ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

あなたは “脳組”? それとも “肝組”? (中)

2015-12-25 17:53:44 | 病状

 アルコール依存症には、“酒乱型” と “寝型”  といった酔ったときの行動による分類、“連続飲酒” や間歇的な “山型飲酒” といった飲酒パターンによる分類などの分類の仕方があります。

 前回に続き、体質で分ける “脳組” と “肝組” の分類のうち、今回は “脳組” に特化した話です。百薬の長といわれるお酒が現わす毒性の話でもあります。

 アルコール依存症専門クリニック初診時、私の肝機能検査値は AST(GOT) 57 U/L↑、ALT(GPT) 60 U/L↑、γ-GTP 310 U/L↑、総ビリルビン1.3 mg/dL↑でした。γ-GTPは患者の仲間内で1000超の数値がよく話題に上る検査項目ですが、私の検査結果はそれに比べたらはるかに低い数値です。まぁ、中等症ぐらいに位置付けられる重症度でしょうか。本格的な大酒飲みになってからだけでも20数年は下らない飲酒歴ですが、この程度の軽さで済んでいました。このことからみても私は “脳組” に分類されると思っています。

 アルコールを大量摂取していると、ビタミンB1が体内へ吸収されることなく、消費されるばかりになります。だから、ビタミンB1欠乏症になることは “脳組” の宿命なのです。専門クリニック初診前に経験していた症状をビタミンB1欠乏という観点から改めて振り返ってみると、当時の症状でビタミンB1欠乏が原因だったのだろうと思われるものが少なくとも3つ浮かび上がってきます。
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抹消神経障害
 足裏に薄物の靴下を履いているような感覚や、手や足の指先がしびれている感覚(知覚異常)が左右対称性にありました。それも、初診の5年以上前から続いていた記憶があります。糖尿病では必発の症状(糖尿病性抹消神経障害)と知っていましたから、てっきり糖尿病が進行していたせいとばかり考えていました。その内に足裏の知覚が麻痺し、釘を踏んでも気づかずにいたり、指先の壊疽が始まったりするのではと怯えていました。

運動失調
 朝起きたときに、布団から上手く立ち上がれなくなったのには恐怖心さえ覚えました。胡坐の姿勢から片膝を立て、上体を前後に何回か揺すって勢いを付けなければ起ち上れませんでした。どうにか起ち上がったものの、勢い余って向かいの襖に頭を突っ込みそうな塩梅の毎日でした。たとえぶつかっても安全そうだったのが襖だったので、その方角を向いてやっていただけの話です。足元がふらつき、踏ん張りが効かないことには心底怖さを感じたものです。

 手の指先が覚束ないため胸元のボタンがなかなか嵌められなくなりました。鏡なしでは出来なくなり、鏡の前で四苦八苦していたものです。ボタン嵌めだけで10分ぐらいは懸ったでしょうか。階段や傾斜のある道を手摺なしでは下れないというのもありました。

 これらの運動失調による不便がどれだけ切実だったか、ぼんやりした頭でもさすがに「これはイカン! ヤバイ! 助けてくれぇ~」と内心呟いたほどでした。「この先、介助なしで普通に生きていけるのだろうか?」と不安を覚えたものです。健常者の生活からは程遠い、要介護者の生活に近かったのだと、今頃になって痛感しています。

 顕著な運動失調が始まったのは専門クリニック初診の2~3ヵ月ぐらい前からで、日を追ってだんだん酷くなったように思います。専門クリニック初診の1週前には、初めて歩行中に失神・転倒してしまいましたが、もはや自力で起き上がることが出来ませんでした。これらの運動失調がアルコール性小脳失調と呼ばれていることは後になって知りました。ウェルニッケ脳症になりかかっていたのでしょうね。

 歩く速さが極端に遅くなっていたことと、階段を上る際に踵が段から完全にはみ出るようになっていたことも挙げておきます。上記の二つの症状ほど辛くはなかったのですが、明らかに普通ではないと感じていました。専門クリニック初診の4~5年前から始まっていたと思います。

 ビタミンB1の欠乏が原因で目を動かす神経の動眼神経や滑車神経に麻痺が生じ、物が二重に見えることがあるといいます。テレビの画面や駅のホームの列車案内板の文字が二重に見えて読みにくかったこともありました。元々乱視を伴う近視だったので、乱視が酷くなったのか(?)としか思いませんでしたが・・・。断酒を始めた後になって視力を測ってもらったところ、メガネの度が合ってないことが判かりました。視力が少し回復していたのです。ビタミンB1欠乏との関係は分かりません。

意欲の低下
 専門クリニックを受診する前は、意欲が欠けた状態でした。何もやる気が興らず、もうどうなっても構わないという気分に支配されていました。散歩に出ることもなくなって、外出と言えば近くのスーパーへ発泡酒を買いに出るぐらいが関の山で、家の中に引き籠っていました。発泡酒を片手にテレビを点けたまま音を聞くだけ、あとはパソコンの画面をただ追うだけの毎日でした。食べる方も、スーパーでの買い物ついでにフードコートでザル蕎麦を食べるぐらいが精々だったと思います。

 専門クリニック初診時、主治医からアルコール依存症ではビタミンB1欠乏症の合併が付き物で、ビタミンB1を点滴で補充すれば必ず意欲が戻ると言われました。頭はぼんやりとしていましたが、このことだけははっきり聞こえたものです。が・・・、意欲が回復(?)と半信半疑でした。
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 上述した3つの症状がビタミンB1の欠乏によるものとはっきり知ったのは、専門クリニックで教育プログラムを受講してからのことです。アルコール性小脳失調という症状名についても、大分後になってから知りました。両手を上げて掌をヒラヒラ反復捻りするキラキラ星、これが出来ないことで小脳失調を診断するそうです(ご参考までに)。

 私が持ち合わせている知識では、普通の身体的不調は、たとえ神経障害(炎)でも、薬で回復できるものと理解できてはいました。抹消神経障害や運動失調の原因がビタミンB1の欠乏ならば、ビタミンB1を補充しさえすれば回復する。この程度のことならば私でも十分理解可能な範囲内です。私は、意欲というのは極めて “精神的なもの” であり、抹消神経障害や運動失調などとは別物と考えていました。

 ビタミンB1はチアミンという一般名を持つ化学物質です。その謂わばありきたりの化学物質が意欲という極めて “精神的なもの” に深く係わっていて、その化学物質を補充するだけで意欲を回復させられるとは信じられなかったのです。点滴を始めて3ヵ月目ぐらいからでしょうか、見事に意欲が戻って来ました。抹消神経障害と運動失調も同時期に回復できたのはもちろんです。

 抗精神病薬を独自に開発した会社の元社員でありながら、私は今まで一体何を学んできたのでしょう? ヒトの身体はすべてが化学物質で出来ており、精神活動でさえ(化学物質の)分子間の化学反応に左右されていることを初めて実感し、心の底からそれが納得できたのです。統合失調症を適応症とする抗精神病薬は、神経細胞(ニューロン)間の情報伝達物質、主にドパミンとその受容体間の情報伝達に介入して作用するものです。代表的精神疾患の統合失調症でさえ化学物質間のバランスの崩れで説明されています。こんなことも意識の外でした。

 ビタミンB1欠乏症というと、その昔 帝国陸・海軍を危機に陥れた脚気が有名ですが、心臓脚気やウェルニッケ脳症のように死に直結する病気もあるということを忘れないでいたいものです。

 “肝組” のアルコール依存症者の末期が肝硬変とすれば、 “脳組” にとっての末期はアルコール性認知症でしょうか。その認知症の初期症状は記憶障害といいますから、記憶障害について是非とも触れなければいけません。次回は本当のアルコールの怖さ、記憶障害について考えてみようと思います。


私の底着き体験・断酒の原点」もご参照ください。
 

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あなたは “脳組”? それとも “肝組”? (上)

2015-12-18 19:08:58 | 病状
 アルコール依存症には、“酒乱型” と “寝型”  といった酔ったときの行動による分類、“連続飲酒” や間歇的な “山型飲酒” といった飲酒パターンによる分類などがあります。今回取り上げるのは体質で分ける分類、“脳組” と
“肝組” についてです。百薬の長と言われるお酒の本当の姿、毒性の話でもあります。

 アルコール依存症者には、酔ったときの行動のタイプで大きく2通りあるといわれています。酒乱型タイプと寝型タイプの二つです。酒乱型タイプは行動がハデなため目立ちやすく、アル中の典型と考えられがちですが、少数派だそうです。一方の寝型タイプは騒ぎを起こすこともなく、ただひたすら飲み続け、その内に寝てしまうのが特徴で、圧倒的多数派だとされています。騒ぎを起こさないだけに周りから見落とされがちなので、相当進行した病状になって初めて医療機関のお世話になるケースが多いといいます。

 相当進行したとは、肝硬変とか大腿骨骨頭壊死など非可逆的な病状になってしまうことですが、大脳前頭葉の委縮やアルコール性認知症もその最たるものでしょう。このような実態はあまりよく知られていないと思います。

 先日、久々に専門医師の講演を聴く機会がありました。その中で出て来たのが表題の “あなたは脳組? それとも肝組?” でした。長年にわたる飲酒習慣から、障害の出やすい臓器別に分類するアルコール依存症者の分け方だそうです。肝機能の強弱が分類上の要で、早い話が体質の問題だというのです。

 体質上の問題とは、アルコールの解毒(代謝)過程で生成されるアセトアルデヒドの処理能力に個人差があることです。アルコールは、肝臓でアルコール→アセトアルデヒド→酢酸の順に代謝され、最終的には二酸化炭素と水に分解されます。中間代謝物のアセトアルデヒドが曲者で、アルコール本体よりも毒性が強く、発がん性も確認されています。お酒を飲むとすぐ顔が真っ赤(フラッシング)になるヒトがいます。その一方で、かなりお酒を飲んでも平気なヒトもいます。フラッシングや悪酔い・二日酔いの原因物質がアセトアルデヒドです。アセトアルデヒドを代謝する肝臓の機能が弱いか強いか、その体質の違いが個人差となって端的に顔に出ることになります。

 アセトアルデヒドの代謝酵素はアルデヒド脱水素酵素2型(ALDH2)といい、遺伝形質として個人差が大きい3つのタイプが知られています。活性型(NN)、低活性型(ND)、不活性型(DD)がそれで、NNタイプのヒトは飲めるタイプ、NDタイプのヒトは酒に弱いタイプ、DDタイプは全く飲めないタイプだといいます。日本人ではそれぞれが54~56%、38~40%、4~8%ずつ占めているそうで、日本人の約半数がお酒に弱いか飲めないタイプということなります。言い換えれば、お酒を飲むと約半数の日本人が、毒性の強いアセトアルデヒドに長時間曝されることを意味します。その毒性をもろに受けるのが肝臓というわけです。

 お察しのように、“肝組” とは、アセトアルデヒドを代謝する肝臓の機能が弱い体質のヒトのことを言います。“肝組” のヒトたちが習慣的飲酒の結果どうなるか? 初めは脂肪肝から始まり、その後アルコール性肝炎から肝硬変へと辿ることになるそうです。これが “肝組” のアルコール依存症者の末路です。

 もう一方のNNタイプの “脳組” は、お酒を相当の量飲んでも肝臓が毒されることから免れやすい人々です。たとえ肝障害があったとしても比較的軽い状態のまま、より長期間にわたり、より大量にお酒が飲めることになります。どうやらその行き着く先は大脳前頭葉の委縮やアルコール性認知症だと考えてよさそうです。

 アルコール性認知症では、物忘れなどの記憶障害、周りの状況が理解出来なくなる見当識障害などが起こりやすいといいます。ついさっきの事も思い出せず、今何時か(?)とか、ここがどこか(?)など分からなくなることです。また作話なども記憶障害から起こるといいます。まさに廃人へ一直線という怖い話になります。これがもう一方の “脳組” のアルコール依存症者の末路というわけです。

 “肝組” にとってのアルコール問題の黒幕とは、アルコールの中間代謝物で強毒性のアセトアルデヒドの代謝酵素に遺伝多形があることでした。それでは、飲めるNNタイプの “脳組” にとって、アルコール問題の黒幕とは何なのでしょう?ちょっと長くなりますがその解説文を引用します。


 アルコールを代謝するときに、大量のビタミンB群が消費されます。その中でも、最も不足しやすいのがビタミンB1。・・・アルコールを飲むことで、大量のビタミンB1を消費した上、アルコールがビタミンB1の体内への吸収を妨げてしまうため、ビタミンB1が不足してしまうのです。重度のアルコール依存者は、ほとんどB1欠乏状態にあるといわれます。
 ビタミンB1の主な働きは、糖質を分解し、エネルギーに変えることです。また、神経のビタミンとしても知られ、脳の働きを活発にして、精神を安定させる働きも持っています。さらに、疲労物質である乳酸の分解を促進して、疲労回復をはかる大切な栄養分でもあります。
 アルコールに関して言えば、アルコールを飲むことによってできる有害物質、アセトアルデヒドを、肝細胞の酵素と協働して、酢酸に変え、体外に排出する働きがあります。
 1日の所要量は、成人男性で1.1mg、成人女性0.8mgです。食品で言うと、トンカツ約1人前、うなぎのかば焼約2串分くらいです。
 ビタミンB1が不足すると、糖分をエネルギーに変えることができなくなります。糖質が分解できないと、血液中に乳酸やピルビン酸などの疲労物質が溜まります。乳酸が溜まると、疲労感が取れず、疲れやすくなってしまいます。
 また、ピルビン酸が多量に蓄積してしまうと、神経炎を起こします。その中でも恐ろしいのが脳の脚気とも言われる脳脊髄変質症(脳症)です。これにアルコールによる中枢麻痺が加わると、ウェルニッケ脳症が起こります。ウェルニッケ脳症とは、眼球運動の障害、全身運動の失調、睡眠異常、さらに幻覚や虚言症などで錯乱し、精神的異常をきたす病気です。
(以上、「カラダカラ」より引用)

 お分かりのように、どうやらアルコールの直接作用というよりも、アルコール代謝に絡むビタミンB1の欠乏が “脳組” にとっての黒幕のようです。ついでに、ここに出て来たウェルニッケ脳症について、もう少し詳しく説明してもらうことにします。

 ウェルニッケ脳症はビタミンB1の欠乏によっておこる病態で、軽度から昏睡までさまざまな程度の意識障害、眼球運動障害、小脳失調を特徴とします。眼球運動障害は眼球が全く動かないのが典型的ですが、細かい眼の振るえ(眼振)も含みます。小脳失調とは小脳の働きが悪くなって立ったり座ったりしたときに体がふらついて倒れてしまったり、手足を思う通りに動かせなくなる症状のことです。
 ウェルニッケ脳症には、健忘を特徴とするコルサコフ症候群(健忘症候群)が後遺症として残ることがあります。ウェルニッケ脳症とその後遺症であるコルサコフ症候群のことをウェルニッケ・コルサコフ症候群と呼びます。重症の場合には記憶力以外の認知機能が低下して認知症と診断されるケースもあります。
(以上、「e-ヘルスネット」より引用)

 というわけで、ビタミンB1の欠乏にアルコールによる記憶障害が加わって、アルコール性認知症と診断されるケースもあるわけですね。飲酒がビタミンB1欠乏を招き、最悪の場合、認知症にまで行き着く。これでビタミンB1の欠乏が飲酒に伴う重大な問題だということが分かります。上述の解説で述べられている重要なポイントは次の3点だと思います。

 ○アルコールを代謝するときに、大量のビタミンB1が消費される
 ○アルコールの大量摂取が消化管から体内へのビタミンB1の吸収を妨げる
 ○ビタミンB1が不足すると、エネルギー代謝の乱れから神経細胞にも障害
  を来す


 これらの中で意外に知られていないと思うのは、アルコールを大量摂取しているとビタミンB1が体内へ吸収されないことです。大量飲酒が連続している状態では、あまり食べ物を摂らないばかりか、消化管の消化吸収機能も損なわれてしまいます。そのために経口的にビタミンB1を吸収することが出来なくなっているのです。もはやサプリメントなどで補おうとしても無意味で、補充するには点滴静注しかないということなのです。これは衝撃的でした。アルコール依存症専門クリニックに初めて受診した時、私が教わったのはビタミンB1について重要なこの3点でした。 全く知らなかったことだけに、まさに “目からウロコ” でした。


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便利なものには毒がある

2015-12-11 18:10:30 | 世相
 路上のポイ捨てゴミの始末屋を続けています。ささやかな社会奉仕でもと思い、週に2日、定期的に始めてから9ヵ月目に入りました。特に最近やたらに目につくのは蓋付きコップに入ったコーヒー飲料です。刈り揃えた植え込みの上やベンチの上、塀の上などにちょこんと置いてあるのです。それも飲みかけの状態で・・・。さもさも「よかったら誰か飲んでェ~!」と言っているように見え、侮辱とも不躾な挑発とも思えて、つい腹立たしくなってきます。

 件のコーヒー飲料は、コンビニで淹れ立てを手軽にテイクアウトできるようにしたのが大当りだったとよく分かります。どこでも飲めて、どこでも捨てられる。便利由来の名称であるコンビニで、便利そのものの代表みたいな商品とも思えてきます。

 便利というのは手間が省けることです。少し見方を変えると、コップごとポイ捨てした輩は、手間を省くことに馴れすぎて、飲み終えた後の始末のつけ方さえも分からないのかもしれません。ワタシ飲むヒト・ボク捨てるヒト、これだけが自分の出番と思っているのかもしれません。便利なもので飽和状態になると、逆説的に欲求不満が溜まるばかりではないでしょうか。飲み終えた後、これ見よがしにポイと置き去ることだけが唯一自分の出番と心得違いをしているようです。自分の存在を誇示したいだけの欲求不満とも思えてきます。単にゴミに託した嫌がらせなら、絶望的な自己主張とでも言うしかありません。何とも痛ましい限りです。

 私が痛ましいと思う物語がもう一つあります。便利の代名詞としてピッタリなスマフォにまつわることです。スマフォは、まさに便利な現代社会の象徴でもあります。

 スマフォは携帯電話が進化したものというよりは、情報を電子信号化して送受信可能な情報通信機器というのが本質で、それに文字入力機能とカメラ、時計、計算機、個人情報管理の各機能を追加したものと理解しています。が・・・、むしろ掌サイズのパソコン(PC)に電話機能が備わったものと私には思えます。メール、ネット検索・閲覧、音楽再生、動画閲覧、ゲームetc、このようにPCの機能がほぼ揃っているようですから(肝腎の高度計算機能が欠けてますが・・・)、あながち間違いではないでしょう。このスマフォなしでは、大多数の現代人は最早生きることが出来なくなっているのではないでしょうか?

 人との待ち合わせすら、スマフォなしではできない現代人を私は苦々しく思っています。待ち合わせ場所選びの際に必要な想像力や、相手に対する思いやりなど、どこ吹く風とゾンザイになりがちだからです。時間厳守は日本人の美徳の一つのはずですが、待ち合わせ時間に遅れることがザラだと聞きます。その他、歩きながらのスマフォ、電車の中でのスマフォ、自転車を漕ぎながらのスマフォ、はては電車を運転しながらのスマフォもあるそうで・・・。

 周囲の人々に対する配慮が完全に欠落しています。視線がスマフォに囚われ、まともに前を向いている人を見たことがないくらいです。すべてがスマフォ任せで、スマフォ中心に生活そのものが回っているようにさえ見えます。人々は最早頭を捻って悪戦苦闘しなくてもよく、欲しい情報を検索して画面で見ればよいだけです。否応なしに必要に迫られ創意工夫を余儀なくされる、そんなことをしなくても、ただ受け身になっていれば済まされる世の現状が心配です。

 今からほぼ40年前のことですが、新入社員の頃にコンピューター・プログラミングの講習を受けたことがあります。膨大な症例数の治験データを統計処理するのに小型コンピューターが必要だったのです。その時に習ったのがプログラミング言語basicでした。しっかり段取り(構想)を決めて、let ・・・、go to・・・ときちんと手順を踏んで指示しなければ何事も進みません。面倒臭がりの私は1週間ほどで音を上げてしまいました。卓上型の小型コンピューターはオリベッティ社(?)製で、1行40字ほどのビュアー画面しかないものでした。思い通りにうまく動かなかったとき、プログラミングに抜けがないか、適切だったのかを確かめるには印刷して点検するしか他に手段がない時代でした。

 先に受講していた同僚の女性社員二人は、basicでプログラミングをし、解析ソフトSASを上手に使いこなして、すでに治験データの統計処理が出来ていました。さらに創意工夫をこらし、作表についてもキレイに仕上げるまでになっていたのです。彼女らは薬学部を主席で卒業したという評判でしたので、文学部卒の自分とは土台から出来が違うと負け惜しみの言い訳をしていたものです。振り返ってみると、彼女らは進行中だった治験のデータ処理の必要に迫られ、切羽詰まって否応なしにマスターせざるを得なかったのだと思います。一方の私は、将来に備えての謂わばお遊びでしたので、切迫感が全然違ったのです。

 当時のコンピューターは手間のかかる機械でした。熟練者に手ほどきを受け、その指導のもとに何度も稽古をし、それで初めて自分でプログラミングして独自のプログラムを作ることができたのです。ある意味、芸事と同じ趣がありました。それだけに創意工夫をこらす伸びシロが多かったと言えます。その伸びシロを基本ソフトOSで埋め、商業化に成功したのが現在のPCであって、さらに便利を追求し、カメラ付き携帯電話機能を持たせてコンパクトに進化させたものがスマフォなのだと思えるのです。

 私は、嫌味や僻みで言うわけではないですが、今やだれもが持っているスマフォは勿論のこと、ガラ携と呼ばれる携帯電話も、(車の)運転免許証さえも持っていません。世に便利とされるモノが単に好きになれないだけです。便利なモノの内、唯一PCだけは手放せないぐらい重宝しています。PCはモノを書く道具として、またe-mailによる連絡用と確定申告用(?)として欠かせない道具だからです。それでも初めてPCを触るときには強い抵抗感がありました。すでにワープロに馴れていたので、どうにかこなせるようになっただけの話です。

 そのPCを触っているときに今でも思うことがあります。繰り返しになりますが、初期のコンピューターは、始まりから結末まで全体の構想をしっかりと持っていることが必須で、一つひとつ煩わしい手順をも着実に踏まなければならなかったことです。一事が万事、世の中は全体の構想をしっかりと持って、手順を踏まなければ成就できないことばかり。その道理だけは今でもしっかりと頭に刷り込まれています。構想するにも手順を踏むにも、頭を使った創意工夫がどうしても必要だったのです。

 私は、便利さで飽和状態になり、自ら考えない人々が多くなることを恐れています。自然科学の領域で、博士論文でさえもコピ・ペ(コピー・ペースト)で作成したという事例を聞くにつれ、その思いが強くなるばかりです。一握りの人間が考えた成果を他の大勢の人々は享受するばかり、そんな現代社会と近未来が見えてきます。

 便利さが商品の最上位の付加価値に置かれるまま続くと、その行き着く先は完璧な人工知能だろうと思います。完璧な人工知能が出来たら、人間の居場所や出番はあるのでしょうか? おそらく多くの人々の出番は失われるでしょう。自分の出番がなくなると、世間から認めて貰う機会もなくなります。自分を認めて貰いたいという承認欲求は人間の根源的な欲求です。それが満たされないとなると、ヤケノヤンパチだらけで世の中が充満することにならないでしょうか? 白黒思考のアダルトチルドレンばかりが世に溢れ返るのではないでしょうか?

 いくら警鐘を鳴らしたところで便利さを崇める時代風潮を止めることは出来ないでしょう。困難な問題に直面したとき、検索をかけさえすれば最適な解決策がいつも簡単に出て来る?・・・世の中そんな甘いものではない、これが世の常です。問題を冷静に分析する力と、解決に向け着実に手順を踏む力がカギになると思います。手順を踏むということは地道で手間のかかることです。

 路上のゴミ拾いは手間のかかる仕事です。路上のゴミ拾いでは、全行程をこなして初めて全体が俯瞰できるようになります。どこに多くが捨てられ、どこを重点的に巡回すべきかが分かって来るのです。手順を踏む煩わしさに音を上げた過去を持つ私としては、若い世代が煩わしい問題にどう対処すべきか、手間のかかる路上のゴミ拾い姿を手本として示すぐらいしか出来ません。そして、こうして “始末をつける” 手本を示し続けることだけがシニア世代が出来るせめてもの務めと考えています。「やって見せ・・・」から始めないと、「人は動かじ」ですからね。成熟しなければ見えて来ない世の中の仕組、それが少しでも伝わってくれたらよいのですが・・・。

 少し心温まる話をひとつ、先日いつものゴミ拾いコース途中でのこと。少し広めの公園で、ゴミ箱が山のようにゴミで溢れかえっているのが見えました。カップ麺容器や、弁当の空箱、割りばし、発砲スチロールの容器、菓子袋、ペットボトル、ドリンク缶やらが散らかり、おまけに大きな家庭用ゴミ袋3つまでもがゴミ箱の周りに放置されていました。私の守備範囲外ですが、さすがに惨状を見るに見かねて、散らかっているゴミだけでもと、私のゴミ袋に入れて片付けたのです。作業を終えて立ち去ろうとしたとき、小学4~5年ぐらいの女の子が私の後をついてきて、小さな声でこう言ってくれました。「キレイにしてくれて、ありがとう。」地表を流れる水流が乏しくなっても、清冽な伏流水が地面の下を流れていれば、たとえ飢饉になっても救われるはずです。

最後に私からの皮肉を込めた “ぼやき” を・・・

【現代の文明利器のうち罪深いワースト3(罪状)】

 ○スマフォ(全視覚が虜となった依存症者が急増中)
 ○自動車(脚・腰の廃用性委縮者を量産)
 ○テレビ(1億総白痴化?)


 便利なものは時代を大きく変えますが、変な病人も増やします。憑りつかれたら離れられなくなるのが依存症です。廃用性(筋)委縮とは、長い間使わないでいると筋肉が萎縮して使い物にならない状態のことをいいます。ヒトの身体は使わないと退化してしまいます。どちらもいかに頭脳や身体を上手に働かせ続けるかが肝腎要となりますね。以上、アナログ大好き、ヒゲジイの “ぼやき” 節でした。


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続々 飲み方が異常となった転機

2015-12-04 18:11:39 | 自分史
 飲み方の異常というのは、“飲み出したら止まらない”といった酒量の多さも問題ですが、TPO(時と場所、場合)を弁えずに飲酒してしまうことの方が遥かに重要です。“朝酒” や “隠れ酒”、通勤途中での飲酒、勤務時間中の飲酒、葬儀の式場などでの飲酒などは立派な飲み方の異常です。

 さて、本題です。一旦身に着いて習慣化した行動パターンが止むを得ない事情で変更を迫られると、ごく普通の人でも精神的に大きな動揺を来すものです。ましてや依存症であれば、そのストレスに耐えられなくなり嗜癖に没頭することになります。

 代表格のストレスの一つが病気ですが、大病と言われるものほど突然襲って来るものです。たとえ通り一遍の知識でも、肝心の部分が正確であれば、それなりに役に立ちます。が・・・、大病の底流にある根本的原因(依存症)から目を背け、生半可な心構えでいたままでは、事態をさらに悪化させかねません。私の不安定狭心症の発症と底流にあったアルコール依存症とはそんな関係にありました。

 46歳にあと半月というとき、一般病院で手の振戦を指摘され、初めてアルコール依存症と宣告されました。それにもかかわらず、肝心のアルコール依存症とアルコール毒性については、深く調べようとはしませんでした。他人の目に触れやすい手の振戦だけが気掛かりで、それをどのようにして繕うかが懸案でした。とにかく休日を無為に過ごして酒浸りになり、ひいては身を持ち崩すことにならないようにとだけ考えました。崩壊してしまった家庭を再建したい願いもあって、西国三十三ヵ所観音巡礼を始めることにしたのです。

 西国三十三ヵ所観音霊場の寺々は関西2府4県と岐阜県に散らばり、四国八十八ヵ所遍路とほぼ同距離の行程を誇ります。ともかく無為な時間を酒以外のことで潰すことが第一の目的ですから、最寄りの鉄道の駅から寺までの往復をひたすら歩くことにし、札所の順番通り巡ることに決めました。行きやすい近場や有名な寺院を優先するのではなく、札所の順番通りに巡ると決めたのは、手抜きをやりかねない気まぐれを警戒したのです。

 健診で高血圧と糖尿病を指摘され、49歳のときから通院治療を始めました。当時の空腹時血糖値は150~170 mg/dL程度で、HbA1cは6.8~7.0%ぐらいだったでしょうか。「これぐらいがちょうど冠動脈などの太い血管がやられやすい(状態)のよねぇ・・・」と医者からは脅かされ、会社の年配社員からも「糖尿病は “がん” と宣告されたも同然やで・・・」と憐みを掛けられたものです。そのうちに高脂血症(脂質異常症)も顕在化し、喫煙も合わせて “死の四重奏” の完成となりました。降圧薬と高脂血症治療薬を使用し始めましたが、糖尿病については食事療法だけとし、血糖降下薬を使わずに経過観察することになりました。

 それからというもの、血糖値を少しでも下げようと、泥縄式に生活パターンを変えることにしました。週日には通勤区間の内、電車を利用するしかない区間以外の片道20分+30分=50分の距離を往復歩くようにし、自宅ではビールを止めてカロリー半分・アルコール度数半分(?)の発泡酒に変えました。

 ちょうどその頃、行きつけの居酒屋 “旬香” が廃業となり、会社が引けてからの居場所がなくなってしまいました。私の方は職種が代わったことから定時に帰宅可能となっていたのですが、会社帰りに一杯ナシのままでは帰れません。仕方なく新しい店を当てずっぽうで探したのですが、気に入った店がなかなか見つかりませんでした。しかも、飛び込みの一見さんでは長居もできません。それで外で飲む酒も焼酎のソーダ割り2~3杯だけで切り上げるようになりました。

 休日に続けていた西国三十三ヵ所巡礼についても少し工夫してみました。4巡目の4番札所からは、寺から寺へとツギハギしながら徒歩だけで繋ぐように変えたのです。それで巡礼の日には一日20~30 kmの歩きが普通になり、40 km余の長い距離でも歩けるようになりました。中継点の繋ぎ方が意外に煩わしいことから、さすがに毎週とはいかずに飛び飛びの挙行となりましたが・・・。

 京都の西山に西国三十三ヵ所巡礼20番札所の善峰寺があります。52歳の年の11月に4巡目の善峰寺詣でをしました。京都市内を眺望できる山の中腹にあり、這うように幹・枝を拡げる天然記念物の遊龍松や、春の桜、秋の紅葉が有名です。最寄りのJR向日町駅から歩いて8 km余の善峰寺へ向かい、さらに寺の裏山の急勾配の道を登って、山上の尾根伝いの道にまで行ってみました。この登りはキツく、さすがに体力の衰えを痛感しました。

 20番札所の善峰寺から山越えを経て、亀岡にある21番札所の穴太寺へと続く徒歩行の巡礼ルートは、古地図に残っているだけの難所(?)の一つでもあります。次回は山上の尾根伝いの道近くまでタクシーで行って、そこから穴太寺~亀岡駅までのルートを歩くと決めてはいました。全行程はおよそ20 km余の十分こなせる山道と踏んではみたものの、どこを起点にタクシーを利用すれば経済的かが分からず、それを口実に決行には至らないまま年を越していました。体力の衰えを自覚し、不案内な山道の単独行に内心不安を覚えていたのです。已む無く巡礼は中断としましたが、それでも休日には長時間の散歩を欠かしませんでした。

 53歳の夏、何の前触れもなく突然不安定狭心症に見舞われました。朝の出勤時、歩き始めて2~3分もすると、胸焼けのようなジワーッとした灼熱感を胸元から左肩にかけて連日感じたのです。左鎖骨の少し下、胸の奥から湧き出るような感覚でした。もしや狭心症(?)と思って主治医に相談したところ、すぐに運動負荷心電図検査を受けることになりました。負荷半ばの運動量でしかないのに心電図上に明らかな虚血性ST偏位が出たそうです。

 豊富な治療実績を誇る循環器科ということで尼崎の県立病院を紹介され、初診のその日に急遽入院となりました。心臓カテーテルによる造影検査の結果、右冠動脈狭窄による不安定狭心症の診断が下されました。右冠動脈は99%の狭窄で、ほとんど詰まりかけだったそうです。左冠動脈にも軽度の狭窄がみられたそうですが、保険治療の適応ではなく経過観察とされました。私の場合、“死の四重奏” の必然的帰結が狭心症だったのです。

 その後は一本道で、2日置いて心臓カテーテルによるPCI施術を受け、右冠動脈にステントを留置してもらいました。PCI施術を受けた翌々日には退院できました。

 退院後大事を取って1週間ほど会社を休みました。通勤時間を外した時間帯に、リハビリを兼ねて大阪・梅田の駅から会社の近くまで歩くことを毎日の日課としました。一日中家の中にじっとしていることが耐えられなかったのです。暇つぶしのリハビリ中に新しい道順を探し出す楽しみも見出しました。その道順探しの散歩で思わぬ成果が得られました。梅田の東はずれ西天満の一画で、ある立飲み屋を見つけることが出来たのです。

 “大安” というその店は、18人ほどが立てばカウンターが一杯になる広さのところへ22~23人がひしめき合うのが普通で、刺身や焼き物、煮物、揚げ物、すべてを揃えた居酒屋風の店でした。普通、串カツか焼き鳥、他に板ワサ、タコ酢、乾きモノがせいぜいなのに、このようにフルキャストな品を値頃で供してくれる店は珍しく、滅多にないことです。殊に新鮮な旬の魚が特徴で、私の嗜好にピッタリの店でした。新しい居場所がやっと見つかったと思いました。

 それからというもの、毎日定時に会社が引けると即 “大安” へと参上、こちらの方もほぼ定時に到着ということになりました。店の常連さんともすぐに打ち解けることができ、私の定位置も自然に決まりました。店で知り合った常連の “飲み友達” と、仕事をまったく離れて世間話に興ずる小一時間が無上の楽しみとなり、週日の新行動パターンがこれで目出度く確定したのです。

 狭心症は仕事で担当していた領域でしたから、一通りの知識はありました。それでステント留置部位の再狭窄が起こり得ることも知っていました。しかも左冠動脈にも狭窄があるので、狭心症は何時どこで再発するか分かりません。巡礼中の山道で再発でもしたら、通り合わせた周りの人々に迷惑がかかります。もはや山道の登りは無理筋で、それが伴う巡礼は断念せざるを得ませんでした。

 休日の行動パターンの芯になっていた巡礼が出来なくなり、休日をどう過ごすべきか分からなくなりました。巡礼がすでに生き甲斐になっていたのだと思います。単に、酒なしで時間を潰すのが目的の一手段にすぎなかったのですが、いつの間にか手段が目的そのものにすり替わっていたようなのです。アルコール依存症者によくある思考パターンです。

 已む無く朝から近くの公園に行き、公園内の東屋で一人発泡酒を飲むのが休日の新行動パターンとなりました。ロング缶1本飲み始めたら止まりません。チビチビと長時間にわたり、ひたすら飲み続けることになったのです。朝から始まる連続飲酒パターン、その雛形の完成でした。もうこうなったら後戻り不能です。 “朝酒” は世間がイメージするアル中の特徴にピッタリです。飲み方が異常となった転機の三番手は、“朝酒の開始” でした。

 普通、病名を宣告されたら可能な限り調べようとするのが病人の常です。アルコール依存症と宣告されていたにもかかわらず、手の振戦の原因となりうる病名が他にないかだけは調べはしましたが、本質からは目を背けていました。恐らく詳しく知るのが怖かったのだと思います。“否認の病” と言われるだけあって、この病気の厄介なところは否認です。認めたくなかったのです。

 エネルギー代謝を乱す元凶(黒幕)がアルコールだなんて、10数年前の当時あまり知られていなかったような・・・。血圧の上昇、血糖値の上昇、中性脂肪の上昇、これらは飲酒習慣からのアルコールがもたらす毒性変化です。時間を持て余していたのは所謂 “空白の時間” で、アルコール依存症者が苦手とする典型的症状の一つです。これらのことは、今でこそネットで簡単に調べることができますが、10数年前の当時も容易に調べることが出来たのでしょうか(?)・・・分かりません。よく知らないままズルズル過ごしていたのです。

 振り返ってみると、巡礼行を始めた47~48歳頃からすでに “空白の時間” に手こずっていたとも思われます。休日の朝から飲酒は、定年で完全退職する61歳まで続きました。飲み方が異常となった四番手の転機は完全退職でした。完全退職後は週日すべてが休日となります。週日が完全休日化したらどうなるか? その結末については本ブログの「私の底着き体験・断酒の原点」をご参照下さい。


「私の底着き体験・断酒の原点」はこちらをどうぞ。



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コメント (2)
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