“言語化” とは、書くことを通じて自分の本質を見通すこと、すなわち自己洞察に導いてくれる有力な手段の一つと考えられています。記憶を総動員して的確な言葉を探し出し、自分の性格や思考様式、感情傾向、物事の認知の特質などを凝縮した言葉で自己表現する理性的作業のことです。今回は、自助会Alcoholics Anonymous(AA )のミーティングもこの “言語化” を鍛錬する場ではないかと考える所以を述べてみます。着目すべきは、記憶の総動員と論理立てが不可欠だということです。
AAのミーティングの始まりは、試験の開始に似たところがあって緊張感が伴います。テーマが告げられるとすぐに、思い当たる節がないかあれやこれやと記憶を辿ることになります。今でこそ、司会者の体験談がテーマのヒントとして筋が良いとか、今一つかなどと批評するゆとりも出て来ましたが、参加したての頃は半分上の空でした。
ミーティングでは記憶の総動員が必要です。
ご想像通り、指名に備えて自分の記憶探しに没頭していました。テーマによっては、すぐに目星が付く場合もありますが、大抵は想像以上に時間がかかるものです。普通5分程で司会者の体験談が終わります。その間にテーマに相応しい思い出の掘り起しと、話の切り出しがどうにか準備できる、これが当初の定番でした。他のメンバーに確かめてはいませんが、初心者なら誰でも似たようなものではないかと思っています。
このように、ミーティングでは自分の記憶探しに相当の集中力を要します。また、この集中した余韻は、メンバーの体験談を黙想したまま聴く段になっても続きます。目星がついた自分自身の思い出と、メンバーの体験をついあれやこれやと照らし合わせてしまうのです。テーマが決められていることといい、静かに黙想したままといい、AAのミーティングは思索環境として申し分ありません。体験に裏打ちされた生々しい言葉は埋もれた記憶をチクチク刺激し続けます。
喉元まで出掛っても的確な言葉とならないもどかしさは誰でも経験アリと思います。アルコール急性離脱後症候群(post acute withdrawal syndrome:PAWS)で度々触れたのですが、意図した言葉がなかなか思い浮かばない異常(な状態)を想起障害といいます。断酒後のアルコール依存症者は相当長い期間これに悩まされ続けます。アルコールが遺した厄介な置き土産です。
もどかしさで悶々としている最中、思いあぐねていた言葉が耳に飛び込んできたらどうでしょう。その途端、「あっ、これだ!」光がピカッと閃き、モヤモヤしていた蟠(わだかま)りが一気に晴れてしまいます。ミーティングでよく経験することです。モヤモヤしたもどかしさがスッキリ解消し、何とも言えない充足感と爽快感で満たされます。そして、件の言葉はしっかり記憶に残るものです。
その逆もしかりです。知っているつもりの言葉でも、今一つ意味がはっきりしない場合があります。“生きづらさ” などがその好例ですが、メンバーの話で言葉に具体的な肉付けがなされ、腑に落ちてくることもあります。このような場合も上と同様に充足感に満たされるものです。
話すことは聴くこと以上に記憶を総動員しなければできません。
複数の言葉を論理立てて話(文)に仕立て上げるなどは、脳をフル回転し記憶を総動員しなければできないことです。それが体験談なら尚更です。そんな状態だからこそ、思わず口走った言葉が胸の奥に隠していた本音だったとしても不思議ではありません。「私は上昇志向が強く・・・」と思わず口を滑らせたことがありました。自分の言葉にビックリし、同時に肩の荷が下りたと感じられました。上昇志向が強いなどと人前では決して口にすまいと決めていたのに、勢いで出てしまったのです。この経験以降、隠し立てしても無駄で、正直に話すしかないと思えるようになれました。これなどは隠れて(隠して?)いた記憶が明るみに出た好例と考えています。
発言する際、聞き手の批判や批評を気にしなくてもよい “言いっぱなし 聞きっぱなし” はミーティングの大きな長所です。一見、独り言を声に出すだけともみえますが、頭の中で堂々巡りばかりの独り言とはまったく違います。聞き手を意識して話した言葉は耳で確認できます。書いた言葉を目で確認できることと同様、外向けの論理立てを理性的に確認できるのです。話しの筋が逸れたり、話が飛んだりしても気にする必要はありません。実質的に論理立てした内省の時間ということに違いはありません。自分自身との誠実な対話に集中すべく心掛けることだけが大切です。モヤモヤした気持ちの整理がつき、肩の荷が下りること請け合いです。
ミーティングで経験するこのような一連の感覚は、ブログの原稿作成中に度々経験する感覚と共通します。
ブログの原稿作成中には、嫌というほど想起障害に度々襲われます。そのもどかしさといったら比類ありません。類似の言葉は次々飛び交うのですが、肝腎の言葉が出て来ないのです。その目当ての言葉が不意にパッと閃いたときなど、自己表現が実現できたというか、大仰ながら承認欲求が満たされた心境になれます。承認欲求は自己表現したいという欲求と表裏一体の関係にあるので、当然といえば当然です。カタルシスという言葉が、このときの感覚を表現するのにピッタリでしょうか。
書きことばは話しことば以上に頭を使います。書きことばには書きことば特有の文法があり、それに厳格に従わなければ意図を正確に伝えることができません。話しことばの特徴は、最も伝えたい言葉が先に出てしまうことですが、このやり方を書きことばでそのまましてしまうと必ずと言っていいほど意味が通じません。書きことばには、読点の打ち方や、修飾語同士の順番に厳格なルールがあり、その上で明解な論理立てが要求されるからです。
記憶の総動員にしろ、文法を厳守した論理立てにしろ、書くことの方が圧倒的に脳(前頭葉)をフル回転させることが必要で、それがなければ書けません。“言語化” で自己洞察に至るのは、何度も何度も自身に問いかけ吟味に吟味を重ねる思考プロセスの成果だと思います。それだけに “言語化” は書く作業そのものだと考えられてきたのでしょう。
ミーティングの場もカタルシスをもたらしてくれます。“言語化” が授けてくれる即席の御利益です。
ところで、ミーティングで耳に入ってくる言葉は、機会の多さといい、ヴァリエーションの豊富さといい、その力強さは圧倒的です。自力で記憶を呼び戻そうと四苦八苦しているところに、外から生々しい言葉が次々援軍として送られてくるのですから質量ともに申し分ありません。たとえ半分意識が抜けてボーッとしていても、印象に残る言葉はしっかり頭に入ってくるのも道理です。
埋もれた記憶を探して集中することといい、言葉に反応して喜びを感じることといい、ミーティングの場は、書くことに劣らず脳に適度な刺激と快感 ― カタルシスを頻繁にもたらしてくれます。カタルシス、これこそまさしく “言語化” が即席で授けてくれる御利益ではないかと私は考えています。ミーティングに出席し続けている内は酒が止まると聞きます。これもカタルシスという即席の御利益のお蔭なのかもしれません。
私はこれらを踏まえ次のような仮説を立ててみました。
前頭葉は長期記憶の保管庫の一つです。カタルシスという即席の御利益を最も多く受けるのは前頭葉だろうと仮定すると、繰り返されるカタルシスの刺激が前頭葉の機能を活性化し、その結果、記憶のネットワークが徐々に回復へ向かうものと考えられます。その過程で繰り返されるのが様々な自己洞察であり、いわゆる回復という心境はその積み重ねが自然に導いてくれるものではないか? これが私の仮説です。繰り返し繰り返しの実践が稽古と同じと考え、私はミーティングの場を “言語化” の実践道場と呼ぶことにしました。
自己洞察は医療関係者が口にする言葉で、アルコール依存症者が口にすることは滅多にありません。ミーティングで聞く体験談では、代わりに “気づき” という言葉が頻繁に出て来ます。自己洞察できたということが、“気づいた” という言葉で表現されているのです。
上述したように、“気づき” を積み重ねた先にあるのがいわゆる回復という心境だろうと考えています。AAの『回復のプログラム』では、12のステップを順に踏んでいると途中でも「・・・心の落ち着きという言葉がわかるようになり、やがて平和を知る。・・・かつては私たちを困らせた状況にも、直感的にどう対応したらいいのかが分かるようになる」としています。これらは究極の達成目標、すなわち回復を意味しています。自分がどういう状況に置かれているかが瞬時に察せられることでもあり、AAでは “ハイヤーパワー(自分を越えた大きな力 / 神)” が導いてくれるものとしています。
私が通う専門クリニックでは、回復のイメージをリラクセーション(relaxation:復元力の高まった柔軟な状態)としています。些細なストレスでも凹まず、先の見えない不安にも怯えない、復元力に富んだしなやかな心という意味と解し、私は “平常心” こそが最も相応しい言葉と考えています。“平常心” は精神的に鍛錬しさえすれば誰でも到達できる心境で、元々人に備わっているものという考えからです。(意図して遮二無二身に着けようと頑張っても、出来ない相談のような気がします。)ちなみに私は、AAの言う “ハイヤーパワー” とはヒトが生まれながらに持っている自然治癒力のことだろうと考えています。
最後にAAの長所を改めて列挙しておきます。
● 氏素性を明かさなくてよい匿名性
● 献金だけで自主独立した運営
● テーマが設定されていて集中しやすい
● “言いっぱなし 聞きっぱなし” で批評・批判を気にしなく
てよい
● 聴き手が経験者同士で理解してもらいやすい
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AAのミーティングの始まりは、試験の開始に似たところがあって緊張感が伴います。テーマが告げられるとすぐに、思い当たる節がないかあれやこれやと記憶を辿ることになります。今でこそ、司会者の体験談がテーマのヒントとして筋が良いとか、今一つかなどと批評するゆとりも出て来ましたが、参加したての頃は半分上の空でした。
ミーティングでは記憶の総動員が必要です。
ご想像通り、指名に備えて自分の記憶探しに没頭していました。テーマによっては、すぐに目星が付く場合もありますが、大抵は想像以上に時間がかかるものです。普通5分程で司会者の体験談が終わります。その間にテーマに相応しい思い出の掘り起しと、話の切り出しがどうにか準備できる、これが当初の定番でした。他のメンバーに確かめてはいませんが、初心者なら誰でも似たようなものではないかと思っています。
このように、ミーティングでは自分の記憶探しに相当の集中力を要します。また、この集中した余韻は、メンバーの体験談を黙想したまま聴く段になっても続きます。目星がついた自分自身の思い出と、メンバーの体験をついあれやこれやと照らし合わせてしまうのです。テーマが決められていることといい、静かに黙想したままといい、AAのミーティングは思索環境として申し分ありません。体験に裏打ちされた生々しい言葉は埋もれた記憶をチクチク刺激し続けます。
喉元まで出掛っても的確な言葉とならないもどかしさは誰でも経験アリと思います。アルコール急性離脱後症候群(post acute withdrawal syndrome:PAWS)で度々触れたのですが、意図した言葉がなかなか思い浮かばない異常(な状態)を想起障害といいます。断酒後のアルコール依存症者は相当長い期間これに悩まされ続けます。アルコールが遺した厄介な置き土産です。
もどかしさで悶々としている最中、思いあぐねていた言葉が耳に飛び込んできたらどうでしょう。その途端、「あっ、これだ!」光がピカッと閃き、モヤモヤしていた蟠(わだかま)りが一気に晴れてしまいます。ミーティングでよく経験することです。モヤモヤしたもどかしさがスッキリ解消し、何とも言えない充足感と爽快感で満たされます。そして、件の言葉はしっかり記憶に残るものです。
その逆もしかりです。知っているつもりの言葉でも、今一つ意味がはっきりしない場合があります。“生きづらさ” などがその好例ですが、メンバーの話で言葉に具体的な肉付けがなされ、腑に落ちてくることもあります。このような場合も上と同様に充足感に満たされるものです。
話すことは聴くこと以上に記憶を総動員しなければできません。
複数の言葉を論理立てて話(文)に仕立て上げるなどは、脳をフル回転し記憶を総動員しなければできないことです。それが体験談なら尚更です。そんな状態だからこそ、思わず口走った言葉が胸の奥に隠していた本音だったとしても不思議ではありません。「私は上昇志向が強く・・・」と思わず口を滑らせたことがありました。自分の言葉にビックリし、同時に肩の荷が下りたと感じられました。上昇志向が強いなどと人前では決して口にすまいと決めていたのに、勢いで出てしまったのです。この経験以降、隠し立てしても無駄で、正直に話すしかないと思えるようになれました。これなどは隠れて(隠して?)いた記憶が明るみに出た好例と考えています。
発言する際、聞き手の批判や批評を気にしなくてもよい “言いっぱなし 聞きっぱなし” はミーティングの大きな長所です。一見、独り言を声に出すだけともみえますが、頭の中で堂々巡りばかりの独り言とはまったく違います。聞き手を意識して話した言葉は耳で確認できます。書いた言葉を目で確認できることと同様、外向けの論理立てを理性的に確認できるのです。話しの筋が逸れたり、話が飛んだりしても気にする必要はありません。実質的に論理立てした内省の時間ということに違いはありません。自分自身との誠実な対話に集中すべく心掛けることだけが大切です。モヤモヤした気持ちの整理がつき、肩の荷が下りること請け合いです。
ミーティングで経験するこのような一連の感覚は、ブログの原稿作成中に度々経験する感覚と共通します。
ブログの原稿作成中には、嫌というほど想起障害に度々襲われます。そのもどかしさといったら比類ありません。類似の言葉は次々飛び交うのですが、肝腎の言葉が出て来ないのです。その目当ての言葉が不意にパッと閃いたときなど、自己表現が実現できたというか、大仰ながら承認欲求が満たされた心境になれます。承認欲求は自己表現したいという欲求と表裏一体の関係にあるので、当然といえば当然です。カタルシスという言葉が、このときの感覚を表現するのにピッタリでしょうか。
書きことばは話しことば以上に頭を使います。書きことばには書きことば特有の文法があり、それに厳格に従わなければ意図を正確に伝えることができません。話しことばの特徴は、最も伝えたい言葉が先に出てしまうことですが、このやり方を書きことばでそのまましてしまうと必ずと言っていいほど意味が通じません。書きことばには、読点の打ち方や、修飾語同士の順番に厳格なルールがあり、その上で明解な論理立てが要求されるからです。
記憶の総動員にしろ、文法を厳守した論理立てにしろ、書くことの方が圧倒的に脳(前頭葉)をフル回転させることが必要で、それがなければ書けません。“言語化” で自己洞察に至るのは、何度も何度も自身に問いかけ吟味に吟味を重ねる思考プロセスの成果だと思います。それだけに “言語化” は書く作業そのものだと考えられてきたのでしょう。
ミーティングの場もカタルシスをもたらしてくれます。“言語化” が授けてくれる即席の御利益です。
ところで、ミーティングで耳に入ってくる言葉は、機会の多さといい、ヴァリエーションの豊富さといい、その力強さは圧倒的です。自力で記憶を呼び戻そうと四苦八苦しているところに、外から生々しい言葉が次々援軍として送られてくるのですから質量ともに申し分ありません。たとえ半分意識が抜けてボーッとしていても、印象に残る言葉はしっかり頭に入ってくるのも道理です。
埋もれた記憶を探して集中することといい、言葉に反応して喜びを感じることといい、ミーティングの場は、書くことに劣らず脳に適度な刺激と快感 ― カタルシスを頻繁にもたらしてくれます。カタルシス、これこそまさしく “言語化” が即席で授けてくれる御利益ではないかと私は考えています。ミーティングに出席し続けている内は酒が止まると聞きます。これもカタルシスという即席の御利益のお蔭なのかもしれません。
私はこれらを踏まえ次のような仮説を立ててみました。
前頭葉は長期記憶の保管庫の一つです。カタルシスという即席の御利益を最も多く受けるのは前頭葉だろうと仮定すると、繰り返されるカタルシスの刺激が前頭葉の機能を活性化し、その結果、記憶のネットワークが徐々に回復へ向かうものと考えられます。その過程で繰り返されるのが様々な自己洞察であり、いわゆる回復という心境はその積み重ねが自然に導いてくれるものではないか? これが私の仮説です。繰り返し繰り返しの実践が稽古と同じと考え、私はミーティングの場を “言語化” の実践道場と呼ぶことにしました。
自己洞察は医療関係者が口にする言葉で、アルコール依存症者が口にすることは滅多にありません。ミーティングで聞く体験談では、代わりに “気づき” という言葉が頻繁に出て来ます。自己洞察できたということが、“気づいた” という言葉で表現されているのです。
上述したように、“気づき” を積み重ねた先にあるのがいわゆる回復という心境だろうと考えています。AAの『回復のプログラム』では、12のステップを順に踏んでいると途中でも「・・・心の落ち着きという言葉がわかるようになり、やがて平和を知る。・・・かつては私たちを困らせた状況にも、直感的にどう対応したらいいのかが分かるようになる」としています。これらは究極の達成目標、すなわち回復を意味しています。自分がどういう状況に置かれているかが瞬時に察せられることでもあり、AAでは “ハイヤーパワー(自分を越えた大きな力 / 神)” が導いてくれるものとしています。
私が通う専門クリニックでは、回復のイメージをリラクセーション(relaxation:復元力の高まった柔軟な状態)としています。些細なストレスでも凹まず、先の見えない不安にも怯えない、復元力に富んだしなやかな心という意味と解し、私は “平常心” こそが最も相応しい言葉と考えています。“平常心” は精神的に鍛錬しさえすれば誰でも到達できる心境で、元々人に備わっているものという考えからです。(意図して遮二無二身に着けようと頑張っても、出来ない相談のような気がします。)ちなみに私は、AAの言う “ハイヤーパワー” とはヒトが生まれながらに持っている自然治癒力のことだろうと考えています。
最後にAAの長所を改めて列挙しておきます。
● 氏素性を明かさなくてよい匿名性
● 献金だけで自主独立した運営
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● “言いっぱなし 聞きっぱなし” で批評・批判を気にしなく
てよい
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