石門頌臨書(半紙)と原本
器展の前にお邪魔した、銀座鳩居堂で開催されていたグループ玄展。
雨海手本と書かれた石門頌を臨書された折本が4冊。
おそらくこの会の先生であられたのかなと。

私がいた会の臨書の仕方とは全然違う・・と、興味深く頁を繰る。
私が勝手に、ひたひた文字と呼んでいる系の文字。
線を捏ねることなく、素直でシンプル、そして力強くも温かい線。
こんな風にも書けたらなぁ
私が同じところを臨書すると、こんな感じに。。(TOPの写真)
羊毛の長鋒で、久々に・・
感受の仕方というのは、鳥の刷り込みじゃないけれど、
最初に教示頂いたものがなかなか抜けないもので。
はたまた、感受する自分というのは誰かによるものではなく
もともとのもので変わらないのか・・などと考えてみたり。
それでもなんでも、ここ数年この「ひたひた文字」に憧れるのであ~る



(写真撮影の許可は頂いてます)
器展の前にお邪魔した、銀座鳩居堂で開催されていたグループ玄展。
雨海手本と書かれた石門頌を臨書された折本が4冊。
おそらくこの会の先生であられたのかなと。

私がいた会の臨書の仕方とは全然違う・・と、興味深く頁を繰る。
私が勝手に、ひたひた文字と呼んでいる系の文字。
線を捏ねることなく、素直でシンプル、そして力強くも温かい線。
こんな風にも書けたらなぁ

私が同じところを臨書すると、こんな感じに。。(TOPの写真)
羊毛の長鋒で、久々に・・

感受の仕方というのは、鳥の刷り込みじゃないけれど、
最初に教示頂いたものがなかなか抜けないもので。
はたまた、感受する自分というのは誰かによるものではなく
もともとのもので変わらないのか・・などと考えてみたり。
それでもなんでも、ここ数年この「ひたひた文字」に憧れるのであ~る




(写真撮影の許可は頂いてます)