ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

継続断酒3年 心の軌跡(飲まない生き方のモットー その1)

2016-10-28 16:05:38 | 病状
 3年前の10月25日から私は酒を飲まずに過ごしてきました。正確に言うと、24日夜から一般病院への入院で半強制的に禁酒状態におかれ、強制退院後アルコール専門クリニックに外来通院し始めた30日から自主的な断酒生活が始まったということになります。それから丸3年が経ちました。

 私が属す自助会Alcoholics Anonymous(AA)では、断酒という言葉を使わず、飲まない(生き方)という言葉を使います。大した違いがないように見えて、実は気持ちの持ち方に大きな違いがあります。断酒にはどこか強迫的な響きがありますが、飲まない(生き方)には自律的な意志が感じられ、AAではこのことを重視しています。この3年間でそんな違いが実感できるようにもなりました。心境の変化はモットーとしていた言葉からも窺えます。意味合いが違うという話は後にして、ここではそんな言葉のニュアンスの違いに拘ることなく、両者を使いながら継続断酒3年の心の軌跡について話を進めて行きたいと思います。

 まず手始めに、断酒を始めて10ヵ月後までモットーとしていた言葉を古い順に挙げてみます。

 ● 底着き体験を決して忘れない
 ● 秩序とリズム
 ● 「命を採るか」、「酒を採るか」の二者択一

 断酒を始めて3ヵ月も経つと、体調の方は順調に回復しつつあったのですが、物忘れが半端なく酷く、記憶障害が新たな脅威となりました。断酒開始前後の過酷な “底着き体験” さえ忘れてしまいそうで、記憶が生々しい内にと思い出せるだけの症状を記録し始めることにしました。体調が回復したことをいいことに、もし再飲酒でもしようものなら今度こそ命が危ない、そんなふうに怯えていた毎日でした。

 モットーの一番目 “底着き体験を決して忘れない” と三番目 “「命を採るか」、「酒を採るか」の二者択一” の言葉からは、記憶があやふやとなった精神状態にどれだけ危機感を持っていたか読み取っていただけると思います。とにかく生半可な気持ちでいては危ない、必死になって断酒に取り組むしかない、という決意を込めたものです。

 二番目の言葉 “秩序とリズム” は毎日通院で経験した実感から生まれたものです。すっきりした気分とまでは依然としていけてないまでも、毎日通院が殊の外良好な精神状態をもたらしている実感がありました。

 夜9~10時には就寝し、朝4~5時には起床。午前8時には家を出て、30分歩いて最寄りの駅に向かう。専門クリニックの教育プログラムを済ました後、午後3~4時には帰宅し、7時前後に夕食を摂る。これが当時の日課です。単調なワンパターンの繰り返しと言われれば身も蓋もありませんが、この規則正しい単調な繰り返しこそが断酒開始から2年間ぐらいの危険な時期に絶大な効果を発揮したのです。毎日規則正しい生活リズムを刻んでいると心に魔が差す隙などありません。

 部屋が散らかし放題では心が荒みます。部屋の片づけにも心掛け、散らかしっ放なしなどをなくしました。部屋が少しでもスッキリすると、それだけ頭もスッキリするから不思議です。秩序が保たれた生活環境と規則正しい生活リズムは、精神衛生上も最適で、心身ともに頗る快調にしてくれました。“秩序とリズム” は、今でも私が大切にしているモットーです。

 この一方で、密かに進行していたことがありました。継続断酒が3ヵ月を過ぎる頃から、時々精神的な一過性の動揺があったのです。最初の内は、あるときは一人明鏡止水の心境になったかと思えば、その一方で口達者なおしゃべりでしばしば燥(はしゃ)いでいたという塩梅でした。その後しばらく経つと、何の前触れもなしに一過性の胸のザワザワ感に突然襲われることもありました。動揺の実態とはこんな些細なことでした。たまにしかなかった胸のザワザワ感以外、普段とほんの少し違う程度にしか自覚していなかったので、体調の回復途上によくあることぐらいの気持ちでいました。

 継続断酒5ヵ月頃から医療スタッフに恋心を抱くようにもなりました。それを自制しようとしたことが却って性的妄想に火を着けることになり、ネットで手軽に見れるAV動画に嵌ってしまいました。世間常識に照らしてみてもおぞましく秘すべきことですから、年甲斐もない恥ずかしさが先立って医者にも相談できずにいました。俗に言う “憑きモノ” に囚われた精神状態で、どうにもならない無力感に一人悶々としていました。

 後から知ったことですが、これらは遅発性の離脱症状 ― 急性離脱後症候群(Post Acute Withdrawal Syndrome:PAWS)の一つ、情動障害の典型だったと考えています。AAでいうドライドランクのことです。飲んでもいないのに酔っ払った状態を意味し、酔ったときと同様に感情の振幅が大きくなるばかりでなく、可笑しなことをしてるのに自分では変とも思わない精神状態でもあると考えています。AV動画についても、当初はちょっとした秘め事ぐらいの感覚で、異常な妄想のせいとは考えてもみませんでした。

 性的妄想に憑りつかれた状態は明らかにクロス・アディクションでもあります。この時期は、元々持っていた “飲む・打つ・買う” といった素因がクロス・アディクションとして顕在化しやすい時期でもあるようです。私の場合は “買う” が前面に現れたのだと考えています。

 性的妄想の囚われから解放されたのは継続断酒10ヵ月後のことでした。AV動画漬けにどうにもならなくなり、ヤケクソから相当数の作品を意地になって丹念に文章化し続けました。そうしている内に、いつの間にか(?) “憑きモノ” が落ちていたのです。

 AV動画に興奮しなくなり、虜になっていたこと自体が病的だったとはっきり自覚できました。同時にアルコールが完全に抜けたとも実感できました。それまで頭(脳)を覆っていた薄いシビレ感が消えていたのです。

 AV動画に嵌っていた時期も含め、私はこれを精神的 “底着き体験” と呼び、断酒前後の身体的 “底着き体験” と区別しています。医者の見立てでは、動画を文章で描写したことが認知行動療法の一つ “言語化” に当り、それが効いた成果だろうとのことでした。

 実はこれを期に、私の中でこれ以上に大きな変化が起き始めたようです。その大きな変化とは次の二つのことでした。その一つは、それまであまり気に留めていなかった些細な異変であっても、しっかり異常と自覚できるようになったこと。二つ目は、シャカリキに断酒を続けなければという強迫観念が次第に薄れ始め、飲まないでいる方が自然と思えてきたことです。

 このことからどうやら正気に戻れたという思いを強くし、こんなに早く回復できたのかと勘違いしたほどでした。それまで重かった口が軽くなり、医者に諸々の問題を気軽に相談し始めたので、医者から双極性障害ではないかと訝られたこともありました。

 これら内面の変化がはっきり自覚できるまでに1~3ヵ月ぐらい時間がかったと思います。日にちが経つにつれ、変化がじわりじわりと静かに浸透してきたような感じがします。振り返ってみるにつけ、“憑きモノ” が落ちた体験は私にとってまさに転機だったのです。
(次回につづく)


私の底着き体験・断酒の原点」(2014.9.8投稿)と
回復へ―アル中の前頭葉を醒まさせる」(2015.6.5投稿)も併せてご参照ください。

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夢中夢

2016-10-21 17:02:45 | 病状
 めったに夢など見ないのですが、つい最近、久々に夢を見ました。夢の中で夢を見ていたという一風変わった夢でした。まともな夢など今まで見たことがないので、内容的には普通の夢なのかもしれません。出だしはこんな場面でした。

「あっ、飲んでしまった。どうしよう?!」どうやら酒を飲んでしまったらしいのです。
どんな酒なのか、どんな場所にいて、どんな人物が他にいたのか、辺りの情況は全く分かりません。
「しまった! あとほんの少しでやっと断酒丸3年を迎えられたのに、・・・バカなことをした~!」と、飲んだ本人はただゝゞ悔やんでいました。すると、
「バッカめー、せっかくここまでやって来れたのにー。全部パーだ」と言う声がしました。飲んだ本人の声なのか、別の人の声なのか分からなかったのですが、半ば嘲るような口調でした。

「もうこうなったからには・・・、黙ってさえいりゃ誰にもバレやしないさ!」と飲んだ本人の声がしました。すると再び、
「そうかなぁ? そんなのすぐバレルに決まっている。さぁどうする?」と言う声が聞えました。が、もう飲んだ本人は開き直ってしまい、酒をやけ飲みし始めていました。すると再び、
「オッカシイなぁー、こんなハズはないのに・・・。あっ、これは夢かも?・・・」と言う声がし、そしてすぐに目が覚めました。

 夢の中で夢を見ていたのです。珍しいことに午前7時20分といつもより遅い起床時刻でした。最近は6時前後に起きることが多く、その日は夜中の3時過ぎに一回小用に起きた記憶があります。まだ早すぎると二度寝したのですが、その時の夢とは思えません。きっと目覚める直前に見た夢なのだろうと思います。

 お分かりのように、夢は再飲酒に絡んだ心の葛藤劇でした。最後の台詞は明らかに私自身が発した声だったような気がします。ですから登場した三人は、酒を飲んでしまった人物も、もう一人いた別の人物も、すべて私自身の分身だったのだと思います。やっと疎遠になれたと無邪気に喜んでいたのですが、久々ながら再び夢の中で再飲酒問題とまともに向き合ってしまいました。

 夢の中で夢を見ることを夢中夢というそうです。ネットで検索してみると、肉体や精神が疲れて消耗しているか、非常に緊張しているか、そんな危ない状態のときに見る夢なのだといいます。それで、最近再飲酒絡みで何か引っ掛かる出来事があったのか、心当たりを呼び起こしてみました。すると、自助会Alcoholics Anonymous(AA)で聞いた二つのエピソードに思い当たったのです。

 ひとつは、しばらく前に本人から聞いた告白です。再飲酒してから半年もの間、告白できずに苦しみ続けたという体験談でした。気づいたら何気なしに飲んでいて、そのままズルズル続いてしまったのだそうです。話の端々から察するに、家族のことで知らずしらず溜まっていたストレスが再飲酒の誘因らしいと思えました。

 その間一貫して、AAでの “居場所” を失いたくない一心だったといいます。告白する機会は何度もあったのだそうです。会わす顔がなくなることを恐れ、最初のうちは参加しても黙っていることにしていたそうです。誰にもバレていないと思い始めてからは、黙ってさえいれば誰にも分かりゃしないと言う一方の自分と、やはり自分に正直でいなければと言うもう一方の自分との間で葛藤劇が始まったといいます。心を鎮めようと酒を飲んでも、悶々とした日々が続くだけだったと涙ながらに語ってくれました。

「自分に正直でいることが、心底大切なことが分かった」と語った言葉が心に沁みました。“居場所” を失いたくない一心で、AAの仲間ばかりか自分自身も欺いて、再飲酒を隠し立てしていたのです。半年も続いた辛い日々がよほど応えたのだと思います。息苦しいやり切れなさが十分に読み取れました。アルコールというよりも依存症気質そのものが、このように “居場所” の虜にしたのかもしれません。

 もう一つは最近AAのメンバーが語った話で、原因不明の自死をした仲間の話です。SNSで知り合った同病の人物で、SNSの中だけの付き合いだったそうです。しっかり就業し、自助会の世話人を務め、全国大会にも出席していたそうで、活発な頑張り屋さんの印象だったと話していました。実際に会ったことはなくても、自死するなど考えられない人物というのは道理です。

 この話を聞いて私は、原因は再飲酒ではないかと想像してしまいました。頑張り屋さんでもあり自助会の世話人を張っていた人ですから、仲間の前で告白さえすれば簡単に肩の荷が降りると分っていたはずで、こう考えるのが普通です。ところが本人の心情はむしろ逆だったと考えることもできるのです。

 亡くなった人にとっても、自助会は彼が必死で掴んだ大切な “居場所” だったはずで、その世話人であることに大いにプライドを持っていたと思います。本人にとって、自助会とその世話人としてのプライドは想像以上に敏感な局所だったろうと思います。その局所につけこみ脅したり擽(くすぐ)ったりしながら、葛藤で告白を躊躇わせたのは、巧妙な魔力を持つ他ならぬアルコールのだったのではないか? だからこそ、理屈では分っていても話せなかったのだろうと想像したのです。

 多分、その場にいた全員が同じ考えであったと思います。「“今日一日”、その日一日だけのことと区切りをつけてさえいれば、違った結末となったはずなのに残念です」と話を締めくくった言葉が印象的でした。

 以上が心当たりとして浮かんできたエピソードです。どちらのケースも “居場所” を失いたくない一心が葛藤で苦しんだ原因と思われ、なんとも切ない話でした。断酒中のアルコール依存症者の多くは普段自分がアル中とは明かさずに日々暮らしています。健常な人々との付き合いでは、普段でも酒の話題が付きものです。そんな話題に話を合わせようものなら、拷問に近い辛さに耐えなければなりません。余計な気を使うのは面倒と、もっぱら自助会の仲間とだけ付き合っている人は結構多いのです。自助会とはそんな人々の “居場所” です。

 私としては、気を使わなくて済む自助会が “居場所” として不可欠と考える人もいれば、よく効く精神安定薬並みに重宝する人がいてもよいと考えています。自助会への思い入れも大事ですが、ほどほどに距離を置く方がいい塩梅だと思うのですが・・・。

 私自身、AAは回復のための言語化実践道場と位置付けていますが、“居場所” というほど深刻には考えていません。幸い、心身ともに疲れて消耗するほどの問題を抱えているわけでもありません。ただ単に初めて見た夢中夢でしたので、さっそく専門クリニックの主治医に相談してみることにしました。医者がどんな見立てをするのか聞いてみたかったのです。

 主治医には上述の二つのエピソードに加え、ネットで見つけた夢中夢と精神状態の解説のことも絡めて話しました。話してすぐに、夢中夢の解説の話は医者の仕事に余計な口出しとなったのでは、と悔やんだのですが、・・・なけなしの知識でもつい口に出してしまう所が前職からの因縁です。

「結論から先に言いますと、仰るように再飲酒のエピソードが立て続けに二つ重なったので、無意識の内に動揺されたのでしょうね。近々断酒丸3年ですからねぇ。まぁ、再飲酒(の危険)からは誰も逃れられないとご自身が再認識したという話で、心配ないと思いますよ。」
「で、夢中夢というのはどういうわけでしょう?」
「まぁ、歳をとると夢中夢をよく見るといいますよ。夢の意味も、自分で夢の中で分析しているといいますし、何回か見ている内に夢を操作できるようになるとも聞いています。」
「ほ~ぉ、夢の中で自分自身を分析し、夢を操作できる・・・?! 夢中夢について書いてあったのは夢の吉凶占いのサイトでしたが・・・、見た人自身が夢の中で夢を解釈しているという夢、ですか?! ・・・どうにでも解釈できる占い向きの夢ということですね。今度夢を見る時は操作してみることにします。」

 私の懸念は杞憂に終わりました。軽い気持ちで医師に相談してみただけのことですが、このお蔭で近々継続断酒丸3年を迎えることに少し浮足立っていることに気づけました。

 時々意識が飛んでは次にやるべきことをコロッと忘れ、無意識の内に別のことを始めている場合がよくあります。起床1時間以内の血圧測定を毎朝の日課としていますが、ついこの間も何かに急かされているような気分に襲われ、見事に飛ばしていまいました。こんなときは、変化の兆しを・・・
 “自覚できると結末が変わる”
こう心して置けば、正夢になることはないと思います。



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ヒゲジイのPAWSによる悪文見本市(その7)

2016-10-14 07:12:02 | 悪文見本市
 私にとって、このブログは闘病記録のようなものです。回復プロセスを含めた病状の記録と脳のリハビリを目的としています。自分の書いたものはその時々自分の心を映す鏡です。記事の内容もさることながら、書いた文章の不具合がその時々の病状を表していると考えています。この悪文見本市シリーズもその一環として掲載しています。

 アルコールの急性離脱後症候群(Post Acute Withdrawal Syndrome:PAWS)は、断酒を始めて3~6ヵ月で自覚するようになると言われています。その症状の一つ “思考プロセス障害” には、脳の働きにムラがある、頑なで諄(くど)い思考、因果関係を理解できないなどの症状が知られています。

 今年5月20日付の記事「アルコールPAWSの一つ “思考プロセス障害” の軛(くびき)」では、傷害から脳内で繰り広げられる様々な葛藤と混乱について述べてみました。今回もその具体的な現れと思われる悪文事例をご紹介します。いずれも集中力に欠け、脳がストライキを起す寸前の状態で書いたものと思われます。

 なお、現在掲載中のものはいずれも手直しした後の改訂版です。
***********************************************************************************
【事例34】
「断酒を始めて3ヵ月以内の患者を対象とした、専門クリニックの初心者教育プログラムの一コマに、アンケート形式の教材を使った講義がありました。アンケートには、ドライドランク(≒急性離脱後症候群:PAWS)に陥った際に想定される心境が、質問項目として30問ほど書かれてあり、現在の心境がそれに “当てはまる” か否かを訊ねるものです。」
         
「専門クリニックの初心者教育プログラムの一コマに、近々起こりうるドライドランク(≒急性離脱後症候群:PAWS)に備えての講義がありました。断酒を始めて3ヵ月以内の患者を対象とし、アンケート形式の教材を使ったものでした。アンケート用紙には、質問項目としてドライドランクに陥った際に想定される心境が30問程度書かれてあり、それらに当てはまる心境の有無を尋ねていました。」
         「身体的底着きの後から精神的底着きも(上)」(2015.10.09投稿)より

 最初の事例は、段落の出だしの一文です。段落の出だしの文は、“見出し” と同様に段落全体を概括する役割を担ってもよい場合があります。ここでは初心者教育プログラムが何をテーマとしたものか、具体的内容が分かるようにズバリ切り込む記述にした方がよさそうです。単に事実を淡々と記述するにとどまり、切り込み不足に気づけないほど意識が散漫だったようです。

 疲れてくると、時制に迷うことがよくあります。事柄同士の因果関係は時制表現に直接反映されます。下線部の時制は過去形の方が適切でシックリきます。


【事例35】
「家族の中で依然として残る疎外感と、『断酒を続けなければならない。再飲酒してはならない』という強迫感、さらには『“恋心” など、絶対に医療スタッフに抱いてはならない!』と自制を強いたことも加わって、強いストレスから性的強迫観念(妄想)が湧き出したのだと思います。性欲を煽るような、・・・雁字搦めの状態に追い込まれ、“憑きモノ” に囚われたという表現がピッタリの状態でした。視野が狭まり、自由闊達な発想や、角度を変えたモノの見方など出来ない状態でした。自分でもよくは分かりませんが、相当な危機と感じていたのでしょう。」
         
「家族の中にいても依然として残る疎外感、『断酒を続けなければならない。再飲酒してはいけない』という強迫感、さらに『医療スタッフに “恋心” など絶対に抱いてはならない』という強い自制も加わり、これらが強いストレスとなって性的妄想を掻き立てたのだと思います。性欲を煽るような、得体の知れない、モヤモヤしたものに雁字搦めにされた状態で、俗に言う “憑きモノ” に囚われたという表現がピッタリの精神状態でした。自分ではあまり意識していなかったのですが、断酒の継続によほど危機感を持っていたのだと思います。」
         「身体的底着きの後から精神的底着きも(下)」(2015.10.16投稿)より

 最初の一文では主語に捩じれが見られます。前半の下線部3つが主語であるべきところですが、後半で主語が性的強迫観念(妄想)に置き換わって捩じれています。

 最後の一文の下線部、「自分でもよくは分かりません」は時制が問題です。書いている時点で理解不能だとも読め、意図が不明で意味も曖昧です。補足すべき言葉を補い、不要と思える文を削って整理してみました。


【事例36】
「長年溜まりに溜まったモヤモヤしたものが弾けて消え、平穏な状態が訪れて、心が落ち着いて来たことが分かったのです。・・・継続断酒を始めて満10ヵ月後のことでした。

 AV動画の叙述以前に私が実践していたことと言えば、・・・」

         
「長年溜まりに溜まったモヤモヤしたものが消えてなくなり、平穏な心理状態になれました。・・・継続断酒を始めて10ヵ月後のことでした。

 この出来事があってからというもの、アルコール依存症の回復は一体何が目安となるのか、回復するまで他にどんな離脱症状を覚悟しておくべきかに関心が向くようになりました。一時は、早くも回復したのかと錯覚したほどだったのです。断酒に囚われてばかりの状態から明らかに闘病意識が変化し始めていました。医師の診察を受ける都度、手を変え品を変え何を目安に回復と診断するのか質問攻めにしたものです。意識の変化と一体のものかもしれませんが、この体験が転機となって、まるで傍から自分自身を客観的に見ているかのように、気持ち(感情)の変化がリアルタイムで自覚できるようになりました。たったこれだけのことで結果的に感情を自制できてしまうのが不思議です。ドライドランクを初めとした急性離脱後症候群(Post Acute Withdrawal Syndrome:PAWS)をはっきり自覚するようになったのはこの時期からでした。“正気に戻る” とはこんなことかもしれません。

 AV動画の内容を文章化する以前から私が実践していたことを挙げておきます。・・・」

         「身体的底着きの後から精神的底着きも(下)」(2015.10.16投稿)より

 この事例は“憑きモノが落ちた” 体験と、なぜそうなったのかの考察に続く部分です。当時の心境を振り返ってみると、下線部 “心が落ち着いて来た” は調子に乗り過ぎての言い過ぎとなっています。

 さらに問題なのは、その体験後どのような心境の変化が訪れたかについての記述が下線部だけであり、具体的な内容がスッポリ抜け落ちていることです。これだけの重大な出来事があったのですから、その後の心境の変化についてもっと掘下げて述べるべきです。私の関心は明らかに “言語化” の方に移ってしまい、他への注意力が散漫になっていました。普通なら執筆時に違和感を持つべきなのですが、こういうポカがあっても気づけないところが思考プロセス障害なのかもしれません。“脳の働きにムラがある” とされている具体例ではないかと思います。以上から、下記の下線部の段落を追記しました。


【事例37】
「・・・言い換えると、ドライドランクへと急速に移行中(?)だったとも言えます。ドライドランクのため柄にもなく恋心を抱いてしまい、それはならじと自制を強いるストレスを強く受けて、脳内環境のバランスの揺らぎが増幅され、ついには性的強迫観念(妄想)にまで至ったのだと思います。」
         
「・・・言い換えると、ドライドランクへと急速に移行中(?)だったとも言えます。ドライドランクのせいで柄にもなく恋心を抱いてしまい、それはならじと自制を強いたことが却って強いストレスになったものと思われます。そのストレスで脳内環境のバランスの揺らぎが増幅され、ついには性的妄想に至ったのだと思います。」
         「身体的底着きの後から精神的底着きも(下)」(2015.10.16投稿)より

 下線部では、ストレスが自制を強いると読めます。真意は逆で、自制を強いたことがストレスとなったという趣旨ですから、因果関係の認識が混乱しています。記事の後半部分の記述ですから、恐らく脳が疲れ始めてストライキを起こしたのだと思います。疲れて来ると、適切な表現とは程遠いこんなミスにも気づかず平気で見落とすことがあります。“脳の働きにムラがある” ということは、やはり因果関係の認識が混乱することに関係するのだと思います。
***********************************************************************************
 今回も遅発性の離脱症状・PAWSの思考プロセス障害が原因と思われる悪文例をお示ししました。想起障害がその原因の大元と考えています。文章の不具合など黙って直して置けばいいものを、とお思いの方もおられると思います。大分マシにはなったものの、実際にご覧いただいたように遅発性の離脱症状・PAWSによる障害はまだまだ残っているようです。それでも文章の不具合に違和感を持ち、ある程度適切に手直しできるまで回復していると考えています。ネタ切れをいいことに、それを読者の皆さんに共有してもらおうと敢えて掲載しました。悪しからずご了承ください。

アルコールPAWSの一つ “思考プロセス障害” の軛(くびき)」も是非ご参照ください。
以下をご参考までに添えておきます。
急性離脱後症候群(PAWS)】
 症状は、断酒開始後3~6ヵ月目で最も強くなり、6ヵ月~2年で回復する。
  ○ 思考プロセス障害(脳の働きにムラがある;頑なで諄(くど)い思考、
    因果関係を理解できない)
  ○ 情動障害(情動の揺れ)
  ○ 記憶障害(短期記憶の障害)
  ○ 睡眠障害
  ○ 身体的協働性に問題
  ○ ストレス感受性に変化
                  (アルコール依存症専門クリニック教育資料より)



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脳はスッキリ キレイがお好き?

2016-10-07 08:41:37 | 病状
 落ち着けるところと言えば、自分の部屋が一番ではないでしょうか。私は掃除好きではありませんが、部屋が散らかっていると自分の部屋でもイライラして落ち着きません。最低限でも、あるべき所にあるべき物がちゃんと置いてあること、あってはならない所には物がないことが大切で、これが乱れていると落ち着かないのです。埃だらけの部屋ではありますが、部屋の片付けだけは自分なりにしっかりやっているつもりです。

 連続飲酒に入った時期の私の部屋は、それはヒドイ状態でした。敷き放しの布団と、アルミの空缶やら、ゴミの詰まったレジ袋やらで足の踏み場がないほどの散らかり様でした。やる気が失せて片付けなどはどうでもよく、後で後でと先送りしていました。そんなヒドイ状態でも平気でいられたのが不思議です。ただ馴染んだ自分の部屋だからと納得していたことは間違いありません。

 ところが自分の部屋でないと、そうはいきません。散らかった中に招かれでもしたら、客に対してこのザマはと納得できず、居心地の悪さに落ち着くどころではありません。友人の部屋であればそのうち慣れてもきますが、馴染むまで結構時間がかかるものです。趣味の違いに折り合いをつけようと、友人の意図を汲みながら自分の頭を整理し納得するのに時間がかかるのだと思います。

 どうやら散らかっているか否かの判断は、その場を見たとき自分なりに納得できるか否かに掛っているように思えます。自分なりに状況を整理し、それで善しと納得できたらそれ以上問題にしないようなのです。

 不要になった所有物がゴミですから、捨てるのは当たり前の行為です。ゴミは、焼くなり埋めるなり、所有者自身が最後まで始末をつけるのが古来の捨て方のハズです。自分一人ですべてに始末をつけられないので、役割分担しているのが人間社会です。大抵は暗黙のうちにお互いの守備範囲をお互い諒解し合って暮らしています。ゴミの始末も役割分担しているのが現代社会です。

 公共のマナーはその暗黙の諒解の最たるものです。その土台は、幼児期から各家庭で育まれた似たり寄ったりの生活文化、言い換えれば似たり寄ったりの美意識です。私は、そんな土台はお互い共有しているのが当たり前だと思っていました。その暗黙の諒解が今や当てにならなくなったと思わずにいられません。ポイ捨てのゴミで道が散らかっている様を見ると、無神経な行為者の方にむしろ目障り感を持ってしまいます。

 なぜ所構わずポイ捨てするのか? 自分の手から離れさえすればそれで万事済みとする発想が理解できません。ポイ捨てという行為が私の感覚とは相容れないのです。どう頭の中で整理をつけようと試みても、やった人物が未熟だからとしか思えません。それ以上整理がつかない、つまりどうにもならないのでつい苛立ってしまいます。路上のゴミ拾いを始めてしばらくはそんな状態でした。

 脳というのはうまく立ち回るものだと、意外なしたたかさに感心させられました。ゴミ拾いを続けているうちに、モノの見方が変わって来たのです。ゴミが散らかっている場を見た途端、決まって捨てた人物像に意識が飛んでいたのですが、ゴミそのものをちゃんと見るようになれました。そして、どんな手順で処理すべきかをすぐに考えるようになりました。

 いつまでも整理がつかないことは、考えても疲れるばかりで埒が開きません。それならばと脳が整理しやすい現実的処理の方に向きを変えたとしか思えません。こじつけと思われるかもしれませんが、アルコール依存症に特有の自衛的発想である他罰的思考と同じような仕組が働いたとしか思えません。他罰的思考とは、飲酒の誘因を他に転嫁する考え方のことで、自己防衛本能によるとされています。

 疲れの話が出たついでですが、最近、脳が疲れてきたらどんな状態になるか、具体的に認識できるようになりました。私の場合は疲れてくると、次第に頭の中であれやこれやが飛び交って収拾がつかなくなり、散漫状態の挙句に脳が固まって思考停止の状態となります。解決の道筋が見えないというのも疲れの原因となるようです。頭の中がグルグル空回りするばかりで不穏な気分になって来ます。思い切りの悪さが出始めるのも疲れの兆しのようです。次にやるべきことを決めたにも関わらず、グズグズ先延ばしでなかなか踏ん切りがつかないでいることです。話は前後しますが、これらの症状の直前には頭が鬱血したような感覚が先行します。血液が留まって血の巡りが悪くなったような感覚のことです。

 疲れとは別ものかもしれませんが、出掛けるときになりがちなある気分が最近気になっています。急かされてでもいるように妙に浮き足立った気分となり、忘れ物の点検をと室内をちゃんと見ていたハズなのに、その実、物がまったく見えていないことがよくあります。いざ出発と、玄関ドアを開けてやっとその忘れ物に気づく有様です。(これは単なる老化現象なのかもしれません。急かされてでもいるように浮き足立った気分というのが兆しのようです。)・・・どうです? 私に限っての話かもしれませんが、思い当たる節、ありませんか?

 限られた私事の事例ばかりで恐縮なのですが、未整理の乱雑な状態を目にすると、脳はどうにか整理をつけようと努めるようです。整理がつく道筋さえ見つければ、脳は苦も無く快調にそれを処理し続けます。どうにも整理がつかないようなら、脳は疲れて固まった挙句に思考停止となります。整理がつかないままいつまでも引き摺っていては、疲れて気分が落ち込んでしまうのも道理と思います。

 どうやら脳は、混乱した無秩序な状態や筋道が見えない事柄が嫌いなようです。これをさらに敷衍すると、先行きが具体的に見えない将来のことや、自然の法則に沿わない昼夜逆転の生活リズムなどを大の苦手としているようです。その真逆の状態、すなわちバランスよく調和がとれた秩序ある状態やよく整理され筋が通った事柄が脳のお好みで、昼間の活発な活動や朝の光に即応した目覚めなど、自然のリズムに合ったことが大好きなのだと思えるようになりました。ザックリ言えば、「脳はスッキリ キレイがお好き」な堅物なのです。

 こんな堅物の脳でも、たまには浮気心もあるようです。若いうちは、冒険心からなのか未熟なせいなのか、未知なものや危ないものに惹かれてしまいがちです。未知なものや危ないものは秩序が保たれたキレイの対極にあるものです。大抵が性絡みの、大人のイメージの強いものです。大人願望から刺激を求めて魔が差したのでしょうが、ちょっと齧ってみたら大抵はすぐに興醒めするものですが・・・。

 大人願望といえば酒やタバコがあります。成分のアルコールやニコチンは依存性薬物です。一旦味を占めたら止められません。これらは秩序が好きな脳の機能を邪魔します。アルコールはその邪魔者の筆頭です。また、あれもこれもと欲しがるばかりで諦められないのも整理を邪魔する困り者です。物品にしろメンタルにしろ、一つ選択したら他は諦め捨て去るしかないと潔く受け容れればよいのです。断捨離とはうまく言ったもので、これこそ整理が大好きな脳が大歓迎する友軍です。

 脳が疲れてきたら危険です。魔が差す隙が生じます。こんなときには思い切って睡眠を取るのが一番です。瞑想も良いと聞きました。楽な姿勢で眼を瞑り、上顎の歯茎に舌をつけ、呼吸にだけ集中する。これを3分続ければよいそうなので簡単です。これで記憶の中枢・海馬が元気になれるのだそうです。疲れが長引くようなら脳本来の好き嫌いを思い出すことです。脳の苦手なことは極力避け、大好きなことにだけ励むとうまくいくようです。性格は直りませんが、行動(パターン)を少しだけ変えるのならそう難しくありません。

 私がやっているゴミ拾いは脳の好みに忠実に従っているだけです。人間社会において、脳お好みの秩序を維持するのは公共心です。私個人としては、脳の好みに合う身の振り方がどうにか分ってきたのですが、若い人たちに公共心をうまく植えつけるにはどうしたらよいのか? ただ手本を示すだけしか思いつけないのが残念でなりません。

 今回はネタ切れをいいことに、独り善がりの屁理屈を書いてみました。戯言にお付き合い下さって、ありがとうございました。



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