電車やバスで席を譲ろうとした若い人の申し出を、邪険に断ってその場の空気を気まずくした老人、この手の話は近頃少なくありません。若いままの意識でいるので、人から老人扱いされたことに脊髄反射的に反発したのだろうと思えてなりません。これぞ “認知のゆがみ” の為せる技、“否認” の典型です。
何を隠そうこの私も、初めてこの手の申し出を受けたときは、せっかくの善意を反故にしたことがあります。「まだまだ大丈夫ですから」と虚勢を張った途端、その場の空気が気まずくなったと感じました。
私なども、鏡やガラスに映った自分の姿を見ない限り、今でも15歳の頃の意識でいます。あくまでも意識の上でのことで、世間で言う “気持ちが若い” という意味ではありません。世間では、歳を取っても好奇心や勇気を失わず、新しいことにも果敢に取り組む人のことを “気持ちが若い” と言います。そういう意味からすると、現実の私はこの対極近くにあるようです。
“不老長寿” は人間の持つ永遠の願いです。老いは命あるものの宿命で、歳を取ったら誰であろうと避けられないもの、それはわかっているのです。なのに、歳を取っても変わらない意識が現実の老いを認めようとしないし、認めたくないのです。
意識が現実を否認している精神構造はアルコール依存症者によく似ています。周りに文句ばっかりの不満タラタラで、何かにつけ周りのせいにする他罰的態度になること必定です。こんな態度でいたら日常生活でロクなことはありません。
“老いた自分を ありのままに受け容れる”
さぁ出かけようと玄関のドアを開けて初めて大事な忘れ物に気づいたり、それが家を出てから1~2分経ってからだったりと、老いた自分に気づかされることが最近多くなりました。以前は、こんなことにさえ腹を立てたものですが、今では苦笑いで済ませるまでになりました。
めげず、落ち込まず、今できることを唯々精一杯やるだけ、たとえヘマをしでかしても笑い飛ばすぐらいでいたいもの、今の私はこんな気持ちでいます。
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さぁ出かけようと玄関のドアを開けて初めて大事な忘れ物に気づいたり、それが家を出てから1~2分経ってからだったりと、老いた自分に気づかされることが最近多くなりました。以前は、こんなことにさえ腹を立てたものですが、今では苦笑いで済ませるまでになりました。
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