ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

老いた今こそ希望に挑戦

2016-03-25 17:23:07 | 世相
 希望とは “よりよい状態を期待して、その実現を願うこと”(新明解国語辞典)

 現在私は65歳ですが、さすがに残された時間に限りが見えてきました。それで、これからでも遺せるものは何だろうと考えるようになりました。この歳になると遥か彼方のおぼろげな夢を望むよりも、身近で実現可能なものの方に挑戦し、希望を見出そうとしています。

 この1年間、“路上のゴミ拾い” をやってきました。その実践でゴミの散らかり方にも微妙な変化が見え、それなりの手応えを感じています。ささやかな今の活動を続けることでも、まわりの人々が少しずつ変わってくれるかもしれない・・・そんなふうに考えるようになりました。

 路上にゴミが散らかっている様子を目にすると、誰しも苛立ちと不快感を覚えると思います。歩道のど真ん中に無神経に捨てられた吸い殻やレシート、マスクなどのゴミ。これ見よがしにベンチや植え込みの上にちょこんと置かれた飲料コップやペットボトル、アルミ缶などのゴミ(中には飲みかけのものもあります)。植え込みの茂みに隠したペットボトルやアルミ缶、ビン、丸めたちり紙などのゴミ。すべて人為によるものです。これらのゴミは人の仕業と分かるからこそ「なんだ、これは・・・!?」と苛立ったり、不快感が湧いてきたりするのです。それぞれのゴミの背後に、それをやった人の節操のなさ、底意地の悪さ、ひいては悪意までもが透けて見えます。

 ところが、自然由来のものに対しては違います。私は、落ち葉も含め自然由来のものには怒りが湧いてきませんし、不快と思ったこともありません。伸び放題の夏草の叢でもしかりです。むっとした草いきれや蚊の襲撃までも連想してしまい、さすがに苦手としていますが、自然のものは自然のものとしてそのまま受け入れます。多くの方は私と同じ感覚ではないでしょうか。(ただし、散らかった落ち葉にゴミと同じ不快を感じる人もいるかもしれませんが・・・。)

 自然由来のものか否か、言い換えれば人工のものか否かで、私はゴミか否かを決めています。やはり人為的というところが私の神経を逆なでするのだと考えています。人工のゴミが散らかっている無秩序な状態を見ると、気持ちが乱れて落ち着きません。平静を保つためには見て見ぬふりをし、無関心を装うしかありませんが、精神的には重い負担を感じます。ザックリ言うと、私の脳は秩序が保たれた状態が好きで、秩序が乱れると不安定になるようなのです。これについても同じような考えの人が少なくないものと勝手に考えています。人工のものだけなら、拾うには火バサミで十分です。ですから、箒を使っての掃き掃除までやるつもりはありません。

 たかがゴミぐらいで・・・と思いがちですが、住い環境の乱れはそこの住民の精神衛生にも悪影響を及ぼすだろうと考えています。ゴミが散らかり放題の猥雑な住い環境では、住民の気分は荒むだろうと思います。家のまわりの汚さ(乱れ)に見て見ぬふりを決め込み、住民同士お互いの動向にも無関心を装うようになるでしょう。こうなると治安は悪くなる一方だと思います。逆に、ゴミの少ないきれいな住い環境を見ていると、住民に落ち着いた雰囲気と心のゆとりが感じられ、治安のよさも見てとれます。ゴミの少ない住い環境は、ほどよい秩序が維持されています。それで精神衛生上も快適な状態なのだと考えています。

 さて、路上のゴミはその散らかり方によっても違った顔を見せます。手が付けられないほど乱雑過ぎて、「これじゃー、どれだけやっても切りがない!」とつい腰が引け見限ってしまうような顔。「目障り! せっかく感じのいい場所柄なのにもったいない」とついゴミの一つや二つ拾ってあげたくなるような顔。それらの中間の顔。手が付けられないような状態を目にした場合、手元にゴミ拾いの七つ道具がなければ、さすがの私も腰が引け、何もせずに見て見ぬふりを決め込みます。・・・が、少し手を付ければマシな状態になりそうなら、思わず素手でもゴミを拾ってみようかという気になります。つい拾ってみようとするぐらいのゴミの少なさ、こんな状態にまで持って行けたなら、「世の中まだまだ捨てたものじゃない!」と見直すことだろうと思っています。

 人には他人の行為を見倣おうとする習性があるようです。比較的狭い範囲に新旧入り混じった複数の吸い殻が捨てられていると、その辺りへのポイ捨ては決まってさらに増えます。逆に、目を光らせ始末している人の気配が感じられさえすれば、少なくともポイ捨てすることは控えるようです。これは私の体験から得た実感です。中には進んでゴミ拾いを始めた人も出て来ているのでは・・・、と思っています。

 “路上のゴミ拾い” はしょせん他人の尻拭いに過ぎません。・・・が、他人の尻拭いこそが真実の奉仕なのだと教わりました。曽野綾子氏がこう言っています。
 “真実の奉仕というのは、すべて汚物を通して行われるべきなのであり、極言すれば他者の「うんことおしっこ」の世話をすることだ。”

 自慢じゃありませんが、私も犬の “うんこ” を道で見つけたら、躊躇せずさっさと始末してのけます。人糞にも極たまに出くわします。どうやらご近所にも同病真っ盛りの方がいるらしいのです。見てくれ・匂いとも犬の比ではありません。しっかり覚悟を決めてから始末します。「自分がやらなくて、誰がやる?」の覚悟です。始末をつけた後は、不思議と清々しい気分にもなれます。これが社会奉仕で得られる達成感なのだろうなと思っています。

 週1~2回定点観測している近くのバス停には、吸い殻のポイ捨て常習者が3~5人ぐらいいるようです。吸い殻の銘柄で分かります。このバス停の利用客は多分1日100~150人ぐらいと思われます。“路上のゴミ拾い” を始めた頃と比べると、吸い殻の状況は大分改善しています。このバス停を利用する人々が今後どう変わってくれるのか楽しみにしています。

 私が言わんとすることはもうお察しのことと思います。“路上のゴミ拾い” 最初は何気なく始めた活動でしたが、今は健常な身体でいる限りこの活動を続け、ご近所がどう変わるかその変化を見続けたいと思っています。“路上のゴミ拾い” は世の中を変える運動にもなり得ます。その目標に向かって、私の同輩や若い者の「手本でありたい」これが今の私の希望であり、挑戦でもあります。

 ご参考のため、私の “路上のゴミ拾い” 七つ道具をご紹介しておきます。コトを始める際は、その日どこまでやったら切り上げるのか、予め決めておくことをお勧めします。

  ● 軍手
  ● 火バサミ
  ● レジ袋(可燃ゴミ用、不燃ゴミ用各2枚以上:大・中の方が
    便利)
  ● スーパーの商品水漏れ防止用小ポリ袋(犬の落し物用3~4枚)
  ○ 大き目の袋(予備品持ち歩き用)
  ○ 黄色のウィンドブレーカー(交通事故防止用)
  ○ 麦わら帽子


自分で始末をつけられる生き方」もご参照ください。
 

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アルコール依存症の回復イメージ

2016-03-18 18:09:10 | 病状
 “ハードウェア” と “ソフトウェア” の意味が十分理解できていないのですが、敢えて生体の器官に当てはめてみます。一定の機能を持っている器官(臓器)そのものを “ハードウェア” とし、器官の機能の使い勝手の良さを “ソフトウェア” としてみます。

 一定レベル以上の機能さえ備えていれば問題ナシとする内蔵などの一般的な器官と異なり、脳は一定レベル以上の機能に加え、使い勝手の良さが要求される器官だと思います。むしろ使い勝手の良さこそが脳の生命線なのかもしれません。

 頭のキレとか頭の冴えとかが脳の “ソフトウェア” に当ると思いますが、脳の “ソフトウェア”  がアルコール依存症から回復するとはどういうことなのでしょうか? 脳の使い勝手のよさとは、多少のストレスを受けてもオタオタせずにブレない、いつでも調和のとれた司令塔の役割を果たすということではないかと考えてみたのですが・・・。

 内科的な病気 ―― たとえば内蔵が障害されたような場合は、血液検査を行えばどの臓器がどの程度重症なのかが数値で分かるのが通常です。回復の場合も同じく血液検査の数値で客観的に確認できます。ところが精神科領域の病気の場合、数値で分かる検査というものがないようなのです。病気であるか否かの肝腎の診断も、診察で得られた病状を診断基準の複数の項目に照合し、合致した項目数で診断を下すという、いわば医師の主観的な判断によっています。同様に回復の度合いについても評価基準はないに等しいようです。

 どんな病気でも、患者にとって最大の関心事はどの程度まで回復が進んでいるかです。いうまでもなくアルコール依存症は脳の病気です。アルコールという薬物を慢性的に使用したことが原因で起きた病気です。精神が障害されているらしいという負い目があるため、断酒後のアルコール依存症者は健常な精神状態に回復しているというお墨付き(診断)を殊のほか渇望します。回復=健常な精神 とはどんな状態なのか、患者自身はぼんやりとしたイメージがあるだけで具体的には分かっていません。

 自助会AAでも “回復” や “健康な心”、“心の落ち着き” などはよく取り上げられるテーマです。それだけ関心が高いのです。私自身も、例にもれず回復したというお墨付きが欲しい口で、医師に回復の診断をどうつけるのか質問してみたことがあります。案の定、数値で回復を確認できる検査はないという回答でした。(少なくとも、もう回復したのではと焦りが見えている内は、まだ回復には程遠いと後になって気付かされました。)

 内科領域では、器官(臓器)が正常に機能しているのか調べる方法に各種の負荷試験があります。代表的な負荷試験として、運動負荷心電図という狭心症の診断に欠かせない検査があります。強制的に運動させることで、心臓を栄養している冠動脈に血液が十分に巡っているのか調べる検査です。運動を負荷することで、心電図上に安静時には現れない変化が明らかになります。断酒後のアルコール依存症は心理的ストレスに敏感だと聞いていましたので、心理的に何か負荷をかけて調べる負荷試験の有無についても聞いてみました。負荷する刺激で病状が悪化する懸念もあるので、今のところないという回答でした。

 「ひょっとして、先生方は患者の顔つきを見て回復したと診断するのでは・・・?」と冗談半分で質問してみました。「ずばりその通りと言うわけじゃないけど、当らずも遠からずですね。・・・でも、10人の医者がやれば10人全員が同じ診断を下すようにはなっていますよ。」血液検査のような客観的な指標はないものの、顔つきや活々した目(目ヂカラ)、規則正しい生活リズム、良好な睡眠、言動の内容などから総合的に診断するのだと説明してくれました。回復者のイメージとして落ち着いたシッカリ者の人物像が浮かんで来ます。

 そういえば作家の曽野綾子氏が言っていました。“他人に道を尋ねられる人物になれ。胡散臭い顔の人物に道を尋ねる人はいない” と。私にも思い当たる節があります。回復したと思しき断酒歴の長い人は晴れやかな顔つきですが、回復途上の人の顔には負い目を背負ったようなどこか蔭りのあるのが共通した印象なのです。

 アルコール依存症に対して現代医療が出来ることは限られているようです。ビタミンB1点滴で身体的回復の方向へ導くこと。抗酒薬で再飲酒を抑止すること。薬で不眠やイライラなどを鎮めること。教育でなぜ諸々の問題を酒で起したのか患者自身に内省を促すこと。医療としてはこれぐらいが限界で、あとは生体の持つ自然な回復力に頼むだけのようです。「精神科領域では統合失調症や双極性障害以外は薬があまり効かない。アルコール依存症などは自然治癒力による回復を待つのみ・・・」と医師は本音を漏らしていました。実際、通院を続けた患者側からみれば、教育こそが断酒後のリハビリとして最も有意義なものだと感じています。

 私の場合、断酒10ヵ月後に “憑きモノが落ちた” 体験をし、それまで続いていた薄物のヴェールを被ったような脳の痺れ感も消えました。それからは鬱積していたものが弾けたような清々した気分になれました。これでアルコールが抜けた、今まではアルコールに囚われた状態だったのだと諸々の異常に気付くこともでき、自由な発想もできるようになりました。それでてっきり回復したと思ったものですが、そうは問屋が卸してくれませんでした。些細なストレスへの反応 ―― たとえば自分の考えとは違う意見にすぐ苛立つなど、妙に感情的で過剰な反応をしがちだとも気付いたのです。それではっきりと課題が明らかになりました。多少のストレスなら柳に風と受け流す心、イライラや落ち込みなど大ブレすることなくしなやかに復元できる心、すなわち平常心を保つことが今後の課題だとということです。

 平常心への手がかりをくれたのは自助会AAでした。現代医療ではカバーしきれないところにこそ自助会の存在意義がある。このことに納得させられました。次の言葉が回復への手がかりになりそうです。

  “ありのままを、ありのままに受け入れる”

ミーティング・テーマとしてよく採用される言葉です。私はこれを次の二通りに解釈しています。

  “ありのままの自分を、ありのままに受け入れる”
  “事実を事実として ありのままに受け入れ止める”

 上段は、「自分は斯くありたい」とする自己の理想像を鑑とするのではなく、欠陥だらけの現実の自己をそのまま受け入れることです。自分にいやな性癖があることに承伏し、マイナス感情の動きもリアルタイムで把握できるようになることと考えています。これこそが自分に正直であることです。決して自分の短所を無理して直そうとすることではありません。

 下段は、他人の考え方や意見に倣った見方ではなく、事実は事実としてそのままに認めることです。偏見や先入観なしでものごとを見ることです。感情的にものごとを見ることではありません。現在の私にとって、これらの言葉を手がかりに平常心を保てるようになることが目標です。平常心こそが現時点での回復イメージです。

 Face Bookに、ひきたよしあき氏が平常心について次のように書いていました。これもよい手がかりになりそうです。

  空気を読む(状況を把握する)
  風を読む(未来を推測する)
  心を読む(心理を分析する)
  英国紳士は昔から、「おだやかなることを学べ」と教えられる。
  どんなときも取り乱すなということだ。
  日本にも「平常心」という言葉があるが、
  我々の場合は心を鍛えて、我慢することで、心の均衡を保つ。
  しかし、英国紳士は、状況、未来、心理を瞬時に判断する学問
  の力で、おだやかでいる。

                               ( )内、ヒゲジイ追記



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“空白” を逸らす時間の過ごし方

2016-03-11 18:26:55 | 病状
 酒を断って1年ぐらいまでのアルコール依存症者にとって、“空白の時間” という言葉は特別な意味を持っています。「時間ほど自分の意の儘にならないものは他にない」この真理を嫌と言うほど味わわされる破目に陥るからです。

 かつては酒さえあれば何とかなるものと、さして気にもしなかった空き時間のことです。が、酒を断った身となってみると、時間が空きそうというだけで怯えてしまうほどなのです。そのストレスでパニック寸前となり、つい再飲酒の誘惑にかられてしまう人もいるようです。そんな際どい心境など健常な人にはとても想像できないと思います。どうしたらいいのでしょう?

 断酒3ヵ月までは、一日が長いことはあまり気にならなかったと思います。どん底の体調から回復に向け歩み出したばかりで、とにかく必死でした。睡眠薬も処方されていたので、午前中の教育プログラム受講中にも坐ったままの姿勢でよく寝ていました。グーグーかいていた鼾が暫く止まったこともあったようで、呼吸が止まっていると大騒ぎされたこともありました。睡眠時無呼吸症候群の無呼吸状態は坐ったままの姿勢でもなるのだと知りました。そんなわけですから時間がゆったり流れているなど気付く余裕などなかったのです。時間がやけにゆったり流れていると気付いたのは断酒3ヵ月過ぎからでした。一日が長い、幼少期に経験したのとよく似た感覚でした。

 お酒を飲んでいるとあっという間に時間が過ぎてしまいます。アルコールの麻酔作用で時間感覚も麻痺させてしまうからだろうと思います。アルコールを断つと、その反跳現象とでも言うのでしょうか、時間感覚が逆にとてつもなく遅く感じてしまいます。それで余計にイライラして落ち着かないのです。「一日のうち、飲酒していた時間の跡に断酒後は無聊な時間が空いてしまい、気持ちが不安定となって時間を持て余してしまう。その空白な時間をいかに手懐け、埋め戻すかということ」断酒後しばらく依存症者が皆苦手とする問題とは、すなわちこの “空白の時間” の問題に他ならないのです。

 断酒10ヵ月後、“憑きモノが落ちた” 体験を経てからこのブログに投稿し始めました。“憑きモノが落ちた” という感覚はアルコールが完全に抜けたことを意味していたのかもしれません。そして、このブログに週一回投稿し始めて約2~3ヵ月経った頃、1週間が速く過ぎるように感じ始めました。それでも1日々々が過ぎる時間感覚としてはあまり変わりがありませんでした。主治医にこの話をすると、「そう、1週間が短くなって来たか・・・」と感慨深げな様子でした。

 それまでの期間、私が専門クリニックで受けた生活指導と私自身が実践したことは次の通りです。まず専門クリニックの生活指導についてです。耳にタコができるぐらい口酸っぱく言われたものです。

  ○ 早寝・早起きなど規則正しい生活を送る
  ○ 毎日通院を続ける(午前8時~午後3時半頃)
  ○ 空腹状態を避ける
  ○ 甘いものが欲しかったら我慢しない
  ○ ノンアルコールビールは禁止
  ○ 勝負事は避ける
  ○ 疲れ過ぎを避ける
  ○ 周囲に断酒中だと明かす
  ○ 飲酒を彷彿させる危険な場に近づかない
  ○ 自助会に参加する

 専門クリニックの生活指導の柱は、生活リズムの立て直しと、イライラする感情を予防して再飲酒を抑止することです。特に大切なのは生活リズムの立て直しです。
夜更かし⇒不眠⇒睡眠不足⇒寝覚めの悪い寝坊⇒後ろめたさ⇒だらしない生活に気分の落ち込み⇒昼過ぎから復調⇒夜更かし。
飲酒時代と同じ生活リズムの悪循環、この悪循環を何としても断ち切らなくてはなりません。

 次に私が実践したことです。生活リズムの立て直しには毎日通院がうってつけと実感できていましたので、これを軸に肉付けすることだけを考えました。

  ○ 夜9~10時には就寝(朝4~5時起床)
  ○ 朝昼晩の三食をキチンと摂る
  ○ 夜の外出は避ける
  ○ 通院時は毎日最寄りの駅まで片道30分歩く(往復1時間)
  ○ 新聞を毎日欠かさず読む
  ○ 毎日PCを起動し贔屓のネットサイトにアクセスする
  ○ 異変や何か “気づき” があればPCにメモする

 ある意味、変化に乏しいワンパターンの毎日ですが、これらを忠実に守り、ものの見事に実践し続けました。自助会AAは昼過ぎから始まるミーティングに限定し、断酒を始めて6ヵ月後から週一回、8ヵ月後からはさらにもう一回の週2回出席し始めました。夜のミーティングへの出席は今でも避けています。ブログへの週一回の投稿は、上述したように断酒10ヵ月後からです。ブログへの原稿作成作業もあり、週日のスケジュールがキッチリ固定されました。これに土日や休日の午前中に4時間行う路上のゴミ拾いが1年6ヵ月後から加わり、1週間のスケジュールが現在のものに固まって行きました。最早、“空白の時間” が生じる隙などありません。

 “空白の時間” を避けるため、何を始めたら良いのか分からない方もおられると思います。自助会に毎日出席している方もいますし、さらに輪をかけるように朝昼晩の3回も自助会に出席し続けるなど頑張っている人も見かけます。恐らく “空白の時間” を避けるのが目的だろうと思っています。ここまでやることが果たして望ましい行動なのか、私には分かりません。

 ところで、私は深く考えた上でブログへの投稿や路上のゴミ拾いを始めたわけではありません。ブログ投稿は、twitterやFace bookに飽き足らずにいたところ、自分史を書いてみようと言った患者仲間の話を聴いたのがキッカケで始めました。ブログなら長文の連載も可能だろうと考えたのです。路上のゴミ拾いは、通院中の専門クリニックの近くを散歩しているうちに何気なしに始めたものです。どうせやるなら自宅近辺をキレイにするのが筋だろうと発想を変えただけの話です。

 “憑きモノが落ちた” 体験前には、事を始めるに際し、あーでもない、こーでもないとその成果や意義を捏ねくり回し、なかなか実行に移せないでいました。そんな私でしたが、ブログへの投稿や路上のゴミ拾いのどちらも、始めてみたら意外にオモシロくまんまと嵌ってしまいました。片や~脳の体操としてうってつけですし、此方~糖尿病の高血糖防止にも有用です。今では継続すること自体に意味があると、後付け(?)ながらその意義を見出しています。

 何かやってみてもイイなと思いついたら即、行動に移してみることをお勧めします。行動の意味付けは後になってからでも構わない、意義は後からついて来るものだと思います。それと、これだけは強調しておきたいと思います。一日の出だし、特に午前中のスケジュールをしっかり固定することです。これは何よりも大切なことです。さらに、できるだけ長い距離を毎日歩くこともお勧めします。体調不良と大雑把に括られる自律神経失調の諸症状は、薬など飲まなくても、歩くことで復調するものだと医師から教わりました。ウォーキングなどでリズムよく歩くことは、単なる軽い運動ということ以上に意義のあることのようです。

 ワンパターンの規則正しい生活リズムを刻むこと。これが “空白の時間” を生まないための、私流の時間との折り合いのつけ方です。ワンパターンの規則正しい生活リズムを完璧に刻んでいると、時間が自然に流れます。その内に飲まない生活に慣れて来ると思います。現に私は、断酒を続けなければならないという強迫感が薄まり、飲まないでいる生活が自然になりました。慢心は危険ですが、いつまでもアルコールに囚われ続けることもないと考えます。ワンパターンの生活リズムを刻むからこそ、その反発からか、却って常識に囚われない創造力が生まれて来るようです。柵(しがらみ)に囚われない自由な発想に我ながら驚くばかりです。



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アルコール依存症の進行プロセス

2016-03-04 17:39:04 | 病状
 今回はアルコール依存症がどういう進行プロセスを辿るのかをお復習いしてみます。私自身、記憶がおぼろげでどんな進行順だったのかハッキリしないことが多かったのですが、特定非営利活動法人 アルコール薬物問題全国市民協会[ASK]の資料を見てよ~く納得できました。家族や職場とのトラブルにも触れており、要点のすべてが簡潔にまとめられてあります。実によくできた資料です。
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  機会飲酒
   ○ 時たま何かの機会ごとに飲む程度。

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  習慣飲酒(スタート地点)
   ○ 日常的に飲み、酒に強くなって(耐性の形成)酒量が増加する。
   ○ 気分の高揚を求めて飲む。

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  依存症への境界線(精神依存の形成)
   ○ ほとんど毎日飲む。酒がないと物足りなく感じる。
   ○ 緊張をほぐすのに酒を必要とする。
   ○ 酒量が増え、ほろ酔い程度では飲んだ気がしない。
   ○ ブラックアウト(記憶の欠落)が起きる。
   ○ 生活の中で、飲むことが次第に優先になる。

   ----------------------------------------------------------------------------------------
  依存症初期(身体依存の形成)
   ○ アルコールが切れてくると、寝汗・微熱・悪寒・下痢・不眠などの
     軽い離脱症状が出現し始めるが、自覚しないことが多い(風邪や
     体調不良と思う)。
   ○ 飲む時間が待ちきれず、おちつかない。イライラする。
   ○ 飲まないと寝つけない。
   ○ 健康診断で酒量を少なめに申告する。
   ○ 家族や周囲が酒をひかえるよう注意し始める。
   ○ 酒が原因の問題(病気やケガ、遅刻や欠勤、不注意や判断ミス、
     飲酒運転検挙など)が起きはじめ、節酒を試みる。

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  依存症中期(トラブルが表面化)
   ○ 二日酔いの朝の軽い手のふるえや恐怖感など、アルコールが切れる
     と出る離脱症状を治すために、迎え酒をするようになる。
   ○ 酒が原因の問題(病気やケガ、遅刻や欠勤、不注意や判断ミス、飲酒
     運転での検挙など)が繰り返される。
   ○ 家庭内のトラブルが多くなる。
   ○ 自分の酒に後ろめたさを感じ、攻撃的になる。
   ○ 飲むためにウソをついたり隠れ飲みをしたりする。
   ○ 職場では、上司からの注意・警告が始まる。
   ○ 節酒を試みるがうまくいかない。

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  依存症後期(人生の破綻)
   ○ 一人酒を好むようになる。食事をきちんととらない。
   ○ アルコールが切れるとうつ状態や不安におそわれるため、自分を保つ
     ために飲まざるをえない。
   ○ 連続飲酒、幻覚(離脱症状)、肝臓その他の疾患の悪化により、仕事や
     日常生活が困難になる。
   ○ 家族や仕事、社会的信用を失い、最後は死に至る。

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     特定非営利活動法人 アルコール薬物問題全国市民協会[ASK]の資料を一部改編)

  概観すると、習慣飲酒⇒精神依存⇒身体依存⇒連続飲酒発作の順で依存症は進行して行きます。これが、入口がやたらと間口の広い癒しの楽園で始まり、惨憺たる生き地獄の終着点へと至る滑落コースの全道筋です。

 “なぜ飲むのか?” 飲酒の理由は、気分の高揚を求めてのことか、あるいは緊張をほぐす目的なのか、どちらでもあり得ることです。体質的に飲めない人でも、人前でイイカッコをしたい(女性にモテたい)一心で飲み始めた人、仕事上の付き合いから已む無く飲むようになった人、いろいろな人がいます。共通するのは飲み続けている内にいつの間にか依存症になっていたということです。そして、何か不愉快でオモシロくないことがあったときには決まってお酒に走るようになっていたのです。

 習慣飲酒は、習慣的飲酒とも言い、私も依存症のハシリの状態と考えています。(ほぼ)毎日飲まずには済まない状態のことで、どんどん酒に強くなる耐性獲得の過程です。少しのお酒では酔った気がしなくなり、酒量は増える一方です。その場の習わしとして酒が出て、付き合いで飲む普通の飲酒習慣(機会飲酒)とは意味合いが違います。既に精神依存となった段階とも思えます。

 ブラックアウトは最初に経験する異常ですが、飲んでいて途中から記憶が欠落してしまい何も覚えていないことです。傍から見ると所謂 “目が座った” 状態のことで、大抵は深酒中の最中に起こります。急性アルコール障害の一つとされていますが、依存症に直結する “飲み出したら止められない” ―― “飲み方の異常” と言われる徴候が始まったとみるべきでしょう。頻発するようになると、アルコール性認知症に進展するとも言われています。

 依存症に特有の身体依存は、アルコールが体内から切れかかった時に出る離脱症状が特徴です。私の場合は、お昼前後になると掌に汗ビッショリというのが離脱症状の最初だったと思います。深酒した翌朝、決まってカゼのような症状に見舞われたことも離脱症状だったのだと、この資料で気づかされました。

 振戦(手のふるえ)は代表的な離脱症状です。私の場合も症状が出たのはやはりお昼前後以降からでした。手が振るえて字が書けないことは言うまでもなく、お昼時、カレーライスをスプーンで口に運べないとか、出されたお茶を溢しそうになって、茶碗に両手を添えて卓に置き直したことが何度もありました。その他、宴会で瓶ビールをグラスに注げない、あるいはグラスに受けることができないなど、振戦で悩まされたことは枚挙にいとまありません。アルコールを口にするとピタッと治まるので、否応なしに離脱症状なのだと納得させられました。

 “節酒が上手くいかない” ―― 酒にまつわるさまざまな失敗やトラブル続きで、さすがに酒を控えようと試み、一日の飲む量を減らしたり、休肝日を設けたりしますが、どう頑張っても1週間も続きません。結局、元の木阿弥どころか却って酒量が増えるのがオチです。しばらく禁煙した後、再喫煙すると一気に本数が増えるのと同じ現象です。依存症が進行している証拠です。一生、酒と縁を切る以外、他に手立てはありません。

 “朝から飲酒” などが始まると、“連続飲酒発作” まで一直線となります。所謂 “底が抜けた”  と言われる状態のことで、酒を飲んでは寝、飲んでは寝の繰り返しになることを言います。食事もほとんど摂らず、室内は空きビン、空き缶、レジ袋のゴミの山、下手をすると排泄物の垂れ流し状態にもなります。失神・転倒やブラックアウトの繰り返しも起こります。最早何も考えられず、自分ではどうにもならない末期の状態です。“山型飲酒” パターンという変型もあるそうです。連続飲酒の後、長ければ2~3ヵ月間の休酒期間を挟み、再び連続飲酒へと移る、つまり連続飲酒と休酒期間を繰り返すパターンのことです。幸い私は “山型飲酒” パターンを経験しないで済みました。

 アルコール依存症者は、“飲まないでいる限り”、健常者と同じように生きていけるようになります。これを回復と言います。回復のための必要十分条件は断酒を継続することだけです。

 アルコール依存症者の平均的死亡年齢は52~3歳です。今回の記事を読んで心当たりがある方は、命(=断酒)を採るか、酒(=死)を採るかの二者択一で一発勝負してください。断酒を継続するには、自分はアルコールには勝てないと観念し、降参することが絶対条件です。否認の病というだけあって、この心構えが最も難しく是非とも必要なことなのです。「もはや自分一人の力ではどうにもならない」と観念し、降参する所まで追い詰められないと専門医を受診しても無駄です。自分が酒を飲むのは他が悪いからと、他者に責任転嫁し自分を甘やかしている間は無理です。

 アルコールに降参という心構えでいる限り、どの段階からでも断酒を始めることが可能です。自分はアルコール依存症であり、アルコールに無力だと自分自身が心の底から納得しなければ、つい再飲酒してしまい、その都度さらに悪化を繰り返すのがアルコール依存症の怖さです。生涯治癒することがない恐ろしい病気である所以です。

 改めてアルコール依存症とはどんな病気か、お復習いしておきましょう。

  ● 時間や場所を弁えない “異常飲酒
  ● “最初の一杯” で抑えが効かなくなり、必ず “次の一杯” に
    いってしまう “飲酒コントロール喪失
  ● 断酒するしかなく、再飲酒したら元より酷い状態になる “進行性
    の病気

  ● 回復することはあっても治癒することのない “不治の病


飲酒に伴う諸症状については次の記事をご参照ください。
こんな望みが叶うなら、また酒を飲んでみたい?
アルコール依存症患者の末期の姿についてはこちらの記事で。
私の底着き体験・断酒の原点


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