アルコール依存症の回復に立ちはだかる最大のハードルは “認知のゆがみ” と言われます。前回に続き、“認知のゆがみ” にどう向き合ったらよいのか、私の通っている専門クリニックの院長の教えを取り上げてみようと思います。
飲酒時代のマイナス感情による悪循環が、アルコールの麻酔作用で認知を偏らせ、“認知のゆがみ” を増幅させたと思えて仕方ありません。それがそのまま断酒後も続いているようなのです。断酒2年後ぐらいから自覚し始めた可笑しな経験を挙げてみます。
人と話していると勝手に気持ち(感情)が先走ってしまうことがよくあります。微妙なタイミングだったことを「危なかった」と言われただけなのに、早とちりで自分の身に危険が迫っていると怯えたり、単に「話が長過ぎる」と注意されただけなのに、自分の話全体や考え方までも全否定されたと思い込んだり、現場の実状をよく見もしないでちょっとした言葉につい感情的になったことがありました。“認知のゆがみ” のせいだったのでしょう。そして、それは今でも時々あるので用心が欠かせません。
幸い、この悪い癖に気づくことができたので、今は用心のため次の二つをモットーにしています。どちらも自助会AAのミーティングで仕入れた有り難い教訓です。
● 事実を事実として ありのままに・・・
● 一息ついて 一歩引いて 6秒待てば様変わる
院長は、アルコール依存症から立ち直って “楽に生きる” コツについて次のように述べています。
「マイナス感情のままに行動するとロクな事になりません。それに、
怒りを我慢したり抑うつを努力で直したりするのは辛いことです。
それより一歩立ち止まって “これは一部分なのだ” と、何度も
自分に言い聞かせるのです。そうすれば怒りや抑うつの何割かは
減るものです。半分も減らせたら大成功ぐらいの気持ちで、・・・
完全をねらわないことが、この作業を続けるコツです。」
(下線部、筆者)
AAのミーティングで仕入れた教訓と、精神医学の専門家である院長の言葉とが見事に符合しています。私はこの院長の言葉を次のように理解しています。「事あるごとに自分の “認知のゆがみ” に “気づき”、それを少しずつ積み重ねることが大事。それが目指すべき自己洞察である」と。
この手強い “認知のゆがみ” に向き合い、自己洞察を繰り返すには “言語化” が打って付け、と私は考えています。“言語化” は、ただ書けばいいというわけではありません。
自分の悩ましい気持ちを忠実に文字に託す際、もし誤魔化したり、うまく取り繕ったり、キレイ事に装ったりすると、どこかに気持ちから乖離した違和感に気づくはずです。ときとして言葉が独り歩きすることもありますが、そんなときも同様に気づくものです。このことはもの事の描写にもそのまま当てはまります。
違和感は、“自分に正直であれ” と言う警告で、そのまま放置していては気が散って落ち着きません。その違和感を拭い去るには、相当の時間をかけて的確な言葉と表現を懸命に探し出すしかありません。
自分に正直でありたいからこその言葉への拘(こだわ)りです。“言語化” の鍵は、違和感を払拭するためにするこの言葉への拘りが握っていると考えています。
「一歩立ち止まって・・・事あるごとに自分の “認知のゆがみ” に “気づく”」これを着実に習慣化するには、その都度否応なしに内省を迫られる “言語化” こそがふさわしいと考えた所以です。
このところ、矯正すべき課題がものの見方・考え方にあると薄々気づいていながら、それを言葉でどう表すか的確な言葉を探しあぐねていました。“認知のゆがみ” は私が探し求めていた言葉そのものでした。 “認知のゆがみ” についての今回の教えは誠に時宜を得た “言語化” そのものとなりました。実に有り難いことと院長に感謝しています。ついでながら、このブログに投稿している記事は、私の闘病記録であると同時に “言語化” の実践記録でもあります。
おまけにもう一つ。院長によると、“認知のゆがみ” はアルコール依存症ばかりでなく、うつ病や神経症にも共通する問題だそうです。これらの病気には、いずれも決め手となる薬がなく、自然治癒力に期待するしかないという精神科医の本音も聞いたことがあります。私はうつ病や神経症のことはよく知りません。ただ、“認知のゆがみ” が共通した問題である以上、うつ病や神経症でも “言語化” を試みる価値はあると考えています。
次の記事もご参照ください。
「“認知のゆがみ” って何?」
「継続断酒3年 心の軌跡(飲まない生き方のモットー その4)」
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飲酒時代のマイナス感情による悪循環が、アルコールの麻酔作用で認知を偏らせ、“認知のゆがみ” を増幅させたと思えて仕方ありません。それがそのまま断酒後も続いているようなのです。断酒2年後ぐらいから自覚し始めた可笑しな経験を挙げてみます。
人と話していると勝手に気持ち(感情)が先走ってしまうことがよくあります。微妙なタイミングだったことを「危なかった」と言われただけなのに、早とちりで自分の身に危険が迫っていると怯えたり、単に「話が長過ぎる」と注意されただけなのに、自分の話全体や考え方までも全否定されたと思い込んだり、現場の実状をよく見もしないでちょっとした言葉につい感情的になったことがありました。“認知のゆがみ” のせいだったのでしょう。そして、それは今でも時々あるので用心が欠かせません。
幸い、この悪い癖に気づくことができたので、今は用心のため次の二つをモットーにしています。どちらも自助会AAのミーティングで仕入れた有り難い教訓です。
● 事実を事実として ありのままに・・・
● 一息ついて 一歩引いて 6秒待てば様変わる
院長は、アルコール依存症から立ち直って “楽に生きる” コツについて次のように述べています。
「マイナス感情のままに行動するとロクな事になりません。それに、
怒りを我慢したり抑うつを努力で直したりするのは辛いことです。
それより一歩立ち止まって “これは一部分なのだ” と、何度も
自分に言い聞かせるのです。そうすれば怒りや抑うつの何割かは
減るものです。半分も減らせたら大成功ぐらいの気持ちで、・・・
完全をねらわないことが、この作業を続けるコツです。」
(下線部、筆者)
AAのミーティングで仕入れた教訓と、精神医学の専門家である院長の言葉とが見事に符合しています。私はこの院長の言葉を次のように理解しています。「事あるごとに自分の “認知のゆがみ” に “気づき”、それを少しずつ積み重ねることが大事。それが目指すべき自己洞察である」と。
この手強い “認知のゆがみ” に向き合い、自己洞察を繰り返すには “言語化” が打って付け、と私は考えています。“言語化” は、ただ書けばいいというわけではありません。
自分の悩ましい気持ちを忠実に文字に託す際、もし誤魔化したり、うまく取り繕ったり、キレイ事に装ったりすると、どこかに気持ちから乖離した違和感に気づくはずです。ときとして言葉が独り歩きすることもありますが、そんなときも同様に気づくものです。このことはもの事の描写にもそのまま当てはまります。
違和感は、“自分に正直であれ” と言う警告で、そのまま放置していては気が散って落ち着きません。その違和感を拭い去るには、相当の時間をかけて的確な言葉と表現を懸命に探し出すしかありません。
自分に正直でありたいからこその言葉への拘(こだわ)りです。“言語化” の鍵は、違和感を払拭するためにするこの言葉への拘りが握っていると考えています。
「一歩立ち止まって・・・事あるごとに自分の “認知のゆがみ” に “気づく”」これを着実に習慣化するには、その都度否応なしに内省を迫られる “言語化” こそがふさわしいと考えた所以です。
このところ、矯正すべき課題がものの見方・考え方にあると薄々気づいていながら、それを言葉でどう表すか的確な言葉を探しあぐねていました。“認知のゆがみ” は私が探し求めていた言葉そのものでした。 “認知のゆがみ” についての今回の教えは誠に時宜を得た “言語化” そのものとなりました。実に有り難いことと院長に感謝しています。ついでながら、このブログに投稿している記事は、私の闘病記録であると同時に “言語化” の実践記録でもあります。
おまけにもう一つ。院長によると、“認知のゆがみ” はアルコール依存症ばかりでなく、うつ病や神経症にも共通する問題だそうです。これらの病気には、いずれも決め手となる薬がなく、自然治癒力に期待するしかないという精神科医の本音も聞いたことがあります。私はうつ病や神経症のことはよく知りません。ただ、“認知のゆがみ” が共通した問題である以上、うつ病や神経症でも “言語化” を試みる価値はあると考えています。
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「“認知のゆがみ” って何?」
「継続断酒3年 心の軌跡(飲まない生き方のモットー その4)」
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