ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

回復には時間がかかる

2017-07-28 06:51:51 | 病状
 アルコール依存症(アル症)の回復とは、単に酒を飲まないでいる生活のことではありません。

 自助会AAでは、回復のイメージを「心の落ち着きという言葉がわかるようになり、やがて平和を知る・・・」としています。その境地に至るため、「自分に変えられないものは(ありのままに)受け入れ・・・変えられるものは変えてゆく・・・」をお祈りの言葉としています。お祈りの言葉とすることで、このような賢さを身に付けることを具体的達成目標としているわけです。

 これらの言葉から、いつでも “平常心” を失わないことが回復のイメージと私は理解しました。そして、自分ではどうにもならないことと、自分にもできることとを理性的に見分け、徒に感情に左右されない生き方を達成目標としました。これらのことは折に触れてこのブログで述べてきています。

 回復の達成目標を立ててはみたものの、到達度合いは誰が判定するのでしょう。患者本人の自己申告(?)では危なっかし過ぎます。

 断酒10ヵ月で経験した “憑きもの体験” から、回復途上では勘違いが多いと痛感させられました。“憑きもの” が落ちた意味が単にアルコールが抜けきっただけだったのに、医者をも巻き込んで早くも回復したと大騒ぎしてしまったのです。

 そのときの医者の言葉が印象的でした。精神科では血液検査のような客観的診断指標はないものの、患者の言動や顔つき、目ヂカラなどから回復を診断できると明言したのです。そのときは半信半疑だったのですが、人の精神状態は傍から診た方が一番確実なのだろうと今では納得しています。道を尋ねるとき、見るからに胡散臭い人物などに尋ねたりする人はいません。

 アル症の全道筋を否応なしに見てきたのが身近にいた家族です。これはアル症の誰にでも当てはまることです。

 私の妻や息子たちは、機会飲酒時代や、精神依存から身体依存の時代、さらに断酒後の生活に至るまですべて見てきました。特に妻は、私自身が自覚してないところもすべてお見通しのはずなのです。一旦は離婚したというややこしい事情も絡んでいます。判定者としてこれ以上に適格な人物はいません。

 そんな判定者ですから、よほど回復したという確信がない限り、私に信頼を戻すことはないでしょう。 “回復には時間がかかる” この言葉にはどんなに難しい意味合いがあるかおわかりいただけたでしょうか?



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とんでもない時代になった?

2017-07-25 06:21:36 | 雑感
 TVで豪雨災害のニュースを見ながら「とんでもない時代になったもんだ」とつい口を滑らしたら、「昔、親がそう言うのを聞いて、老いたなーっと思ったものよ。老いたねぇ」と妻に言われました。「昔はどうたらこうたら・・・」と語り始めたら老いた証拠。いつの世でも変わりません。

 このところ毎年、梅雨の末期に豪雨災害が続いています。30年ほど以前の昔なら、こんなひどくはなかったような(?)、どう考えても地球温暖化の悪影響と考えざるを得ません。200年以上にわたって利便性を飽く無く追求してきた現代文明のツケなのでしょう。大自然のやることに文句を言っても始まりませんが、ここに来て落とし前を付けろと地球から凄まれているようです。

 利便性の追求と言えば、大自然と同様に大きく変わったのが人の心、特に公共心の希薄化です。昔は、自分の私物よりも公共のものの方を大事にするのが普通だったように思います。他の利用者への慮りがありました。今は、他人のことなどどうでもよい、“我関せず焉” の人が多くなったように思います。

 人間には身近にいる人を真似したがる習性があり、この習性は本能の一部のようです。本能とは恐ろしいもので、こんな “我関せず焉” まで真似する人の何と多いことか! 嘆かわしい限りです。

 そこで公共心について提案します。考え方や性格は急には変えられませんが、行動なら方向を少し変えるだけで変えられます。

 100均でトング(火バサミ)を買い、散歩のときに持ち歩くことをお勧めします。公園や道路のゴミ拾いをすれば、間違いなく公共心のお手本となります。そればかりか適度な運動量が糖尿病に打って付けという付録が付きます。健康寿命も多分伸ばせるでしょう。その際は、猛暑対策に野球用長袖アンダーシャツの着用をお忘れなく!

 せっかくのお手本ですから、見倣う人が多くなってくれれば万々歳なのですが・・・。つい年寄りの繰り言になってしまいました。



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自分は万能と思い込むワナ

2017-07-21 06:18:32 | 病状
 新聞のコラムでこんな言葉を見つけました。

「・・・万能は正義を要求する。本人は正しいことをしていると思い込んでいても、本当は万能ではないのだから、次々とウソをつくようになる。ウソ行為や非常識が無意識化する。」
(筑波大学大学院教授 古田博司 「近代『エリート神話』は崩壊した AI登場で教育は『意味』を教えればよい」産経新聞『正論』2017.6.29)

 さらに、古田氏は別の雑誌でも同じことを書いていました。
「勉強エリートは自分を万能と思い込む環境にな(慣)らされている。正義は万能を要求するから、やがて自分が正義だと思い込むようになる。でも本当は万能ではなく、自己愛が強いだけだから、正義漢であろうとするほどどんどんウソつきになり、やがてはウソがばれて落っこちてくるのではなかろうか。」
(雑誌『正論』8月号)
 
 私も勉強エリート目指していただけに核心を突いた言葉に感心しました。 と同時に、アルコール依存症(アル症)者と根拠のない万能感というふうに古田氏の言葉を読み替えたら、アル症者にピッタリなので痛いところを突かれた思いでした。

 大概のアル症者も、自分は絶対と無意識に思い込んでいる節があります。言い換えれば、自分に出来ないハズはないという何の根拠もない万能感が殊の外強いのです。これが自己中心的な考え方や、ものごとを白か黒かに決着つけなければ済まない “認知のゆがみ” に繋がっているようです。長年の飲酒習慣が理性的に抑制してくれるブレーキを壊してしまったのだと思います。

 私も「大きくなったら何でもできるようになろうね」と幼少期に繰り返し言われたせいでしょうか、何かことがあった場合、何の根拠もないのに「これぐらいならできるハズ」と思わず考えてしまうところがあります。無意識下に自分は万能・・・と思い上がっている証でしょう。何かにつけ無意識に「・・・しなければならない」という考えに囚われてしまうのも、万能という意識の裏返しと考えれば納得できます。

 万能と正義が切っても切れない関係というのもうなずけます。アル症の場合は、悪いのは周りとする他罰的態度という点で少し異なりますが、自己愛の強さが根っこにあるのは共通しています。

 自分は万能という萌芽は誰でも幼少期から持っていると思います。それがあるから夢を持ち、夢を追って冒険心を掻立て、冒険心が進歩を促してきたのだと思います。そんな状態を定着させたのが広い意味での教育という洗脳であり、その副産物として “認知のゆがみ” という鬼っ子もあり得るのです。
 
 長年掛かって刷り込まれた洗脳は効果絶大で、洒落にも成らない皮肉なカリカチュア(戯画)も生みだします。それが勉強エリートであり、アル症ではないでしょうか。

 どうにもならないことだらけの世の中なのに、どうにもならないという客観的事実を受け容れられない。これがアル症者特有の “認知のゆがみ” です。自分にどうにもならないことが我慢できず、気に入らないからと酒で紛らわしてしまうのです。これは明らかに現実主義的な考え方が欠落しているせいです。“ありのままの事実を ありのままに受け止め容れる” はこの意味で大切な心懸けです。

 古田氏の記事は人工知能(AI)時代を迎えた勉強エリートの没落と行く末を論じていますが、論理と確率と統計しか言葉がないAIに対抗するための教育とは「意味」を体得することと述べています。私はこれを、複眼的にものごとを見、角度を変えた考え方を身につけることと理解しました。“ありのままの事実を ありのままに受け止め容れる” はAI時代でも十分意味があると意を強くしました。



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鳩の仲間イジメ?

2017-07-18 06:07:01 | 雑感
 つい最近のことです。河口近くの堤防の桜並木を歩いていたら、遠目に白っぽいものが下草にビッシリ散らばっているのが見えました。

 近づいてみると、散らばっていたのは夥しい羽毛で、その中に一羽の鳩の死骸が転がっていました。首筋を執拗に突っつかれたと見え、血だらけとなった痕がありました。死骸が残ってないものの、このところ同じような光景をちょくちょく目にしています。

 ふと、田舎の実家に昔あった鶏舎のことを思い出しました。10羽ぐらいを一緒に飼っていたのですが、狭い鶏舎では鶏同士のイジメがよくありました。一羽だけが狙われ、尻や首筋を突っつかれて死ぬ例もありました。尻を突っつかれ、羽をむしり取られるのが始まりで、そうなると次第にエスカレートして全員で殺してしまうこともあったのです。

 ネットで検索してみると、狭い鳩舎なら鳩でも同じことがあると知りました。そうすると私の見た光景は鳩同士のイジメの結末だったのでしょうか? 死んでいたのはドバトでした。彼らは群れで生きるのが特徴です。狭い鳩舎内ならいざ知らず、広い野外でも同種間の集団イジメなんてあり得るのでしょうか?
 
 現場は河口近くの遊歩道です。餌遣りを日課にしている人もいますから、知能の低いハトでも餌を奪い合っての内紛ではないはずです。天敵の猛禽類はおらず、水鳥やアオサギ、カワウが犯人とは思えません。他に考えられるのはカラスかネコぐらいですが、犯人が肉食なら死骸が残っているのはどうしてでしょう。そう言えば、野ウサギ大のカピバラに似た哺乳類もこの川辺にはいるようです。

 同種間に殺し合いのないのが野生のはずですが、少しでも便利にと自然破壊をしてきた文明が野生の生態をも歪めてしまったのでしょうか? 自然はときに過酷な姿を現しますが、今回は歪んだ野生の姿を垣間見た気がしました。

 ポイ捨てゴミの始末屋を自認している私ですが、鳥インフルの危険もあるので市役所に死骸の処分を依頼しました。どうですか、少しは背筋が涼しくなったのでは・・・?


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挑発する言葉

2017-07-14 07:57:06 | 病状
 「(自分は)他人を挑発する天性のアル中みたいだ」と言われたことがあると告白した人がいました。このような言い方で、自分の性格上の欠点を指摘されたそうなのです。まだ酒を飲んでいなかった若い頃の話だと聞きました。薄々察しがついたので以前読んだ次の言葉を思い出しました。ちょっと場違いのような言葉なのですが・・・。

― 知的でない人は異なる意見を「自分への攻撃」とみなす。
― 知的でない人はわからないことがあることを恥だと思う。
  その結果、それを隠し学ばない。

 これらの言葉にドキリとしない人がいるでしょうか? 私は痛いところを突かれた思いでした。上の言葉はFBからの孫引きなのですが、人を挑発しようとする際に使う言葉の本質をズバリ突いたものと思います。

 「知的でありたい。人から知的でないとは見られたくない」というのは誰にも共通する思いです。自分と異なる意見を敵対していると見做すことも、自分が知らないことを恥だと思うことも、程度に差はあれ誰もが懐いている思いです。これらの言葉を書いた人も、自分自身にもある性格と認めていたから書けたのだと思います。

 人は誰でも “自分は絶対” と無意識のうちに考えているものです。自己愛(自我?)の為せる業なのですが、他者との関わりの中で懐く優越感や劣等感、さらには慢心や嫉妬心に至るまで、疚しい心の源です。そのどれもが胸の奥底に秘めているもので、人前には晒したくないものです。

 挑発する言葉はこの秘めた部分をやんわり刺激して来るのです。天性のアル中と言われた人は、恐らく自分の気に入らないことの腹いせに、相手の秘めた部分をストレートに言葉で口にしたのでしょう。そんな言葉を受け取った側はどうすればいいのでしょうか?

 それには人の言葉に容易く動揺しないよう心を鍛錬するしかありません。そんな鍛錬には、黙って人の話を聞けるようになるまで場数を踏むことが一番と考えています。その点、アル症の自助会ミーティングは恰好の場となり得ます。

 自助会ミーティングでは、自分を正直に語ろうとしていますから、核心を突く言葉がよく出て来ます。そんな場では、聞き手からすれば話し手が鏡となり、聞き手自身をも相対化した客体とみることができます。

 冷静に聞ける耳を養った後は、発憤材料とするか挑発に乗るかは聞く側に立った者の自由です。選択肢が増える分だけお得です。



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酷暑を乗り切るには汗かき体質に

2017-07-11 06:10:33 | 雑感
 ニュース記事で既にお読みの方も多いと思います。「酷暑対策に暑熱順化:正しく汗をかける体質へ」(日刊ゲンダイDigital)という記事のことです。暑熱順化への助太刀にと、ヒゲジイ流のノウハウを少し伝授(?)します。

 上の記事にある通り、体質を変える手っ取り早い方法は戸外での軽い運動です。クソ暑いときに戸外で(?)と思われるでしょうが、昨年の経験からして私はこれがベストだと確信しています。

 私の場合は散歩を兼ねたゴミ拾いですが、その際の服装がヒゲジイ流ノウハウです。次の3点が必須アイテムです。

 ● 野球用長袖アンダーシャツの着用
 ● 首にタオルを巻く
 ● つば広の帽子の着用

 是非とものお勧めは最初に挙げた野球用長袖アンダーシャツです。長袖というところがミソで、決して半袖ではありません。

 吸水性のよいサラサラした生地で出来ており、腕も含め上半身の肌にピッタリフィットします。そのため、かいた汗が満遍なくシャツに留まり、その蒸発に要する気化熱が身体から熱を奪って冷やしてくれるのです。少しでも風があったらもう最高、その涼しさは言葉になりません。

 首に巻くタオルも同様です。しばらくすると汗を吸い、濡れタオル状態となって首を冷やしてくれます。直射日光から首筋を守ってくれるので、つば広の帽子と併せて疲れを軽減してくれます。

 私はこの服装で3時間以上の散歩を難なくこなしています。もちろん水分補給をしながらの話です。正しく汗をかくというのは自然に適った体質なのだとつくづく考えさせられました。エアコンの効いた屋内などに慣れてしまったら、却って熱中症に罹りやすくなってしまうのではないでしょうか。

 ついでにもう一言。暑いときのビールは格別です。けれど断酒中のアル症の皆さんには次の言葉を戒めにしてください。私の通っている専門クリニック院長の言葉です。
「再飲酒し元の木阿弥となった人には二つのタイプがある。一気に連続飲酒に戻る人、節酒しているように思い込んで3ヵ月ほどで戻る人の2種類だ。後者の方が被るダメージが深い。割合としては半々だ」。



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大酒飲みにありがちなビタミンB1不足

2017-07-07 06:58:35 | 病状
 行きつけのスーパーは二階にあり、店の前はペディストリアン・デッキ(歩行者専用広場)になっています。その歩行者専用広場から、一人の老人が階段を降りているところでした。手すりに掴まってはいましたが、足下がふらつきいかにも危なっかしい足取りでした。私よりかなり年輩に見えました。

 どうにか階段を降り切れそうだと見計らい、私が階段を上り始めたときです。ドサッという音がしたので振り返って見ると、階段脇の小さな段差でその老人が倒れていました。その小さな段差には手すりがなかったのです。老人は一人では起き上がれないようだったので、サッと周りから人々が集まりました。それを見届け、私はそのままスーパーに向かいました。

 「(単なる老化のせいではなさそう。ひょっとしてアル中のビタミンB1 不足?)」と思ってしまいました。かつて酒浸りだった私の姿が老人に被って見えたのです。1年半続いた連続飲酒の末期に、私は次のような経験をしています。

 先ず毎日の起床が大変でした。私は畳に布団派ですが、朝目覚めて上半身だけ起き上がれても、寝床からすんなり立ち上がれなかったのです。胡座状態から片膝を立て、片手を膝に、もう一方の手を敷き布団に着いて、上体を前後に揺すって勢いを付けなければなりませんでした。やっと立ち上がれても、勢い余って目の前の襖に頭から突っ込みそうでした。制止しようにも足に踏ん張りが効かなかったのです。これじゃベッドに変えるしかないと真剣に考えたものでした。

 階段を下りるのにも苦労しました。下ろした足に踏ん張りが効かないので、そのまま勢い余って転げ落ちそうだったのです。手すりなしでは怖くて階段を降りられませんでした。緩い傾斜の坂道でも下りはオッカナビックリのヒヤヒヤものでした。これにうつ状態が加勢して益々引き籠もりがちになりました。

 ボタン嵌めにも苦労しました。普通ならできるはずの喉元のボタンやその直ぐ下のボタン嵌めがどうしてもできなかったのです。鏡に映して見ながらどうにか嵌めるという塩梅でした。ここまで来るとアルコール性小脳失調(ウェルニッケ脳症?)のレベルだそうです。

 起床にせよボタン嵌めにせよ、毎日こんな状態だったのでもう介護なしでは生きていけないかも、とぼんやり考えていました。

 アルコール専門クリニックに掛かるようになって、これらの症状がビタミンB1 不足によるものと教わりました。しかも一部はアルコール性小脳失調のレベルだったようです。“カッケ” でよく知られたあのビタミンB1欠乏症です。

 アルコールの解毒に大量のビタミンB1 が消費されるという事実はあまり知られていないと思います。大酒飲みのせいで20年前からアル症と診断されていた私ですから、相当以前からビタミンB1 不足が響いていたようです。掌や指先、足裏にあった微かなシビレ感は、当初、糖尿病性抹消神経炎とばかり思っていました。更に、歩幅が狭くなって歩くのが遅くなったことも、歩き始めると脹ら脛から疲れるというのも、・・・思い当たる節が色々あるのです。

 中でも意欲の萎えは実に巧妙でした。面倒くさいとか、どうでもよいとか、知らず知らずに考えてしまうことです。これも大酒飲みなら誰にでもありがちなことで、アルコール専門クリニックでビタミンB1 点滴補充を受けて初めて欠乏症のせいとわかりました。そのお陰で意欲が回復し、飲酒時代に苦痛だった読書も普通にできるようになれました。
 
 上に述べた症状は、今ではどれも見事に回復しています。これらはビタミンB1 だけではなく、どうやらビタミンB6、B12 も含めたビタミンB群の欠乏によるもののようです。老化のせいと諦めていることでも、ひょっとしたらビタミンB群の欠乏が原因かも知れません。

 豚肉を食べるなど食事でビタミンB1 を摂ればいいと考えるのが普通でしょうが、酒で胃腸が弱った状態では消化・吸収できません。サプリメントでも無理と聞きます。そんな場合に頼るべきは、やはり処方薬のビタミンB1、B6、B12 の配合剤。主治医によるとこれしかないそうです。私は今でもビタミンB群配合剤の服用を欠かしていません。



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隠居したての友へ

2017-07-04 16:36:05 | 世相
 久しぶりに友から はがき が届きました。完全退職しフリーになったとのこと、43年間にわたる勤務生活を無事終えたのです。長い間、お疲れ様でした。

 退職後のしばらくの間、生活リズムにある程度の乱れは仕方のないことです。第二の人生の始まりですから、体調に変調を来たしてスタートラインで躓かないよう是非心してほしいものです。

 以下に示したのは50歳から70歳までの死亡率を男女別にみたデータです。10歳刻みでみると、女性の死亡率は大体倍々ゲームで上昇しています。ところが男性の死亡率は、60歳から65歳にかけて上昇の度合いが急激なのです。これは定年退職の影響とみてほぼ間違いないと思います。その意味で大変興味深いデータです。


       ***************************************************
               男性死亡率   女性死亡率
       ***************************************************
        50歳    0.268%     0.148%
        60歳    0.675%     0.305%
        65歳    1.129%     0.462%
        70歳    1.751%     0.721%

       ***************************************************
                 (厚生労働省:平成27年簡易生命表より)

 死因は「がん、心筋梗塞、脳卒中」の三大疾患とされていますが、統計には表われていないアルコール問題もあったと思われます。在職中から既に精神依存になっていた人が、仕事のない “空白の時間(退屈)” に耐えられず正真正銘のアルコール依存症(アル症)になった例が多いのです。毎晩、晩酌を欠かせないようなら精神依存と考えてまず間違いありません。

 私が在職中、社員同士でよく話題に上がっていたのが退職後2年以内に亡くなる事例の多さでした。薄々察しがついていただけに、退職後に漠然とした不安を持っていました。それが見事に図星となりました。

 退職で何もすることがない退屈から、つい朝から飲酒という毎日が1年半続き、危うく退職後早期死亡例の仲間入りしそうだったのです。そのツケが響き、断酒後のこの3年半余はアル症とまともに向き合い、日々退屈回避に努めるハメとなりました。

 人間の身体は物理化学反応を続ける精巧な工場みたいなものです。40年もの長い間、同じリズムで稼働し続けて来たのです。身体に染みついたそんなリズムが乱れたら、身体に変調を来たすのは避けられません。できる限り同じリズムで日々暮らしていくのが一番、そう実感させられました。

 日の出と共に活動を始め、日暮れと共に活動を終える。これが自然の摂理に適った生き方です。そうと分かっていてもなかなか難しいのが現代です。せめて午前中だけでも外出するよう、私は毎日2~3時間余のゴミ拾い散歩を欠かしていません。

 午前中だけでも日々規則正しい生活リズムを刻む。退職したばかりの友も是非この原則に沿って第二の人生を楽しんでもらいたいものです。



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