先日のこと、鍵穴に差し込んだ鍵が抜けなくて焦ってしまいました。
鍵穴から鍵を抜くときは、施錠するにせよ開錠するにせよ、
一旦、差し込んだときの位置(ニュートラル?)に戻さなければ抜けません。
そんな簡単なことが頭からスッポリ抜け落ちていました。
しばらくガチャガチャやってどうにか鍵が抜けたので心底ホッとしたのですが、
同時に何か冷たいものが背筋をよぎりました。
鍵の開錠・施錠などは記憶を介さず無意識で行える習慣的自動行動です。
その習慣的自動行動さえ度忘れ(?)してできなくなるとは・・・。
これがもしやMCI(軽度認知障害)ではと思ってゾ~ッとしたわけです。
ところで、食道がんになってみて初めてわかったことがあります。
“がん” というのは、あながち悲観的で悪いことばかりではないということです。
“がん” なら死ぬまでは一定の時間的猶予が与えられるので、何十年ぶりかに
旧友に再会できることもあれば、熟慮を重ねて遺言をしたためることもできます。
つまり、やろうと思いさえすれば終活に励める時間が十分にあるのです。
ところが、ピンピンコロリと急逝でもしたらこうはいきません。
かつて私の父親は、「ここはどこ? 私はだれ?」状態の酷い認知症でした。
ですから、“がん” になる前の私が最も恐れていたのは私自身が認知症になること。
そして、最も望んでいたのはボケが進行する前に死ねたらいいということでした。
そんなふうに思っていた私に “余命半年” の宣告が下りました。
「シメシメ、これで認知症から免れる!」と、“がん” に対する悲観的考えを
半ば改め始めていたのです。
今回の “鍵穴事件” は、そんな矢先に水を差した出来事でした。
どうやら私の人生、生きている間は決して油断などさせてくれない人生のようです。
ランキングンに参加中です。是非、1日1回下をクリックして順位アップに応援お願いします!
クリックしますとポイント加算され、その日の順位が表示されます。