ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

飲酒当時の不自由 断酒後の不自由(下)

2016-06-24 18:06:17 | PAWS
 断酒を始めてから困ったことといえば、睡眠障害(頻回の中途覚醒)、記憶障害(想起障害を含む)、情動障害(ドライドランク)、心理的ストレス感受性の変化、思考プロセス障害といった症状だと思っています。いずれもアルコールの急性離脱後症候群(Post Acute Withdrawal Syndrome:PAWS)の症状です。

 断酒直後から始まった睡眠障害は断酒10ヵ月後までに解消されました。この睡眠障害を除き、いずれの症状も断酒3ヵ月後ぐらいから上の順に現れてきました。これらの中で、心理的ストレス感受性の変化などは、会話中に何か神経に触ることがあった場合に気付かされますが、そんなキッカケがない限り自覚することはなく、不自由など感じずに過ごせています。もしもあった場合は、“一息ついて 一歩引いて” です。

 断酒歴2年8ヵ月の今でも、日常的に不自由を覚えるのは記憶障害に含まれる想起障害と、思考プロセス障害です。

 記憶障害とは、物覚えが悪く、直近のことでも直ぐ忘れてしまう短期記憶の障害と、意図した目当ての言葉がなかなか頭に浮かんで来ない想起障害の二つからなります。短期記憶の方は大分改善し、最近はあまり苦にならなくなりました。

 その一方で想起障害の方は、まだまだ酷い状態のままです。言葉のイメージが喉まで出掛ってはいても、言葉として出て来ないので、もどかしいったらありません。それが随分時間が経ってから、歩いているときなどに、その言葉がポッと浮かび上がって来るのです。すぐに書きとめておかないと再び忘れてしまいます。記憶障害があれば大きな判断ミスを起しそうですが、今年の “十日戎” で味わった一風変わった奇妙な体験以外、今のところ心当たりなく過ごせています。

 思考プロセス障害とは、早い話、(体験談のような)まとまった話をしようとすると、なかなか考えがまとまらないことに尽きると考えています。話すにしろ、書くにしろ、いざ構えると言葉や文案が散り散りバラバラに頭の中を飛び交い、まとまりがつかないばかりか諄(くど)くもなります。論旨の展開にも相当難義しています。本筋から大きく逸れても、多くは気付きません。論理が混乱し、“てにをは” の類の助詞の使い方さえ分からなくなることもしょっちゅうです。

 こんな状態ですから、早々に疲れてボーッとしてしまい、集中力が長続きしません。パソコンが固まるように思考停止となってしまいます。意図した言葉そのものが出て来ない、あるいは複数の候補は出て来るものの、最適な言葉がなかなか頭に浮かんで来ないことが原因の一つのようです。ですから、思考プロセス障害は、根底に想起障害があってのことと考えています。

 以上のことは、これまで幾度かこのブログで記事にしてきました。詳細は文末の記事リストから参照していただくことにし、ここでは私が採っている対処の方法を述べてみようと思います。どうやってこれらの障害と折り合い、凌ごうとしているかです。

 まず、想起障害への対処の方法についてです。

 メモに書き残す
 いの一番に採るべき手立ては、「メモを残す」に尽きます。何しろ時や場所を選ばず、不意に言葉が浮かんで来ます。歩いていたなら、立ち止まってでも手帳に書きとめておかないと忘れてしまいます。メモ用紙がなかったら、レシートの裏でも、駅や役所の申し込み用紙でも何でもいいのです。とにかく浮かんで来た言葉や文案を書きとめます。断片的でも構いません。後で十分思い起こさせてくれます。

 体験談の場に身を置く
 私は、自助会AAのミーティングから帰るやいなや、直ぐにテーマや話題を思い返しては、自分なりに考えをまとめて書き残すようにしています。ミーティングの場で想ったことをさらに敷衍し、自分の考えを補足・修正するのです。体験談の場では切実な言葉が語られます。そのような場に身を置くことは記憶機能を刺激します。メンバーの体験談を聴いていると、記憶の奥から蘇る言葉があり、貴重な “気付き” も得られます。体験談の場に身を置くことは、想起障害の手当てとして打って付けだと考えています。

 次いで、思考プロセス障害への対処の方法についてです。

 思考プロセス障害のリハビリには文章を書くことしかないと考えています。そのため、ほぼ毎日頭を捻ってはキーボードを叩き、ブログの原稿作成に励んでいます。書いたものなら、変な箇所は眼で見てはっきり分かります。書きながらでも、読み返してみては、違和感がなくなるよう、何度も何度も修正を繰り返しています。なかなかうまくいきませんが、他に妙案はなさそうなのです。だから、ひたすら励むだけです。

 その際、ボーッとして考えに行き詰まり始めたら、そこで直ぐに切り上げ、できれば睡眠をとることにしています。ボーッとしてきたら、脳が疲れて思考停止となる兆しと考えています。無理して続けても徒労に終わるだけです。睡眠をとった後は不思議なくらい捗ります。

 その他、私が日常的に実践していることは、最短でも4 km以上の距離を毎日歩くことです。路上のゴミ拾いを兼ねていますが、血糖値の管理によいというばかりでなく、社会貢献ができているという意識で気分が充実し、精神衛生上も欠かすことができません。

 一般的に以下のことが脳の記憶機能に好影響を及ぼすと知られています。体験談を聴くことも、文章作成や毎日の歩きも、これらにピッタリ当てはまっています。
 ○ 手や耳などの器官を刺激して記憶したものは長く保持されやすい
 ○ 軽い運動は脳の血流をよくして記憶を司る海馬の脳細胞を増やす
 ○ 歩くことは前頭葉の働きを活発にしてくれる


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 読者の中には、断酒後の不自由と聞いて、飲酒欲求やドライドランク、“空白の時間” を期待した方もおられたことと思います。

 今しがた見たばっかりの変な夢を思い出し、どうやら潜在的な飲酒欲求が深層心理にあるようだと思わせられたことはありました。が、病的な飲酒欲求に見舞われたことはありません。

 一方、飲酒欲求を誘うのがドライドランクや “空白の時間” です。

 ドライドランク、特にハイテンションになった場合は、その場で自覚することはまずありません。それが過ぎた後で、「危なかったぁ!」と胸をなで下ろすぐらいのものです。一度でも自覚できれば分かりますから、即座にこれは変(?)と気付けるまで、ひたすら用心するしかありません。

 “空白の時間” は厄介ですが、うまく逸らすには、一日単位・一週単位で生活リズムを規則正しく刻むこと、これに尽きると考えています。専門クリニックの充実した教育カリキュラムの組み方と、休日にも生活リズムを乱さないよう心掛けたお蔭で、どうにか “空白の時間” を逸らすことが出来ています。ありがたいことです。


主に想起障害と思考プロセス障害について述べた記事をリストしてみました。こちらもご参照ください。

 「アルコールPAWS(急性離脱後症候群) ― 断酒してボケが始まった?」(2015.8.28)
  この記事ではPAWSを概観し、想起障害と思考プロセス障害の事例を紹介しています。

 「あなたは “脳組”? それとも “肝組”? (下)」(2016.01.01)
  この記事では、記憶障害と価値判断にまつわるエピソードを紹介しています。

 「“物忘れ” ― 単なる健忘? それとも認知症?」(2016.01.29)
  この記事では、“病識のない”認知症と記憶障害の違いについて述べています。

 「再びアルコールPAWS(急性離脱後症候群)について(上)」(2016.2.12)
  この記事では、私が経験したPAWSの各症状を概観しています。

 「再びアルコールPAWS(急性離脱後症候群)について(中)」(2016.2.19)
  この記事では、“心理的ストレス感受性の変化”と思われるエピソードを紹介しています。

 「再びアルコールPAWS(急性離脱後症候群)について(下)」(2016.2.26)
  この記事では、“十日戎”での一風変わった奇妙なエピソードを紹介しています。

 「アルコールPAWSの一つ “思考プロセス障害” の軛(くびき)」(2016.5.20)
  

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飲酒当時の不自由 断酒後の不自由(上)

2016-06-17 08:52:21 | 病状
 酒飲みの人なら酒絡みの失敗談の一つや二つは必ずあると思います。ましてや、アルコール依存症(アル中)にまでなった人なら、酒害体験は数えきれないぐらいあるでしょう。かくいう私もその口です。

 アルコール依存症の末期には、失神・転倒発作の繰り返しや、失禁に近い “ゆるゆる” 状態の頻発、頻繁なブラックアウトで記憶が断片化したこと、幻視・幻聴など、生死の瀬戸際まで追い込まれました。私はこれを身体的 “底着き体験” と呼んでいます。

 同時期に進行していたビタミンB1欠乏による運動障害(アルコール性小脳失調)にも悩まされました。起床時に布団から立ち上がれなくなったことや、着替えのときにボタン嵌めができなくなったこと、下りの傾斜や階段を普通に歩いて降りられなくなったことなど、まさしく日常生活そのものが障害され、後は介護を待つのみに近い状態でした。

 つい先日のことです。通院中の専門クリニックの教育プログラム・ミーティングで表題のテーマが取り上げられました。そのとき咄嗟に浮かんで来たのは、どういうわけか手の震え(振戦)で字が書けなかったことでした。生死の瀬戸際に立たされたときの体験とか、ビタミンB1欠乏症により日常生活そのものが立ち行かなくなった体験は、なぜか浮かんで来なかったのです。命に関わる体験を差し置いて、なぜ振戦だったのか? ここには深く刷り込まれるに至った道理(わけ)があったのです。

 アル中の代名詞でもある振戦に怯えていたのは現役のサラリーマン時代でした。手が震えて字が書けないぐらいで死にはしません。が、社会的には死んだも同然になり得ます。いや、正確に言うと、社会的に葬り去られるのです。そのことを恐れていました。

 40代後半の私には、住宅ローンの返済、崩壊した家族関係の立て直し、息子たちの結婚、住い近くに墓地を誂えること等々、まだゝゞ頑張らねばならない宿題を抱えていました。先立つものはお金です。文字通り現金なものばかりでした。

 当時、私は新薬の臨床開発を担当しており、チームリーダーを務めていました。患者の命に関わる仕事に、アル中患者が携わるなど許されるはずがありません。手の震えを見咎められ、アル中であることがバレでもしたら、即刻職を解かれ入院加療となるのが必至でした。そうなればボーナスもなくなります。ボーナスは年収の半分弱を占めていたので、そうなったら万事休すです。

 その頃はまだ、電子署名のハシリの時期でした。会社でもまだ採用しておらず、まだゝゞ直筆の署名が巾を利かせていました。議事録や教育研修参加時には、必ず署名が求められていました。当時も今も署名ができなければ、社会では一人前のまともな人間とは見做されません。当時の会社勤めのサラリーマンは殊に、署名ができないと欠陥人間の烙印を押されてしまい、産業廃棄物になるのがオチでした。職を解かれるどころか、会社にもいられなくなるのは確実で、再就職も絶望的と思えました。

 世の中から見放されるかも・・・、これ以上に恐怖心を煽るものはありません。経済活動に現役で従事していた当時、不自由に悩まされた酒害の筆頭は間違いなく “振戦” でした。

 「こんなままでは終われない。」まだゝゞ未練たらたらで、まともな神経を保っていました。休日は昼間だけでも酒から離れていなければと、掛け軸の表装講習会を受講したり、西国三十三ヵ所巡礼を始めたりしました。背に腹は代えられなかったので、振戦を隠し通すことに必死だったのです。野心と呼ぶほど毒々しくはありませんが、上昇志向がまだゝゞ健在だったのだと思います。

 それが、ひょんなことから後輩社員に振戦がバレたりしぃーの、50代になるや、担当していた新薬の申請取下げや、昇進・昇給の年齢制限導入(制度化)、“死の四重奏”と呼ばれる成人病の挙句の狭心症発症(後に再発)、実戦部隊から窓際族(教育担当)への異動などが次々にありぃーので、上昇志向の思惑通りには事が運びませんでした。その一方で、住宅ローンの繰り上げ返済で借金の帳消しができ、二男の挙式や、墓地の購入などの宿題を済ませ、定年退職まで何とか持ち堪えることができました。常識的に見たら、まずまずの結果です。

 ところがその都度、心の支えが一本また一本と消えて行く侘しさが感じられたのです。侘しさ即ち喪失感です。不自由という言葉を聞いて、このことが蘇って来ました。それで振戦を忘れがたい記憶として話したのだと思います。


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 余談ながら、ここで思い付いたことを一つ述べておきます。 重い荷に耐えるには気力を振り絞るしかありません。その気力を生み出すのは意欲です。重い宿題と思い込んでいたものが、実は「生きて行かねば・・・」という意欲を掻き立て、心の支えとなっていたのです。そう気付かされました。重い宿題が一つまた一つと減ったなら、普通はその都度身軽になって清々するはずです。それが一つ減るごとに気力が薄れていきました。味わったのは、達成感とは真逆の喪失感でした。

 アルコールが原因のビタミンB1欠乏症となると、何に対しても意欲が全く湧かなくなる精神状態になります。こんな精神状態でも、専門クリニックで断酒開始直後からほぼ5ヵ月間にわたりビタミンB1の点滴補充を受けた結果、見事に意欲が回復できた経験があります。極めて “精神的なもの” である意欲が、ビタミンB1を補充したことで回復したのです。それを思うと、長年の飲酒習慣と食に偏りのあったサラリーマン当時は、日常的にビタミンB1の補充が追いつかなかったのでしょうか。アルコールが “うつ” 症状を悪化させるのと根が同じ病理を想わずにいられません。



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忘れてはいけないこと 忘れられない言葉(下)

2016-06-10 05:30:07 | 病状
 “喉元過ぎれば 熱さ忘れる” どんな辛い体験でも過ぎてしまえば忘れるもの。これがあるから、過去にどんな辛い体験があっても、いつまでも引き摺ることなく前向きに生きられるのかもしれません。が、アルコール依存症者にとってこの言葉は、命取りとなる再飲酒の誘惑に用心せよとの戒めでもあるのです。
 生まれて初めて断酒に取り組んで、そのまま長く続けられたという大酒飲みはいないはずです。もしいるのなら、その人はアルコール依存症ではなかったのでしょう。大酒飲みなら誰しも、ブラックアウトでとんでもない不始末をしでかしたとか、肝臓をやられたとか、警察沙汰か健康問題で一度は禁酒を決意し、実際に試みたことがあるはずです。大抵はせいぜい1週間程度、何とか禁酒を持ち堪えた後、もう大丈夫だろう(?)と再飲酒してしまったのではないでしょうか。そして、禁酒以前よりもお酒の量が遥かに増えてしまった経験の持ち主でもあると思います。

 アルコール依存症になった人たちは、まさにそんな経験を何回もした人々です。断酒歴の長い人でも一回目の酒断ちで成功した人はいません。何回かの断酒 ―― 再飲酒(SLIP)を繰り返して、やっと継続断酒に辿り着けたという人たちです。

 断酒歴の長い人は、何を心掛け、どのように用心してきたのでしょうか? 彼らに共通しているのは、挫けそうになる気持ちをしっかり支えてくれた大切なものを持っていることです。大切なものとは、“忘れてはいけないこと 忘れられない言葉” のことです。

 酒に溺れた挙句の家庭内不和 ⇒ 別居・離婚・家庭崩壊 ⇒ 一人暮らしで身体的・精神的にボロボロの状態 ⇒ 仕事も財産も失う。大方のアルコール依存症者が共通して辿った道筋です。このような状況での “忘れられない言葉” が酒害体験で何気なく語られる場合があります。彼らの記憶に残り、体験談で語られた “忘れられない言葉” を挙げてみます。

「死ぬのはいいが、離婚してからにしてくれ!」
再飲酒からすぐに連続飲酒状態となり、夫に「飛び降りて死にたい」と口走ったときに言われた言葉だそうです。この言葉で我に返ったと語っていました。

「オトン、これが最後だ!もう二度とないよ!」
ホームレスにまで身をやつした挙句、息子の手配でどうにか精神科病院で3ヵ月間の入院加療後、退院時に息子から告げられた言葉だそうです。その後、一度も会えないでいるそうです。

 お分かりのように、これらはいずれも家族に見放されたとき、“忘れられない言葉” として心に突き刺さったものです。これらの言葉がキッカケで、本気で断酒に取り組むことになったと語っていました。

 見放されたときの言葉の一方で、自分は信用されていると実感できたときの誉め言葉を “忘れられない言葉” としている事例もあります。心の底から断酒を続けようと決意を固めるに至った嬉しい言葉だったようです。

「父さん、普通に戻れてよかったね!」
専門クリニックに毎日通院し、酒を断ってから半年余り経て、久しぶりに再会できた愛娘からかけられた嬉しい言葉だったそうです。顔つきや話しぶりから娘さんに分ってもらえたのでしょう。こんな場面でこんな言葉をかけてもらえたら、誰でも嬉しいハズです。

「抗酒剤? もう止めていいですよ!」
専門クリニックに毎日通院していたとき、主治医から言われた言葉だそうです。抗酒剤の服用期間は普通1年のハズですが、1年半も断酒が続いているにもかかわらず、なお止めてよいと言ってもらえない状況で、主治医に恐る恐るお伺いを立てたときの返事だったそうです。「自分は信用されている」と心に沁みたと語っていました。

 以上のように、家族から見放されたときのキツーい言葉か、あるいは自分は信用されていると思えた言葉が “忘れられない言葉” になったようです。心の底から「酒を止めるんだ」という固い覚悟がなければ断酒を続けることは出来ません。“忘れてはいけない” 過酷な酒害体験があってこその “忘れられない言葉” です。

 アルコール依存症で断酒歴の長い人々でも、ついゝゝ普段は忘れがちのようです。自助会参加がしばらく途切れると、気の緩みに気付くと言います。定期的な自助会参加によって “忘れてはいけないこと” や “忘れられない言葉” を呼び起しては、酒席などの飲酒環境を避(よ)けるよう、常に用心を怠っていない人々なのだと思っています。そうすることで、危うい場面を何度も何度も乗り越えて来ている人々なのです。

「AAのミーティングに出たお蔭で酒が止まっている。」
「(AAの)仲間の顔や話を思い返すことで酒を思い止まることができた。」
自助会AAの体験談でよく聞かれるメンバーの正直な言葉です。傍から見れば、AA持ち上げのヨイショとも思え、その場のウケを狙ったと受け取られかねない言葉です。意地悪な部外者なら、「本当かなぁ?」と鼻白む場面なのかもしれません。

 2年間AAに通い続けた今の私には、掛け値なしで胸の内を正直に語った言葉だと思えます。かつては話し手がどんな出来事を酒害としているのか、話のエピソードの方に関心があったのですが、最近はどんな気持ちで話しているのか、生き方や考え方の方に関心が向き始めています。だからでしょうか、話し手が何気なく漏らした言葉が耳に残るようになったのだと思います。このように体験談が聞ける場は、“忘れてはいけないこと 忘れられない言葉” を気付かせてもらえる貴重な場になっています。


 その気になりさえすれば、怒りも、不安も、悩みも、グチも、ボヤキさえも吐き出し放題できるのがAAのミーティング。・・・あくまでも話し手が、腹をくくって掛ればの話です。こうなれたら、しめたものです。鬱憤晴らしで平常心を取り戻せること請け合いです。



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忘れてはいけないこと 忘れられない言葉(上)

2016-06-03 08:09:18 | 病状
 “喉元過ぎれば 熱さ忘れる” どんな辛い体験でも過ぎてしまえば忘れるもの。これがあるから、過去にどんな辛い体験があっても、いつまでも引き摺ることなく前向きに生きられるのかもしれません。が、アルコール依存症者にとってこの言葉は、命取りとなる再飲酒の誘惑に用心せよとの戒めでもあるのです。

 生まれて初めて断酒に取り組んで、そのまま長く続けられたという大酒飲みはいないはずです。もしいるのなら、その人はアルコール依存症ではなかったのでしょう。大酒飲みなら誰しも、ブラックアウトでとんでもない不始末をしでかしたとか、肝臓をやられたとか、警察沙汰か健康問題で一度は禁酒を決意し、実際に試みたことがあるはずです。大抵はせいぜい1週間程度、何とか禁酒を持ち堪えた後、もう大丈夫だろう(?)と再飲酒してしまったのではないでしょうか。そして、禁酒以前よりもお酒の量が遥かに増えてしまった経験の持ち主でもあると思います。

 私も一般病院で手の振戦を見咎められ、初めてアルコール依存症と診断されたことがキッカケで、医者から禁酒を命じられました。御多分に漏れず、それからというもの、何度か断酒を試みてはその都度失敗しています。今回の断酒は、専門クリニックで改めてアルコール依存症と診断を下され、有無を言わせず始めさせられたものです。

 初回診断時と決定的に違うのは、最低3ヵ月間の毎日通院と充実した教育プログラムでした。この病気がなぜ問題なのか、その怖さと難しさを徹底的に刷り込まれました。一杯のつもりの酒で元の木阿弥となってしまう不治の病であること、まだ大丈夫アル中なんかじゃないと思いたがる否認の病であること、酒害体験を決して忘れないことが断酒継続に必須なこと、等々です。

 このようなプログラムを受講したにもかかわらず、再飲酒してしまう人は猶います。身体の方は回復していますから、“喉元過ぎれば・・・” で仕方のない面もあります。それを防ぐ意味で、初心者プログラムを終えた患者には、心理社会的治療として自助会風のテーマミーティングが持たれます。与えられたテーマに沿って話すことと、言いっ放し、聞きっ放しに徹することだけがミーティングでのルールです。

 先日のテーマは “忘れてはいけないこと” でした。初心者プログラムで口酸っぱく言われ続けたことのお復習いと受け取ることもできるテーマでした。

 今回は初めて、“忘れてはいけない” 酒害体験として、以前患者仲間の体験談から思い出せたビタミンB1欠乏による運動障害(アルコール性小脳失調)について語ってみました。

 以前なら、“いの一番” に思い浮かべたのは、専門クリニック初診時前後に経験した諸々の症状(体験)でした。初診1ヵ月ほど前から断酒開始直後にかけて、私が味わった悲惨な経験のことで、身体的 “底着き体験” と、私なりに位置付けているものです。頻繁なブラックアウトで記憶が断片化したことや、失神・転倒発作の繰り返し、失禁に近い “ゆるゆる” 状態、幻覚・幻聴がそれです。

 しばらくして、精神的 “底着き体験” についても話題にするようになりました。断酒10ヵ月後に突然味わった “憑きモノ” が落ちたとでも言うべき体験のことで、断酒してから酷くなった性的妄想やら、ずぅっと薄物のヴェールを被っていたような脳の痺れ感やらが消え、アルコールの毒が抜け切ったと実感できたことです。このことは私個人に特異的な体験と考えています。

 それが断酒何ヵ月目かに、重大な見落としをしていたと気付かされました。キッカケは、専門クリニックの例会で聴いた、患者仲間のビタミンB1欠乏症についての酒害体験でした。私にも同じことがあったと気付かされたのです。

 起床時に布団から立ち上がれなくなったこと、着替えのときにボタン嵌めができなくなったこと、下りの傾斜や階段を普通に歩いて降りられなくなったこと、要するにビタミンB1欠乏症で身の回りのことが一人では出来なくなっていました。人を巻き込み、人の介助なしではもはや生きて行けそうもない、と覚悟を迫られた切実な問題でした。まさに “喉元過ぎれば・・・” で、すっかり忘れていたのです。

 先に挙げた身体的諸症状は、死期が近づいていると思わせるに十分で、聴き手も共感できるハズの、いわば派手な体験でしたが、その一方でビタミンB1欠乏症という一見地味に見える体験もあったのです。地味ではありながら、これも “忘れてはいけない” 重大な身体的 “底着き体験” です。それを患者仲間が思い起こしてくれたのです。体験談の大切さが身に染みました。

 上に述べたことはいずれも立派な酒害体験ですが、“忘れられない言葉” が酒害体験で語られる場合もあります。今回のテーマミーティングで聞いた患者仲間の体験談に触発され、久々に思い起された妻の言葉がありました。キツーい一言の一字一句が蘇って来たのです。そのキツーい一言とは・・・
「あなたの介護なんか、私できないからね!」

 院内規則違反の名目で一般病院から強制退院させられ、自宅に戻って来たときにこう通告されたのです。便失禁やら失神転倒やらの挙句、やっと一般病院に入院(4泊5日)できたにもかかわらずのことでした。とうとう見放されたと思いました。この言葉のお蔭で、精神科を受診するしかないと踏ん切りがつき、今の専門クリニックに繋がることができました。私にとって、まさしく “忘れられない言葉” なのだと気付かせてもらいました。

 このように体験談が聞ける場は、“忘れてはいけないこと 忘れられない言葉” を気付かせてもらえる貴重な場になっています。ありがたいことです。
(次回に続きます)



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