「2020年最初の関西旅行記 #1」のつづき、関西旅行記の2日目です。
まずはこの日の行程。
ホテル⇒徒歩
⇒南方駅⇒阪急京都線
⇒十三駅⇒阪急宝塚線
⇒豊中駅⇒徒歩
⇒高校野球発祥の地記念公園
⇒徒歩
⇒豊中駅⇒阪急宝塚線
⇒大阪梅田駅⇒昼食
⇒梅田駅⇒御堂筋線
⇒本町駅⇒中央線
⇒阿波座駅⇒徒歩
⇒江之子島文化芸術総合センター
⇒徒歩
⇒国立国際美術館
⇒徒歩
⇒淀屋橋駅⇒御堂筋線
⇒新大阪駅⇒徒歩
⇒ ホテル
ホテル⇒徒歩
⇒新大阪駅⇒JR京都線
⇒大阪駅⇒大阪環状線
⇒大阪城公園駅⇒徒歩
⇒大阪城ホール
(Misia Soul Jazz Big Band Orchestra Sweet & Tender)⇒徒歩
⇒大阪城公園駅⇒大阪環状線
⇒大阪駅⇒JR京都線
⇒新大阪駅⇒徒歩
⇒ホテル
一日の私の動きを地図にプロットしてみました。
青い線が徒歩、赤い線(前半)とオレンジの線(後半)が電車
で動いたルートです。
この日の観光スポットは、高校野球発祥の地記念公園
(豊中市)、江之子島文化芸術総合センター[enoco] (大阪市西区)、そして国立国際美術館(大阪市北区)の3か所でした。
まず最初の「高校野球発祥の地記念公園」は、その存在を知ったのは2年前のことで、大阪モノレールの大阪空港駅でこちら
のポスターを見かけたときでした。
このときもかなり食指が動いた
のですが、こちらで書いたように、万博記念公園⇒新大阪⇒大阪城ホール(THE SUPER TOUR OF MISIA)を予定していたことから、
動線にムダ(重複)が多いし、何よりも大きなキャリーバッグの取り扱いが面倒です
ということで、断念した経緯があります。
そして、遂に、高校野球発祥の地記念公園に行ってきました
新大阪駅を起点にルート検索すると、御堂筋線
経由(新大阪駅⇒西中島南方駅・
・南方駅)が出てきますが、地図を見ると、たった1駅、安くない(180円
)地下鉄
に乗るよりも、ホテルから南方駅まで歩く方が良かろう
と判断しました。
そして、ホテルから10分ほど歩くと、南方駅に到着。
南方駅(相対式で、跨線橋も無いチンマリした駅)は「みなみかた」と読むのですが、すぐ近くにある御堂筋線の西中島南方駅の方は「みなみがた」と読みが違います。
これに気づいたのは、この日の前半の帰路(御堂筋線
で新大阪に戻った)でした。
どうしてこういうことになったんでしょうねえ
調べてもよく判りませんでした
それはともかく、すぐにやって来た大阪梅田行きに乗り、お隣の十三駅(これも難読
のたぐい)で、うまい具合にやって来た宝塚行きの急行
に乗り換えると、一駅(約8分
)で豊中駅に到着しました。
駅には「高校野球発祥の地記念公園」の大きな看板がありましたが、駅から出るとなんの案内も目印もなく、スマホの地図を頼りに、いかにも高級住宅地っぽい街を歩くことになりました。
せめて、矢印看板がいくつかあっても良いのではないかと思いますが、こうした住宅地にそうした看板は似合わない気がしないでもありません。
駅からちょっと入ると、ホントに閑静で、きれいな街並みです。
私、豊中には土地鑑が皆無に近かったのですが、梅田から電車で十数分
の場所にこんな住宅地があるとは予想外
でした。
豊中駅の看板に「徒歩400m」とちょいと変な表記をされていた距離(普通は「徒歩○分」だと思ふ
)を歩くと、「相続税として土地を物納しました」といった風情の小さな公園があり、それが「高校野球発祥の地記念公園」でした。
いわゆる「夏の甲子園」の「第1回」となる「第1回全国中等学校優勝野球大会」は、大正4(1915)年に豊中グラウンドで開催されたことは知っていたにしても、その跡地が、これほどまでに完全に
住宅地に変貌していたとは驚きました
交通の便の悪さをはじめとする諸事情により、豊中グラウンドで大会が行われたのは翌年の第2回大会までで、第3回からは現・西宮市の鳴尾グラウンドに会場が変わり、更に大正13(1924)年[甲子(きのえね)年]の第10回大会からは現・阪神甲子園球場で開催されるようになったらしいです。
公園の壁にはめ込まれていたパネルによると、
豊中グラウンドは、大正2年(1913)沿線への鉄道利用の促進をめざし、箕面有馬電気鉄道(現阪急電鉄) 創業者 小林一三氏によって建設されました。
だそうで、箕面に動物園をつくり、宝塚にレジャー施設と歌劇団をつくり、沿線に住宅地をつくり、ターミナル駅にデパートをつくるなど、私鉄のビジネスモデルを造り上げたかの小林一三さんの事業の一つだったんですな。
阪急グループの施設で始まった「中等学校優勝野球大会」が、わずか2年で阪神グループの鳴尾グラウンドに出て行き、その後、阪神甲子園球場に定着することになったのは、小林さんにとっては悔しかったのではなかろうか…村上ファンド
による阪神電鉄株の大量取得
を契機として、現在、阪急と阪神は同じグループになっていますが、阪急がホワイトナイトとして事実上、阪神を吸収合併することになった背景には、小林さんの怨念があったのかもしれません
公園のレンガ壁には、「第1回大会」の開催社告(by 大阪朝日新聞社)とか、開催要領と出場選手名などを刻んだ銅板が埋め込まれていまして、
この中にあった「試合規則」がかなり面白い
例えば(漢字を馴染みのものに変えました)、
一、試合予定時刻は励行す
但前回の試合終了せざる時は次回に移らず
一、出場選手は必ずユニホーム着用の上試合開始予定時刻より
三十分前に来場すべし
一、ウイニングボールは之を勝者に与ふ
一、試合用球以外の器具は各自持参すべし
ここまで「規則」にする? ですが、第1回大会なので、何でもかんでも詰め込んだのでしょう。
最後に、優勝校と準優勝校のプレートを見物しました。
一番新しいプレートは、一昨年の第100回大会のものでした。
金農旋風が懐かしいぞ
そして、お目当ての第1回大会のプレート
我が母校の前身・秋田中学の校名が誇らしい
こうして大満足
のうちに高校野球発祥の地記念公園を後にして、豊中駅へと戻ったのでありました。
つづき:2020/01/31 2020年最初の関西旅行記 #2-2