新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

いつも赤信号な交差点 総集編 (前半)

2020-01-21 08:53:36 | タウンウオッチング

2011年4月に始まった私のロングドライブ通勤は、昨年11月中旬で終了し、「いつも赤信号な交差点」シリーズ「四半期版」は、「2019年4Q」最後となりました。
その「2019年4Q」の文末に、

2012年10月末から2019年11月中旬までの「いつも赤信号な交差点」総集編は稿を改めます。

なんて書いてしまったものですから、その「総集編」を書きます。

   

そもそもの発端は、クルマ通勤を初めて2カ月を過ぎる頃、「いつも赤信号な交差点」(11/06/01)で書いたように、妙にいつも赤信号で停められる交差点やコンビネーションがあるような気がする、というものでした。

そして通勤開始から1年半近く経ったころ、それまでの漠然とした「『いつも赤信号な交差点』度を★で格付けしてみる」(2012/09/08)を書きました。

そして、単発的ながら、帰宅ルート中の「赤信号」をメモしてみたという記事が「きょうの帰り道はかなりスムーズ」(2012/10/22)でありまして、

しばらくこの「調査」を続けてみることにします。
さて、結果はいかに

と結んでいます。
そしてそして、その3日後2012年10月25日から、この「いつも赤信号な交差点」メモが本格的に始まり、そのまた約2ヶ月後12月3日からは、R246、環八・笹目通り3区間の走破時間メモするようになり、それが2019年11月15日までの約7年間続きました。

この間に収集したデータ数は、1,299
結構な数だと思いますし、こんなことをしないと、約2時間帰宅ドライブ約7年間も続けられませんって ということかな

   

ということで、この約7年間n=1,299のデータから編み出したランキングです。
最初は、元祖「いつも赤信号な交差点」

いつも赤信号な交差点

やはり御三家土支田千歳台、そして元祖「いつも赤信号な交差点」世田谷清掃工場前が、飛び抜けていて、まさしく十中八九赤信号」でした。

   

ここでいう「いつも赤信号」は、信号2回以上待ちになった「渋滞と、すんなり通過できたか停められた微妙なケースは、分母からも分子からも除外しておりまして、渋滞ランキングはこんな具合。

渋滞ランキング

なんともおぞましい交差点名が並んでいます…

「点」ではなく、「区間」として考えれば、環八川南=南荻窪一丁目南=環八神明通り=人見街道「旧・私の街の近く渋滞がとにかく酷かった(最悪のときは中の橋芦花公園前も超えて千歳台まで繋がる)

ここで見過ごすことができないのは、7位にランクインした観蔵院入口です。

この交差点のことは「いつも赤信号な交差点 2018年1Q (後編)」(2018/04/10)でも取り上げましたが、ここはとにかく渋滞しがちな地点で、その手前、井荻トンネルの後半で左車線が詰まっていそうな場合は、迷わず笹目通りではなく環八を走り続けて帰宅していました。

その気配が、渋滞ランキングに載せた標本数(n)で察せられると思います。
Worst 10 のうち、唯一、「n<1000」ですから…。

そこで、観蔵院入口渋滞を避けて環八に抜けたケースも観蔵院入口の「渋滞」とみなすとどうなるかを検討してみました。

すると、環八と笹目通りとの分岐点にもなっている井荻トンネルに入りながら、笹目通りではなく環八に抜けたケースは、246回(n=1,180)もありました
これが「渋滞」として渋滞ランキング補正しますと、

渋滞ランキング(補正後)

観蔵院入口7位から4位にランクアップ

「赤信号でも渋滞でも、とにかく停められた」交差点のランキングでは、観蔵院入口Worst 10 圏外ですが、

「赤信号+渋滞」ランキング

同様の補正を施すと、

「赤信号+渋滞」ランキング(補正後)

観蔵院入口8位に割り込んできます

それにしても、この「赤信号+渋滞(補正後)」ランキングを眺めると、通勤ドライブのことがしみじみと思い出されます
そりゃそうです。これら難関交差点の風景を一番長い時間眺めてきたのですからねぇ

   

ここで「渋滞」に話を戻すと、渋滞スポットにはいくつかのパターンが見いだせます。

三叉路がある
川南(環八神明通り南荻窪一丁目南人見街道高井戸西交番前~~中の橋名無し(ヴィクトリア)芦花公園にも繋がる渋滞の先頭)
つくし野(東工大入口の隣)

車線数が減る
観蔵院入口
左折車が左車線を埋めてしまう江田駅前つくし野(東工大入口の隣)

交差点の間隔が狭い
東工大入口<200m>つくし野
江田駅前<数十m>江田駅東<400m>新荏田団地入口<100m>荏田町<100m>荏田
川南<100m>南荻窪一丁目南<100m>環八神明通り

と、このくくりでWorst 10網羅してしまいました。

   

なんとなくまとまりのない状態ですが、赤信号渋滞についてのとりまとめはこの辺で完了 ということにさせていただきまして、総集編後半では、付随的にメモしてきた、R246環八笹目通り各区間走行時間(走行速度)について整理いたします。

つづき:2020/01/22 いつも赤信号な交差点 総集編 (後半)

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吉祥寺⇒渋谷と美術館をハシゴ (後編)

2020-01-20 14:47:49 | 美術館・博物館・アート/タウンウォッチング

「吉祥寺⇒渋谷と美術館をハシゴ (前編)」のつづきです。

約1年前「終わりのむこうへ : 廃墟の美術史」(記事はこちら)を観に行って以来、2回目渋谷区立松濤美術館の訪問、前回は渋谷駅からだらだらとした坂道(文化村通り&松濤文化村ストリート)を登って、ちょっとうんざりしたので、今回は井の頭線神泉駅から歩きました。

松濤美術館で開催されていたのは、「サラ・ベルナールの世界展」

「サラ・ベルナールの世界展」のフライヤーフライヤーから引用しますと、

フランス出身の大女優、サラ・ベルナール(1844-1923)は、19世紀半ばから20世紀初頭にかけて活躍しました。パリで女優として成功を収めた後は、ヨーロッパ諸国やアメリカなどフランス国外にも活躍の場を広げました。また、自らの一座を立ち上げ劇場経営にも携わったほか、アーティストとして彫刻作品の制作を行うなど、生涯にわたって幅広い活動を続けます。(中略)
本展は、サラの人生を当時の貴重な写真や肖像画、舞台衣装や装飾品のほか、ミュシャ、ラリックによる作品をもとに通覧する、日本発の展覧会です。また、彼女が生きたベル・エポックの時代に制作された華やかなポスター作品なども展示し、サラ・ベルナールの世界を多面的にご紹介します。

というもので「サラ・ベルナール」キーワードとして、関連作品を集め、彼女が活躍していたベル・エポック(良き時代)垣間見ようという、美術館で開催される展覧会としては異色の企画です。

私、「サラ・ベルナールという大女優がいた」ことは知っていますが、どんな女優さんだったのかは判りません
これというのも、リュミエール兄弟動画用カメラ兼映写機「シネマトグラフ」を発明し、それを使って最初の映写会を開いたのが1895年末ですから、彼女の全盛期は「映画」が一般化する前。
Wipipediaによれば、

映画の分野でも等しく女優として活躍した。最初の出演映画は、1900年の映画「ハムレットの決闘」である。(中略) サラはその次は2本の無声映画に出演した。

とありますが、残念ながら「動くサラ・ベルナール」拝見したことがありませんで、先ほどググってみたところ、こちらのサイトで数本の彼女の短い動画を見つけました。

画家や彫刻家、工芸家ならば、その作品が後世に残って、我々もその仕事を拝見することができますが、演劇や音楽、舞踊といったパフォーマンス・アートは、録音・録画しないと後世には残らずライヴを体験した人たちが書きしるした文章に頼るほかありません。

ただ、サラ・ベルナールの場合、私が抱くイメージがありまして、それはミュシャによるポスターです。
右に載せた、「ジスモンダ」のポスターとか、こちらで書いた「メディア」のポスターとか…。

右に載せた「ジスモンダ」のポスター(縦2mを超えるド迫力作品)は、1984年末「ジスモンダ」再演が急遽決まり、「事務所」が印刷所にポスターの作成を依頼したところ、印刷所の主立ったところはクリスマス休暇中で、唯一のイラストレーターだったミュシャが筆を執ることになったのだとか。
そして、できあがったポスターをサラが気に入り、以降、ミュシャ feat. サラ・ベルナール黄金コンビが誕生して、二人はまさに「Win-Win」の関係になったというお話が有名です。

テオパルド・シャルトラン描くところの「『ジスモンダ』を演じるサラ・ベルーナル」がとてもステキだったので、ポストカードを買ってきました。

この絵もステキですが、ポスターとしての威力は、ミュシャの作品が圧倒的

   

展示されていた作品の中に、サラティファニーで誂えたという食器セットがありまして、これが何とも凄かった…
40cm×25cmの巨大な水差し燭台トレイが、打ち出し模様も鮮やかに、サラモノグラム(SB)モットーなど統一されたデザインで揃えられています。

この食器セットは、放蕩息子がつくった借金の返済のため、サラが知人に頼んで買い取ってもらったのだとか…。(モノグラムが入った特注の食器ですから、この知人は、使うつもりではなく、大女優ゆかりの品として家宝にするつもりで買い取ったんだろうね)
大女優と放蕩息子って、日本にも似たような母子がいたな…

   

ミュシャと共に「チーム・サラ」のメンバーだったルネ・ラリックの作品が数点、箱根ラリック美術館から出張してきていまして、その中でとりわけ素晴らしかったのはこちら (ポストカードを買いました)

ダイニング用センターピース「火の鳥」

尾羽鳳凰のようで、いかにもジャポニスム好きラリックの作品だと思います。

最後は、「あ いた Misiaさんだと思ったトゥールーズ=ロートレック「ル・ルヴュ・ブランシュ」誌のポスターです。

「ラ・ルヴュ・ブランシュ」は、1891年からパリで刊行(創刊は1889年にベルギーで)された美術と文芸の雑誌で、このポスターは、「ラ・ルヴェ・ブランシュ」の主宰者であるタデ・ナタンソンの妻Misiaさんをモデルに描いたもので、ポスター作品だということもあって、結構、あちこちの美術館で拝見することができます。

   

こうして「サラ・ベルナールの世界展」を観終わった私は、松濤文化村ストリート⇒文化村通りと坂道を下り、ハチ公前交差点を渡って、原宿駅に向かいました。

普通に考えれば、渋谷駅から埼京線あるいは湘南新宿ラインに乗って帰るところですが、渋谷駅の埼京線ホームは遠いし、ちょっと渋谷を散歩するのもいいかな?と思った次第。

ところが、渋谷の中心部はとにかく人が多く歩きづらいし、通りを流している広告トラック/バスからのやかましくて、ぜんぜん快適じゃない

それでも岸記念体育会館の辺りまで来ると、人通りも少なくなって、ちょっと一息
と、代々木第一体育館の下までくると、歩道「変」になっていました

スキーカヌースラロームコースのようです

何だろ、これ? と思ったら、歩道には、

こんなペイントがありまして、

自転車速度抑制ゾーン
歩行者と自転車との事故を防ぐため、自転車の速度を
抑制する対策を行っています。     渋谷区役所

ですって。
要するにシケインなんですな。

そういえば、松濤文化村ストリートを歩いていたとき、ガラガラ不快な音を響かせながら スケートボードで坂を下る若造がいたけど、ああいうのもの危ないですよねぇ。
私の場合、あのからしてムッ としてしまうんですが…。

さて、人が少なくて快適 と思ったのもつかの間、原宿駅の中は人でごった返していました
もともとコンコースもホームも狭い原宿駅なのに、現在は駅舎建て替え工事中で、その混雑が助長されているようです。
今年の初もうでの時には相当大変だったんだろうな…

そんな原宿駅も、ちょうど2ヶ月後新駅舎とプラットフォーム稼働開始するらしいです(こちらのサイトをご参照方)

今年春は、こちらで書いたように渋谷駅埼京線ホーム北上するし、原宿駅新しくなるし、私としては使い勝手が良くなりそう渋谷・原宿界隈でございます。

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吉祥寺⇒渋谷と美術館をハシゴ (前編)

2020-01-19 21:05:30 | 美術館・博物館・アート

きょうはぐるっとパスを使って、吉祥寺美術館松濤美術館をハシゴしてきました。
そのついでに、渋谷を散歩したんですが、きょうの行程はこんな具合でした。

自宅⇒徒歩最寄り駅武蔵野線西国分寺駅中央線快速国分寺中央特快三鷹駅中央線快速吉祥寺駅⇒徒歩吉祥寺美術館⇒徒歩吉祥寺駅井の頭線浜田山駅昼食浜田山駅井の頭線神泉駅⇒徒歩松濤美術館⇒徒歩渋谷(道玄坂⇒ファイヤー通り)原宿駅山手線新宿駅埼京線最寄り駅⇒徒歩⇒自宅

吉祥寺に出かけたのはホントに久しぶりでした。
杉並区民だった頃は、週末にはちょくちょく出かけていたんですが、現在の自宅からだと、行くのはなかなか面倒くさい
今回のルートだと、西国分寺駅吉祥寺駅特快止まらないものですから、西国分寺駅では通過する特快見送って後続の快速に乗り込むと、隣の国分寺駅でそのまた後続の特快に乗り換え、三鷹駅で待っていた快速に乗り換えるという面倒くささ…

それはそうと、吉祥寺美術館に行くのは初めてでした。
昔からあったかな…、と思ったら、開館2002年だそうですから、そりゃ行くのが初めてなのも当然です。

で、吉祥寺美術館で開催されていたのは、「千田泰広-イメージからの解放-」でした。

千田さんのお名前をお聞きするのは今回が初めてでして、フライヤーによれば、

国際的に活躍するアーティスト、千田泰広(ちだ・やすひろ、1977年生まれ)。千田は、登山やアイスクライミング、ケイビングなどの経験を素地にもち、「空間の知覚」と「体性感覚の変容」を主題としてインスタレーション作品を制作しています。
を素材とし、既存の場をそこにあるままにいかしながら、私たちの深奥にあるものと静かに共振する空間をひらいてゆく千田の作品は、世界各地で高く評価されています。各国の芸術祭への出展のほか、舞台美術、レクチャー、ワークショップなどにも精力的に取り組み、近年では「世界の優れた9人のライトアーティスト」のひとりとして紹介されています(ARTDEX)。千田は、いまもっとも注目すべきアーティストであるといえるでしょう。

だそうです。

今回の展覧会で展示されていた千田さんの作品はほんの数点

ですが、企画展示室をまるまる使ったインスタレーション「Analemma」には唖然としました
私、数分間は、口をぽっかり開けて作品を見入っていた、というか、作品を体感していました。(ほぼ真っ暗なので、口を開けて見ていても、他の人には判らないはず)

光の粒が、一斉に床から沸き上がってきて、その光の粒は、ゆっくりと上昇するものあり、素早く交錯し合うものもあり、この世のものとは思えない世界です

企画展示室の中央、クッションが置かれている辺りに佇んでいると、光の粒が自分の周りから集まってきて、頭上で消えていきます。
まさしく、「INTO THE LIGHT」な体験です
展覧会のタイトルどおり、「イメージから解放」された気分

下手な文章で私が説明しても理解不能かと思われますので、是非ご体験

   

吉祥寺美術館には常設展示室として「萩原英雄展示室」「浜口陽三記念室」がありまして、それぞれ木版画銅版画(メゾチント)が展示されていました。
どちらもなかなか魅惑的な作品が多かったのですが、中でも私が「お持ち帰りしたい」と思ったのは、浜口陽三さんのこちらの作品でした。

「さくらんぼと青い鉢」という作品で、暗闇に浮かび上がるサクランボの幽玄です。

この浜口さん、かのヤマサ醤油創業家のご出身なんですな。
父親は十代目・濱口儀兵衛(梧桐)さんで、七代目・濱口儀兵衛(梧陵)「稲むらの火」で有名だし、「JIN -仁-」にも登場してましたっけ…。
今度、ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクションにも行ってみましょうか… (3月19日まで長期休館中らしい)

   

吉祥寺美術館を観終わった私は、吉祥寺駅に戻り、今度は井の頭線に乗って、いざ、松濤美術館へ

と、その前に、かつての「私の街」浜田山駅で途中下車して、駅の周りを一周
「雲白肉」旨さ(こちらの記事をご参照方)を知った中華料理店絶賛営業中だったし、行きつけだった床屋さん健在うなぎ屋さんも残ってた(営業しているかは不明)。
そしてお目当て支那そば屋さんには、例によって行列 ができていました。
でも、ここが「お目当て」だったわけで、20分ほど行列に並びました。

そして、「肉ワンタン麺」を注文
いっそのこと「チャーシュー肉ワンタン麺」をオーダーしたいところでしたが、これだとお値段は1,500円になってしまいます
「肉ワンタン麺」にしても1,100円で、こんなに高かったっけ、この店?
でも、肝心の「味」は、煮干し系の出汁効きすぎる感じはあるものの、ワンタンは相変わらず旨い ワンタンの皮プルンプルンイイ

こうしてお腹が満ちたところで、井の頭線の各停に乗り込みました。

ここから先のお話は「後編」で…。

つづき:2020/01/20 吉祥寺⇒渋谷と美術館をハシゴ (後編)

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令和初の福岡遠征記 #2-4 (完結編)

2020-01-18 13:07:49 | 旅行記

「書きかけの旅行記シリーズを完結させよう作戦」(こちらの記事をご参照方)の第2弾は、去年9月の福岡旅行記「令和初の福岡遠征記 #2-3」のつづきです、って、これが完結編なのですから、どうして書き続けなかった ですな

さて、坂本八幡宮にお参りしたあと、私は「歴史の散歩道」を歩いて太宰府天満宮を目指したのですが、正直申しまして、大宰府政庁前からバスに乗れば良かったなと思いました。
その後千葉県を中心に大被害をもたらした台風15号関東地方に向かっている(「#2-1」をご参照方)というのに福岡良い天気に恵まれていたし、周りにほとんど人がいない環境も気分良かったのですが、見どころは少ないし(失礼ながら「ただの田舎道」っぽい)、この散歩40分以上も使ってしまったのは、この日のフライトで帰る私にとってはちょいとムダだったかと…

万葉集に収録されている山上憶良の有名な「子等を思ふ歌」歌碑があったり、

シロバナマンジュシャゲキレイだったりもしたのですが、

古寺・観世音寺は、

あまりピンと来ませんでした
宝蔵を拝見すれば印象が変わったかも知れませんけど…

こうしてタラタラ歩くうち、こんなお店を発見

「学問のするめ」ですって

記念するべきこのブログ最初の記事「ブログを始めました」で書きましたように、私が学生のときに書いていた日記全4集のタイトルは、

第1集 徒然煙草
第2集 咄嗟日記
第3集 我が肺は二個である
第4集 学問のするめ

でございまして、「学問のするめ」なし崩し的に終わってしまった「第4集」のタイトルと同じです

ブログの中で「だんだんとレベルが下がっていくのが何とも情けない」なんて書いて、ゴメンナサイ m(_ _)m

さて、太宰府駅辺りまでくると、

それまでの長閑な雰囲気は消え去って、雑踏雑踏雑踏…でした。
外国語の会話が飛び交う参道を歩き、そして、太宰府天満宮にお参り。

おみくじを引くと、

「吉」でした。
台風
が接近するなか、無事に帰れるか気になるもので、「旅行」を読んでみると、

計画を良く立てて 吉

ですって
ほとんど行き当たりばったりの旅行を続けている私にとって、この御託宣の意味するところは何でしょ…

まぁ、なるようにしかならないわけで、前回の太宰府訪問と同様、肉汁たっぷり揚子江の豚まんを美味しくいただいたあと、太宰府駅前から「太宰府ライナーバス旅人」に乗って博多まで戻りました。

このあと、福岡空港から飛行機に乗るのですから、電車を乗り継いで空港まで行く方が早いのでしょうけれど、前夜、博多駅近くのホテルに泊まった私は、博多駅コインロッカーに荷物を預けてきていましたので、博多駅行きのバスを使った次第です。

博多駅荷物を回収した私は、地下鉄に乗って福岡空港に行き、ターミナルビルもつ鍋の昼食

福岡で食べるもつ鍋って、どうしてこんなに旨いんでしょ
あれほど透き通るように白くぷりっぷりもつはなかなかお目にかかれないよなぁ~。

   

羽田行きの飛行機、はじめは良い天気だったものの、だんだん雲行きが怪しくなっていきました。

それは想定内なんですが、隣の席のおばちゃんの肘が、私の席のオーディオコントロールの上にどっか と置かれて、操作できないんですけど…

さて、飛行機が千葉県上空にさしかかると、かなりの荒天で、鴨川とおぼしき海岸には、上空から見ても判るほどの大波が押し寄せていました。

高度を下げながら房総半島を横切った飛行機は、フラップを下げて東京湾も横切り、

無事に羽田空港に着陸

飛行機のことをよく知らない人が、このフルフラップスポイラーを立てた状況の翼を見たら「飛行機が壊れたと思っちゃうんじゃなかろうか…

   

羽田空港からは、リムジンバス自宅最寄り駅前まで帰ったのですが、強力台風接近中ということからか、首都高速ガラガラに近い状態で、なんともスムーズに帰れたのはラッキーでした。

こうして現地滞在時間が約24時間という慌ただしい福岡遠征はめでたく完了したのでございました。

【追記】この夜が明けるちょっと前(9月9日朝)、台風15号は東京湾から千葉市に上陸し、死者3名、重軽傷者150名、住宅被害77万棟以上の大きな被害をもたらしました。
そしては、翌朝9日(月)は通常どおりクルマで出勤するつもりでしたが、交通情報によれば、高速道路一部通行止めもあって、環八R246大渋滞で、いつ会社に着けるか判りません。更に、電車も止まっていて、結局年休をとりました

こんなことだったら、福岡もう1泊してのんびりしてくれば良かった…と後付けで思ったのでした。(2020/01/18 13:34)

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4Kチューナー内蔵BDレコーダー購入!

2020-01-17 21:16:59 | 日記・エッセイ・コラム

4Kチューナー内蔵ブルーレイ・レコーダー(以下、BD-R)を買ってきました。

私の住むマンションの共聴アンテナが4K/8K対応のものに交換済みであることは知っていましたが、壁面アンテナ端子4K/8K対応のものに変えないと4K放送も8K放送も視られないと思っていました。
壁面アンテナ端子の交換無料でできるとはいえ、その工事(作業?)のタイミングがなかなか見つけられずにおりました。

ところが、マンション内で配布されたチラシをよく読むと、こう書かれていました。

4K8K衛星放送の内、NHK・大手民放5局のBS4K放送については、現在お部屋の壁面テレビ端子から受信ができますが、NHK8Kや有料の各4K放送については受信できないため、端子の交換作業が必要になります。

? 「NHK・大手民放5局のBS4K放送」は、4Kチューナー、それを内蔵したTVやBD-Rがあれば、すぐに視られるんですと
(2018年5月に購入したリビングのTV「4K対応」です)

あれまぁ~ 私としたことが…

   

ということで、4Kチューナー内蔵のBD-Rを買いに行ってきました。

事前に、購入するメーカーと商品シリーズを決め、その取説ダウンロード(便利な世の中になったものです…)、我が家のAVシステム接続状況を再確認して、必要なモノをリストアップ
BD-R内蔵のHDD容量は、そのお値段を見て決断することにして、さっそく家電量販店に出発

家電量販店に着くと、まずは、HDD容量の違いとお値段の違いをチェック
その結果、2TBのものを買うことに決めました。
4TBのものだとお値段は3割増し くらいになるし、TVに直結したままほとんど使っていない外付けHDD(2TB)があるじゃないか というのがその理由です。

そして、自宅のAVシステムに組み込むのに「必要なモノ」、具体的には、分波器分配器アンテナケーブルHDMIケーブルと一緒に購入

ちょいと驚いた のは、上記の「必要なモノ」だけで、1万円近くもかかったこと。
う~む… です。

   

「BD-Rご一行さま」を購入すると、そのまま、どこにも寄らずに帰宅し、さっそく接続作業にとりかかりました。

すると、初っぱなからアクシデント

新BD-Rを、オーディオラック内のMDデッキの上に置くつもりだったのですが、高さが足りません

こんなことは、しっかり確認すれば事前に判るはずだったのに、手抜かりでした…

結局、ここ数年は休眠状態だったMDデッキには予備役に入っていただくことにして、新BD-Rの設置場所を確保しました。

その後は、作業が順調に進捗して、ほんの15分ほど接続完了

その接続の新旧を図にしてみました(新BD-Rのセッティングよりもこの図パワポで作る方がずっと時間がかかった)

極力 つなぎ変えが不要になるよう=レガシーを生かせるよう、工夫いたしました。だからこそ「ほんの15分ほどで接続できたわけですが…
ちなみに、自宅リビングの壁面アンテナ端子2個ありまして、そして、赤文字で書かれているものが、きょう買ってきた「必要なモノ」です。

上の図をご覧になってお気づきの方もいらっしゃるでしょうけれど、新BD-RAVアンプとは、直接繋がっていません
これというのも、新BD-Rの出力端子はHDMIUSBだけで、一方、AVアンプはかなり年期が入っていることもあって(もうすぐ17歳) HDMI非対応 なのです。
こんな具合なので、新BD-Rのコンテンツを再生する場合、AVシステムから出そうとすると、AVアンプ「TV」セレクトすることになります。

そうそう、上図には書きませんでしたが、外付けHDDとの接続も、宅内LANとの接続もすんなり完了いたしました。

   

今後、リビング新旧2台BD-Rを使っていく上で、難題がありました。

リモコンの信号混線しないようにするのは、簡単に対応できました(ちゃんと対応できる機能が新BD-Rには備わっていた)が、なにより厄介なのは、新旧2台リモコンが、一見すると同じに見えること

キーたち配列本体色まったく同じ。です

よくよく見ると、キーの色と機能ビミョーに違います。

でも、結局は、汚れている方が従来からのBR-D用のリモコン真新しいのが新BD-R用のリモコンと見分けるしかなさそうです…

でも、新BD-R用のリモコンも、使ううちに汚れてくるだろうし、そうなったら、新旧の見分けがつかなる可能性が高い…
そして、リモコンを取り違えて、大事な録画を消してしまうなんて、致命的なミスを招きかねません

そこで、しばし考えた結果、テプララベルを作って(個人テプラを持っている人はそうそういないと思う) 、それを2台のリモコンに貼りつけました

2台のリモコン feat テプラ

これなら一見して区別ができますな。

ここ3日間で出費かさみまくりなのは気になりますが、まぁ、仕方ないでしょ… (←何が?)

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中学生のとき以来の羽黒山、初めての加茂水族館 #6 (完結編)

2020-01-16 10:04:02 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「中学生のとき以来の羽黒山、初めての加茂水族館 #5」の最後で、「と、ここで、昼食のため、ひと休み。」なんて書いたのに、約1週間(ま)が空いてしまいまして、ようやく「#6」です。

どこまで書いたんだっけ?「#5」を読み返して、、、そう、加茂水族館クラゲたちから、触手が長い編です

まずは、かごしま水族館と同時公開 世界初公開だというアマガサクラゲ

クラゲから触手納豆が糸を引いているみたいに、長ぁ~く大量に伸びています。

いやはや優雅であります

ところで、ムカデもそうだけれど、クラゲの触手ってのは、クラゲ自身が自分の体の一部と認識して、自分の意思で動かしているのかな?
また、どの触手のどの部分が痒いとか、そんな感覚ってあるのかな?

と、思って調べたら、こちらによると、

無脊椎動物の口の周囲に輪状に突出する感覚器自由に伸縮,屈曲し,触覚,味覚などの受容器として,また食物の捕捉,密着などに用いられる。刺胞動物,環形動物,触手動物,曲形動物などに見られる。イソギンチャク類,クラゲ類などでは,刺胞をもち,触れた相手に針を刺し,毒液を注入するものもある。

だそうな。
大したものですねぇ。

ところで、クラゲと言えば、子どもの頃に海水浴に行って、ゼラチン状のその姿を見たり、刺されてピリッとした痛みを感じたことを思い出すのですが、これに刺されたらピリッとした痛み」どころでは済まなそう なのが、つづいて登場いただくのは、アカクラゲです。

クラゲの触手には「刺胞」という組織があって、それが刺激を受けると毒針が飛び出すのだそうで、厄介なことに、この反応はクラゲ本人の意思によるものではなく、クラゲが死んでもその反応が起きるのだとか。

こ~んなに長い触手武器が仕込まれているなんて厄介ですなぁ

加えてアカクラゲの場合、説明板によると、

乾燥したアカクラゲの粉末により、くしゃみを発することから「ハクションクラゲ」と呼ばれることがある。

ハクション大魔王&アクビちゃんだそうです。
「ハクションクラゲ」がいるなら、「アクビクラゲ」もいそうですな…

庄内ドライブに出かける前日、愛用のデジカメ壊してしまいまして、宅配便で修理に出しました。

私のTweet

そのため、庄内ドライブには、別邸(実家)に保存してあった古いデジカメ(購入したのは15年前)を持ち出したのですが、このデジカメだと、明るい場所はともかくも、水族館のような暗い所ではシャッター速度が遅くクラゲを撮った写真はどれもブレまくり…
そのため、「#5」「#6」に載せた写真のほとんどは、スマホで撮ったもので、スマホのバッテリー残量が気になって、撮った写真も少なめでした。

さて、最後に登場するのは、フィナーレにふさわしく、ミズクラゲ大群舞

スッゴい数クラゲ

この水槽に入ったら、どんな感じなんでしょ?
ぷよぷよして気持ちいいのか、はたまた気持ち悪いのか…

   

出口には、来館者累計300万人突破をお祝いするさかなクンさんのイラストが飾られていました。

2019 令和元年8月9日(金)

ってことは、まだ新しい
そして、その日は、私も帰省中だったなぁ…
なにせ母の一周忌法要の日だったから…。

ところで、加茂水族館には、クラゲを使った料理を出すレストランがあって、その名も、「魚匠ダイニング 沖海月」


この場合、「海月」「くらげ」ではなく「みづき」と読むらしい。
そういうHNミー友さんがいるなぁ… (この2カ月前に、超久しぶりにお会いできました)

名物の「クラゲアイス」を食べたかったのですが、既に営業時間は終わっていました そりゃ、水族館の閉館時刻も迫っているのですから…

最後の最後に、ミュージアムショップでお買い物。

当然ながら、クラゲ関連の「万物」が揃っている感じ で、中でもスゲぇと驚いたのが「クラゲこんにゃく」
これにはクラゲは入っていないのですが、山形名物の玉こんにゃくクラゲの形に加工されていて、見た目クラゲそのもの
でも「クラゲこんにゃく」は買いませんでした
その代わり、自分用にクラゲの写真集(写真が身震いするほどキレイ)と、

クラゲ館長が選んだ美人なクラゲ60種
 
村上竜男,加茂水族館

私としては珍しく職場へのお土産として「クラゲせんべい」を買いました。
このせんべいは、普通の小さなせんべいに、6種類ほどのクラゲのイラストが描かれて個別包装(職場へのお土産として大事)されているもので、職場では大好評 でした。

加茂水族館を出て駐車場に行くと、だいぶが傾いていました。

当初のもくろみでは、酒田に寄って土門拳記念館を観よう だったのですが、もう時間的に不可能でしたので、そのまま帰宅することにしました。

その途中、酒田の北、遊佐町内のR7で、まだ乗り始めて3カ月しか経っていない愛車悲劇に襲われました
でも、その話は私の心の中に留めておきましょう

「悲劇のせいで1時間ほど余分に時間を要して、19:30別邸(実家)に帰着。

「悲劇に見舞われたことを除けば、心身ともリフレッシュできた庄内ドライブでした。

今年の なのか なのか判りませんが、今度こそ、何十年もご無沙汰酒田象潟行くぞ決意表明して、「中学生のとき以来の羽黒山、初めての加茂水族館」シリーズ完結でございます。

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博物館と美術館に初もうで (番外編)

2020-01-15 07:14:13 | タウンウオッチング

「博物館と美術館に初もうで」シリーズ番外編は、一昨日、東京国立博物館(記事)大倉集古館(記事)をハシゴしたのお話です。

大倉集古館を出て霊南坂を下ると、左側にはアメリカ大使館白い塀が連なり、かつてはホテルオークラ東京・本館の宴会フロア用車寄せのあった右側は、というか公園みたいになっています。
そして、大倉コレクションらしい五輪塔やら五重塔が点々と置かれています。
せっかくなので、このの中を通って降りて行くことにしました。

それにしても、昔は政治家の資金集めパーティー業界団体のパーティーで何度もやって来たホテルオークラ東京面影まったくありません
知らない人が見れば超高級ホテルとは判らない中層の建物は風情があったものですが、土地効率を考えれば、高層ビルを建てて、一部のフロアをオフィス用に貸し出す方が経営的には良いのでしょうけれど…
ちなみに、ホテルオークラ東京「顔」だったといってもよいロビーは、昔の風情のままに復活しているようです(オークラ東京のHPのトップページはロビーの写真)

さて、この(公開緑地)、ほんとに良い雰囲気です。

都心のほぼ真ん中だというのがみたい…。

自然たっぷりそうに見えるのですが、

汐見坂まで降りてみますと、このの下は宴会フロア用の駐車場でした。

いやぁ~、ホントに変わった…
変わったといえば、虎の門病院も建て替えられているし…と、かつて私の職場だったビルに近づくと、、、おわぁ~~

これがマッカーサー道路かぁ~
2014年3月末に開通してからもう6になろうかというところで、初めてやって来ました
私がこの界隈をウロウロしていた頃は片側1車線「生活道路」みたいだったのに、今や完全に幹線道路です。(その割に、休日のせいか、交通量は少ない)
あの当時は、この道路の予定区画とおぼしき地域だけが、バリカンをかけたように低層の建物帯状に連なっていたっけなぁ~ と思い出したりして。

でも、この地点から虎ノ門駅までの風景は、まったく変わっていませんでした。
せいぜい虎ノ門交差点からTOTO看板がなくなったことくらいでしょうか?
当時は、桜田通りを挟んで、TOTO虎ノ門ビル「TOTO」の看板と、文科省に掲げられた「toto」の垂れ幕が向かい合っていて面白がったものでしたなぁ~

   

さて、私は虎ノ門駅から銀座線に乗って帰宅の途についたわけですが、ここでルートを検討しました。
私の虎ノ門勤務の頃の帰宅ルートは、

 虎ノ門駅銀座線赤坂見附駅丸ノ内線新宿駅埼京線
 虎ノ門駅銀座線渋谷駅埼京線

2つを使い分けていました。
地下鉄(東京メトロ)は通勤定期券があまり割安じゃなかったので回数券を使用、JRの通勤定期券は最寄り駅から新宿までも渋谷までも同額だったので最寄り駅~渋谷駅の通勤定期券を使っておりました。

で、乗り換えが1回で済む利点はあるものの、渋谷駅埼京線ホーム遠くてかなり歩かなければならないという弱点を抱えていまして、を使うことが多かった記憶があります。

ですが、一昨日はのルートを採用。
その理由は、もちろん、今年1月3日に営業開始したばかりの渋谷駅新プラットフォームを使ってみたかったから

そして、

あらあら、オシャレじゃございませんか
日本最古の地下鉄路線だけに、基本的に古い構造の駅だらけの銀座線の駅とは思えません

ただ、

というのが、偽らざる私の第一印象でした

それにしても新しい銀座線渋谷駅、これまで乗車ホームと降車ホームが別れ、メチャクチャ狭かった (1列に3~4人しか並べなかった記憶が…)のとは大違いです。

ところが、先に進んでいくと、改札口手前では、従来の降車ホームを通らなければならないのですな
最終的には広々としたコンコースが作られるのでしょうけれど、当分の間は、朝夕ラッシュ時は従来以上に大変そうです

大変だったのは、JR渋谷駅中央改札口を入ってから埼京線ホームまでも同様で、いや、私が通勤に使っていた頃は動く歩道もあったのですが、現在は動く歩道はなくなっただけでなく。仮囲いに囲まれて圧迫感があるし、足元も悪いなか、ひたすら歩くしかありません。
(現在、JR東日本が実施中の「機動戦士ガンダムスタンプラリー」渋谷駅スタンプがあるのは埼京線ホームの更に南新南口だそうで、これは参加者試練ですな)
こちらも今年春を目標に、山手線ホームと並ぶ位置まで350m移動するらしいです(JR東日本のリリース)

ホントに「仮設」だとしても埼京線ホーム移設今年春に完了するのかねぇ

楽しみにしておきます。

私が社会人になりたての頃は、勤務先のに住んでいまして、井の頭線⇒渋谷駅⇒銀座線⇒銀座駅…のルートで通勤しておりまして、銀座線渋谷駅とは古い付き合いです。
当時から「バリアフルだった渋谷駅は、(下の写真はこちらの記事に載せた「田中圭介+昭和女子大環境デザイン学科 田村研究室による『渋谷駅(2013) 構内模型』」)

激変真っ最中で、まだまだ不満を抱く利用者多いようですが、どうかバリアフリーで、使いやすい駅になりますように

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博物館と美術館に初もうで (後編)

2020-01-14 13:09:54 | 美術館・博物館・アート

「博物館と美術館に初もうで (前編)」のつづきです。

「前編」の最後に東京国立博物館(トーハク)のミュージアムショップで購入した「掘り出し物」と書いたのは、こちら

国土地理院発行の「御即位記念地図1万分1地形図『東京中心部』」です。

天皇陛下御即位時における首都東京の姿を地図として後世に残すとともに、令和元年の東京の様子を国内外にわかりやすく伝えることを目的として作成しました。

というこの地図(四六判:79cm×109cmとかなりデカい)は、去年10月22日に挙行された即位礼正殿の儀への参列者にお土産として贈呈されたのだとか。

見本を開いてみると、色づかいが良くて、かなりステキです。
これをパネルに入れて、今はガバァと空いている別邸の自室の壁に飾ったら、イイ感じかもしれない… と、迷わず購入(税込 1,379円)しました

せっかくですので、この「御即位記念地図」に、きのうの神谷町駅大倉集古館⇒虎ノ門駅のルートをプロットしてみました。

   

さて、神谷町駅を出た私は、大倉集古館に向かって歩き始めました。

この辺りはかなり起伏があって、かつて仕事でANAホテルに行くときは、ホテルオークラ東京別館駐車場の中を歩いて、ホテルのエスカレーター数フロア昇って正面玄関から霊南坂に出て、アメリカ大使館大使公邸前からアークヒルズに抜ける、という住居不法侵入に問われても仕方のないルートをとっていました
でも、スース姿ならともかく、きのうのような超普段着で日本を代表するラグジュアリーホテルの中を歩くのは気が引けましたので、ホテルオークラ東京別館を回り込むように急坂を登りました。

そして、とてつもなく閑散としている霊南坂をちょっと下ると、

一度見たら忘れられない唯一無二の外観の大倉集古館です

以前はホテルオークラ東京車寄せに隣接して所在なげに立っているイメージの大倉集古館でしたが、旧ホテルオークラ東京本館が高層The Okura Tokyo建て替えられて周囲の建ぺい率が下がったことで、ついに独立を勝ち取った感じ…

さて、私にとって初めて大倉集古館では、「新春特集展示 能と吉祥『寿―Kotohogi―』」が開催中でした。

右に載せたフライヤーを見るだけでも伝わってくる華やかさおめでたさ

もともと能装束や能面にはさほど興味を持っていない私ですが(いつもトーハクの第10室「浮世絵と衣装―江戸(衣装)」はそそくさと通過)、いやぁ~、どの作品もキレイでした

でも、しかし、一番「」になった作品は、

大倉集古館施設改修工事長期閉館中(2014年4月~2019年9月)に、疎開先トーハクで何度か拝見して、そのたびにほげぇ~ となった国宝「普賢菩薩騎象像」(12世紀)でした。

知的として、それでいて穏やかなお顔、力の抜けた肩の線繊細截り金細工…。
私が拝見したことのある仏像の中でもBEST 10に入りそうな普賢菩薩像です。

この他、鈴木其一のご子息、鈴木守一による「石橋・牡丹図」もなかなか
でも、父・其一、その師匠・酒井抱一、そのまた心の師・尾形光琳、その元祖・俵屋宗達とさかのぼる琳派に共通する卓越したデザイン性みたいなものは薄い気がしました。

1階の展示を見終えた私は、地下1階新展示室に向かったのですが、階段の親柱の上に佇んでいたのは、、

出たぁ~伊東忠太動物園~

伊東忠太設計の建物では、この手の「霊獣」は欠かせません
2011年3月に京都に行ったとき(記事)修理中本願寺伝道院前でこんな風だった「霊獣」たち、

今はどうしているのでしょうか…
そうだ 今月末「Misia Soul Jazz Big Band Orchestra Sweet & Tender」大阪公演への遠征のときに行ってみよう

実は、大倉集古館を外から眺めても、「霊獣」を拝見することができます。

屋根の隅棟の先端、普通ながら鬼瓦が置かれるところで、霊獣「吻(ふん)が大きく口を開けています。

こちらは伊東忠太さんとは無関係ですが、「竜頭」(中国・明時代)

梵鐘を吊す輪っかの部分ですな。
ホントにの形をしています。

大倉集古館の入口手前に、徳川将軍家のお墓の前にあるタイプ(三つ葉葵紋がふんだんにフィーチャー)燈籠2基立っています。
その向かって右側の燈籠を観ると、「巌有源公霊廟前」と書かれていますから、上野寛永寺にある4代将軍・徳川家綱のお墓に奉納されたもののようです。

そして、その奉納者「参議従三位兼(?)行近衛権中将光圀」とありまして、、、って、黄門様こと徳川光圀公であらせられました (光圀は家綱の父・家光と従兄弟)

一方、左側の燈籠は、奉納した人もされた人も、右の燈籠とは違うことは確認しましたが、写真もメモもとらなかったため判りません

まぁ、このように、いろいろ楽しめた大倉集古館でありました。

この後のことも書きたいところですが、「博物館と美術館に初もうで」というタイトルからは離れますので、とりあえず、これにて前後編の完結とさせていただきます。

つづきのようなもの:2020/01/15 博物館と美術館に初もうで (番外編)
「有言実行」のつづき:2020/02/12 2020年最初の関西旅行記 #3-6
別の角度からのつづき:2020/02/18 「御即位記念地図1万分1地形図『東京中心部』」を飾った 

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博物館と美術館に初もうで (前編)

2020-01-13 20:55:06 | 美術館・博物館・アート

今年も既に1月13日だというのに、ようやく、

に行ってきました。

さらにその後、初めての大倉集古館ハシゴし、私がかつて勤務していた虎ノ門界隈から、今年1月3日から稼働し始めたばかりの銀座線・渋谷駅を見物がてら帰宅しました。

ルートはこんな具合です。

自宅⇒徒歩最寄り駅埼京線赤羽駅上野東京ライン上野駅⇒徒歩東京国立博物館(トーハク)⇒徒歩東京メトロ・上野駅日比谷線神谷町駅⇒徒歩大倉集古館⇒徒歩虎ノ門駅銀座線渋谷駅埼京線最寄り駅⇒徒歩⇒自宅

   

きょうは祝日かつ好天ということで、上野は大変な人出でした。
そして、トーハクも、特別展の端境期だというのに、かなり賑わっていました。
もっとも、「特別展の端境期」とはいえ、私も観た(記事)「高御座と御帳台」が公開中で、私がトーハクに着いた10:45は、「高御座と御帳台」を観るには、約50分待ちの状態でした。(帰るとき=12:00頃60分待ち)

まずは、お正月のトーハク恒例の、本館・大階段踊り場の「いけばな」から。

今年の「いけばな」は、真生流家元の山根由美さんの作品でした。

「いけばな」も、これまたお正月のトーハク恒例長谷川等伯「松林図屏風」も、今回の展示は本日が最終日

着物(晴れ着)をはじめとして、ほんと華やかな展示が多くて、ほんとお正月
とりわけ、こちら

国宝「新古今和歌集(元永本)下帖」(12世紀)は、美しいし、だし、ステキでございました。ほとんど読めないけれど…

   

トーハク「博物館に初もうで」では、その年の干支絡みの展示を楽しめるのですが、今年の「子」ねぇ~~
「子=鼠」メインになった美術品って、そうそうないみたいで、さすがのトーハクも、その苦労が察せられる展示でした。
「十二支の一つ」的な扱いの作品や、「鼠(色)地」の作品(着物や陶磁器)が多かったですから…

例えばこちら、鼠色平絹地着物なんて、地味ぃ~~そのもの

なんですが、よくよく近づいて見ると、、、

ほわぁ~ 出たぁ~ 小紋だぁ~

定番の組み合わせといってもよい「竹に雀(の文字)点描(染めているんだけど)されています

一見、無地で、地味質素なんだけど、なんと凝った 小袖なんでしょう

同じコーナーに展示されていた、これまた地味鼠色地振袖

こちらは、説明板「目からウロコ」でした。
曰く、

振袖は成人前の女性が着用しますが、江戸時代には女性ばかりではなく15~16歳までの元服前の少年も着用しました。地味な地色に、源氏香模様や四季折々の草花をしっとりと友禅染にに、丸紋の家紋が入った振袖は少年の着用でしょうか。

私が大好き鈴木春信浮世絵には、「女と若衆」が描かれた作品がいくつもあって、観るたびに、2人の女性が描かれているんじゃないの? と思っていたのですが、15~16歳までの元服前の少年も着用しました」ということを知って、かなり合点がいきました

   

こうして結構満足した私は、竹の台広場(噴水広場)で開催されていた「せとうちグルメフェス」で、雑踏の中、尾道ラーメンを食べた後(こちらはさほど満足せず)、次なる目的地大倉集古館に向かったのですが、そのお話はトーハクのミュージアムショップで購入した「掘り出し物」と併せて「後編」で…。

つづき:2020/01/14 博物館と美術館に初もうで (後編)

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「ぎぼむす」の新春SPも面白かった

2020-01-12 21:05:11 | MISIA/テレビ番組

きのう、ようやく「義母と娘のブルース 2020年謹賀新年スペシャル」を観ることができました。

「連ドラ」同様に録画するのは既定路線としても、リアルタイムで観たかったのはやまやまだったのですが、放送された1月2日は、秋田の別邸に帰った日でありまして、その日の秋田TV番組表はこんな具合でした。

秋田民放TVは、日テレ系秋田放送フジ系秋田テレビ、そして、テレ朝系秋田朝日放送3局だけで、TBSの放送局が無いのですよ
秋田放送は、AMラジオはTBSなのにな…

そんなわけで、帰省Uターンして録画を観るのを楽しみにしておりました。

そして、満を持して、昨夜、「義母と娘のブルース 2020年謹賀新年スペシャル」を観ました

冒頭、大阪の街を闊歩するスーツ姿の亜希子さん、私は亜希子さんとはかなりキャラが違うものの、綾瀬さんが出演された映画「プリンセス・トヨトミ」を思い出していました

それはともかく、冒頭の大阪パートは、ちょいとベタ過ぎ(特にBossの日英混じりの言葉遣い) どうなるんだろ? と心配になりましたが、東京パートになると、約1年ぶりという時間が感じられないほど、いつもの「ぎぼむす」ワールドが展開され始めました。

まず、の赤ちゃんに「専務」と名づけるセンスが好き

そして、子育て支援センターみたいなところで亜希子さんどこかのお母さんとが交わす会話が最高でした

母親A:この子、すっごい社長顔じゃない
亜希子さん:まだ専務なんです。(にっこり)

さすがは森下さん脚本だなぁ~ と思ったりして…。

そして、うわぁ~、こりゃマズい展開○○になりそうだけれど、そうなったらイヤだなぁ~ と思わせておいて、そうならないところが森下さん真骨頂じゃなかろうか…
これだから、ドキドキしながらも、ワクワクしてドラマを楽しめるんだろうなぁ

と、森下さん絶賛モードに入りつつありますが、この「2020年謹賀新年スペシャル」は、「続編がありますよ感が強すぎかと思います。
かの「バック・トゥ・ザ・フューチャー」3部作「PART II」的な位置づけにされているようで、ちょっと…な感じ

でも、今後も「ぎぼむす」新作を観られるというのは、大歓迎です

   

ここからは、ちぃと細かい話

みゆきちゃんが来ていたこちらTシャツ

みゆきちゃんMISIA名誉大使を務めた、「生物多様性条約 第10回締約国会議(COP10)」シンボルマークモチーフになっていませんか?

COP10のシンボルマーク

さまざまな動物が、さまざまなで描かれた丸いイラスト、どう考えても「繋ぁ~が~ってると思うのですが…

つづいては、「連ドラ」に引き続いて使われたMISIA「アイノカタチ feat. HIDE (GReeeeN)」

「連ドラ」のときも、「2020年謹賀新年スペシャル」でも、絶妙タイミングで流れてきてしみじみさせていただきました。

でも、「連ドラ」では約50分間の各回の放送のたびに聴けたのに、「2020年謹賀新年スペシャル」では約2時間の放送で1回だけというのは、ちぃと寂しかった

まぁ、また続編が放送されることは確実でしょうから、その時を楽しみに待つことにいたしましょう。

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