黒鉄重工

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北方project ~Welcome to Hokkaido. その19【2017/5/3~7】

2019-04-21 21:21:16 | 旅行・イベント記
2017年5月5日(金)13時30分
 北海道芦別市 北海道大観音

一行はカナディアンワールドを出国し、国道452号線を南下します。10分くらい車を走らせていると背の高い観音像が見えてきたので、少し寄り道することに。
「北海道大観音」という1989年に建立された最近の観音様。カナディアンワールド公園同様、炭鉱の閉山で斜陽化する芦別市が観光開発の一環としてぶち建てたもの。観音を中心に据えた仏教テーマパーク「北の京芦別」の建設をもくろんでいたらしい。あっちではカナダを建国したかと思ったら、こっちでは仏教都市をぶち上げて、なんつーか、まあ。
当然ながらカナディアンワールドと同じ運命を辿り、北海道に残されたバブル期の遺産のひとつとして一部のB級観光地マニアの間で人気を博していましたが、北の京芦別はカナディアンワールドよりも早い2013年に力尽きてしまいました。今はこの北海道大観音だけ宗教団体に引き継がれています。

時間はなかったので、外から観音様を拝むだけとなりました。
はい撤収。滞在時間5分。

芦別市街地では、まだだったお昼をセイコーマートで食べました。
セイコーマートは町に行けばそこら中にあるもんではない(町に2~3箇所)、ホットシェフが無い店舗もある等、新たな知見を得られました。


芦別市街からも452号線をただ南下します。程よい山道で、山陰にはまだ雪が残っているゾ。


同年同月同日14時58分
 北海道夕張市 シューパロ湖東岸

1時間くらい走り続けていると、夕張には欠かせないシューパロ湖が左側に見えてきました。ちょうどちょっとした駐車場があったので一瞬だけ寄ることに。
眼前に広がるのがシューパロ湖ですが、数年前までは普通の夕張川でした。2015年に完成したシューパロダムによりシューパロ湖の水域が拡大し、この地域も沈んで湖になりました。
なおシューパロダムが竣工する前にあった旧シューパロ湖も大夕張ダムが造り出したダム湖です。大夕張ダムと旧シューパロ湖はシューパロダムによって水没してしまったという、なんだかスケールのデカい話です。


遠くに見えるのはたぶん夕張岳。


大夕張ダム建設時に沈んでしまったと思われる鹿島東小学校。

はい撤収。滞在時間5分。


同年同月同日15時7分
 北海道夕張市 旧南大夕張駅

夕張のイチオシ観光スポット(当ブログ調べ)である旧南大夕張駅に来ました。三菱石炭鉱業が運営していた運炭鉄道ですが、地元民の足にもなっていました。1911年開通、1987年廃線。
廃止後は三菱大夕張鉄道保存会が車両の保存や地域交流なんかの活動を行っています。
旧南大夕張駅のホームであるここには6台もの車両が保存されていて、見応えのある施設であります。


プラットホームだってちゃんと残っています。雰囲気満点。


ちょっと足場が悪いですが編成写真のような構図も取れます。
先頭の黒い車両は機関車ではなくてラッセル式除雪車のキ1形。国鉄のキ100形の同型車ですが、大夕張鉄道用に新造したものです。


スハニ6。国鉄の客車とはどこか微妙に異なるスタイル。
荷物と座席の合造車ですね。小さい扉の向こうにあるのが荷物室です。


荷物室は活動実績の紹介とかが展示されていました。


客室はこう。ナイス旧型客車という雰囲気。
他の客車は閉まっていました。イベントのときに行こうな。


ぐるっと一番うしろまで回り込みまして、セキ1+セキ2。石炭ホッパー車です。
同形状同形式にまとめられているんで分かりにくいですが出自が異なっています。
手前のセキ1は1911(明治44)年製のチョー古い車。オテセ9500として新造されてから色々転々して旭川電気軌道から大夕張鉄道へ。奥のセキ2は1934(昭和9)年製。これも旭川電気軌道からやってきたやつ。
大夕張鉄道が運んでいた石炭ホッパー車は国鉄から乗り入れてきたものがほぼ全てだったので、この自社の石炭ホッパー車は自社内で消費する分を運ぶのに使ってたんだとかで。


三菱ふそうMAR470。1967年式の路線バスです。扉が前側1箇所のいわゆるワンロマというやつ。
また古いものが残っていますが、動態保存されています。ナンバーが無いので道路は走れないかもですが。大夕張鉄道で使っていたものだそうな。


続いて客車の方をば。ナハフ1。1937(昭和11)年日本車輌製。1形式1両のいわゆるワンオフです。
鉄道省のスハ32系っぽい見た目の客車ですが自社発注車なので微妙に違うらしい。
特徴的なのは車内で、実は車端部がロングシートのセミクロスシート車なのです。さらに片側の端は車掌室に改造されてその分客室が食われています。


台車はTR23ですね。


オハ1。1906(明治36)年鉄道局新橋工場製。古典鉄道クラスタの間ではおなじみの新橋工場で造られた客車の生き残りがこんなところに・・・。まあ後述しますが原型は留めてないんですけども。
初めは寝台車のオネ7として造られた後、荷物車のスニ19952、座席車のオハフ8857の順に改造され、1952(昭和37)年に大夕張鉄道にやってきます。
購入後はすぐに車体更新されて、国鉄オハ60系と同等の車体を手に入れます。ただし台枠より下はそのまんまなので、本来のオハ60系には無い台枠のトラス棒が残っています。


台車はTR11。


最後はスハニ6。1912(明治45)年鉄道院大宮工場製。
経歴のすごいやつで、まずオロシ9216食堂車として新製され、荷物座席合造車スハニ19114、1951(昭和26)年に美唄鉄道に譲渡されてスハフ6座席車に、1954(昭和29)年に車体更新を受けて鋼体化改造された際に荷物室を設置してスハニ6へ。1967(昭和42)年に大夕張鉄道に転属してここへやってきました。
ちなみに大夕張鉄道にやって来た後に荷物室は位置を反対側に移していまして、窓に名残が残っています。手前側がもともとあった荷物室で、一番手前の窓の下に一条の線が出っ張っているのに注目してください。あれは荷物扉の靴摺りの名残で、あそこに荷物扉があったんだと思います。




幾多もの改造を受けているので原型は無いのですが、やはり台枠から下はある程度残っていまして、トラス棒と3軸台車が残っています。
特筆すべきは3軸台車のTR70です。国内の3軸台車の現存例は貴重です。オロシ9216時代からずっと流用され続けてきたんで、すなわち明治時代の台車です。
荷物扉の跡もこの向きだと靴摺りとか溶接痕とか分かりやすいと思います。

一通り見たところで撤収します。滞在時間10分。10分で見て回れるようなところじゃないけど、時間が押しまくっているのだ。


同年同月同日17時3分
 北海道苫小牧市 JR苫小牧駅前
大夕張鉄道から452号線を南下しきったところで北海道横断道に乗って苫小牧駅前のレンタカー屋で車を返却します。苫小牧駅前にも保存車があるのですが、泣く泣く諦めました。次回への宿題。
そいで、苫小牧駅前からこちらの道南バス(エアロスター)に乗り換えて表示されているフェリーターミナルとやらへ向かいます。

今日はここまで。