ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

死の現実を突きつける荼毘

2017-11-28 06:51:53 | 雑感
 田舎の姉が冥土に旅立ちました。私の田舎では荼毘を告別式前に済ますのが通例ですが、告別式前に荼毘に付すという流れは、近親者に故人の死を現実と受け容れるよう強く促す儀式なのではと考えさせられました。

 実は、火葬場で行われる儀式に参列したのは今回が初めてです。不謹慎と思われるかもしれませんが、参列したとき私に去来した感慨をありのままに述べてみます。

 まず、葬儀の前夜のことから始めます。泊った先は実家で、今は甥が一人で住んでいます。家督を継いだ姉が、古くなった家を自力で建て替えたものです。姉はパーキンソンを患っていて、自分の意志で半年前からその家を出て老人ホームに入所していました。

 それから半年経っても、家財道具は姉の生前そっくりそのままに残されています。姉のお気に入りだった広い台所も、自炊をしない甥はほとんど使っていません。その台所に立つと、今にも姉が笑顔でガラス戸を開け、元気な姿を現わすのではと何度も思わされました。そういう意味で、姉は私の中ではまだ生きたままで、生前の感傷に強く囚われるのも仕方のないことでした。

 翌日の葬儀の日、棺に入っている姉の亡骸に会いました。死に化粧のつもりでしょうか、唇が少し開いて前歯が覗いていました。業者がよかれと思ってやったことでしょうが、どう見ても違和感があり、生前の微笑みとはほど遠いものでした。やはり亡骸は亡骸で、生前とは似ても似つかないものだと思い知らされました。

 火葬場で初めて焼き上がったばかりの人骨を見ました。原形を何とか保っていたのは頭蓋骨、骨盤、大腿骨など大きな骨だけでした。当たり前ですが、故人の面影はどこにもなく、生き物が物質界に帰るとはこのことかと腑に落ちた気分でした。

 遺体の焼却を担当している人々は日々同じ光景を目にしているのです。彼らにしてみたら、死というものに対する特別な感傷など自然に失せるものだろうと思わざるを得ませんでした。

 こうした現実の出来事は、私の姉に対する感傷を見事に断ち切ってしまいました。荼毘に付された遺骨はそれだけ強烈なものでした。そのせいか、遺骨を前にして執り行われた告別式では、いつになく淡々とした感覚に囚われてしまいました。

 甥は、姉の建てた家をそのうちたたむつもりと言っています。一人住まいには広すぎるというのが表向きの理由ですが、どうやら本音は他にあるようです。

 姉と甥の間には軋轢があったようで、そのことを生前の姉はいつも電話で溢していました。親離れ・子離れできない母子関係によくあることで、甥の方もその葛藤には長いこと悩んで来たようなのです。そんな辛い想い出もあって決めたことなのでしょう。

 姉の建てた家を取り壊してしまったら、最も大切な形見が無くなってしまうのです。姉が人生を賭けて建てた家なのですが、そんな姉の思いを知っているだけに、主のいなくなった家は虚しく哀れを誘うばかりでした。

 恐らく故人の思い出というものは、遺された者の思惑如何で否応なしに遠ざけられるものなのでしょう。
 偲ぶよすがの無くなれば 故人の面影 夢幻の如くなり・・・です。



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“争う” ことを止め “競う” ことにしよう

2017-11-24 08:01:47 | 自分史
 AAではさまざまなテーマを立ててミーティングを持ちます。先日のテーマは「 “争う” ことを止める」でした。ときに、“闘う” というテーマもあるのですが、“争う” としたことになぜかシックリするものがありました。

 生物が背負う最大の宿命は “生き残る” ことで、すべての生物の遺伝子にこの命題が刷り込まれています。上を目指して張り合うのはその現れで、他者を蹴落としてまでも “争う” 闘争なのか、自分自身を磨くことで他者と “競う” 競争なのか、そのどちらも駆使しての生き残りなのだと思います。人の生き様は、この “争う” と “競う” のどちらに比重を置くかによって決まるもののようです。

 思えば上昇志向に駆られていた頃の私は、例に漏れず他人との競争 / 闘争に明け暮れていたようなものでした。

 生まれ育った岩手の田舎では、なまじっか勉強がよくできた方だったので、小学生の頃から教師はもちろん近所の大人にも一目置かれていました。それが内心得意でなりませんでした。

 中学で不登校になったとき、校長がわざわざ家庭訪問にやって来て、旧帝大にも入れるぐらいの実力とおだててくれました。登校を促すためとは薄々気づいていましたが、このように直に褒められてはその気にならないわけにいきません。

 丁度その頃、夏休みを利用して次姉のいる東京に遊びに行ったのですが、次姉の勤務先は最高学府とも言われている一流大学の目の前にあり、初めて見る大学の偉容に心を鷲掴みにされました。これが直接の動機となり、“豚もおだてりゃ木に登る” 物語が始まりました。

 成績順にクラス分けしていた高校では、実力試験の度に学年順位が壁に張り出され、2年のときに常時2番をキープするまでになりました。これで一層馬車馬のような勉強三昧に拍車がかかりました。自分の身の丈を弁えずに勉強での成績を実力と勘違いし、愈々彼の一流大学を目指すことになったのです。この頃までが私の人生で純粋に “競う” 競争時代だったと思います。

 2年の浪人生活を経て、どうにか志望大学に入ったのですが、上には上がいるものだと否応なしに思い知らされました。生まれ育った文化的素地の格差にすっかり自信をなくし、大学時代は劣等感から大人しくしていました。ところが新卒で入った会社では、同期の学歴をみるにつけ自分が上で当たり前という傲りに目覚めてしまったのです。たったこれだけの理由で再び競争 / 闘争心に火が付き、今度は明らかに “争う” 闘争モードに入っていました。

 楽な生活には高い給料、高い給料には昇進するしかありません。業務知識の習得にはそこそこ努めたつもりでしたが、そんな勉強だけでは昇進させてはくれません。なかなか結果が伴わず、これはという業績を出せないことに焦りが募りました。それでもしばらくして小さなプロジェクトで小さな成功を収めることができました。そんな時です、とんとん拍子に昇進する先輩社員を見て、どうにもならない嫉妬心を覚えるようになったのです。

 本来 “争う” のはほぼ同じレベルの者同士がするのであって、レベルのはっきり違う相手にするものではありません。先輩とは業績の格が違っていたのですが、嫉妬心はそんな違いなどお構いなしなのです。仕事のしんどさにも加勢され、そんな心のざわめきをうまく抑え切れませんでした。

 そんなわけで、唯々好きな酒に縋るばかりになりました。その挙げ句の果てがアルコール依存症となった無残な自分の姿だったのです。まさに “生き残る” という命題に裏打ちされた上昇志向のなせる業でした。

 一旦上昇志向に駆られると、次から次へと新たな競争 / 闘争相手が現われ、どこまで行っても終わりはありません。それでも “生き残る” という宿命を背負っているからには死ぬまで競争 / 闘争から逃れられないのです。

 他者と張り合うことは進歩を促すプラスの働きもしますが、下手をすれば相手を蹴落としてでも・・・という “争う” 闘争になりがちです。それならば、他者に学びひたすら自分自身を磨き高めて “競う” 競争の方が、同じ張り合うのでも自分の努力次第という含意があり遙かに道理に適っています。

 我欲だらけのゴツゴツした心で “争う” 闘争を止め、自分自身を磨き高めて “競う” 競争だけにしよう。これが断酒を通して心底気づかされたことでした。



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丸めた背中

2017-11-21 07:06:17 | 雑感
 もう1ヵ月前のことになってしまいました。台風21号が四国沖を紀伊半島に近づきつつあった日のことです。昼の12時過ぎ、雨の中を近くにある美術博物館へ広重展を見に出かけました。『雨、雪、夜 風景版画の魅力をひもとく』と銘打った展覧会でした。

 美術博物館は歩いて15分ほどのところにあり、その途中、歩道に面して東屋を備えただけの小さな緑地があります。ここも私のゴミ拾いの巡回コースの一つで、そこにあるちっちゃな東屋はいつも一服する憩いの場所です。東屋は2棟あり、いずれもその中心部にある4本の鉄柱で屋根が支えられ、その鉄柱を囲んだ井形の板がベンチという同じ造りになっています。

 その緑地前を通りかかったとき、東屋でスズメたちが雨宿りをしているのが見えました。いつもならベンチ周辺で三々五々地面を啄んでいるのですが、ベンチの上に10数羽のスズメが1列に行儀良く並んで一斉に西を向いていたのです。

 不穏な雲の動きを見せる鈍(にび)色の曇空と、時折小雨交じりに吹きつける東寄りの北風がスズメたちにも嵐の接近を告げていました。そのスズメたちは、私に気付いて一斉にこちらを向きはしましたが、そうしただけで一羽たりとも飛び立つものはいませんでした。それが何とも微笑ましく、風に逆立てられた羽毛が背中を丸めたように見えたのも可愛いものでした。

 さて、そんな微笑ましい光景を見た後の浮世絵の広重展です。保永堂版東海道五拾三次の全作品が揃っていて、中でも印象深かったのはやはり看板通り、雨の情景でした。

 特に『庄野 白雨』では、右から吹き付ける風雨に撓った竹林が影絵のように背景に描かれ、左下がりの街道を驟雨に見舞われた駕籠舁きや旅人たちが急ぐ様は圧巻でした。広重にしては珍しくダイナミックな動きを感じさせる描写で、その仕掛が右上から吹き付ける風雨の斜線と左下がりに描かれた街道の斜線とが直角に交わった構図にあることがよくわかりました。

 ところで、ほぼ同時代の作家・北斎の描く風景画の画風が動とすれば、広重の方は静ではないかと考えています。両者の違いの象徴は画中の人物描写ではないでしょうか。北斎の動は、波濤ばかりでなく北斎漫画の人物デッサンにも凝縮されています。これに対して広重の人物描写は、背中を丸めた旅人の静かな立ち姿が印象的です。これがどの作品にも共通していて、街道風景とよく絡んで一種独特の旅情を醸し出しているのです。

 実は、この広重展の数日前に北斎展にも行っています。北斎展は大入り満員状態で、人だかりの中で右往左往する鑑賞でした。それに比べれば広重展は貸し切り状態のようなもので、まさに動と静の違いがありました。そのことがこんな感慨を生んだのかもしれません。

 久しぶりの絵画鑑賞はこんな頭の体操にもなりました。また、広重の背中を丸めた人物描写がどこか水木しげるの人物描写を彷彿させたので、水木しげるの画風に漂う独特な情趣はひょっとしたら広重が原典だったのかと勝手な連想までも膨らませました。

 この日は、雨、風、丸めた背中 が強く心に残りました。特にスズメたちの姿が忘れがたく、理屈っぽくて散文的な私ですが柄にもなくその時の思いを短歌に仕立ててみました。皆さんならどんなふうに仕上げますか?
  背を丸め 雨宿りする 群れ雀 南から野分 風は北から



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「あなたは “底着き” をしていない」と言われて

2017-11-16 06:19:18 | 病状
 恐らく依存症に共通することかと思いますが、アルコール依存症(アル症)は “底着き体験” がなければ回復しにくいと言われています。

 最初の内はこのことを知らなくとも、専門病院に通っていると自然に耳に入ってくるのが “底着き(体験)” という言葉です。しかも回復に関わることなので、自分に “底着き(体験)” があったのか否かはアル症者にとって結構切実な問題となります。

 つい先日のミーティングで “底着き体験” をテーマに選んだ司会者がいました。断酒歴1年ほどの人ですが、「あなたは “底着き” をしていない」と医者から言われ、そのことが今でも尾を引いているようなのです。それで仲間がどんな “底着き” を経験したのか是非聞いてみたいということでした。

 このようにハッキリ負い目を口にした人は二人目です。“底着き” がないなどと告げられたら患者は戸惑うばかり、と医者にはわかっているはずです。それなのになぜ医者は敢えてこれを告げたのか、私にはいまだに解けない謎でした。

 テーマに沿って語る仲間の話に耳を傾けている内に、ひょっとして医者の言葉そのものが “底着き” になり得るのでは(?)という思いが募って来ました。各人の体験が過酷だったことは間違いないのですが、そのとき付け足すように彼らが軽く触れていた医師のコメントの方が決め手だったと思えて来たのです。

 “底着き” とは自分にはどうにもならない状態のことです。言い換えれば、誰からも見放され、縋るものが何もない状態とも言えるでしょう。

 身体が言うことを聞かなくなった末期のアル症者なら、まさしくどうにもならない状態にあります。こんな場合は、アル症専門医に縋る以外急性離脱期から救われる道は他にありません。そんな非常事態について、改めて医者がとやかく言うこともないでしょう。

 場面を変え、もし目の前に身体が回復したからと復職を焦る断酒中のアル症者がいたとします。どう見ても、再飲酒のリスクが依然として高い状態なのでしばらく加療を続けさせようする場合、アル症専門医としてどんな秘策を講じるのでしょうか?

 「あなたは “底着き” してない」というのはその秘策 / 奇策で、再飲酒を一層用心するよう促す脅しの意図だったと考えることもできるのです。アル症者がそのことを気にし始めたらシメタもの。アル症専門医は、ベテランであればあるほど患者自身に考えるよう仕向けるものだからです。私の主治医の院長ならやりかねません。

 専門クリニックに掛かる直前のことですが、私自身にも同様に思い当る節がありました。もしもあのとき一般病院から強制退院させられていなかったなら、さらにこれに追い打ちを掛けるように、もしも妻にも見放されていなかったなら、多分今の自分はない・・・ということです。これらを仕掛けたのはいずれも一般病院の救急救命(ER)の主治医で、彼女が講じた秘策だったのです。

 初期の段階では自覚症状に乏しい糖尿病や高血圧などの生活習慣病の場合、禁煙とか節酒しなければ病気が悪化すると医者に脅されても聞かない人が多いと思います。禁煙や節酒程度で済むぐらい病気が軽いのかと甘く見くびってしまうか、医者の言いつけを破っても見捨てられはしないとタカをくくるか、そのどちらかででしょう。

 もしも医者に「もう来るな!」と言われて匙を投げられたらどうでしょう? 専門医が少ない領域なのにひょっとして医者に見放されるかも(?)と背筋に薄ら寒いものを感じたら、さすがに飲み続ける人はいないはずです。

 私の姪も飲める口ですが、しばらく前に会った時にこんなことを言っていました。手に震え(振戦)があって間違いなくアル中だったようですが、酒を飲み続けたら婦人科領域の持病のホルモン療法を続けられないと医者から言われ、それからキッパリ酒を断ったと。これも医者から見放されたらもうお終いと思ったことが決め手だったのかもしれません。

 その時は、そんなことぐらいで酒が止められるのか(?)と半信半疑だったものですが、諸々の事情を考えると今では十分あり得ることと考え直しました。

 アル症は、まず否認を認めさせ、底の深い病気だと患者自身に自覚させることが肝要です。アルコールが脳から抜け切りさえすれば、例外なしに自分の異常さも自覚できるようになれます。人によってはそうなるまでの仕掛として、専門医による奇策の一言が必要なのかもしれません。こんなふうに考えるのは少し穿ち過ぎでしょうか。



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患者説明文書はよく読んで!

2017-11-14 06:24:24 | 病状
 先週の金曜日、大腸内視鏡下でポリープ摘除術を受けました。今回は2度目でもあり、準備万端で臨んだつもりでした。「つもり」と言うだけあって、実は大きな “手抜かり” があったのです。

 術前に心すべきことはいくつかありました。大きな課題を順に挙げてみますと、まず、6日前からの血液をサラサラにする薬の休薬、前日の検査食主体の食事、入院時の身の回りの品々の準備、それから当日朝の下剤服用となります。その中で今回は少し工夫したことがありました。

 先ず前日の検査食ですが、朝の6時半には検査食以外の「たまごとみるくのケーキ」(4コで320 Cal)を別途摂りました。検査食(1日分計730 Cal)だけでは到底一日持たないので、前回検査時の経験を生かしてみたのです。昼食以降は所定の検査食を2回に分けて戴きました。前回は無くて悔やまれた新聞2紙とラジオも、入院中の無聊を慰めるためしっかり持参することにしました。

 これで術前の準備は完璧と考えていました。それでもなお、大きな見落としがあったのです。患者説明文書にある術前・術後についての部分をよく読んでいなかったことです。一昼夜点滴を続ける旨、その部分には書かれていたのですが、一度経験したのをいいことに迂闊にも読み飛ばしていたのです。先に述べた “手抜かり” とはこのことでした。

 大腸内視鏡下のポリープ摘除術は、午後2時から始まり終了まで1時間強かかりました。5 mm大のポリープ1つの外、大きさがそれ未満の3つもすべて摘除することになったからです。これに加え今回幸運だったのは、施術終了間際に腸内ガスも抜いてもらえたことでした。

 大腸内視鏡が辛いのは、何と言ってもエイリアンが腹の中で暴れ回っている感覚の圧迫痛が続くことです。腸内に注入されたガスで大腸が膨張したためなのですが、ガス抜きがないとこれが翌日の朝食後まで続きかねないのです。ガス抜きのお陰で術後のお腹は頗るスッキリ快調でした。

 術後3時間は絶対安静を守るよう指示され、点滴が再開されました。点滴は体のよい拘束で、患者に安静を保たせるには絶好の処置なのです。実は、入院手続きを済ませて病室に入った午前10時から既に点滴が始まっていました。術前処置として当然なので何の疑問も持ちませんでしたし、いつまで続くのかも聞かないでいました。

 点滴が再開された後も、しばらく安静にさえしていたら、遅くとも翌朝早くには点滴が外されるものと思い込んでいました。病院の敷地内は院内規則で禁煙なのですが、うまくいけば院外に出て喫煙も可能だろうという甘い下心もありました。この思い込みが曲者で、下心は依存症者特有の執着心の化身なのです。

 いつの間にやら寝入っていたようです。夜中の12時過ぎ、人の気配で目が覚めました。担当の看護士が体温、血圧、血糖値の測定に来ていたのです。測定結果を聞くと血糖値は122 mg/dLでした。やや高血糖なのは点滴のせいと看護士が説明してくれました。さすがに術中・術後のストレスから気が立っていたようで、私はついこれに噛みついてしまいました。

「丸1日以上の絶食状態なんですよ。それなのにそんな高い数値ですか!? 糖尿病の身なんですからもう点滴を抜いてくださいよ。でなければ自分で勝手に抜きますよ。」
「まぁまぁ、落ち着いて。朝になって出血がないことを確認してから(点滴を)止めることになっていますから・・・。」
「それなら今トイレで確認しましょう! 出血してるなら、もう出ているはず・・・」。

 トイレでは小水とガスしか出ませんでした。出血なしと確認できたにもかかわらず看護士は点滴を抜いてはくれませんでした。いくら頼んでも処方権のない看護士には土台無理な話なのです。
「早く終えるため、点滴スピードを速めましょうか?」という看護士の提案がありましたが、これ以上高血糖になるのが怖かったので断りました。

 翌朝は6時半に目が覚めました。間もなく別の看護士が見回りに来ました。担当が代わったことをこれ幸いと、早速、点滴中止を申し入れてみました。ちゃんと引き継ぎされていたらしく、しばらくして医者の了解が取れたと点滴を外してくれました。プラスティック・ボトルには輸液が半分ほど残っていました。

 さて、点滴が外れたらやることは決まっています。早速着替えると、こっそり院外に出ました。21時間ぶりに吸うタバコの何と効くこと、最初の一服で危うく気を失いそうになりました。なるほどこんな危険を避ける意味でも外出禁止となっているのかと、院内規則に納得させられました。

 今回すべての非は、予め患者説明文書をよく読んでいなかった私にありました。あのとき看護士が説明文書に書いてあると念押しさえしてくれれば素直に引き下がったでしょうが、それも詮無きこと。自己管理がうまくできなかったため、看護士には何とも大人気ないことをして気の毒なことでした。もし予め患者説明文書をよく読んでいたなら、下心も起こさず無難に済んだことと残念でなりません。

 まぁ、ポリープすべてを始末できたことですし、自分にはまだ依存症気質が健在だと再確認もできたのです。これは大きな収穫です。今回はそんなふうでヨシとしましょう。それにしても、いついかなる時も “平常心” はまだまだ先のことのようです。



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表彰を受ける楽しみは小分けして・・・

2017-11-10 06:56:28 | 病状
 専門クリニックでは断酒を継続した期間に応じて月一回、第二土曜日に表彰式があります。対象者は継続断酒3ヵ月、6ヵ月、その後は1年毎の人になります。通院歴が長いからと言って表彰が受けられるわけではありません。

 私の場合は、明日11日の第二土曜日が4年表彰の予定でした。一年前からこの日の来るのが楽しみでした。今月は他にも喜ばしい知らせを受けていました。11月15日に日赤の10年表彰式にも招待されていたのです。滅多にない二重の楽しみでワクワクしていました。

 今年の5月に2年に一回の大腸内視鏡検査を受けました。この検査は定期通院している糖尿病外来からの依頼という形式を取ります。前回と同様、今回も直腸付近に5 mmのポリープが見つかりました。そんなものかな(?)というのが私の正直な気持ちでした。

 このとき同時に虫垂付近にも不審な所見が見つかったので、その後の糖尿病外来日にCT検査も受けました。その結果を受け、さらに3ヵ月後の糖尿病外来予約日に合わせ、やっと10月下旬に消化器内科の予約受診となれたのです。この時までに私はポリープ摘出術を受けることを決めていました。

「ポリープ摘出術だと術後の当日1日だけ入院して貰います。大腸内視鏡は火曜日と金曜日なんですが・・・?」と先生。火曜日と木曜日はAAのミーティングの日ですから、火曜日のミーティングを欠席するわけにいきません。
「火曜日は先約があり、金曜日の方が都合付きます。」と私。
「そうすると次回の金曜は3日の祝日なので、早くても次の10日になりますが・・・?」
「それでお願いします!」勢いでこう言い放った途端、何か引っかかるものがありました。それが何かはわかりませんでした。

 病院で施術当日に提出する書類やら、施術前日の検査食や当日服用する腸内洗浄用下剤やらを受け取り、家まで歩いて帰って来たのですが、やっと一服できた時になってハッとしたのです。施術で入院すると、退院日は11月の第二土曜日になります。引っかかりが何だったのかやっと気付けました。

 そう気付くや、さあ大変です。久々にどうしたらよいか狼狽えてしまいました。アルコール漬けで二者択一に囚われた頭なら、何が何でも先約優先とそれ以外は思いつかなかったことでしょう。飲酒時代はそれほど思い込みが激しかったのです。

 ところが今回は違いました。しばらくすると、どんな選択肢があるのか冷静に考え始めていました。

 先ず、まだ予約変更には時間があると気を落ち着かせることができ、予約変更するにしてもポリープ摘出術と断酒表彰式とではどちらが変更しやすいかシミュレーションしてみることもできました。当然、変更するなら断酒表彰式の1ヵ月先延ばしの方が簡単です。さらに、月を超えて表彰式を2回楽しめるとも気付けました。喜ばしいことは小分けした方がその分長く楽しめるのです。

 飲酒時代の以前なら、こんな当たり前のことでもなかなか落ち着いて考えられなかっただろうと思います。そんなふうに考えると、断酒して早4年が経ったことに何とも感慨深いものがありました。


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車道を走る自転車は人に優しい?

2017-11-07 06:37:50 | 世相
 ゴミ拾いをしていていつも思うことですが、自動車からのポイ捨てが想像以上に多いようです。吸い殻ばかりではありません。タバコの空箱、ドリンク類の空き缶やペットボトル、プラスチック製の蓋付きコップ、スナック菓子の空き袋、空のカップ麺と割り箸etc.が無頓着に捨てられて車道脇に転がっています。

 自動車内の密室状態が人を傲慢にさせるのでしょうか、物が不要となれば捨てるのに何ら頓着しないようなのです。些細なことが気に食わず、あおり運転で追い回した末の悲惨な事件を知るにつけ、両者には共通した要因があると考えざるを得ません。

 ゴミ拾いの帰り道、幹線道路の一つ臨港線を渡っていたときのことです。他の場所なら横断歩道を渡ることにしているのですが、ここは40 mほど離れた所に信号機があるのでどうしても横着してしまうのです。この日も信号が赤になるのを待って、いつも通り注意しながらの渡りでした。

 そのとき今時珍しく、車道を通ってこちらに走って来る自転車が見えました。よく見ると、自転車は競技用で、ヘルメットにサイクリングスーツ(ウェア)という出で立ちの老人が乗っていました。

 私の方は渡り切る寸前でしたが、老人の方は加速しようとしていた矢先だったのでしょうか、視界に見えた私を避けようとスピードを落とし、コースも右寄りに変えていました。そのことが老人にしてみればよほど癪に障ったのでしょう。
「こんなところで道を渡るの、危ないですよ!」と声を掛けてきたのです。感情を圧し殺した紳士的なもの言いでした。これには思わず私も苦笑いしてしまい、片手で合図を送りました。

 もしも老人の乗っていたのが自動車なら、こんなに紳士的ではなかったかもしれません。恐らく本音をあからさまに、
「オラーツ! 危ねーよ、このボケがーっ!」と怒鳴られていかねないのです。もしそうなれば、恐らく私の方もムカッ腹を立てて不愉快な思いをしただろうと思います。

 あおり運転による悲劇的事件を知った直後のことだったので、つい自動車だった場合のことを想像してしまいました。歩道では傍若無人の振る舞いが目立つ自転車ですが、分の悪い車道では人に優しくなれるようなのです。あるいは、これも開放的な自転車ならではのことかも?

 もちろん忘れてならないのは、彼の老人が元々紳士的な人物だったのかも(?)なのですが・・・。


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ヒゲジイ流解釈 AAの回復のプログラム『12のステップ』(下)

2017-11-03 07:46:44 | 自助会
 前週に続いて、AAの回復のプログラム『12のステップ』を改めて取り上げてみようと思います。今回はステップ11~12について述べてみます。(『12のステップ』についてはこちらをご参照ください。)

 AAの本質は、飲まないで生きる生き方を共通の目標とした同志が集い、言いっ放し・聞きっ放しのルールでミーティングを開催することにあります。ミーティングこそがハイヤー・パワーそのものという考え方もあるようです。

 ステップ11~12は、そのミーティングでの心懸けを述べた部分と私は解釈しています。やたら宗教臭がプンプンする部分ですが、各ステップを踏んだ後の最終ステージと考えるよりもAAに繋がったときから心懸けるべき留意点と考えた方が良さそうなのです。

 ステップ11にはこうあります。
「祈りと冥想を通して、自分なりに理解した神との意識的な触れ合いを深め、神の意志を知ることと、それを実践する力だけを求めた。」

 このステップのキー・ワードは瞑想 (黙想)にあると考えています。ミーティングでは目を瞑り黙想しながら耳を傾けるべき、とまで私には読めてしまいます。

 AAのミーティングでよく経験することですが、目を瞑り黙想したまま聞くでもなしに話を聞いていると、耳に入って来る言葉から思わぬ “気づき” が得られることがよくあります。悟りにも似たこの “気づき” を私はカタルシスと呼んでいますが、言うに言われぬ癒やされた気分に浸ることができます。発言者の顔を見ながらでは到底味わえない心境なのです。ステップ11はこのことを述べているに過ぎないのでは(?)と思っています。

 次のステップ12の記述はこうです。
「これらのステップを経た結果、私たちは霊的に目覚め、このメッセージをアルコホーリクに伝え、そして私たちのすべてのことにこの原理を実行しようと努力した。」

 一見してここでも宗教臭がプンプンしています。このステップは見返りを求めず喜んで奉仕する生き方がキー・ワードと解説にありますが、私は単にミーティングを継続し、それを広めることの大切さを説いたものと解釈しています。

 AAのベテランメンバーの中には、このステップ12こそ科学的と考えている人もいます。再現性が確認されていて、誰にでも有効という意味でのようです。アルコール依存症者同士がミーティングを通じて繋がりを保ってさえいれば、慢心から酒害体験を忘れる恐れも互いに少なくなるという解釈のようです。断酒歴の長い人ほど、フレッシュマンが相手だとその効果が大きいと言います。

 お互いの体験談を聞き、自分でも体験談を語ることで初心に戻れ、分け隔てのない仲間意識を高めてくれるのがミーティングです。一緒に会場設営や後片付けをするのも仲間意識を高めてくれます。こういう意味でミーティングが居場所というのも頷けます。

 当たり前ですが、ミーティングは一人ではできません。1時間のミーティングなら、代わり代わりに体験を語るのに少なくとも7~8人のメンバーが揃っていることが望ましいようです。酒を止めたい一心から思い切って会場を訪ねてみても、会場に一人しかいなかったのでは脱力もので、その反動から再飲酒(?)もしかねません。これでは滑稽を通り越して悲劇そのものです。たとえ聞き役に徹するだけでもいいのです。“枯れ木も山の賑わい” もAAでは大歓迎されること間違いありません。

 かくいう私は、ステップ12の解説にある “two-stepping” (二段目?)段階にあるのでしょうか? たとえばステップ1とステップ12の2つだけなど、少ないステップで満足してしまい、それで12のステップすべてを会得したとしたり顔でいる未熟な人のことをこう言うのだそうです。

 ステップ12の解説では、その最後に祈りの言葉がありますが、私はその祈りの言葉をもじり、次の言葉を自分なりの達成目標としています。

  “自分にできることと
  自分にはどうにもならないこと
  この二つを見分けられれば平常心”



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