ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

続 アル中の哀しきクセ

2018-01-30 06:54:08 | 病状
 再々、市役所詣で兼ゴミ拾いで毎日通うバス通りでの話です。
バス通りに面した公園の入り口には、大きな常緑樹が一本立っています。秋にはドングリが一杯なる木なので多分シイかカシの一種だと思います。いつもなら、公園のゴミ拾いはこの木の周りから始めることにしています。

 公園に向かって歩いていると、車椅子の男性が一人、その木の下で公園の方を眺めているのが見えました。その姿・恰好は、遠目でもどこか見覚えがありました。近づくにつれ、どうやらワンカップの空きビン隠しを常習にしていたアル中の人だとわかりました。去年の5月頃、いつもワンカップの空きビン二つを、バス通りの反対側のベンチ下に隠していた人です。それ以来とんと姿を見せなくなっていました。

 以前は杖をついていたのに今度は車椅子に変わり、穏やかそうだった顔も別人のように険しい顔つきになっていました。しかもこの寒空の下、手にしていたのは缶ビールか缶酎ハイのようなのです。人を近づけさせない雰囲気があったので、木の周りのゴミ拾いは後回しすることにしました。

 この公園入り口付近も空き缶の放置が多いところです。車道と歩道との間に、ここだけ高さが膝丈ぐらいの巨大なプランター様花壇が設けられていて、そこに丈の低い笹がビッシリ植えられています。普段は表面をざっと見やるだけなのですが、偶々その茂みの中に空き缶がチラッと見えました。

 そこでよく調べてみると出るわでるわで、缶酎ハイの空き缶が10本ほど茂みの中に隠されていたのです。明らかにアル中の人間特有の遣り口でした。ひょっとしたら車椅子の彼は、私が空き缶を回収していたのを一部始終見ていたのかもしれません。

 私が一通り公園内のゴミ拾いを終えても、車椅子の彼は缶ビールを片手にまだ居残っていました。どうせダメ元という気持ちで声を掛けてみました。
「私もアル中なんですが、専門病院にかかっていますか?」
「もう何回も・・・」と、ボソッと応えてくれました。
「それじゃ、AAなどの自助会も勧められたのでは・・・?」
「もう、・・・ほっといてくれますか!」と、今度はトゲのある口調でキッパリ返してきました。私に対してと言うよりも、もうどうにもならない自分自身に苛立っているかのようでした。

 恐らく彼は、幾度となく入退院を繰り返していて、今回も退院したてでの再飲酒だったのでしょう。当然ながら、後ろめたさにも苛まれていたのだと思います。そんなことをつらつら考えていたので、こう返して来るのは織り込み済みでした。

 私の経験からすれば、飲酒を止めようと考えさせる一番の方法は、身近にいる身内がキッパリ見放してしまうことだと確信しています。身内からの諫め話というものは、とかく甘えを誘いがちなので、却って事態(こと)をややこしくさせるだけでうまくいきません。が、それが同病の赤の他人からとなれば話が違ってくるはずなのです。そう思っての声かけでしたが、なかなか思惑通りにはいかないものです。

 今度似たような機会があったら、どう話しかけたら良いのでしょう。少なくとも言えることは、自分もアル中だと最初に名乗り出ることだけは決して間違いではない・・・はずですが。

 ところで私は、車椅子の彼を空き缶隠しの犯人と見ていたわけではありません。恐らく犯人は勤め帰りの人で、常習的に近くのコンビニで買った缶酎ハイをここで飲んでは即処分していたものと睨んでいます。念のため。


アル中の哀しきクセ』(2017.5.30投稿)もご参照ください。

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♪タンタン狸の・・・♪

2018-01-26 06:50:15 | 老化現象
 ♪タンタン狸のキ○タ○は風に吹かれてゆ~らゆらー♪ ご存じ、股間にある男性の急所を揶揄した歌です。これも老化現象なのでしょうか、2~3年前から左右の大きさがどうも違うことに気づきました。痛みはまったくありません。

 以前はよく、町中にある大型銭湯(スパ?)に孫たちと一緒に行っていました。地中深く1000 mぐらいまでボーリングすると温泉が出て来ますが、それを活用して “○○温泉” と称しているところです。

 お客の中に高齢のお爺さんがいて、股間になんと拳大にまで膨らんだ袋をぶら下げていました。不謹慎ながら、そのとき思わず口ずさんだのが冒頭の歌です。因果は巡ると言いますが、他人事と笑っていた私がまさか後年そうなるとは想像さえしていませんでした。

 左右の大きさを比べてみると今では倍ほど違うようになりました。例のお爺さんの姿があんまりだったので、さすがにこれはヤバイと泌尿器科で診て貰うことにしました。痛みがないことと超音波エコー検査の結果から、ヘルニアではなく陰嚢水腫(精巣水瘤)と診断されました。単に水がキ○タ○に溜まっただけのことだそうです。

 小児なら注射針による穿刺吸引だけで治ることが多いそうですが、高齢者だとそれを何度くり返しても治らないそうなのです。
「放って置いても問題ないぐらいの大きさですが、直ぐに手術にしますか? 下半身麻酔での簡単な手術で、5日間の入院で済みます。」と、やはり手術を勧められました。
「5日間(の入院)ですか、・・・その間は禁煙ですよね?」
「そうなります。ここは敷地内、全館禁煙ですからねぇ!」
「それならしばらく様子を見ることにして、もっと酷くなるようだったら改めてお世話になります。」

 断じて、手術を恐れたわけではありません。長時間に亘り行動の自由が効かない入院の方が嫌だったのです。逆説的ですが、行動の自由が効かないとは、アルコール依存症(アル症)者が苦手とする “空白の時間” と実質同じことだからです。

 断酒歴が4年超となり、かつては2年間の禁煙も経験しているのですが、それだけにどうにもならない “空白の時間” は今でも苦手としています。つい2、3ヵ月前に大腸ポリープ切除術を受けたときも、たった1日の入院に我慢できなくなって看護士と一悶着を起こしてしまいました。

 こんなことを泌尿器科医に説明しても、話がややこしくなるだけです。悪性ではないと言われた途端ゲンキンなもので、咄嗟にわかりやすい禁煙問題に言い替えたつもりでした。やはりアル症者の条件反射なのでしょうか、我ながらバカ正直丸出しの言い逃れだったと呆れるばかりです。



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継続は以心伝心の力?

2018-01-23 06:32:27 | 雑感
 新年を迎えたことでもあり、明るい話題をひとつ。常々、利用者のマナーが最悪と思っていた公園が見違えるように変わりました。どうやら地元の老人会の方々もゴミ拾いをしてくれているようなのです。こんな嬉しいことはありません。

 この公園は私が巡回するゴミ拾いコースの中でも最悪のところでした。孫が遊び場にしていると聞いたので、ほぼ2年前に急遽ゴミ拾いの対象に加えたのです。わずか週一回の巡回ということでもあり、半年前までは大小のお菓子の空袋・レジ袋やら、ペットボトル・空き缶やらが、広場といわず植え込みの物陰といわず、所構わず散らかり放題だったところでした。もちろんベンチ脇には吸い殻も・・・です。そんな行儀の悪さだったので、この公園のゴミ拾いだけで30分ほどかかっていました。

 この公園には、毎日決まって午前10時頃に集まってはお昼前までお喋りを楽しむ常連のお年寄りたちがいるのですが、私がゴミ拾いを始めてからも唯々黙って見ているだけでした。もちろん、公園のご近所さんも、いつも通り見て見ぬ振りを決め込んでいました。市が委嘱した業者が週一回掃除に来てはいましたが、これ以外はどんなに散らかろうがそのまま放置されていたのです。

 少し様子が変わり始めたのは半年ほど前からです。公園前に住む1人の若いおばさんがゴミ拾いを始めてくれたのです。私が挨拶をすると、「他所からわざわざゴミ拾いに来てくれる人がいるのに、地元が何もしないわけにはいかないから・・・」と笑顔で返してくれました。

 それから2,3ヵ月後、今度は老人会の方々です。常連のお年寄りたちとは別グループの人たちでした。いつも通りの巡回で公園に来たとき、掃除道具を園内の物置に直しているところを偶然見かけたのです。10人足らずのグループでしたが、公園ばかりか遊歩道のゴミ拾いもやってくれているようです。“以心伝心” とはこんなことを言うのでしょうか。「(年寄りはこうでなきゃ!)」と、何とも頼もしく思えたものでした。

 “石の上にも三年” と言いますが、この四月が来るとゴミ拾いも丸三年となります。何時の頃からか、私が道でゴミ拾いをしていると、通りかかったお年寄りがよく声を掛けてくれるようになっています。この公園界隈でも同じでしたので、その中の誰かが私の行動を見てお仲間に提案したのかもしれません。 “継続は以心伝心の力なり” 最近益々、意を強くしている私です。



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家康の遺訓に寄せて

2018-01-19 06:56:12 | 病状
 このところ “楽になる / 楽になった” を記事にしてきましたが、今回はこの気分を象徴しているような徳川家康の遺訓にからめた話をします。

 「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し・・・」ご存じ有名な家康の言葉です。還暦を迎えた年の丁度今頃に書いた遺訓だと言われています。天下分け目の関ヶ原の戦いに勝利して3年経ち、江戸幕府開幕直前の時期に述懐したもののようです。

 天下を統一して平和な世に目処をつけ、ちゃんとした世継ぎにも恵まれた家康ですが、決して順風満帆な半生ではなかったといいます。それだけにいかにも人生の重荷を下ろしたことで “楽になって” (ホッとした心境で)、それまでに味わった苦い経験から得た教訓を述べたものでしょう。

 有名な川柳「鳴かぬなら・・・ホトトギス」は後世の人が詠んだものだそうですが、「殺してしまえ」の信長、「鳴かしてみよう」の秀吉、「鳴くまで待とう」の家康を並べてみると三人三様の人となりが的確に表現されています。上の遺訓と並べてみると、決して無理をしないという家康の人生観が言い尽くされていると思います。もうじき67歳を迎える私ですが、遅ればせながら私にもこの言葉の味が判るようになりました。

 私の40~50代は、文字通り試練の連続でした。事あるごとに問答無用の二者択一を迫られていた40代、生きる支えとしていたものが目の前で一つひとつ削がれていった50代。主に仕事上でのことながら、思い通りにならない人生に苛立っていました。定年を目前にし、目に見える形のものを未だに残せていない危機感に焦っていたのだと思います。

 そして迎えた定年退職。今思えば義務感に囚われて(?)の仕事でしたが、それがなくなっただけのことなのに、これで人生も終わったとまで思い込んでしまいました。心にポッカリ空洞が開いたようで、もうどうにでもなれと目が覚めたら直ぐ発泡酒に手が・・・、それが朝のお茶代わりとなって連続飲酒の毎日が始まりました。そして案の定、その1年半後には死の瀬戸際まで追い込まれたのです。

 「生き残らねば・・・」という命題は、誰もが共通して背負っている人生の重い宿命です。これは家康だろうが誰であろうが皆平等です。思い返せば、当時の私はそのことに薄々気づいていながら、その重荷にただ悲鳴を上げていたのでしょう。ひょっとしたら、むしろその重荷に依存していたのかもしれません。だから定年退職という事実が受け容れ難かったのだと思います。

 このことに気づき始めたのは酒を断って丸2年が過ぎた頃からでした。こんな私でも自立できるまで息子2人を育て上げていますし、ささやかながら自分の持ち家もあります。そして仕事の上でも、曲がりなりにも商品化までこぎ着けた物もあるのです。そう気づいてやっと、完全退職した事実を受け容れることができました。アルコールの底なし沼から抜け出せて、やっと目覚めた後の “気づき” でした。

 天下統一という家康の偉業にはほど遠いのですが、私も最低限ながら、課された命題を自分なりに懸命にこなしてきました。こんな穏やかな気持ちで過去を振り返ることもできています。そう思うにつけ、結構そこそこの半生を過ごしてきたのではと少し誇らしくもあるのです。こんな大それたことを言ったら、さすがにバチが当たるでしょうか。

 とても味のある内容なので、家康の遺訓の全文を載せておきます。

         *   *   *   *   *
 人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし
 急ぐべからず
 不自由を常と思えば不足なし
 こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし
 堪忍は無事長久の基
 いかりは敵と思え
 勝つ事ばかり知りて
 負くること知らざれば害その身にいたる
 おのれを責めて人をせむるな
 及ばざるは過ぎたるよりまされり

                  慶長八年(1603年)正月十五日



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年初にドジを踏んだ粗忽な話

2018-01-16 06:01:10 | 雑感
 先週に続き今回は、年初にあったオッチョコチョイな話をします。買物で去年と同様、無駄足を踏んでしまいました。

 ユ○ク○の正月向けの広告が元旦(?)の新聞のチラシに入っていました。その広告に冬用の暖パンが950円とありました。今持っているジャージーのパンツが750円だったので、十分あり得る話と思いました。

 初売りの正月2日にはちょうどAAのミーティングも三宮であります。これは好都合と思い、その日は先ず元町のユ○ク○に寄り、次いでその近くのお菓子専門店にも寄ってミーティング会場にお茶菓子でも差し入れしようと決めました。

 当日の11時過ぎ、開店直後のユ○ク○に入ってみました。確かにいつもより客数は多いのですが、婦人服のバーゲン売り場でよくあるような混み具合ではありませんでした。それらしい売り場を探してみても目星を付けた品物がなかったので店員に尋ねてみました。
「広告にあった暖パンは、もう売り切れですか?」
「あっ、それならこちらです。」案内を終えると店員は去って行きました。

 案内されたところに確かに暖パンはあったのですが、1950円の値札がついていました。以前なら、「これでは話が違う」と店員に食ってかかっていたところでしょう。が、ここはひとまず店員の言葉を信じるしかないと思い止まり、誰も見てないのに品定めの振りを続けました。

 諦めて店を出ようとしたところに例の広告が貼ってありました。改めてよく見ると、そこには何と “Kids” とあったのです。枠の割り当て分が小さくて、値段ばかりが目立つようになっていたのです。これで合点がいきました。

 仕方なく予定通りに次のお菓子専門店に寄ってみました。するとシャッターが下りていて、営業開始は4日からとありました。情けないことに、これで買物は全くの無駄足となりました。ついてない時は万事がこんなものです。

 去年の正月も買物が無駄足となった上、昼食までも食べ損なって、AAのミーティングに空腹のまま出席するハメとなりました。そんなことで見事にHALT(hunger:空腹感、anger:怒り、loneliness:孤独感、tiredness:疲れ)となった挙げ句、帰宅してから家族一同が揃っている前で癇癪を起こしてしまう始末。何とも情けない話となったのです。

 そんな苦い思い出があったので、AAのミーティングに向かう途中、元町駅前の松屋で牛めし(牛丼)を食べました。290円の牛めし(牛丼)が、その日の私にはどんなに救世主に思えたことか。心底、ありがたく戴きました。
 


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“楽になる / 楽になった” 新年はこの感覚を第一に!(下)

2018-01-12 05:52:28 | 病状
「今は楽になれました」AAのミーティングで仲間からこの言葉を聞く度に、初めの頃はとても新鮮(奇異?)に思えたものでした。この言葉を知らなかったわけではなく、実感としての意味がわからなかったという方が正確でしょう。この言葉は、実はアルコール依存症(アル症)者にとって特別な意味合いを持っています。

 アル症者に共通するのは、人付き合いがうまくいかず、そのため閉塞感に長い間苛まされてきたという悩みです。感情を表に出すにしても、この閉塞感が邪魔をして自然な感情表現にはならないということもあります。その背景には、偏ったものの見方・考え方(“認知のゆがみ”)に雁字搦めになっていたことがあります。

 “楽になる / 楽になった” という感覚は、自分が囚われていた “認知のゆがみ” に気づき、その囚われから自由になり始めた兆しのようなのです。その感覚の芽生えが心の回復の一里塚なのかもしれません。

 現在の私にとって心底 “楽になった” と思えたのは、断酒10ヵ月目にあった “憑きモノ” が落ちた体験でしょうか。ところがそのとき浮かんだ言葉は、長年続いた妄想がやっと消え失せたとか、アルコールがやっと脳から抜け切ったとかという事実関係を表わす言葉だけで、不思議なことに “楽になった” という感覚の言葉ではありませんでした。このいびつさ・奇妙さを教えてくれたのが、実はAAのミーティングで聞いた「今は楽になれました」だったのです。

 どんなに “辛い / しんどい” 体験をしても、その過酷さは消えたらそれまでですが、その感覚はいつまでも記憶に残るものです。“楽になる / 楽になった” も同じで、その感覚はいつまでも鮮やかに記憶に残り続けます。ただ一つ後者が違うのはそこに至ったプロセスも一緒に記憶に残ってくれることです。これらは経験の中にしっかり組み込まれ、その後の大事な行動指針となってくれるようなのです。

 身の回りの異変や身体の変調を最初に知らせてくれるのは感覚です。“辛い / しんどい” も、“楽になる / 楽になった” も、どちらも肉体的 / 精神的を問わず感覚を表現できる重宝な言葉です。言わば五感を総合した心の感覚を表現した言葉で、第六感と言われる予感もこの心の感覚なのかもしれません。

 なので、今年もこれらの感覚を道標にし、素直にそれに従って暮らせて行ければそれでヨシ。唯々こう願っている私です。
(この項おしまい)



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年末にやらかしたヘマ

2018-01-09 06:16:23 | 雑感
 気持ちが浮つく年末・年始は、どうしてもヘマをやらかしてしまうようです。今回もヘマを二つやらかしてしまいました。その内の一つです。

 毎年のことですが、長男一家は嫁さんの実家で正月三が日を過ごし、3日か4日の夕方に我が家に来るのが習わしになっています。ところが今回は、正月の松の内にはこちらへ来れないということで、年末29日の午後に一家揃って遊びに来てくれました。そんなわけで急遽、前倒しで孫にお年玉をあげることにしました。

 二番目の孫のお年玉は5千円と決めています。へそくり用の別の札入れから千円の新札を5枚取り出し、迷わずそのままお年玉袋に入れて孫に渡しました。渡した後しばらく経って、なぜか不安が募ってきたので改めて札入れを確かめてみたのですが・・・。案の定、札入れには五千円札2枚しかありませんでした。次男のところの孫たち用にと取って置いたはずの新千円札がなかったのです。

 その五千円札を千円の新札に両替したくとも、すでに銀行の窓口は実質年末年始の休みに入ったばかり。両替機や窓口は利用できませんし、頼りのATMではそもそも両替などできません。すっかり肝を冷やして、正直、慌ててしまいました。

 改めて札入れをよく見たら、五千円札の内1枚は新札でした。すぐ二番目の孫に頼んでその五千円札と新千円札とを取り替えてもらったのです。
「お年玉をあげてから両替してもらうなんて、聞いたことがないわぁ!?」皮肉を込めた妻の声が聞こえてきました。

 実は元々、新札の五千円札は二番目の孫用に準備していたもので、一方の新千円札5枚は次男のところの孫たち用のものだったのです。

 年末は新札への両替が殺到し、時によっては新札が手に入らないこともあります。そんな事態に備えようと、私にしては珍しく一年前に(?)一万円札を千円札と五千円札の新札に早々と両替していたのです。ところが1年も経つと、さすがに両替していたことは覚えていても、それら新札をどう割り振りするのかコロッと忘れていました。

 やはり、どことなく気分の浮かれるのが年末年始です。久々に元気な孫の顔を見て、すっかり舞い上がってしまったのでしょうか。何ともおっちょこちょいな独り相撲の話でした。

 お年玉の両替に応じてくれた二番目の孫は小学6年生です。大きな金額のお札に変わって、むしろ喜んでいました。これが4歳になったばかりの一番下の孫なら、数の少なくなったお年玉に一体どう反応していたのやら・・・。



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“楽になる / 楽になった” 新年はこの感覚を第一に!(上)

2018-01-05 06:38:42 | 自分史
 “楽になる / 楽になった” という感覚は、アルコール依存症者にとって心の回復の一里塚なのかもしれません。今週と来週の二回に分けて、今一度感覚について考えてみます。

 “楽になる / 楽になった” という言葉は、ひょっとして閉塞感を伴った経験をそれなりに積んだ者でないと出てこない言葉なのでしょうか? 奇妙な話ですが、私はつい最近まで “楽になる / 楽になった” という言葉を知らず(?)に生きてきたのではないかと自分自身訝しく思っています。

 言うまでもないことですが、心に背負った重荷から解放されて初めて味わえる感覚が、“楽になる / 楽になった” という感覚だろうと思います。その対極にある閉塞感は心の重荷の代表格で、その感覚を表わす言葉は “辛い / しんどい” でしょうか。

 この半生を振り返ってみると、私にもその後の運命を決した重大な転機がいくつかありました。中でも大きかったのは、二浪してやっと叶った大学入試の合格や、担当化合物が晴れて新薬となれるか否かを決した二重盲検比較試験の開鍵でしょうか。いずれも丁か半か二者択一のサイコロ賭博のようなものでした。

 これら二つの出来事は長年の苦労がやっと報われたという点では共通していましたが、正直解放されてホッとしたというのが当時の本音でした。どう思い返してみても、出て来たのは “楽になった” という言葉ではなかったのです。それもそのはずで、その頃は将来が前途洋々、閉塞感などどこにもなかったのです。

 こんな話もありました。私がまだ小学生だった頃のことと思います。忙しい農作業の合間を縫って、夏休みに家族で近くの温泉に行くことがありました。温泉から上がったばかりの母がよく口にしたのが、
「極楽、極楽! あぁ、楽になったぁ!」という言葉でした。
「(まるで、婆ぁさまみでぇだな)」それを聞いて私はこう思っていました(岩手弁です)。

 稲作主体の農作業は、年にたった一回の収穫を目指して際限なく続くものです。どうにもならない自然が相手で、除草などで手抜きでもしたら忽ち収穫減となりかねません。どんなに頑張っても収入増があまり見込めない業種ですから、それなりの閉塞感があったと思います。

 そんな “辛い / しんどい” 農作業を懸命に堪えてきた母ですから、温泉浴が束の間の息抜きとなって、つい口にしたのだろうと思います。そう察しもできずに、私には何とも年寄り臭い言い方だと思えたのでした。

 私も多少は、農作業の手伝いをしていたのですが、母の背負っていた辛さは子どもの手伝いぐらいでわかるヤワなものではなかったのです。今となってみれば、この言葉を使えるようになるには、どうやら相当 “辛い / しんどい” 年季(?)が要るように思えてなりません。
(この項つづく)



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年頭のご挨拶

2018-01-02 06:22:32 | 病状
 喪中にもかかわらず、西宮神社へ初詣に行ってきました。元朝7時の参道は人も疎らで例年になく寒く、ピンと張りつめた空気が文字通り身の引き締まる思いにさせてくれました。

 年末年始のこの時期は、私たちアルコール依存症者にとって危険この上ない時節です。かつての私は、仕事関係の忘年会やら新年会で、かつまた家庭でのクリスマスやらお正月をダシに、何かと飲んだくれてばかりいました。

 世間全般、今もかくの如しで、ソワソワ浮き浮きした気分が伝染でもしたら生活リズムを崩しかねません。たとえ飲酒欲求が全くなくなったと言っていた人でも、無意識の内にSLIP(再飲酒)してしまったという話もよく聞きます。そうなった誘因は、恐らく生活リズムの狂いにあったのでは(?)と私は睨んでいます。

 アルコール依存症者にとっては規則正しい生活リズムを保つことが何よりも大事です。とは言っても、それがマンネリとなって、駄れてしまったら元も子もありません。することが何もないというのも危険です。

 やはりメリハリを効かすというのが肝腎で、初詣など節目毎の習わしはさすがに気分を一新させてくれるのです。お陰様で、酒なしで迎えた元旦は今年で5回目となりました。ありがたいことです。

 相変わらず堅苦しい内容でおもしろ味のない記事となりそうですが、闘病記録ということに免じてどうかご容赦ください。今年も何とぞ宜しくお願い申し上げます。



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