ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

大人の会話?

2018-07-31 06:14:35 | 雑感
 この間の日曜日、ゴミ拾いの巡回を週1回している公園でちょっと嬉しいことがありました。この地区の老人会の方々が清掃活動をやっていて、彼らの拠点がその公園とは知っていましたが、今までなかなかお会いすることが出来ずにいました。それがやっと実現したのです。まるで友軍に出会えたような気分でした。

 このところ連日猛暑日が続いているので、涼しい朝の内にゴミ拾いを終えてしてしまおうと、6時半前に家を出ました。巡回コースの前半部分をいつも通りに済ました後、公園に辿り着いたのは8時前でした。園内にはまだ誰もおらず、ひとまず入り口の東屋に腰掛けて一服することにしました。

 するとどこからか同年配の男性一人が現われ、園内の物置小屋から箒やチリトリなどの清掃道具を取り出し始めたのが見えました。「(ハハーン、あれは老人会の人だな)」と察しがついたので、こちらも出遅れてはならじと作業を始めることにしました。

 ここでの作業は公園の外周から始めるのが私の流儀です。その間、老人会のメンバーの方々が三々五々集まって来ました。中には「他所からわざわざ来られて、いつもありがとうございます」と声を掛けてくれた人もいました。「(やはり、自分を見てくれていたんだ!)」と、少し報われた気分になれました。

 気をよくして公園内の巡回に移り、坦々とした作業も残りが藤棚付近だけとなりました。藤棚の日陰にはベンチがあり、夏用の中折れ帽を被っていた男性が腰掛けていたので最後にしようと残していたのです。清掃作業開始を待機中のようだったので、こちらから声を掛けてみました。

「老人会の清掃活動ですか? いい活動ですねぇ! 私も3年ぐらい前からボランティアでやっているんですが、1年ぐらい前まではゴミが散らかり放題でヒドかったですからねぇ、この公園は。いつから始めているんですか?」
「もう10年ぐらいになるかなぁ。この公園ばかりか直ぐそこの緑道も、毎週日曜日に8時半から皆でやっているんですよ。」
彼の言った10年ぐらい前という言葉に少し引っかかるものがありました。

 実は、この公園が見違えるようにキレイになったのは精々この半年のことです。1年ぐらい前からご近所の “おばちゃん” もゴミ拾いに参戦してくれるようになって、やっと改善が進み始めたのです。それまでは掃き掃除の形跡が、広場の縁など目に見えるところには残っていても、さらに周辺を囲む植え込みの陰などにあるゴミ屑は手付かずのままでした。

 ただ、この半年でそれらのゴミ屑も取り除かれるようになり、毎週来る度に見違えるようになって来たのも事実です。恐らく老人会の方々も、自分たちのやり方に手落ちがあったと気がついたからでしょう。そう考えればちょうど辻褄が合います。

「集まってラジオ体操をするのもいいですが、こんなふうに皆さんで清掃活動をする方がよっぽど運動になりますよねぇ。お陰様で、私にとっても大きな励みになりました。」
「世の為、人の為、ボケ防止の為、ですかねぇ!?  まぁ、お互い様ですよ。」細かいことの詮索は抜きにして、大らかに交した大人の会話(?)でした。



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下手な考え動くに如かず

2018-07-27 06:24:14 | 雑感
「今日一日ぐらい休んでも、何とかなるだろう
深酒した現役時代の翌朝、よく頭に忍び寄ってきた悪魔の囁きです。もちろんそんな日は、大事な医者との約束や社長主催の御前会議のない日でした。

 そして、ズル休みを決め込んでは後ろめたさから外出もせずについ、酒に手が出てしまうというのが定番でした。その日もズル休みのやましさからついダラダラした深酒となり、さらにまたその翌朝もカゼに似た急性離脱症状から再び悪魔の囁きが・・・。現役当時のこの悪魔の囁きは負のスパイラルを呼び込み、「もうどうでもいいや」とまでなったことも屡々でした。

 この悪魔の囁きは、暢気そうに見えて実は全く当てのない自分の頼りなさを押し隠す心が言わせる言葉です。きっと何とかなるという確証があるのなら決して出て来るような言葉ではありません。この苦い経験があったので、この言葉が浮かんで来たら「またか?!」と今では自戒するようにしています。

 断酒後、何かモヤモヤして考えがまとまらなくなったら、外出するなり行動するなりして、とにかく気分転換を図るようにしています。外出・行動さえすれば何とかなると経験上自信を持てたことが大きいと思います。何の当てもない “何とかなるだろう” から、経験に裏打ちされた確証のある “何とかなる” に変わっていることが自信の現われとも考えています。
 
 “今日一日” が、「今日一日 “ぐらい” 」、「今日一日 “だけ” でも」、「今日 “も” 一日」と少し言葉を加えるだけで意味が一変するように、“何とかなるだろう” も前提条件によってまったく別の意味に変わります。どちらも心の持ち様でどうにでも意味の変わる言葉です。

 “下手な考え休むに如かず” という考えでは  “何とかなるだろう” と同じで少しも埒が開きません。堂々巡りでグズグズし始めたら、ここは “下手な考え動くに如かず” と即、行動に移して気分転換を図ればいいのです。うまい考えがきっと湧いて来ること請け合います。



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兆し・兆候 / 予兆・前兆

2018-07-24 06:35:28 | 病状
 NHKの医療情報番組『総合診療医ドクターG』、一般視聴者向けに病名推理という娯楽の側面もあり楽しめる番組です。地上波では放送が不定期なので、これが難点と言えば難点なのですが・・・。

 7月14日放送のテーマは “心筋梗塞”。厳密に言えば、心筋梗塞の関連痛がテーマでした。関連痛とは耳慣れない言葉ですが、その病気に先立って別の部位の痛みとして感じる痛み・症状のことだそうです。

 番組中の再現ビデオでは、発症の大分前から “しつこい肩凝り” に悩まされていたとか、フットサル中に “息切れ” がしてプレーを続けられなかったことなどが関連痛として紹介されていました。

 “しつこい肩凝り” で思い出したのですが、私もかつて不安定狭心症(切迫心筋梗塞)で同じような経験をしています。発症の大分前に “しつこい首筋の懲り” に悩まされ、整体師のところに何回か通ったのですが一向に善くなりませんでした。

「こういう “しつこい首筋の懲り” は、内臓の病気が原因のことが多いんですよ。」整体師からこう言われた言葉が今でも強く心に残っています。

 ところで、番組で印象的だった言葉がもう一つありました。それは “予兆” という言葉です。ドクターGが、関連痛は心筋梗塞の “予兆” だったと、しきりに “予兆” を使っていたのです。

 以前、この “予兆” という言葉が出て来なくて困ったことがありました。怒りの感情を逸らすには、その “兆し” の感覚を察知できさえすればよいという趣旨を記事にしたときのことでした。

 実はこのとき、“徴候” という言葉は出て来たのですが、病気に関係する医学用語と思い込んでいたことから相応しくないと即、却下したことを覚えています。辞書には “兆候” という字もあることに気付きもしませんでしたし、言葉は知ってはいても “予兆”、“前兆” などはすっかり記憶の外だったのです。

 番組をよい機会と思い、“兆し”、“予兆”、“徴候”の類似語について調べてみました。その結果、これらの言葉は共通して何かが起こることを予感させる現象を指す言葉で、強いて挙げれば大きく2つに分けることが出来そうとわかりました。

 兆し・兆候(徴候):
   ①ある出来事が起こりかけていると何となく感じ取れる気配
   ②すでに起こり始めたできごとの一部が現れかかっていること
 予兆・前兆:何か起こる前に先立って起こる別の具体的な現象

 記事を投稿した当時、私が苦し紛れに使った “兆し” は、どうやら “怪我の功名” だったようです。まぁ、ここは一応、メデタシ、メデタシとなりました。

 記憶のネットワークを劣化させずに維持していくには、どうしても生きた会話の場に身を置いて、その場の “気” を受取ることが必要なようです。そして、印象に残った言葉を、新たな気持ちで再び覚えていくしか他に手はない、改めてこう思わされた番組でした。

 なお番組では、“冷や汗” を伴うような異変があったら、事は命に関わる危機的な状況と言っていました。このようなときは即、救急車で病院行きと心得て置くと間違いないと思います。念のため。



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ヒゲジイのPAWSによる悪文見本市(その20)

2018-07-20 06:23:30 | 悪文見本市
 またまた性懲りもなく、人気のない悪文見本市です。今回は、「再びPAWS(急性離脱後症候群)について(上)(2016.2.12投稿)から題材を取り上げました。

 私の記事を読んで下さっている方で、アルコール依存症(アル症)に悩んでおられる方がどれだけいるのかわかりません。この病気は、断酒を始めてからの方が精神的に辛く、特に断酒後の2~3年が勝負だと思います。

 何気ない人の言葉にイライラしたり落ち込んだり、そうかと思えば妙に落ち着いた気分になって早くも回復したと勘違いしたり、そんな躁鬱の気分の揺れが大きいのがこの時期です。しかもこれは誰もが必ず通過しなければならない関所のようなものです。よく言われる “生きづらさ” は、この時期を経て初めて理解できるものかもしれません。

 この時期に通底するのが広い意味の記憶障害で、中でも想起障害がPAWSと総称される大部分の障害の共通した要因ではないかと考えています。この時期に強く自覚される “認知のゆがみ” も今ではこの想起障害のせいだろうとも考えています。

 このような悩みを抱えているアル症の方々と経験を分かち合い、少しでもお役に立てればという一念から、私は自分の経験を自分の言葉で記事にしているつもりです。どうかこの気持ちに免じて元記事についてもお読みいただければと思います。

****************************************************************
【事例56】
「アルコール依存症のPAWSは、・・・(中略)・・・。異常と自覚しないまま過ごしていることが多いと思います。後になって気付くことが多いので、自覚症状として医師へ訴えることが少なく、そのためPAWSが見逃されがちではないかと懸念しています。依存症が再発して再飲酒してしまった・・・」
         
「アルコール依存症のPAWSは、・・・(中略)・・・。異常と自覚しないまま過ごしていることが多いと思います。ずっと後になって気付くことが多いので、医師に相談せずに済ましている患者が少なくないのでは(?)と私は睨んでいます。こうしたことから、再飲酒して再発と認定された・・・」(2018.6.02改訂)

 例文の下線部分は、主語が省略されていてまるで古文のような趣ですが、まぁこのままでも意味が通じるとは思います。第一文節と第二文節の主語は患者、第三文節の主語は実はPAWSではなく「私」であって、主語に捻れがあります。

 第一文節と第二文節の間に打った読点が曲者で、どうしても遠くに係っているように見えてしまいます。ここは主語が同じですから読点を打たないで済ますか、うまく遠くに係るよう第三文節を工夫するかのどちらかだと思いました。

 次に、私が違和感を持ったのは、「自覚症状として医師へ訴える」と「見逃されがちではないかと懸念」の部分でした。

 患者が後付けで医師に症状を話すのなら、「訴え」ではなく「報告」の方が相応しいですし、PAWSに精通している医師が「見逃す」はずがないので「懸念」も不適切です。この第三文節の主語は「私」ですから、むしろ「睨んでいる」の方が相応しいと考えました。

 以上のことから改訂文のように手直ししてみました。いかがでしょうか?

****************************************************************
【急性離脱後症候群(PAWS)】
 症状は、断酒開始後3~6ヵ月目で最も強くなり、6ヵ月~2年で回復する。

  ○ 思考プロセス障害(脳の働きにムラがある、頑なで諄(くど)い思考、因果関係を
     理解できない)
  ○ 情動障害(情動の揺れ)
  ○ 記憶障害(短期記憶の障害)
  ○ 睡眠障害
  ○ 身体的協働性に問題
  ○ ストレス感受性に変化(おそらく認知障害“認知のゆがみ”の意味:筆者追記)
                  (アルコール依存症専門クリニック教育資料より)

 その障害の一つ “思考プロセス障害” では、脳の働きにムラがある、頑なで諄(くど)い思考、因果関係を理解できないなどが知られています。私の経験から言えば、 “思考プロセス障害” は次の3点に言い換えできるでしょうか。

  ● 脳が混乱して疲れやすく、よくストライキを起こすこと
  ● まとまった文章を書こうとすると、なかなか考えがまとまらないこと
  ● 使うべき助詞、所謂 “てにをは” の適切な使い方に迷うこと

 さらにより具体的に挙げれば、“遠回りする思考”、“助詞の使い方の混乱”、“修飾語の語順の誤り”、“時制の混乱” などとなり、大概が “慣用的な言葉の使い方(言い回し)の失念” ということに要約できます。



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豪雨災害のささやかな余波

2018-07-17 05:55:30 | 世相
 報道されている広島、岡山、愛媛の人的・物的被害に比べたら被害と呼ぶにはちょっと憚られるのですが、私の住んでいる地域も4日から7日までの4日間連日豪雨に見舞われました。

 5日には、国道43号線を潜るアンダー・パスが冠水で通行止めとなり、普段は遊歩道となっている河川敷が濁流で水没していました。6日夜には、少し離れた六甲ケーブルの近くの山の中腹で住宅街が土砂崩れに襲われました。それでも死傷者が出なかったことは幸いでした。

 この間、さすがの私も徒歩での外出を控えることにしました。日課となっているゴミ拾いと市役所通いを止めましたし、いつもは歩いて行く夙川教会のAAのミーティングにもバスを利用しました。“空白の時間” を避け生活リズムを崩さないため(?)に、日中はうたた寝をして過ごしました。外出できないことにイライラ・ボォーッとして起きているよりマシだろうと思ったのです。

 こんな4日間の豪雨でしたが、目に見えないところでも被害がありました。ゴミの自動収拾収集パイプラインが浸水で止まったのです。システムの老朽化が進んだため、最近ではこれが豪雨後の恒例(?)となっています。いつも通りなら復旧まで2週間ぐらいかかるでしょうか。

 それまでの間、喜んでいるのはカラスばかり、防護ネットからはみ出たゴミ袋を漁っては散らかし放題です。この辺の住民は、定期的な朝のゴミ収集に慣れていないので時間厳守など何処吹く風、ゴミ出しがデタラメでいい加減なのです。見て見ぬ振りができない性分なので、防護ネットからはみ出たゴミ袋を直したり、カラスに食い散らかされた生ゴミを始末したりと、こんなご近所の巡回もゴミ拾いの日課に加わっています。

 “梅雨明け十日” と言うそうですが、豪雨が止んだ今は連日晴天の猛暑に見舞われています。激しかった雨音に代わって喧しいぐらいの蝉時雨が辺りに鳴り響き、4日間の豪雨がウソみたいです。多少の被害はあったものの打って変わって平穏な日々が戻ってきました。

 私は、外出時に野球用長袖のアンダーシャツを着用して首にタオルを巻くことにしているので、熱中症対策の方はこれでまぁ十分と思っているものの、必ずしも万全ではないとも考えています。今回の豪雨でも被害者の多くは高齢者でした。恐らくは、どんなに避難を呼びかけられても “まさか、自分が?” という何の根拠もない思い込みから避難が遅れたのだろうと思われます。

 “まさか、自分が?” という正常性バイアスが命取りになるのが災害だそうです。被災者の方々や、捜索・復旧作業に当たっている自衛隊・消防・警察の方々、被災者支援に当たっているボランティアの方々には、くれぐれも熱中症対策を怠らないよう祈らずにいられません。


こちらの記事も是非ご参照ください。
暑さを乗り切るためにはコレがお勧め」(2018.4.24投稿)



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健康な心 狂った心

2018-07-13 06:12:21 | 病状
「健康な心って?」改まってこう問われたら戸惑ってしまうのが普通だと思います。これは、幸せとは何かという問いかけと同じむずかしい問題です。

 当たり前と思っていたことが実は幸せそのものだった、と失ってみて初めて気づくのと同じように、健康な心も、一度は失って狂気から回復しなければわからないと思うからです。幸い(?)なことに、私はこのどちらも経験しています。

 先日の自助会AAのミーティングでは、この “健康な心” がテーマでした。この類いのテーマの場合、真逆の意味の反意語から取りかかるのがよさそうです。AAの言う “健康な心”  とは sanity (正気、気の確かなこと、分別)のことで、その反意語は狂った心・狂気です。

 かつて私が経験した狂気とは次のようなものでした。逃げ場がなくなるほど精神的に追い詰められたとき、決まって性欲に火が付いて最後は妄想にまで膨れ上がったものです。何とか生き残らねばという本能の悪足掻きだったのでしょうか?

 そんなときは、何とか気を紛らわそうとしての深酒が定番でした。しかもその深酒は1日だけで治まるわけがありません。これが連日続いたら最後、性的衝動でもうどうにもならなくなる寸前まで行きました。アルコールが自制を取り払い、歪んだ性欲(妄想)を増幅させて狂気の域まで狂わせてしまったようです。

 今思えば、衝動に駆られて刑事事件を起こさなかったことが不思議なくらいです。一旦取り憑いた妄想は、自分では異常とわかっていても自力で消すことはできません。

 そんな狂気に対して、では反意語の正気・健康な心とは? 狂気の兆しを察知したときに、自分を含めた周りの状況をありのまま(客観的)に受け止めて冷静な価値判断を下せること、これが今の私の理解です。もちろんこれは、妄想を増幅させるアルコールを断っていることが大前提です。

 価値判断や感情を司っているのは大脳辺縁系にある扁桃体と言われています。この器官は、記憶を司る海馬の直ぐ隣りにあります。このことから、価値判断は記憶のネットワークと密接に繋がっていると考えられています。確かに、良い悪いの価値判断は経験の有無に左右されます。そうであれば、記憶のネットワークを健全に維持しておくことが即ち、健康な心を保つこと、となるのではないでしょうか? これが二番目に得られた私の理解です。

 ところで、つい最近知り合った K 氏と市役所の食堂で昼食中、時事問題が話題となったことがありました。このとき自分でも吃驚したのは、何があったのかは思い出せても、誰が(人名?)、何時(西暦年数?)については記憶が飛んで一向に出て来ないことでした。自分では十分過ぎるぐらい正確に覚えていたつもりでもこのザマだったのです。

 記憶のネットワークに刺激を与えるためには、酒害体験以外の様々な話題の場にも参加することが欠かせないようです。自助会以外の他流試合も記憶力の修練には必要だとつくづく思い知らされました。

         *   *   *   *   *
 このところ狂気に駆られた殺傷事件が立て続けに起こっていますが、その度に聞こえてくるのが「誰でもよかった。むしゃくしゃして」という犯人の決まり文句です。いかにも得体の知れないモヤモヤした衝動に駆られての犯行だったのかがわかります。“気違いに刃物” ですから、正義感からそんな輩に丸腰で立ち向かうなど以ての外です。

 現状では狂気への対策は立てようがないのでは? 不条理とは思いますが、ついついそう思ってしまいます。人の心の中は見えませんが、目は心の窓と言います。精々用心すべきは、目ヂカラのない人、変な目つきの人には決して近づかないこと、これしかないのでは?

 繰り返しになりますが、
一旦取り憑いた妄想は、自分では異常とわかっていても自力で消すことはできません、念のため。



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“第一のことは第一に!”

2018-07-10 06:03:51 | 雑感
 物事には踏むべき順番がある、大事なこと / ものこそ最優先で、・・・という意味ですが、実はこれがなかなかむずかしい。最近、こんなドジなことを再びやってしまいました。

 ついこの間、カトリック夙川教会であったAAのミーティングの帰り道でのことです。ゴミで一杯になったゴミ袋やら、予備のゴミ袋、トングなどの七つ道具(?)にビニール傘まで手に持って、いつものようにゴミ拾いをしながら定番コースを歩きました。普通に歩いて片道50分、ゴミ拾いをしながらだと1時間半弱かかります。

 やっとコース終盤にあるバス停のベンチに辿り着き、そこで一休みしようと手持ちの荷物全部をベンチに置いたのですが、そのとき初めてセカンド・バッグのないことに気づきました。「あ~ぁ、またか?!」思わず背筋がゾッとしました。深呼吸をして気を落ち着かせ、先ず決めたのは今来たコースを戻ってみることでした。

 ゴミ拾い中の道でセカンド・バッグを落したのなら音でわかるはずで、その確率は低いのです。が、途中でスーパーに寄って、サービス・カウンターでタバコを買っていました。そのスーパーになければ、後はミーティング会場の教会だけになります。教会にもなかったときは警察に届け出よう。この手順を自分に言い聞かせ、急ぎ足でひたすら歩きました。

 結局、セカンド・バッグは教会の事務所にありました。やはり仲間が届けてくれたそうなのです。さすがにホッとしました。再び同じコースを歩いて帰ったのですが、片道3 km強の道程を1往復半と、午前中に歩いた距離を合わせると約15 km、家に着いたらドォッと疲れが出て来ました。

 AAのこのミーティング会場では、私がいつもやる決まり事があります。座る位置は壁際の椅子、帽子とセカンド・バッグの置き場は椅子の後ろの窓枠、他にゴミ袋など大きな荷物の置き場は足元、などです。また、ミーティングの最後には、いつも各グループから催し物予定の発表があって終わりとなります。この発表が始まったら会場を出るというのも私のいつもの決まり事です。

 その日も先ず帽子を被り、大きく膨らんだゴミ袋、予備のゴミ袋、トング、ビニール傘など、足元に置いていた荷物を手に持つ、この順番を守って退出しました。部屋を出る際も一応は振り返って、座っていた辺りの窓枠も見たつもりでした。が、ただぼんやり見やっていただけなのか、あるいはセカンド・バッグは見えていなかったのでは(?)としか思えません。

 荷物を持つ場合、小さい物より大きい物から、軽い物より重い物から、人は誰でもこの順番で手に持とうとするようです。私の場合も同じで、確かに帽子以外はこの順番で手に持ちました。セカンド・バッグを忘れた原因は、どうやらこの順番にあったようです。

 つまり、足元の荷物をこの手順で手に持ち、両手が一杯になったことに満足してしまったようなのです。加えて窓枠に置いていた帽子を最初に被っていたことも、これで完璧と思わせたのでしょう。まんまとこれに騙され、大事なセカンドバッグのことなどすっかり飛んでいました。

“第一のことは第一に” の順番も大事ですが、そのときは必ず “大事なものこそ最優先で” も忘れずに! 改めてこの言葉の意味を嚙み締めた次第です。なお、“手荷物はまとめて一カ所に”、これが忘れ物対策の鉄則ですが、夙川のミーティング会場では敢えて手荷物を分散させています。念のため。



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ヒゲジイのPAWSによる悪文見本市(その19) “思考プロセス障害”

2018-07-06 05:53:00 | 悪文見本市
 今回のテーマは “段落” です。文章の読みやすさの決め手は、一に “文が短いこと”、二に “まとまりのある段落” と言われています。まぁ、その大前提に文才の有無の問題があるのですが、ここでは敢えて触れないことにします。

 題材とした事例は「継続断酒3年 心の軌跡(飲まない生き方のモットー その4)
(2016.11.18投稿)から取り上げました。この記事は “思考プロセス障害” を自覚し始めた経緯を述べたものです。

 アルコール急性離脱後症候群(PAWS)は、断酒後3ヵ月ほど経ってから気づかされる遅発性の障害です。PAWSにはなかなか自覚しにくい多彩な障害がありますが、中でも思考プロセス障害は普通に会話している分にはまず気づけない障害です。

 思考プロセス障害を一言で言えば、頭を整理して考えをまとめようとすると却って混乱してしまうことでしょうか。自助会のミーティングなどでまとまった話をしようとして、初めて気づかされる人が多いと思います。元々人前で話すのが苦手の人なら「またか?!」と思うのが関の山、大して異常とは考えないハズです。この点、意図した言葉がなかなか思い出せない想起障害の方が、同根の障害でもショックが直接的なだけまだ自覚しやすいようです。

 私の場合は、ブログに投稿した過去記事を読み返して初めて気づかされました。言葉の使い方がメチャクチャだったからです。そしてこのことがキッカケで、まとまったものを書こうとすると即文案が飛び交って頭が混乱しがちなことに思い当たり、この障害に気づかされた次第です。
 事例としてはチョット長すぎの感がありますが、テーマに免じてどうかご勘弁ください。

***************************************************
【事例55】
「・・・気づかされた話のことです。その頃はちょうど、周りの人から顔つきが落ち着いて来たと言われ、自分でもずいぶん回復が進んだものと思えていた時期でもありました。
 口にしようとしても言葉がなかなか思い付かない想起障害は、相当以前から気になっていた問題でした。それにもかかわらず回復したと思えていたことに、却って他にもまだ未知の障害があるのではと気に掛って仕方ありませんでした。
 否応なしに想起障害を強く自覚させられたのは、自分史『アルコール依存症へ辿った道筋』の連載が終盤に差し掛かっていた頃のことです。同時期には思考プロセス障害も強く自覚させられました。テーマが自分史から離れ、なお投稿し続けようとするならば、いよいよ近い過去の事例から題材を採る必要に迫られていました。自分史以外についても時々ブログに投稿し始めていましたが、遠い過去を題材とした自分史と違って、表現に手こずる場合が多いと気になっていました。的確な言葉や表現がなかなか思い浮かばないからです
 そんな時に知ったのが遅発性の離脱症状・・・」

         
「・・・気づかされた話のことです。
 このエピソードがあった頃は、意図した言葉がなかなか思い出せない想起障害に随分苦しめられていましたし、依然として記憶障害にも悩まされていました。それにもかかわらず、周りの人から顔つきが落ち着いて来たと言われ、自分でも随分回復が進んだものと思えていた時期でもありました。このことが却って、他にも未知の障害があるのでは(?)と気になって仕方ありませんでした。
 想起障害に加え思考プロセス障害を否応なしに自覚させられたのは、自分史『アルコール依存症へ辿った道筋』の連載が終盤に差し掛かっていた頃のことです。テーマが自分史から離れてもなお投稿し続けようとするならば、いよいよ直近にあった事柄から題材を採る必要に迫られていました。そのため、自分史以外のテーマについても時々ブログに投稿することにしました。
 ところが、遠い過去を題材とした自分史と違って直近の事柄を題材にすると、表現に手こずる場合が多いことに気づかされました。想起障害により的確な言葉や表現がなかなか出て来ないばかりか、言葉の使い方一般でもよく混乱していたのです。
 そんな時に知ったのが遅発性の離脱症状・・・」


 事例に取り上げた文章は、三つの流れ(内容)から思考プロセス障害に気づかされた経緯を述べようとした部分です。その流れ(内容)とは、次の三つのことです。

 ひとつ目は、記憶障害・想起障害と回復した気分とが共存していた時期に未知の障害(=思考プロセス障害)の懸念もあったということ。二つ目は、思考プロセス障害を自覚するに至ったキッカケ。三つ目は、新たに自覚した障害とはどういうものだったか、です。

 ひとつの断落には一つの内容だけに留めておく、これが段落の大原則です。ご覧のように、事例の各段落には複数の内容が混在し、しかもその内容が複数の段落に跨がっていて読み手の集中力興味を削ぐ文章になっています。ですから、本来あるべき段落の分け方に編集し直してみました。

 なお、言葉の重複など不自然な表現の部分には下線を付して置きました。特に三番目の下線部は、肝腎の思考プロセス障害を示唆する事実が抜け落ちていた部分です。これらについても適切に手直ししたつもりです。

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【急性離脱後症候群(PAWS)】
 症状は、断酒開始後3~6ヵ月目で最も強くなり、6ヵ月~2年で回復する。

  ○ 思考プロセス障害(脳の働きにムラがある、頑なで諄(くど)い思考、因果関係を
     理解できない)
  ○ 情動障害(情動の揺れ)
  ○ 記憶障害(短期記憶の障害)
  ○ 睡眠障害
  ○ 身体的協働性に問題
  ○ ストレス感受性に変化(おそらく認知障害“認知のゆがみ”の意味:筆者追記)
                  (アルコール依存症専門クリニック教育資料より)

 その障害の一つ “思考プロセス障害” では、脳の働きにムラがある、頑なで諄(くど)い思考、因果関係を理解できないなどが知られています。私の経験から言えば、 “思考プロセス障害” は次の3点に言い換えできるでしょうか。

  ● 脳が混乱して疲れやすく、よくストライキを起こすこと
  ● まとまった文章を書こうとすると、なかなか考えがまとまらないこと
  ● 使うべき助詞、所謂 “てにをは” の適切な使い方に迷うこと

 さらにより具体的に挙げれば、“遠回りする思考”、“助詞の使い方の混乱”、“修飾語の語順の誤り”、“時制の混乱” などとなり、大概が “慣用的な言葉の使い方(言い回し)の失念” ということに要約できます。



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これがカラス社会の掟?

2018-07-03 05:53:15 | 雑感
 カラスに襲われた記事を書いてからもう1ヵ月半経ちました。事件はどうやら繁殖期特有の出来事だったようです。ゴミを散らかす大悪党のカラスですが、この事件以来、前にも増して憎たらしくて大の苦手の鳥となりました。そんなカラスですが、ある朝自宅のヴェランダでこんな光景を目撃してしまいました。

 自宅はマンションの二階にあり、ヴェランダの向かい側には別の棟の二階建て駐車場があります。駐車場との間は10 m余の芝生と植栽の緑地です。駐車場の2階は高さ1 mほどのコンクリート塀が巡らされた青空駐車場で、こちらの棟に面した部分には目隠しとしてさらにアルミ・フェンスが嵩上げされています。

 お察しの通り、ここがカラスの恰好の止まり場になっています。特にアルミ・フェンスの上と、フェンスとコンクリート塀の境にある巾10 cmほどの棚状のスペースとが彼らのお気に入りで、何羽か集まっては集会(?)を開くこともあります。

 その朝、「グルグルッ、グヮ-ッグヮ-ッ」と、いつにも増して外が騒がしいのでヴェランダに出てみると、例の場所に互いに少し距離を置いて3羽が集まっていました。そこにもう1羽が何かを咥えて棚状のスペースに止まりました。啄んでは小羽を散らしていることからスズメが犠牲者とわかりました。さらにそこにもう1羽も加わって来ました。「(これは奪い合いのケンカが始まるな?!)」と思いました。

 するとどうでしょう、そのうちの3羽が餌を啄んでいる1羽の正面に次々行儀よく並んだのです。そして何と、餌を啄んでいる1羽が順番に一囓り分だけ分け与え始めました。その間も「グルグルッ、グヮ-ッグヮ-ッ」が続いていました。

 2羽目までそれを続けると、餌を咥えたカラスはこちら側の芝生に降りて来ました。残りのカラスも後を追って舞い降り、再びおねだりを始めました。そして再び2羽目まで分け与えると、スキップするようにそこを離れ、独りで近くの木の枝に移って本格的な食事(?)を始めたのです。後を追うカラスはいませんでした。

 単にちょっと味見させただけだったのか、ちゃんとしたお裾分けだったのか、私にはわかりません。が、土バトのような分捕り合戦にはならなかったのです。どうやら彼らはこの辺りを縄張りにしている仲間同士のようで、カラスの社会にも哺乳類に似た一定の掟があるように思われました。

 このことから、かつてコープの店頭で見た光景を思い出しました。店頭の駐輪場には、1台の自転車だけが買い物袋をカゴに入れたまま止められていました。コープ前のマンションの屋上にいた1羽のカラスは目聡くて、その買い物袋の中にクロワッサンの袋を見つけたようでした。

 件のカラスは、素速く自転車に飛び移るや見事に袋を嘴で喰い破り、クロワッサン1個だけくすねて飛び去りました。そして、屋上に戻るや得意げに「グヮ-ッグヮ-ッグヮ-ッ」と鳴き声を上げました。すると驚いたことに、辺りにいた仲間も各々順番に襲っては1個ずつくすねていったのです。袋が空になったのはアッという間、鮮やかな集団窃盗でした。

 事あれば、カラスは集団でこのような組織的行動を起こします。「グルグルッ、グヮ-ッグヮ-ッ」と、カラスがだみ声で鳴いているときは要注意です。この鳴き声は、もめ事ではありません。仲間内の打ち合わせに使う合図のようなのです。侮るべからず、恐るべし、カラス社会!



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