ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

“空白の時間” にも “無力”?

2018-09-28 06:40:00 | 病状
 自助会AAのミーティングでは毎回テーマが立てられて、原則、そのテーマに沿って体験談が語られます。たとえテーマが同じでも、その時々の何かによって想うことが違うことがよくあります。これもAAのミーティングのおもしいところでしょうか。

 先日のテーマは、『アルコールに対し “無力” であること』でした。これもよくあるテーマです。この言葉は、酒に対する自制心が効かなくなって “どうにもならなくなった” 状態を象徴する言葉で、「再び飲酒したら、またボロ雑巾のような無様な姿なるよ」という戒めが込められています。

 その日の私が想ったのは、どういうわけか “空白の時間” でした。再飲酒を防ぐためには、“最初の一杯” を飲まなければいいわけで、“最初の一杯” に誘う最大の危機はやはり “空白の時間” だろうという理屈でした。“空白の時間” による生活リズムの乱れを恐れたわけです。

 お陰様で断酒歴が丸4年と10ヵ月過ぎた私です。今では週単位の生活リズムが確立し、よっぽどのことがない限りその日何をすべきかに迷うことはなくなりました。それでも、思いもしない出来事が起きてその日の予定が立たなくなりでもしたら、せっかくの生活リズムが崩れてしまいそうで心細くなることがよくあります。

 最悪だったのは、楽しみにしていた予定のドタキャンで、覿面にうろたえてしまうこと、つい最近証明されました。2ヵ月前の7月上旬に西日本を襲った集中豪雨のときもまさにそれで、4日間は行動の自由が効かなくなって大変往生しました。

 昨年の秋、大腸のポリープ切除で入院したときも同じでした。たった1日の点滴さえも我慢ならず、タバコも吸えないと怒りを爆発させてしまいました。入院時の注意事項をよく読んでいなかったため、想定外の点滴にうろたえてしまっただけの話です。

 と言うようなわけで、生活リズムが確立したことによって、最近は想定外の出来事に却って過剰に反応しがちになっているようです。予定が突然狂いでもしたら、戸惑ったりうろたえたりするのは健常人でも同じことで、何もアルコール依存症者に限ったことではないと思います。ただ、それが少し過剰になりがちなのが依存症気質の所以なのでしょう。

 家で一人、ジリジリ・グズグズ・モヤモヤし始めたら危険信号です。下手をするとそのまま内に籠もってしまいそうで、とても落ち着いてなどいられません。

 そんなときは不安を振り払うために、即、外に出て道のゴミ拾いを始めることにしています。5分もしないうちに “空白の時間” など忘れてしまって作業に没頭できます。

 その外出も叶わない場合は、思い切って一眠りすることを最後の手段にしています。何の気兼ねもなしに何時でも寝れるというのが退職者ならではの特権なのです。

 “下手な考え 休むに如かず” 一眠りした後は何事もなかったかのように事が捗ります。やはり、“果報は寝て待て” なのですネ。


            *   *   *   *   *

「どうしてゴミ拾いを? なかなかできることではないですよ~!」ゴミ拾い中、道で人にこう言われたら、以前は「なぁに、趣味みたいなものですから」と応えていました。が、最近はずばり「趣味ですから」と言い切ることにしています。どんなときでも直ぐに没頭できることを趣味と言うならば、ゴミ拾いは私にとってまさしく趣味なのです。

 それにしても人生って皮肉・諧謔満載なんですね。現役バリバリの頃はあんなに暇な時間を欲しがっていたのに、退職を期に暇を持て余して酒浸りとなり、その挙げ句の果てがアル中末期の体たらく。命からがら酒を断ったら、今度は暇になりそうというだけで怯える始末。これを皮肉と言わずに何と言うのでしょう。



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“捨てる人あれば 拾う人あり”

2018-09-25 07:08:26 | 雑感
 街の片隅に設けられているゴミ・ステーション(ゴミ出し場)、このゴミ出し場を見ればそこの住民の民度がわかります。

 ゴミ袋が防護ネットからはみ出て置かれていないか、収集車巡回後にちゃんと後片付けができているか、収集日以外に出されている規約違反のゴミ袋がないか、などがその目安になると思っています。

 ゴミ出し場の管理がきちんとしている地区は大体が古くからの住民の多いところですが、逆にそれが杜撰なところは共通して賃貸住宅などの新参の住民が多いようです。その差は住民同士のコミュニケーションにあるのでしょうか。

 毎週1回、AAのミーティングのある夙川に通っています。その帰り道に一カ所だけJRの線路下を通る狭い隧道があります。この辺りは新しく建った戸建て住宅が多く、ゴミ出し場は線路の土手下・隧道の北出入り口脇に設けられています。目立たない場所だけに、ここの管理は杜撰でゴミが散らかったままのことがよくあります。

 その日はいつになく生ゴミまでもひどく散らかっていました。あまりのひどさに見るに見かねて、私はそれらをサッサと始末してやりました。いつもトングとゴミ袋を持ち歩いているのでこの程度のことはお手の物です。

 隧道の南出入り口で、後を追ってきた老人に呼び止められました。ついさっきの件を見ていたらしく、そのお礼に追いかけてきたようでした。何の関係もない通りすがりの人が、何の関係もないゴミ出し場をキレイサッパリ片付けた、彼にしてみればこれはあり得ないことで、そんな奇特な行為に心が動かされたらしいのです。

「自分も気がついたら片付けるようにしているんですが、・・・ここでは今日も当番がいるはずなのに、こんなふうに何もしないんです。・・・つい最近もネ、路上駐車していた車が鋭利なモノで傷つけられた事件がありましてネ。車の持ち主に駐車していた方も悪いと言ってやったら、何と逆に反感を買われてしまったんですよ。」

 老人は、自分が正しいことをやっているのに、それを誰も受け容れてくれないことが腹立たしいようでした。ゴミ拾いを始めて1年ぐらいの私もそうだったので、まるで当時の自分を見ているようでした。

「気持ちはよくわかりますが、そこをグッと堪えて黙ってやることです。」
「えっ、そんな・・・?」
「現行犯でない限り、自分の非を指摘されたら即座に否認してみるのが普通です。指摘されたことが事実だったとしても、自衛本能が先立ってどうしても反発してしまうんですね。それで反感が反感を呼び、ことは益々ややこしくなるんですよ。」
「はぁ、そんなものですか? いやいや、どうもありがとうございます。」


         *   *   *   *   *

「まぁ、“捨てる人あれば 拾う人あり” これぐらいの割り切り方がいいんです!」

 実は、そのときこう言えばわかりやすかったのにと後になって悔やまれました。“捨てる人あれば 拾う人あり” は以前ゴミ拾い中に出合ったご婦人から言われた言葉です。が、そのときはすっかり忘れていました。

 言われたときは「何と不公平な!」と思ったものですが、こう割り切りでもしないとゴミ拾い初心者には「遣ってられない!」と思うのも事実です。これはまだゴミ拾い歴2年頃の話で、やっとゴミ拾い歴3年半となった今、改めて彼女の真意が正確に汲み取れた想いでした。



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2020年4月に何が?

2018-09-21 06:00:28 | 世相
 私が計画停電という言葉を初めて知ったのは東日本大震災のときでした。福島第二原発事故で電力が逼迫し、しばらくの間、首都圏で計画停電が実施されたのです。私の仕事場は大阪にありましたが、その大阪でも結構厳しい節電が行われました。

 廊下やトイレの常時消灯は当たり前で、昼休み時間にはフロア全体が消灯されて薄暗い中で弁当を食べていた社員もいました。節電がいつまで続いたのか正確には覚えていませんが、相当長期間にわたっていたと思います。あの年は私の定年退職の年だったこともあり、今回報道で見た暗い作業場内の光景は当時をはっきり蘇らせてくれました。

 さて先週、エネルギー安全保障を記事にした行きがかり上、電力の発送電分離の件も取り上げないと片手落ちになってしまいます。

 言うまでもなく、発送電分離とは電力会社の組織を発電・送配電・小売の3つの独立した事業会社に分割することです。2015年6月に成立した法改正により、2020年4月からは発送電分離が本格的に運用開始されることが決まっています。迂闊にも、今回のブラックアウトでこの2020年4月開始を初めて知りました。
 
 この中で私が最も懸念しているのは、現在の送配電システムのままでは大事故・大災害に際して独立した別会社の発電所との瞬時の意思疎通がうまくいかず、大規模停電や計画停電が頻発するのではということです。発電事業者と切り離された送配電事業者が独自にできるのは送電停止だけだからです。

 地域間で融通できる電力に上限が設けられている問題がその背景にあります。同じ周波数の北海道と本州の間でも融通できるのは60万キロワットが上限で、周波数の異なる東西間(中部電力と東京電力)でならたったの120万KWが上限だそうです。これらを知ったのは、今回の北海道大地震(胆振東部地震)や東日本大震災という大災害がキッカケとは何とも皮肉な当たり前と言えば当たり前のことです。

 電力需給の管理を、地域を越えて効率的にやり取りする電力広域的運営推進機関が2015年4月に発足したそうですが、2020年4月までにどれだけ有効に機能するのか気がかりです。

 周波数を変換して広域的な電力需給に応える設備には莫大な資金が必要だそうです。水とガスに並んで命にかかわるライフラインのひとつが電力です。災害大国の日本ですから、エネルギー安全保障の観点からも是非とも必要な設備投資だと思います。財政赤字なのに公共投資(?)などと渋っている場合ではないと思うのですが・・・・。

 既に、2016年4月から実現されている電力の小売全面自由化ですが、多少安い電気料金の恩恵を受けている方もいるでしょう。が、そんなことでうつつを抜かしている場合ではありません。

 ベースロード電源である原発再稼働の問題も広域的電力需給管理の問題も、感情やイデオロギーに囚われない国民目線でしっかり注視し議論に加わることが大切ではないでしょうか?

 どうやら北海道での計画停電はナシとのこと、正直ホッとしています。それでもしばらくは節電で厳しい状態が続くでしょう。どうか苫東厚真火力発電所が一刻も早く完全に運転再開でき、産業活動や厳しい冬への影響が最小限で収まるよう祈らずにはおられません。



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これって、神様のご褒美?(映画 『カメラを止めるな』)

2018-09-18 06:59:05 | 雑感
 先日、久々にドタキャンを経験してしまいました。約束していた時間丁度に待ち合わせ場所のお店に着いたのですが、丁度その時、お店の方にドタキャンの電話が入ったのです。

 先方の家族の急病ということなのでドタキャンも已む無しでした。スマフォや携帯を持たない主義ですから、こんなことも折り込み済みの私です。が、2ヵ月ぶりの再会を楽しみにしていただけに、さすが凹んでどうしたものか途方に暮れてしまいました。

 そのまま家に帰るのではアンマリです。苦手とするあの “空白の時間” も頭を過ぎりました。そのときです、ふと思いついたのが映画『カメラを止めるな』でした。ところが、どこで上映されているのか全く見当がつきませんでした。

 そうなったら一か八かです。西宮ガーデンズにある大型シネコンに賭け、ダメ元でもよしと帰り道の経路を変えて西宮北口で下車することにしました。

 大して期待していなかったので、先ず腹ごしらえにと回転寿司で早めの昼飯を済まし、おもむろに映画館に向かいました。するとどうでしょう、目当ての『カメラを止めるな』が上映中で、しかも上映15分前の空席アリだったのです。もちろんこれ幸いとチケットを買いました。

 映画『カメラを止めるな』は国内での上映が6月開始と聞いていますから、ある程度ならネタ明かししても許してもらえるしょう。一言でザックリいえば、ミステリー小説仕立てのコメディー映画でしょうか。なかなか手の込んだ計算ずくの映画でした。

 テーマがゾンビ映画撮影現場の内輪話なので、最初の場面はワンカット(撮影中断ナシ)のみの完成映像の上映から始まります。完成映像では妙に謎の残る場面が途中のところどころにあって、観客は違和感を引き摺ることになります。そんな奇妙な完成映像を見せた後、制作企画の段階から撮影完了までを一部始終辿って見せ、完成映像にあった謎を解き明かしていくというのが全体の粗筋です。

 特に、後半はテンポの速いドタバタぶりなので、そのコミカルな場面の連続に笑いを堪えることができませんでした。こんなにお腹の底から笑ったのは久々です。そんなにも笑える仕上がりだったので、俄然人気沸騰となったのも頷けます。謎めいた題名の由来は、中断ナシでのワンカット・シーンがやたらに長く続く映像ということからのようです。

 それにしても、その日は妙に巡り合わせのよい日となりました。ドタキャン電話のタイミングのよさは当たり前としても、映画とその上映館などは単なる思い付きに過ぎなかったのに、そう方針転換して即行動に移したことがドンピシャリだったのです。

 これはきっと、日頃やってきたゴミ拾いへの神様がくれたご褒美なのかも・・・。不遜にも、ついそう思ってしまいました。こんなことがあるから人生、捨てたモノじゃないんですよネ?!
 (私も映画の向こうを張って謎めいた表題としてみました。)



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司会者デビュー

2018-09-14 06:18:01 | 自助会
 なんのことはない、AAのミーティングで初めて司会を務めたという話です。“思考プロセス障害” を抱えている私ですから、今まで打診があっても渋っていました。が、もうじき断酒歴5年を迎えます。それで、ワガママもいい加減にしなければと反省して受けたわけです。

 普段のミーティングでは、その日のテーマだけが関心事で、司会者の話はBGMのようにしか聞いていませんでした。ですから、司会を引き受けることになって改めて、司会者のやるべきことを考えさせられたというのが正直なところでした。

 改めて考えてみると司会者のやるべきことは、出だしをスムーズに運ぶことと、テーマが誰にでもわかりやすいこと、この二つに尽きるのでは(?)というのが私の辿り着いた結論でした。そんなの当たり前と言われれば至極当たり前のことですが・・・・。

 普通、司会者は以下の手順でミーティングを進めます。(手順の内 1)、2)についてはミーティング・ハンドブックを利用します。)

 1)序文の朗読
 2)『アルコホリック・アノニマス』3章、5章、6章いずれかの抄出の
   朗読者を指名
 3)テーマの設定
 4)自らの体験談でイントロ
 5)発言者を順次指名

 先ず、“出だしをスムーズに” が最も大事なのですが、上の手順で進行させる際は必ず、次の三つをその間に入れなければなりません。

 ● まったく初めての参加者がいないか確認すること
 ● ミーティングの途中で献金を募ること
 ● テーマ以外のことを話したい人がいないか確認すること

 恥ずかしながら、これらの項目で上の二つをどのタイミングで入れたらいいのかに迷ってしまいました。それでシミュレーションをしてみたのですが、序文の朗読の際はミーティング・ハンドブックが必須なのに新規参加者はそれを持っていないこと、その序文には献金の件も書いてあることに改めて気づきました。

 となれば話は簡単で、新規参加者の確認は序文の朗読前がよく、献金の件は序文の朗読直後がよいとわかりました。なお、三つ目については何時でも可です、念のため。

 次の問題は、テーマが誰にでもわかりやすいこと、でした。新規参加者には、とかく禅問答のように聞こえてしまうのがAAのミーティング・テーマです。私は、文字通り経験の分かち合いが目的と思っていたので、“断酒して大分経ってから気づかされた困ったこと” をテーマに選びました。

 断酒して3ヵ月後ぐらいから現われるPAWS(急性離脱後症候群)を念頭に、なかなか自覚しにくい厄介な諸症状に悩まされた体験が語られるよう意図しました。私自身、PAWSの知識がなかったばかりに随分不安に駆られた経験をしたからです。

 そして、イントロで紹介するエピソードの焦点を、PAWS の “思考プロセス障害” に当てることにしました。考え方(思考)がくどくどと遠回りしがちな障害のことで、かつてミーティングで大幅に時間超過した体験を話せば私の意図がわかってもらえるものと踏んだのです。

 そう意図したところでシナリオ通りに行かないのが体験談です。一旦、テーマが出されたら司会者の話などそっちのけ、出席者は自分のことに没頭するのが普通です。

 それを見越してテーマの補足説明にと、私の体験を語る前に  “思考プロセス障害” の徴候を具体的に挙げてみました。このように補足説明をする例は少ないのですが、ややこしいテーマならこんなこともいいのではと秘かに自負しています。

 指名に際し、発言者については主に断酒歴の長いヴェテランを意図的に選びました。彼らの話の内容からみて、結果的に私の意図が大凡汲んでもらえたのではと思われました。

 私の意図がドンピシャリ伝わっていたことに司会者冥利を味わうこともできました。なかには、“認知のゆがみ” に悩まされた体験を具体的に話してくれた仲間もいたのです。やはり納得できるまで事前にシミュレーションを繰り返しておくのが保険になったようです。

 いざミーティングが始まるまでは、緊張してないと言ったらウソで、やはり緊張していました。案の定、司会をしていて肝腎なことを言い忘れたことも多々ありました。それでも八割方、目標を達成できたのではないかと満足しています。

 以上、まぁまぁの成功体験に恵まれたお陰で、再び司会の声がかかったら今度は気楽に受けようと思います。今回の記事が、これから司会を予定している人に何かの参考になれば幸いです。



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安全保障は集中よりも分散の方に軍配?

2018-09-11 07:02:41 | 世相
 こうも天変地異が立て続けに起こっては、私もさすがに気持ちが浮き足立って、どうも集中力が薄れがちになっているようです。まったくの同一日に、大切なセカンド・バッグを立て続けに2回も置き忘れ、危うくなくすところでした。

 歩き疲れて一休みしようと座ったまではよかったものの、持っていた荷物を足元とか身体の両脇とかに分散して置いたのが間違いの元でした。以前3回も同じ間違いをし、手荷物は分散させてはいけない、と肝に銘じていたはずですがこのザマです。

 手荷物が大小混ざって三つ以上の場合は、どうも分散した置き方では危ないようなのです。どうやら手荷物レベルでは一カ所に集中させる方に断然軍配が上がるようです。

 さて手荷物レベルの話とは逆に、発電所は発電規模と設置場所が分散している方が安全と初めて知りました。今回の大地震で発生した北海道全域の大規模停電=ブラックアウトのことです。
(酒で記憶が飛んでしまうこと以外にもブラックアウトという言葉があることにビックリしました。)

 発端は、震源地近くの苫東厚真火力発電所が地震の発生と同時に運転停止したことだといいます。いくつもある発電所の一つに過ぎないので、普通なら一大事にはならないで済むはずですが、そのたった一カ所の火力発電所が全道の供給電力の約半分を賄っていたことが問題を大きくしたと聞いて又ビックリでした。

 何でも北海道全域の大停電は、この火力発電所の運転停止によって電力の需給バランスが崩れてしまい、このことから周波数が維持できなくなって、全発電所がシステム全体の崩壊を防ぐため一斉に自動的運転停止に至ったからだそうです。しかも、運転再開は発電所毎に徐々に進めるしかなく、それだけに完全復旧にも時間がかかるのだそうです。

 よく聞くベースロード電源とは、こんな大規模な異常事態を防ぐのに必要な、一定レベル以上の出力を持つ安定した電源のことだそうです。ベースロード電源をこの文脈で考えてみれば、原発の再稼働ばかりか、なぜ計画停電が必要なのかもよく理解できます。この点、政府の従来の説明は下手クソかつ不十分でした。

 ベースロード電源についてやっと理解できた私などは、こんなときに震源地から遠く離れた場所にある泊原発が稼働中なら、恐らくブラックアウトを避けられたのでは・・・と、ついつい考えてしまいました。実は泊原発は、苫東厚真火力発電所と同規模の発電能力を持っているのですが、原子力規制委員会の審査待ちのために運転停止中だったのです。このことが全道の発電状況を歪なものにさせ、今回のブラックアウトを引き起こしたようなのです。

 原発といえば、その安全性は基本的に、原子炉内を核燃料冷却水が絶えず循環してさえいれば確保できる、というのが私の理解です。原子力規制委員会も、この単純な原理を基本に様々な角度から設けた審査基準に基づいて “慎重に” 再稼働の可否を検証しているのだと思います。

 厳しすぎるぐらい厳しい審査基準と聞きますから、この基準で検証された結果はその範囲内でほぼ100%信頼できるものだと思います。これは即ち “安心できる” ことを意味します。自然科学の守備範囲は信頼性(再現性)の有無であって、残念ながら、“安心” という心情についてはその守備範囲ではありません。

 一方、今をときめく再生可能エネルギーですが、現実に普及されるにつれ深刻な問題のあることが明らかになってきました。

 太陽光発電については、発電設備(ソーラーパネル)が広大な山野を伐採して設置されるため、大規模な自然環境破壊が進行しているのが大問題で、土砂災害の誘因となることも明らかになりつつあります。風力発電についても、騒音公害ばかりか肝腎の風で風車が倒壊する恐れのあることが明らかになりました。つい最近、設計上十分耐えられる台風20号程度の風で風車が倒壊した淡路島の事例には、正直唖然とさせられました。そして両者の最大の問題は、どちらも安定した出力が期待できない電源ということで共通しています。

 現代社会は、物理的なエネルギーでさえ電力に変換しなければ何事にも利用できなくなっています。日常生活や経済のすべてが金融(お金)に支配されているのと同じように、生きていること自体が電力の供給状況に支配されていると言っても過言ではありません。これは紛れもない事実です。

 安全保障は、軍事的側面ばかりが強調されがちですが、エネルギー安全保障も国家的に大きな問題です。唐突ですが、事のついでにこの問題を少し述べてみます。

 私も戦争には反対です。ただし、軍事力行使を全否定するような平和主義を掲げていたら、周辺国から無抵抗と舐められて常に横暴の危険に晒され続けるだけです。やはり米国との同盟関係を保ち、軍事的に安全を分かち合うことが断然必要だと思います。

 これと同じようにエネルギー安全保障についても、やはり多様な発電設備を国内に分散させ、それぞれの長所と短所をうまく組み合わせることによってベースロード電源を確保することが必須と考えさせられました。つまり安全保障については、いずれも集中よりも分散の方に軍配が上がるようなのです。

 福島第二原発による放射能惨禍を目の当たりにし、とかく感情的・イデオロギー的な否定論がまかり通っているのが原発問題です。が、電力に完全支配されている日常生活全般の現実を冷静に直視すれば、輸入による化石燃料に依存しない原発に、ベースロード電源としても頼らざるを得ないと思います。

 今こそエネルギー安全保障について、より現実的な価値判断が国民に求められているのではないでしょうか? 専門家任せではなく、感情に左右されない国民的レベルの科学的議論が不可欠なのです。そのために政府には、ベースロード電源とは何かなど、国民によりわかりやすい科学的な説明が是非とも望まれる次第です。

(エネルギー安全保障について危機的状況を目の当たりにし、今回はチョット気合いを入れてみました。)



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ブログ開設から丸4年が経ちました

2018-09-07 16:52:05 | 雑感
 このブログは『酔って記憶が飛んだ!(ブラックアウト)』(‘14.9.06投稿)で始まりました。お陰様で初投稿から丸4年が経ちました。開設当初は、週1回の投稿が精一杯だったのですが、断酒歴丸3年を期に週2回投稿を試み、どうにかそのまま現在に至っています。

 毎回悩まされているのがネタ捜しです。これまでもネタなしで挫けそうになったことが何度もありますが、今回は、つい先日当地を直撃した台風21号を幸い(?)に、反省を兼ねてそのときの教訓をご報告します。

 昨日、北海道でも大地震が起きました。災害時への備えは大方が共通しますから、きっと何らかのご参考になると思います。
         *   *   *   *   *
 この4日に当地を直撃した台風21号、久々に大規模な停電を経験してしまいました。

 あの日は、接近中の台風情報を得ようと朝からTVを付けっぱなしにしていました。午前10時頃、まだ天候が穏やかなままだったので近くのスーパーに買物に出かけました。その買物に出たちょっとの間以外、午前中からうたた寝を決め込み、昼食後も再びうたた寝をして過ごしていました。

 午後2時頃に突然TVが消えたことで停電に気がつきました。ヴェランダの外は暴風雨の真っ只中でした。その暴風雨も午後4時半頃には大分治まり、外に出始めた人々の姿がヴェランダから見えました。それを見て私も外に出てみました。

 近くのコンビニもスーパーもさすがに店を閉めており、交通信号までも停電で消えていました。交通信号が点滅を繰り返すだけで全く機能しないのはよく経験していましたが、停電で完全に消えていたのにはビックリしました。

 トイレの水も出なくなったので、停電になるとマンションなどでは給水設備も止まって断水になることを改めて知りました。カップラーメンを食べるのにも水が要ります。近くの公園に水を汲みに行こうにも、手元にあるのは1.5 L 用の空のペットボトル1本だけ。電気も水道も止まり、ライフラインとして都市ガスだけが辛うじて生き残っていました。

 非常用の照明としても、懐中電灯は乾電池が切れかかっており、景品で貰った小さなランプ形のLEDランタンだけが頼りでした。マスメディアからの情報も、電池式トランジスタ・ラジオひとつが情報源でした。災害時用にと買い置きしていた安物の旧式ラジオでしたが、これがどんなに心強かったことか! 停電でルーターが機能しなかったので、インターネットからの情報もまったく入らなかったのです。

 停電など、激しい風雨が治まったら直ぐにも復旧するだろうとタカをくくっていたので、これにはさすがに慌ててしまいました。一向に電気が通じないことに苛立っても無駄と、カップラーメンを夕食に食べ早々と寝てしまいました。

 電気が復旧したのは結局、12時間後の翌午前2時でした。突然のTVの音声と明るい画面に正直ホッとしました。

 23年前の阪神大震災で2ヵ月間、水もガスも止まった生活を経験させられた私ですが、あのときは電気が直ぐに復旧できていたので少々舐めてかかっていました。その分脇が甘くなっていたようです。乾電池は最低限の防災備品の一つですから、早速補充しておきました。
         *   *   *   *   *
 このブログでテーマにしているのは主にアルコール依存症がらみのことですが、ネタ(モチーフ)は身の周りに起こった出来事から得るよう日々努めています。その場でピンとくるのは希で、何気なくちょっと交した会話が後でジヮーっと効いてきたのをモチーフに取り上げています。

 ところが、モチーフをキャッチすべきアンテナの調子に波があるようです。アンテナの調子にムラがあるのはどうにもならないことで仕方ありません。狭い行動範囲ながらも、テーマに繋がりそうなモチーフとの出会いを楽しみに、これからも日々歩き回ることを日課とします。どうぞ引き続きご贔屓(ひいき)に!


大地震へ、日常できる備え』(‘15.2.14投稿)は阪神大震災で個人的に得られた教訓をまとめたものです。こちらもご参照ください。



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いい歳をしたアル中には・・・・

2018-09-04 06:25:57 | 病状
 台風20号直撃から丸一日経った日、週一回しか巡回しないゴミ拾いコースをいつものように巡りました。ムシムシして蒸し暑く、ゴミもいつもの2~3倍も散らかっていたので、さすがの私もヘトヘトで少し気が立っていました。

 拾い集めた資源ゴミは、コース途中にあるコープに持ち込むことにしています。その日は珍しく、空のペットボトルやアルミ缶・スチール缶やらの資源ゴミが大きめのビニール袋2つに一杯となり、他に燃やせる通常ゴミのゴミ袋もパンパンとなりました。

 それらのゴミ袋を持ってなんとかコープに辿り着き、資源ゴミの方だけも処分できてホッとしたときです。
「いつもいつも、ありがとうございます。こんな暑い日なのに、・・・なかなかできることではないですよ~!」

 声のした方を見ると、2人の高齢の女性が店先の片隅にあるベンチに座っていました。声の主はその内の一人で、コープ近くの公園の東屋でもよく見かける人でした。

 つば広帽子を被っているものの髪はボサボサ、肝臓でも悪いのか顔色は黒ずんで、身体つきも見るからにやせ細っています。話し方に少しくどいところがあって、バカ丁寧な言葉遣いながらどこか呂律の回ってないところも気になっていました。

「いゃー、やろうとさえ思えば誰にでも出来ることなんですがねぇ。(誰も)やろうと思わないだけですよ。」
「私なんか、アル中だからもう無理、無理! それにしても立派ですねぇ、ホントご立派。」
「いゃー、実は私も、こう見えてアル中なんですよ。4年前、どうにか酒を断てたから今こうしてできているんです。」
「アル中? とてもそんなふうには見えないわぁ。私なんか80過ぎたから、・・・もうすぐ死ぬんだし、・・・何時死んでもいいから、・・・毎晩5合は飲んでいますよ。」
「今のまま飲み続けていたら、最後は、それは悲惨な目にあいますよ。私も最後の頃は、ウ○コまみれのボロ雑巾のようになって、危うく死ぬ寸前でした。」
「私、80過ぎたから、・・・もうすぐ死ぬんだし、・・・何時死んでもいいから・・・・。」
彼女はこう繰り返すばかりでした。これ以上どんなに脅かしてみても埒が開かない、そう思ってその場を去りました。

 かなりの量の酒を毎日飲んでいても、彼女は家に引き籠もってなどいずに気楽に外を出歩いて楽しんでいます。あんないい歳をした人に、今更断酒を勧めて何になるんでしょうか? 酒が脳から抜け切るまでに何年もかかるでしょうし、そう思うと今のままそっとしておいた方がよいのでは(?)と、つい考えてしまいました。

 そう言えば、初めて専門クリニックを受診した62歳8ヵ月のとき、院長から言われた言葉を思い出しました。
「今の年齢が、断酒して回復できる最後のチャンスです。もう少し遅かったら手遅れでしたよ!」



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