ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

続 変な日

2017-02-28 07:00:57 | 雑感
 今回もAAのミーティングがあった日のことです。ミーティングの帰り道、神戸三宮ではパンの試食を巡り一悶着あったので、電車に乗ってからも浮浪者まがいにあしらわれた後味悪さを引き摺ったままでした。

 その日は、駅からの帰り道もいつもと違っていました。落ちていたゴミの量が普段の倍以上あり、大きめのレジ袋一杯になったのです。いつものように自宅マンション敷地内のゴミ投入口で始末しようと、これもいつものようにゴミ袋をぶら下げて持ち帰りました。

 陽が明々と照る時間帯の、ゴミ投入口の前でのことです。ゴミ投入口を開けるには鍵が必要で、同じ町内でのみ通用する鍵です。吸い殻をゴミと一緒に捨てようと、投入口を開けずにタバコを一服していたときでした。

 同じようにゴミを捨てに来た北隣のマンションの住民が咎めるような声をかけて来ました。
「どこから来たんですか?」
投入口を開けるでもなく、変な老人がタバコをふかして立っていたのです。部屋着とは明らかに違う外出用の身なりでありながら、大きなゴミ袋をぶら下げ、見た目がまるで投入口が開くのを待っているかのようです。鍵を持たないよそ者と間違えても可笑しくありません。

 持っているゴミは社会奉仕の結果なのに不審者に間違えられるとは(?)ついムッとしてしまいました。
「隣ですよ。ここの住民でなけりゃ、(投入口の)鍵を持っているわけないでしょう?」
抑えたつもりの口調で答えたのですが、・・・。彼女は無言のままゴミ袋の投入を済ますや
「お先!」と愛想なく言い残して去って行きました。
「“一息ついて・・・”、言い方を工夫すればよかったかな?」そう思って
も後の祭りでした。

 変なことが重なる日ってあるもんですね。三宮では浮浪者並みにあしらわれるは、帰ってきたら不審者に間違えられるはで、自分一人で勝手に神経を逆撫でさせていました。最近ではめったにない睡眠不足が祟ったせいなのか、言葉が変に尖っていたようなのです。

 役にも立たないつまらないプライドを今だに引き摺っているからこうなるのです。“一息ついて 一歩引いて” も、イザとなったらどこかへ飛んでしまうものだと改めて気づかされた日となりました。



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自分に正直になるには “言語化”

2017-02-24 07:05:17 | 言語化
 今回は、“言語化” を “自分に正直になる” という切り口から考え
てみようと思います。

 自助会AAの著作物『アルコホーリック・アノニマス』には次のように述べた部分があります。


「・・・ 自分に正直になることがどうしても不可能な人はまれにいる。・・・
 きびしい正直さが必要な生き方をとらえ、その生き方を伸ばし育てていく
 ことができない、回復する率が平均までいかない人たちである。・・・」

                               (下線部、筆者)

“自分に正直になる” この言葉にずーっとモヤモヤしていました。上の文章を素直に読めば、自分に正直になれなければ回復できないことになるからです。

 これまでは “自分に正直” という言葉に、「(分相応)身の丈に合った」とか「等身大の」といった、変に虚勢を張ったり、背伸びしたりしない高潔な生き方を思い浮かべていました。上で引用した章を改めて読み返してみると、真意は自分の過ちを素直に認め、性格上の欠点をはっきり自覚することにあって、必ずしも小難しい倫理的・哲学的な生き方を意味しているのではないとわかりました。

 自分の過ちや性格上の欠点を継続的かつ確実に自覚する目的での正直なら、書くことで内省を深める “言語化” こそがふさわしいと益々思うようになりました。(もちろん、アルコール依存症の回復目標に倫理的・哲学的に正直な生き方を設定するのは正しいことと思います。)

 何か(新しく)ものを書くとき、自分に正直になって書くのは容易いことと思うかもしれません。ところが実際にやってみると、自分の思うところを正直に書こうとしても、なかなか思い通りに書けないのが普通だと思います。まして私は想起障害を抱えているので、書いていてピッタリな言葉が思い出せず、言葉の選択や表現に迷ったり、違和感を覚えたりすることがしょっちゅうです。実に可笑しなことですが、実際に書き始めてみてやっと、自分が本当は何を考えようとしているのかが初めてハッキリする場合も時としてあります。

 その場合のキッカケは違和感です。違和感は、言葉を選び間違えたか、文法を誤ったかの場合に多いのですが、無意識の内に何かが抵抗して思い出せなくしている場合も希にあります。(違和感が湧くのは何か本能的な反応のような気がしています。)違和感を催す原因が何なのか、その正体を突き止めない限りしこりは心につかえたまま残るものです。

 この違和感を払拭するために行うのが推敲です。自分に正直であったからこそ書いたものに違和感をもったはずですし、それを推敲して手直ししようとするのも自分の正直な思いを伝えたいからだと私は考えています。ものを書くときは、知らず知らず自分に正直になっているようなのです。

 推敲は、ものを書くときに誰でもすることで、特別なことではありません。が、推敲するときには自分でも無意識でやっているあることに気づきました。書いたものに違和感があったら、書き手の目から一旦離れて読み手の目で読み返し、さらに別の読み手を意識しながら書き直していることです。つまり、推敲するには第三者が校正するような目になり切ること、言い換えれば客観的に見ること・書くことが欠かせないのです。

 さらに重要なことは、第三者の立場で客観的に見ようとすると、“自分に正直に” ならざるを得ないことです。客観的観点だからこそ違和感を催した原因が何かを冷静に突き止められ、その結果、心のしこりの氷解とカタルシスとが一挙両得の大団円となれるのだと思います。

 つまり、第三者の立場で客観的に推敲するからこそ内省が深まり、一層 “自分に正直になれる” のです。“自分に正直になる” は生き方の目標であるばかりでなく、自分を離れた第三者の立場で客観的にもの事を見るためにも不可欠なもの、と思い知らされました。

 言うまでもなく、ものを書くときは記憶機能をフル回転させ、記憶のネットワークを最大限刺激しなければできるものではありません。話すこともこの点では同じですが、書くことと決定的に異なるのは推敲ができないことです。何度も読み返し・書き直しができるのは書くこと以外にありません。

 今さらながら、ものを書く行為がつくづく客観的なものの見方・考え方の鍛錬の場と思えてきます。“言語化” がものを書くことに特化され、認知行動療法の一つとされる所以が納得できました。

 アルコールで障害された記憶機能の回復にこれ以上のリハビリ療法があるでしょうか。私はこれらのことが “言語化” の効用の神髄だと考えています。
 「回復には書くのが一番!」専門クリニックの院長が語ったこの言葉がすべてを言い尽くしています。


 余計なことながら、最後に一言。文章を推敲するには何が書いてあるのか認知する能力と最低限の国語力が必要となります。とすれば痴呆状態のアルコール性認知症まで進行した人にはできない相談です。それが「・・・どうしても不可能な人はまれにいる」という意味かもしれません。ブラックアウトを経験している人は、手遅れにならないうちに是非とも酒とは縁を切りましょう。


“言語化” については次の記事もご参照ください。
自助会AA - 認知行動療法“言語化”の実践道場(下)
回復へ - アル中の前頭葉を醒まさせる


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変な日

2017-02-21 06:17:01 | 雑感
 その日はちょっと変な日だったようです。
 神戸三宮の阪神電車西口、改札口を出た直ぐところにパンの『神戸屋』があります。AAのミーティングへ向かう際、その店頭で若い娘(こ)がお盆を手に試食キャンペーンをやっていました。お盆の上に並んだ一口大の試供サンプル見ると、パイ生地の上にチョコレートを載せたパンが小分けされていました。買う気などないのについゆきがけの駄賃にと、チャッカリ手を伸ばして口に放り込みました。ほどよい苦みのある甘さでした。

 帰り道、まだキャンペーンは続いていました。
「まだやってるんだぁ!」とニヤニヤしながら再び手を伸ばしたところ、「二度目はダメ! と言われているんです。」と、半ばトゲのある口調でピシャっと言われました。そう叱られても何のその、そのまま図々しく口に運んだのですが、その時はたと思い当ったのです。

 ゆきがけに試食した際、てこずってしまったチョコレート欠片事件のことです。試供サンプルから小さなチョコレート片が毀れていたので、意地汚くそれを楊枝で刺そうとしたのですが、固くてうまく刺せなかったのです。彼女はそれを見かねて敷紙ごと手で取るよう助け船を出してくれたのですが・・・。あれから2時間余り経っていても、そのことを彼女も覚えていたようです。

「それにしても、たかがアルバイトのくせに! 何だ、あの尖った言い方は! あんな口調では、客が買ってあげようなどとは金輪際思いっこない! そもそも何のための試食キャンペーンなのか、あの娘は店頭に立っている意味がわかっているのか!」と、つい腹の中で憤慨してしまいました。

 何のことはない、見え見えの冷やかしだった自分のことは棚に上げ、つまらないプライドが意地汚い浮浪者まがいのあしらいに我慢できなかっただけなのです。平和ボケならぬプライド・ボケの可笑しな話なのでした。
 


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こんな望みが叶うなら、また酒を飲んでみたい?

2017-02-17 07:46:51 | 病状
 今回は、たとえ再飲酒してもこんな状態にならないで済むのなら、また酒を飲んでみるのもいいか(!?)という話をしてみます。

 もちろんここに挙げたのは、酒を飲んだ後に必ず見舞われた症状ばかりで、嫌で嫌やで困った思い出しかありません。たとえ人事を尽くしても実現不可能な望みなので、奇蹟が起こるよう神頼みするしかない儚い夢です。

 本格的な酒飲みになってからというもの、私に現れた症状を概ね古い順に挙げてみました。再びこうならないよう切に願うばかりです。

 ● 深酒するとスッポリ記憶が途切れるブラックアウトになること
 ● ヒマになるとイラつくこと
 ● 深酒すると朝背中の重苦しさ・怠さに苦しむこと
 ● 高血圧になること
 ● とかく “手に汗・・・” の汗っかきになること
 ● 胃が荒れて朝の食欲がなくなること
 ● 突然の水様便便秘に悩まされること
 ● 視力が弱まること
 ● 高血糖・脂質異常になること
 ● 肝臓膵臓が傷んで脂肪肝や膵炎になること
 ● 手の震え(振戦)で字が書けなくなること
 ● 面倒くさがりで不規則な生活リズムになること
 ● 意欲が低下してうつ引き籠りになること
 ● 脳・手指・足裏にシビレ感(薄物のヴェールが覆い被さった
  ような感覚)があること
 ● ボタン嵌めが出来なくなること(ビタミンB1 欠乏
 ● 足が覚束なくなり、階段や傾斜のある道を下れなくなること
   (ビタミンB1 欠乏
 ● 物忘れなどのボケ症状が進むこと
 ● 昼間、何の予兆もなく不意に失神(顔面転倒)に襲われること
 ● 幻視・幻聴に襲われること 
 ● しばらく断酒を続けると遅発性の離脱症状(PAWS)に悩まさ
   れること

 先日、酒が問題と気づいたのはどんなことがキッカケだったのか、が自助会AAのミーティングでテーマとなりました。いい機会なので、当時悩まされた症状を改めて思い起こしてみたのです。全部ではないとしても、読者の中にはもう経験された方がおられるかもしれません。大体この順で症状が積み重なっていくと覚悟しておいた方がいいと思います。

 それにしても、アルコールの毒性を骨の髄まで知った今となっては、どう考えても無理筋の願い事ですよね。こんな虫のいい願いなど叶うわけがない、私も十分承知しています。


次の記事も是非ご参照ください。
アルコール依存症の進行プロセス
私の底着き体験・断酒の原点


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再々 PAWS(急性離脱後症候群)について

2017-02-14 07:31:44 | PAWS
 ちょうど1年前の今頃、「再び急性離脱後症候群(PAWS)について(上)」を投稿しました。この記事の執筆当時、私は断酒歴2年4ヵ月目でした。アルコール性PAWSとして教わっていた主要な障害は6つでしたが、その頃の私がPAWSとしてモロに自覚させられていた障害は主に次の2つだったと思います。

 ● 思考プロセス障害
  (脳の働きにムラがある;頑なで諄(くど)い思考、因果関係を
   理解できない)
 ● ストレス感受性に変化

 当時うまく説明し切れなかったこの2つの障害について、今回は補足説明をしてみようと思います。 

 思考プロセス障害は、本人からすると、考えが中々まとまらないという自覚があることに尽きます。その一方で傍の人からは、回りくどい言い回しと受け取られると思います。

 この障害は想起障害に起因したもの、今ではハッキリそう考えています。想起障害とは、考えにピッタリの言葉がなかなか思い出せない障害のことで、記憶障害の一つです。

 あることを考えようとすると、ピッタリの言葉が思い出せず、すぐ行き詰まってしまうのです。浮かんでくる言葉は、音感が同じか最初の漢字が同じかの似通った言葉ばかりです。考えが中々まとまらないので、違った筋道から遠回りに考えを進めるか、意図とは違った言葉を使ってみるしかありません。それが回りくどい言い回しとか、話がくどいとかに映るのだと思います。その内、筋を忘れて話が逸れることもありますし、ともすれば堂々巡りの循環思考にもなってしまいます。

 これでは脳が疲れるのも当たり前で、集中力が長続きしません。脳にムラとはこのことを言っているのだと思います。

 思考プロセス障害にうまい対処法はありません。常日頃、事あるごとに言葉を一つひとつ思い出しては書き留めて覚えていくしかありません。そしてせいぜい試してみるべきは、外を歩いてみるなど身体を動かして気分転換を図るとか、一眠りして脳をスッキリさせることぐらいでしょうか。

 次に、「ストレス感受性に変化」についてです。これは “認知のゆがみ” を自覚し始めたこと、と解釈すると意味がよくわかります。

 飲酒していた頃には自覚していなかった “認知のゆがみ” の顕在化です。その認知障害をストレス感受性が変わったと感じただけの話だと思います。私などは、素面(しらふ)になってから些細なストレスでも過剰に反応しがちなことを自覚し始め、初めて “認知のゆがみ” に気づきました。“認知のゆがみ” は、回復に立ちはだかる最難関の障害です。

 “認知のゆがみ” を矯正するには、自分独自の座標軸を持って人や物事との間合い(距離感)を計ることと考えています。会得するまで息の長い作業だと覚悟を決めるしかありません。

 この二つの障害は断酒後1年以上経ってから強く自覚し始めるようです。睡眠障害や情動障害、記憶障害(短期記憶の障害)は約1年前後で解消しますが、想起障害や “認知のゆがみ” については、一体何時になったら克服できるのか皆目見当もつきません。


以上のことを踏まえた上で、1年前の記事をご参照ください。


再びアルコール急性離脱後症候群(PAWS)について(上)
【急性離脱後症候群】 症状は、断酒開始後3~6ヵ月目で最も強くなり、6ヵ月~2年で回復する。  ○ 思考プロセス障害(脳の働きにムラがある;頑なで諄(くど)い思考、因果関係を理......



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“認知のゆがみ” 回復の最難関にどう向き合う?(下)

2017-02-10 08:55:42 | 病状
 アルコール依存症の回復に立ちはだかる最大のハードルは “認知のゆがみ” と言われます。前回に続き、“認知のゆがみ” にどう向き合ったらよいのか、私の通っている専門クリニックの院長の教えを取り上げてみようと思います。

 飲酒時代のマイナス感情による悪循環が、アルコールの麻酔作用で認知を偏らせ、“認知のゆがみ” を増幅させたと思えて仕方ありません。それがそのまま断酒後も続いているようなのです。断酒2年後ぐらいから自覚し始めた可笑しな経験を挙げてみます。

 人と話していると勝手に気持ち(感情)が先走ってしまうことがよくあります。微妙なタイミングだったことを「危なかった」と言われただけなのに、早とちりで自分の身に危険が迫っていると怯えたり、単に「話が長過ぎる」と注意されただけなのに、自分の話全体や考え方までも全否定されたと思い込んだり、現場の実状をよく見もしないでちょっとした言葉につい感情的になったことがありました。“認知のゆがみ” のせいだったのでしょう。そして、それは今でも時々あるので用心が欠かせません。

 幸い、この悪い癖に気づくことができたので、今は用心のため次の二つをモットーにしています。どちらも自助会AAのミーティングで仕入れた有り難い教訓です。

 ● 事実を事実として ありのままに・・・
 ● 一息ついて 一歩引いて 6秒待てば様変わる

 院長は、アルコール依存症から立ち直って “楽に生きる” コツについて次のように述べています。

「マイナス感情のままに行動するとロクな事になりません。それに、
 怒りを我慢したり抑うつを努力で直したりするのは辛いことです。
 それより一歩立ち止まって “これは一部分なのだ” と、何度も
 自分に言い聞かせるのです。そうすれば怒りや抑うつの何割かは
 減るものです。半分も減らせたら大成功ぐらいの気持ちで、・・・
 完全をねらわないことが、この作業を続けるコツです。」

                          (下線部、筆者) 

 AAのミーティングで仕入れた教訓と、精神医学の専門家である院長の言葉とが見事に符合しています。私はこの院長の言葉を次のように理解しています。「事あるごとに自分の “認知のゆがみ” に “気づき”、それを少しずつ積み重ねることが大事。それが目指すべき自己洞察である」と。
 
 この手強い  “認知のゆがみ” に向き合い、自己洞察を繰り返すには “言語化” が打って付け、と私は考えています。“言語化” は、ただ書けばいいというわけではありません。

 自分の悩ましい気持ちを忠実に文字に託す際、もし誤魔化したり、うまく取り繕ったり、キレイ事に装ったりすると、どこかに気持ちから乖離した違和感に気づくはずです。ときとして言葉が独り歩きすることもありますが、そんなときも同様に気づくものです。このことはもの事の描写にもそのまま当てはまります。

 違和感は、“自分に正直であれ” と言う警告で、そのまま放置していては気が散って落ち着きません。その違和感を拭い去るには、相当の時間をかけて的確な言葉と表現を懸命に探し出すしかありません。

 自分に正直でありたいからこその言葉への拘(こだわ)りです。“言語化” の鍵は、違和感を払拭するためにするこの言葉への拘りが握っていると考えています。
一歩立ち止まって・・・事あるごとに自分の “認知のゆがみ” に “気づく”」これを着実に習慣化するには、その都度否応なしに内省を迫られる “言語化” こそがふさわしいと考えた所以です。

 このところ、矯正すべき課題がものの見方・考え方にあると薄々気づいていながら、それを言葉でどう表すか的確な言葉を探しあぐねていました。“認知のゆがみ” は私が探し求めていた言葉そのものでした。 “認知のゆがみ” についての今回の教えは誠に時宜を得た “言語化” そのものとなりました。実に有り難いことと院長に感謝しています。ついでながら、このブログに投稿している記事は、私の闘病記録であると同時に “言語化” の実践記録でもあります。

 おまけにもう一つ。院長によると、“認知のゆがみ” はアルコール依存症ばかりでなく、うつ病や神経症にも共通する問題だそうです。これらの病気には、いずれも決め手となる薬がなく、自然治癒力に期待するしかないという精神科医の本音も聞いたことがあります。私はうつ病や神経症のことはよく知りません。ただ、“認知のゆがみ” が共通した問題である以上、うつ病や神経症でも “言語化” を試みる価値はあると考えています。


次の記事もご参照ください。
“認知のゆがみ” って何?
継続断酒3年 心の軌跡(飲まない生き方のモットー その4)


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“認知のゆがみ” 回復の最難関にどう向き合う?(上)

2017-02-07 05:57:02 | 病状
 アルコール依存症の回復に立ちはだかる最大のハードルは “認知のゆがみ” と言われます。今回は “認知のゆがみ” にどう向き合ったらよいのか、私の通っている専門クリニックの院長の教えを取り上げてみようと思います。

 院長は私と同年代のベテランの精神科医です。自身の臨床経験から、回復への第一歩が生活リズムの立て直しと喝破し、毎日の外来通院と教育カリキュラムの組み合わせを治療の柱とした実績の持ち主です。

 思えば、院長の治療構想通りに断酒生活を続けてきたのが私だと自負しています。口数が少なくいつも無愛想な印象の院長ですが、ここぞと言うときは的確な指導をしてくれる人物です。

「(回復には)書くのが一番」と “言語化” の継続を強く後押ししてくれたこと、自助会ミーティングで経験する “気づき” が回復に必須の自己洞察そのものと教えてくれたこと、etc. その都度、ただ一言で私の迷いに答えてくれたものです。その院長の教えのエッセンスをご紹介しようと思います。私がなるほどと腑に落ちた教えです。 

 認知=外界を認識すること。
院長流に言うと、認知とは外界の刺激を自分独自の翻訳機で解釈することだそうです。現代風に言うと、個々人には自分流にカスタマイズされた翻訳機が搭載されているということでしょうか。

 さらに院長は続けます。認知とは、その時代々々、世の中で当たり前とされていたものの見方・考え方、つまり親の躾(しつけ)、地域のシキタリ、世間の常識、学校教育、時代の風俗・流行などによって育まれるものだそうです。

 これを私流に言えば、認知とは外界からの情報を自分流に解釈するクセのこと、と考えます。さらに言い換えれば、認知とは習性化した認識のし方ということであり、その習性化は外界の情報によって幼少期から刷り込まれたものということでしょうか。こう考えれば、世間から自分がどう見られているか気にしがちなのも、このことの裏返しということがわかります。ですから、認知そのものは根が深く、もし認知に “ゆがみ” があればその矯正はとてつもなく手強いものと覚悟しなければなりません。

 院長によると、“認知のゆがみ” とは、部分的な拒絶体験に過ぎないものを、自分全体が拒絶されたと短絡的に翻訳してしまうこと(=思い込み)で、即座にマイナス感情へと誘う偏った習性のことだと言います。アルコール依存症者では、この偏った習性がたとえ酒を断ったとしても続き、それが回復に立ちはだかる最大のハードルだそうです。何かにつけ白か黒かで決めたがる “白黒思考”、つまり二者択一を好む思考傾向も “認知のゆがみ” のせいだと言います。

 怒りや恨み、嫉妬が代表的なマイナス感情ですが、ウツウツした気分、つまり気分の落ち込みもマイナス感情に含まれるそうです。マイナス感情に囚われた人に周りの人は近づこうとはしません。性格の悪い人物と傍は見做し、下手に近づけば面倒なことになるからです。承認欲求を満たしてもらえないことが疎外感と孤立感を生み、“認知のゆがみ” がさらに増幅されるという悪循環に陥るわけです。こんな悪循環では人間関係がますます難しくなるのも当然です。その行き着く先は・・・。

 私がかつて、なぜ酒に手を出したのか? かつての私も、トントン拍子に昇進する先輩社員に嫉妬するなど、身近な人へのマイナス感情を紛らわすために飲酒していたと思えてなりません。言い換れば、マイナス感情による過度の緊張や興奮をなだめるために酒の麻酔作用にすがっていた、これが私の下した結論です。

 マイナス感情に陥ったきっかけというのも院長の指摘通りでした。ほんの些細なことであっても思い通りにならなかったら、まるで自分が全否定されたかのように受取ってしまい、すぐ頭に血が上っていたようなのです。しかもそれが脊髄反射のようだったと思えてなりません。その習性は、断酒歴4年目を迎えた今でも依然として残っているようです。
(次回に続く)


“認知のゆがみ” を具体的に例示して説明しています。
“認知のゆがみ” って何?」もご参照ください。


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グーとパー

2017-02-03 09:12:30 | 自助会
 アルコール依存症者の自助グループには大きく分けて二つの団体があります。アルコホ-リクス・アノニマス(AA )と▼断酒会です。断酒歴14年のAAの大ベテランが、二つの組織の違いについてこんなふうに教えてくれたことがあります。彼はAAに属す前に断酒会にも属したことのある経歴の持ち主です。

 「あのなぁ、知ってるか? AAと断酒会の違いはコレなんだよ。」
と両手でグーとパーを作って見せました。
 「え、何ですかそれ?」
 「見ての通り、グーとパーだよ。グーは必死になって掴む、
  パーは反対に手放す。そういう意味。」
 「はぁー? 古い考えを手放す、というアレですか?」
古い考えを手放すというのは、ミーティングでよく取り上げられる
テーマの一つです。
 「そうそう・・・、何とか自力で酒を断ちたいと、必死になって
  断酒にしがみつくのが断酒会。過去の古い考え方を手放して、
  人知を超えた天にお任せで飲まない生き方を目指すのがAA。
  わかるだろう?」
 「なるほど、二つの違いはそんなイメージなんですね?」
その時は今ひとつシックリせず、曖昧に相槌を打つだけでした。が、
しばらくしてストンと腑に落ちました。

 実は、断酒会について私はほとんど知らなかったのです。私が断酒
会について知っていることと言えば、
  ○ 会長をトップとして実名で会員登録し組織の結束が固いこと
  ○ 月々の会費制で維持費を賄っていること
  ○ モットーが “一日断酒” ということ
  ○ 例会では特にテーマを設けることはないこと
ということぐらいです。言い放し・聞き放しのルールはAAと共通
です。

 これに対しAAでは、
 ● 会員登録などありません
 ● 会員同士ニックネームで呼び合うだけで、匿名で通します
 ● ミーティング当日の献金のみで運営する自主独立した
   共同体です
 ● モットーは “今日一日” です
 ● ミーティングではその都度テーマが設定されます
  (断酒会で例会、AAではミーティングと呼びます)
これらに加え、AAには著作物があることが一番の特徴です。
著作物がメンバーの精神的支柱となっている点が断酒会と決定的
に違います。

 断酒会はAAを雛形にしているものの、組織運営は日本の流儀に合わせていると言われていますが、おそらくそれもAAに漂う一種独特の宗教臭さを嫌ってのものと考えています。AAの著作物には、神とか、ハイヤー・パワーとかいう言葉ばかりでなく、霊的という言葉も頻繁に出てきます。これが宗教臭さを催すのだと思っています。

 AAの著作物は創始者自身が遺したものなのか、それとも創始者についての伝聞なのか、あいにく私は知りません。著作物のほんの一部しか読んだことがないのですが、著作物には実践を通してしか得られない創始者の神秘的体験が随所に綴られています。

 ビッグ・ブックと呼ばれている『アルコホ-リクス・アノニマス』は、謂わばAAの教典みたいなもので、創始者の経験が凝縮されたものと考えています。中でも回復のプログラム “12のステップ” は創始者が実践した行動の指針とその手順が書かれた回復へのプロトコールと思うに至りました。しかも、自然治癒力を刺激する “言語化” のススメとまで勝手に解釈するようになったのです。

 私の考えでは、AAは以下を基本的なスタンスにしているようです。

 ― アルコール依存症者はアルコールに対し無力であるから人知を超
   えた天にすべてを委ねるのがよい

 断酒にシャカリキになって、足掻けば足掻くほど断酒ばかりに囚われ、他には何も見えなくなります。狭い視野ではそれだけ考えが窮屈になるばかりでうまくいきません。それならいっそのこと天にお任せするぐらいの気持ちで、足掻いている自分自身から少し距離を置いてみる方がよい。そうすれば、気分にゆとりが生まれて視野も広くなりますよ、ということです。

 “なるようになるさ”
 (♪Que Será, Será~ Whatever will be, will be~)

 こんな心境なら “認知のゆがみ” も自然に矯正されるに違いあり
ません。(もちろんこれは私の勝手な解釈ですが、当たらずも遠か
らずと思っています。)

 AAの言う “神” が自然治癒力と解釈するに至った私には、上の考えはとても合理的に思えます。ただし私の場合は、断酒を始めて10ヵ月後に憑きモノのような妄想が消えたことと、完全にアルコールが抜けた実感とがほぼ同時にあり、このことで初めて断酒の囚われから抜け出すことができました。天にお任せと思えるようになったのはこの体験の後のことです(念のため)。

 こう考えると、天にお任せは断酒が定着した後の本当の回復、つまり平常心を保って生きるための心がけなのかもしれません。大ベテランが教えてくれたパーの譬えは、我執から離れ自然に任せる断捨離の考えにも通じ、まさに正鵠を射たものでした。自然治癒力に手応えを感じ始めていた私には実にタイミングがよかったのです。

 ついでながら、人と話をするとき、グーだと交感神経が緊張し、パーだと副交感神経優位となって緊張が解けるそうです。ご参考まで。



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