ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

市会議員選挙で大選挙区制の闇を見た

2019-04-30 06:40:26 | 世相
 前後2回の統一地方選挙が終わって1週間が過ぎ、顔ぶれの変わらない新議員が勢揃いとなったと思います。私が選挙権を得てから毎度のことですが、今回の選挙でも選挙カーから候補者名を連呼するばかりで、ウグイス嬢の声の品評会さながらでした。

 我が町の市会議員選挙では、候補者自ら自転車を漕いでアピールして見せるぐらいがちょっと毛色の変わった選挙運動だったでしょうか。そんな場合でも、選挙カーが後を付いて実況宣伝していました。

 左翼政党候補者以外、街頭演説(辻説法)をするなどはまず皆無で、これでは候補者の人柄はわかりませんし、市民生活上の問題提起も当然ありません。その左翼政党候補者にしても、何かにつけ国政批判に繋げる常套話が主で飽き飽きするばかりでした。

 こんな不毛な選挙運動ですから、多くの有権者は選挙に無関心でした(投票率48.70%)。投票した人もせいぜい選挙ポスターや選挙カーの街宣だけで判断したのではないでしょうか。選挙公報や辻説法で人物を吟味した上での投票結果とはとても思えない事例がありました。

 というのは、私にはどうしても当選してほしくない候補者が一人いたからです。当選6回の現職で、若いときに大腿骨骨頭壊死となり車椅子生活を余儀なくされた身障者のことです。

 この人とは、市と住民代表との間で一昨年1年間続いたゴミ・パイプライン存続協議会で顔見知りになりました。少人数の会で、私が傍聴者、彼が住民側委員という利害が一致した関係でした。

 協議会での議論を聞いていると、彼の話の端々に尊大ぶって人を小バカにするようなところがあり、多選を重ねた議員特有の傲慢さかな(?)と少々首を傾げることがよくありました。

 これ以来、私が道でゴミ拾いをしているときや市庁舎の中でも、彼とはちょくちょく顔を合わせることがありました。ところが、私の方からその都度会釈をしても彼は目礼さえせず、まるで無視を決め込んでいるかのようでした。議員としてあるまじき態度と私には思えました。

 今回の選挙公報をみると、彼は身障者の利益代表であることを第一の売りにしていました。少数派代表を自任するのは構わないのですが、6回も多選を重ねた議員が身障者であることだけを今だに笠に着ているようでは情けない、これも私の偽らざる思いでした。

 それでも彼は、得票数5位(1748票)で7回目の当選を果たしました。身近な市会議員選挙でありながら候補者本人の人柄をよく知らない有権者ゆえの限界で、大選挙区制の闇を見た思いでした。ちなみに、最下位(21位)で当選した左翼政党候補者の得票数は1061票でした。

 “人は、一緒に仕事をしてみないとわからない”

 私が会社勤めで身につけた苦い教訓です。人となりというのは、たとえ一緒に遊んでもわかることではなく、損得が絡んだ仕事上の付き合いで初めてわかること、という意味です。

 市議会選挙での一服の清涼剤は、最多得票(3068票)当選者が辻説法をしていた若い保守系政党候補者だったことでした。ほとんど聴衆がいないのにもめげず、熱く訴えかける姿に少なからず心を動かされました。このときばかりは期日前投票を済ませたことに、少し早まったかなと悔やんだものです。



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言葉に囚われる?

2019-04-26 06:45:43 | 病状
 “心の落ち着き” AAのミーティングでしばしばテーマに取り上げられる言葉です。先行きに不安のない心のありようを表し、精神的な回復もこの言葉に象徴されているからでしょうか。先日のミーティングでもこの言葉がテーマとなりました。

「随分長い間、この言葉に囚われていたのではないか?」ふとそんな思いが湧いてきました。過去記事を振り返ってみると、断酒して1年5ヵ月目の記事に早くもこの言葉が出ていました。それだけ “心の落ち着き” に恋い焦がれていたのだと思います。

 その後の記事を辿ってみると、この言葉の意味するところは “平常心”、と一旦結論づけていました。それはそれで正しいのですが、“心の落ち着き” は身体全体で感じる感覚です。一方の “平常心” は、どちらかと言えば頭で考えた理屈であって、体感を表してはいません。

 その後も模索は続き、最終的に辿り着いた言葉は “楽になった” でした。この言葉こそ “心の落ち着き” を感覚的に表現した言葉だろうと思います。断酒して4年後の記事にありました。

 ところで、言葉に囚われた例は他にもあります。「~でなければならない/~しなければならない」という “認知のゆがみ” を象徴する言葉のことです。

 正直に言えば、当初は行動を表す「~しなければならない」という方に重きを置いていました。「なるようにしかならない」という割り切った考え方がありますが、これも「なるようになる」と無理に言い換えていたほどで、バカみたいにこだわっていました。

 本来、用心すべきは「~でなければならない」という考え方であって、絵に描いたような理想像に雁字搦めになってしまうことです。

「家族とは~であるべき」、「夫/妻は~であるべき」という “べき論” がそれに当たります。こんな簡単なことに気づいたのもつい最近のことです。

 こんなふうに極端に走ってしまうこともありますが、言葉に囚われるのも悪くないとも思っています。とことん意識し続けて様々な場面に出会い、少しずつでも核心に近づければいいのです。その方が言葉の持つ意味の奥行きがわかって得した気分にもなれます。

         *   *   *   *   *
 患者が回復を恋い焦がれるのは当たり前のことです。その傾向は、アルコール依存症(アル症)者の場合、特に強いようです。

 断酒して3ヵ月ぐらいまでに体調は回復します。ところが脳の回復は遅いので、体調と脳の間にアンバランスが生じます。そのアンバランスがアル症者に回復を焦るよう煽るのだと思います。

 断酒して3ヵ月~3年ぐらいは、早く回復したいという思いが殊の外強いだけに、早くも回復したという勘違いに陥りがちです。特に1年ぐらいまではPAWS(⊇ドライドランク)がそれに拍車を掛けます。

 自信過剰・自己万能感、自己憐憫(なぜ自分だけがこんな目に・・・)、自我の肥大(人にお節介をやきたがる)などの気持ちが強く出るのがドライドランクです。念のためご用心を!



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通りすがりの老女に呼び止められて

2019-04-23 06:12:13 | 世相
 ゴミ拾いの出で立ちで国道2号線の歩道を歩いていたときのこと。
「あの~、ちょっと話を聞いてもらえませんか?」
通りすがりの老女にこう呼び止められました。

 見れば髪はボサボサ、前歯が1本しかない婆さんでした。着ているものもヨレヨレで、リュックを背負い、衣類で一杯に膨らんだレジ袋を両手に持っていました。その姿は、ホームレス(?)と思えたほどでした。

 たとえホームレスでも頼りにされたら応えてあげるのが人の道、立ち止まって話を聞いてあげることにしました。

 老女が語ったのは、ざっと次のような話でした。
           *   *   *   *   *
 スーパーで買物したらお釣りが500円足りないことに気がついた。レジが客で混んでいたので邪魔しちゃ悪いと思い、後で確認することにしてその場を離れた。

 昼ご飯を済ませてからレシートを持って再びレジに確認しに行った。精算したときに応対してくれたレジ係はいなかったが、隣のレジ係はそのまま居残っていた。

 仕方なく隣のレジ係にレシートを見せて釣り銭不足を訴えたが、真面目に取り合ってくれなかった。レジ係の交替は不自然だったし、店の不誠実な対応には到底納得できなかった。
           *   *   *   *   *
 鼻の頭に汗の粒を浮かべながら老女は懸命に話していました。明かに、レジ係が釣り銭をちょろまかしたのではと疑っているようでした。そして、私にこう言って判断を求めてきました。

「私はどうしたらいいんですか? 警察に行ったらいい、それとも(スーパーの)本社に掛け合ったらいいんですか?」

 店側にレシートを提示したという話を聞いて、この老女は認知症が相当進んでいるのでは(?)と思ってしまいました。単に置き忘れた物を、誰かに盗まれたと勘違いする症状によく似ていると思ったのです。

「今は、計算もお釣りもレジの機械が自動的にやってくれて、レジ係は機械の出すお金をそのままお客に渡すだけです。
 仮に機械に不具合があったら、他の客からもクレームがつくはず。そんなわけで、恐らく、警察も本社も取り合ってくれないと思いますよ。」
そして、私はこう付け加えました。 
「どうやら私がしてあげられることは他になさそうなので、もう行きますよ!」

 老女と別れてしばらくして、彼女の本当の狙いは私に500円を恵んで貰うことだったのでは(?)と疑ってしまいました。特殊詐欺が横行する今の時代、人の良さそうな老人相手ならこんな新しい手口もあり得るのです。

 身なりで人を判断してはいけないのですが、認知症と決めつけてみたり、新手の物乞いと疑ってみたり、こんなふうに考えをコロコロ変える自分に思わず苦笑いしてしまいました。



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反りの合わない人

2019-04-19 06:51:36 | 雑感
 初対面のときの出来事はずっと尾を引くもののようです。

「何かあったらこの病院へ連れて行ってくれ!」と言って、初対面なのに診察券を見せた私のことがよほど破天荒な変人と思えたのか、今でもあのときの姿が忘れられないと言う人がいます。こちらとしては不安定狭心症のPCI手術直後で不安で堪らなかっただけなのですが、どうやらウマが合ったらしく以来付き合いが続いています。

 真逆の意味でこのジイさんもそんな類いの人でしょうか、かつて市役所のロビーで私にイチャモンをつけてきたキツネ目の老人のことです。

 私が偶々唾を付けて新聞紙を捲ったのがケシカランというのがその理由でした。真正面から言うわけではなく、グチュグチュ呟くように言うのです。加えて、自分が正義と思い込んでいるので堪ったものではありません。

 以来、何かに付け私をじっと監視するようになりました。あまりにしつこいので思い余って私の方から「何か用か?」と問いかけ、それから事態が少し変わりました。

 目が合ったら背けるようになったり、私の姿が見えるとコソコソ行き先を変えたりするようになりました。つまり、私と距離を置くようになったのです。ところが最近、再び距離を詰めてくるようになりました。

 市役所のロビーにはソファー席と二つの丸テーブル席があり、丸テーブル席にはそれぞれ椅子が4脚置かれています。私はその丸テーブル席で新聞を読むのを日課にしているのですが、何と最近、例のジイさんがテーブルの真向かいに席を占めて新聞を読むようになったのです。

 ジイさん、新聞で顔を隠すようにしているのですが、私の方は気になって仕方ありません。今のところ別にイチャモンをつけられるでもなく、私の方も無視するようにしています。偶々目が合うと依然として目が据わって病的な感じのままです。読み終わった新聞の第一面をめくったまま、バインダーに丸めて戻す嫌なクセも相変わらずです。

 反りの合わない人とは初対面での出来事がかくも尾を引くようです。誰とでも皆仲良くなどというのはキレイ事です。世の中、ケンカせずにそこそこ距離を置くのが精々なのです。

 市役所しか行き場所がないのは私と同じなのでしょう。さぁジイさん、これからどう出て来るつもりなのでしょう? まぁ、私としては予断を持つことなく、出たとこ勝負で行くしかありませんが。



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小学生に褒められた?

2019-04-16 06:44:07 | 雑感
 道のゴミ拾いからの帰り道、偶々学校帰りの小学生3人組に出会いました。方角が同じだったので彼らの後ろに付いて歩くことになりました。5年生ぐらいでしょうか、男の子同士ワイワイと楽しげな話し声が聞こえて来ました。

 四つ辻に差し掛かり、その内の一人は仲間と別れるようでした。その子は道を曲がってもまだ他の2人との話に夢中で、道に落ちていた空き缶をつい踏んづけてしまいました。

 もちろん、仲間に気を取られて無意識にやったことで、既に車に潰されていた空き缶でした。

 すかさず私はトングでその潰れた空き缶を拾い上げました。すると、その小学生にこう言われました。
「えらいね!」
「エライネ、か?!」私は思わずそう繰り返してしまいました。

 意外な言葉に面食らってのことでした。彼の方も私にそう言われてバツが悪かったのか、ペコリとお辞儀をしてその場を去って行きました。このお辞儀にはさすがに感心してしました。

「キレイにしてくれてありがとう!」こういう言葉なら、公園などでゴミ拾いをしていると小さな子からもよく言われます。

 そんな言葉に慣れっこになっていた私には、「えらいね!」は斬新(?)な言葉に聞こえました。あのとき一体、私は何と言ってもらいたかったのか、今もわからないまま複雑な気分でいます。



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ボランティアーで余計な一言を

2019-04-12 06:55:52 | 雑感
 今年で31回目となる我が町の “さくらまつり”。毎年4月第1週の土日に開催され、今年は3年振りに花の見頃とうまくタイミングが合いました。

 先週、私もゴミ処理係ボランティアーとして夜の部(18~20時)に参加しました。4年連続4回目の参加です。

 市の中心部を流れる川の両岸に桜並木があり、主に川の東側200 mほどが会場となります。西側の河川敷には特設ステージが設けられ、東側の河川敷や堤防上の幹線道路が花見客用の観覧席です。

 東側の幹線道路は全面歩行者天国となって露店がずらりと並びます。桜並木のある歩道にも簡易テーブルと長椅子が所狭しと設けられ、ここが対岸ステージ観覧の特等席となります。その特等席の所々6ヵ所にゴミ箱が配置されていました。

 お天気に恵まれて “さくらまつり” は大層な人出でごった返していました。歩行者天国は芋を洗うような混みようで、特等席はもちろんのこと立ち見席までびっしり人で埋まっていました。例年なら手を休めて、プロ・ミュージシャンのステージ・パフォーマンスをライブで楽しむこともできたのに、人人人でステージを覗く隙間もありませんでした。

 いざ、巡回し始めてすぐに気になったことが一つありました。対岸ステージの真っ正面にあたる場所に設置されたゴミ箱が周りから見えにくく、ゴミも回収しづらいのです。

 そのゴミ箱は、元々川側にある御影石製ベンチのさらに奥の川側に設置されたため、ベンチに腰掛ける人が後を絶たないようでした。さらに、ゴミを回収するのにベンチを跨いで立たねばならず、足を抜くときに掴まるところもないのでよろけそうになります。バランスを崩さないよう注意も必要でした。

 単に、ベンチの奥のスペースが設置に丁度よいと軽いノリで判断したのでしょう。現場で回収する身になって考えれば容易にわかることなのにと、無性に腹が立ちました。ここは頻繁に見回る必要がある、そう考えてちょくちょく巡回することにしました。

 2回目に寄ってみたときでしょうか、花見酒を楽しんでいるご婦人が声を掛けてきました。

「あら、また来たの? ご苦労さまねぇ、ボランティアー? お幾つ?」
「68歳のボランティアーですよ。」
「あら、わたしと同い歳!」
「花見酒を楽しむ奥様がいて、その空き瓶を片付けるジイさんがいる。それだから円く収まるんですよ(笑)。」

 またまた言わなくてもいいことを言ってしまいました。口にした瞬間、何と興醒めなことを言ったものだと反省しました。

 2時間ちょっとの間に都合6回ほど空き瓶回収係として全ゴミ箱を巡回し、今年のボランティアーは終わりました。ゴミ袋をぶら下げて人の波を掻き分けるのは経験済みなので慣れたものでしたが、ご婦人と交した余計な一言が心残りとなりました。



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健気なチュウリップが一輪

2019-04-09 20:06:50 | 世相
 缶ビール・缶酎ハイの空き缶やペットボトルが国道43号線の分離・緑地帯に不法投棄される問題。 2月に記事にして以来、2月中は何事もなく過ぎましたが、3月に入って事態が動き始めました。

 問題が頻発していた3つの区画の内、かつて最悪だった中央の区画に再び不法投棄が始まったのです。1月半ばに掃除され、その後2月一杯は空き缶2個の不法投棄で済んでいました。

 ところが、3月に入ると投げ入れが次々に始まり、4月第1週には空き缶10個とペットボトル2個の計12個となりました。幸い今のところ両隣の区画に変化はありません。

 春の陽気に浮かれて愈々本格的な活動期(?)に入ったのでしょうか。この先、変質者のやることは見え見えなので、分離・緑地帯を囲っているフェンスがもどかしくて仕方ありません。フェンス内に入れれば回収など造作ないのですが、鍵が掛かっているので手の出しようがないのです。

 そんな折に心和む光景がひとつ。二つ隣の分離・緑地帯に、花をつけた小ぶりのチュウリップを1輪見つけました。たった1輪、花弁をすぼめたまま小っちゃな紅い花を慎ましく咲かせていました。

 周りは園芸種の笹やイネ科の雑草ばかり、養分の乏しいいかにも痩せた土地です。恐らく不要になって捨てられた鉢植えの土に球根が混じっていたのでしょう。そうでもなければあり得ないことです。

 健気に凜と咲くチュウリップの姿に土根性を見せつけられました。“掃き溜めに鶴” とはこんなことを言うのでしょうか。遣り切れない気持ちがチョッピリ癒やされました。
           *   *   *   *   *
 と、健気に咲くチューリップを記事にしたばかりの当日のこと。件のチューリップの前を通りかかったら、何と姿が見当たりませんでした。

 辺りを捜してみたところ、球根もろとも引っこ抜かれ無残にうち捨てられていました。花も茎から引きちぎられて持ち去られたようで、どこにもありませんでした。

 悲しいやら情けないやら、ここまで情趣を解しない非情な人っているんですね。
(2019.4.09)



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認知症が不安という人に朗報

2019-04-05 06:00:54 | 雑感
 老いを迎え、認知機能に不安を覚え始めた年代の人に朗報です。ウォーキングや室内サイクリングなどの有酸素運動を週3回6ヵ月間継続した結果、脳の実行機能が向上した(d = 0.32、p = 0.046)という分析結果が出たそうです。

 しかも、有酸素運動に加え食生活もDASH食に変えたグループでは脳の実行機能が向上した(d = 0.40、p = 0.012)上に9歳ほど若返ったというのです。

 ここで言う脳の実行機能とは遂行機能とも呼ばれ、ある目標を達成させるために計画的に段取りをつけて行動する機能のことで、人が社会的、自立的、創造的な活動を行うのに非常に重要な高次的機能とされています。その機能が損なわれた実行機能障害は記憶障害や理解・判断力低下と並び認知症の中核症状の一つだそうです。

 一方のDASH食とは、カリウムやカルシウム、マグネシウムなどのミネラルや食物繊維が豊富な野菜や果物、低脂肪の乳製品などを積極的にとることで塩分を排出させ、高血圧の予防・改善のために考案された食事のことです。

 この臨床試験では、加齢に伴い記憶力や思考力に衰えが見られる55歳以上の男女160名を対象とし、参加者を無作為に4つのグループに分けて6ヵ月間観察しています。

(1)DASH食をとるグループ、(2)週3回の有酸素運動を行うグループ、(3)DASH食と週3回の有酸素運動の両方を行うグループ、(4)健康指導のみのグループ、という4つです。前後に実施した検査結果をDASH食アリとナシ(1+3 vs 2+4)、有酸素運動アリとナシ(2+3 vs 1+4)の2通りについて2×2の要因分析をしています。

 単純に計算すると各グループは40名ということになりますから、規模としては小さな予備的臨床試験です。残念ながら記憶機能や言語機能(?)には差がみられなかったようですが、脳の実行機能が向上したという結果の意味するところは重大だと思います。

 有酸素運動のゴミ拾いをほぼ毎日2時間ぐらいやっている私は、この試験と同じことを日課として地でやっていることになるのでしょうか。かつての飲酒時代、何かにつけグズグズ・イジイジしていた私が、“行動に移してみる” を第一に考えるようになったのはこのゴミ拾いのお陰であることに間違いありません。


ウォーキングなど有酸素運動を半年間行い脳が若返った可能性も 米の大学教授が発表』(Aging Style 2019年03月29日)
Lifestyle and neurocognition in older adults with cognitive impairments: A randomized trial.』(Neurology December 19, 2018電子版)



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続、“心ここにあらず” のうわの空

2019-04-02 06:03:37 | 雑感

 “三月 去る” この言葉通り、三月もあっという間に過ぎてしまいました。過去の記事を振り返ってみると、私にとって三月は何か調子がオカシイ月のようです。今年もこんなことがありました。

 三月の半ば過ぎ、2ヵ月に1回の定期受診のため久々に元町の専門クリニックに行きました。常用しているビタミン薬にまだ1週間分の余裕があったのですが、諸々の都合から前の晩に急遽そう決めたのです。

 元町に向かう電車の中で、ふと診察券を忘れたことに気づきました。当然、保険証も同じと考えるべきなのに、なぜかそのことまでは気が回りませんでした。案の定、受付で保険証の提示を求められ、そのときやっと気づきました。余裕の受診と思い込んで油断していたことがショックでした。

 春分の日にはこんなこともありました。カレンダーを見てその日が祝日とわかっていたつもりでしたが、朝寝ていた妻を起こしてしまいました。出勤日と勘違いして遅刻しないか心配してのことでした。「今日は休み!」妻からそう言われてやっと休日だと気づきました。

 妻から言われるまで私の方は何と、小雨の中をいつも通りにゴミ拾いがてら歩いて市役所に行こうと決めていました。さらにこれに加えて、市役所からAAのミーティングがある夙川まで歩いて行くかそれともバスにするか、どうでもいいことで頭が一杯だったのです。

 どうやらこの時期、かくも頭と心がうまく噛み合っていないようなのです。頭ではわかっていても心の奥底ではわかっていない? あるいはその逆なのかもしれません。気持ちが上滑りしがちで “心ここにあらず” の “うわの空” 状態にあります。

 春の陽気で浮き足立つとはこんなことを言うのでしょうか。「今、この時(に集中)」なんて言葉、どっかに吹っ飛んでしまっています。アブナイ、アブナイ。



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