2010年9月6日-3
松井守男「宙」/新千歳空港内アート
朝日新聞2010年9月6日G8面に、松井守男画伯の紹介があった。
画像検索して見ると、1985年の「遺言」はなかなかよさそうである。これが気色良いのは、山形の光の破片のようなのが、繋がりとバラけとの均衡を取りつつ、うまく左にも拡げていることが一因だろう。そして、45度に交わる破片が、地の縦方向の筋と拮抗して映える。
面想筆による油絵ということ
http://www.chanel-ginza.com/nexushall/2008/morio/
だから、近づいて細部を見ても白けず[註1]、全体の構図とその他(画像ではわからないが、たとえば画肌の感触)がよいのだろう。
[註1]人の肉眼の解像度は、絵画に近づけば相対的に高まる。すると、具象では、たとえば人の肌は、絵具で構成されているから、絵具で作られた表面や絵具の塊や、あるいは絵具の筆跡(筆跡とは絵具の配置で作られるものを、われわれが筆跡と認識するものである)を「見る」ことになる。そこでは、人の肌は無い。あるいは、絵具の配置そのものへと解消または還元(=減少)される。
松井作品の場合、おそらく、細部においても、線という「絵画としての」要素があるのだろう。要、実地調査。
画像検索で、国内線1階に、松井守男「宙」があることがわかった。国内線3階の渡会純价「ARABESQUE-旅」と「ARABESQUE-愛」は見かけていたが、「新千歳空港内アート」として他にも色々あるとは知らなかった。「宙」と同じ1階には、日比野克彦「ORGANIC CIRCULATION」[有機的循環]もあるとのこと。
http://www.new-chitose-airport.jp/ja/service/?no=50
は、「新千歳空港内アート」の画像付き目録となっている。すばらしい。
下方では地図があって、展示場所を示すらしい赤い印が点滅しているが、もっと大きな地図上に直接作者名か番号づけした番号を表示するか、もしくは、赤い印をクリックすると作者と作品名が出るようにすると便利。
或る医院では松井守男作品4点があるらしい。
http://www.kanamarudental.com/art.html
→[課題](あるとして)絵画療法のメカニズム。音楽療法の考え方の検討。
松井守男作品のいくつかの画像から考えると、
1. 基本要素は、線。つまり線描。
2. 色数と構図の作品間変異は大きい。
3. 作品内変異は、5段階で言えば、色数2くらい。
4. 作品の層数は、2、2.5、または3くらい。
(地と文ならば層数は2。ただし、展示壁面をも利用している作品では壁面を1と数える。同様に、支持体を絵画構成での層と成っている場合は、それも1と数える。フォンタナの切り裂きや穴あけ作品の場合、通常の画布面はのっぺりとしていて1。切り裂いている場合は画布が引き込まれたようになるので、その部分は仮りに0.5とする〔要検討→フラクタル次元的にできるかどうか〕。画布の下に布を張っているから、そのことで層数は、見えの上ではなく、「物理的に」(したがって見えの上でも)1増える。)
(モダンアート展出品作品で、画布を大きく丸く切って裏側で留めた作品があった。当然、美術館の壁面が見えるし、十字状の木組みも見える。この場合、
基底層(層1):壁面(おおよそ白。肌はのっぺり、ないし布目。)
層2:木組み(茶色。肌は木。)
層3以上:画布。
層3:絵画面の基底層=地塗り的に作った場合は多くの場合、地塗り面。
層4:文、つまり絵画の見えの上で存在させている対象が(むろん仮構的に)存在する層。
通常の(たとえば透視図法的に)立体的な場合は、三次元と数えるやり方を採用してもよい。この場合は、地塗り面+3。
われわれの世界は立体的に感じられるので、三次元空間としてとらえ得る。しかし、絵画の支持体は通常は平面である。ただし、円筒形や球体の表面を絵画とすることができる。考え見れば、彫刻作品であっても、物としての存在は三次元的なのだが、それはそもそも三次元空間というわれわれの認識枠組み、つまりわれわれの仮構(=構築体)である。われわれの肉眼は小さな眼球の小さな、外界と相対的には点とみなし得る場所から見ている。そして見ているのは、不透明な場合には、物の表面である。立体作品だと言っても、われわれが見ているのは、物体の表面である。或る作品では穴(穴は物体の欠落として認識される、非在である)を開けていて、向こうが見える場合でも(むろん、受け取り様はかなり異なってくるだろうが)見えるのは(不透明な場合は)表面である。
要は、画布から数える層数は、見えまたは受け取り方の様式または規約に応じて、数え方を違えるのが、(様々な対象を)包括的にできるだろう。
→空気遠近法。あるいは、たとえば雲のようなものを配置して(洛中洛外、源氏)、人や建物を隠すあるいは区切る場合。
→画布上に様々な素材を張りつける場合。画布そのものを重ねる場合。立体物を張りつける場合。など、など、。
松井守男「宙」/新千歳空港内アート
朝日新聞2010年9月6日G8面に、松井守男画伯の紹介があった。
画像検索して見ると、1985年の「遺言」はなかなかよさそうである。これが気色良いのは、山形の光の破片のようなのが、繋がりとバラけとの均衡を取りつつ、うまく左にも拡げていることが一因だろう。そして、45度に交わる破片が、地の縦方向の筋と拮抗して映える。
面想筆による油絵ということ
http://www.chanel-ginza.com/nexushall/2008/morio/
だから、近づいて細部を見ても白けず[註1]、全体の構図とその他(画像ではわからないが、たとえば画肌の感触)がよいのだろう。
[註1]人の肉眼の解像度は、絵画に近づけば相対的に高まる。すると、具象では、たとえば人の肌は、絵具で構成されているから、絵具で作られた表面や絵具の塊や、あるいは絵具の筆跡(筆跡とは絵具の配置で作られるものを、われわれが筆跡と認識するものである)を「見る」ことになる。そこでは、人の肌は無い。あるいは、絵具の配置そのものへと解消または還元(=減少)される。
松井作品の場合、おそらく、細部においても、線という「絵画としての」要素があるのだろう。要、実地調査。
画像検索で、国内線1階に、松井守男「宙」があることがわかった。国内線3階の渡会純价「ARABESQUE-旅」と「ARABESQUE-愛」は見かけていたが、「新千歳空港内アート」として他にも色々あるとは知らなかった。「宙」と同じ1階には、日比野克彦「ORGANIC CIRCULATION」[有機的循環]もあるとのこと。
http://www.new-chitose-airport.jp/ja/service/?no=50
は、「新千歳空港内アート」の画像付き目録となっている。すばらしい。
下方では地図があって、展示場所を示すらしい赤い印が点滅しているが、もっと大きな地図上に直接作者名か番号づけした番号を表示するか、もしくは、赤い印をクリックすると作者と作品名が出るようにすると便利。
或る医院では松井守男作品4点があるらしい。
http://www.kanamarudental.com/art.html
→[課題](あるとして)絵画療法のメカニズム。音楽療法の考え方の検討。
松井守男作品のいくつかの画像から考えると、
1. 基本要素は、線。つまり線描。
2. 色数と構図の作品間変異は大きい。
3. 作品内変異は、5段階で言えば、色数2くらい。
4. 作品の層数は、2、2.5、または3くらい。
(地と文ならば層数は2。ただし、展示壁面をも利用している作品では壁面を1と数える。同様に、支持体を絵画構成での層と成っている場合は、それも1と数える。フォンタナの切り裂きや穴あけ作品の場合、通常の画布面はのっぺりとしていて1。切り裂いている場合は画布が引き込まれたようになるので、その部分は仮りに0.5とする〔要検討→フラクタル次元的にできるかどうか〕。画布の下に布を張っているから、そのことで層数は、見えの上ではなく、「物理的に」(したがって見えの上でも)1増える。)
(モダンアート展出品作品で、画布を大きく丸く切って裏側で留めた作品があった。当然、美術館の壁面が見えるし、十字状の木組みも見える。この場合、
基底層(層1):壁面(おおよそ白。肌はのっぺり、ないし布目。)
層2:木組み(茶色。肌は木。)
層3以上:画布。
層3:絵画面の基底層=地塗り的に作った場合は多くの場合、地塗り面。
層4:文、つまり絵画の見えの上で存在させている対象が(むろん仮構的に)存在する層。
通常の(たとえば透視図法的に)立体的な場合は、三次元と数えるやり方を採用してもよい。この場合は、地塗り面+3。
われわれの世界は立体的に感じられるので、三次元空間としてとらえ得る。しかし、絵画の支持体は通常は平面である。ただし、円筒形や球体の表面を絵画とすることができる。考え見れば、彫刻作品であっても、物としての存在は三次元的なのだが、それはそもそも三次元空間というわれわれの認識枠組み、つまりわれわれの仮構(=構築体)である。われわれの肉眼は小さな眼球の小さな、外界と相対的には点とみなし得る場所から見ている。そして見ているのは、不透明な場合には、物の表面である。立体作品だと言っても、われわれが見ているのは、物体の表面である。或る作品では穴(穴は物体の欠落として認識される、非在である)を開けていて、向こうが見える場合でも(むろん、受け取り様はかなり異なってくるだろうが)見えるのは(不透明な場合は)表面である。
要は、画布から数える層数は、見えまたは受け取り方の様式または規約に応じて、数え方を違えるのが、(様々な対象を)包括的にできるだろう。
→空気遠近法。あるいは、たとえば雲のようなものを配置して(洛中洛外、源氏)、人や建物を隠すあるいは区切る場合。
→画布上に様々な素材を張りつける場合。画布そのものを重ねる場合。立体物を張りつける場合。など、など、。