ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

賢いカラスは無神経な人間が好き?

2019-10-29 06:15:43 | 世相
 先日、帰り道にマンション敷地内の歩行者専用小径を歩いていたときのことです。隣の棟の駐車場への出入り口付近で、生ゴミ混じりのゴミが散らかり放題になっているのが見えました。

 近づいて辺りを見ると案の定、ゴミの入ったレジ袋が2つ破れて転がっていました。カラスの仕業なのは明らかでした。

 その日は珍しくトングを持っていなかったので、已む無く素手で片づけを始めたのですが、チラッと横目で見ては無言で通り過ぎる男1人、また女1人。まぁ、大体はこんなものだと冷めた気持ちでいました。

 そんな中に、このまま見過ごしたら女が廃る(?)とでも思ったのかどうか、見るに見かねたオバちゃんが一人、手伝ってくれました。

「まぁ、こんなひどいことになって! 管理人さんに言っておきますよ」と、そのオバちゃん。
「管理人に? 管理人に言っても無駄だと思いますよ。」
「え? じゃぁどうしたら?」
「第一、管理人にカラス退治なんて無理です。それよりも、ゴミ袋を外に放置していたら必ずカラスにやられる、それを住民に知ってもらう方が先決では?」
「なるほど・・・?!」
「放置ゴミは、見つけた住民が気を利かして直ちに片づけてやるのが一番。そんな姿を見たら、自分もやらなきゃと自然にそう思ってくれるんでは?
 多分、誰かがやってくれるという人頼みが一番いけない、そう思いますよ。」
「そう言われればそうですよね。」

 それにしても、歩いて1分もかからないところにゴミの投入口があるのに、駐車場の出入り口にゴミ袋を二つも放置しておくとは一体どんな神経の持ち主なのでしょう。賢いカラスは、そんな無神経な人間が大好きです。

 他人の尻ぬぐいは誰でも嫌なものですが、自分の尻ぬぐいさえ他人任せの風潮が益々強まってきている昨今です。それでも誰かがしなければ世の中荒むばかり、人の日常感覚・美意識が問われています。

 このオバちゃん、袋を手に持ってゴミ入れを手伝ってくれただけでしたが、意思の疎通はお互い十分にできたと思っています。もう私の仲間、ゴミ拾いの同志です。



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高齢世代にも世代間のギャップが・・・

2019-10-25 06:45:22 | 雑感
 先日、コープの店先のベンチに珍しい人が座っていました。去年だったか、ペットのイヌを亡くした老人です。(ここでは仮にペットロス・ジイさんと呼んでおきます。)

「随分お久しぶりですね?! 参議院選挙のとき以来じゃないですか?」
「いや~、今日は直ぐそこ、斜向かいの温泉に来たんだ。歩いても家から2,3分と近いからね。」 

 このペットロス・ジイさん、朝たま~に自宅マンション4階のベランダから顔を見せるぐらいで、ほとんど外を出歩く姿を見たことがありません。彼は84歳の男ヤモメ、私とは16歳違いです。

「毎日、家に閉じこもってばかりじゃないですか? 外を出歩かなくなったら人生お終いですよ!」

 で、骨ホルモンの知識をフル動員して、続けてこんな説教を始めました。

 歩かないと足腰の筋肉が弱るし、何よりも心配なのは精神的に “うつ” になってボケが進むこと。“病は気から” で、挙げ句に病気で寝たきりにでもなったら “廃用性萎縮” で二度と歩けない悪循環に陥ること。最低限 “かかと落とし” と “キョウイクとキョウヨウ”(今日行く、今日用がある) ぐらいは心懸けるべき、云々。

 やいのやいの私が言ったものだから、ペットロス・ジイさんボソッとこんなことを口にしました。

「これでもジョロヤには行っているんだよ。」
「ジョウロヤって?」
「“女郎屋” だよ。大阪なら、飛田とか松島とかに今でもあるアレだよ!」
「あ~、あの “女郎屋”! 見かけによらず隅に置けないすねぇ?!」

 老いた年寄りだと見くびってはいけません。何でも、車ではなく電車に乗ってちゃんと歩いて行くのだそうです。よっぽど楽しいことでもない限り、外を出歩くなどしない性分なのでしょう。

 かつて渡辺淳一が、高齢となった自分の性愛について確かこんなふうに述べていました。
「手を握っているだけでも(相手を)満足させられる・・・」(?)

 これを額面通りに信じる人はいないと思いますが、全くあり得ない話でもなさそうです。

 性愛のかたちは色々で、たとえ役立たずの肉体でも工夫次第でいくらでも楽しめるのが性愛。たとえ老いた肉体でも、やわ肌に直に触れると熱く血が滾ってきて、まだまだ若いんだと錯覚させてくれるのが・・・
と、この辺で止めときましょう。

 それにしても今の時代に “女郎屋” という言葉が出て来るとは! 照れもあってのことと思いますが、ペットロス・ジイさんとの世代のギャップを感じてしまいました。


こちらの記事もご参照ください。
“骨” のある耳寄りな話?』(2017.3.10投稿)
“かかと落とし” は本物』(2018.4.17投稿)



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“有口無行” の爺さん

2019-10-22 07:01:29 | 世相
 “有言実行”、“不言実行” という四文字熟語があります。この頃は  “有言実行”の方が、より価値ある生き方と考えられているようですが、どちらも見倣うべき人生訓です。

 これらと正反対の意味を持つ四文字熟語があることを、つい最近ネットで知りました。“有口無行”という言葉です。口先ばっかりで何もしない、という意味だそうです。今回は、この言葉を体現しているような爺さんの話です。

 東屋が2つある公園は、週1回だけ巡回しているゴミ拾いコースにあります。このところゴミ拾い仲間が新たに加わってくれたらしく、随分キレイな公園になりました。

 ここは毎朝10時頃になると、70~80歳代の爺さん数人がお喋りを楽しみに集まって来る公園でもあります。彼らは同じ会社のOBで、現役時代から気のおけない仲間だったようです。

 先日、その東屋のある公園西側入り口に着いてみると、少し離れたプレハブの物置小屋の前に大きなゴミ袋が2つ放置されているのが見えました。ひとつは大きな黒いビニール袋、もう一つもやや大きめのレジ袋でした。

 レジ袋の方はカラスに啄っつき回されたのか、中味の生ゴミがそこら中に散らかっていました。例の爺さんたちは、そのゴミ近くのベンチでダベっていました。ゴミなど素知らぬふり、これも相変わらずです。

 この惨状を見るなり私は、手始めにこの片づけから始めるしかないと決めました。

 作業中の私にこう声をかけて来たのは、彼らの中でも飛びっきりお喋り好きの爺さん。
「これは家から持ち込んだゴミだね。この公園、以前はゴミ箱が置いてあって、そのときも家庭ゴミを持ち込んで捨てる奴がいた。あまりにヒドイので市役所に言ってやったよ、どうにかしてくれと。」

 さもさも、自分が言い出しっぺでゴミ箱がなくなったと自慢しているように聞こえたので、
「それは10年以上前の話ですよね。何でも、この公園だけの問題じゃなかったそうなので、市の方針で市内全部の公園からゴミ箱を撤去したそうですよ。」と、諫めたつもりの私。

 それでもこのお喋り好きの爺さん、めげません。
「何せゴミを拾っても、その端から子どもたちが散らかすもんだから・・・」

 まるで自分がゴミ拾いをやっていたように話すものだから、ついこう言い返してやりました。
「悪いのは子どもたちじゃないですよ。大人が悪いから子どもがマネをするんです。タバコの吸い殻だって、そのまま散らかしっぱなしにしているのは大方年寄りなんですよ。
 見ての通り、あんなに散らかっていた生ゴミでも片付けるのに10分もかかっていない。普通ならペットボトルや菓子袋だけですから、公園全体でも10分もあれば済みますよ。」

 何もしない人へのちょっとした嫌味のつもりでしたが、そんな私の皮肉も何処吹く風、件のお喋り好きの爺さんはプロ野球談義に話題を変えてヘラヘラお喋りを続けていました。

 嫌味も皮肉も全く通じない、何とも喰えない “有口無行” の爺さんでした。まぁ、あれだけ神経が図太くて口も達者なら、100歳までも長生きすること間違いなし、でしょうネ?

 ところで、もう一方の大きな黒いビニール袋、啄っつき回されても中味が飛び出ていませんでした。よく見ると、袋が二重になっていたのです。カラス対策にはこんな手もあるのだと納得しました。



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出任せでやるウソはダメ!

2019-10-18 05:55:34 | 病状
 先日、3ヵ月に1回の定期的予約診療のため県立○○病院の内科に行ったときのことです。

 2年に1回は定期的に大腸内視鏡検査を受けるよう言われていたので案の定、その話になりました。前回の検査まではその場でパソコンから検査予約ができていたのに今はそれがなく、消化器センターで改めて検査予約するシステムに変更されていました。

 で、内科の診察後に消化器センターに行って検査予約を取ることに。消化器センターでは小1時間ほど待たされました。やっと診察室で1週間後の午後に検査予約が取れ、続いて看護師から注意事項の説明を受けることになりました。

 これまで私は大腸内視鏡を4回経験しています。検査前日の厳しい食事制限や当日の辛い下剤服用は経験済みで、それなりに工夫すべき点もわかっていたので説明など不要と思っていました。それに何よりも、絶食のまま午後の検査まで待たされることに不満タラタラでした。

 私が気乗りしていないことを雰囲気から見て取ったらしく、看護師の方も事務的に早く済ませてしまおうと少し苛立っていました。

 説明を一通り受け、必要書類に署名を済ませたとき、私は思い切ってこう尋ねてみました。

「以前は確か、午前中の検査だったですよねぇ?」
「胃の内視鏡は午前中ですが、大腸内視鏡は午後だけです。」と、看護師。
「えっ、そんなことないはずですよ。今まで4回も(検査を)受けてきたのに・・・」
「10年間ここで勤務していますが、大腸内視鏡が午前中ということはありません、午後だけです。」と、再びキッパリ。
「午後まで絶食なんて拷問ですよ! 患者第一ではなく、これじゃー医者側の都合第一じゃないですか?!」と、やや感情的になってこう反論してしまいました。

 以前検査を受けたときは、確かに午前中だったという具体的エピソードが喉まで出かかっていたのですが、どうしても思い出せないもどかしさがそう噛み付かせたようです。

 さすがに彼女はこの言葉に切れたらしく、私に書類を手渡すとさっさと席を立って行きました。感情的になった彼女の後ろ姿を見てやっと、初めて大腸内視鏡検査を受けた5年前のことを思い出しました。

 5年前のその日、午前中に大腸内視鏡検査を受けた後、AAのミーティングに出るため三宮に向かいました。そのミーティング中、検査で受けた強いストレスからか、激しいドライドランク状態を経験していたのです。

 患者から苦情を言われるのはいつも看護師で、その辛い立場には同情します。いくら神経を逆なでされてのことだったとしても、だからと言って看護師が患者に出任せでウソをついてはいけません。益々、私の腹の虫が治まらなくなりました。

 会計で支払いを済ませた頃になって、これは是非とも病院側に知らせておくべきと思いました。先ず行ったのは消化器センターの受付です。そこでは多忙を理由に埒が開かなかったので、已む無く、次に病院の苦情窓口に行くハメに。

 その結果、病院として厳重に注意しておくという月並みな回答に加え、病院の移転問題でスタッフが多少浮ついているという意外な釈明も受けました。

 この釈明から、少なくとも消化器センター内では移転がらみで何か人事問題を抱えているらしい、そう私の方は受け取りました。そんな問題を抱えていては、いつ医療事故が起こらないとも限りません。間近に迫る大腸内視鏡検査の辛さに怯え、ついそんなことまで考えてしまいました。

 この大腸内視鏡検査の辛さの件、かつて2度もこのブログに書いています。肝腎な時にそんなことさえ思い出せなかったなんて、私の頭は一体どうなっていたのでしょう? こっちの方がむしろ問題ですよネ。


大腸内視鏡検査については、次の記事もご参照ください。
断酒中のハイテンションは危ない!(ドライドランク)』(2014.9.06投稿)
患者説明文書はよく読んで!』(2017.11.14投稿)



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教師のいじめ事件は内ゲバ?

2019-10-15 06:16:57 | 世相
 このところ世間を呆れさせているのが神戸・東須磨小の教師いじめ事件です。

 40代の女性教師1人と30代の男性教師3人の計4人が、20代の男性教師1人を集団でいじめていたと言うのです。他に20代の女性教師2人も被害者だったという報道もあります。

 羽交い締めにされた若い男性にカレーを無理矢理口に押し込む様子が動画でも報道されていましたので、ご覧になった方も多いと思います。この動画を見る限り、子供じみた悪ふざけとも見え、陰湿ないじめとは思えないぐらいです。

 ところが、動画での登場人物が全員教師であり、どうやら空いていた理科教室(?)家庭科室での出来事らしいのです。被害男性の言うことを聞かないようにと、加害者側が教室で子どもたちに公言していたという事実もあったそうです。そうであるなら教師として断じて許しがたい行為です。

 なぜ、こんな事態になったのか?
 
 内部告発があった後も校長は煮え切らない態度だったと聞きます。そんなことから校長を職員の人気投票で選ぶ人事制度が誘因だったのでは、という報道もありました。

 地元で起こった事件なので、AAのミーティング前の雑談でも話題に上がりました。

「あれは神戸市教組の内ゲバだね。被害男性は共産党系の少数派だと聞いています。」こう言ったのは元共産党員だった M 氏。
「あれも内ゲバだったのかなぁ。昔、東門街のスナックで教師同士が掴み合いのケンカになったことがあった。教師にも派閥があるそうで、反目し合う派閥の対立だったようだ。ママが宥めるのに必死だったよ。」と H 氏。

 何と、昔懐かしい内ゲバという言葉が出て来ました。M 氏は人を担ぐのが好きな人なので、話を額面通りに受取ってはいけません。が、そんな説でも一理あるとは思いました。

 と言うのも、今からかれこれ半世紀前のこと。非共産党系の新左翼がいくつもの派閥・党派(セクト)に分かれ、それぞれ中核やら革マルやら連合赤軍やらを名乗っていました。

 それぞれが他派を異端と断じ、他派を粛清しようとセクト間で血みどろの武力闘争を繰り返していたのです。内ゲバとはそのことを言います。

 地下に潜らざるを得なくなった組織は閉鎖的な社会となります。逃亡先とした彼らのアジトでは、異端の粛清と称して仲間内の凄惨なリンチ殺人もありました。

 “小異を捨てて大同につく” この美辞麗句はかつて、中国共産党が戦略的敵国・日本との和解を演じた際に自己都合もあって使ったフシがあります。

「普通なら、少しでも考え方の違う者は断じて許さないところ」という国内向けの逆説的脅しとも受け取れるのです。後年、抗日という反日教育を国策としたことからも彼らの本音は明らかです。

 どうやら左翼系の考え方には、一神教の信者と共通する考え方があるようです。それは異端を決して許さないとする考え方で、私にはそう思えてなりません。

 今回の教師いじめ事件も、左翼系の教職員組合での内ゲバという観点で見れば、その陰湿さも案外簡単に説明がつくのかもしれません。とは言っても、まだ警察沙汰になっていないので、今のところ真相は藪の中です。




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“自立は、依存先を増やすこと 希望は、絶望を分かち合うこと”

2019-10-11 05:53:27 | 自助会
 以前、『アル症の回復には複数の依存先を』(2019.5.31投稿)という記事をブログに掲載したことがあります。産経新聞だったか、新聞のコラムに触発されて書いた記事でしたが、該当する記事も著者もわからずじまいでした。

 それが、ひょんなことから著者がわかりました。熊谷晋一郎氏という東京大学先端科学技術研究センター准教授で、小児科医でもある方です。熊谷氏は、『当事者研究』という研究領域に携わる研究者であり、自身も脳性麻痺の当事者だそうです。

 因みに『当事者研究』とは、障害や病気の当事者が、グループで経験を分かち合いながら自身の困りごとを探求することで問題を解決していこうとする試みのことだそうです。

 ところで、アルコール依存症(アル症)者の回復には、グループで集まって自身の体験を語り合うことが最も有効と言われています。

 そのアル症者の自助グループAAは1935年に設立されたコミュニティー(共同体)ですが、ミーティング・ハンドブックの序文にはこうあります。

「アルコホーリクス・アノニマス(AA)は、経験と力と希望を分かち合って共通する問題を解決し、ほかの人たちもアルコホリズムから回復するよう手助けしたいという共同体である。」

 これはまさしく上記『当事者研究』の概念そのものです。熊谷氏は、自身の障害を克服して自立する道を探求した結果、AAの設立理念とほぼ同じ結論に至ったようです。あるいは最も古く設立されたAAの理念に即発されての結論だったのかもしれません。

 なぜ障害者が自助グループとして集まることが大切か、その自助グループがいかに障害者の回復・自立に有効か、今回は熊谷氏の口演をまとめた記事からそのエッセンスを引用してご紹介します。

 ● 健常者はさまざまなものに依存できていて、障害者は限られたものにしか依存できていない。依存先を増やして、一つひとつへの依存度を浅くすると、何にも依存してないかのように錯覚できます。“健常者である”(=“自立”)というのはまさにそういうことなのです。
 ● おもらしをするという “絶望” が、誰かと分かち合うことで “希望” に変わったんです。
 ● トラウマというのは、自分の経験に意味をつけられていない時に起こるもの。似たような経験をした当事者同士で経験を分かち合えば、自分や相手にとって1回きりの経験でも、2回になります。「あなたもそうか」、と自分の経験に当てはめることが、1回性の出来事に意味をつけて、物語にしていく。
 ● 「わたし」という存在は、わたしがたった一人で考え続けてもいっこうにその正体が見えてこない。「あなた」という他者と隣り合い、お互いの共通点や違いを見出すことを通して、はじめて「わたし」の輪郭が浮かび上がってくる。
 ● 理想と現実のギャップをそのままにして、仲間と言葉で埋めるんです。言い換えれば、「愚痴を言う」。そうした時間を重ねるなかで、次第に回復の糸口が見えてくる。
 ● そうした困難の渦中にいる人と支援者が1対1で近づき過ぎると、薬物に代わる新たな共依存を再生産しかねない。比較的似た経験をした「当事者」同士が(グループで)集まることの価値はそこにある。
 ● 「回復とは、回復し続けること」少しずつ回復していくプロセス自体が回復。

 詳細については次の2つの記事をご参照ください。物書きのプロがまとめた記事ですから、とてもわかりやすい内容になっています。
自立は、依存先を増やすこと 希望は、絶望を分かち合うこと
絶望だって、分かち合えば希望に変わる。熊谷晋一郎さんが語る「わたしとあなた」の回復の物語



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人間のポカを機械がカバー

2019-10-08 05:57:58 | 世相
 人手不足のせいか人件費を切り詰めるためなのか私にはわかりませんが、外食屋さんではどこでも自販機が花盛りです。元町東口にあるトンカツ専門店『松○屋』でもそんなシステムを採用していて、自販機で食券を買うと自動的に注文まで済ますことができます。

 その『松○屋』で最近始めたのがマグロ三色丼(ネギトロ、キュウリを刻んだ山形だし、長芋トロロの三種ネタ)。価格が500円とワンコインで済む手軽さと、サッパリした食感に食欲をそそられます。

 そんなわけで早速、自販機画面で品物を選び、小銭入れから大きめの銀色硬貨を1枚取り出して投入口に入れました。もちろん入れたのは五百円硬貨のつもり、例の如く思い込みです。

 ところが一向に食券が出て来ません。お釣りのボタンが点滅していたのでそれを押すと、何と百円硬貨が1枚出て来ました。取り消しボタンも押してみたのですが何の反応もありません。仕方なく店員のいるカウンターに行き、少し気色張って経緯(いきさつ)を話しました。

「そうですか。自販機の記録を見てみますね。」店員はそう言うと、直ぐに自販機の扉を開けて紙に印字された入金記録を点検し始めました。こういうクレームには慣れっこになっているようでした。
「五百円硬貨が入った記録がありませんね。百円硬貨と間違ったのでは・・・」

 こうしっかり記録を見せつけられては私もすっかり毒気を抜かれ、自分のポカを認めざるを得ませんでした。小銭入れには幸い百円硬貨が7枚あり、その中の5枚を自販機に投入して注文を済ませました。

 さて、こうなると小銭入れの出納がどうだったかが問題です。マグロ三色丼を食べながら、真剣になって朝からの行動を思い起こしてみました。

 その日はAAのミーティングが三宮である日で、献金用に百円硬貨を確保しておく必要がありました。ところが家を出たとき、小銭入れに十円玉以上の硬貨は一枚もなかったのです。

 先ずコンビニで新聞を買い、千円札でお釣りをもらいました。お釣りには五百円硬貨が1枚確かに含まれていました。

 次に歯医者に行って、グラツキ始めた差し歯のブリッジを診てもらい、支払いはこのときも千円札でやりお釣りをもらいました。これで小銭入れは、五百円硬貨、百円硬貨、五十円硬貨、十円硬貨でそこそこ膨らんでいました。

 それから神戸に移動して向かったのは元町にあるお菓子屋でした。お茶菓子にと500円弱の買物をし、たった1枚の五百円硬貨をそこで使っていました。献金用にと、どうしても百円硬貨を残して置きたかったためです。

 以上を計算してみると、私の小銭入れの出納はピッタリ合っていました。自販機の記録のお陰で、私の記憶の方もなかなか頼りがいがあるものだと、自信も付きました。

 これなどもフェールセーフと言うのでしょうか? 最近の自販機は優れモノです。思わず尊敬の目で見直してしまいました。



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“認知バイヤス” ってこんなこと?

2019-10-04 05:38:54 | 雑感
「台風18号は、朝鮮半島に上陸した後日本海に抜け、その後温帯低気圧に変わる見込みです。」

 一昨日・昨日は、こんな台風情報を耳にした人が多かったと思います。これを聞いてほとんどの人が「温帯低気圧なら、今度も一安心か!」と安堵したと思います。私も、以前からそう思い込んでいました。

 ところが、実際はそうでもなさそうなのです。一昨々日のニュースで、気象予報士の方がこんなふうに解説していました。
「温帯低気圧に変わっても、勢力が衰えない限り却って強風の吹く範囲は拡大します。」これは “目から鱗” な情報でした。

 そこで、改めて台風と温帯低気圧をネットで調べてみると、それぞれの定義はこうなっていました。

 ● 台風は、熱帯低気圧が発達して風速が 17.2 m/s を超えたもの。
 ● 温帯低気圧は、寒冷前線(冷たい空気が暖かい空気に追いついて
   いる場所)と温暖前線(暖かい空気が冷たい空気に追いついてい
   る場所)を伴うもので、
   発達して風速が 17.2 m/s を超えても台風とは呼ばない


 何のことはない、台風から温帯低気圧への変化とは、気象現象の定義に照らして単に名称変更せざるを得なかっただけなのです。そう言えば、春先などに北日本を襲う猛烈な低気圧に対して「台風並みに発達した(温帯)低気圧」という言葉がよく使われることを思い出しました。

 ところで “認知バイヤス” とは、先入観から無意識に偏った判断をしてしまう人間の特性のことだそうです。

 台風が温帯低気圧へ変わったとなると条件反射的に一安心してしまう習性などは、この “認知バイヤス” のひとつなのでしょう。温帯低気圧が猛威を振るうことなど滅多にないので、その先入観から無意識に大したことはないと判断してしまうわけです。

 “認知のゆがみ” はアルコール依存症者の専売特許(?)とばかり思っていましたが、その大本にはこの “認知バイヤス” があったわけですネ。

 “一息ついて一歩引いて”、事実を “ありのままに受け止める” ことが肝要、改めて肝に銘じました。



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再び、話の切り出し方について

2019-10-01 05:55:05 | 雑感
 先日コープで買物を済まし、店先のベンチに腰掛けていたときのこと。隣の町内に住む男性がこう声をかけてきました。

「H 町からずぅーと歩いて来たんだけど、吸い殻が一杯落ちたままだったね。」いきなりだったので私には何のことかわからず、返答に困ってしまいました。

「・・・あそこは私の守備範囲じゃないし、仕事でやっているわけでもないし、・・・」しどろもどろになって私はこう返しました。私のゴミ拾いがイイカゲンだという非難と受け取ってしまったのです。

「いや、余りに目に付いたものだから、自分もゴミ拾いをやってみたんだ。大変だよねぇ!」そう言うと彼は去って行きました。私を非難していたわけではなかったのです。

 このときになってやっと思い出しました。以前も、この人は同じようにぶっきらぼうな話し方をし、私も同じように少し気色ばんだことがあったのです。

 人に話しかけるときは、話の切り出し方次第で後の展開が変わります。今回も、彼がこう切り出してさえくれれば何も角が立たなかったのにと、残念に思いました。
「ここに来るまで私もゴミ拾いをしてきたけど、H 町もヒドイものだねぇ・・・。」

 前置きの長い話は聞き手の興味を削ぎますが、大前提を省いた話し方も相手にケンカを売っているようなものです。話をするときは相手が理解しやすいよう、何がテーマか最初に切り出す心懸けが大切です。

 自分を棚に上げてエラソウに言えば、三段論法を意識して少し手順を踏むだけの話です。改めて、そんな気遣いとゆとりが欲しいものと気づかされたエピソードでした。


話の切り出し方』(2017.10.24投稿)もご参照ください。



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