長く続いたピマ航空宇宙博物館編も今回で最終回です。
ボーイングB-29スーパーフォートレス(1日ぶり2機目・466機目)
日本と因縁のある戦略爆撃機です。
この機体は第330爆撃航空群所属で、32回の出撃を行い日本をコテンパンにしました。
戦争終結後は防空レーダーの機能テストのための的として1959年まで飛んでいたそうな。
カーチスC-46Dコマンドー(1940年・467機目)
意外にも今回見るのは初めての輸送機。でも航空自衛隊でも運用されていて保存機も各地にあるので、馴染みはある機体です。
中国戦線での対日線のための物資輸送のためにインドと中国の間の山脈を跨いで飛ぶ「ハンプ越え」の輸送任務が有名なやつです。が、C-47と比べると地味です。C-47より搭載量は倍くらいもっているんですが、事故が多い機体でしたので評判が良くなかったのかも。
バルティーBT-13バリアント(1日ぶり4機目・467機目)
痩せたテキサンの名前で私に親しまれる中等練習機です。
WWIとWWIIの戦間期に見られたこの青い胴体と黄色い主翼の塗装は好きですね。特別塗装機や要人輸送機などを除けば派手な塗装の軍用機というのはこの1930年代までで最後ですね。
ノースアメリカンAT-6Bテキサン(1日ぶり5機目・468機目)
T-33と並ぶ世界の航空博物館の常連。BT-13と違ってこっちは実戦的な銀色。ただし金属地剥き出しではなくて、上からクリアコートを掛けていますね。
その手前の黄色い巡航ミサイルみたいなのはよく分かりません。
ダグラスA-26Bインベーダー(40分ぶり3機目・469機目)
アメリカ陸軍の双発攻撃機ですね。見た目の割に潰しが効いたのか、WWIIはもちろん、改修を重ねて朝鮮戦争とベトナム戦争まで経験している長寿機となりました。
A-26と言えば機首に参ったかとばかりにたくさん装備した12.7mm機銃なんですが、それはB型特有の装備らしいですね。このC型は精密爆撃が出来るようになっている型式です。爆撃機みたいに機首が風防になっていて、そこに例のノルデン爆撃照準器が積んでありました。
A-26の脇に置いてあるレンジャーL-440エンジン。A-26とは特に関係ないんですけどもね。
一部が透けているので中身を見ることが出来るのですが、私はとっとと次へ進んでしまいました・・・。
ノースアメリカンBT-14Aイェール(1936年・470機目)
なんだまたT-6かと思ったら、BT-14Aという別物の機体でした。ていうか初めて見ましたかね。
BT-9という中等練習機を発展させた機体です。BT-9の天蓋無し剥き出しコックピット、鋼管羽布張りから、BT-14では天蓋付きコックピット、全金属製機体になりました。ほぼ別物の機体じゃないか。
これが後のノースアメリカンの屋台骨になるT-6になるわけです。
この機体の塗装は蛇の目なのでイギリスかと思いますが、本当はカナダ空軍だそうです。この頃の蛇の目は見分けがつかないね。
ちなみに天井からドイツのシュトルヒ観測機がぶら下がっているのが見えますが、慌てたんで完全に撮るのを忘れてましたね。はい再履修~。
フィゼラーV-1飛行爆弾(2日ぶり3機目・471機目)
ドイツの断末魔1号。パルスジェットエンジンで飛行して決められた距離を飛んだ後地面に落ちて爆発して攻撃するやつ。当時としては高速で撃墜するにも厄介だったそうなんで、連合軍も専用の高速戦闘機が開発されるとかしてました。
アメリカ軍が接収したもののおこぼれがそこら中の博物館に展示されているのですが、これは発射レール付きで展示されているところが珍しいです。
実際のレールはもうちょい長い距離があるんですが、概ねこんな感じだそうな。
コンソリデーテッドB-24Jリベレーター(1939年・472機目)
カバの愛称で私に親しまれるアメリカ陸軍の四発重爆撃機です。B-17と並ぶWWIIのアメリカを代表する戦略爆撃機ですが、初めて見る機体ですな。
戦間期に開発されたB-17よりも4年遅く初飛行した機体のため、B-17と比べると新世代の機体であり、B-17よりも航続距離や爆弾搭載量等の性能で上回っていました。事故が多くて被弾したらすぐ落ちるという欠点があったらしく現場ではB-17が好まれていたようで、B-17を置き換えるまでには至らなかったそうな。
B-24といえばバカみたいな生産数で、この四発重爆を4年間で19,000機以上拵えました。これはアメリカ軍史上最多生産された軍用機でござい。
開発元のコンソリデーテッドを始め4社5工場で生産されたのですが、中でも自動車メーカーのフォードの生産数は異常で、フォードの1工場だけで全体の4割以上の数を造りやがりました。ありえんやろ。
この頃は異業種でも飛行機を生産するメーカーがいくつかありまして、フォードもそのひとつでした。フォードの場合、以前は旅客機の生産をしていた時期があったし、ヘンリー・フォードも大量生産バカでしたし、いろいろ適していたんでしょう。
ちなみにフォードはB-24以外にもジープを28万台、M4中戦車のエンジンを16000台を並行して造っていたんで、開いた口も塞がらんというもの。
アメリカの物量、というかフォードの大量生産能力を見せつけられる1機となっています。
ただしこの機体は本家コンソリデーテッド製の機体だそうな。
アメリカ軍で運用されて、戦後はイギリスへ譲渡され(アメリカに持って帰るのが面倒だったんじゃないか?)、さらにインド空軍へ放り投げられます。
インドでは1960年代末まで運用され、その後アメリカに里帰りしたんだそうな。インド空軍への敬意を込めて、この機体の右舷はインド空軍のマーキングになっています。気づかずに素通りしてしまったのだけれど。
ホーカー ハリケーンMk.II(1935年・473機目)
スピットファイアのパチもんみたいな飛行機。鋼管羽布張りなので後に出てくるスピットファイアに比べると一世代前の飛行機です。
なんだかレプリカっぽいんですが、一応複数の機体をニコイチして復元したんだそうな。ということはほとんどレプリカみたいなもんかね。
大部分はオンタリオ湖に墜落したカナダ製のハリケーンから復元したんだそうな。だったらカナダ製のMK.X系列になるんじゃないかって思いますけどね。
セスナUC-78Bボブキャット(2日ぶり2機目・474機目)
ボブキャットとかグラマンっぽい名前でいながら実はセスナ製の飛行機という紛らわしさ。
元は民間機だったものをアメリカ陸軍が連絡機や軽輸送機として使いだしたもの。軍では木造の機体からバンブーボンバーと呼んでたとかで。竹・・・?
ダグラスC-47スカイトレイン(1時間10分ぶり5機目・475機目)
ダグラスの旅客機DC-3の軍用型でござい。あとはもう説明不要でしょ(手抜き)
フェアチャイルドPT-19Aコーネル(1日ぶり2機目・476機目)
アメリカ陸軍の初等練習機です。鋼管羽布張りの胴体に木製の主翼という旧世代の造りの練習機だったんですが、WWIIの突入により1941年に大量生産され、3600機くらい造られました。
空冷エンジン機なんですが、今見たばかりの直列エンジンL-440を採用しているので液冷エンジン機のようなスマートなお姿になっています。
フェアチャイルドPT-26コーネル(10秒ぶり3機目・477機目)
PT-19の仕様変更機で、カナダ空軍向けレンドリース仕様です。寒冷地であるカナダ向けの仕様変更が施されていて、天蓋付きの密閉型コックピットが分かりやすいです。
機体の左舷の外板が取られているので、鋼管羽布張りの内部構造がよくわかりにけり。
機体の脇には羽布張りの製造工程の様子が展示されていました。羽布は布にドープという塗料を何回も塗り重ねて縫い目を潰し張りを持たせて作る布です。ここでは全部で9工程かかっています。結構手間だったのね。
これにて別館の見学は終了。ちらほら見逃した機体はありましたが、上々ですかね。
LTV A-7EコルセアII(30分ぶり4機目・478機目)
落ち葉拾いします。といっても1機だけですが。
アメリカ海軍の艦上攻撃機でござい。E型は空軍が採用したD型の海軍仕様です。灰色の迷彩塗装なので若々しく見えます。湾岸戦争時の塗装なんだそうな。湾岸戦争に参戦していたのか。
はい、ピマで見てきた飛行機は以上です。
終わってみればここだけで200機以上の機体をみたことになります。なんとまあ膨大な数の飛行機であった、という言葉しか出ませぬ。
今まで見てきた航空博物館では、急ぎ足ながらもどうにか一通り見れたな、という感じでしたが、ピマでは完全に敗北でした。時間を見誤ってしまいました。
出来ることなら今度は2日間掛けて再訪したい博物館であります。ただ他にも見たい博物館はあるので、だいぶ後回しになるんだろうなと思います。その時には収蔵機がまたたくさん増えていそうです。
みんなもここに行くときは十分な余裕を持って対決しような!
さて、博物館の入り口のロータリーまで戻ります。ここまで来るのにタクシーに乗ってきたので帰りもタクシーになるわけですが、博物館で捕まえるのは困難だと思っていたので行きのタクシーに乗っているときに帰りも乗せるよう頼んでいたのでした。
で、約束の時間までにロータリーに戻ってきたわけですが、タクシーは10分位遅れて来やがりました。うーんアメリカ。あと10分見学時間があったら・・・。
そんなこんなでピマを離脱してツーソンの町へと赴くのでした。
今日はここまで。