3 答案に求められる水準
最高裁による原告適格の一般的な判断基準を引用し,法律がある利益を専ら一般的公益として保護しているのか,個々人の個別的利益としても保護しているのかという点が問題になりやすいことを,一般論として記述しているだけの答案については,一応の水準の答案と判定した。この問題に焦点を当てて本件のX1・X2の利益ないし不利益を具体的に分析し,原告適格を論じることができているかどうかで,優秀度ないしは良好度の高さを判定した。
行政法は,一般論レベルの検討に留まるの答案が一応の水準である旨の指摘が今年は多いことに注意。「羅列する」ことと「論じる」ことはまるで違うので注意。例えれば,「事実の抽出(=書き抜くだけ)」と「事実の評価」はまるで違うのと同じである。
行政事件訴訟法第9条第2項に言及し,関係する省令と通達の定めを,専ら同項にいう法律の「関係法令」に当たるか否かという観点から検討し,平板に羅列するだけの答案については,一応の水準の答案と判定した。行政事件訴訟法第9条第2項の規定に従って原告適格を検討する判断枠組みを正確に理解し,処分要件を定める法律と省令の規定との関係,処分要件を定める省令の規定と申請書類を定める省令の規定との関係,処分要件を定める省令の規定とその解釈を示す通達との関係,さらに,法律と地元同意を定める通達との関係を,それぞれ正確に分析して原告適格論と結び付けて論じているかどうかで,優秀度ないしは良好度の高さを判定した。
これも同様であるが,2次元的な答案(知識,事実等を単に羅列するだけの答案。気がついただけ,知っているだけエライ,という程度の平板な答案)と3次元的な答案(問題文,資料に基づいて,具体的な検討に踏み込めている立体的な答案)があるということ。
本件許可に関して法律が行政庁のどのような判断について裁量を認めている可能性があるかを,法律の文言及び趣旨・目的を正確に把握した上で検討できているかどうか,地元同意を求める行政手法の意義と問題点を論じているかどうか,そして,本件許可の取消しの適法性を論じる際に,考慮すべき要素・事情を的確に挙げているかどうかに着目して,優秀度ないしは良好度の高さを判定した。
憲法と同様に「事件の解決」が求められている以上,具体的な検討が必要なのは当然であり,「裁量が認められる」「認められない」程度の踏み込みでは,自分自身が困るはずである。裁量については,「具体的にどこまでやれるのか」という意識を持つ必要がある。「考慮すべき要素・事項」を挙げずに,どのように解釈適用論を展開したのか不思議である。
「法律は許可をしない行政裁量を認めている」,「通達は直接には外部に対し拘束力をもたない」,「行政指導には限界がある」といった諸命題を,どの程度まで適切に関係付けて論じることができているかに着目して,優秀度ないしは良好度の高さを判定した。
教科書記載事項につき,一般論を平板に羅列し述べるに留まる答案(2次元答案)と,各命題の相互関係を意識しつつ,具体的事実に基づいて踏み込んだ検討をした答案(3次元答案)の二種類があることの再確認である。
法律とそれを適用するための通達との関係を明確にさせないまま,「(法律は不許可処分を行う行政裁量を認めているが,)通達には外部に対する拘束力がないので,行政庁が通達に従うように求めるには行政指導しかできないところ,行政指導に従わない者に対し不許可処分ないし許可取消処分を行うことは違法である。」と帰結するにとどまる答案は,一応の水準の答案と判定した。
これも2次元答案についての言及である。2009年度版フレーム講義以来,一貫して指摘していることだが,行政法は第4回以降難易度が上がり続けている。行政法の問題は,「一般論としてはそうだが,具体的な事例ではその例外,修正が認められるべきではないか」,という部分が最大のヤマである。例えば,「勧告=行政指導=処分性否定」,これは「教科書的一般論」としては正解であろうが,判例や論文問題の世界ではこれではお話にならないのはご承知の通りである。「例外・修正」部分が勝負なのである。
4 採点実感
字の上手・下手は関係ないが,読みやすさは大切
採点する立場になれば良く分かる。正直,読む気がしない。
問題文,資料,設問を正確に読んでいない答案,何を聞かれているのか理解していないまま解答をしている答案が見られた。
「問題文の読み方」を意識していない。「行政法は誘導が強烈に効いている」,という「命題」は,恐らく全ての受験生が認識していることであろうが,では実際に「どう誘導されているか」読み取るスキルを身につけているかどうか。ここでも,「一般論」としては理解していても「具体的に実践できない(しない)」という,受験生気質が現われている。これでは,いつまでも「受からない」。
問題に素直に取り組んで自分の考えを論理的に述べるものが極めて少なく,問題に関係のありそうな事項の記述をランダムに並べるようなものが目立った。
気がついたことを「単に羅列するだけ」の2次元答案である。単に事実を並べただけで,「総合考慮」したつもりになってはいけない。
特定の設問に力を入れすぎて,時間不足になったと思われる答案や,各設問の分量バランスが悪い答案が見受けられた。設問1,同2(1)はよく書けているが,設問2(2),同3の順に記述の分量及び質が落ちていく傾向が見られた。
配点の記載のある科目は,配点比率で,答案量を決めるくらいの知恵が回らないと駄目である。「この問題は解ける!」という設問について,いくら厚く書こうが,配分された点数以上は入らない。「分量」でアピールしようとしても,それは「原始的不能な希望」である。
論旨が一貫しない答案が少なくない。
ご都合主義の答案は論外。民事系(特に民法,商法)でも同じことをやっている可能性が高い。これらの科目は「設問間の論理的整合性」が問われやすい点については,2009年度版フレーム講義以降,厳重注意している点である。
受験者の得点が高得点から低い点数まで広く分布するなど,行政法に関する受験者の実力を測ることができた問題であったと考える。
試験委員が「自画自賛」しているときは,今後もこの「ノリ」で問題を作ってくる,と言うことである。また,行政法においても学習スタンスの違いが,実力差を生み出してきていることを示唆する重要な事実である。
原告適格の定式まではよく覚えているものの,それに基づく具体的な判断の手法を理解していないと思われ,各法令や通達等の位置付けを説明せず,ただ羅列して強引に結論に至っている答案も多かった。
これも2次元答案である。「仕組み解釈」という言葉は全員知っているだろうが,判例が実際にどのような「仕組み解釈」を展開しているかは知らないのではないか。ケースメソッド論文マスターや,論文突破基礎力完成講義のレジュメで,何故大量の判例について,カテゴライズしたりして具体的に検討しているか理解して欲しい。当たり前だが,「覚える為」ではない。解釈の際の「目の付け所」を示しているのである。何でもかんでも「論証形式」で用意して貰えないと何にもできないのではお話にならない。自分の脳に汗をかかせないと駄目である。
問題文の具体的な事情(本件施設の規模,開場日数,時間帯,距離など)については一切言及しないまま,簡単に原告適格の有無を判断するなど,法的思考能力に疑問を感じさせる答案もあった。
2次元答案の中でも最低レベルの答案とはこういうものである。「問題文の読み方」もまるで分かっていない。「一行問題」ではない。
多くの答案が一定のレベルまでは論じられるような問題で高得点を得るためには,更に深い理解が必要となる。例えば,X1とX2について,それぞれの保護の対象となり得る利益について正確に書けている答案は思いの外少なく,特に,X1については,学生の学習する権利のみを論じているものなども見られた。
これは教科書記載レベル(個々の論点,事項についての規範定立部分)については,書けるようになってきているということ。その意味で,受験生レベルが行政法も漸く他の「6兄弟」と同じステージまで上がってきたということである。「本件事案の特殊性」に基づく「当てはめ」勝負になってきたということ。
通達が法や規則の合理的な解釈を前提として発出されているものである限り,根拠法令の解釈の参考となることは当然であるにもかかわらず,「法令」ではないから一切考慮しないとする答案が比較的多く見られた。
正に「原理原則論」だけで,思考が停止しているということである。行政法は,そこから先が勝負なので,まるでお話にならない。
訴訟要件を満たすかという観点からの検討が見当たらない答案,「比較検討」がなされていない答案が見られた。
問題文に素直に応えないと駄目である。
確認訴訟については,意味を見いだし難い確認訴訟の答案が散見された。
フレーム講義では散々指摘しているが,「当事者訴訟」は本当に気をつけないと駄目である。「~すること(~であること)の地位の確認」って書けば「何でもありだ」と思ったらとんでもない間違いである。
訴えの候補例を二つ挙げての比較を求められた場合において,一つは合理的な例でも,もう一方に解答者自身も直ちに消極評価するような例を持ち出して,当然に前者を良しとするのは,一般的に言って適切ではない。
ご都合主義過ぎるということである。わざわざ優劣の判断が「悩ましい」問題を出しているのに(本試験は全てそうである。当てはめ要素も,特定の立場に都合の良い事実だけなんてありえない。そもそも適法要素しか上がっていなかったら「適法」に決まっている。総合考慮なんてする必要もない事に気がつきたい),さも一方が「当然優れている」的な書き方は,問いに応えていないとされてしまう。
「取消措置を受けるおそれを除去する」というAの目的を実現するに適した訴訟として,いきなり国家賠償訴訟を挙げる答案などが見受けられたのは意外
憲法でもいつも指摘していることだが,「本件クライアントは何をしたいのか」から考えないと駄目である。
問題文及び会議録等を分析して,質問のポイントを押さえて素直に答えていく姿勢であれば,自ずから比較的高得点が得られるものであるが,知識の量はうかがわれるのに,会議録等を十分に考慮せずに自分の書きたいことを書いているため,相対的に低い得点にとどまっている答案が少なくなかった。
行政法は誘導が強烈なのでその通りである。本番で「書きたいこと(もしくは,知っていること)」ばかりを書いてしまう受験生心理は分からないでもないが,分からないでもない,というだけで,「駄目なものは駄目」である。いつまでも受からない。
自治会の同意を考慮するのは他事考慮だから違法と安易に結論付ける答案が多く,自治会の同意を求める手法の意義と問題点について実質的に検討された答案は少なかった。国土交通大臣がAに対し執り得る措置の範囲ないし限界を検討することが求められているにもかかわらず,取消措置が他事考慮だから違法とするだけで,国土交通大臣がいかなる措置を執り得るのかについて検討されていない答案が見られた。
「他事考慮」という言葉自体には何の具体的な意味はない。何故本件では,Aというファクターを考慮することが「他事」考慮になるのかどうか。まずそこが肝要である。
省令の基準以外の理由で許可を拒否することができるかという問題と,職権取消の可否,行政指導の限界という三つの問題の相互関係が的確に整理できているかどうかで大きく差がついた印象がある。
会話部分に明確な誘導部分があるのだが,ちょいと分かりにくかったのだろうか。
許可不許可の裁量を認める根拠がどこにあるのか,その限界についてどう考えるのかといった点について,「丁寧」に論述することが求められているのに,裁量の有無などにも触れないで答えを導こうとする答案もあった。
講義でいつも言う,「裁量パターン」のイロハである。裁量の問題は,まず「裁量が認められるのかどうか」の法令解釈をしないと駄目である。裁量がなければ,そもそも「逸脱濫用」もあったもんじゃない。①裁量行為であり,かつ②裁量の広狭を示した上で,漸く,③「ではその幅をこえた裁量権の行使なのか」=逸脱濫用の検討に入れるのである。大体本件における「広狭の判断指針」を示さないで,逸脱濫用の有無をどう解釈すると言うのか。
行政実体法について自分で論理を組み立てる能力,及びその前提となる行政法総論に関する正確な理解を,身に付けられるような教育が法科大学院に求められる。
第3回のフレーム講義で指摘してきたことである。今後は,「救済法」だけでなく,「行政法総論」部分が重要になると。処分性やら原告適格やら,訴えの利益やら,訴訟要件レベルだけの時代はとっくに終わっている。第4回以降は「取消違法(しかも実体違法)」判断部分に比重が移っており,かつ年々難易度も上がっている。数年前から指摘している通りである。
最高裁による原告適格の一般的な判断基準を引用し,法律がある利益を専ら一般的公益として保護しているのか,個々人の個別的利益としても保護しているのかという点が問題になりやすいことを,一般論として記述しているだけの答案については,一応の水準の答案と判定した。この問題に焦点を当てて本件のX1・X2の利益ないし不利益を具体的に分析し,原告適格を論じることができているかどうかで,優秀度ないしは良好度の高さを判定した。
行政法は,一般論レベルの検討に留まるの答案が一応の水準である旨の指摘が今年は多いことに注意。「羅列する」ことと「論じる」ことはまるで違うので注意。例えれば,「事実の抽出(=書き抜くだけ)」と「事実の評価」はまるで違うのと同じである。
行政事件訴訟法第9条第2項に言及し,関係する省令と通達の定めを,専ら同項にいう法律の「関係法令」に当たるか否かという観点から検討し,平板に羅列するだけの答案については,一応の水準の答案と判定した。行政事件訴訟法第9条第2項の規定に従って原告適格を検討する判断枠組みを正確に理解し,処分要件を定める法律と省令の規定との関係,処分要件を定める省令の規定と申請書類を定める省令の規定との関係,処分要件を定める省令の規定とその解釈を示す通達との関係,さらに,法律と地元同意を定める通達との関係を,それぞれ正確に分析して原告適格論と結び付けて論じているかどうかで,優秀度ないしは良好度の高さを判定した。
これも同様であるが,2次元的な答案(知識,事実等を単に羅列するだけの答案。気がついただけ,知っているだけエライ,という程度の平板な答案)と3次元的な答案(問題文,資料に基づいて,具体的な検討に踏み込めている立体的な答案)があるということ。
本件許可に関して法律が行政庁のどのような判断について裁量を認めている可能性があるかを,法律の文言及び趣旨・目的を正確に把握した上で検討できているかどうか,地元同意を求める行政手法の意義と問題点を論じているかどうか,そして,本件許可の取消しの適法性を論じる際に,考慮すべき要素・事情を的確に挙げているかどうかに着目して,優秀度ないしは良好度の高さを判定した。
憲法と同様に「事件の解決」が求められている以上,具体的な検討が必要なのは当然であり,「裁量が認められる」「認められない」程度の踏み込みでは,自分自身が困るはずである。裁量については,「具体的にどこまでやれるのか」という意識を持つ必要がある。「考慮すべき要素・事項」を挙げずに,どのように解釈適用論を展開したのか不思議である。
「法律は許可をしない行政裁量を認めている」,「通達は直接には外部に対し拘束力をもたない」,「行政指導には限界がある」といった諸命題を,どの程度まで適切に関係付けて論じることができているかに着目して,優秀度ないしは良好度の高さを判定した。
教科書記載事項につき,一般論を平板に羅列し述べるに留まる答案(2次元答案)と,各命題の相互関係を意識しつつ,具体的事実に基づいて踏み込んだ検討をした答案(3次元答案)の二種類があることの再確認である。
法律とそれを適用するための通達との関係を明確にさせないまま,「(法律は不許可処分を行う行政裁量を認めているが,)通達には外部に対する拘束力がないので,行政庁が通達に従うように求めるには行政指導しかできないところ,行政指導に従わない者に対し不許可処分ないし許可取消処分を行うことは違法である。」と帰結するにとどまる答案は,一応の水準の答案と判定した。
これも2次元答案についての言及である。2009年度版フレーム講義以来,一貫して指摘していることだが,行政法は第4回以降難易度が上がり続けている。行政法の問題は,「一般論としてはそうだが,具体的な事例ではその例外,修正が認められるべきではないか」,という部分が最大のヤマである。例えば,「勧告=行政指導=処分性否定」,これは「教科書的一般論」としては正解であろうが,判例や論文問題の世界ではこれではお話にならないのはご承知の通りである。「例外・修正」部分が勝負なのである。
4 採点実感
字の上手・下手は関係ないが,読みやすさは大切
採点する立場になれば良く分かる。正直,読む気がしない。
問題文,資料,設問を正確に読んでいない答案,何を聞かれているのか理解していないまま解答をしている答案が見られた。
「問題文の読み方」を意識していない。「行政法は誘導が強烈に効いている」,という「命題」は,恐らく全ての受験生が認識していることであろうが,では実際に「どう誘導されているか」読み取るスキルを身につけているかどうか。ここでも,「一般論」としては理解していても「具体的に実践できない(しない)」という,受験生気質が現われている。これでは,いつまでも「受からない」。
問題に素直に取り組んで自分の考えを論理的に述べるものが極めて少なく,問題に関係のありそうな事項の記述をランダムに並べるようなものが目立った。
気がついたことを「単に羅列するだけ」の2次元答案である。単に事実を並べただけで,「総合考慮」したつもりになってはいけない。
特定の設問に力を入れすぎて,時間不足になったと思われる答案や,各設問の分量バランスが悪い答案が見受けられた。設問1,同2(1)はよく書けているが,設問2(2),同3の順に記述の分量及び質が落ちていく傾向が見られた。
配点の記載のある科目は,配点比率で,答案量を決めるくらいの知恵が回らないと駄目である。「この問題は解ける!」という設問について,いくら厚く書こうが,配分された点数以上は入らない。「分量」でアピールしようとしても,それは「原始的不能な希望」である。
論旨が一貫しない答案が少なくない。
ご都合主義の答案は論外。民事系(特に民法,商法)でも同じことをやっている可能性が高い。これらの科目は「設問間の論理的整合性」が問われやすい点については,2009年度版フレーム講義以降,厳重注意している点である。
受験者の得点が高得点から低い点数まで広く分布するなど,行政法に関する受験者の実力を測ることができた問題であったと考える。
試験委員が「自画自賛」しているときは,今後もこの「ノリ」で問題を作ってくる,と言うことである。また,行政法においても学習スタンスの違いが,実力差を生み出してきていることを示唆する重要な事実である。
原告適格の定式まではよく覚えているものの,それに基づく具体的な判断の手法を理解していないと思われ,各法令や通達等の位置付けを説明せず,ただ羅列して強引に結論に至っている答案も多かった。
これも2次元答案である。「仕組み解釈」という言葉は全員知っているだろうが,判例が実際にどのような「仕組み解釈」を展開しているかは知らないのではないか。ケースメソッド論文マスターや,論文突破基礎力完成講義のレジュメで,何故大量の判例について,カテゴライズしたりして具体的に検討しているか理解して欲しい。当たり前だが,「覚える為」ではない。解釈の際の「目の付け所」を示しているのである。何でもかんでも「論証形式」で用意して貰えないと何にもできないのではお話にならない。自分の脳に汗をかかせないと駄目である。
問題文の具体的な事情(本件施設の規模,開場日数,時間帯,距離など)については一切言及しないまま,簡単に原告適格の有無を判断するなど,法的思考能力に疑問を感じさせる答案もあった。
2次元答案の中でも最低レベルの答案とはこういうものである。「問題文の読み方」もまるで分かっていない。「一行問題」ではない。
多くの答案が一定のレベルまでは論じられるような問題で高得点を得るためには,更に深い理解が必要となる。例えば,X1とX2について,それぞれの保護の対象となり得る利益について正確に書けている答案は思いの外少なく,特に,X1については,学生の学習する権利のみを論じているものなども見られた。
これは教科書記載レベル(個々の論点,事項についての規範定立部分)については,書けるようになってきているということ。その意味で,受験生レベルが行政法も漸く他の「6兄弟」と同じステージまで上がってきたということである。「本件事案の特殊性」に基づく「当てはめ」勝負になってきたということ。
通達が法や規則の合理的な解釈を前提として発出されているものである限り,根拠法令の解釈の参考となることは当然であるにもかかわらず,「法令」ではないから一切考慮しないとする答案が比較的多く見られた。
正に「原理原則論」だけで,思考が停止しているということである。行政法は,そこから先が勝負なので,まるでお話にならない。
訴訟要件を満たすかという観点からの検討が見当たらない答案,「比較検討」がなされていない答案が見られた。
問題文に素直に応えないと駄目である。
確認訴訟については,意味を見いだし難い確認訴訟の答案が散見された。
フレーム講義では散々指摘しているが,「当事者訴訟」は本当に気をつけないと駄目である。「~すること(~であること)の地位の確認」って書けば「何でもありだ」と思ったらとんでもない間違いである。
訴えの候補例を二つ挙げての比較を求められた場合において,一つは合理的な例でも,もう一方に解答者自身も直ちに消極評価するような例を持ち出して,当然に前者を良しとするのは,一般的に言って適切ではない。
ご都合主義過ぎるということである。わざわざ優劣の判断が「悩ましい」問題を出しているのに(本試験は全てそうである。当てはめ要素も,特定の立場に都合の良い事実だけなんてありえない。そもそも適法要素しか上がっていなかったら「適法」に決まっている。総合考慮なんてする必要もない事に気がつきたい),さも一方が「当然優れている」的な書き方は,問いに応えていないとされてしまう。
「取消措置を受けるおそれを除去する」というAの目的を実現するに適した訴訟として,いきなり国家賠償訴訟を挙げる答案などが見受けられたのは意外
憲法でもいつも指摘していることだが,「本件クライアントは何をしたいのか」から考えないと駄目である。
問題文及び会議録等を分析して,質問のポイントを押さえて素直に答えていく姿勢であれば,自ずから比較的高得点が得られるものであるが,知識の量はうかがわれるのに,会議録等を十分に考慮せずに自分の書きたいことを書いているため,相対的に低い得点にとどまっている答案が少なくなかった。
行政法は誘導が強烈なのでその通りである。本番で「書きたいこと(もしくは,知っていること)」ばかりを書いてしまう受験生心理は分からないでもないが,分からないでもない,というだけで,「駄目なものは駄目」である。いつまでも受からない。
自治会の同意を考慮するのは他事考慮だから違法と安易に結論付ける答案が多く,自治会の同意を求める手法の意義と問題点について実質的に検討された答案は少なかった。国土交通大臣がAに対し執り得る措置の範囲ないし限界を検討することが求められているにもかかわらず,取消措置が他事考慮だから違法とするだけで,国土交通大臣がいかなる措置を執り得るのかについて検討されていない答案が見られた。
「他事考慮」という言葉自体には何の具体的な意味はない。何故本件では,Aというファクターを考慮することが「他事」考慮になるのかどうか。まずそこが肝要である。
省令の基準以外の理由で許可を拒否することができるかという問題と,職権取消の可否,行政指導の限界という三つの問題の相互関係が的確に整理できているかどうかで大きく差がついた印象がある。
会話部分に明確な誘導部分があるのだが,ちょいと分かりにくかったのだろうか。
許可不許可の裁量を認める根拠がどこにあるのか,その限界についてどう考えるのかといった点について,「丁寧」に論述することが求められているのに,裁量の有無などにも触れないで答えを導こうとする答案もあった。
講義でいつも言う,「裁量パターン」のイロハである。裁量の問題は,まず「裁量が認められるのかどうか」の法令解釈をしないと駄目である。裁量がなければ,そもそも「逸脱濫用」もあったもんじゃない。①裁量行為であり,かつ②裁量の広狭を示した上で,漸く,③「ではその幅をこえた裁量権の行使なのか」=逸脱濫用の検討に入れるのである。大体本件における「広狭の判断指針」を示さないで,逸脱濫用の有無をどう解釈すると言うのか。
行政実体法について自分で論理を組み立てる能力,及びその前提となる行政法総論に関する正確な理解を,身に付けられるような教育が法科大学院に求められる。
第3回のフレーム講義で指摘してきたことである。今後は,「救済法」だけでなく,「行政法総論」部分が重要になると。処分性やら原告適格やら,訴えの利益やら,訴訟要件レベルだけの時代はとっくに終わっている。第4回以降は「取消違法(しかも実体違法)」判断部分に比重が移っており,かつ年々難易度も上がっている。数年前から指摘している通りである。