胸のザワザワ感を経験しています。私はこれらを総称してドライドランク状態と名付けてみました。ドライドランク状態は、受けるストレスの強弱によって現れる症状の強弱も変化するようです。

 回復プロセスの移行期には、急性離脱後症候群(Post Acute Withdrawal Syndrome:PAWS)の一つとして誰もが必ず記憶障害を経験します。ドライドランク状態は、再飲酒前に限って現れる特異的な症状ではなく、記憶障害と同じく PAWSの一つ情動障害であると、私は考えています。

 断酒継続中のアルコール依存症者は、もっとドライドランクに警戒すべきです。脱したと自覚できるまでは、常に自分はドライドランク中なのだと意識し続けるべきなのです。心当たりに強いストレスと思しきことがあったときが肝腎です。

 ドライドランクになると、たとえ些細な異変であっても、その渦中では自覚できないでいるのが当たり前のようです。泥酔中であっても、酔いを自覚することなく自分は酔っていないと否認するのがアルコール依存症の酔っ払いです。それと同様に、ドライドランク中であればそれと自覚できないでいるのも道理なのです。

 脱した後で初めて自覚するのがドライドランク、そんな厄介な心理状態なのだと考えるべきです。ドライドランクは回復過程に必定です。常に意識しておくことで再飲酒を回避できるのであれば、どんなに注意してもし過ぎることはありません。ドライドランクを初めPAWSの教育にもっと注力してもらえるよう、医療関係者全員にお願いしたいと思います。


断酒中のハイテンションは危ない!(ドライドランク)」も併せてご参照ください。


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飲み方が異常となった転機

2015-10-23 19:17:14 | 自分史
 「三つ子の魂 百まで」「雀百まで踊り忘れぬ」 幼いころの性格は歳をとっても変わらない。よく知られた譬えです。
 「なぜ、酒が必要だったか?」この問いを辿ると、幼年期に抱いた“負い目”を大人になっても“引け目”として知らずに引き摺っていたことに思い当たりました。虚弱体質だったことが幼年期の私の負い目でした。それがどうしたものか見事に飲酒習慣へと繋がってしまったようなのです。無論、“風が吹けば桶屋が儲かる”式の込み入った話ではありません。それにしても、昔の人が残した言葉は苦い経験に裏打ちされた言葉だと、心底サスガだと感心します。


 アルコール依存症専門クリニックで行われる教育プログラムの一つにテーマミーティングがあります。プログラムの冒頭にテーマが提示され、患者各人が心当たりのある思い出を順に発言します。発言者以外の者は質問も、意見も、感想も、コメントすること一切が許されず、ただひたすら聞き役に徹します。自助会でのルールと同じです。

 自助会AAなら、最初に司会を務めるメンバーがテーマに沿った自分の体験談を提示することから始まりますが、専門クリニックでは相談員と呼ばれるソーシャルワーカーがヒントをいくつか挙げて始まります。テーマはいつも具体的な質問形式です。ブッツケ本番の、3~4分の短い語りとなるのが普通です。短い時間ですが、私などは内容に脈絡がなくなることも間々あります。気持ちが入り過ぎてのことか、断酒後に特有の記憶障害の所為か・・・。

 ある日のテーマが冒頭に示した「なぜ、酒が必要だったか?」でした。この類の問いに対し、私は現役時代の日帰り出張で定番であった、あるエピソードを話すことにしていました。飲酒が習慣化した根っこにある一番手の理由が、出張帰りの定番であったこのクセだと考えていたからです。

 定番のクセとは、帰りの電車の車中ではお決まりの、座席に着くなり即ビールとなっていたことです。自分の話す番になると、「仕事(新薬の臨床開発)の件で医師と面談し、何とか無難に済ますことができた。ほっとしたものの、昂ぶったままの神経を鎮めるため、止むに止まれず飲んだ。・・・」このように答えていました。

 なぜ、医師との面談にこれほどの昂ぶりを感じたのか? 元を辿ると、幼少期に虚弱だった体質と、受験競争時代の偏差値至上主義が大いに影響していることに思い至りました。

 慢性扁桃腺炎だったことは大きくなって後で判ったことですが、幼年期から扁桃腺が弱く発熱を繰り返していました。風邪を引きやすく、しょっちゅうこじらせては肺炎となり、入退院の繰り返しから小学1~2年は学校を全休、3年になっても病欠がちでした。ちょっと無理をしたら直ぐに熱が上がり、体温計の水銀が42℃の上限まで行ったことが何度もあります。それで外での遊びを控え、室(屋)内でひとり本や雑誌を読んでいることが多かったのです。

 必然的に、大勢の子供と一緒に外で遊ぶ機会が極端に少なく、同年代の子との社交(?)に疎い環境で育ちました。会話能力を鍛える機会が決定的に不足し、引っ込み思案な子供になっていました。

 久々に遊びに加わっても、話題に付いていけないのです。そんな会話の際、物語に書いてあったセリフしか浮かんで来ないこともあり、どこかズレた話し方をしてしまったことがよくありました。変に唐突で理屈っぽいのです。堅苦しくぎこちない話し方に気付き、会話中に固まってしまったこともありました。

 日本人の話す英会話が、ネイティブには候文(そうろうぶん)のような“書きことば”に聞こえるとよく言われるそうです。それと同様の違和感があるのではないかと、今でも臨機応変の機転のなさを引け目に思っています。病弱で遊び仲間とオシャベリを交わした経験の乏しいことが祟って、大人になっても相変わらずの会話下手です。それを引け目として引き摺ってきました。現役当時も今も、依然として過去のコンプレックスに囚われたままなのです。

 もうひとつ後生大事に引き摺っている過去があります。

 先日、幼稚園児の孫の運動会を見に行きました。跳び箱演技では、4~6段の跳び箱でも難なく飛べる子もいれば、尻込みしてしまい1段でも飛べない子もいて、中には上体だけ前のめりになって顔からゆっくりマットの上に崩れ落ちる子さえいました。跳び箱の直前で気持ちが引け、身体自体がブレーキになっているのです。その跳び箱演技を見ていて思い出したのです。(大げさに聞こえるかもしれませんが、)予断を持ったがゆえの思い切りの悪さ、新薬の臨床開発をしていた現役時代の私の姿がそこに見えました。

 偏差値の格差を、そのまま人の能力の差とみる。この考えが身に染み着いていたのが受験時代です。医師とみるや、かつて圧倒的に偏差値で差をつけられ、足元にも及ばない存在だった過去に引け目を感じていました。仕事で面談相手の医師を前にして、この人も高い偏差値だったのだろうという思いが拭いきれず、その幻影に怖気づいていたのです。

 面談相手は単に医師という職業人なのです。これまで生きてきた背景は異なっても、新しい薬を開発しようとする土俵は同じです。過去のゴチャゴチャしたことに予断をもたずに、お互い職業人として率直に話し合える接点を見出せれば良いだけなのですが・・・。そんなトラウマを抱えて医師と面談していました。

 担当するプロジェクトが基礎研究段階にあったため、刺激の少ない内勤業務ばかりで出張などほとんどない一時期が5年間ほどありました。それが一転して30歳代半ばに、新薬プロジェクトの専任リーダーとなって、医師との面談が主の外勤業務へと一変したのです。医師と具体的に治験絡みの話をするのは実に久し振りのことでした。

 開発リーダーの職責は重く、常に突撃隊長としての緊張を強いられます。凄まじいばかりの重圧と緊張感は、やった者にしか分からないだろうと思います。

 治験を受けてくれる医療機関を開拓するのが仕事ですから、面談相手は必然的に初対面の医師ばかりとなります。アシスタント時代にも医師と単独で面談したことが数多くありました。しかし、上司の面談の場に同席し、その後を引き継ぐ形で面談したわけで、その頃の気楽な面談経験と開発リーダーとして臨む面談とは比べものになりません。
  
 誰であろうと初対面の相手には緊張が付き物です。そこに幼年期から続く会話下手の意識に加え、高い偏差値を誇っていた医師に対するコンプレックスがさらに加わって、面談時の神経の昂ぶりは予想以上のものでした。

 出張時の移動中は目付け役のいない単独行動が基本です。無難に面談を済ませ、緊張から解放されても、まだ神経が昂ぶったままでした。目付け役がいないことをいいことに、帰りの車中では即ビールが定番となってしまいました。そのまま直帰のときは、まだ陽が高い時間だろろうが一向に躊躇しませんでした。

 場数を多く踏むということは実に面白いものです。度胸もつけば、悪癖もつく。初対面の相手が大物医師でも、緊張感が薄れて面談を無難にこなせるようになった一方で、出張帰りの車中での定番はそのままに残りました。

 一旦身に着いたものはクセになり容易に習慣化します。自宅でビール大瓶1本の晩酌で済ませていたところに、出張帰りの習慣が当たり前のように付け加わりました。こうなると自宅での晩酌も、ビール大瓶1本では済まなくなります。1本が2本になり・・・。結局、晩酌の量は大幅に増え、それが新定番となったのです。

 以上が、“習慣飲酒”が悪化してアルコール依存症へ一本道となった一番手のキッカケでした。

 振り返ってみると、出張帰りの定番を引き継き、仕事がらみでの同様のキッカケが4番手まで後に控えていたわけです。想像通り耐性が立派に成立し、現役を終える頃には半端な飲み方では済まないツワモノの呑み助になっていました。

 トラウマを引き摺ってばかりでは仕事になりません。当時、私の採った対策をお話ししておきます。

 医師との面談では独特の間合いが不可欠です。前の機会から時間が空いた場合には、面談前にその勘を取り戻しておくことがとても大切です。リーダーとなってまもなく、気軽に相談できそうなベテラン医師を見出し、用事を作っては頻繁に訪ねて親しくなるように努めました。

 そのベテラン医師は会社から歩いてでも行ける病院の勤務医でした。その内、世間話に毛の生えたような用事であっても、快く付き合ってもらえるまでになりました。初対面の大物医師との面談前には、リハーサル代わりにこのベテラン医師を必ず訪ねるようにしました。そのお蔭で初対面の大物医師にも無難に臨めるようになったのです。

 難しい選択を迫られる問題の場合には、他に中堅医師2人にも相談に乗ってもらい、意見を聞くようにしていました。つまり、いつでも相談に乗ってもらえる医師を常に3人確保していたものです。


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“身体的底着き”の後から“精神的底着き”も・・・(下)

2015-10-16 20:26:41 | 病状
 “底着き” とは普通、アルコール依存症の専門医療機関を受診せざるを得なくなった頃に経験する過酷で最悪の酒害体験のことを言います。
 一方で “底着き体験” を経験しているから断酒を継続できたと言う人がいれば、他方で “底着き体験” を経験したと言っていた人がアッケナク再飲酒してしまう例もあります。
 私は、“底着き” には “身体的な底着き” と、情動に係る “精神的な底着き” と二つあるのではないかと考えるに至りました。“底着き” とは何なのか、再び考えてみます。(前回からの続きです。)

 完全退職する半年前に自分専用のパソコンを入手して以来、自室でAV動画サイトを時々覗くようになってしまいました。まだ後ろめたさがあり、暇つぶしに毛の生えたような状態でどうにか留まっていました。それが完全退職後の無聊にかこつけ、妻が出勤するや一人発泡酒を片手に頻繁に無料AV動画サイトを観るようになってしまいました。

 アルコール漬けのエロ動画三昧とでも言うのでしょうか、あたかも胡散臭い危険ドラッグを肴に酒を飲むといった塩梅だったと思います。断酒を始めた後は、幸い毎日通院の緊張感もあって、しばらくはAV動画から遠のいていました。が、図らずもヒョンナことから寝た子を起こしてしまい、AV動画に嵌ってしまったのです。

 家族の中にいても依然として残る疎外感、「断酒を続けなければならない。再飲酒してはいけない」という強迫感、さらに「医療スタッフに “恋心” など絶対に抱いてはならない」という強い自制も加わり、これらが強いストレスとなって性的妄想を掻き立てたのだと思います。

 性欲を煽るような、得体の知れない、モヤモヤしたものに雁字搦めにされた状態で、俗に言う “憑きモノ” に囚われたという表現がピッタリの精神状態でした。自分ではあまり意識していなかったのですが、断酒の継続によほど危機感を持っていたのだと思います。困ったときの神頼みならぬ “性的 shelter ”  頼みです。危機の際のお決まりの避難先が、この時はAV動画への傾倒でした。年甲斐もない悩みに、恥ずかしさが先立って医師に相談することもできませんでした。

 どうにもならない状況だったので、しばらくして仕方なしに始めたのがAV動画作品の品定めでした。しかも場面展開ごと要点をすべて書き出した上での批評でした。

 最初は、性器の部位ごとの特徴を分類することから始め、次いで体位の分類と継続時間、迫真的演技の有無、さらにカメラアングルや編集技術の巧拙など、制作技術の分析にまで及びました。動画を途中で頻繁に止め、特定場面までの所要上映時間をチェックしながらの作業でした。

 半ばヤケクソで始めた行動でしたが・・・、20本以上の作品に試みたころ、驚くべき心境の変化が訪れました。エロティックとか、卑猥とか、性的興奮が刺激される感覚がすっかり消え失せ、単にヒトの生物学的生殖行為、つまり交尾の客観的映像記録としか見えなくなったのです。

 さらに驚くべきことは、長年溜まりに溜まったモヤモヤしたものが消えてなくなり、平穏な心理状態となれました。同時に、真綿のような薄物のヴェールで長年脳が覆われていた感覚も消えました。正確を期してありのままに書くと次のような次第になります。
「(いつもと違う感じがしたので)そう言えばちょっと前まで、ずっとシビレのような変な感覚があったなぁ~」と初めて気付いたのです。

 “憑きモノが落ちた” とはこのことかと思いました。何とも摩訶不思議で神秘的とも言える体験でした。継続断酒を始めて10ヵ月目のことでした。

 この出来事があってからというもの、アルコール依存症の回復とは一体何が目安となるのか、回復するまで他にどんな離脱症状を覚悟しておくべきかに関心が向くようになりました。一時は、早くも回復したのかと錯覚したほどだったのです。断酒に囚われてばかりの状態から明らかに闘病意識が変化し始めていました。医師の診察を受ける都度、手を変え品を変え何を目安に回復と診断するのか質問攻めにしたものです。

 意識の変化と一体のものかもしれませんが、この体験が転機となって、まるで傍から自分自身を客観的に見ているかのように、気持ち(感情)の変化がリアルタイムで自覚できるようにもなりました。たったこれだけのことで結果的に感情を自制できてしまうのが不思議です。ドライドランクを初めとした急性離脱後症候群(Post Acute Withdrawal Syndrome:PAWS)をはっきり自覚するようになったのはこの時期からでした。“正気に戻る” とはこんなことかもしれません。

 AV動画の内容を文章化する以前から私が実践していたことを挙げておきます。継続断酒3ヵ月目ぐらいから、酒害とみられる諸症状と断酒後に経験した症状の変化を文章で記録し始めました。継続断酒6ヵ月目ぐらいからは、自助会AAのミーティングに毎回参加することも始めました。もちろん毎日通院も当然励行していました。薬剤の使用状況については、精神安定剤ジアゼパムは継続断酒2 . 5ヵ月で、抗酒剤シアナマイドは継続断酒9 . 5ヵ月でそれぞれ中止していました。

 「AV動画など性的なものに全く興味がなくなってしまった」と主治医に相談したところ、一言「年齢(とし)のせいで、老いて枯れたんじゃないの!?」と冗談半分に言われてしまいました。そこで、“憑きモノが落ちた” と実感するに至った経緯を詳しく話すと、恐らく “言語化” の効用だろうと説明してくれました。叙述作業に集中したことで、前頭葉の機能がフル回転し活性化した結果だということです。

 種々の話を勘案すると、次のようになります。まずは、継続断酒を開始したことでアルコールの供給が完全に遮断され、アルコールの影響下にあった体内秩序に変化が始まります。短期間の急性離脱症状から健常な状態へと回復する変化です。ヒトの身体にはホメオスターシス(homeostasis)という内部環境を一定の状態に維持する仕組みがあります。このお蔭で生命を維持する内臓機能などはアルコールの害毒から素早く回復できるのです。身体的な機能回復に比べ、脳の機能回復は緩やかで時間がかかるようです。脳内環境は精巧かつ繊細過ぎてホメオスターシスの維持機能が虚弱なのかもしれません。

 本能的な情動を支配しているのは大脳旧皮質辺縁系の扁桃体で、それが暴走しないよう理性的に制御しているのが大脳新皮質の前頭葉です。飲酒すると、ほろ酔い⇒酩酊⇒昏睡の順で酔いが回ってきます。酔い方の順からみて、生命維持に関与する部位に近い辺縁系の方がアルコールの害を受けにくく(記憶の保管庫、海馬は障害を受けやすいのですが・・・)、もう一方の前頭葉の方はアルコールの影響を受けやすいと考えられています。アルコール依存症者で前頭葉の委縮が確認されていることが、その恰好の証左です。酔いの回りの速さばかりでなく、機能回復の速さにおいても、前頭葉と辺縁系との間に差があっても不思議ではありません。

 そこで私は次のような仮説を考えてみました。前頭葉と辺縁系とではその機能の回復速度に差があり、前頭葉の機能回復速度の方が遅いと仮定してみました。すると、回復速度のズレは脳内環境のバランスに微妙な揺らぎをもたらすと考えることができます。ドライドランクや、時に一過性に襲って来る不吉な胸のザワザワ感は、このバランスの揺らぎが現れたものと考えられます。

 アルコール依存症者は誰でも皆、断酒を継続中にドライドランクや一過性の酷いザワザワ感を幾度となく経験します。脳内環境が微妙な状態にあるだけに、殊のほかストレスに弱く、敏感になっているからではないでしょうか?

 毎日通院による生活リズムの立て直しと、酒害体験を叙述する作業や定期的に自助会AAのミーティングへ参加したお蔭で、私の場合は前頭葉の機能が正常化へ向かう軌道を加速中だったのだと思います。言い換えると、ドライドランクへと急速に移行中(?)だったとも言えます。ドライドランクのせいで柄にもなく恋心を抱いてしまい、それはならじと自制を強いたことが却って強いストレスになったものと思われます。そのストレスで脳内環境のバランスの揺らぎが増幅され、ついには性的妄想に至ったのだと思います。

 どうにもならなくなって、仕方なく言語化作業に集中したことが幸いし、思いがけず性的妄想から脱却できたのでしょう。AV動画を叙述するという、言語を駆使した理性的作業に没頭したことが前頭葉を活性化し、本能的な情動を適切に制御する本来の機能が一気に回復したのだと考えられます。“瓢箪から駒” とはこのようなことを言うのでしょうか。私に起こった心境の劇的変化は、こう解釈するととても分かりやすくなります。

 “底着き” には、本格的回復への第一歩の意味もあります。断酒の継続で回復へと向かう過程には以下の4段階があると言われています。( )内に示された継続断酒の期間は、あくまでも目安です。


アルコール依存症の回復プロセスと心構え
 移行期(継続断酒1年ぐらいまで):酒に対する敗北を認め、アルコール依存
           症だと受け入れる。
 初期(継続断酒1~3年):回復したと過信しない。自助会に加入する。
           心身の不調を飲まずに乗り切る。
 中期(継続断酒3~5年):夫婦関係・親子関係、周囲との関係を立て直す。
 発展期(継続断酒5~7年以降):自分を労わる。新しい価値観を見出し、
           人生の変化を受け入れる。

                     (通院中の専門クリニックの教育資料から)

 私は現在、継続断酒2年弱です(丸2年に1週間足りません)。現在の心境を上の基準に当てはめてみると、私は初期段階を乗り越えた位置にいるようです。

 今では飲まないでいる方が自然ですし、「~しなければならない」という強迫感からも解放されました。囚われない自由な発想もできるようになりました。“憑きモノ” が落ちたと実感した後の一時期、これで回復できたと過信してしまいましたが、今はそれも自戒しています。妻との関係や親子関係を含め、周囲との関係の立て直しは、その入り口に立ったばかりと思っています。

 アルコールが毒であると認識させてくれた断酒開始前後の体験は、確かに “底着き” と呼べる体験でした。“憑きモノ” が落ちたと実感した神秘的な体験も、“底着き” と言うべき画期的な体験だったと考えています。私はこれらの両方を経験した者として、両者ともに “底着き” だったと考えることにしました。

 “底着き” には “身体的底着き” と、情動に係る “精神的底着き” の2種類があり、“身体的底着き” の後を襲う “精神的底着き” を経て、初めて確実な回復過程が始まるのだと考えています。



下記の4つの記事も併せてご参照ください。
「私の底着き体験・断酒の原点」
 http://blog.goo.ne.jp/19510204/e/b398995e4348d76c198f521a06c83f42

「アルコール依存症へ辿った道筋(その8)物の怪(“妄想”)が性欲を煽る?」
 http://blog.goo.ne.jp/19510204/e/9dbdc05e1e5f679230b7a9ef8f310852

「回復へ―アル中の前頭葉を醒まさせる」
 http://blog.goo.ne.jp/19510204/e/ddae0e4381793bed7cd7607a548fe937

「幽霊の正体見たり枯れ尾花(憑きモノ体験)」
 http://blog.goo.ne.jp/19510204/e/e6d66171af7053484b60ba7b32b2f6a2


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“身体的底着き”の後から“精神的底着き”も・・・(上)

2015-10-09 22:26:12 | 病状
 “底着き” とは普通、アルコール依存症の専門医療機関を受診せざるを得なくなった頃に経験する過酷で最悪の酒害体験のことを言います。
 “底着き” をしたか否かは、アルコール依存症から回復できるか否かの試金石と捉える向きがあります。アルコール依存症者にとっても、“底着き” を経験したことは断酒を継続するためのお守りみたいなもので、あたかも回復への安心切符と思いたがるものなのです。だから一方で “底着き体験” を経験しているから断酒を継続できたと言う人がいれば、他方では “底着き体験” を経験したと言っていた人がアッケナク再飲酒してしまう例もあります。
 私は、“底着き” には “身体的な底着き” と、情動に係る “精神的な底着き” と二つあるのではないかと考えるに至りました。“底着き” とは何なのか、再び考えてみます。

 体験談を聞いていると、アルコール依存症と診断されたのは、配偶者や親兄弟に付き添われて専門の医療機関を初めて受診した時という人が圧倒的に多数派です。受診することになったキッカケは、酒浸りとなってもはや自分の意志ではどうにもならなくなったため、半ば強制的に連れて来られたというのが大半のようです。かくいう私も同類です。

 くすんで蔭りが見える顔、虚ろな眼、覚束ない足、自力では歩くこともままならない体たらく。これが初診の患者に共通した外見です。身体的には、内臓や下手をすると骨までも文字通りボロボロの状態です。頭の中はというと、自分が何をしているか半分ぐらいしか理解できていない状態で、論理的な思考能力はほぼゼロです。これら外見上の風貌と、身体的・精神的に末期とも思える状態がアルコール依存症者の初診時に共通する姿です。

 自力ではどうにもならないため、「断酒するしか生きられない」と主治医から通告されたとき、私はショックを受けながらも内心ホッとしました。「これで救われたぁ~!」、これが私の偽らざる本音でした。

 不眠(頻回覚醒)などの急性離脱症状で最も苦しい1週間ほどが過ぎると、順調な身体の回復で少しずつ元気が戻ってきました。抗酒剤の助けを借り「とにかく断酒を続けなければならない」と、精神安定剤(ジアゼパム)でボンヤリした頭ながら断酒に懸命に取り組みました。夕食に出された粕汁に酒の臭いがしたため、箸を付けずに済ましたこともありました。

 この頃、専門クリニックの初心者教育プログラムで『底着き体験』という言葉を知りました。ネットで調べると、飲酒はおろか自分自身のことさえコントロールできなくなったことから “アルコールに無力” と降参した心理状態のことだとありました。同時に、回復への第一歩であるともありました。

 初診前の凄まじい酒害体験を経て、やっと辿り着けた気持ちでいた当時の私にとって、“アルコールに無力” の心境は自分に合致するものだと思えました。私はすぐさまこの言葉に飛びつきました。

 『底着き体験』には「酒とは金輪際縁を切る」と “心の底から” 得心するという意味合いもあります。私自身も心の底から(?)生涯断酒で構わないと納得していたはずでしたが、実の所、まだ飲酒への未練が残っていたようなのです。

 専門クリニックの初心者教育プログラムの一コマに、近々起こりうるドライドランク(≒急性離脱後症候群:PAWS)に備えての講義がありました。断酒を始めて3ヵ月以内の患者を対象とし、アンケート形式の教材を使ったものでした。アンケート用紙には、質問項目としてドライドランクに陥った際に想定される心境が30問程度書かれてあり、それらに当てはまる心境の有無を尋ねていました。

 質問項目のひとつに、「もう一生酒を飲めない自分はとても不幸だと思う」というものがありました。他の項目すべてに対し該当セズと答えていましたが、これだけはダメでした。今思うに、まだ酒に未練が残っていて、「酒とは金輪際縁を切る」心構えが万全ではなかったのです。心構えが不十分などとは考えてもいなかったので、この事実を目の当たりにしても、依然として「自分は “底着き” を経験したのだ」と信じようとしていました。

 アルコール依存症の治療は普通3ヵ月間の入院加療です。病院スタッフの監視下ですから、禁酒を文字通り強制されるわけです。3ヵ月間の入院は、身体的健康の回復、高い飲酒欲求の抑制、アルコール依存症の教育、これら3つを目的として必要な処置とされています。ただ、3ヵ月という期間については臨床的経験則という側面が強く、身体的健康の回復以外は科学(医学)的根拠が乏しいようです。

 自助会AAで聞く入院経験者の体験談では、退院した途端、即再飲酒だったというのが圧倒的多数派です。自由のない半強制的隔離状態に不満タラタラだったことが、原因として共通しているようです。体力の回復に退院した解放感も加わって、入院中に受けたアルコール依存症の教育効果など無に帰してしまったのでしょう。私の経験に照らしてみても、3ヵ月間の教育1回では身に付いた知識などほとんどなく、最低2回の受講で6ヵ月の教育期間が必要だったというのが実感です。

 3ヵ月で退院というと、ちょうどドライドランクが始まる時期に当るので、この病的状態に特有の自信過剰の気分から、“アルコールに無力” など上の空となったのかもしれません。恐らく、『底着き体験』と考えていたことも、実質苦い思い出としか残っていなかったのでしょう。それでも本人は “底着き” を経験済みだから、と相も変わらず固く信じたままとは思いますが・・・。

 結局、身体的ダメージが主体の『底着き体験』は、それがどんなに悲惨で酷い身体状態を経験したものであったとしても、体力が回復するにつれ影が薄くなるもののようです。

 これに対し毎日通院ではあまり強制力を感じずに、主体的に断酒に取り組んでいることで再飲酒を堪えられている自信が大きいと思います。毎日通院することで、日常生活の秩序とリズムを自律的に取り戻せることも大きなメリットです。同じ3ヵ月間の加療なら、入院よりも毎日通院の方が自律性を養う意味でも分が良さそうです。

 私の場合も、継続断酒を始めてまる3ヵ月が過ぎた頃には、歩行がしっかりし、肝機能が正常化するなど体調が戻ってきました。あたかも拷問のようだった読書が難なく出来るようになりました。酒害体験を記録しておくため、症状ごとに詳しく叙述することも始めていました。

 心理状態はと言えば、一方で明鏡止水とでもいうべき穏やかな心境が訪れるかと思えば、他方では気分が妙に浮つき、こともあろうにクリニックの医療スタッフに恋心を抱くなど(恋したくなるのも無理のない愛想のよい医療スタッフでしたから・・・)、今から考えると微妙な状態にありました。妙に浮ついた恋心に違和感があり、一応は精神障害者の身なのだからとも考え、「懸想するなど軽率であるまじきこと」と意識的に距離を置くようにしました。

 今となっては、医療スタッフへの懸想はドライドランクによるものだったと断言できます。断酒後に現れる情動不安定な状態は、渦中にあるときはそれと自覚できないもので、過ぎた後になって初めて自覚できるものなのです。

 ところが、断酒継続中のこんな状況でか、こんな状況だからこそか、性的なものへの強迫観念(妄想)に火が着き、強いストレスとなってしまいました。それでネットで手軽に見られるAV動画に耽るハメになったのです。自室でパソコンの電源を入れ、着信メールの確認を済ますと、すぐAV動画サイトにアクセスです。AV動画を観ないことには気分がむしゃくしゃし、もうどうにも治まらなくなっていました。
(次回につづく)



「私の底着き体験・断酒の原点」も併せてお読みください。
 http://blog.goo.ne.jp/19510204/e/b398995e4348d76c198f521a06c83f42

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ヒゲジイのPAWSによる悪文見本市(その5)

2015-10-02 20:09:50 | 悪文見本市
 断酒開始後3~6ヵ月目に自覚するようになると言う急性離脱後症候群(Post Acute Withdrawal Syndrome:PAWS)、そのひとつ“思考プロセス障害”によると思われる悪文事例の続きです。
***********************************************************************************
【事例23】
 23番目の事例は、事例20~22と同じく断酒を始めて1年3ヵ月後のものです。(「アルコール依存症へ辿った道筋(その17)連続飲酒から脱出・仕事再開!」より)

「最初の医師には心電図データの確認のつもりで誤って心電図の再計測と言ってしまいました。医師本人が過去に記入したCRFのデータの数字が心電図を見て間違いないことを確認することと、心電図のコピーで再計測することとは全く違います。」
        
「最初の医師には心電図データの確認と言うべきところ、誤って心電図の再計測と言ってしまいました。医師が心電図のコピーを見て、本人が過去に記入したデータの数字が間違いないことを確認することと、心電図のコピーで再計測することとは全く違います。」

 元の二つの文ともに“話しことば”の調子で、説明すべき事柄を端折って記述しています。これはこれでご愛嬌かもしれません。正確な記述を期して“書きことば”へ改めてみました。

【事例24】
 24番目の事例は、断酒を始めて1年4ヵ月目に入ったときの、事例20~23の1週間後のものです。(「アルコール依存症へ辿った道筋(その18)被災地では・・・」より)

「洗濯のために通る朝の歓楽街の往復の路は、飲食店から出たゴミ用容器や食べ物の残りクズ、吐瀉物などがあちこちに散らばり、それらにカラスが群がっていたりします。ケバケバしい電飾で装った夜とは打って変わって雑然とした気怠さを感じさせます。」
        
「洗濯のために往復する道は歓楽街のど真ん中を通ります。朝の歓楽街は飲食店から出たゴミ用容器や食べ物の残りクズ、吐瀉物などがあちこちに散らばり、それらにカラスが群がっていることもあります。電飾で装ったケバケバしい夜とは打って変わって、朝は雑然としていて気怠ささえ感じさせます。」

 元の前半の文では、1文に内容がテンコ盛りになっています。丁寧な記述に改めました。かえって改訂文の方が諄くなっていますか?後半の文では、“ケバケバしい”が鍵を握る言葉です。修飾する先が“夜”の方が当時の気分に合致すると思いました。元の文ように“ケバケバしい電飾”の方が正しいとは思うのですが・・・。

【事例25】
 25番目の事例は、上の事例24と同じ断酒を始めて1年4ヵ月目に入ったときのものです。(「アルコール依存症へ辿った道筋(その18)被災地では・・・」より)

「西宮神社(戎神社)への参道を兼ねる規模の大きい中央商店街一帯は倒壊した建物だらけで、アーケードだけが屋根を残して建っていました。・・・当時の商店街アーケードの天井から吊るされていた時計が地震発生時の時刻を指したまま記念碑的に残されています。駅南側ロータリーの南、ダイエーの敷地の一角に現在でも見ることができます。」
        
「西宮神社(戎神社)への参道でもある規模の大きな中央商店街一帯は倒壊した建物だらけで、立っているものといえば屋根を残したアーケードだけでした。・・・商店街のアーケードに吊るされていた当時の時計が、地震発生時の時刻を指した状態のまま今も記念碑的に残されています。・・・」

 前半は“アーケードだけが屋根を残して”の部分が誇張しすぎかなと思いました。後半は、“当時の”は“商店街”に係るのではなく“時計”に係りますから、両者を近くに置きました。時計の正体を正確に記述するよう改めましたが、それがかえって諄い表現になったのかもしれません。

【事例26】
 26番目の事例は、断酒を始めて1年6ヵ月後のものです。(「アルコール依存症へ辿った道筋(その28)急所攻撃の神経戦・・・」より)

「新剤型薬の場合は承認済の普通剤型と比べて血中薬物動態からみてバイオアベイラビリティー(血中濃度曲線下面積:AUC)が同等であればそれで十分なのです。血圧日内変動試験で薬理作用についてまでも両製剤を比べる必要はありません。有効成分の薬理作用が長時間持続すること自体が未承認の新薬とはこの点で全く条件が違います。」
        
「・・・有効成分の薬理作用自体が未承認の新薬とはこの点で全く条件が違います。」

 懸案であった薬理作用の長時間持続の件だけで頭が一杯で、その強い“思い込み”に引き摺られたまま、論理的な整合性にまで気が回りませんでした。ここでは薬理作用が既承認なのか未承認なのかだけが重要です。元の下線部分“長時間持続すること”は、論理の混乱だけをもたらしているので削除しました。論理の展開上、肝腎な部分を見落としたことこそ“思考プロセス障害”そのものと考えました。

【事例27】
 27番目の事例は、断酒を始めて1年10ヵ月後のものです。ここからは比較的最近投稿したものからの事例となります。(「AAの科学的再現性とは?―回復への12のステップ―」より)

「同様に記録と再現性の視点からみると、理研のSTAP細胞事件の問題点は明らかです。」
        
「同様に記録と再現性の観点からみると、理研のSTAP細胞事件の問題点は明らかです。」

 辞書では、“視点:論ずるときの作者や論者の立場”、“観点:考察する立場”、となっています。少し以前ならどちらか決めかねて、中点を用いた視点・観点としかねない場面です。この場合はどちらを選んでも問題ないようですが、読み返してみて“視点”に違和感がありました。それで、“観点”の方を感覚だけで選び直してみました。どうでもよいところに妙に拘る、これもPAWSの所為かもしれません。
 ちなみに中点「・」は、同格あるいは切り離せない関係にある語間に用いる符合です。「そして」の意味と同等です。以前は、単に“点検”とすべきところを、言葉が思い出せずに“照合・確認”としていたことなどがよくありました。

【事例28】
 28番目の事例は、事例27と同じく断酒を始めて1年10ヵ月後のものです。(「AAの科学的再現性とは?―回復への12のステップ―」より)

「STAP細胞を再現できなかったのは、むしろ当然の結末と言えるでしょう。」
        
「STAP細胞を再現できなかったのは、むしろ当然の帰結と言えるでしょう。」

 “当然の”ときたら“帰結”と結ぶのが慣用的な言い回しではないでしょうか?その“帰結”が思い浮かばなかったため、類似の“結末”でお茶を濁した事例です。意味は通じるのですが、どこかシックリしない違和感がずっとありました。それで悪文事例として挙げてみました。

【事例29】
 29番目の事例は、事例27~28と同じく断酒を始めて1年10ヵ月後のものです。(「AAの科学的再現性とは?―回復への12のステップ―」より)

「“長年溜まりに溜まったものが弾けて消え、平穏となって心の落ち着きが分かったとき、『神』を身近に感じた”という状況は、私が体験した“憑き物が落ちた”ときの神秘的感覚に近かった」
        
「“長年溜まりに溜まったものが弾けて消え、平穏となって心の落ち着きが分かったとき、『神』を身近に感じた”という心境は、私が体験した“憑き物が落ちた”ときの神秘的感覚に近かった」

 適切な言葉を思い出せないまま、“~キョウ”という言葉の響きだけを手掛かりとしたため使うべき用語を間違えた事例です。種を明かしてしまうと何ともオソマツな次第。ここはどうみても“心境”とするのが正しい。
 余談ながら、私は関係代名詞を含む英文を訳すとき、「~という・・・」をよく使います。その癖から、述語を含む節となっている修飾語で修飾‐非修飾関係を繋ぐのに「~という・・・」を使う傾向が強く、このことが諄い印象を与えているようです。

【事例30】
 30番目の事例は、事例27~29と同じく断酒を始めて1年10ヵ月後のものです。(「AAの科学的再現性とは?―回復への12のステップ―」より)

「相談結果に基づいたスポンサーからの助言に従い、被験者は自身の思い出を再省察し、自身の性格上の欠点(思考の歪み)を含め叙述内容を改訂する。」
        
「相談結果に基づいたスポンサーの助言に従い、被験者は自身の思い出を再省察し、自身の性格上の欠点(思考の歪み)を含め叙述内容を改訂する。」

 下線部分“からの”は、正確ではあるものの、翻訳調そのものの諄い表現になっていました。単純なのが一番です。

【事例31】
 31番目の事例は、断酒を始めて1年11ヵ月目の最近の投稿文からです。(「ヒゲジイの悪文見本市(その2)」より)

「結果的に説明不足でニュアンスだけの実態のない表現となっています。」
        
「結果的に説明不足で、実態のないニュアンスだけの表現となっています。」

 これは修飾語の記述順ルールから外れている事例です。元の文の“表現”の修飾語は、句“ニュアンスだけの”と述語を含む節“実態のない”の二つからなっています。元の文のままなら、“ニュアンスだけの”は“実態”に係るので“ニュアンスだけの実態”(?)という意味不明なことになります。修飾語の記述順ルール通りに改めました。
 修飾語の記述順のルールは、以下の2点が最も重要です。
 ○述語を含む節が先、句が後
 ○長いものが先、短いものが後

***********************************************************************************
 いかがでしたか?断酒後の回復過程にみられる急性離脱後症候群(Post Acute Withdrawal Syndrome:PAWS)のひとつ、“思考プロセス障害”の一端を理解してもらえましたでしょうか?これまで掲げてきた事例の引用元は、ほとんどが一度以上手直しを経たものです。事例文そのものは、以前行った改訂時には、元のままでも意味が通じる部分と見做して手直しを免れたものです。実例に接し、案外問題ナシと捉えるか否かは読者次第ですが、書き手の私としては意図するところに近づけようと苦行の連続でした。それが今でも続いています。
 以上、ヒゲジイの悪文見本市でした。


「ボケが始まった?(急性離脱後症候群:PAWS)」も併せてお読みください。
 http://blog.goo.ne.jp/19510204/e/9c6d1fc08d197902061b8e0ee33adb6a


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