黒鉄重工

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関西の鉄道むすめスタンプラリーをめぐる その1【2017/8/14~15】

2019-09-07 20:07:10 | 鉄道撮影記
2017年8月13日(日)22時54分
静岡県静岡市葵区 静岡鉄道新静岡駅
コミケ明けから1日経ってその日の深夜、新静岡駅にいました。
ここから電車に乗って長沼駅、そこから歩いてJR東静岡駅へと向かいました。東静岡駅からは夜行バスに乗って京都まで行くのです。
この頃はまだやる気に満ち溢れていた鉄道むすめのスタンプラリーの関西地区を一網打尽にするのです。ちなみにZBSもいます。


第1走者:富士急行バス「フジヤマライナー」(セレガ)東静岡駅北口23:36→京都駅八条口5:57
夜行バスは通常ならしずてつジャストラインの京都大阪ライナーを利用するところですが、満席でしたので今回は富士急行バスの「フジヤマライナー」に乗ります。車両は日野セレガです。ちなみに続行車。


途中牧之原サービスエリアで休憩が与えられます。ここでこの日のフジヤマライナーのバスが揃い踏み。3台もいたのかよ。左からセレガ(F1201)、ガーラ(F4602)、日デスペースアロー+西工ネオロイヤル02MC SD-II(F8531)でした。
なお真ん中のガーラは2+2列の観光バスでした。地獄か。


2017年8月14日(月)5時58分
京都府京都市下京区 JR京都駅
着きました。一応寝れました。


近鉄バスの日野セレガ(2552)。「フォレスト号」なので、仙台から来たんですね。続行車もいますし、需要高いんでしょうね。
着いたらまずはおなじみ駅前のなか卯で朝飯。


今度は地下鉄に乗りにけり。京都市も食い下がるどすなぁ。



第2走者:京都市営地下鉄烏丸線新田辺行(10系)京都→竹田
地下鉄の1日乗車券を買って、烏丸線へ。



第3走者:京都市営地下鉄烏丸線国際会館行(10系)竹田→烏丸御池
烏丸線の終点、竹田駅へ到着。すぐに折り返します。乗りつぶしが目的です。
10系をまじまじと見たのは初めてですけど、営団地下鉄の影響を受けていそうな前面ですよね。でも非常用扉はもしかして上下分割式なのかしらん?


第4走者:京都市営地下鉄東西線六地蔵行(50系)烏丸御池→六地蔵
烏丸線から東西線に乗り換えて、終点の六地蔵駅まで。
東西線の50系は、日本でも指折りの撮影困難な電車です。東西線の駅は全て床から天井まで伸びているホームドア装備で、50系は地上区間を走ることもないので、まともに撮影することが不可能なのです。
唯一と言える機会は、年に1度公開される醍醐車庫で停まっているところですね。


六地蔵駅では京阪電車に乗り換えできるので行ってみます。といっても、少し歩くんですけどね。
この一方通行標識はアリなんでしょうか?


山科川を渡る京阪電車。ここらへんはもう住宅街ですね。


第5走者:京阪宇治線宇治行(10000系)六地蔵8:14→宇治8:23
京阪宇治線に乗って終点の宇治駅まで。


第6走者:京阪宇治線中書島行(10000系)宇治8:28→中書島8:43
これも乗りつぶしですので、来た道をすぐに折り返します。終点の中書島まで乗って宇治線は完乗です。


中書島駅では電車を待つ間少し電車の撮影。
6000系特急淀屋橋行。ハズレ特急・・・。


屋根の冷房がめちゃくちゃ多い電車として私に知られる2400系準急出町柳行。


7000系準急淀屋橋行。


第7走者:京阪本線特急出町柳行(6000系)中書島8:51→三条9:04
来たのはハズレ特急でした。でも8000系の特急は座れた試しがないので、実はあんまり好きじゃないのだ。


第8走者:京都市営地下鉄東西線浜大津行(800系)三条京阪→浜大津
三条駅で地下鉄経由で京津線浜大津駅まで乗ります。この頃はまだ駅名は変わっていなかったのよ。


第9走者:京阪石山坂本線石山寺行(600系)浜大津9:39→石山寺9:55
石山坂本線に乗り換えます。京阪電車では一番多く乗ったことのある路線です。



石山寺駅がスタンプ設置駅。ここでようやく1箇所目のスタンプを押します。


石山ともかさんは人気がありますよね(当社比)
等身大パネルと電車を一緒に撮影できるのが良いです。頭端式ホームを持っていてもこれをやってる鉄道って意外と少ないのよ。


ライトレールの駅という感じでよさ。


第10走者:京阪石山坂本線近江神宮前行(700系)石山寺10:10→京阪石山10:13
スタンプも押したので、引き返します。


第11走者:JR琵琶湖線新快速姫路行(223系)石山10:15→京都10:28
石山駅でJRに乗り換えまして、京都に戻ります。
223系先頭の転落防止幌は割とすんなり受け入れること出来たかなと。

今日はここまで。



北米project 4 ~Is the order a warbird? その98【2016/03/04~10】

2019-09-04 23:46:00 | 海外旅行記
2016年3月9日(水)11時30分
カリフォルニア州サンディエゴ
海事博物館をやっつけて、昼飯にします。タコス的なメキシコ料理でした。美味しかった記憶です。
今回は行きませんでしたが、目と鼻の先にメキシコとの国境があるのです。そこまでは市内電車に乗って行くことができるので、意外と簡単にメキシコに行けそうです。ノンビザで行けるとかそういうことは知りませんが。
ちなみに写真が青いのは、青いテントの下で食べて撮影したから。


海事博物館の帆船が見えますで。


次の目的地、そしてこの日最大の目的地である、「USSミッドウェイ博物館(USS Midway Museum)」へとやってきたのです!
見ての通り、アメリカ海軍の退役した正規空母USSミッドウェイ(CV-41)の実物の記念艦です。サンディエゴの観光名所のひとつ。


バカでかいなの一言であり、全身を撮影することが難しい・・・というか岸壁側はお尻を向けているので、前から撮影するのはキツイんですよ。
USSアイオワもそんな感じでしたし、USSミッドウェイはどうにかできぬものか・・・?


そういえばグーグルマップを見ている時にフェリーの航路が描かれていたのを思い出したのでそれの船着き場に行ってみれば、ありました。
USSミッドウェイが接岸している桟橋の隣にある「コロナドフェリー(Coronado Ferry)」です。本土とサンディエゴ湾内にあるコロナド島(ノース島)を結ぶ渡し船です。これの航路はフェリーの前を横切りますので、これに乗りながらなら空母を撮影できる、という算段です。
渡し船の船名は「カブリリョ(Cabrillo)」。スペイン人探検家で、メキシコに渡っていくつかの地域を征服した人。サンディエゴにも到達した人なので、それ繋がりで命名されたんでしょう。
運賃は片道5ドルで観光地にしては良心的。地元の足なのかもしれませぬ。


オープンデッキのフェリーの甲板に陣取って撮影の準備をば。
USSミッドウェイのアイランドもこの引きから撮影できるぞ。


出港するとUSSミッドウェイの正面を横切ります。空母の真正面を撮影できるとは美味しすぎますぞ。
左舷のアングルドデッキや右舷のエレベーターがとても張り出していて、よくバランス取れるものだなと。


この角度から撮りたかった!すでに満足しています。う~む、デカイデカイ。


存在感あるよな~と思いますが、同時に意外と大きさが掴みにくい気もします。


観光客船のアドミラル・ホーンブロワー(Admiral Hornblower)。アメリカ海軍の提督なんやろな~と思って調べてみたらイギリス人でした!しかも架空の人物でした!いかがでしたか?


サンディエゴの街並み。高層ビルが10棟以上ありそうなので、都会と言っていいでしょう。


街の南側、サンディエゴ湾の奥にはアメリカ海軍のサンディエゴ基地がありにけり。日本で言えば横須賀とか呉みたいな重要拠点です。
高いところに架かっている橋はコロナド橋。


そうこう言っているうちに着きました。15分くらいの船旅でした。


いい感じのビーチじゃないですか。南カリフォルニアだね。


でまあ、コロナド島には用がないので、来た船で折り返すという乗り鉄みたいな動きをします。改札のおばちゃんも「あんたもう戻んの?」みたいな顔を一瞬してましたよ。


コロナド島にも海軍基地がありにけり。こっちはノースアイランド海軍航空基地でして、海軍航空隊の拠点です。なので空母の母港はこっちになりますし、基地には艦載機用の滑走路もあります。
写真の艦はUSNSグアダルーペ(T-AO-200)。ヘンリー・J・カイザー級給油艦のうちの一隻です。
ヘンリー・カイザーといえば、ご存知リバティ船を考案したあのヘンリー・カイザー閣下です。


奥には原子力正規空母USSセオドア・ルーズベルト(CVN-71)が停泊中。整備中なのか、もぬけの殻という感じでした。
USSミッドウェイと比べるとアイランドの大きさがめちゃ小さいんだなと。USSミッドウェイは通常動力なので煙突がいるんですが、原子力空母のUSSセオドア・ルーズベルトには無くて大丈夫ですからね。煙突無い分小さいんです。


これはUSSカール・ビンソン(CVN-70)。北の将軍様がイキった時に派遣されたやつ。


USSミッドウェイももう一度撮影。


戻ってきました。それでは、USSミッドウェイの中へいざいざ。

今日はここまで。



北米project 4 ~Is the order a warbird? その97【2016/03/04~10】

2019-09-03 23:06:56 | 海外旅行記
サンディエゴ海事博物館編も今回で最後です。スター・オブ・インディア号の続きです。
また船尾へと来たわけですが、ここには操舵輪がありました。操舵輪が刺さっている箱の下に何かが通っているのですが、どういう仕組なのかイマイチ分かりませんでした。動態保存船なので、この操舵輪は使えるんじゃないかなぁと思いますが・・・。


これは羅針盤ですね。何度も言ってますが羅針盤は回すものではないです。


謎ベンチ。中央のアーチ状のものはなんだろうという話です。
何か素敵ギミックが仕込まれてる可能性も考えましたが、単に階下の船室のための明かり取りの窓じゃねーの?という説に落ち着きました。いかがでしょう?


甲板の1層下に下ります。ここは博物館的展示コーナーになってます。


帆船模型も展示してあるぞ。さっき見たバークレーの工房のおじいちゃんが作ったんやろなぁ・・・。
これはスウェーデン海軍の戦列艦バーサ(Vasa)。1626年竣工、砲門数64門を数える重武装艦ですが、そうなったのは建造途中の設計変更によるものだったので、重心の高いバランスの悪い艦に仕上がりました。いわゆるトップヘビーですよ。艦これで聞いたことあるでしょ?
それが災いして、1628年の処女航海に出てからすぐに横風食らって横転して沈没する残念艦として生涯を終えました・・・。
が、沈没後もサルベージされないまま放置され、しかも腐敗があまり進行してないことが分かったので、実に300年以上経った1961年にサルベージ、その後復元されて博物館に収蔵されています。今ではめちゃくちゃ貴重な戦列艦の資料となっています。めちゃくちゃ見に行きたい。


これはオランダ東インド会社の旗艦バタヴィア(Batavia)。1628年竣工。バタヴィアは現在のインドネシアの首都ジャカルタのオランダ統治時代の呼び名です。
東インド会社っていうとイギリス思い浮かびますけど、オランダ、スウェーデン、フランスとかにもあったんですね~。商船のくくりっぽいんですが、両舷は大砲で武装してるんでドンパチもOK。
バタヴィア号と言えば、バタヴィア号の惨劇ですな・・・。1629年にオランダからバタビアへ向けての船団の一員として航海していたバタビア号は、イエロニムスというど畜生が船長をそそのかして船を乗っ取って海賊化しちまおうという権力抗争を企てますがオーストラリアの無人島に難破してしまいます。
約340名中300名くらいは生き延びたそうですが小さい無人島なので真水や食料がなく、生存者のリーダー格になったイエロニムスはあの手この手で人を騙して島の外に追い出したり食い扶持を確保するために生存者を殺したり、この船には女性も乗っていたのでその人達は性奴隷にされたりで100名以上が殺害された、まさに惨劇の限りを尽くしましたという胸糞回。最終的にこいつは処刑されたんですけども。日本語訳の書籍もあるようなんで気になったら探してみよう。
バタヴィア号は1990年代にレプリカが建造されて今もあるそうな。


これは有名、イギリス海軍の戦列艦HMSビクトリー(HMS Victory)です。大砲の数は104門。つよいぞ。
HMSビクトリーといえばネルソン提督のトラファルガー海戦ですが、書くと長くなるから各自研究してください(手抜き)
これはまさしく本物がイギリスのポーツマスで現存していて、記念艦やってます。さらに今でもイギリス海軍の現役の軍艦として登録されています。まあ名誉職なんですけど。
なので現役の軍艦としては世界最古なのです。そりゃそうだ。他にも現存唯一の戦列艦とか、世界三大記念艦の一角とか、色々な肩書を総ナメ。

脱線しますが世界三大記念艦は、イギリス海軍のHMSビクトリー、アメリカ海軍のUSSコンスティテューション、あとは大日本帝国海軍の三笠なんだそうな。
USSコンスティテューションは、1797年竣工の帆走フリゲート艦。こいつも現役でして、普段はボストンで記念艦やってます。もちろんアメリカ海軍最古の現役艦。そりゃそうだ。しかもUSSコンスティテューションは航行可能な状態を保ってます。HMSビクトリーにはこの芸当はできませぬ。なので、航行可能な世界最古の現役軍艦というビミョーで遠回しな肩書を持ってます。

なお我らが戦艦三笠はというとコンクr(ry
いやまあ、だいたい関東大震災が悪いんだけどさ。


こちらが1805年10月21日のトラファルガー海戦での有名な場面、ネルソンタッチを再現した模型。艦これでネルソンタッチが実装されているのでゲームやっている人は知っているかもしれませんが、これが元ネタなのです。
手前から奥に延びている2本の艦隊が我らがロイヤルネイビー。左右に延びているのが嫌味ったらしいおフランス海軍ザマス。
艦これ民なら分かると思いますが、イギリス海軍はT字不利に追い込まれてます。これはいけません。ボスのゲージは削りきれないしレア艦も掘れません。何をやってもダメ。


そこでネルソンは艦隊を2列に分けて、その上で自艦隊を敵艦隊の横っ腹へ吶喊します。敵の懐へ切り込んでいって敵艦隊を分断、然る後に各個撃破に移るという戦術なのです。これがネルソンの得意技、ネルソンタッチなのです。
自殺行為に見えますが、イギリス海軍の喪失艦はゼロ(なおネルソンは敵兵に狙撃されて戦死)、一方おフランス海軍は20隻以上の撃沈あるいは拿捕という大損害を被りました。これによりヨーロッパの制海権はイギリスの覇権となり、大陸でブイブイいわせてたナポレオンもイギリス侵略を諦めたのでした。

ちなみに背景に書かれてる"England expects that every man will do his DUTY."は、ネルソンが開戦時に掲げた信号文。日本語だと「英国は各員がその責務を尽くすことを期待する」という訳になってますね。帝国海軍で言うところのZ旗の「皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ、各員一層奮励努力セヨ」ですな。ていうかZ旗はこの信号文が元ネタですしね。


T字不利なんて関係ないとばかりに突っ込んでるのです。
この模型、せいぜい全長数cmくらいしかない極小サイズなのですが、この通りのディテールの細かさ。しかもこれを数十隻分拵える果てしなさ。ありえんでしょ。


船首の部分。めっちゃ使ってる感が漂っています。
復元作業したり、航海に出る時に使う部屋なのかも。


ダイニング的な。昔から残っているものだと思いますが。


ここは相部屋の寝台です。4人部屋です。寝返りは打てんし起き上がって座ることもできんですが、軍艦のベッドに比べたらだいぶ人権があると思います。やっぱりお客さん用は違うね。


反対側は何も置いていない状態。


隣の部屋には、移民の途中のデイブ(仮名)と奥さんのジャクリーン(仮名)、2人の子供のエレン(仮名)、写ってませんが反対のベッドには息子のロナルド(仮名)もいます。一家揃って移民中という場面でしょうかね。父さんは機嫌が悪そうですが、悪いものでも食べたんですかね?


最下層の貨物室っぽい部屋。奥には真水の入っていそうな樽が置かれてました。
右に写っている操舵輪は、予備系統でしょうかね?

以上でスター・オブ・インディア号の見学が終わり。サンディエゴ海事博物館の見学も以上です。
船もそんなに詳しくはないのですが、知らないなりに楽しめた博物館でした。いつもそうなんですが、もっとゆっくり観察できれば面白いのになと思います。

今回はここまで。次回からは正規空母を見に行くゾ。