新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

順不同の大阪&奈良旅行記(その7)

2012-02-10 23:22:23 | 旅行記

順不同の大阪&奈良旅行記(その1)」にも書きましたように、春日大社新薬師寺と同様、私が訪ねるのは今回が初めてでした。
でも、本・雑誌やTVなどで、春日大社の社殿の外観は知っていました。
そして、実際に間近で観ても、ふ~ん、そのまんまだ… と、初めて観たにしては、かなり醒めた気分でした。よく使う感嘆詞の「ほわぁ~」が出てこない…。


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どうも、竜宮城を連想させる派手な雰囲気とか、のような派手さが、合わないんですな。
とりわけ、中門唐破風(龍のヒゲみたい)が苦手です


唐破風が苦手といえば、こちらもそう


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東大寺大仏殿も、せっかくの威風堂々たる大伽藍が、唐破風のおかげで、空威張りいているというか、しなを作っているような印象を与えています。

私は決して唐破風すべてが嫌いなわけではないのですが、春日大社中門東大寺大仏殿の唐破風には違和感を覚えます。


もっとも、東大寺大仏殿の唐破風は、元禄時代に再建されたときに採用された意匠で、奈良時代(天平期)に建てられて平安時代末期に戦火で焼け落ちた初代大仏殿にも、鎌倉時代に再建されて戦国時代に再び戦火で焼け落ちた二代目大仏殿にも、唐破風はなかったことは知っていました。


一方の春日大社中門の唐破風は、今回の旅行記を書くべく、春日大社のHPの、


中門正面の唐破風(からはふう)は明治時代に取り付けられました。


という説明を読んで、初めてその由来を知りました。


いったいどんな意図で、明治時代になってから唐破風なんぞを取り付けようと思い立ったものなのでしょうかねぇ

明治時代(初期)は、藤原氏ゆかりの興福寺こちらの記事をご参照方)と春日大社にとって、痛い時代だったようです。と、書いたものの、春日大社中門に唐破風が取り付けられたのが明治時代のいつ頃のことなのか判らない… (そのうちに調べておきます


   


さて、東大寺大仏殿の内部には、初代大仏殿(と伽藍全体)二代目大仏殿の想像模型、そして三代目=現在の大仏殿の模型が展示されています。


まず、創建当時の伽藍(の模型)がこちら。


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これぞ奈良時代といった感じです

説明書きを転記しますと、


この模型は、創建当初の伽藍の様子を50分の1に縮小・復原したものである。天沼俊一工学博士を中心とする各位が『東大寺要録』や『正倉院文書』などの古文献を基にして大正年間に製作された。大仏殿は現在のものに比べて東西(左右)に大きく、、また100メートルに達する東・西両塔がそびえていたことが分かる。


だそうで、なんともとてつもないスケールの超特大伽藍
一度、生で観たかったぁ~」と、ムダなこととは知りつつも、深く深く思います


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そして、二代目大仏殿の模型がこちら。


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初代に比べて棟(のき)が短くなっていますが、これはこれでオリジナルの偉容を伝えつつ、日本美術のルネッサンス(と思っています)鎌倉時代の息吹をまぶした風情で、かなりいい感じ


ちなみに、こちらの説明書きも転記しますと、


重源が大勧進となって、建久6年(1195年)に供養されたのが鎌倉再建大仏殿である。規模は創建時とほぼ同じで、様式は天竺様(大仏様)と考えられている。鎌倉再建大仏殿は永録(ママ:正しくは永禄)10年(1567年)兵火で焼失した。ここに展示してある大仏殿は、奈良少年刑務所において作成し、平成16年度全国矯正展に出品され、法務事務次官賞を受賞した鎌倉再建大仏殿である。主な部材として吉野の檜を使用した白木作りとなっており、紫尾(ママ:正しくは鴟尾、だと思う)には金箔を貼ってるあるが、それ以外には余分な着色を施さず、白木の良さを生かした作りとしてある。縮尺50分の1で作成しており、平成14年度奈良少年刑務所作成の江戸再建大仏殿と対比することによって、創建時の大仏殿の規模を想像することが出来る。

平成16年12月吉日
奈良少年刑務所

だそうで、少年刑務所(の受刑者)の作品(二代目・三代目大仏殿の模型作成に関わった受刑者の皆さんが、大仏様の御利益を得て、立派に更生されていることを願っています


同じく奈良少年刑務所作成による「江戸再建大仏殿(=現在の大仏殿)」の模型はこちら。


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Wikipediaの記述によりますと、


東大寺の伽藍の中央に位置し、境内で最大の建物である。現存する大仏殿は、正面の幅57.5m、奥行き50.5m、棟までの高さ49.1m。奥行きと高さは創建当時とほぼ同じだが、幅は創建当時(約86m)の約3分の2になっている。


だそうで、初代・二代目と見比べると、唐破風がなかったとしても、腰高で、荘厳さに劣る気がします。

でも、初代・二代目と見比べなければ、悪くはないっつうか、一見の価値のある建物だと思います。


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でもでも、やはり、唐破風が惜しいなぁ…


つづき:2012/02/13 順不同の大阪&奈良旅行記(その8)

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順不同の大阪&奈良旅行記(その6)

2012-02-09 05:42:57 | テレビ番組

順不同の大阪&奈良旅行記(その5)」のつづきは、タイトルどおり、まったくもって順不同春日大社のお話。


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春日大社の境内を歩いていて、ふと目に留めた灯籠に注目してしまいました。
その灯籠がこちら。


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でもこの写真じゃ、かなり立派な燈籠だというくらいのものかもしれません。
の部分をアップしましょう。


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真ん中に「葵のご紋」が見えます。
これ自体は、「江戸時代には幕府が保護してくれたんだろうな」と、さほど不思議はないのですが、問題は、「葵のご紋」の両側についている菱形が連んでいる


私にとって初めて見る紋で、いったいこれはどういう紋なのだろうか? どんな由来があるのだろうか?と思いました。
そして、この旅行記を書くうちに調べるつもりにしていたのですが…。


それが、昨夜、見事に回答を得ました。
昨夜のNHK「歴史秘話ヒストリアは、「大奥 シンデレラ・ストーリー~将軍の母・桂昌院 元祖『玉の輿』物語~」と題して、徳川五代将軍・綱吉の生母である桂昌院がテーマだったのですが、番組によりますと、桂昌院は、綱吉に世継ぎができないのは功徳が足りないからだと、多くの古寺社に寄進を重ねたんだそうで、寄進を受けた寺社には現在も桂昌院の実家の紋を大事に掲げている由。
その桂昌院の実家の紋が、春日大社の燈籠の笠についていた「九つ目結紋・ここのつめゆいもん」なのですよ


調べる手間もなく疑問が解決して気分の良い私であります

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順不同の大阪&奈良旅行記(その5)

2012-02-08 22:33:17 | 旅行記

埼玉県立近代美術館(MOMAS)訪問記のつづきは後回しにして、「順不同の大阪&奈良旅行記(その4)」のつづきです。


東大寺至宝を免震構造の建物で守りつつ公開する東大寺ミュージアムが開館したのは昨年10月10日のことでした。
ちょうどこの日、私は京都をぶらついました(記事はこちらこちら)。
オープン当日は混むだろうと思っていましたし、今回のTHE TOUR OF MISIA JAPAN SOULQUEST GRAND FINALE大阪初日に参戦するつもりでしたから…


そんなわけで、初めて訪れる東大寺ミュージアムに大いなる期待を込めて南大門をくぐりました。


   


120208_1_01 相変わらず、巨大です、仁王さま


ただねぇ~、前面に張られた金網が…


今のように陽が低い時期だと、この金網が日光を反射してしまって、うまく写真が撮れない…。

阿行像(の写真)は、ほぼ全滅でした


ところで、これほどデカイ木像(高さ8mらしい)って、東大寺南大門のこの仁王さま以外にあるのでしょうか?


と調べると、頭だけで18mもあるという仏さんが見つかりました


120208_1_02

中国・浙江省海寧市の安国寺大雄宝殿の釈迦牟尼仏だそうな


ただ、Record Chinaのこの記事、


2007年2月12日、浙江省海寧市の安国寺・大雄宝殿に釈迦牟尼像の頭部が設置された。
48人の職人が1か月以上もかけて設置作業に取り組んだというこの像は、重さ108t、高さ18mおある。耳部分だけでも、9.3mの大きさだというから驚きだ。唐時代に造られたというこの釈迦牟尼像、「世界最大の木像」と紹介されている。


だそうですが、なんだかよく判りません。唐時代に造られた木像が、21世紀になってから、それまでとは違う場所に設置されたということなのでしょうか?
また、写真で見る限り、まるで造られた(彩色された)ばかりのようですし、お顔立ちも、っぽくない…


ちょっとWEBをさまよっていたところ、「盛唐」といいますから8世紀前半≒天平期の仏像の写真をこちらのサイトで拝見してビックリ


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お顔立ちがこちらそっくりではありませんか


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右の画像は東大寺の法華堂(三月堂)に伝わる月光菩薩像


ポーズはまったく違いますが、いかにも同じ時代を感じさせてます。


それにひきかえ、「浙江省海寧市の安国寺・大雄宝殿に釈迦牟尼像の頭部」は、こちらの仏さんたちとの共通点が見つかりません…


ところで、法華堂(三月堂)月光菩薩像は、相方日光菩薩像ともども、東大寺ミュージアムに展示されていまして、1年半ぶりに拝見することができました(1年半前の記事はこちら)。


ということで、やってきました、東大寺ミュージアム


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回りの風景に溶け込む佇まいで、期待が高まります


入館料は大人(大学生以上)が500円と、他の寺社の拝観料と比較して割安な感じ。しかも、大仏殿の拝観とセットなら、200円お得な800円
ちょっと考えた結果、私は大仏殿の拝観とセットになった共通券を購入しました。


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そして、肝心の展示はといいますと、展示されている仏さま・仏具・その他資料や教典のも、照明も、建物の造作も、雰囲気も、大満足


2010年の晩秋に東京国立博物館(東博)で開催された特別展「東大寺大仏-天平の至宝-」で、大勢の人混みの中でなんとか拝見した寺宝の数々と、今回はかなり親しく再会できましたし、何よりも、初めて不空羂索観音立像を拝見できたのはうれしかった


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この不空羂索観音さま、1年半前に法華堂(三月堂)を訪ねたときは修復中でしたし、東博には光背だけが東下されたし、高校の修学旅行の時は法華堂(三月堂)には行かなかったしで、その大きさに驚きつつ、立像から発せられるというか何というか、見えない力に(心の中で)ひれ伏した私でありました。


っつうことで、ちいと書き足りない気もしますが、東大寺ミュージアムを「超お薦め」と評し、今日はおしまい


つづき:2012/02/09 順不同の大阪&奈良旅行記(その6)

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埼玉県立近代美術館で黒川紀章を楽しんだ

2012-02-06 22:20:14 | 美術館・博物館・アート

1月19日の記事に「今週末は北浦和に行ってみようか…」なんてタイトルをつけたというのに、遅まきながら、昨日、埼玉県立近代美術館(MOMAS)に行ってきました。
そして、なんとか「アンリ・ル・シダネル展」の最終日に間に合いました


もう会期が終わってしまったアンリ・ル・シダネル展」のことは後回しにして、まずは中銀カプセルタワービルモデルルームから。


そのカプセルは、予想どおり彫刻ひろばにありました。


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残念ながら、内部に立ち入ることはできず、外から覗き見るだけコバトン登場)。


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この中銀カプセルタワービルのカプセルは、「今週末は北浦和に行ってみようか…」で引用した朝日新聞の記事にもあるとおり、


1960年に提唱されたメタボリズム(新陳代謝)は、建築も時代や用途の変化に応じ、空間や機能を取り換え成長させればよい、という発想。ベッドや机などを備えた着脱可能なカプセル140室を重ねて72年に東京・銀座に完成した中銀ビルは、象徴的存在だが、老朽化のためすでに建て替えが決まっている。
モデルルームはその足元に長年置かれ、東京の森美術館で15日まで開かれていた「メタボリズムの未来都市展」に出品されていた。同展がきっかけとなり、中銀ビルディング株式会社が寄贈することになった。


もの。メタボリズムの立役者だった方々も、まさか三十数年経って、「メタボ」が別の用途で(意味は同じ)日本人の多くになじみ深い、いや、忌み嫌われる言葉になるとは思わなかったことでしょうな…
メタボリズムとは何ぞや」は、メタボリズムの未来都市展HPに詳しいのでこの辺にしておきまして、MOMASに展示されているカプセルをじっくり観ていきましょう。
ガラス越しなので、なかなか上手く写せなかったのですが…


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SFチックです 無機的です
そして、調度類がいかにも大量生産品っぽくて、かなり安っぽい…
立派なオープンリールデッキレシーバー(アンプ+チューナー)も装備されているのですが、スピーカーが見劣りしたり(当時のカーステレオ用スピーカーか?)と、私は居住する気にはなれません


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とは言え、たまにはこんな閉鎖的な場所に閉じこもるのも悪くはないかも…。


そうそう、先日の大阪・奈良遠征のとき、地下鉄の車内でこちらのカプセルホテルの広告を見ました(写真は無し)。


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1979年、世界初のカプセルホテルとして誕生した」という『カプセル・イン大阪』の広告です。
こちらの記述によれば、


黒川紀章氏が設計し改良を重ねて1979年に完成した「スリープカプセル」は、想像以上に広く快適で安らかな眠りが得られます。そのパーソナルなスペースの中にテレビ・ラジオ、パーソナルライト、安全性に配慮したスプリンクラーなど備え、お休み中はもちろんお休みになるまでのお時間も快適で、安全にお過ごしいただけます。


とな
日本が世界に誇るユニークな宿泊施設「カプセルホテル」は、黒川さんの「発明」なのですよ
そのご本家が現在も元気に営業中とは、大変に結構なことだと思います。


   


話を北浦和の黒川さんに戻しまして、カプセルは何でできているのかと思い、拳固でポンポンと叩いてみました(触るのはOKみたいデス


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感触はボンボンというもので、FRPっぽい感じがしました。


   


ところで、このカプセルが置かれている彫刻ひろばは、北浦和公園にあって、MOMASの一部と言えなくもない場所。
そして、MOMASの建物は、このカプセルがやって来る縁ともなったように、黒川さんの作品です。


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グリッドグニュグニョしたガラスの壁面が特徴的ですなぁ。


もう一枚いきましょう


120206_1_06いかにも近代美術館」といった風情だと思うのですがいかがでしょうか。


更にもう一枚


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斜めに突き刺さっている角柱は、田中米吉さんの「ドッキング (表面)No.86-1985」という作品の一部です。


   


今週末は北浦和に行ってみようか…」で「黒川さん設計の美術館・博物館」としていくつか写真を載せたのですが、その中で奈良市写真美術館は名前だけの紹介でした。
その奈良市写真美術館を今回の大阪・奈良遠征で、外観だけ拝見しました


120206_1_10


写真の真ん中に新薬師寺(訪問記はこちら)がちょっとだけ写っています。

今回は時間の余裕がなく、外観を拝見するだけでしたが、いつか訪問したいと思っています。


ということで、かなり楽しんだ今回のMOMAS館内展示の話は、またいつか

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順不同の大阪&奈良旅行記(その4)

2012-02-05 16:39:02 | 旅行記

JR東京駅丸の内駅舎の正面から皇居に向かって伸びる大通り「行幸通り」の両側に、まるで山門の仁王様のように、丸ビル新丸ビルがそびえ立っています。

丸ビルの正式名称は「丸の内ビルディング」、新丸ビルのそれは「新丸の内ビルディング」です。
あれ? 確か、どちらも「(新)丸の内ビルヂング」じゃなかったかな? と思ったら、両ビルとも、建て替え(現在の丸ビルは2002年竣工、新丸ビルは2007年竣工)を期に、「(新)丸の内ビルディング」に改称したようです。
ビルヂング」の方が趣きと歴史が漂ってステキなんだけどな…

ビルヂング」はさておき、新しい丸ビルが竣工して旧い新丸ビルが現役だった期間、「丸ビルより新丸ビルが古い」というビミョーな状況にありました。
丸ビルの建て替えを機に、新丸ビルの「」は、NEW」「Laterといった時間的な意味を失って、固有名詞の一部になったということなのでしょう。

今回の旅行記を書くにあたっていろいろ調べる中で、奈良の古刹「新薬師寺」の「」も、西ノ京にある薬師寺に対比しての「新(NEW)」ではないという説があることを知りました。
こちらのサイトでは、

新薬師寺の由来は西ノ京の薬師寺に対して「新しい」のではなく、本尊の薬師如来がもたらす新たなる霊験利益を「」と表しています。

また、こちらのサイトでは、

よく言われることですが、新薬師寺という名前は「新しい薬師寺」ではなく、「霊験新たかな薬師如来さまを祀ったお寺」という意味で、西ノ京の薬師寺とは全く無関係です。

と説明されていますが、まだ裏がとれていません

   

というわけで、「順不同の大阪&奈良旅行記(その3)」のつづきは、私にとって初めての訪問となった新薬師寺のお話です(前振りが長いゾ)。

春日大社への参拝&見物を終えた私は、上の禰宜道を通って神域の外へ抜けました。

まだ11:30でしたが、ちょっと腹が減ってきたぞと思ったところで、都合良く蕎麦屋を見つけたものでしたから、早めの昼食を摂りました。

と、このソバ(天ざる)が美味しい

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普段、質的に貧しい食生活をしている私にとって、かなり久しぶりにおいしさを感じるソバを食べることができ、かなり気分が盛り上がってきました

   

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細い道に左折してちょいと行くと、新薬師寺東門があり、塀越しに建物が見えました。

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この時は判りませんでしたが、実はこの建物、新薬師寺本堂でした…

それはともかく、南門で拝観料を納めて、境内に入りましょう。

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境内に入るとっつうか、南門越しに本堂ど~ん

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三つの木の扉と連子格子の無い白壁、そして、入母屋の瓦屋根と、極めてシンプルで清々しい建物です。

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決して大きな建物ではないけれど、軽やかで爽やかで、好きだなぁ~

この本堂、新薬師寺のHPによれば、

なだらかな曲線の大屋根と大きな白壁が、堂々とした天平建築を表しています。創建当初は金堂(本堂)ではなく別の目的のお堂でした。内部は土間に太い柱が立つ、簡素で力強い造り。天井は屋根裏がなく、化粧屋根の構造が直に見ることができます。貴重な奈良時代・創建当初の建造物です。

とあって、もともと本堂用の建物ではなかったそうです。

2年前、NHKが「復元 幻の大寺院~新薬師寺・天平の謎に挑む~」という番組を放送し、私はBlu-rayディスクで残しています。

120205_1_07_2

2008年秋、古都・奈良で古代史を書き換える大発見があった。平城京最後の謎と言われ、その位置すら分からなかった天平時代の新薬師寺の金堂跡が発掘されたのである。その規模は、驚くことに、世界最大の木造建造物・東大寺大仏殿をしのぐものであった。
奈良時代の絵図にわずかにその姿をとどめるだけだった、七体の薬師如来が祀るという巨大な寺院。その伽藍にはどんな風景が広がっていたのだろうか。金堂から60m離れた伽藍中心線から出土した謎の柱。奈良三彩の破片や小壺。発掘をもとに祈りの風景を再現する中から、中国や、はるか中央アジアとの交流の姿が浮かび上がってきた。

というお話で、「天平時代の新薬師寺の金堂」は、現在の新薬師寺の西、数百mにある奈良教育大の敷地(下のGoogleマップでは左下のグラウンド)にあったらしいのです。

天平時代の新薬師寺は、新薬師寺のHPによると、

創建から33年後の宝亀11年(780)、落雷により建物のほとんどが焼失しました。

だとか。

では、「天平時代の新薬師寺」から現在の新薬師寺にはどうつながるのでしょうか?
また、現在の新薬師寺の本堂は焼け残った「天平時代の新薬師寺」の伽藍の一部なのでしょうか?
本堂に鎮座している天平時代の傑作「十二神将」は、どこからやってきたのでしょうか?

新薬師寺のHPからもう一度から引用しますと、

金堂は平安時代に倒壊。いつの頃からか、他の目的で使用されていたお堂が金堂(現本堂)に転用されました。堂内の薬師如来坐像は平安初期の制作です。回りの十二神将立像は奈良時代の作ですが、もとは新薬師寺のものではなく、近くの岩淵寺(いわぶちでら)から移したものと伝えられています。

だそうな。

ということは、「天平時代の新薬師寺」を今に伝えるものは、現在の本堂だけなんですな…

   

それはそうと、本堂に入ってみますと(当然のように撮影禁止ですから、買ってきたポストカードを利用します)、

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ほわぁ~ なんと凄い…

十二神将は、イメージしていたものより小さくて、160cmくらい≒当時の日本人の等身大(?)でしょうか。

でも、伝わってくる迫力がハンパありません。(こちらJR東海CFは良くできてる

グルグルと3周して、間近にじっくりと拝見させていただきました

本堂の解体修理が行われない限りあり得ないことでしょうが、仮に薬師如来様・十二神将様ご一行が東下されて、東博辺りで特別展が開かれたりなんぞした日には、かの「国宝 阿修羅展」並の大混雑になりそうな気がします。

それが、私が訪れた時、堂内で拝観していた人はホンの数名だけ。
なんとも贅沢至福のひとときでした。

120205_1_09 やはり十二神将の中では、このブログでも取り上げた(記事はこちらこちら迷企羅大将(寺伝・伐折羅大将)が一番でした。
いやはや、カッコイイ

ところで、十二神将それぞれの前には燭台が置かれていて、1本30円でローソクを買ってお供えできるようになっていました。

どの十二神将にもローソクが上げられているかと思いきや、一体だけ淋しく、ローソクなしの神将さまがいらっしゃいまして、かわいそうなので、私がローソクをお供えいたしました

その神将さまがこちら、

120205_1_10珊底羅(さんてら)大将」です。

何か珊底羅大将御利益がやって来るものでしょうか?

前記のとおり、十二神将天平時代の作ですが、ご本尊の薬師如来坐像はちょいと時代が下って平安時代の作だそうで、見た目、明らかに作風が違っていました。

120205_1_11 目がクリッとして、福々しいお顔つきで、人が良さそうというか、かわいらしいというか、癒やし系の仏さまです。
でも、十二神将とのバランスがちょっと良くない気がします。

まぁ、十二神将たちが「守ってあげたい」と思うような仏さんと言えないこともありませんな…

それにしても、何度も書きますけれど、これほどの名品を、間近に、じっくりと心ゆくまで拝観できるなんて、そうそう体験できることではないと思いました。

   

ところで、ほとんど白っぽい十二神将さまですが、ところどころが残っている十二神将さまがいらっしゃいました。

製作当初は、極彩色に彩られていたそうで、上に載せたJR東海のCFでも色鮮やかな伐折羅大将のお姿が登場しています。

この色復元のCG作成作業こちらのサイトでご覧になれますぞ。

つづき:2012/02/08 順不同の大阪&奈良旅行記(その5)

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順不同の大阪&奈良旅行記(その3)

2012-02-04 18:03:04 | 旅行記

「順不同の大阪&奈良旅行記(その2)」のつづきのようなものです。


自宅のBlu-rayレコーダのHDDの容量を不足気味でしたので、録り貯めて放置していた番組を観て、Blu-ray Discにダビングしたり、消去したりしていますと、1月22日のNHK日曜美術館アートシーンで「草間彌生 永遠の永遠の永遠」展が紹介されていました。


おぉ、先週の大阪遠征のとき、泊まったホテルの近くにある国立国際美術館でやってたなぁ~、ホテルのロビーに草間さんの作品「明日咲く花」が特別展示されていたなぁ~なんて思っていました。


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と、番組での「草間彌生 永遠の永遠の永遠」展の紹介の最後にいつものように、巡回展の予定が、、、あぁっ埼玉県立近代美術館(MOMAS)に巡回するぅっ


4月14日(土)~5月20日(日)の約5週間、MOMASでも開催されるのですと


これはとびきりの朗報です


今回の関西遠征では、行きたい気持ちがありながら時間的な余裕がなくて行けなかったところが、奈良博奈良市写真美術館ほかいくつかあったの中に、この国立国際美術館での「草間彌生 永遠の永遠の永遠」展があって、朝の散歩の途中、未練がましく何枚も国立国際美術館の写真を撮って自分を慰めていたような状態でしたから…


120204_3_03


このの楽しみが一つ増えました


あ、そうだ 国立国際美術館での「草間彌生 永遠の永遠の永遠」展は4月8日(日)まで
まだまだ余裕~ なんて思っていると、いつの間にやら時間が経って、展覧会が終わってしまうかも知れませんよ(経験者は語る…)


120204_3_04

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祝! 15万アクセス!

2012-02-04 13:48:13 | 日記・エッセイ・コラム

先ほど、当ブログへの通算アクセス数が15万件を超えました


120204_2_01


キリ番となった12:04のアクセスは、アクセス先が「トップページ」で、かつ「参照元のURL」が空欄になっているということは、畏れ多くも、この拙いブログをブックマークしてくださっている方
ありがたいことです…


当ブログに立ち寄ってくださる方々のご期待に沿えるよう、確約はいたしませんが精進いたします 

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でたぁ~、プリンタのメッセージ!

2012-02-04 10:40:07 | 日記・エッセイ・コラム

自宅で使っているプリンタは、筋肉痛を起こしてまでお店から「お持ち帰り」したEPSON EP-901Aです(顛末はこちら)。
先日、プリントアウトしようとしたところ、こんなメッセージが出ました。


120204_1_01

廃インク吸収パッドの吸収量が限界に近づいています。


出ましたなぁ~


私の感覚としては、2年半は大丈夫のはずでしたが、今回はEP-901Aを使い始めて2年4ヶ月ですから、ちょいと早め。
3年前から、このブログのハードコピーを印刷していますから、過去の機種の時にくらべて印刷頻度・枚数が多いはずですので、そのためでしょうか?


ちなみに、この「廃インク吸収パッド」についてエプソンのサイトでは、


  • 廃インク吸収パッドとはクリーニング時や印刷中に排出される廃インクを吸収する部品です。
  • お客様のご使用頻度等によって廃インク吸収パッドが限界に達する期間は異なります。
  • 廃インク吸収パッドの交換はお客様ご自身による交換が出来ません(一部機種除く)。エプソン修理センターにてお預かりし、本体内の調整後お返しております。
  • 吸収したインクが一定の容量に達した場合、安全性の観点からインクが溢れることを防ぐため、修理センターで処置するまで印刷ができないようにさせていただいております。

と、あります。
現在のEP-901Aは私にとって5代目になります(すべてエプソン製)。この「廃インク吸収パッドの吸収量が限界に近づいています」うんぬんのメッセージが出たのは3代目の時以来2回目。
他の3台とインクパッド交換後の3代目は、このメッセージが出そうになる前に、新製品の機能や価格に惹かれて買い換えました。


さて、今回はこれを機会に買い換えるか、それともパッドを交換してもらって使い続けようかと、考えました…ってなことはなく現行機種にさほど目新しさを感じないものですから、すぐさまパッド交換を申し込みました(修理依頼こちらのページから)


120204_1_02 今日の午前中にヤマト運輸さんがプリンタを引き取りに来てくれるはずで、既に玄関口では梱包されたEP-901Aが出荷を待っています。


ところで、気になる料金は、こちらのサイトによりますと、


インクジェットプリンタ、インクジェット複合機の持込修理対応(引取修理サービス/送付修理サービス/持込修理サービス)において、廃インクパッド交換のみを行い、他に修理調整が無かった場合は、廃インクパッド交換料金(4,200円)が適用されます。


とあります。

しかも、おそらくインクカートリッジはすべて新品交換されて帰ってくるでしょうから、考えてみれば、しばらく自宅でプリントアウトできない不便さはあるものの、かなりお得な話です。「他の修理調整」が発生しなければですが…

【エプソン純正インク】インクカートリッジ 6色セット IC6CL50
【エプソン純正インク】
インクカートリッジ 6色セット IC6CL50

価格:(税込)
発売日:

ただ、もったいないことに、インクカートリッジの状況は上に載せた画像で判るとおり、取り替えたばかりのライトシアンを始めとして、結構残っています

これでも、溜まっていた印刷物をまとめてプリントアウトしたのですがねぇ…

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順不同の大阪&奈良旅行記(その2)

2012-02-01 23:43:19 | 旅行記

一日空けて、「順不同の大阪&奈良旅行記(その1)」のつづきです。


きょう、帰宅すると、郵便受けに待望のブツが届いていました
それは、


1202_01_02


NTTドコモからの郵便物です。
中味は、


1202_01_03 こちらで書いたように無くしてしまった携帯電話裏蓋


さっそく装着しました。


1202_01_04 う~む、、色が合ってない…
愛用の携帯4年前の1月に買ったものですから年期が入っているにしても、経年変化の類ではなく、仕様が違う気がします…


でも、裏蓋が手に入っただけでも良しとしなければバチがあたります。
なんたって、かかった費用は、


1202_01_05


なんと、送料込みで400円 しかもドコモポイントを使いましたから、身銭を切ることなく、「現状復帰」することができました


   


私、4年以上前に購入した携帯の補修部品をドコモショップで簡単に購入できるとは知らず、私が使っている携帯と同じ機種の中古品を買って、裏蓋を流用するしかないと勝手に思い込んでいました。

そこで、当初は薄ぼんやりと「大阪に着いたら、昼食を食べてからホテルにチェックイン」と考えていたのですが、急遽、中古携帯を探してみることに決め、「この手の買い物は、東京なら秋葉原、大阪なら日本橋だろう」と、日本橋(にっぽんばし)にあると聞く、大阪の電気街に行ってみることにしました。


大阪空港から、一旦、リムジンバス梅田に出て、昼食を摂った後、御堂筋線に乗ってなんば駅まで行きました。
そして、日本橋駅の辺りまで歩いて行ったのですが、途中、ビックカメラはあるものの、なんだか電気街の雰囲気は皆無


逆に、かの有名な黒門市場を通ったりして、ますます


1202_01_06


う~む…


困ってしまった私は、携帯で「大阪 日本橋 電気街」で検索してみますと、日本橋の電気街は、私がウロウロしていた千日前通りずっと南側にあるのだそうな


さっそく、たらたらと南に向かってあるいて行きますと、、、


1202_01_07


おぉ、これぞ電気街:でんでんタウン


しばらく中古携帯を扱う店を探しながらでんでんタウンを歩き回りました。


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大きな地図で見る


初めて歩く日本橋は、妙に空き地が点在していて殺風景な感じが漂うかと思うと、オタク系のソフトショップやらメイド喫茶が目立って「西のアキバ」的なムードを発していたり、はたまた、電工工具の専門店が並んでいたりと、なんとも独特の街でした。
時間に余裕があったら、そして、荷物を持っていなければ、もっとのんびりと探索したかったな…


で、結論を書きますと、中古携帯を扱う店は見つかったものの、私の携帯と同じ機種を見つけることはできませんでした。


そして、ものは試しと飛び込んだドコモショップで、裏蓋を取り寄せることができるってことを知ることができたのでしたのですから、かなり回り道…。


   


そんなこんなしているうちに、おっと、そろそろホテルにチェックインして、THE TOUR OF MISIA JAPAN SOULQUEST GRAND FINALE出撃に備えねば と、予約してある中之島のホテルに向かうことにしました。


携帯でGoogleマップを見ると、ちょいと東にある四天王寺前夕陽ケ丘駅(長い駅名…)から地下鉄谷町線に乗れば、乗り換え1回でホテルまで行けそうです。


実際歩くと、結構距離がありました。


1202_01_08


「学園坂」交差点辺りでもう一度Googleマップを見て、「この道を更に東に行けば、四天王寺前夕陽ケ丘駅があるはず という小道を入っていきました。

すると、思いがけなく石段まである坂道


1202_01_09 私、大阪の街って真っ平らなイメージしか持っていなくて、こんな坂道があるとは知りませんでした。


もしかしてこれは、かの上町台地の縁か?


遠征から帰ってきてきてから調べると、まさに当たりでした。


私が歩いたこの坂道は、上町台地の西側にある天王寺七坂の一つ、口縄坂でした。


1202_01_01


1202_01_10


口縄坂ATOKで「くちなわ」を変換すると「」になります)は、風情があることに加えて、かわいい仔猫ボケぇ~としていたり、意味不明の注意書きがあったりして、ますます楽しい


1202_01_11 出発する前にはまったく予定してなかった行動とルートでしたが、それだからこそ思いがけない発見と出会いがあるものですな。


つづきのようなもの:2012/02/04 順不同の大阪&奈良旅行記(その3)

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