金文「厚多」(半紙)
羊毛の長鋒は、思いがけない線を生んでくれるのでして。
筆の弾力を確かめながら、味わいながら、沈めたり浮かしたり。
紙をえぐったり、くすぐったりしながらじっくりと書く。
じっくり書くというのは、心に描くものがあるということで。
そしてじっくり書くと、それだけ情も湧くというもので。
情がない作品は、ただのお習字。
情がある作品が書きたいなぁ
金文「厚多」(半紙)
羊毛の長鋒は、思いがけない線を生んでくれるのでして。
筆の弾力を確かめながら、味わいながら、沈めたり浮かしたり。
紙をえぐったり、くすぐったりしながらじっくりと書く。
じっくり書くというのは、心に描くものがあるということで。
そしてじっくり書くと、それだけ情も湧くというもので。
情がない作品は、ただのお習字。
情がある作品が書きたいなぁ
宮山一琴氏(右は作品のアップ)
今日は母と、銀座で開催中だった文人書家のアート展へ。
飯高和子氏、原田凍谷氏、船本芳雲氏はじめ、28名の書家と、
主催の書道ジャーナル研究所の小野寺啓治氏の作品も。
↑左から:石川芳雲氏 小原道城氏 齋藤香坡氏
小原氏は、絵もご本人によるもので、以前個展で拝見した作品群とは、全然違う印象。
齋藤氏の作品は、以前私も屏風に書いた五言絶句。
↑山本信山氏 油絵の具の上から引っかいた作品。
ウインドサーフィンをしていて、振り返るとキラキラ光っていて、
その印象を作品にされたとか。 コメントを読んでなるほど~と
「アート」ということだからか、紙と筆ではなく、3Dを使った方、焼き物、刻字と
素材を変えた作品もあり、楽しめました
そんな中でも、母の兄弟子、石川先生はご自分のスタイルを坦々と。
探す道も、書の道も人それぞれ。
それぞれの役割を、坦々と歩けばいいんだな・・と
そして今日は父の日。 気持ちばかりの贈り物を届けて
ちち~、適度に運動、元気が一番! よろひくね
(半紙)
今日も木簡臨書。前回の教室で書いたもの。
原本はこれ↓ 集字漢簡千字文の一節「浮渭據」
最初に形臨を意識しながら、右のを書いて、
じゃあ、この四文字をもっとでで~ん!って感じにしたら・・と、左をば。
こうなってくると臨書か?と言われそうだけど。
臨書は、形だけじゃないって、特に木簡はそう思う。
一字一字が発しているエネルギーを受け取って、自分なりにどう表現するか、
それも臨書だと思う。
もう1枚、羊毛の細い長鋒で。
たった四文字の臨書から、学ぶものはたくさんある。
たった1枚の半紙は、その四文字にとっては舞台。
だから練習とはいえ、その1枚1枚に集中して、文字の響き合いを大事にしたい。
文字への思いやりを持てば、文字はきっといつか応えてくれると信じて
左のカテゴリーに「木簡」を追加しました。
これまでの木簡に関する記事をまとめましたので、のぞいてやって下さい
以前半切に書いた木簡 (部分)
昨日は夜から、遠路Hさんが自宅にいらっしゃり
以前、某書道学院で学ばれていたそうで、主にきちんとした楷書・行書をば。
それなのに、なぜ私なぞの木簡に興味を持たれたのか摩訶不思議
到着されるや否や、早速机に向かいお稽古スタート。
どんな書を書かれるのかしらんと、前もってお手本をお送りして、
Hさんが書かれてきたのを拝見、と思ったら、ぐふ・・なんと忘れてきた~と
でも筆をくるんでこられた数枚の半紙が、その書き損じだったので
ふむふむとヒントを頂き、改めて目の前で書いてみる。
筆の選び方、持ち方、姿勢と、なるほど・・違うなぁと、お互いに。
かく言う私は、師から筆の持ち方、姿勢、書法等々技術的なことも
ことばにしてお教え頂いたことはほとんどなく、とにかく目習い。
師のお宅に伺うと4時間位、諸先輩の方々が臨書されてこられた半紙の
添削を拝見、その後、師がお手本を書かれる様子を拝見、そして1枚1枚
床に並べる作業をしつつ運筆、間合い、筆勢の妙に惚れ惚れしながら眺め。
そんなわけで、具体的に運筆方法は?と聞かれると、
ちょっと戸惑う所もあるけど、とにかく書いている姿を見て頂き
初回は夜7:30スタートで、終わったのは11時
その間、人見知りの激しいぷくぷくは、Hさんの横におとなしく座ってて。
熱意あるHさんに圧倒されっぱなしでしたが、私も勉強になりました。
Hさん、昨日は深夜のご帰宅・・お疲れさまでした
Hさんが書いてる間に、私もあれこれ書いてたなり。
↓これは極細面相筆で。
(半紙)
今日午前中は、書道教室があり。
ということで、今日も木簡臨書をば。
原本はこれ↓
大胆なところは大胆に、キュートなところはキュートに。
伸びやかなところは更に伸びやかに。
半紙の中での、それぞれの立ち位置を意識しつつ。
久々に、ほんの少し気持ちよく書けた気がする
正直言って、震災以降、私は被災してもいないのに、日々、心落ち着かず。
元気でいよう、元気を届けよう、そんな風に、自身をどこか騙し騙し。
そんな中で、毎日ブログを続けるのは、模索やら矛盾との葛藤もあり。
日々の臨書もサボっていることもあり、振り返ると、お恥かしい限りの作品の数々
言い訳を言えば、それも自分の記録となるのか・・なんて。
迷った時は、木簡に帰るべし。
ふと、今思ったこと
今日は夜からまた、木簡と向き合う時間を頂ける。
Hさん、お越しをお待ちしておりまする
(半紙)
久々に木簡臨書。
といっても、今日書いたのじゃなくて、ちょっと前に書いたものだけど。
軽やかで若々しく、楽しそうに歌いながら歩いているイメージで書いてみたなり。
原本はこれ↓ 楽
それにしても、臨書も日々ちょっとづつでもしていないと当然、鈍るわけでして。
たとえば料理なぞも、しばらく手抜きをすると、
メニューも浮かばなかったり、感覚も鈍るでございましょ?
たぶん、そんな感覚。
明日から、新しい教室スタートします。
拙ブログから、書TEN、蘭秀会展にもお越し下さり、
木簡をやってみたいと熱望される方が、遠路お越し下さることになり
一緒に学んでいく中で、書を通して自分なりに「何かできること」を
探していけたらと思っています。
大好きな木簡から、新しい出会いを頂きました
楽しみです
(倍版はがき)
久々に八木重吉の詩。
花はなぜうつくしいか
ひとすじの気持ちで咲いているからだ
美しいなぁ。
その花の姿も。
この詩も。
そして、この人が歌うこの歌も。
K.D.Lang Leonard Cohen’s Hallelujah
ゼラニウム 紫陽花 チェリーセージ
時計草の蕾 みーにゃとゼラニウム
梅雨に入り、水を得た魚じゃないけど、
我が家のベランダの植物たちも生き生きと青々と。
特にこの赤いゼラニウムのお日様に向かう姿には、いとおしや~って気分
ここに引越してきたのは、ペット可ってことと、猫がくつろぐためのベランダだけは
広いってことだったんだけど、それでもこの時季の生命力には圧倒されっぱなし。
もうね、毎年洗濯物とか、布団干しとか、大変なこってす。。
これからまだまだ咲くのは、チェリーセージ、ポピー(今問題の?じゃないですよ
紫陽花、時計草、ヤマカカシ、ホトトギス、アイビーゼラニウム、月見草、
キャットテール、ジャスミン、・・・
みんな元気いっぱい! 今年も コーナーはこんな感じに(↓)
写真の腕が悪いので・・すごさが伝わるかしらん。
柵の向こうは、1階の庭にある桜の借景。
随分広い部屋に住んでるのね~って、このベランダを見て言われるんだけど、
・・ベランダだけです 部屋は、昭和49年築の古くて、壁なぞコンクリートに
じか塗りのペンキが剥げ落ちてきてるし、冬寒く夏暑いし
でも、ベランダの植物たちには、私も猫さまたちも癒されとります。
夏の夜はこの椅子で、クイーっと一杯も最高~!
これからの季節、水やりが大変だけどね
(はがき)
孤独であって、充実している、
そういうのが人間だ。
岡本太郎 『壁を破る言葉』 イースト・プレスより
さっき、南相馬に住む友人との電話を切ったあと、このことばを思い出して
いつだったか、瀬戸内寂聴さんがこんなお話を。
『独りで生まれ、独りで死んでいく「人間」は
自分を頼れるものに鍛え上げるしかないのです。』
人は、孤独を避けたがるものだけど、
元々、生きるってことは、孤独とセットなんだって思ったら
ちょっとだけ、そっか・・って思えてくる。
孤独はマイナスからのスタートじゃなくて、ゼロからってこと。
『孤独を飼い馴らし、孤独の本質を見極め、
自己から他者の孤独へ想いをひろげるゆとりを手に入れない限り
孤独の淵から這い出ることはできないのです。』
誰だって、孤独なんだって気づけたら、また頑張ろうって思えてくる
そんな強さを分けてくれる、八木重吉の詩がある。
『秋の空のひろさのなかへ一匹の蜂をかんがえよ』
追記:励ますつもりが、いつも友人から逆に勇気をもらうのでして